【完結】もう恋人だと思っているエイシンフラッシュVSそんなことは微塵も考えていないトレーナーVSダークライ   作:かむくら

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 前回のアレダークライ扱いされてて笑う。感想とか評価とかたくさんくれると嬉しいです。モチベなので。


如実に翳るエイシンフラッシュ

 六月の季節に梅雨以外の名前をつけるなら『憂鬱』だろうか。

 窓の外に降りしきる雨を見て、ぼんやりと考えた。

 

 雨。青い天蓋は黒く厚い雲に覆われ、ざあ、と聞き慣れた水音を響かせている。それは見ているだけでも心の(うち)に鬱々とした陰を落とし、鳥の一匹もいない空は、どこか物寂しげに思えた。

 雨を空の涙と例えたのは誰だっただろうか。神様が嘆いているから雨が降るんだなんて、昔の人は途方もない彼方に想いを馳せていたものだと、浮かんでは消える物思いの中でアスファルトを叩く無数の破裂音を聞いていた。

 

「そんなに雨が気になる?」

 

 眼前に座るトレーナーが困ったように言った。

 

 エイシンフラッシュとトレーナーは今、とある喫茶店(カフェ)に来ていた。東京都台東区の一角、国際通りを少し裏へ入ったところに佇むそこは、何を隠そうエイシンフラッシュの提案により訪れることになった場所だった。

 ドイツの一流マイスターのもとに生まれたエイシンフラッシュというウマ娘は、幼い頃より父の仕事をよく見てきた。本人も将来の夢を父のようなマイスターと語る辺り染み付いたお菓子好きは筋金入りで、日本に来てトレーナーと出会ってからも、近くのスイーツショップを調べては自ら足を運んでいた。トレーナーと共にたまたま見つけたシュネーバルに舌鼓を打ったのも懐かしい思い出である。

 

 今日訪れたのはチョコレートを扱う専門店だった。サンフランシスコのガレージから始まったその店が数年前に海外進出の第一号店として選んだのが日本のこの土地であり、かねてより目をつけていたエイシンフラッシュが「ここに行きたい」という予定をトレーナーに見せたのが、今日という日の発端だった。

 

 数々のチョコレート菓子を珈琲と共に味わう優雅な休日。隣には気の置けないあの人がいて、午後には少し足を伸ばして浅草の街でも二人で歩こうかと考えていた。そんな予定を立てていたのが、今からちょうど一ヶ月ほど前のこと。

 

 しかし、やはり未来とは不確定なものである。エイシンフラッシュの表情は苦々しく見えた。

 

「雨もそうですが、不覚でした……まさかこんなに人気だなんて」

 

 彼女のスケジュールには既に大幅な狂いが生じていた。

 休日二人待ち合わせて電車に乗り現地に向かう。そこまでは良かった。ネットでの評判を見ているとかなり人気なようで、その待ち時間まで含めて行動するだけの時間の余裕を持たせて、エイシンフラッシュは当日の予定を組んだ。しかし向かった先にはその予想を大幅に上回る行列が伸びていたのである。

 トレーナーと二人でいたのだから待ち時間は別に苦にならないのだが、このままではその後の散策プランの時間が無くなってしまうと、エイシンフラッシュは焦っていた。

 

 時期は梅雨真っ只中。ただでさえ予報では夕方過ぎから雨が降ると言っていただけに、あまり猶予がないのが現状だった。さらに追い討ちをかけるようにして、二人が店に入った頃に予報より早く雨が降り始めてしまい、エイシンフラッシュは跡形も無くなったスケジュールを眺めるしかなかったのである。

 

「まあ、今日は普通の休日だからね。そりゃ人も来るさ」

 

 トレーナーは特に気にしていないようだった。言ってしまえば、彼はエイシンフラッシュの予定に付き合わされただけだというのに、その顔に不満の表情は見えなかった。

 

「お出かけっていうのは待ち時間も含めて楽しむものだよ。君は予定を狂わされたって思うかもしれないけど、店に入れるのを心待ちにしながら話すだけっていうのも、中々良いものじゃない?」

 

 言って、彼はストローを咥えた。サトウキビの繊維で作られたというザラザラした舌触りのストローを上っていくのは、洒落たグラスに注がれたカフェモカだった。

 

「雨は残念だったかもしれないけど」

「……日本の天気予報は、精度が高いと聞きますが」

「予報だからね。外れる時もある」

 

 前にそれで雨に打たれた日は機嫌悪かったよね、とトレーナーは笑った。以前エイシンフラッシュが一人で外を歩いていた際、晴天の予報を信じて傘を買わずに雨に降られ、濡れて帰ったことがあった。自身の少し恥ずかしい話を掘り起こされ、エイシンフラッシュは多少顔をむくれさせながらも、「ですが」と口にした。

 

「雨は濡れますし、晴れよりもできることに限りがあります。……あまり好きではありません」

「晴耕雨読とも言う。それに、雨でずっと屋内にいても、案外退屈しないものだよ。かのメアリー・シェリーも、雨で外に出れない中で〝フランケンシュタイン〟の構想を思いついたらしい」

 

 フランケンシュタイン。

 原題、〝フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス〟。イギリスの小説家メアリー・シェリーにより1818年に匿名で出版されたゴシック・ホラーで、かの有名な継ぎ接ぎだらけの怪物を生み出した怪奇小説である。

 1816年、メアリーは知人であったバイロン卿の別荘──ディオダティ荘──に、後に夫となるパーシーらと共に集まった。1816年は前年のタンボラ火山の大噴火の影響により北半球が寒冷化しており『夏のない年』とも呼ばれ、長期にかけて雨が続いていた。その中でバイロン卿の「皆でひとつずつ怪奇譚を書こう(We will each write a ghost story.)」という提案により始まったのが、『ディオダティ荘の怪談談義』である。

 その時に着想を得たメアリーにより、以後一年以上かけて執筆されたものこそ〝フランケンシュタイン〟だった。

 

「雨の下での語らいも、場合によったら後世に残り得る」

「状況が違うと思いますが……」

「例え話だよ。要するに捉え方の違い」

 

 グラスの中の氷の塔が崩れ、からん、と鳴った。

 

「俺は結構好きだよ、雨。今日は外に人が並んでるからあんまり長居できないけどさ、どこかの喫茶店に入って、珈琲を飲みながら本を開いて、たまに窓につく雨の雫が形を変えていくのを眺める。それだけでも楽しいものだ」

 

 言って、彼は鞄から一冊の本を取り出した。革製のブックカバーに覆われた本はそれなりの厚みがあり、間から栞紐(スピン)が小さくその端を覗かせていた。

 

「それは?」

「〝フランケンシュタイン〟。三周目」

「どうしてそんなものを」

「出かけるときには本一冊くらい持っていかない?」

 

 フラッシュといるときは使わないけど、と最後に付け足して。トレーナーは氷の崩れたグラスを揺らし、ストローに口をつけた。

 本から顔を覗かせる栞紐(スピン)の位置は既に終わり際で、彼は「あとで貸そうか」なんて言って軽く頁を(めく)ってみせた。

 

「……話しすぎたかな。今日の目的はお菓子だよね。さっき店員さんが40分制限って言ってたし、そろそろ食べないと」

「そうですね」

 

 時計を見れば、店に入ってから既に十分近くが経過していた。本題であるチョコレート菓子をゆっくり味わうためにも、適当なところで話を切り上げた方がいいのは事実だった。

 エイシンフラッシュの前に並ぶのはブラウニーとスモア、それとカフェラテ。トレーナーの前には同じくブラウニーと、大きめのチョコレートクッキーがあった。

 

 フォークを沈めてブラウニーを切る。本来ブラウニーは携帯食であり、手掴みで食べるのが普通だが、エイシンフラッシュは慣れた手つきで切り進めていった。口に入れれば、芳醇なチョコレートの薫りがいっぱいに広がり、体温で溶けていく。上に散らされたクルミが食感のアクセントとなっていた。

 

「美味しいです、とても」

「それはよかった」

 

 続けてスモアにも手をつける。焼いたマシュマロで形作られた土台と、そこに乗ったチョコレートを一緒に切り分けて頬張れば、マシュマロのまろやかな甘みとチョコレートが口の中で混ざり合っていくのがわかった。下に敷かれたビスケットの仄かな塩味が、甘さ一辺倒で飽きるのを防いでくれる。

 一度フォークを置いてラテを口に含めば、チョコレートで染まった舌を珈琲の苦味とミルクのまろやかさで塗り替えていった。

 

 夢中になって半分ほど食べ進めたところで、ふと気がついた。眼前のトレーナーは、先程から菓子に手をつけた様子もなく、ただ微笑みながらエイシンフラッシュが食べている様を眺めているだけだった。何故食べないのだろうかとエイシンフラッシュは小首を傾げ、

 

「どうかしましたか?」

「幸せそうに食べるなーって」

 

 返ってきたのはそんな答えだった。トレーナーは変わらずにこにこと笑いながら、自分の皿をエイシンフラッシュの方に近づけた。乗っていたのはクッキーだった。

 

「これも食べる?」

「……いただけるのは嬉しいですが、悪いです。それに、本日の予定カロリーを超過する恐れが……」

「でも色々食べてみたいでしょ?」

「それはまあ、はい」

 

 返事は肯定。たしかにエイシンフラッシュは二つチョコレート菓子を選んだが、店に用意されているメニューはそれだけではない。可能ならその全てを味わってみたいと思うのは事実であっても、一日にそれだけいっぺんに食べてしまえば、後のコンディションに影響が出るかもしれないという恐れはあった。

 具体的には、体重を気にしていた。

 

「一口だけならいいと思うんだけどね。安心してよ、君の体調管理は俺の仕事だ」

 

 そこに与えられる免罪符。どうやらトレーナーはエイシンフラッシュの心配を察しているようだった。別のところで鈍感なくせにどうしてこういうときだけ察しがいいのだろうか。

 他ならぬトレーナーがこう勧めているのだから、きっとそこに問題はない。いくらお菓子とはいえ、追加で食べるのはクッキーの一口だけ。気にするほどのカロリーではないだろう。

 結果、エイシンフラッシュは折れた。

 

「……では、少しだけ」

 

 皿を手前に引き寄せ、クッキーを取る。そこで、エイシンフラッシュは自身の誤算に気がついた。

 それは、上下二枚のクッキーの間にチョコレートが挟まっているものだった。プレーンに近しい色をしたクッキー生地の中には小さな四角いチョコレートが埋まっていて、恐らくそこを同時に頬張って楽しむものだということは自然と察せられた。

 

 さて、そこで問題が生じる。エイシンフラッシュは一口分だけ手で割ろうと思っていたのだが、思っていたよりクッキーが厚いのである。薄いものならば簡単に割ることができたのだろうが、この厚さを端だけ器用に割るのは不可能だった。つまるところ、一口分だけ食べるには、本当に一口つけるしかない。

 

 そして、その後にはトレーナーもこれを食べるということで。

 

 ────これって間接キスでは!?

 

 エイシンフラッシュ、痛恨の失策。実家にまで連れ込む手腕を持ちながらも、まだ彼女は初心(うぶ)だった。

 

「食べないの?」

 

 不思議そうにトレーナーが尋ねた。先程までの察しの良さはどこへやったのだろうか、エイシンフラッシュがクッキーを手にわなわなと震えているのを見ても、その原因に行きつかないようだった。

 

「なんでもないです、はい、なんでも」

「それならいいけど」

 

 あなたのせいでこうなっているんですが、という叫びをすんでのところで飲み込んだ。ここはトレーナー室ではない。当然他の席には人もいて、騒げば悪目立ちすることは目に見えていた。ただでさえエイシンフラッシュは有名人なのだから、注目されることには慣れていても、余計に人目を引くような真似はしたくなかった。

 

 それに、せっかくトレーナーが自らの意を汲んで一口わけてくれると言っているのに、今更無碍にするのも憚られる。エイシンフラッシュは、前に進む以外に道が残されていないことに遅れながらにして気がついた。

 意を決してクッキーに歯を立てる。ざくり、と心地良い音がして、そっと皿にクッキーを戻した。

 

「……ごちそうさまです」

「美味しい?」

「はい、とても」

 

 トレーナーには悪いが、実際は味なんてわからなかった。それよりももっと色んなことが頭の中でせめぎ合って、気がついたら飲み込んでいた。誤魔化すようにカフェラテを啜る。ストローに押された氷がからん、と鳴った。

 

 俺も食べるか、なんて言って、トレーナーの手が菓子に伸びる。フォークでブラウニーを切ろうと悪戦苦闘し、一旦諦めたのかクッキーを掴んだ。

 あ、と声が漏れる。目がトレーナーの口元から離せない。彼はエイシンフラッシュが先程齧った場所の少し横に口をつけ、歯を立てた。咀嚼の顎の動きさえ、見逃すことなく眺め続ける。ゆっくりと食べ進め、やがてその唇がエイシンフラッシュと同じところに触れようとして────

 

 ────あ、そこ、私が食べたところ……

 

 さくっ、と軽い音がして。トレーナーの口は、そこにつくことはなかった。

 

「食べる?」

「……はい?」

「ずっと見てるから食べたいのかなって」

 

 そう言って差し出されたのは、手で割られたクッキーだった。

 エイシンフラッシュがずっとトレーナーの口元を見ているのは、当然彼としても気づいていた。その視線の意図を探ろうと思慮を巡らせた彼は、エイシンフラッシュの見ている先にあるのがクッキーだと思い、「もっと食べたいのかな」と考えた。

 トレーナーとしてはエイシンフラッシュに楽しんでもらいたいがために今日付き添っているのだから、自分の分を差し出すのに躊躇いはなかった。

 

 数秒の沈黙。店内のざわめきが、やたらと響いた気がした。

 

「……はい、いただきます」

 

 結果的に、エイシンフラッシュはそれを受け取って。

 互いに自分が口をつけた分だけを食べ合って、クッキーは無くなった。美味しかったはずなのに、漠然とした靄を心に抱えたような気持ちになって、なんだかやるせなかった。

 

「……そうじゃないのに」

 

 小さく呟いたその言葉は、窓の外の雨音に消えていった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 完璧というものは、求めれば求めるほど遠ざかる。予定に従い続けたエイシンフラッシュは、そのことをよく知っていた。

 秒単位で物事を決めれば、そこから外れたときに修正が必要になる。早く終わればそれでよし、遅くなれば何かを削る羽目になる。数年前まで散々繰り返されてきた悪癖は、トレーナーと出会うことである程度の矯正が完了した。頑固すぎる取捨選択は、多少の妥協を許す精神を得たことにより行われなくなった。

 

 しかし今、エイシンフラッシュは迫られていた。これ以上の予定の変更を許すか、別のものを犠牲にするか。扉の向こうに降りしきる雨を眺めて、かつてない焦燥に身を焦がしていた。

 

 端的に言えば、傘を持っていなかった。

 

「非常に困りました」

「そうだね」

 

 トレーナーの答えは淡白なものだった。

 二人でチョコレート菓子を食べ終えた後の事である。この雨で街中の散策なんてしたら濡れ鼠になってしまうと思い、大人しく寮に戻ろうとエイシンフラッシュは考えた。本当に口惜しいことであり、出来ることならばトレーナーと一日中ずっと一緒にいたかったのだが、雨の中歩き回るのもどうかとすぐに思い至った。

 

 この調子では屋内施設も人でごった返しているのは想像に難くない。せっかく夜間外出の許可まで寮長のフジキセキに取り付けたというのに勿体ないとは思いつつも、その我儘は胸に仕舞い込むべきものだ。何も今日で今生の別れになるわけでもなし、いつでも二人で出掛ける機会はあると考えたが故の決断だった。

 

 その矢先に傘がないと、エイシンフラッシュはトレーナーに告げた。

 

「不覚でした」

「珍しいね。折り畳みとか持ってるものだと思ってたけど」

「ええ、入れたと思ったのですが……」

 

 鞄の中を探す素振りを見せて、無念そうに首を振る。その様子を見てトレーナーは暫し黙考し、やがて一つの結論に辿り着いた。

 

「なら、これを使ってよ」

 

 トレーナーは折り畳み傘を取り出した。黒い30センチほどのそれが、彼の手に握られエイシンフラッシュに向けられている。その意図は、先の言葉の通りに他ならない。

 

「トレーナーさんはどうするんですか」

「走って帰るよ」

「濡れますよ」

「君が濡れなければいい」

 

 なんて、強引に傘を押し付けて出て行こうとするトレーナーを、襟首を掴んで引き留める。ぐえ、と蛙の首を絞めたような声が溢れたのが聞こえた。多少力技だが、これくらいしないと本当に大雨の中を突っ切って帰ってしまいそうだったので、これは必要な処置である。エイシンフラッシュは誰にするでもない言い訳を心の中で呟いた。

 

 後ろに倒れそうになるトレーナーを片腕で支える。彼は不満と不服の入り混じったような表情(カオ)で、エイシンフラッシュに抗議の視線を送っていた。

 

「〝わたしたち人間は、未完成の、中途半端な生き物です〟」

「あなたの言葉ではありませんね。誰の引用ですか?」

「ヴィクター・フランケンシュタイン」

「なら、私は名無しの怪物ですね」

 

 〝フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス〟、手紙4より。

 

 二年の歳月をかけ、継ぎ接ぎだらけの名無しの怪物を生み出したヴィクター・フランケンシュタイン博士のこの言葉は、北極探検隊の船長であるウォルトンが、ロンドンに暮らす己の姉に送った手紙の中で書き綴ったものである。

 人間とは不完全で欠陥だらけの弱い生き物であり、それを補うためには自分以外の誰かの力を借りなければならない。ヴィクターはそれを友の本質だと言った。

 

 トレーナーはウマ娘を支える存在である。その関係性は友や友情とはまた違う形ではあるが、ウマ娘の抱える欠点や弱点を補うという点では、ヴィクターの語った事と相違ない。

 

 そもそもとして、彼は優先順位をつける際、自らを下に置く人間だった。

 エイシンフラッシュ含め、ウマ娘レースは体が資本である。スポーツに関わるアスリートである以上当然の話だが、そうなるとトレーナーの役割には彼女らの体の維持が求められるようになる。

 雨に打たれて万が一にもエイシンフラッシュが風邪を引くような事態があれば、その損失は計り知れない。であるなら、自分が多少無理をしてでもエイシンフラッシュを優先するのは、トレーナーとして考えるまでもない帰結だった。もしそれで自身の身に何かあっても、ウマ娘が守られるなら問題ないとさえ思っていた。

 

 そんなことを、目の前の彼女が許すはずなどないのだが。

 

「トレーナーさん。フランケンシュタイン博士の最期がどんなものか、読んだなら当然知っていますよね」

「……自身の大切なものを奪った怪物への復讐心に燃えて、ウォルトン船長の船で力尽きる」

「私の役目が怪物ならば、強引な創造主に向けて、それらしく叛逆することにしましょう」

 

 言って、エイシンフラッシュはトレーナーの腕を掴み、店から一歩外に出る。扉一枚隔てた外界は、隙間なく降り注ぐ雨のカーテンに覆われ、アスファルトに叩きつけられた水滴が弾けて靴を濡らした。

 ひどい雨だなと呑気に空を見上げる横で、エイシンフラッシュは傘を広げる。「どうするの」と聞くトレーナーに傘を渡し、にこやかな笑顔で言い放った。

 

「こうすればいいんです」

 

 トレーナーの隣に潜り込み、同じ傘の陰に入る。それは俗に言う相合い傘というものだった。

 

「ちょっと狭いですけどね」

「……なるほど、恐ろしい怪物だ」

 

 わずかに影を重ねるようにして、二人の腕が触れ合う距離で。互いに反対の肩が濡れてしまうような状態ではあるけれど、それでもこの雨の中を突っ切るよりは随分上等だった。

 

「フラッシュはいいの?」

「いいんです。……私がしたいから、こうしているんです」

 

 少しだけ、エイシンフラッシュは恥ずかしそうにはにかんだ。

 雨が降って顔が見えにくいとはいえ、ここは人通りの多い休日の往来。同じ台東区の浅草や上野に比べて栄えているとは言いにくい街ではあるが、それでも国際通り沿いには人がいる。エイシンフラッシュという有名ウマ娘が担当トレーナーと相合い傘をしているなんて、こんなところを見られたら、誰かに噂されるかもしれない。

 

 別にそれならそれでいいと、エイシンフラッシュは思っていた。

 

「トレーナーさんが風邪でも引いたら、私が困ってしまいます」

「その時は自主練なり他の誰かに頼むなりすればいいのに」

「そうではないんですよ」

 

 そうではない。その言葉の真意を、トレーナーは計りかねた。これは伝わっていないんだろうな、とエイシンフラッシュは笑った。まるで、悪戯が成功した幼な子のような笑みだった。その笑みを見て尚、トレーナーは「よくわからないな」と溢した。

 

 そうして暫く歩いて、駅が見えた頃。トレーナーが何かを思い出したように「あ」と声をあげて、スマートフォンを取り出した。

 

「そういえば、さっきの店なんだけどね。クリスマスの時期にアドベントカレンダーをやっているそうだよ」

 

 彼が画面に表示していたのは、(くだん)の店のホームページ。そこには昨年度のアドベントカレンダーについての話が掲載されていた。

 

 アドベントカレンダーといえば、今から半年ほど前にエイシンフラッシュが自作したものが記憶に新しい。クリスマスの25日前、3ヶ月もの期間をかけて準備したというアドベントカレンダーを、トレーナーは鮮明に覚えていた。

 

「今年はこれ頼まない?」

「アドベントカレンダーをお望みでしたらまた私が作りますが」

「いや、そうじゃなくてね」

 

 堅物な彼女の言葉に苦笑する。

 そうではない。そうではないのだ。トレーナーには、ただアドベントカレンダーを開けたい以外の思いがあった。

 

「今年は君と一緒に開けたいんだよ」

 

 思えば、去年のアドベントカレンダーは、少し寂しかった。

 エイシンフラッシュが自作し、渡してきたもの。中の菓子を全て手作りした彼女にとって、毎日何が入っているかわからないことを楽しみとするアドベントカレンダーを自分で開けてしまうのは、半ば本末転倒に近い行為である。

 それ故にトレーナーに渡すだけして、あとは当日何が入っていたか聞くだけの日々だったのだが……彼にとっては、それが少しだけ心残りだった。

 

「去年、アドベントカレンダーを開けるの、毎日の楽しみだったからさ。それを君と共有したいと思うのは、おかしなことかな」

 

 楽しい時間は人と分かち合うもの。大切な誰かなら、尚更。

 エイシンフラッシュはハッと息を呑んで、言葉に詰まる。何か言おうと口を開いて、何も出てこなかった。

 

「まだ六月だから、半年後の話だけどね。何も言わなかったら今年も作ってくれちゃうでしょ? だから、あらかじめ言っておこうと思って」

 

 即ち、少しばかり先の未来の予約。

 たった半年ではあるけれど、その時も毎日ずっと一緒にいるよと言われたような気がして。トレーナーとウマ娘の関係性の、その当たり前を言葉にしてもらえたのが嬉しくて。エイシンフラッシュは思わず顔を逸らした。どうにも気恥ずかしくて仕方がなかった。

 

「……その言い方はずるいです」

「そう思うなら、俺の勝ちだね」

「む。勝ち負けをつけるのなら、私も容赦はしませんよ」

「はは、それは恐いな」

 

 ウマ娘に〝勝ち〟という言葉を持ちかけた以上、それは宣戦布告となり得る。それをわかっているのかいないのか、まるで子どもの飯事(ままごと)をあしらうように、トレーナーは笑った。

 

「今の私は恐ろしい怪物ですからね。もしかしたら、トレーナーさんの大切なものを奪ってしまうかも」

 

 エイシンフラッシュは若干不服そうにしながらも、得意げにそう言った。ふふん、とでも効果音がつきそうなしてやったりという顔に、しかしトレーナーに臆した様子は見られない。それどころか、「それは無理だよ」と平然として返した。

 

 人間はウマ娘に勝てない。身体能力だけで言ったら、勝てる要素など何一つとして存在しない。それはウマ娘に関わる人間の代表格とも言えるトレーナーが一番わかっているはずなのに、どうしてそんな当然のことのようにそう言えるのか。なんて、おふざけのように言い返そうとして────

 

「だって、俺にとって一番大切なのは君だから。君が君自身を奪うなんてできないでしょ」

 

 ────言い返そうとして、できなかった。

 

 は、と間抜けな声が漏れる。どうしたの、なんて彼が言う。その言葉さえ、どこか遠くの喇叭(ラッパ)のように、ただひどく打ちつける雨の音に消えていった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 栗東寮の一室。濡れた肩さえそのままに、エイシンフラッシュは自室へと戻った。

 どうやら同室の住人はいないようで、部屋の中は薄暗い。窓から差し込むはずの日光は、今は雨の向こう側だった。

 (もた)れかかるように背中でドアを閉める。バタン、と少し大きな音。行儀が悪いとはわかっているけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。エイシンフラッシュはそれ以上に、とある思考に頭を支配されていた。

 薄暗がりの中で見えたその顔は、真っ赤で、緩みきった幸せな笑顔。

 

「トレーナーさんと相合い傘しちゃった……!」

 

 エイシンフラッシュは恋愛模様になると途端にかかり気味になるウマ娘だった。もうスコーピオ杯には出られないよ。

 

 しかしどうやら、今回はいつもと様子が違っているようだった。

 普段なら完全に賢さを溶かした出遅れ掛かり必至ポジションキープの概念さえどこかへ忘却した桃色思考を披露しているところだが、今回はどうやらその『今まで』とは異なっていた。

 

 エイシンフラッシュは持っていた鞄を開く。ゆっくりとそれを(まさぐ)る中で、彼女は心にとある謝辞を浮かべた。

 

 ────ごめんなさい、トレーナーさん。

 ────私は一つ、嘘をつきました。

 

 取り出されたのは、()()()()()()()()()()()だった。

 

 エイシンフラッシュは傘を忘れてなどいなかった。考えてみれば当然の話だ。こんな梅雨の季節に、天気が怪しいにもかかわらず、用心深い彼女がそんな失態をするはずがないのである。

 実際、夜から雨が降るというのは天気予報で見ていた。それまでトレーナーと街中を散策しようと計画を立てていたのも本当のこと。その計画が予想外に早く降り始めた雨でご破算になったところで、傘を持ってきたという事実は変わらない。

 

 そのままではただ二人でお菓子を食べて帰っただけで終わってしまう。せめて何か、何か一つくらいと、関係の進展を願った彼女がその場で組み上げた臨時計画が此度の一件である。

 

 そして、何故そんなこと(相合い傘)をしたのかと言えば、その理由は一つしかない。

 

 ────ええ、ええ、だって、女の子ですもの。

 ────好きな人と相合い傘したいなんて、当然のことでしょう?

 

 憧れていた。少女漫画やラブロマンスには詳しくないけれど、そういうシチュエーションがあることは知っていた。

 雨の空、雲の下、水の音、傘の影。想い合う男女二人が狭い小さな屋根の下で肩を寄せ合う幸せな逢瀬。自分にそんな御伽噺のようなロマンスが訪れるなんて、そんなこと、知った頃は想像だってしていなかった。

 でも、夢を見た。大切なヒトに出逢ったから、御伽噺のようなロマンスを。憧れさえも超えるような、とっておきの幸せな一瞬(ユメ)を。たとえどんな形でも、恋に焦がれた少女が抱いた何の変哲もないその夢は、実現を願うのに足る幻想だった。

 

 恋人と、恋人らしいことを。

 トレーナー(教員)ウマ娘(教え子)の恋仲なんて、世間体が良いものではない。自分の想いが()()()()()()に過ぎないとしても、それが社会通念や倫理観に照らし合わせて肯定されるということではない。

 でも、それでも、燻る想いはある。

 愛しいヒトとは、触れ合いたいものだ。

 たとえそれが、禁断と呼ばれる願いだとしても。

 

「……トレーナー、さん」

 

 その名を口にするだけで、心臓が走った後のように脈打った。

 ただの一言。ただの一単語。なんてことはない、毎日のように口にする、ただの名詞。でも、それが何よりも愛おしい。

 

 優しいな、と思った。雨の下駆け出そうとした背中を思い出してつい笑みがこぼれた。もしかしたら、トレーナー自身が風邪を引くかもしれない。でも、それさえも省みないで、真っ先に自分のことを考えてくれたことが、エイシンフラッシュは嬉しかった。思われて、想われて、愛されていると実感できた。

 

 でも、まあ。それはそれで嬉しいけれど、目的とは別だったから。

 ちょっとだけ見ないフリをして、ちょっとだけ強引に。もしかしたら不自然だったかもしれないとは思っても、止められないことはある。だから、今日だけは我儘を許してほしい。

 

 ────……これからも、少しだけ我儘になるかもしれないけれど。

 

 なんて、思う自分に笑ってしまって。

 我儘なんて、三年前の自分は決して許さなかっただろう。変わったのは誰のおかげか。そんなこと、考えるまでもない。

 

「こんな私になったのは、あなたのせいなんですから」

 

 顔の熱も心地いい。(はや)る鼓動も愛おしい。小さく呟かれた言葉は、空気に溶けるように消えていく。そのわずかな時間、残留した吐息の意味は、今も胸を満たす恋心。

 

 ────大切。大切、ですか……

 

 思い出されたのはトレーナーのとある言葉。

 

 〝フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス〟において。

 ヴィクター・フランケンシュタインの生み出した怪物は、後世の創作に取り入れられたイメージとは異なり、知的で感情豊かであり、優れた言語能力を有している。怪物は己と同じ存在と人生を共にすることを目的としていたが、出会う人間全てに拒絶され、創造主であるヴィクターさえもそれは例外ではなかった。

 

 被造物は創造主を愛する。創造主は得てして被造物をそう作るものだ。しかし、創造主は被造物を愛さない。

 その果てに芽生えた復讐心により、怪物はヴィクターの弟と────恋人を殺す。大切な人を失ったヴィクターは怪物への復讐を誓い、最終的に北極海へ流れ着くのである。

 

 ウマ娘を怪物とするのなら、それを育てるトレーナーは()べてヴィクター・フランケンシュタインだ。原作とは違って、どうやら創造主(トレーナー)被造物(ウマ娘)を愛するようだけれど、その関係性は変わらない。

 怪物はヴィクターの大切なものを奪うが、怪物は怪物自身を殺せない。その最後は、ヴィクターの死に絶望して窓から飛び出して姿を消すだけ。それはまるで、死んだ後も一緒だと声高に叫んでいるような結末だ。

 

 なら、トレーナーのあの言葉の意味は。

 

 ────〝だって、俺にとって一番大切なのは君だから。君が君自身を奪うなんてできないでしょ〟

 

 それはまるで、大切な怪物(恋人)との永遠を誓うような────。

 

 雨が降っている。雨が降っている。

 空の涙、神の嘆き。暗い天気は憂鬱で、人の心に陰を落とす。

 でも────こんな雨なら、悪くない。

 

「また、お願いしますね」

 

 エイシンフラッシュは少しだけ、雨の天気が好きになった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「うぇ、靴の中まで濡れてるよ」

 

 エイシンフラッシュを寮まで送り届けた後、トレーナーは学園に戻ってきていた。

 一般的に世の中は休日である。しかしそこはトレーナーという職業柄、あまり関係ない事だった。こんな雨の中でも重バ場の練習のためにグラウンドには何名ものウマ娘の姿が見え、その(かたわ)らにはレインコートを着たそれぞれのトレーナーが立っている。それでも普段より見える数は少ないから、他の多くはレース研究や座学にこの日を()てているのだろう。

 

 今は宝塚記念に向けた調整を考える時期である。ファン投票の結果は近日中に公開される予定だが、URAファイナルズや前年度の成績を考慮すれば、ほぼ確実にエイシンフラッシュも出走することになるだろう。当然覇を競うライバルも選ばれた強敵揃いとなるのは必然で、その対策のためにもトレーナーに休む暇はなかった。

 

 トレーナー室のハンガーに左肩の濡れたジャケットを掛け、パソコンを立ち上げる。画面の中央で回る小さな円を眺めながら、ぼんやりと窓から空を見上げた。

 

 ────随分と、強引だったな。

 

 思い出されたのは、先程までのエイシンフラッシュの態度だった。

 雨の空、一つしかない傘。トレーナーからすれば担当ウマ娘をこんな大雨の下に身一つで放り出すなど有り得ない選択肢であり、もしそれで体調に影響が出れば悔やんでも悔やみきれない。

 特にエイシンフラッシュに関しては、過去に雨に降られて明確に調子を落としたことがある。だからこそ自分が多少の無理は背負うべきだと判断したが故のことだったのだが、彼女にとってはそれこそ看過できない自己犠牲だったらしい。

 

 しかしそれでも、男と女が一つの傘を使うことには明確な意味が生まれる。エイシンフラッシュが強引にでもトレーナーと一つの傘を使うことに固執したその意図は、当然トレーナーも察するところで────

 

「そんなに俺の体調を心配してくれたのか……!」

 

 もうお前の頭が心配になってくるよ。

 

 トレーナーも相合い傘の概念は知っている。そもそも語義としてそれはほとんどの場合、睦まじい男女が寄り添う形で一つの傘を使うことを指す。そのシチュエーションが発生することそのものがラブロマンスのテンプレートとして成立するほど、恋愛において一つの重要イベントなのは間違いない。

 

 しかし、トレーナーはそんなこと全く考えてなどいなかった。

 彼にとってエイシンフラッシュが相合い傘を選択したのは『体調を慮ってのこと』だと思っており、あの状況下では仕方のない妥協によるものだと考えていた。念のため今度から傘は二本持っていようと本気で心に決めるほどである。

 まさかエイシンフラッシュが可愛らしい願いのために嘘をついていたなんて結論には一切辿り着きそうもない。トレーナーにとっての先程のシチュエーションは『しょうがないこと』以外の何物でもないのである。もはやエイシンフラッシュが可哀想になってくるレベルだ。

 

 となれば無論、最後のトレーナーの発言にも大した意味は含まれていない。

 『だって、俺にとって一番大切なのは君だから』なんてものは当然の話だ。何故ならトレーナーだから。職業だから。教え子のことを第一に考えるのは当然のことである。

 特にトレーナーは特別な関係(こいびと)とは縁がない人間──と本人は思っている──だった為に、最優先されるべきが最も身近な存在のエイシンフラッシュになるのは自明とも言えた。その関係が彼の中で未だに『担当ウマ娘』から更新されないことこそが、エイシンフラッシュにとって最大の不幸である。

 

「本当にフラッシュは優しいなぁ」

 

 お前は本当に一回悔い改めた方がいいぞ。

 

 頭に浮かんだ担当の姿に元気を貰った気がして、パソコンに向き合った。その表情(カオ)は、空模様とは対照的に晴れ晴れとしていた。

 

「じゃ、ちゃちゃっと仕事するかね」

 

 なんて、一人だけの部屋に言葉をこぼした。

 

 雨が降っている。雨が降っている。

 空の涙、神の嘆き。未だ黒々とした雲は厚く積み重なり、地上を照らす光はその壁を通ることはない。

 

 梅雨、六月、憂鬱な季節。

 雨はまだ、やみそうにない。




 登場した場所にはモデルがあります。これ書くために現地に行ってきました。美味しかったです。

この戦いの最終的な勝者は?

  • エイシンフラッシュ
  • トレーナー
  • ダークライ
  • その他
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