【完結】もう恋人だと思っているエイシンフラッシュVSそんなことは微塵も考えていないトレーナーVSダークライ   作:かむくら

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 いつもここすきありがとうございます。


結実を見るエイシンフラッシュ

 ぼんやりと、光が立ち並ぶ。

 真っ直ぐに伸びた無数の光。途切れ途切れのようでありながらも、しかし整然とした連なりを持つそれは、さながら帯のようであった。帯のように見えても、その光の内側で動く何かが、それがただ静止するだけのものではないことを示していた。

 

 香り。騒ぎ。八月の夜。

 (かぐわ)しく(そそ)るものがあった。楽しげに話すものがあった。その喧騒に、心地良ささえあった。

 

 夏祭り。この光の連なりは、そういう名前で呼ばれている。

 

「今年もまた来られるとはね」

 

 すっかり日は落ちてしまって、赤かったはずの空は濃い鋼青(こうせい)に染まっていた。新しく()いたばかりの青い鋼の板のような、吸い込まれそうな色だった。

 

 凸凹(でこぼこ)とした石畳を踏んで、トレーナーは続けた。

 

「2年ぶりかな」

 

 立ち並ぶ光の粒は、全て屋台のものだ。焼きイカ、タコ焼き、焼きそば、お好み焼き、ベビーカステラ、水飴、お面に射的に金魚掬い。左を見ても右を見ても、とりどりの色が置かれている。喜色混じりの喧騒は、耳を塞いでも入ってきそうなほど、辺りを取り巻いていた。

 

 また一歩、石畳を踏んだ。彼の手には水の入ったヨーヨーが跳ねていた。

 

「久しぶりに買ったけど、結構楽しいね、これ」

 

 手を上下させてヨーヨーを揺らす。掌に跳ねるたび中で水がぱしゃぱしゃと音を立て、不安定な反動で、繋がれている輪ゴムを伸ばす。「子どもの頃みたいだ」と、彼は手に戻ったそれを掴んだ。

 

 少しだけ、空を眺めた。暗くなった天蓋。都会から離れたこの場所でなら星が見えるかと思った。祭りの灯りに紛れて、小さな点がいくつか浮かんでいた。

 

「前を見ないと危ないですよ」

 

 目を隣に遣れば、そこに夜空があった。濃い鋼青の空にも似た、エイシンフラッシュの瞳が、トレーナーを見ていた。

 

「ああ、ごめん」

 

 言って、彼はもう一度ヨーヨーを跳ねさせた。ぱしゃり、なんて手の中で音がする。

 

 この日、彼が夏祭りに訪れたのはエイシンフラッシュのためだった。2年前────出会ってから一年目、クラシックの夏に訪れた夏祭りにもう一度行きたいと言い出した彼女のために、この時間を用意した。

 

 振り返れば懐かしい気分になった。静けさを好みそうなエイシンフラッシュが、ドイツのカーニバル、曰く『バカ騒ぎ』を嫌いではないと言ったのをよく覚えている。

 誰もが笑顔で酔いしれる祭りという文化を好ましく思うのは、きっといいことなのだろう。だからトレーナーは、また夏祭りに行きたいというエイシンフラッシュの要望に応えることを決めた。

 

「日本において、夏の風物とは夜なのでしょう。このようなお祭りがあるのなら、たしかにそれも言い得て妙かもしれません」

「〝夏は夜〟という一節は、月夜や蛍の光を指すものだ。残念ながら夏祭りのことではないよ」

 

 雨の日もね、と彼は言った。

 

 夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。

 

 〝枕草子〟の有名な一節だ。夏は夜が趣深い。月が明るい頃は言うまでもなく、闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている様子が良いという、清少納言の感性により紡がれる随筆の一部。

 エイシンフラッシュは夏の夜と聞いて祭りを想像したようだが、意味合いとしては違っている。

 

「たしかに、君と来たこの夏祭りは、俺にとって月や蛍にも代えられないものだけどね」

 

 それでも、祭りに趣が無いかといえば、そうではなく。

 そう彼女が感じるならばそれでいいと思った。なんで、と聞かれれば、特に理由なんてない。ただ、祭りは楽しむものだから、それでいいというだけの話だ。

 

「今日は祭りの灯りの方が月より目立つし、蛍なんか拝めない。なら、夏の夜の風物は祭りがいいな」

 

 ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ。ヨーヨーが揺れる。小さな風船が手とぶつかって、離れて、またぶつかる。そんなことを何度か繰り返しているうちに、急に手が軽くなった。繋いでいた輪ゴムが切れて、その先が石畳の上に落ちていた。風船は割れていた。

 

「……しまった」

 

 飛び散った水で服が濡れていることに気がついて、そう(こぼ)した。割れた風船の残骸を拾い上げて、近くのゴミ箱に捨てる。奇妙な悲しみがトレーナーの胸に訪れた。それは少年期の友人を失った気分に近かった。

 

「逝ってしまったよ、俺のヨーヨー」

「残念でしたね」

 

 肩を落とす彼の横で、エイシンフラッシュが言った。彼女は手に水飴を持っていた。冷たい透明な膜の向こうにイチゴが見える。いつの間に買っていたのだろうか。彼女はモナカに貼り付いた水飴を剥がして、その端を口に含んだ。

 

 トレーナーは、自分も何か食べようかと思い立ち、辺りを見回して一番最初に目に入ったりんご飴を購入した。小さいものと大きいものがあったから、とりあえず大きい方を手に取った。口をつけたが、歯が通らないことに困ってしまった。

 

(かひゃ)い」

「それだけ大きければそうでしょうね」

 

 エイシンフラッシュは呆れた顔で笑った。既に水飴は無くなっていて、最後に残ったモナカを口に放り込んで彼女の手は空になる。

 その表情に何か一言物申したくなったが、何も言えなかった。りんご飴で無様を晒しているのは事実なわけで、それをどう申し開きしようと変わらないことに気づいてしまったから。不服です、とでも言いたげに目だけでもアピールするが、効いている様子はない。

 

 しばらく齧り続けて、ようやく歯が通った頃には、何か言う気も起きなくなってしまっていた。

 

「ドイツにもりんご飴がある、というお話をしたことがあると思いますが」

 

 その話をしたのは2年前のことだった。

 初めての合宿のとき、『存分に楽しむ予定を立てた』と語った二人の夏祭り。

 クリスマスマーケットというイベントがある。ドイツ語でWeihnachtsmarktと言い、冬のドイツの代名詞としても扱われる一大行事だ。

 雰囲気としては日本の縁日に近く、広場や通りに出店が並び、土産物や食事などが販売される。ドイツのクリスマス名物であるグリューワインが売られる店は特に賑わいを見せ、まさにクリスマスマーケットの主役と言ってもいいだろう。

 りんご飴は、そんなクリスマスマーケットに並ぶ食べ物の一つだと、エイシンフラッシュはかつて語った。

 

「ドイツの夜は厳しいものです。特に冬の夜は」

 

 日平均最低気温、マイナス2度。

 月平均日照時間、40時間。

 

 積雪はあまりなくとも、その環境は過酷なものだ。

 12月のドイツは暗く寒い。日は翳り、凍えそうな冷気が肌を刺す、極寒の季節。しかし、その暗がりの季節に、街全体を照らすような光が灯る時期でもある。そしてその中で心の拠り所となるのが、年に一度のクリスマスだ。

 

 Frohe Weihnachten────楽しいクリスマスを。そんなお決まりの挨拶と、贈り物(Geschenk)と、クリスマスツリー(Weihnachtsbaum)。あとは美味しいケーキがあれば最高だ。エイシンフラッシュの母国では、クリスマスとはそういうものだった。

 

「私にとって、夜はお祭りの光が灯る時間なんです」

 

 〝夏は夜〟の意味を(たが)えていると言われたが、エイシンフラッシュにとってみれば、それは決して間違いではない。

 カーニバル然り、クリスマスマーケット然り。誰もが笑顔になるような祭典は、エイシンフラッシュとしても心が躍るものだ。大切な誰かと楽しい時間を共に過ごす。そうやってお腹もいっぱいになりながら、寒さも気にならないほどに自分も笑顔になる。一年の中で数少ない、そういうお祭りが、彼女は好きだった。

 

 日本で祭りといえば夏の行事なのだから、彼女にとって〝夏は夜〟が指し示すのは祭りである。たとえ、原典でそうではなくとも。

 

「なるほどね」

 

 聞きながら、トレーナーはりんご飴を齧った。真っ赤な表面に白い果肉が見えた。仄かにりんごの匂いが香った気がした。

 

「夜は好き?」

「お祭り以外は、あまり」

 

 ですが、と彼女は続けた。

 

「貴方と過ごして、好きになりました」

 

 かつての日の記憶が蘇る。

 今日もまた訪れている、伝統的な夏祭り。スマートファルコン曰く『クールだし静かな方が好きそう』という彼女が、全力でお祭りを楽しむためにトレーナーを連れ出した、夏の夜の記憶(ユメ)

 りんご飴を食べたり、盆踊りに参加したり。予想外のアクシデントも無かったわけではないが、未だに記憶の中に色濃く残る大切な思い出だ。

 

 エイシンフラッシュが胸に抱えた、甘く美しいかつてのそれが、彼女の夜に対する印象を変えた。暗く寒いばかりではない、明るく暖かい夜の記憶。忘れられない、ある日の刹那(Augenblick)

 

「……そう言われると、なんだか嬉しいような、恥ずかしいような」

 

 はにかんで、視線を逸らす。逃がさないとばかりに、エイシンフラッシュは視線の先に割り込んだ。それはずるいと、トレーナーは言った。祭りの灯りに照らされて、顔の色がわずかに赤くなっていた。それはりんご飴と似ていたように見えた。

 

 もう一口、りんご飴を齧る。

 

「夜を気に入ってくれたなら何より。俺も好きだよ、夜は」

「理由をお聞きしても?」

「理由。理由ね」

 

 少し思案するような顔になって、数秒。トレーナーはどこかに目線を遣りながらりんご飴を齧った。その一口で種が見えた。またいっそう、りんごの匂いがした。

 

「そうだな────」

 

 そこまで言ったときだった。「あ、」と何かに気がついたように、彼が声を漏らす。時計を見て、安心したような表情(カオ)をした。エイシンフラッシュが奇妙に思ったのも束の間、すぐにトレーナーは何かを取り出した。

 取り出されたそれは帽子のようだった。(つば)があるものではなく、底の深い傘にも似た形の帽子である。ランプシェード・ハットという名前のものであることをエイシンフラッシュは知っていた。この時間に帽子なんて何に使うのだろうと彼女が疑問に思った直後、

 

「きゃっ……」

 

 視界が遮られる。目の前が真っ暗になる。先程の帽子を被せられたのだと理解するのに5秒を要した。

 何を、と言って帽子を上げようとして、「上げないで」と止められた。

 

「さっきの答えはまたあとで」

 

 帽子に伸ばしていた手を掴まれる。大きな手だ。触れた手の間に、また奇妙な熱が生まれた。覚えのある熱だった。

 

「夜を好きになった君に、ゲッシェンクがあります」

 

 覚束ない発音で、彼は告げた。ついてきて、と帽子の隙間から聞こえる。りんご飴の棒を捨てたのか、横で袋が擦れるような音がした。

 手を引かれる。まだりんごの匂いがするような気がした。

 

「さっきの、結構良いりんごだったみたいだ」

 

 石畳の上を歩く。ゆっくりと、躓かないように、前へ進んでいく。

 

「まだ匂いが残ってる。なんだろうね。苹果(りんご)のことを考えると、それから野茨(のいばら)の匂いまでする気がしてくる」

 

 奇妙な言い回しだった。りんごと野茨の間に関わりがあるようには思えないが、どうやらトレーナーにとってはそうではないらしい。

 

「お祭りの日、牛乳を貰いに行く少年の話があるんだ。苹果と野茨は、そのつながり」

 

 彼は言った。

 

「〝銀河鉄道の夜〟」

 

 それは、日本のとある小説の名前だった。

 

 〝銀河鉄道の夜〟。

 宮沢賢治の童話作品で、彼の代表作の一つとされる名著である。

 孤独な少年ジョバンニとその友人カムパネルラの銀河鉄道の旅を描いた作品で、その名前だけなら日本で知らない人はいないであろうほどの知名度を誇る。内容までは詳しく知らずとも、「あの、今日、牛乳が僕んとこへ来なかったので、貰いにあがったんです。」というジョバンニの台詞を聞いたことがあるという人も多いのではないだろうか。

 

 ケンタウル祭の夜、丘で星空を眺めていたジョバンニは、不思議な声と明るい光に包まれて銀河鉄道へと乗車した。そこで出会った水濡れのカムパネルラと、様々な人物との交流を重ねながら銀河鉄道は進んでいく。

 

「今日もちょうどお祭りの日だね」

「ケンタウル祭のようだ、と?」

「どうだろう。その通りなら、この後俺たちは銀河ステーションという声を聞くわけだけど」

 

 エイシンフラッシュは銀河ステーション、と小さく呟いた。本の通りなら、ここで蛍のような光が瞬いて、空に光の柱が立つはずだが、当然そのようなことはなかった。彼女は帽子で目を塞がれているから前が見えないけれど、少なくとも、光が自分の周りを囲むようなことがないことだけは理解できる。

 

 いつしか祭りの喧騒は後ろの方へ消えていく。遠くなっていくお祭り騒ぎを聞いて、どうやら自分が会場から離れていっていることだけはわかった。

 唯一の(しるべ)である手は繋がれたまま。ずっと、エイシンフラッシュを前へと引っ張っている。どこへ連れて行かれるのだろう。このまま喧騒を置き去りにして、知らない場所にたどり着いてしまうのだろうか。

 帽子の内側は暗いままで、頼りになるのは前を進むトレーナーの足音と手だけ。繋がれた体温に、無意識のうちに力がこもった。そっと握り返されたのが感じられた。見えなくても、それだけで不安なんてなかった。

 

 どれだけ歩いただろうか。1分、5分、10分、あるいはそれ以上か。それほど長くはなかったと思われた。ただ、途中で少し坂道を登ったことだけはわかっていた。

 

「俺もさ、君と出会ってから、それまで以上に時間とか気にするようになったんだよ」

 

 トレーナーはそう切り出した。

 

「次の予定が何時(いつ)あるか。次の日程は如何(どう)なるか。君と過ごしていく上で、大切なことだと思ったから。2年前の夏祭りみたいに、時間ピッタリに間に合うように動くようにしてる」

 

 大人としては当然だけど、と付け足す。その声音に、笑みが混ざった。

 

「ただ、そうなると終わりの時間まで考えるわけだ。この時間にこれが終わるから、次はどうしよう、みたいな。そういう計算ができるようになった」

 

 笑みが混ざって、すぐに消えた。代わりに混ざったのは何の感情だったのだろうか。その声音に、エイシンフラッシュは言いようのない何かを感じ取った。それを言葉にすることはできなかった。

 ただ、間違いのないことが一つだけあるのはたしかで。

 かつて、どこかで、その声音を知っている。

 

「……去年、合宿に来たときも、夏祭りには来なかった」

 

 ────ああ、思い出した。

 

 どこで彼のその声を聞いたのか、すぐに思い至った。

 1年前、シニア級に上がったばかりの夏合宿。そのある日の夕暮れ、浜辺でのトレーニング中のことだ。

 その頃のエイシンフラッシュは、残り半年足らずでドイツに戻る予定で、トレーナーはそんな彼女の走りを目に焼き付けようと、ずっと彼女を見ていた。そんなある日の一幕の彼の言葉が、ちょうど今と同じ感情を含んでいたのだ。

 

 ────『君の走る姿が好きだから』

 ────『大阪杯でも春天でも、君は輝いてた』

 ────『二人で正しくしてきたんだ』

 ────『練習を再開しようか』

 

 覚えている。忘れるものか。だってあれが、今この時に繋がっている。

 

 結局、いつだって二人の関係は終わりを前提としたものだった。

 スケジュールとは、終わりを定めるもの。終着点を決めるもの。辿り着く果てを見据えるもの。

 始まりがあれば終わりがあって、終わりがあるから始められる。何度も確認してきた、そして今更考えるまでもない、ただの事実。

 エイシンフラッシュは3年間を走り終えたら故郷へ帰り、また別の夢を追う。定めたスケジュールに従い、終わりを迎え、始まりを繰り返す。ただそれだけの話だった。ただそれだけの、当然の結果として終わるはずだった。

 だからこそ、二人の関係は終わりを前提としていた。いつか来るはずの関係の終点に向けて突き進んでいくだけのものだった。未来が開かれたものではなく、未来が閉ざされたものだった。

 重ねてきた日々は、その終わりにいくつの思い出を持ち込むかという精算に変わる。かつての夏の日に見たあの花火も、『少し失敗したが良い思い出になった』というだけの脳の電気信号に変わる。

 

 終わりが見えてきたシニア1年目の夏。これ以上の思い出を積み重ねることに悲しみを感じた。

 終わるだけの関係に、大切な荷物を増やすことが、重く感じた。

 

 トレーナーの足が止まる。繋いでいた手は離されて、エイシンフラッシュの視界を塞いでいた帽子が取られる。

 たどり着いていたのは、少し小高い場所だった。人の手が入る前は心地良い風が吹く丘だったのかと思うような、そんな場所。

 エイシンフラッシュは、この場所を知っていた。だって、ここは────

 

「だから、今なら」

 

 彼は言った。その表情は見えなかった。ただ背中を向けて、語った。

 

「終わりは先延ばしにされた。少なくとも、まだ君と思い出を積み重ねる日々は続けられる」

 

 十年。与えられた猶予。そして、二人で並んで歩ける、保証された時間。

 

「それもいつか終わるのかもしれない。……終わってほしくないと思うけれど、それはきっと、無理がある」

 

 きっと、と重ねる。

 未来に確証はない。未来に確定はない。この先どうなるかなんて、理想はあってもそれが真実になるかなんてわからない。

 二人で歩ける道は、いつまでも続いているとは限らない。

 

「それでも、今、君と俺はここにいる。だから、」

 

 ゆっくりと振り返る。その表情は、優しく笑っていた。

 

「────あの日見られなかったものを、見に来たんだ」

 

 鋼青の空に、光の花が咲いた。

 

 軽快な爆発音と、舞い散る閃光。色とりどりに咲くそれは、花火だった。

 忘れもしない、クラシック級の夏祭り。今から2年前の今日。

 トレーナーと夏祭りで遊びすぎてしまって、事前に調べておいた花火の絶景スポットに行くことができなかった。それでも『トレーナーさんと楽しむ』ことを第一にしていたから、予定の完遂としていたが────その時に来られなかった場所というのが、ここだった。

 

「……去年、夏祭りには来なかったよね」

 

 トレーナーは花火を見上げながら言った。その瞳の中で、また新しい光が弾けた。

 

「去年はさ、この夏が(つら)かった。君といられるのがたった数ヶ月しかないって思って、君の走りを忘れないようにって、ずっと思ってた。……夏祭りとか、花火とか、そういうの見ると、思い出ばっかり増えていくから。ずっと見ないようにしてた」

 

 出会いとは別離を前提とした苦しみの準備である。

 終わらないものなどない。いつか来る別れは避けられない。それがどのような形であれ、いつか必ず、隣にいた誰かは消える。

 彼らの歩んだ旅路は、終わりに向かって歩んだもの、苦しみを積み上げる巡礼だ。その過程がどれだけ輝かしく、栄光に満ちた物語だったとしても────輝かしく、栄光に満ちているからこそ、その終わりを想像することが辛かった。

 

 思い出が増えれば増えるだけ、悲しみが増していく。だから最後の夏合宿は、ただトレーニングだけをしていた。それが最善だと思っていた。たとえそれが、ただの現実逃避に過ぎないとしても。

 

「でも、君から時間を貰った。猶予を貰った。まだ思い出を積み上げてもいいんだって、許してもらった」

 

 だが、まだ終わらない。

 

 二人の旅路がまだ続くのだったら。それが許されるのだったら。

 だったら────あの日見られなかった最高の景色を見に行こう。

 

「さっき、なんで夜が好きなのかって言ったよね」

 

 花火が鳴る。花火が弾ける。深い深い、吸い込まれそうな、淡い夜空のようなエイシンフラッシュの瞳が、空に咲くいくつもの色を映している。

 

「光がよく見えるからだよ」

 

 トレーナーは、エイシンフラッシュの瞳の中の花火を見ていた。

 

「八月は、天の川が一番見えやすい時期なんだ」

 

 空に咲く光の向こうに、白い星々の帯が見える。

 天の川。約1000億個の星が並ぶ、宇宙の大河。銀河鉄道の行先を示す、光の道。

 

 二つの光が空に描く刹那の絵画。

 これが、トレーナーが用意した贈り物(Geschenk)だった。

 

「星と花火。今日なら見られるんじゃないかって思っていたけど、正解だった」

「……このために、わざわざあんな帽子を?」

「そう。サプライズにしようかなって。いつかのお返し」

 

 悪戯っぽく笑う。こういうところは本当に敵わないと、エイシンフラッシュは心の中で白旗をあげた。

 

 もし、本当に銀河鉄道があったとして。銀河ステーションなんていって二人を迎えに来たとして。果たして乗っていけるだろうか。エイシンフラッシュは、そんなことを考えた。

 彼女はその結末を知っている。乗ってきた人々は皆死を迎えた無辜の者であり、迷い込んだジョバンニだけが生きている。銀河鉄道は死者を運ぶ幻想第四次の存在で、その最後は、ジョバンニとカムパネルラの別れで締め括られる。

 

 水風船で濡れてしまったトレーナーがカムパネルラなら、きっとエイシンフラッシュはジョバンニだ。いつか来る別れが銀河鉄道の中だとしたら、最後に彼女の言葉は届かない。ジョバンニが最後、カムパネルラに声をかけたときには、既に彼は席に居なかったのだから。

 

「……トレーナーさん」

「なに?」

「貴方は、どこまで私と居てくれますか?」

 

 口をついて出たその言葉は、きちんと届いただろうか。どこからか鳴り響く銀河ステーションなんていうアナウンスに消されてはいないだろうか。そんな心配が湧いたけれど、どうやら杞憂のようだった。

 

「決まっている」

 

 その言葉に揺らぎはなかった。

 

「君が望む限り、どこまでも」

 

 空。新しく灼いたばかりの鋼のような、濃い青の空。

 どこまでも続くキャンバスに、一際大きな花火が咲いた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 きっと、そう言ってくれると思っていた。

 

 弾けた光の粒を見て、エイシンフラッシュの心は晴れていた。浮かれていた。その光を瞳に映して、ただ幸せな気分に浸っていた。

 

 望む限り、どこまでも。確約された10年よりももっと先を望む彼女は、その言葉こそを待っていた。

 これから先の人生、彼女の望みはトレーナーの隣にずっと居続けることだ。恋人という関係から、いつか伴侶になって、死が二人を別離(わか)つまでずっと離れない。エイシンフラッシュはそんな未来を夢想していた。

 

 銀河鉄道。死者を運ぶ、空駆ける魂の箱。ジョバンニとカムパネルラはそこで別れてしまったけれど、きっと二人はそうではない。そうではないのだと、信じたい。

 

 最後の言葉が届くように。最後の言葉なんて言うのがずっと先でありますように。銀河鉄道が迎えに来ても、終着駅まで一緒でありますように。彼女は花火を見て、その光の中にいつかの未来を幻視した。これまで積み重ねた思い出と、これから積み重ねる思い出を、弾ける色の中に見ていた。

 

 花火から目を外して、隣に立つトレーナーを見た。彼は空を見上げていた。視線に気づいたのか、どうしたの、なんて言った。なんでもありません、と返した。そしてまた、その瞳は空へと向いた。

 

 本当に優しい人だ。どこまでも、自身ではなくウマ娘のことを考えている。その優しさが向けられていることが嬉しい。その優しさが独占できていることが嬉しい。この夜空の下では、眼前の景色は二人のものだ。二人だけの世界だ。

 

 どうして夜が好きなのか、と訊いた。返ってきた答えは、光がよく見えるから。

 

 ────そうですか。そうですか。光がよく見えるからですか。

 

 エイシンフラッシュは鳴り響く花火の音の中で、先ほどの言葉を反芻した。花火にも負けないくらい、その言葉ははっきりと記憶に残っていた。

 何度も言葉を繰り返す中で、やがて彼女は一つの結論に達する。それはある意味、彼女にとっては当然の考えだった。

 

 ────つまり私のことしか見えてないってことですね!?

 

 なんで?

 

 エイシンフラッシュはトレーナーと自分がもうとっくに付き合っていると思っているため、ある意味ではこの結論は当然のものである。好き合っている同士なのだから、向けられた言葉には全て好意が含まれていると解釈するのが彼女の思考だ。

 そう都合がいいものではないのだが、少なくとも彼女は祭りの空気にあてられてかなり浮かれていた。

 

 ────光がよく見える。

 ────(フラッシュ)がよく見える。

 ────つまり私がいるから夜が好きってことですね!?

 

 エイシンフラッシュは恋愛模様になると途端に掛かり気味になるウマ娘だった。その賢さ成長率20%は飾りか?

 

 エイシンフラッシュはいつかの夜、トレーナーと通話したときのことを思い出していた。月の綺麗な夜。きっと清少納言が見たら喜ぶのだろうと思えるような、満月の夜。たまたま──そう、あくまで偶然──眠れなくなってしまったエイシンフラッシュがトレーナーと話したいと願ったあの夜も、トレーナーは彼女のことを思っていたと話した。

 

 闇が深いほど、光は強く輝く。夜、一緒にいない時間は相手を想い、一緒にいられるときは特別な時間として楽しむ。エイシンフラッシュはトレーナーの言葉をそう解釈した。

 

 ────今日この日も特別なんですよね。

 ────今までの夏のこと全部覚えててくれて……

 ────もしかしなくても私のこと大好きですね。

 

 掛かりすぎでしょ。そろそろスタミナ切れるよ。

 

 とはいえ、エイシンフラッシュ自身もこのロマンチックな夜に思うところがないかといえば、そんなことはなく。

 思うところはたくさんある。言いたいこともたくさんある。でも、その全てを言葉にするのは無粋な気がした。綺麗な景色を見に来ているのだから、余計な言葉は不要だと思った。

 だから、長い口上は無しにしよう。

 

 隣に立つ彼の手に自分の手を伸ばしかけて、やめた。わずかに動いた手が行き場を失って戻ってくる。今はそれでいい。隣に居られるだけで満足だ。

 

 ────ねえ、トレーナーさん。

 ────そういえば、きちんと言葉にしたことはなかったけれど。

 ────そういえば、きちんと伝えたことはなかったけれど。

 ────ずっと、言いたかったことがあるんです。

 

「……Ich liebe dich.」

 

 また一つ、鋼青の空に花火が弾けた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ────え? 何か言った?

 

 一昔前の鈍感系主人公かお前は。

 

 残念ながらエイシンフラッシュの言葉は花火にかき消されて届いていなかった。せっかくのチャンスは他ならぬロマンチックな花火に全部潰されていた。不運にも程がある。

 

 トレーナーはずっと、打ち上がり続ける花火を見つめていた。彼は花火が好きだった。夜空に咲く刹那の芸術に、これ以上ない趣を感じていた。

 

 2年前の夏祭り。エイシンフラッシュがリサーチしていた、花火がよく見えるという場所を聞いたときから、そこで花火を見たいと思い続けてきた。1年前の夏に関してのことは本心であり、夏祭りも花火もその一切から目を逸らしていたのは本当のことである。辛くなるのがわかっていてそれ以上の思い出を積み上げるのは、中々踏み切るのに勇気がいる決断である。

 

 エイシンフラッシュが彼にとっての特別であることは間違いないが、何もトレーナーが彼女との別れだけを悲しんでいるかといえば、そうではないのもまた事実。つまるところ、彼は卒業式で泣くタイプの人間であった。それまで長い時間を一緒に過ごした誰かとの別れを平等に悲しむ精神性の持ち主なのである。

 

 ────夜が好きな理由、か。

 

 彼がエイシンフラッシュに語った、光がよく見えるから、という理由。それ自体に間違いはない。彼は夜という時間、たしかに(フラッシュ)のことを想って────

 

 ────星とか花火とか夜景とかよく見えるからな。

 

 そうだよな。お前はそうだよな。お前そういうやつだもんな。

 

 まあ当然、そんなロマンチックなわけがなく。彼が夜を好きな理由は、文字通り本当に『光』がよく見えるからであった。

 かつて月を見た夜と同じように、星見の種族である人間の一人として、トレーナーは空を見上げるのが好きだった。夏の夜には天の川を見上げ、真っ赤なアンタレスを探し、北半球からは見えにくい南十字星に思いを馳せる。

 

 そんな彼がエイシンフラッシュに関することで夜が好き、なんて言うかといえば、そんなはずがないのである。ずっと空回りしてるあの子……。

 

 しかし、トレーナーにとってのエイシンフラッシュという存在が特別なものであることには変わりない。だからこそ今回のようなサプライズを企画したのであるし、いつか来る別れに心を曇らせることもあった。彼女の10年という時間を貰って喜んだのも本当である。

 

 ────トレーナーとして、ずっと支えあってきたウマ娘と別れるのは辛いからな。

 

 トレーナーとしてなら満点の回答なんだけどねそれ。

 

 「君が望む限り、どこまでも」という言葉の意味も、「君がトレーナーを続けてほしいって思う限りずっと担当でいるよ」という意味しか持っていない。

 

 どこまでいっても仕事人間な彼は、やはりというべきかそうとしか考えていなかった。天の川をバックに打ち上がり続ける花火を見て何か閃きそうになっているくらいには、頭がどこまでも仕事に支配されていた。恐らく近いうちに綺羅星のヒントを閃くだろう。ロマンの欠片もない。

 

 ふと、隣を見た。こちらを見ていたエイシンフラッシュと目が合った。少しばかり固まって、どちらともなく笑みが(あふ)れた。

 

 ああ、やはりと思ってしまう。彼女にとって何よりも大切なスケジュールを変更させておいて、なんだそれはと言われてしまいそうだけれど。しかしやはり、思ってしまう。

 

 ────君がいると、楽しいな。

 

 眼下に広がる祭りの灯りと、頭上に煌めく無数の星々。喧騒は遠く、されどたしかに響く夏の夜。どこかから銀河鉄道がやって来そうな、そんな日に。

 

 彼らはまた一つ、思い出を積み重ねた。




 フラッシュが被ったランプシェード・ハットという帽子、銀河鉄道の夜でジョバンニが被ってる帽子だったりします。本編中で解説できなかったので補足。

 感想評価があれば是非。

この戦いの最終的な勝者は?

  • エイシンフラッシュ
  • トレーナー
  • ダークライ
  • その他
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