この女川湾の一帯はそれなりに複雑な地形をしている。牡鹿半島の一部を湾岸部に持ち、半島が擁する丘陵はは海に浮かぶようにぽっかりと南へ延びてゆく。警備府を彩るように生垣の山茶花が咲き誇り、その緑色と紅白の入り乱れは晩秋から冬入りへの移り変わりを醸し出している。
東北地方としては比較的暖かいこの場所は過ごしやすいと聞くが、呉鎮守府から来た身には寒さが染み入る。ここでこの冷たさならば、更に北の方へ飛ばされた日には体が震えて動けないのではと身震いする。
移籍から1か月ほど、最初こそ緩やかに流れていく雲のような日常と想像以上に充実した物資と設備にアンバランスさを感じていたけれど、1週間、2週間と過ぎていくたびに増えていく抜錨の機会に、大型艦の運用のための準備をしていたのだと理解できた。用意周到なことだ。
とはいえ、使い勝手の悪い戦艦である私にそんなに資源を投入するのは果たして効果的なことなのか疑問が残るばかりだ。
「ふぅ……」
「扶桑君も一服かね」
「提督……。一服なんてしませんよ。私はお見送りがてら海を眺めていただけです」
この午前中に警邏に出た蒼龍と天龍に率いられた第六駆逐隊の響と雷を見送りがてら、気分転換に海を見にこの波止場まで来ていた。
「また断りもなく……」
「あら、知らないのかい。ここは僕の喫煙処だよ」
白地に淡い青色の映えるパッケージをくしゃりと振り、茶色い吸い口を咥える所作に遠慮というものは全く感じられない。カチンという軽快な蓋の開放音は真鍮製オイルライター独特の音色だ。ゆっくりとした息の吸い方を表すように先端がぼんやりと赤く燃焼していく。
煙に混ざるその匂いは強すぎないとはいえタバコ独特の臭みで私はあまり好きではないのだが、そのことを知る提督は自然と風下に陣取っており、無遠慮な行動のくせに思いやっているような振る舞いはいつもいけ好かない。
「煙草の臭いって落ちにくいんですよね……」
これ見よがしに溜息を吐いて皮肉ってやる。
提督の口から漏れ出る紫煙はそんな皮肉から逃げるように空へ溶けて消えていった。
「悪いね。代わりに柔軟剤、気の利いた奴を揃えておくから許しておくれよ」
タバコから口を離しながらなにやら的外れな取引を持ち掛ける提督はどうしようもなく情けなく見えて、この警備府を率いるには力が足りないように私は思える。女のご機嫌伺いに物を買い与えるのは冴えない男の常套手段ではないだろうか。
「お花の香りがするものが良いです……」
まぁ、この人の好みで適当なものを揃えられても困るので要望は伝えておく。
「では、そのように」
「はぁ……。提督の伴侶となる人には今の内から同情したいですね」
「ごもっともだねぇ」
苦笑しながらも火種は消さずに携行の灰皿へと灰を落としてはまた吸い始める。
私は海から空へ、向こうを覗くように目線を変えた。
「山城ちゃんと同じ所へ行きたかったですね」
「そいつは困るなぁ。君ももうこの警備府の要なんだ」
「だったら、タバコも控えて貰いたいですよ? 全く、口ばっかり……」
要だなんて分かりやすい嘘だ。唯でさえ補充する弾薬や燃料の量も馬鹿にならないというのに、被弾率の高い私ははぐれの駆逐艦との戦闘であっても帰投する頃には小破させられることも珍しくない。魚雷を食らってしまえば中破しているときもしばしば。入渠に使われる鋼材消費量はもちろん、希少な高速修復材もたびたび投入されたりもするのだから今の私はこの警備府の金食い虫ならぬ資源食い虫だろう。
「最近は連携も取れてきたことだし、ダメージコントロールの技術も進歩していると思うがね。なんにせよ、今後もよろしく頼みたいんだけど、駄目かな」
「はいはい、善処いたしますよ、提督」
普段はなんというか、人を食ったような物言いをするのにいつもいつも妙なところで下手に出てくるところが気に食わない。それでも、私はここに所属しているし彼は私の上官なので逆らうことは出来ない。
話は終わったと思い、再び海に目線を戻そうとすると『そしたら』と提督は会話を続けたそうにする。
「早速その善処に期待したいんだけれど、出撃準備をして1005にここに来てもらえるかな」
頭に疑問符が浮く。警邏については午前と午後に1回ずつ実施するのがルーティンだったはずだ。そして、午前の警邏隊はすでに出立したところだ。疑問を口にする前に彼は私に伝達した。
「警邏に出た蒼龍たちの後を追って貰いたい。旗艦は君だ。下に付けるのは鳳翔、大井、夕立、暁、雷とする。もし蒼龍から敵影を見かける無線が入れば彼女達には待機して貰って君達を合流させようと思う。そこで再編成と考えているからそのつもりで」
早口で命令を下しながら灰皿に吸殻を押し付けている。
「そうそう、今回から水偵を使うように。鳳翔君にはフォローして貰うように言っておくから」
「分かりました。そのように」
「まぁ、特に敵影もなければそのまま飛ばし方の練習をしたり、ノウハウを教えて貰いなさい」
「はぁ」
思いもよらない出撃指令に脳が置いて行かれていたけれど、1005までに準備を終わらせて集合するにはかなりタイトだとハッとする。
「もう! そういうことは朝食の時に伝えて欲しいものです!」
私は一言だけ不満をぶつけながら警備府へ戻る。そこまで離れてはいないとはいえ、集合時間のことを考えると走らざるを得ない。
後ろから聞こえる『頼んだよー、扶桑くーん』という声は状況に合わずにのんびりとしていて、私の不満を更に加速させる。といっても、無駄口を叩く暇もないのでそのエネルギーは走ることに回すとにして、私は帰ってきたときに何を要求しようかと工廠に急いだ――。
――――
――
「司令官ったら、唐突だわ。レディの準備は時間がかかるって知らないのかしら?」
「そんな風に文句を言っては駄目よ、暁。司令官も考えのあってのことだと思うわ」
「だって雷、状況に合わせなければ折角貰った装備も泣いちゃうわ」
ぷんすか怒る暁ちゃんとそれを宥める雷ちゃんは姦しく、大井さんもしきりに警備府に残った北上さんの心配をしている。『北上さんの貞操が』なんて世迷言を言う目は虚ろだ。
「今日はとっても気持ち良い天気っぽい!」
「そうですねぇ、このまま何もなければいいのですが」
そんな間の抜けた会話を繰り広げる夕立ちゃんと鳳翔さんの会話はピクニックに来ているみたいで緊張感の欠片も感じられない。
「……大丈夫なのかしら、私達……。はぁぁ」
軍艦時代も旗艦なんかは演習の時ぐらいでしかその役目を頂けなかった。実践でもぱっとせず、艦橋くらいしか目立つものもないのではないかと思う。提督は何を期待して私を旗艦にしたのか。そもそも、この航海になんの意味があるかもこの空の青さに希釈されて分からない。
「本当に、何もないわねぇ」
雲一つない空っぽの天候は眩しくて頂けない。
私はこの抜錨にそろそろなんらかの目的を付け加えたくなったので、鳳翔さんに艦載機の運用について教えて貰おうかしらと思った丁度その時、無線にノイズが走った。
《――ちら蒼龍、こちら蒼龍。提督、聞こえる?どうぞ》
《こちら泉、感度良好。報告を》
《敵影発見。私達が居るところが笹貝島だから……、うんうん? えーと、警備府から東へ10kmくらいのところから、東南東へ更に122kmくらい離れたところを北西方面へ航行中だね》
《敵艦隊編成、航行速度を》
《はーい、編成がですねぇ――》
緊張感のない蒼龍さんとそれには一切触れない提督の通信は何やら滑稽だが、その内容はどうやら雲行きの怪しさを深めている。
「皆さん、無線は聞こえているかもしれませんが、改めて。蒼龍さんたち先行部隊が敵艦隊を認めました。これより笹貝島まで航行し合流します。合流後、提督からの指示を仰ぎ部隊の再編制します。
姦しかった緩さがさっと薄れ、皆一様に臨戦態勢を取る。
「行きますよ」
私も気を引き締めなければと思ったが、腰を折るような無線は未だに継続していてもやもやする。蒼龍さんももう少ししゃきっとして欲しいのだけど……。
ぽつぽつと浮かぶ余計な考えを頭から振り落とし、目前の航路を見据えることにする。敵艦隊の目指すところは十中八九女川湾、蒼龍さんの艦載機から確認できたのは5隻による水雷戦隊と軽空母2隻を始めとする6隻の航空戦隊。制空権を奪えなければ苦戦が強いられそうだ。
幸いなのは敵艦隊が迎撃されると考えておらず、偵察機を出していないことだろう。私達が向かっていることに気づいてはいまい。
合流に向かう途上は静かだ。いや、よく皆さんの様子を伺うと鳳翔さんと大井さんは先ほどより落ち着いているものの会話の量はそれほど変わっていない。夕立ちゃんも声こそ出さないが、るんるんと雰囲気を変えずに海を滑る姿はいつもの調子だ。一方、移籍組である暁と雷の動きは固く、私も少し表情筋が強張っているのが分かる。激しい温度差で隔てられている部隊の中、私は心配する気持ちが徐々に強まるのを感じていた。
「扶桑さん、表情が固いですよ。敵ははぐれ艦隊ではないですが、いつも通りに行動すれば大丈夫」
大井さんが柔らかな笑みで話しかける。
「そうですね、心配でしょうけれど、考えるのは一先ず合流してからでも遅くないでしょう。りらっくすです」
鳳翔さんも穏やかな喋り方で落ち着かせようとしてくれている。それはそうだ、会敵は少なくとも2時間は先のこと。さらに、地の利、いや海の利はこちらにある。あらかじめ敵勢力も分かっているならば撃退も難しい話ではないだろう。二人に勧められるままに私は大きく息を吐き、時間をかけて鼻から新しい空気を肺に取り込んで呼吸を入れ替えた。
「仰る通りですね。お陰様で少し落ち着けました」
「フォローは夕立たちにお任せっぽい! 暁も雷も大丈夫よ、心配いらないわ」
「艦載機や水上機の扱い方を教えるには丁度良い実践訓練かもしれませんね」
「だ、大丈夫よ、夕立ちゃん。この雷に頼ってくれていいのよ」
「そうね、暁のレディーたる様を司令官に見せつけてやるわ!」
「まぁ、私の先制雷撃が全部貰っちゃったらその機会もないですけどね」
「だめっぽい!夕立の獲物っぽい!!」
緊張はしていないといえば嘘になる。嘘にはなるが、先ほどに比べれば心配の念が心から少し除かれて程よく集中できそうだ。
しかし、そんななんでもない会話にそんな有難みを感じつつも、身勝手な突撃計画を立てようとする若干2名に苦笑が浮かぶ。
「皆さん、役回りは提督の指示通りですからね。特に大井さんと夕立ちゃんは早まらないようにしてください……」
「そうですよ、敵艦隊には航空戦力も認められますから、ここは私が人肌脱ぎます」
「対空射撃は雷に任せてね! 鳳翔さんに傷一つだってつけさせないんだから」
「このやる気……そして、自信を感じさせる笑み……。これがレディーというものなのね」
「貴方もですか、鳳翔さん……」
蒼龍さんから聞いた話よりもアグレッシブな鳳翔さんはぐっと握りこぶししながら、『暁ちゃん、雷ちゃん、一緒に頑張りますよ』と鼓舞している。士気は上がっているのだが、これは本当に良いことなのかしら……。
そんな風に戦闘意欲を高めながら進んでいるといつの間にやら先行していた彼女たちが見えていた。
「おーい、こっちこっち!」
「まったく、待ちくたびれるところだったぜ」
笹貝島を背に蒼龍さんと天竜さんがこちらを待っていた。
「お待たせしたようですみません。今回は私が旗艦を任命されました。……とりあえず、合流したら連絡をという命令ですが、響ちゃんと電ちゃんはどちらへ?」
「旗艦たぁ、羨ましいねぇ。あいつらは念のために敵の潜伏がないか確認するとかなんとか。そこら辺を回ってんじゃないか?」
「あの二人で大丈夫っぽい?」
「確かに……、弱いとは言いませんが万が一潜伏した敵からの砲撃に被弾すればと考えると心配ですね……」
最悪の場合を考えると駆逐艦2隻では荷が勝ちすぎるように感じてしまう。体が小さく補足されにくいだろうが……。
「大丈夫ですよ、扶桑さん。夕立ちゃんほどではないでしょうが響ちゃんも場数を踏んでいますし。何より、この湾内については誰よりも詳しいです。電ちゃんもそそっかしいですが素直な子ですし、きちんと言うことを聞いていれば大事はないと思います」
私の心配はともかく、女川所属の長い鳳翔さんがそう言うなら一先ず帰ってくるのを待つことにしよう。
「皆さん、二人が合流するまでここに待機しましょう。蒼龍さん、接敵までの距離は把握できていますか?」
「勿論だよ。――敵艦隊は東南東、約100km地点を引き続き北西へ直進中。速度は23……ともう少し? 23.5ノットくらいと思っていいかな」
「だとすると、敵が射程範囲内に入るのは1時間半後といったところかしら。もう少し暇を弄ぶことになりそうですね」
大井さんが脚部の魚雷発射管を撫でながら不機嫌さを増す。
「まだまだ時間が掛かりそうだなー。あくびが出ちまうよ」
「もう、天龍さんったら! これから戦うんだから、気を引き締めなきゃ」
ひたすら敵を待つだけの時間になるのが分かれば皆気が緩み始めるのも無理はない。
取り急ぎ、提督には連絡を入れておかなければならないだろう。
「こちら扶桑、こちら扶桑。聞こえますか、どうぞ」
《――泉、こちら泉。感度良好。連絡を》
「こちら扶桑率いる後進部隊は笹貝島付近に到着。現地で蒼龍、天竜と合流済み。響、電は周囲警戒中です」
《敵艦隊の状況は分かるか?》
「東南東に100kmを切ったところ、北西方向へ進軍中。蒼龍さんの艦載機で補足し続けています」
《了解。艦隊の再編成を通達する――》
――――
――
「
「周囲に敵影はありませんでした。異常無しなのです」
提督からの再編指示を終えて直ぐに警戒行動から二人が帰ってきた。何事もない姿で合流出来てほっとする。
「ご無事で何よりです、響、電。これで全員ですね」
一先ずこれで部隊の編成を伝えられる。
提督の通達では前衛部隊と打撃部隊への再編成だった。前衛部隊の旗艦は天龍さん。以下、大井さん、夕立ちゃん、響ちゃん、電ちゃんの5隻。敵艦隊を釘づけにするのが目的だ。旗艦を指名すると『俺様が旗艦なんていつぶりだ? これはやるっきゃねぇな!』と息を巻く天竜さんに一抹の不安を感じる。突っ込んだ挙句、ボロボロになってしまっては困ってしまうのですが……。
打撃部隊の旗艦は私、主力として蒼龍さん、鳳翔さん、護衛として暁ちゃん、雷ちゃんだ。艦載機による先制爆撃を最優先の任務として、前衛艦隊が接敵後はその援護を行う。
作戦概要としては前衛が囮として東南東へ進行し敵軍を正面に迎撃を開始。私達は江島付近にて待機し艦載機を出撃させる。前衛に対して深海棲艦が反応したところへ航空戦力による打撃が目的だ。欺瞞行動のため足島の西側を迂回させてその横腹に艦載機からの雷撃を打ち込みたいところ。こちらが先に敵空母を中破に陥れてやれば、残りは前衛艦隊で処理できるだろうとの談だった。
「編成と作戦内容はお伝えした通りです。それでは皆さん、行動を開始してください」
提督からは伝達を終了したら即動いてよいとのことだったので、私は前衛部隊を東南東へ送り出した。
「あんまり突出し過ぎないでくださいね、天龍。この子たちに悪影響ですから」
「なっ、そんなことねーよ! なぁ、暁、響」
「天竜さんはもう少しお淑やかになってくれないと、護衛するのが難しいのです」
「ハラショー」
「……そのハラショーは一体どこに向けてるのです?」
「多分、突撃するであろう天竜さんに?」
そんな姦しい前衛部隊の出立を見送りながら私達もポイントへ向かう。地点到達時に事前連絡としては最後の無線を行うつもりだ。
「ふぅ……。旗艦も大変ですね」
「いやはや。私じゃ頭がこんがらがりそうだよ」
「わたしが全力でバックアップするわ!補佐は任せておいてね」
私としてはいきなりの本格的な指揮をだ。ホームグラウンドで戦うとはいえ処理する情報が多すぎる気がする。呉に居たときでも旗艦がここまで細かな現場指示を出していた記憶はない。ようやくここに慣れてきた身としては少しキャパオーバー気味で疲れから嘆息が出てくる。
今は雷ちゃんの優しさだけが癒しだ。
「この警備府は旗艦に前線指揮の権限の殆どを任される形が多いですからね。私も最初は泉提督の指示に戸惑いました」
「次にレディーとして目指すのは旗艦になりそうね」
「今すぐにでも譲りたいですよ……」
「さ、流石に今の私じゃ……。役が大きすぎて難しいと思うわ」
「冗談ですよ、暁。……はぁ」
気の重さに潰されそうになっていると、隣でも『私もやらされるのかなぁ』と近い未来でありえそうな予想に、うげーとしている蒼龍さんが居て二人して息を吐き出した。といっても、そんな姿をさらけ出しつつも艦載機からの通信を整理しながら会話をしている彼女はきっと私よりも適性があるように感じる。
ともかく、私は予定の地点へ到着したわたしは提督に無線を繋げる。
「こちら扶桑、こちら扶桑。B地点にて待機開始。引き続き蒼龍による偵察を行っています」
《こちら泉。状況把握。今後の独断専行を許可する。撤退命令の権限も君に預ける、中破以上の損傷を受けた場合は継戦を避けたまえ。通信の許可は撤退時、敵艦隊の殲滅後及び完遂不可と断じ救援要求の際に限る。繰り返す必要はあるかね》
「扶桑、委細承知。戦闘開始は知らせますか?」
《不要だ。接敵予測時間は?》
私は無線機から少し口を離して蒼龍さんに確認する。敵はを直進しており前衛部隊の有効射程からは35kmほど。私はざっくりとした時間を提督に伝える。
「凡そ50分後かと」
《了解した。現在時刻、1046より50分後から戦闘開始と判断する。戦闘開始より3時間以上を経過したとき、こちらから無線を繋げよう》
「承知しました」
《それでは通信を終了する。君たちの帰投を待っている。以上》
通信としては聞きなれない言葉を聞いたと思ったらぷつりと無線が切れた。『帰投を待っている』? 武運を祈るでもなく、完遂の命令でもない。この程度の作戦は遂行して当然ということだろうか。会敵すら未だなのに私は重圧に押しつぶれそうで気分が少し悪くなってきた。
「大丈夫ですか、扶桑さん」
「……鳳翔さん。いえ、大丈夫です」
少し顔色が悪かったのだろうか、心配されるほどとはこのままでは艦隊の士気にも影響が出そうだ。唯でさえ根暗な性格なのだからもう少しなんとかしなくては。少なくとも今日くらいは。
「私がしっかりしていないと、皆さんに迷惑がかかっちゃいますから。気持ちを引き締めなければですね」
いまは江島の北側。今は蒼龍さんの艦載機からの接敵連絡待ちだ。
「顔色が悪い原因は通信の最後の言葉ではないですか?」
「え?……。えぇ、原因と言いますか、呉の鎮守府にいたときには通信中には聞きなれなくて。少し驚いてしまって」
「そうかもしれませんね。私もそれなりに色々なところへ行きましたが、『待っている』と言ってくれるのは提督を含めて3人くらいでしょうか」
「3人、それはどうなんでしょう。多いのか少ないのか……」
「話を聞くと、もともと提督と馴染みの深い方々でした。もともと横須賀鎮守府所属の船乗りだったと」
「ということは民間人からの採用ではなく……」
「そう、海自上がりそれも防衛大学上がりの上、叩き上げだったそうです」
あまり軍人らしさというか、規律や階級に拘らない人柄から民間人からこの緊急事態により提督適正を持っているからここにいるのだと思っていたが違ったのか。確かに言葉遣いは一般的なそれではないけれど、いやきっと海自の中でも独特だろう、あの言い回しなんかは。
あの人いくつなんでしょう。
「しかし、戦線も体験、それも深海棲艦の出現初期の時期も知っているとなれば、最前線で主力艦隊程度は率いていそうですが。どうしてこんなところにいるのでしょう」
「そこまでは私も分かりません。が、話したくなさそうな雰囲気がありましたので色々と複雑なのでしょう」
「複雑……ですか」
複雑、それは大抵の人を言い表すのに便利な言葉だ。それにしたって、あの提督は複雑怪奇極まりない。態度といい言葉遣いといい、格好つけているのだろうけれど童顔には似合っていないのはもちろん、神経質なほどに作りこまれたキャラクターのようで空っぽに見えて仕方がない。
だからこそ私は提督を好みだとは思わない。その手腕や管理能力は確かに認めざるを得ず称賛に価すると思うしその部分は尊敬できる。しかし、皆が慕うような心を私は持つことが出来ないで今に至る。いや、皆ではないか。一人だけ、龍田さんだけが比較的フラットな態度でいる。
特別な理由があるわけではないが私と同じように聊か胡散臭い雰囲気を感じ取ってか、全幅の信頼を置いているわけではなかった。といっても、疑っているわけでもなく少し距離を置いているだけのようだが。
「なになに? 悩みがあるなら雷が相談に乗るわよ?」
「いえ……、人というのは複雑ですねって、それだけです……」
「あら、そうだったの。でも、少し疲れ気味な顔色だし、旗艦も初めてでしょう? 大変な時は頼ってくれてもいいのよ!」
雷の気遣いは優しく、私は幾分か気分を入れ替えることが出来そうで正直に助かった思いだ。
「ええ、そうですね……。いざとなったら頼るかもしれません、雷」
「任せて!」
「ふふ、私もフォローしますので、気を張り詰めすぎないように参りましょう」
その小さな体の彼女に戦艦が頼るというのははたから見たら滑稽かもしれない。しかし、彼女とて軍艦であり艦娘の一人。おそらく精神的な強さは彼女の方が私よりも上だろうことが、会敵前である状況下でいつも通りの優しさを貫く姿から見て取れた。
「それにしても……。旗艦も初めてでしょうって口ぶりは……。雷、あなたは受け持ったことがあるの?」
「ふふ! 警邏任務ではあるけど、何回か旗艦を任命されたことがあるわ。 こういう作戦はしたことないけれど……。でも、基本は抑えてるからちゃんと手伝うわ」
「そうですね、ここの駆逐艦では雷ちゃんが一番旗艦を任されることが多いですし、細かいところも気づいて頂けますからね。いつも助けられています」
『そうかしら? 少しくすぐったいわ』とはにかむ彼女は可愛らしい。
さて、作戦決行まではもう少し。直接に相対するわけではないとは言うもののそろそろ気を引き締めなければならない。私たちの初動こそが前衛部隊の助けとなるのだから。
鳳翔さんと雷が私の緊張をほぐしている傍ら、偵察を続行する蒼龍さんのそばには暁が付き添っていた。蒼龍さんの口からは敵艦隊の距離がぽつりぽつりとこぼれていて、そのそばで暁が聞き耳を立てている。
と、暁がこちらに顔を向けてきた。
「みんな! そろそろ敵深海棲艦の艦隊がポイントを通過するわ」
「分かりました……。皆さん、作戦を開始しましょう。私と鳳翔さんは艦載機の準備をします。暁、雷、蒼龍さんの護衛として、頼みましたよ……」
「分かったわ! 雷に任せちゃいなさい」
「任せてよね。艦載機のタイミングも蒼龍さんとの打ち合わせ通り、30秒前からカウントをスタートする」
「では、私たちは暁さんに合わせられるようにしましょうか」
そうして暁は静かに距離を声に出して伝え始めた。その距離が近づくほど、否応なく私の体は緊張していった。同時に鼓動が大きく早く、ドクドクと脈打つのがこの内側から聞こえる。こんな私とて戦艦だ、程よい緊張と高揚感に自然と戦意が高まるのを感じる。
カウントダウンが距離から時間へ移り変わるのをじっと待つ。思えば今日はバタついてばかりだった。戦闘行動の直前である今が一番静かなことが妙な心持にさせる。江島から一望する海は穏やかで遠く、波の音と鼓動がひと際大きく聞こえて時間が緩慢に流れている。
いけ好かないとはいえ、提督は旗艦を任せるくらいに私を信頼しているのだろうから弱音を言ってもいられない。今日こそ、私は私の分を果たそう。この国の名前を冠する軍艦としての分を。そうして私は今しばらくの間は、この静けさに体を任せて空の高さを睨め付けた。向こう側には深海棲艦が侵攻している。
――暁による秒数のカウントダウンが始まった。
「24……23……」
これから作戦が始まる。
私は今日こそこの青空を越えたいと願って、暁の合図まで口を堅く結ぶことにした。