わたしがこの女川湾に来ていつの間にか4か月も経っていて、この入り組んだ入江もそれを彩る自然も夏から秋への移ろいは目に賑やかだった。この警備府への愛着は日々が過ぎるごとに積み重なり、今ではここが自分の居場所であると断言できるほどに居心地よく感じられる。
だからこそ、侵攻する敵勢力を必ず制圧しなければならない、とぎゅっとこぶしを握りこんだ。
穏やかな海を守るために。
「24……23……」
姉である暁ちゃんのカウントダウンが進んでいく。
鳳翔さんと蒼龍さんが静かに弓をつがえる様は凛としているけれど、わたしは『距離を測りながら発艦準備をするなんて、器用だなぁ』と場違いな感心をしていた。
「8……7……」
いよいよ作戦開始だ。わたしも万一に備えて対空射撃の準備をする。この二人に一つでも傷を負わせることのないように。
「2……1……」
「作戦開始!」
暁ちゃんの言うが速いか、弓弦からは小気味よい振動音が聞こえた。
「「第一次攻撃隊! 発艦!」」
艦戦と艦攻が大空へと突き進んでいきあっという間に豆粒程度の大きさへと変わっていく。 狙うのは敵艦隊上空の制空権。軽空母の競り合いを制してしまえば私たちが有利に動くことが出来る。
ルートは東へ直進後、大きく南にカーブを描きながら敵艦隊を目指す。 あたかも天龍さんたちの背後から追ってきていると思わせるように。
敵も偵察機を出せば別の地点からの航空勢力だということは簡単に明らかになってしまうけれど、漫然に航行しているだけであれば安く奇襲を行えるだろう。現に蒼龍さんの偵察機からは動きを告げる連絡はない。
「……では、参りましょうか」
扶桑さんの一言を皮切りにわたし達も次の行動を開始する。
まだ敵が見えていないという現実感のなさの中、作戦行動に移り緊張感の走っている部隊の空気にわたしは人知れず唾を飲み込んだ。先ほど、扶桑さんを心配したばかりだというのに、なにが『何回か旗艦を任命されたことがあるわ』だろう。大見得を切ってしまったわたしは少しバツが悪く、奥歯をかみしめていた。
そんなわたしの心持とは関係なく、部隊は予定の展開海域までの距離を縮めていく。流れる景色に置いてけぼりにされないようにわたしは前を向かざるを得なかった。
「どうやら天龍さんたちが会敵したみたい」
唐突に伝達される。『攻撃隊は間に合ったとはいえ、ちょっと危なっかしいねぇ』と苦笑とともに漏らしているものの、蒼龍さんの落ち着きぶりからは制空権は制圧できたと察せられた。
「やっぱり……。あの子たち、ちゃんと話聞いていたのかしら……」
「ふふ、久しぶりに体を動かせるってはしゃいでましたからね。でも、大丈夫ですよ。きちんと航空部隊の動きも分かっていたようですし」
「でも、かなり突出してるよ? 天龍さんと夕立」
扶桑さんの溜息と鳳翔さんの『あら、まぁ』というリアクションはとても自然体で、これが場数を踏んだ先輩のふるまいなのかと思う。わたしと暁ちゃんはやっぱりまだ表情の固さが取れず、余裕のなさがにじみ出ているのが少し悔しい。
「大丈夫?二人とも」
いつの間にか蒼龍さんが隣に寄ってきていた。これから会敵というのに陣形を乱すのはあまりよくないけれど、多分わたし達の様子に声をかけた方がいいと思わせてしまったのだろう。やはり不甲斐なく感じる。
「う、うん。大丈夫よ」
「そう? あんまり気負っちゃだめよー?」
蒼龍さんのふんわりとした微笑みに見惚れてしまったわたしは、くしゃくしゃと撫でる手をそのままにする他なかった。
――――――
―――
――
「おー、やってるねぇ」
蒼龍さんが両手を双眼鏡のようにして見つめる先は、水柱が立っては消えて賑やかな様子だ。
戦況は有利。目論見通り、敵軽空母らを小破中破へ追い込み敵航空戦隊は半壊状態になっている。蒼龍さんと鳳翔さんの攻撃隊の練度の高さを物語る結果だ。
わたしといえば、ここまでの道すがらにその連絡を受けて一安心して、強張っていた体から少し力を抜くことができた。
「それでは……、打撃任務を遂行いたしましょう」
「第二次攻撃隊はいつでも発艦できますよ」
扶桑さんと鳳翔さんは静かに臨戦体制へと移ったみたいだ。いつもの大和撫子然とした雰囲気は立ち消え、目は鋭く敵を見据えている。
「暁、雷、対空見張りよろしくね?」
「ようやくレディたる、わたしの出番ね」
「任せて!敵機が来ても直上なんか取らせないんだから」
「うんうん、頼もしいね!」
扶桑さんの号令とともに、第二次攻撃隊が空へ飛び出していく。蒼龍さんは『ちゃちゃっと終わらせて帰ろうね』といつもの飄々とした声色で、なにか毒気を抜かれてしまう。
ともかく、戦闘が開幕したことでわたしは攻撃対象から目を離さないよう前を見据えた。艦爆と艦攻が真っ直ぐに突き進んでいく先。連絡された通り、軽空母の一隻は中破していて使い物にならないようだが、もう片方から丸っころい形のなにかが排出された。
初めて見るその浮遊物が所謂ところの敵戦闘機なのか、黒いたこ焼きかなにかにしか見えない。戦場だというのになにかシュールさを感じて変な脱力感を覚えてしまう。
「むぅ、やっぱり鳳翔さんのとこは練度が違うなぁ」
「ふふ、蒼龍ちゃんの部隊もすぐ追いつきますよ」
「全然、こっちに来ないわね。多勢に無勢で敵が可哀想なくらいね」
ぼやっとつぶやく暁ちゃんに『そうね、少しだけ可哀想かも』と同意してしまうくらいに一方的な展開が繰り広げられている。航空戦隊はどんどん溶けていくばかりで、残すところは水雷戦隊だけど……。
「い……雷、あれ見て。なんかもう凄いわよ……」
目を滑らせた先には交戦中の天龍さんの部隊が水上を走っていた。……旗艦の方はブレード状の装備で近接戦闘を繰り広げている。いつ見てもヒヤヒヤする戦い方だけど、まだ見慣れた光景だった。
問題なのは、その隣で飛んだり跳ねたりしている1名。そもそもそんな動きが出来る構造じゃないと思うんだけど……。
案の定、横から『うわぁ』と聞こえた気がした。なんだろう、あれ。ちょっとどころじゃなくて真似できそうにもない。
「も、もしかして、あのくらい動けないと活躍できないのかしら……」
そんな私の呟きに暁ちゃんが涙目でこちらを振り向く。
「うぅぅ、無理よ、あんな変態軌道……。やっぱり、輸送任務くらいしか……」
「馬鹿なこと言わないでよ……、夕立以外で見たことないわ……。あなた達は普通の艦娘でいなさいな、お願いだから」
頭を抱えるわたし達に、引き攣り顔の扶桑さんからお願い兼フォローが送られる。そうして、ため息が3つ重なったと同時くらいに鳳翔さんから『敵航空部隊の沈黙を確認』と声をかけられて、ハッと目線を戻すと敵影は全くなかった。
「わたし達、なにもしてないわねぇ……」
「まぁ、でも、みんなに怪我がなくてよかったと思うわ!」
とは言ってみるものの、なんとも言えない気持ちを弄びながらぐるりとみんなを見回した。ダメージなどないことは知っていたけれど、なんとなくみんなの無事を確認したかっただけ。
「みんな待って。あっちの方から、何か来るわ」
指を差したのは南の方の空。快晴だったのも幸いして、小さいけれど黒いモヤのようなものが認められた。今日の気候で雨雲が発生することもそうないはず。
「……鳳翔さん、蒼龍。備えて。とりあえず、私が偵察機を飛ばすわ……」
「りょうかーい」
「分かりました、お願いしますね、扶桑さん」
なるほど、もしもあれらが敵航空戦力で継戦となれば直ぐにでも制空権を維持する必要がある。物資にも余裕があるからこそ、2人に属する航空隊の補給を優先したようだ。
そして、扶桑さんが水偵を飛ばすのと入れ替わりに、2人の元へ航空部隊が戻っていく。
「あれ、扶桑さんってそれ使うの初めてよね? もう使い方をマスターしたのね!」
「……ええ、まぁ、艦娘ですから……。触れば使い方は頭に入ってくるわ……、暁もそうだったでしょう?」
「あ、そうだったかしら! 確かに機銃とかも自然に使えてたわね」
「とはいえ、練度なんてあってないようなものだけれど……」
水偵を見つめながら『いきなり実戦なんて、不幸だわ……』と独りごちる姿には哀愁が漂っていて、なんとも言えない。確かにぶっつけ本番で使えと支持する提督もなかなかの難題を押し付けている気もするし、気落ちしているのも見ていて可哀想だと思う。
「判断も早かったし、その選択肢を選べる扶桑さんはやっぱり凄いわ! だからあんまり気落ちしちゃだめよ」
「ふふ、ありがとう、雷。 でも、あなたが素早く気づいてくれたお陰よ……」
「そうかしら? お役に立てたなら嬉しいわ!」
扶桑さんの笑顔に釣られて私も口角が上がってしまう。少しだけでも役に立てれたことで、なんとなく胸を撫で下ろしてしまう。
『うぅ、わたしまだ良いとこが一つもないわ……』と焦っている暁ちゃんには少し悪い気もするけど。
「大丈夫よ! あれがおかわりなら、それこそ暁の出番だと思うわ」
「そうですね、今度は正面から受ける必要がありますし。暁ちゃんを頼りにしてますよ」
「そうそう、主役の出番は遅れてやってくるもんだよ」
どうやら鳳翔さんも蒼龍さんも準備が終わった様子だ。水偵の報告を待つ形ではあるけれど、2人の言葉からはまた接敵するような予感が強く感じられた。
黒いモヤは大きくなって来ている。あれが戦闘機の群れだとすれば、かなりの航空勢力を持っていそうだ。
「まずいわね……」
扶桑さんの口から小さくこぼれた。
「扶桑さん、状況は如何ですか?」
続きを促す鳳翔さんの言葉には少し重みを感じる。やはり、と言いたげな表情は緊張感が走る。
「敵機の塊だわ、展開している数から言って正規空母がいるわね……。敵艦隊はまだ見えず、とはいえこちらのことは知られてると思った方がいいでしょう……」
「ということは、さっきのは前菜だったってことかー」
もう一度、2人が弓を番える。
「初撃が重要ですよ、2人とも……。出し惜しみせず、お願いします……」
『タイミングはお二人で合わせてください。少し提督に連絡を入れておきます』と言いながら扶桑さんは無線を繋げ始める。
「雷、わたし達も気合い入れていくわよ」
「分かってるわ! 任せて! 」
――
―――
――――
『任せて』なんて言ってみたはいいものの、その後の状況は最悪の一言に尽きた。先に会敵した水雷戦隊と航空戦隊は先遣部隊だったのだろう、本隊として正規空母2隻と軽巡洋艦1隻、駆逐艦3隻が私たちの前に立ちはだかっている。その正規空母の性能は尋常ではなく、球状に近い敵航空機が無数にも思える数をもって私たちを沈めようと空を埋め尽くしていた。
さらに具合の悪いことに、天龍さんの率いる前衛部隊と合間見えた敵水雷戦隊は、練度の高い軽巡洋艦を旗艦として据えていた。そして、回避運動に徹していたことも重なり、軽巡が小破、駆逐艦は小破1と中破1の合計3隻を残している。
たかが3隻、しかし3隻。
今はまだ制空権を奪われるには至っていない。しかし、もし敵側が競り勝ってしまった場合、防空を意識しながら相手取るにはわたし達には大いに不利な局面と言えよう。
恐らくこれは敵の戦術的な作戦行動と考えられた。私たちの戦力を削ぎ、あるいは物資を消費させることで疲労させ、後からくる強力な本体で叩こうという魂胆なのだろう。
練度にバラつきがあり連携の甘いわたし達に状況が容赦なく襲いかかる。
「雷、弾幕を切らさないで! まだまだ飛んでくるみたい!」
「わかってるわ! 」
どこからか湧いてきた蠅のような敵機はさらなる物量を増し加え、火薬を炸裂させようと私たちに襲いかかってくる。蒼龍さんと鳳翔さんの戦闘機が奮戦しているものの、敵戦闘機を押さえつけながら攻撃機を撃墜することは到底難しく、わたしたちは間断なく対空射撃を行わざるを得なかった。
ここで2人のどちらかでも航空全力を持つ艦が大破してしまえば、拮抗しているバランスが一度に崩れてしまう。
そうなれば最期。
私たちを平らげてしまった深海棲艦どもの次の獲物はこの付近の沿岸地域へと移ることは予想に難しくない。もちろん女川警備府とて例外ではなく、この湾に島々があることも相まって脅威のある敵がそれらを利用して陣地構築などを行ってしまえば、本土への侵略も危惧する必要のある事態に発展する。
国家存亡の危機として、絶対に守り抜かなければならないというプレッシャーと、刻々とまし加られる敵航空戦力の圧力がわたしと、そして暁ちゃんにも飲み込むようにして重くのしかかってくる。
さらに悪いことは、この状況に引っ張られるようにして飛び交う無線によって焦燥感を掻き立てられてしまうわたしの心の弱さだ。
『――天龍、泉だ。状況を』
『こちら天龍! 損害は電が小破、その他は軽微だが……、やっこさんそう簡単に崩れてくれねぇ。敵ながら天晴れな回避性能をしてやがる!』
『了解した。戦闘続行を』
『へっ! 言われなくてもこいつを沈めるまで止まんねぇぜ!』
提督が旗艦の扶桑さんではなく、天龍さんを呼んだのはこのひりつく様な戦闘が始まる直前の無線で取り決めたこと。状況を把握するには開いた距離での戦闘行動のため、扶桑さんを経由すると情報の伝達速度が落ちてしまう。よって、各持ち場と直接の無線連絡により状況把握を密にする狙いだ。
当初の作戦である奇襲行動はすでに成功に終わったため、情報漏洩抑止のための無線封鎖はお役御免になったのだった。
『扶桑、状況を』
「戦闘行動に支障はありません。敵航空戦力の制圧を続行。……但し、状況は最悪です」
『続けろ』
「敵の本隊である追加航空戦隊の航空戦力は増加する傾向です。 また、その距離は27,000mほどです。打開するには遠く、近づくにはその攻撃は猛烈です」
つまるところ、敵は扶桑さんの射程距離には入らないように、外からすり潰す様にしてわたし達を攻撃しているのだった。時間を追うごとに増えている様に思える敵機は、単純に削る量よりも後から追いついてくる量が多い。どこかで頭打ちがあると思うのは楽観的過ぎるだろう、このまま増援が続くならばどこかで飽和して耐えられなくなる。
続く爆破音と極度の緊張と疲労で高鳴り続ける心音に眩暈がしそうになることを堪えながら、既に茹って赤みを帯びた機銃を酷使し続けていると、不意に焦り声が聞こえた。
「扶桑さん!まずい!! 敵航空艦隊の駆逐艦が2隻ほど姿を消してる!」
恐らく、この夥しい程の球状艦上機の群れを抜けて、敵艦隊を捉えられる距離まで飛んだ蒼龍さんの戦闘機によって得られた観測情報だ。
「いつから居ないか分からない! 恐らく狙いは天龍さんたちの方だと思う!」
焦燥して浮ついた扶桑さんの声は了承の旨を告げて、無線にノイズが入ったかと思うと、視界の端で遠く水柱が立つのが見えた。一瞬遅れてそれが原因と思われる爆発音も追いついてくる。
恐らく暁ちゃんもそれを分かったはずだ。私たちは互いに絶えず励まし合いながら、この防空行動を続けていた。しかし、この爆発音の前後でピタリと口数は数えられなくなった。
私たちの間にあるのは機銃から上がる悲鳴と敵機残骸が海に落ちる音だけになった。
最悪の想像をしてしまう。それはこの視界を歪めてしまうには容易かった。それでも射撃を止めるわけにはいかない、個人的感傷と作戦行動では後者が優先されるのは当たり前だし、ましてやまだ誰かが沈んだとも分からないから。
「――りゅうさん! 天龍さん!! 取れますか! 扶桑です!」
扶桑さんが必死に無線に呼びかけている。
応答があることを私は願った。
『――何度も呼ぶなよ、耳が痛いだろ。 こちら天龍、大井が不味いな、大破寸前だ』
残酷かもしれないけれど私は胸を撫で下ろすような心持ちだった。溜まった涙を振り払い、もう一度この蠅の群れを睨め付ける。
『焼きが回ったな、俺が小破、響は中破したが……今日のMVPだ。不意打ちかました2隻に魚雷叩き込みやがったよ』
『提督、聞こえるか。大井と響を戻すぜ、護衛に電をつける。いいな? フラッグシップ相手取るには荷が重いからな』
状況は進んだ。
悪い方向へ。
ますます、敵の正規空母をなんとかしないといけない。鍵を握るのは私たちになった。
『泉、了解した。天龍らは戦線を死守せよ』
『了解!』
『扶桑、取れるか』
一瞬の間だった。
扶桑さんが無線に出るその一瞬は、発砲音と爆発音のアンサンブルで埋め尽くされたその一瞬は、酷く静かに感じたのは扶桑さんの思いと共振したからかもしれない。
提督から与えられる命令は予想もつかず、返答することへの逡巡は仕方のないことだと、わたしは思う。
『……扶桑です』
『前進し、射弾観測射撃を』
無茶だ。
そう思ってしまった。いくらその人の助けになればと尽くすことが好きである私であっても、最初から無理だと決めつけてしまえるほどに。
扶桑さんは航空優勢も取れていない現状で進むことは難しいと抗議をしていたが、提督は折れなかった。
『代替案がなければ、前進だ。 最大の敵はこの状況だ。打開せよ』
「しかし、提督! まだ射弾観測ができるほどの状況では!!」
『出来なければ文字通りの全滅だ。僕も含めてね。だから、扶桑くんにベットすることにした』
今までのやりとりと違う軽々しい口調は、この場にふさわしくないものだった。事実として、私たちが負ければ女川を目指しつつ本土をめちゃくちゃくされるのだから、当然提督もタダでは済まないのだろう。
とは言っても、無責任に感じる言い回しであった――。
『僕も、久しぶりに海に出たよ。大井くんたちを迎えにね。 だから、よろしく頼むよ』
『はーい、北上さんだよー。ということで、提督号の漁船を引っ張ってるよー。敵が残ってたらそのまま私が配置につくからねー』
前言撤回だ。この状況で海に出てくるなど普通は考えられない。そもそも警備府の統率を握るのは泉提督1人であり、副官の配属もない。指揮官が基地を空けるなど正気の沙汰ではない。
わたしはかぶりを振って機銃の運用に集中することに切り替えた。馬鹿馬鹿しさとプレッシャーで吐きそうだったから。
暁ちゃんは『負けないんだから!』と叫びながらと弾幕を張っている。空母2人の表情は分からないけれど、航空機発艦に際する声音には苦味と迷いを含んでおり、しかし、さらに張りのある発声になっていた。潮風によって喉も潰れ気味で掠れそうだというのに。
「……みなさん」
大きい溜息を一つして扶桑さんが重く呼びかける。
「聞いていましたね……。前進です。4,500mを全速力です」
そうして永くて短い航行行動が始まった。
中心に扶桑さんを置き、左舷前後に暁ちゃんと鳳翔さんを。右舷前後にわたしと蒼龍さんを置く輪形陣の変形で前進運動を開始した。速度は扶桑さんの速度に合わせ22.5ノット、それが私たちの全速力と呼べるものだった。
移動目標のポイントまで7分弱。また射弾観測のために最低でも2回……いや、3回は試射を行わなければならない。装填の30秒は勿論、目標現在位置の確認と測的、艦砲の俯仰と旋回、初弾弾着からの苗頭修正。最低でもトータル20分は地獄を味わうことを想像する。
わたし達は進めば進むごとに密度が濃くなる敵の爆撃から扶桑さんを守らなければならない。また、射弾観測を行うためには鳳翔さんと蒼龍さんの戦闘機が道を切り拓き、扶桑さんの水上偵察機を送り込む必要がある。
幾重にも行手を阻む問題が積み重なっていることを承知して、今、私たちは進んでいく。
視野が狭窄する。爆撃の余波は積み重なり、装甲へのダメージは蓄積されていく。
「残り2,000m!」
折り返した。もはや誰の声かも分からないくらいにわたしは状況に食らいついていた。いや、わたしだけではなかった。暁ちゃんもわたしの左舷側で同じ思いをしているはず――。
咄嗟に蒼龍さんの声が飛び込んできた。
「雷! 前!!」
最初に感じたのは白い炸裂。唐突に感じる熱、そして崩れるバランス感覚。目の前に敵のプレゼントが飛び込んだみたいだ。咄嗟に構えた左腕によって視力を奪われることはなかったけれど、その代償はズタボロの艤装が引き摺りながらの航行だった。
機銃の角度を支えることで対空射撃をしていたところ、この状態では仰角の維持は難しいかもしれない。わたしは知らず唇噛みんでいたのか、口の中にジワリと鉄の匂いが滲んだ。
「雷さん! だいじょうぶ?!」
「――心配ないわ! 直撃じゃないもの、大丈夫なんだから!!」
扶桑さんの叫びにわたしは反射的に嘘をついた。扶桑さんに心配をかけさせないため、艦砲射撃の他にリソースを割かせないために。
とはいえ、次に当たれば機銃も潰れてしまうかもしれない。そうなれば身を挺する他ないかもしれない。
少しずつ悪い方向へ転がる考えをかなぐり捨てながら、ブレる銃口を空へ向けて直進した。もう呼吸も忘れて前へ前へ、それしか考えていなかった。
『ポイント到達。目標、敵空母、距離2200 方位――』
その言葉は遠く聞こえる。あともう少し、耐えなければ。
「仰角48! 初弾観測二段打ち方用意!」
「打てっ!」
激しく重厚な砲撃音が定間隔で響き渡る。45口径のライフリングに沿って飛び出した砲弾はわたしの頭上を飛び越えていった。
届いて!
そうやって願った。敵艦隊を射距離に捉えられることを。爆撃音の嵐の中、弾薬ももう2割を切ってしまっている。
「弾着!近遠遠遠、下げ4!」
あともう少し、なんとか凌げればと暗雲が裂けたと思った矢先に、2人分の悲鳴があとを追ってきた。
「暁ちゃん! 鳳翔さん!」
左舷直近へ爆撃が届いていた。
「こっちのことは気にしないで! 自分の持ち場を」
視界の端で煙が立ち上るのが認められる。耳元では蒼龍さんの状況報告が突き刺さる。
『提督、こちら蒼龍! 敵機の爆撃を受けた。暁と鳳翔は小破! 雷が中破!』
どうやら直撃は免れたようで、もっとも被害が大きいのは結局わたしだった。少し悔しくも感じるがまだマシな状況なので、気合を入れ直し空へ砲口を固く向けた。
砲撃に集中する扶桑さんを守らなければならない。
「弾着! 近近遠近、夾叉!!交互打方用意!」
「――いいですか、暁ちゃん、雷ちゃん。落ち着いてください。敵も夾叉状態となれば航空全力の展開に集中できません。 もう少しの辛抱です」
「「はい!」」
扶桑さんの艤装に宿る乗組員の妖精たちが動かしているであろう、45口径四一式36cm連装砲から装填による金属の打音や擦れが響いている。
爆撃とキリキリとした騒音の中、ふと見ると今まさに敵艦隊を穿とうとする扶桑さんを妨害するためか、敵航空機が直接に突っ込んでくるところが見えた。
「――!」
考えるよりも先に体が動いた。
視界はその一機にのみ集中、収束した。音は薄れ背景は遅く、わたしの鼓動の音だけが反響するような感覚。
手持ちの主砲とともにそれらをかなぐり捨てるように敵機の進路上、扶桑さんの前へと急いだ。この一手、邪魔させることは絶対にできない。
――ゆえにわたしの取るべき選択は一つだけ――。
そこには真っ赤な瞬間があった。
そして、推進装置の加速度と慣性による鋭い衝撃に併せて、瞬間的に拡散しようとするガス圧力が朱に染まったわたしの視界を体ごと無理やりに仰がせた。
周囲は静まり返っていた。キーンという耳鳴りが訴えるように爆発による音響性のダメージの結果なのだろう。
「 」
なにかが聞こえたような気がしたあと、倒れ込んだ海面を揺らす感覚をとらえた。
そして、放物線は分厚い雲を破るようにして描かれた。
無数の敵航空機の真ん中を切り裂いていくのは扶桑さんの艦砲撃だろう。その切間から覗く青は久しく見ていなかったと思わせるほどに美しかった。
その光景に溶けていくようにして意識が薄れて――。
――――――
――――
――
++++++++++++++++++++++++++++
「あの日のことで記憶にあるのはここまでよ」
こうして目の前の小柄な女性は長い語りにピリオドを付けた。
舌の渇きを覚えたのか、静かにティーカップに口を付ける彼女を見ながら、『弾丸軌道よりも余程美しいじゃないか』と思いながらペンを走らせた。
穏やかな日差しに照らされる、その鳶色の髪の美しさに思いを馳せながら――。