東京都千代田区は23区内でもほぼ東京の真ん中あたりの位置付けといえよう。東京駅、国会議事堂、皇居、靖国神社、江戸城跡や国立国会図書館。交通的にも、政治的にも、また文化的な意味でも中心だ。あらゆる人モノ情報が集中し、また拡散される。
そんな都内の中心とも言える地域の少し北側、秋葉原から神田川沿いへ西に歩くこと約7〜8分程度の距離にお茶の水駅はある。
医科大や歯科大、そして明治大学を近くに擁するこの土地は、いわゆる学生街の雰囲気を擁しており、安く量のある食事処はもちろん、駅前には楽器店が多く並んでいる。また、駅から明大通りを南に進めば、風情のある古書店街を有する神保町へ行き着き、その神保町を東西に横切る靖国通り沿いにはウィンタースポーツ専門店なんかも店を開けている。
それらの文化的な特徴と大学を有する立地から学生が多く昼間は活気のある街だ。そして、繁華街やゲームセンターなども近くに無く、その割には治安も良いといった具合のバランス。
僕はそこまで好きではないが。
では、なぜそんな好きではないところまで僕が足を運んだのだと、愚痴る言葉を聞く人は言うかもしれない。
仕事の用事で来ているのだから、仕方ない。
「――――」
僕は将来への不安も感じさせないような顔で歩く学生たちに閉口しながら、目的の場所を求めるためにまずは改札口を出ることにした。
明大通りを靖国通りに向かって南下を始める。
秋冬の服装入り乱れる歩道は楽器を持って歩く人が多く、前へ進むのに少し難儀だ。僕は遠慮なく眉根を顰めて合間を縫いながら進路を確保していく。よく見ると街路樹の殆どがその装いを剥ぎ取られており、秋風と呼ぶには冷たすぎる風が引っ切り無しに行き交っていることを察せられた。
歩くのは明治大学側の道。昔、文豪などがよく利用したという山の上ホテルもこちら側にある。反対側は日本大学の歯学部だ。それらを通り過ぎてさらに道なりに進むと年季を感じさせる雑居ビル群が見える。ひしめき合った店の大半は飲食系だが、古本屋が学生服の店もぽつりとシャッターを開けている。
この雑居ビルの一画で営む珈琲店が僕の目的地だった。
僕は記者というかライターというか、ともかく碌でもない雑誌ではあるものの、そういったモノを発行する出版社に籍を置いている。いわゆる、物書きと呼ばれる人種だ。そして、物書きがペイをもらうには原稿を用意するしかなく、その原稿を埋めるための資料作りとして、今日、この珈琲店でインタビューを行うという寸法だ。
店の指定は話を聞かせてもらう方のご希望に沿うようにした結果。
『どうせなら、美味しいものを飲みながら話をしたいわ。口に出すには億劫な言葉も、そうした方がするりと出るかもしれないじゃない』
アポイントを取った女性はそのように通話口で伝えてきた。昔、よくお世話になった人だ。
本当は嬉しいはずだというのに、少し足が重く感じるのは多分、この街の雰囲気が嫌いなせいだろう。そう自分に言い含めながら、僕は目的の店を見つけるために坂道を下って行った。
――――――
――――
「――わたしの記憶にあるのはここまでよ」
少し冷めてしまったであろう紅茶に一息をつけひとしきり黙り込んだ後、彼女は緩いウェーブのかかった鳶色の髪を揺らしながらカップをテーブルへ置いた。
一連の所作は陶器の接触音一つ鳴らぬ程の優雅さだった。それは中学生に入ろうかというその風貌からは予想されないギャップであり、ただそれを見ているだけでも飽きを感じさせなかった。
「昔話を聞かせるなんて、あなたが子供の時を思い出すわ」
そのように懐かしまれるのは、なんだか少し居心地が悪かった。喫茶店然としたクラシック音楽が揺蕩うように流れる店内は彼女の雰囲気とマッチしていて、ちょっとした瞬間に僕はそれらを置いてけぼりにしてしまいそうだったから。
事実、彼女たちの見た目は時間の流れを感じさせない。老いることがないのは、時間に取り残されることに同義だ。時間の共有が難しいという根本的な隔たりは、人間という種との関係性を保つにはあまりにも大きすぎるものだった。
「思えば、あなたのおしめを替えたこともあったのよ?」
「よしてよ、雷姉さん。――今日は一応仕事できてるんだから」
「ふふ、昔みたいに頼ってもらえるのがうれしくなったの。ごめんね」
悪戯っぽくウィンクをする顔からは言葉にある謝意よりも、懐かしみからくる喜色が滲み出ていることが見てとれた。
「さ、あとはどんな話が聞きたいかしら?」
「そうだなぁ……」
さて。話を聴きながら要点だけをメモしていたけれど、ひとまずこれらを簡単に纏める必要が出てきた。正直、書くのに必死で補足が欲しいところの見当を付けるほどは理解できてはいなかった。
とはいえ、咀嚼する時間にずっと黙ったままというのも時間を割いてくた彼女に悪いので、僕は軽い雑談でもと口を開いた。
「……仕事って言った側から関係ないこと聞くのもあれなんだけどね。閑話休題ってことで……、この店は前から知ってたんだ?」
昔ながらの純喫茶といった表現が適するこの店は、珈琲だけでなく紅茶についても楽しむことができる。豆や茶葉の品種を選ぶだけに止まらず、それらから抽出した香り高い嗜好品を納めるためのカップも客が思い思いに選ぶことができた。その日の気分に合わせて色、装飾を選択できることは目にも良く映え、雰囲気の良さを増し加えるし、またカップの薄さやその形状、特に縁の部分については香り立ちと口当たりによる味も大いに影響を与える。
静かにコーヒーを淹れるマスターの後ろには、お客さまのオーダーに応えるべくしてコレクションされたカップとソーサーのワンセットが所狭しと並んでいる。
広すぎない店内は、控えめだが上品な吊り下げ式の照明が点々とぶら下がっており、暖かな光でぼんやりと自分の役目を果たしている。明大前通り側の壁には自然採光できるよう窓が設えられており、そこから東京の学生街を切り取った風景を見ることができる。なるほど、都会に佇む知る人ぞ知る名店と表現するに充分な趣を醸し出している。事実、この街の中でそれなりの意思を持って散策しなければ見つけにくいような店舗立地は隠家的だ。
入口から左右に空間が広がり、テーブル席がいくつか置かれており、突き当たりにカウンター席が並んでいる。僕らは入って右のテーブル席に案内されたのだった。
「そうね、ここはお気に入りの場所の一つよ。 ……といっても、暁ちゃんが見つけたんだけどね」
「暁さんが? なんか意外だね。 でも確かにそこらで飲むブレンドよりも美味しいし、当たりってことだね」
「でしょう。 美味しいのもそうだし、雰囲気も良くってね」
『まぁ』と言って彼女は言葉を続ける。
「1番の理由は、提督が淹れた紅茶の味に1番近いからって言っててね。私も、偶にここでゆっくりさせてもらってるの」
「そうなんだ。 じゃあ、思い出の味って感じなんだね」
二つのカップは既に底面の白さを曝け出していた。
それとは対照な彼女の言いにくそうな面持ちは、3色ボールペンを握る僕の手を止めさせる。
「……さぁね。本当にこの味だったかも覚えていないのかも。いやよね、兵器の割に記憶が曖昧になるなんて」
ぽつりと呟くような声音はBGMにかき消されかけていた。
彼女が伏せ目がちになってしばらく、『少し小腹が空かない? なにか頼もうと思うんだけど』と僕を正面に捉えて尋ねてきた。小腹は空いていないが、特に断る理由もないことと、気分転換の意味でもちょうど良いと思い、首の動きでどうぞと示した。
そうしてシフォンケーキを待つ間に僕はざっくり纏めたネタの中で、詰めて確認したいところを彼女に確認することに決めた。
――
――――
――――――――
カウンターの向こうでは焙煎した豆を破砕する音がごりごりと響いており、ふわりと香ばしい香りが鼻元をくすぐる。
「あらかた、確認できたかな」
「ほんと? わたしはちょっぴり話し足りないかも」
そう言って、彼女は左手の甲あたりで頬杖を突きながら、目を細めて僕を見つめた。
「久しく会ってなかったんだもの。 あなたのことを聞かせて欲しいわ」
「そうは言っても、出版業界に入ったもののうだつの上がらない生活を嗜むばかりだもの。 知名度の低い雑誌のライターなんて胡乱な記事を書くしかないし……」
「私たちの話はそんなに胡散臭いかしら?」
「……否定するには難しいところかな、正直。喉元過ぎれば熱さを忘れるってなもので、艦娘は勿論だし、深海棲艦についても伏せられ続けてる。都市伝説として語り継がれてるようなものだよ」
最後に『残念なことにね』と付け足して、2杯目に頼んだマンデリンに口をつけた。
「そっか……。 そうね、そうかも。 その方が良いかもしれないものね」
自分達の功績どころか、その存在すらも否定する現状を肯定する言葉を溢しつつも、その表情を酷くうら寂しげな色合いに染めていた。
仕様のないこととはいえ、カップを口元に近づける事で、僕は押し黙ってしまう自分の卑怯さをひた隠しにした。 お代わりのそれが持つまったりとした苦味は舌に絡みつくようにして後を引いた。
多分、僕自身の所為だろうけど。
途方もなく静かな空間が広がる。
天使の通り過ぎるタイミングというのはどうにもタイミングが悪く、湯を沸かすこぽこぽとした音も絶え、コーヒー豆の破砕も終わり、BGMであるクラシック曲も次の曲目に進もうと空白を奏でている。耳に痛いこの状況は二口目を飲むことを億劫な作業に変えてくれた。
僕は特徴的な縁の形状と小波をモチーフにした白磁のカップを両手に持ち、程よく焙煎された香りを立てるダークブラウンに視線を落とした。 そんなところには気の利いた言葉なんでものは浮かんでないことなんて百も承知だけど、重力に逆らって目線を上げることが今は難しい。
一枚の絵画のような風景をいち早く破ったのはこぼれ落ちるかの如く響くピアノの音だった。 その独奏曲はゆったりと僕の耳を満たしている。 程よい室温だったはずだけど、スピーカーから広がる物悲しい主旋律により肌寒くなったかと錯覚するほどに、体感気温をぐっと下げた。
僕は静かにカップをソーサーに下ろすものの磁器ならではの高質な接触音を小さく鳴らしてしまった。
間の悪い所作に多少の苛立ちを感じている僕に向かって、すっと一通の手紙が差し出される。いつの間にやら彼女がカバンから取り出したものらしい。
「あなたの記事が載ってる雑誌のことを、昔馴染みの娘達にお話ししたの」
『電話や手紙で連絡したんだけどね』と付け足す言葉に、僕は面映さを我慢できないで鼻をかいた。
「勝手なことをしちゃってごめんなさい。 でも、みんな面白いって言ってくれていたわ」
「いや、それは……、なんというか、気恥ずかしいけど、でもありがたいよ。ありがとう」
僕の感謝は彼女の気を上向けることに十分な役目を果たしたみたいだった。
「それでね、妹とも電話で話してたんだけど、今日あなたから取材を受けるのよって言ったら、すごく羨ましがられちゃってね――」
と、彼女の妹分の近況で話を膨らませる彼女に相槌を打って付き合った。
暁型駆逐艦の4番艦 電 はこれもまた、中学生と見まごうくらいの背丈で、引っ込み思案で優しさの塊のような女の子だ。 雷姉さんとよく似た鳶色のセミロングを後ろでアップにしようとしているけれど、よく失敗して束ね切れていなかったりする。 穏やかでおっとり性格であることも相まって、子供の時分ながらドジな印象を受けたことも記憶に残っている。
「今は電ちゃんはどこに?」
「具体的な場所はちょっと言えないけれど、少なくとも関東にはいないわ」
それもそうかと納得した。所在も含めて機密情報であることには間違いない。
眉根を少し下げて手を拝むようにして謝意を表しながら話してくれた彼女に申し訳なさを感じた。
「ごめん、ちょっと軽率な質問だったね――。 にしても未だに仕事してるなんてすごいねぇ」
10年と少し前に日本を筆頭とする各国の海軍が団結し、艦娘達のバックアップをしたことにより深海棲艦達に深刻なダメージを与えることが出来た。 通信網もシーレーンも復旧が滞りなく行われ、今では貿易も海外への渡航も正常化されている。 今では遠く南極海の方に少数の影が見えるだけで、僕達の身近には目撃情報なんてものは上がることもなくなった。
結局、国民に無意味な動揺を引き起こし悪影響であるかもしれないという懸念のため、あれらはテロリストとしての扱いとして情報統制が採られた。そして、艦娘の存在もまた民間に伏せられる始末。実際、当時中学から高校へとステップアップする僕は艦娘の存在を知らず、雷姉さんと電ちゃんとの面識はあったものの親戚の娘さんくらいにしか考えていなかった。
と言っても、やっぱり人の口には戸を立てられず、世間では噂だけが広がり今では都市伝説としての扱いを受けるようになっていた。
「でも、今でも出来る仕事があるもんなんだね」
と、素直な感想を伝えた。勿論、『答え合わせは要らないよ』と付け足して。
すると彼女は僅かに逡巡して『あなたにだから少しだけ教えるけど』と声を落としながら体を前のめりにさせた。
「どこかの海自の基地でオペレート業務に励んでる。 今は多分缶詰ね」
『オフレコだからね? とりあえず、大変なんだって』と、雷姉さんはころころと笑った。
「そうなんだ、良いとこで噛んだりしてそう」
「まさにそう! ふにゃふにゃ言ってて分かんないからはきはき喋りなさいってね――」
秘密と一緒にふわりとした香りを届ける雷姉さんに、僕は柄にもなくドキッとさせられて、なんとかしてそれを隠そうと木製の温かみを宿すテーブルに目線を落とした。そこでようやく先程の手紙が目について、これについて何か話そうとしたのか気になって小首を傾げた。
「あ、そうそう。 この手紙なんだけど、電ちゃんがあなたにって。中身は読んでないわ」
彼女は改めてその真っ白な封筒を僕に渡しながら、『あなた達がそんなに仲良しだったなんて、知らなかったわ』と悪戯な微笑みを見せてきた。 僕は『もう、そんなわけないでしょ』とその揶揄いを否定しながら受け取る。
「開けて読んでも?」
「勿論。 あなた宛なんだから」
封筒を裏返し、桜の花を模ったシールをなんとなく丁寧に剥がして中身を取り出した。几帳面に折られた便箋を広げると、白地にグレーの罫線で挟まれた空白を慇懃さの中に女性らしが見え隠れする文字が埋まっていた――。
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拝啓
木枯らしが吹き始めて暫く、日差しもだんだんと弱まり冬の到来がすぐそこまで来ていることを肌に感じます。中津海様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。要らぬ心配とは思いつつも体調など崩されることのないようにと願っています。
さて、この度は姉である雷より話を聞き、私達の話を文字に残してくださっていると聞きました。勝手ながら寄稿している雑誌を拝見し、知っていること、知らぬこと様々なエピソードが載っており、今ではカレンダーを捲るごとに次の発行日を楽しみにする日々を過ごしております。
とはいえ、当時のことを調べることも骨が折れる作業かと拝察するもので、読ませて楽しむばかりでも心にわだかまりを覚えておりました。私も何か協力することがあればと思案している折に、丁度よく雷が取材を受けると話しておりましたので、感謝を表すと同時に私の持ち出せる範囲のことを認めるため、このように筆を取らせていただきました。
この手紙が中津海様の助けとなれば嬉しく思います。
姉からは恐らく当時11月ごろにあった海上戦闘について話を聞くかと存じます。(電話で姉と「なにを話そうか」という話題で歓談した次第です)
折角なので、その時の私が編成された部隊の話を書かせてもらおうと思います。
私は天龍を旗艦として、以下、大井、夕立、響の名を連ねる前衛部隊に編成されており、フラッグシップ級の軽巡洋艦ツ級の率いる水雷戦隊と相対しておりました。(戦闘描写は省略といたしますが、夕立ちゃんの怪奇極まる海上運動については機会があれば是非話したいと思うところです)
私たちが攻めあぐねているところを別働していた敵駆逐艦から奇襲を受け、大井さんと響が離脱するほかなくなったのです――
――
――――
――――――
「よくやった!! 響!」
「悔しいけど、今日のMVPは響っぽい!」
天龍さんと夕立ちゃんはそう叫びながら、弾幕を張り続けていた。
私なんかよりも練度が遥かに上の敵軽巡たちは、まるで砲弾軌道を予知しているかのように回避し続けていて、なかなか決定打を当て得ることが出来ない。そんな中、突如現れた駆逐艦からの奇襲雷撃は、この状況を突破しようと魚雷の装填をしていた大井さんを狙い撃ちにしていた。
響ちゃんは咄嗟の機転によるカバーリングで大井さんの大破轟沈をなんとか防ぎ、さらにはその2隻に同時に魚雷を発射し沈めるという戦果を上げた。その引き換えに中破することとなったけれど、私の目から見てもベストな結果に思える。
あのまま響ちゃんが間に合わなかった場合を考えると……。
「本当に良かったのです。 大井さん、下がってください。 響ちゃんもこっちに」
私はこれ以上の損害を受けさせないために2人を後ろへ促した。
まだ動けそうな響は『……分かったよ。頼らせてもらうね』と、もの凄く残念そうに呟きながらも了承してくれた。けれど、大井さんは大破寸前――特に脚部への損害が酷く移動もかなり不安定の模様で、手を差し出した響ちゃんに掴まりながら下がる程の状態だった。ギリギリと奥歯を噛み締めて駆逐艦の沈んだ後の泡を睨みつけている。
天龍さんは相手の頭を抑えるような立ち回りで継戦しており、夕立ちゃんも果敢に主砲副砲で相手を攻め立てていた。
私も砲撃をするけれど敵の回避運動を読んで照準を合わせることが難しく、戦力として数えられるとは言えないだろう。出来るのは2人に近づけさせないことくらいで、こちらへの軌道を阻むための威嚇射撃がようやくだった。
「電ぁ!!」
突然に天龍さんが呼びかけてくる。
「はい!なのです!!」
「2人を連れて警備府に下がれ!」
「――――!」
全くもって予想だにしていなかったことを伝えられて一瞬固まってしまう。それは戦力外通告に聴こえた。
「でも! 2人を残してなんて――」
「大丈夫だ! 逆に俺は勿論、夕立も守るより攻める方が得意みたいだからな! 下がってもらった方がやり易いってもんよ!!」
「……! それでもっ!」
まだ、抗議しようとする私を尻目に天龍さんは無線連絡を行った。
悔しかった。
わたしは――。
『――まちゃん、電ちゃん、聞こえるかしら? 私からもお願いっぽい』
いきなり他チャンネルで無線が入る。声の主は夕立ちゃんだった。
『私も天龍さんも、守るような技術を知らないっぽい。でも、電ちゃんはそれを持ってる。今一番必要な力をあなたが持ってるの』
「そんな慰めなんて――!」
私は半ば八つ当たりに主砲を敵艦隊に向けて放つ。でも、それはなんとなく当たる感触があった。
『……ふふ、やるっぽい! 』
それは取り巻きの駆逐艦の1隻ではあるものの直撃したようで、私は息を巻いた。
「私だってまだやれるのです!」
『うんうん、そのやる気は頼もしいっぽい! でも、だからこそ、電ちゃんに2人を守ってもらいたいの』
『――恨んでくれても……、ううん、後で殴ってくれても構わない! でも、誰も沈ませたくないっぽい。だから、お願い、あなたを頼りにさせてほしい』
そこまで言われてしまったら……。
「……っ!! 分かったのですっ!! 2人を連れて離脱します!!」
『よかった、安心したっぽい。対空に気をつけて欲しいの。そして、足を止めずにね』
『本当にありがとう』と言い残して彼女は回線を切る。私は心に支えるものを感じながらも、夕立ちゃんの誠実な態度に免じて飲み込む事にした。
天龍さんがこちらに寄ってくる。
「電! 提督が途中までお迎えに来るってよ! それまで二人をよろしく頼むぜ」
そう言い残して夕立ちゃんの方へまた踵を返した。
「電……。大丈夫かい?」
「ありがとなのです、響ちゃん。 大井さん、響ちゃんも、後方に下がります。隊列は先頭に響ちゃん、続いて大井さん、私は殿を務めるのです」
「そ、敵前逃亡ってわけね……。まぁ、こんな姿じゃ仕方ないわね」
そんな悪態をつく大井さんに響ちゃんがまぁまぁと宥める。
「提督も来るらしいよ、北上さんを連れて。良いじゃないか、提督にしっとりとリードしてもらえるよ」
「もう! 私は北上さんが一番なんですからね! ほんとこんな姿見せたくないわよ」
「とりあえず、二人とも移動するのです。響は対空射撃はできます? メインは私なのですが、万が一の時は手伝って欲しいのです」
「|了解≪ポニャティ≫」
そうして私たちは後退を開始した。
――――
――――
後退して直ぐに少ない機体数ではあるものの、敵航空機編隊が襲ってきたが、なんとかダメージを受けることなく私達は切り抜けることに成功した。そして、そのまま殆ど安全だと言っていい距離まで進んだところで、彼の乗っている漁船と北上さんと合流することが出来た。
北上はいつもの雰囲気で軽く手を振りながら『行ってくるねー』と戦線へ向かい、私たちは漁船と一緒に警備府は帰投するために北上する。
一帯には敵が潜んでいることも無いらしく、彼は私達を漁船に引き入れて帰るように取り計らってくれた。
響ちゃんと大井さんは乗船して間もなく、医務室に連れられてしまった。バケツを用意していたらしく、応急処置をしてベッドで休ませようとのことだった。
「はぁ……」
私はデッキの上で暇を持て余している。船尾の方で手すりにに寄りかかりながら水平線をぼんやりと眺めていた。
「どうしたんだい、電」
「いえ……、なんでもないのです」
「……二人を残してしまったことが気がかりなのかい? それとも――」
医務室で二人を安静にさせて一息付けたのか、船室から出てきた彼は『天龍や夕立の判断が解せない、かな』と私に投げかけた。そして、その問いかけに応えることに時間をかけている私の左隣まで進んでくると、手すりに背中を預けるように寄りかかりこちらを見遣った。
「天龍に許可を出したのは僕だし、僕が現場にいてもそのように指示したよ」
彼は私に伝えた。
「あの状況では君が適任だった。それ以上でも以下でもない。君は忠実で良い仕事をしてくれたよ。ありがとう」
「……」
それでも私はまだ腑に落ちなかった。適任だった。それはその通りなのだろう、それでも二人を残すこと自体が私自身の負い目として感じられる。命令だからとか、適任だからとか、そういったもので許されるようなことでは無いと思えたから。
「困ったねぇ。納得できないかい?」
「それはそうなのです。まるで逃げてるような、置き去りにしたような、そんな気持ちなのです」
そう吐き出すように言い返すと彼は『難しいねぇ』と呟き、いつの間にか咥えたタバコに火をつけた。
「実際、君と雷をバラけさせたのは、それぞれで遅滞戦術や今みたいな一部後退の必要が生じる可能性を危惧したからなんだ」
「……なのです?」
「最悪の想定としてだけどね。今回は酷い方に転がってしまった。申し訳ない」
私は何を聞かされているのか、よく分からなくて思わず生返事を返した。
目線の先では白い泡が海面上に道を作っている。
「恨むなら僕を恨み給え。僕はこれからも君に酷い役目を押し付けようとしている」
「それはどういう――」
私が言い切る前に彼は答える。
「……今の女川は僕の不手際で戦力拡充も難しい。その中で上は攻勢に出ろとのことだ」
いつの間にか、私はフェンスから離れ彼の横顔を見上げていた。
「不手際とは一体どういうことなのです?」
「そうだねぇ。お上の眼鏡にかなうよう殊勝さが足りなかったらしいね」
「それは不手際とは……」
「いいや、不手際さ。君に惨めな気持ちを押し付けたという結果を残してしまった」
彼はというと今では一向に私に顔を合わせてくれない。
群れを外れたウミネコの鳴き声は私と彼の間をすり抜けていった。
「君には……、いや君だけじゃないね。君らには無理を強いてしまうことになる。その上で、頼まれてくれるかい」
皆、自分勝手だ。私の役目を決めつけて、出来るからと頼りにするからと押し付けてくる。戦中の駆逐艦だった時のことを引き合いにするか、私の性格や性能を理由に、だ。
「……納得はまだできません。でも、分かったのです」
そう、分かっただけだ。拒否権などないなんてことはよく知っている。上位下達、基本的に軍属するもののドクトリンはそれだ。
「申し訳ない。ありがとう」
「謝られたところで、白々しく聞こえるだけなのです」
「……それもそうだねぇ」
彼は空に口から吐いた煙を混ぜて、寄りかかった背中をフェンスから引き剥がした。
「……いずれにせよ、君は最後の頼みの綱さ」
「最後の……?」
「そうさ。僕は自分を制しながら、限られた手札で最善を模索しなければならない。酷いエゴだが、君は一つの希望なのさ」
彼はまだ吸えるであろうタバコをぐしぐしと携帯灰皿に押し付けてその中に捨て、一時の間私のことを見つめて船室へ足を向けた。
ぽつりと呟きながら。
「自制か――」
――――――
――――
――
デッキの上で見る泉司令官は執務室や波止場での印象よりも弱々しく見えたのでした。当時の私には理解できませんでしたが、それは司令官なりの誠意だったのかもしれません。そうあらねばなるまい、と普段から自分を厳しく制する姿勢を見ていましたから、そのような弱音を吐露することは彼の主義から外れることのように思えます。
そして、私がそう思える最大の理由は、船室に戻る際の彼の呟きが『僕は大概な未熟者だ』の一言だったことからです。
といっても、真意は分かりません。単純に控えめで甘えやすい雰囲気の私に頼っただけのことかも知れません。
ただ一つ言えるのは、それ以来、自分を制するということが私の中で一つの大きなテーマとして横たわったことです。それは今でも変わらず、日に日にどうすれば良いか考えるものです。
長くなってしまいましたが、筆をとってみればあれもこれもと思ってしまいます。とは言え、乱文を書き連ねるのも宜しくありませんので、雷のエピソードの一助としてここまで書き綴らせていただきました。これが少しでも中津海様の仕事の助けになれば幸いです。
重ねて、これから本格的に寒くなることでしょう。お体に無理をなさらずにお過ごしください。
またお会いできる日まで中津海様のご健勝をお祈りし、この手紙の終わりとさせて頂きます。
敬具
11月14日
暁型駆逐艦四番艦 電
中津海 日凪 様
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僕が手紙から目を離したのは秋の様子を奏でるピアノが最後の一音を鳴らすと同時だった。
「手紙にはなんて?」
「うん、僕の記事ネタを提供してくれたみたい。雷姉さんの話と合わせて2〜3回分のご飯の種になりそうだよ」
「ご飯の種なんて! でも、あなたの助けなったのなら嬉しいわ。電ちゃんも喜ぶと思う――」
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僕らはそのあともう少し喫茶店に居座って昔話や僕の今までの話に興じた。
最後、別れを惜しむ雷姉さんが何度も振り返りながら手を振る様を地下鉄の改札機越しに見届けて、漸く僕は帰路に着くことができた。
今日一日で二人分の大切な記憶を受け止める事になった僕はなんとなく感傷的で、直ぐ帰るには勿体ない気分になっていて、碌に進んでもいないのに橋の上で足を止めてしまった。
ふと、思いつきワイヤレスイヤホンを耳に閉じ込めて、さっき喫茶店から流れていた秋の歌を多機能な携帯電話から流してみた。神田川に一瞥をくれると紅葉が散らばって曲の雰囲気に実に合っていた。
とても寂しげに揺蕩うのは曲のせいなのか、僕のせいなのか。この風景だけは少し好きになれるかも知れない。
いずれにせよ、僕は今日のことを忘れることはないだろう、と強く思い、川の沿いの道を選んで歩く事に決めたのだった。