「おう、そこに座っててくれ」
場所を違え、僕は今、簡素な会議室のようなところへ来ていた。折りたたみ式の白い会議机にキャスターのついたイスが並んで配置されている。座面が黄緑色で少しカラフルだ。室内は天吊りのプロジェクターが息を殺しており、大画面のディスプレイが置いてある壁の窓側にスクリーンが張ってあった。
あの店での会話は殆どが世間話だった。主に僕のことを喋る機会が多かったことから、人となりを見極めるのが目的だったのではと察せられた。仕事のことや雷姉さんとの関係、好きな食べ物から嫌いな映画まで。そこまで喋ることが好きではない僕があれだけのことを話したというのは、彼女の聞き上手で快活なレスポンスあってのものだろう。アルコールの勢いもあり、良い気なもので時間を忘れて歓談に没頭していたというわけだ。
「さて、ちょっと足労して貰って悪いな」
そう言って一言謝りながら、『内容が内容だからよ、念のためにな』と連れてこられた理由をひけらかした。
ここは米軍駐屯地である横須賀海軍基地の敷地に居を構える施設の中で、恐らくは海自が使用している方のものと思われたが、詳細は分からない。とりあえずは、天龍さんにはこの周辺を自由に行き来できる権限を与えられていることは明確だった。
「それで、聞きたいってのは泉提督のことでいいか?」
「そうですね。もう個人的な興味といった範囲ですので、差し支えなければといったもので」
「まぁ、お上から止められちゃあな、仕方ねぇさ」
『んじゃ、何から話すかねぇ』と口元に握った手を当てて、俯き加減で彼女は記憶を引っ張り出そうとしている。僕はその対面に座っていつでもメモができるようにと手帳とペンを取り出して、白面の上に並べた。
「あいつは……、そうだなぁ。言い方がちっとあれかもしんねぇけど、バカなやつだったよ」
「と、言いますと」
「馬鹿騒ぎが好きで、馬鹿正直で、向こう見ずなバカだったのさ」
『ふむ』とその意味を咀嚼する。
「話を聞く限り、確かに突拍子もないアイデアを実践するような方だという印象を受けますよね」
「ううん、考えてることは至極まともさ。ただ、誰でもリスクとして判断して普通は躊躇するところを、躊躇なく行動に移すことが出来るから印象として突拍子もなく映るのさ。まぁ、あいつにとってはリスクですらなかったんだろ」
「はぁ」
「例えば、だ。聞いたかどうか知らないが、
「らしいですね」
「うん。で、攻撃されるかもしれない海域、つまり、敵が補足できるかできないかの範囲まであいつは出張って来たりするわけだ。ちょっかいをかけにな」
「……」
「確かに、攻撃されるかもしれない、とは言ってもタイムラグはあるもんだ。砲撃だって打ちゃ当たるもんでもないし、航空機だって移動の距離がある。それなりに護衛だって用意するんだから、そうなることは確率的には思ったよりも低いんだろうさ」
「自ら囮になる、と」
「指揮官が自ら囮になるなんてちゃんちゃらおかしいけどな」
静かに僕を見据える瞳は楽しげに光る。
「なんでも、効率よく確実に打撃殲滅可能なら替えの効く自分がコストとしては安かろう、ってな」
「自分が死んでもってことですか」
某アニメーションの青髪のヒロインを思い浮かべた。
「代わりは居ねぇけどな。溜まったもんじゃないぜ、全く」
「天龍さんとしては、後釜は誰に務まるものでもないと……」
「そもそもの話、船乗りっていうのは向き不向きがある。特に海軍……海自か、今は。それらと俺ら艦娘の中じゃ、『スマートで、目先が効いて、几帳面。負けじ魂、これぞ船乗り』なんてことを言ったりするわけだが……」
「標語のように聞こえますね、こうあるべきという」
「そうそう標語な、標語。そして、意味する所はその通り。物事を俯瞰して観察し、必要になることを事前準備して、目標を達成たらしめるために継続的な努力をしなきゃいけない。海上じゃ逃げ場もないんだ。各員との協調も取る必要もあるから、図太さも必要だしな」
「なかなか耳に痛い話ですね」
「まま、お前さんは船乗りじゃないんだから。世の中色んな性格も必要ってことよ。んで、話を戻すと、戦闘というか戦争というか、そういう類は殊更に複雑さに助長をかけるんだ。集団行動を統制するのだって一苦労さ」
「でしょうね」
「そうなると、提督という立場には必要な要素が通常の職業よりも多いんじゃないかってのは思うな。そして、その特殊性は誰にでも当てはまるものじゃない」
「確かに……。僕なんかは門外漢も良いとこですし、じゃぁ、何をしているんだって具体的な所は、想像することも難しいですね。そもそも命の危険にも直結するなんて考えただけでも身震いしますよ」
「そうだろうな。命をベットしなきゃなんねぇ世界なんて経験しなくて良いならその方が良い」
彼女は黙って首肯を示す。
「そして、当時のことだが、元海自……海軍……、なんだろうな、大本営所属が1番良いか、それの人間も実はそこまで多くは提督の立ち位置になれなかったんだ」
「というと?」
「俺らの艤装は妖精と呼ばれる存在が動かしてくれる。艦娘としての生が長ければ練度もより高まり、まぁそれがイコール俺たちの練度、レベルといったものさ。そして――」
そうして聞き慣れないというか、メルヘンな雰囲気を持つ言葉が僕の耳に飛び込んでくる。
「――妖精の存在を認められるか否か、見えるとか感じるとかそういったところも提督の資質に関わるわけよ」
「…………。妖精……ですか……」
「ま、それを信じるかどうかはお前さんに預けるが……。泉提督に関しては、大本営所属連中の中としては、その存在を肯定していたわけだ、見えるか見えないかは別として」
「なにか信心深かった感じなんでしょうか」
「いやいや、そんな感じじゃなかったな。なんだっけ、北上あたりが言うにゃ、『君らが妖精の存在を認めるというならそうなんだろう』なんて事を言ってたらしい。俺の記憶でも、少なくとも、積極的な否定はしなかったしな……」
「なるほど、そして今でも妖精が?」
「そりゃそうさ。
「はへぇ……」
凄まじくオカルト染みた話を聞いて、気の抜けた返事を返してしまった。いるとは言うが、にわかには信じ難い話だ。そもそもその妖精とは一体……。
「まぁ、そういう反応になるよな……。生き死にをどうにかする時に、信じられないものに命を預けたくはないだろうし。そう言うわけで、艦娘らを指揮して軍事行動をするってのは、そういったおとぎ話のようなことも飲み込めるやつじゃなきゃ出来ないってこった」
「うーん、なんとも現実味が無く感じます……。ちなみに、その妖精を信じていない人が指揮をとったらどうなるんですか?」
「うーん」
彼女は上を向いて浮かぶ言葉から最適なものを選ぼうとしていて、僕は反対に机上の紙に書かれた妖精という文字をぐるぐると黒く囲んでいた。
「機能はする」
「……?」
端的すぎる回答に僕は首を傾げた。情報が鋭利で具体的なところが見えてこなかった。
「それなら、別に問題はないような気はしますが……」
「なんだろうな、海に浮かべるし砲弾も撃てる……。ただ練度が上がらない」
「練度が」
「練度と言っても俺たちの経験としては積み重なってるものはあるんだが……。そうだな、砲撃が分かりやすいな」
「はぁ」
「撃つって作業も経験やコツ、慣れってものがある。自転車だってそうだろう?道具を使うってことは、それを理解して、最適な行動を覚えて、初めて実用的だ」
「ははぁ、なるほど。艤装を動かすのは妖精で、その妖精の練度が上がらない、と」
「そう。よりにもよって敵を打破するために1番必要な作業の練度だ。空母なら航空部隊や管制だし、駆逐艦や潜水艦はレーダー、魚雷射出だ。色んな諸作業を担ってくれているし」
「それ用の人員として働いているんですね」
「そうさ。砲撃一つ取っても分解すれば、目標の観測、弾道計算、砲塔の俯仰や旋回調整、砲弾の装填と射撃指示。打ち終わっても弾着確認と、ぶち当たらなかったらそれを繰り返すために連絡だ」
「ふむ、そんなに沢山やるべきことがあるんですね……。なんだか艦娘がキャプテンで、妖精はクルー、みたいな感じに思えます」
「あぁ……、ざっくり言えばそんな感じか?多分? ま、いずれにしても司令官が部隊や部下を信頼しないと士気が上がらないってのは、人間も一緒みたいだしな。多分、そうなんじゃねぇかな」
詰まる所は、自分を認めてくれないなら言うこと聞かないぞ、ということらしい。なんとなく納得すると同時に、さっきまでぼんやりと実態のないものだった妖精が酷く人間味のあるように思えると共に、それを羨ましいとも感じた。
「……拗ねて言うこと聞かなくなるって言うのは、なんだか人間臭いですねぇ。妖精さん」
「知性があるなら、出自はともかく同じ様なもんだと思うけどな」
「確かに。しかし、そうなるとよく分からないけど信頼すると言うのは相当な度量が必要ですよね」
実際問題、目に見えないようなものを信じることは難しい。細菌などの微生物も今では顕微鏡で目に見えるからこそ、その存在を認めるのは容易いが、昔にはそれらが引き起こす風邪や病気は祟りや天罰と思われて来た歴史もある。ましてや、妖精などの存在を信じるなど現実主義的に動くべき軍隊の世界では、難しいと言う言葉では足りないほどだろう。
「そして、提督と呼ばれるにはそういったものを飲み込んで御さねばならないと」
「その通りさ。上に行けば行くほど政治的な思惑もよく考えなくちゃならねぇしな」
「難儀なものですね」
組織というのは別の思考を持つ人間の集団だ。そして、人が3人以上集まれば派閥というものが出来上がる。それらの指向性や好みなんてものが絡み合いながら、国土や国民を守るためのなんたらも加味すれば、政治的立ち回りなんかも複雑極まりなことなど想像に難しくない。そこへよく分からないけれど、ストライキをするような超常現象も相手にしなくてはならないなど……。
思わず僕は当事者でもないのに顔を顰めて、いかにもげんなりとした、と言うようにため息を吐いてしまう。
「くくく。幸運が逃げちまうぜ?そんなだと」
「いえ……、失礼しました」
「構わねえよ。昨日から味わってんだろ?政治的ななんちゃらってのを。ため息も出らぁ」
彼女はからから笑いながら立ち上がり、その背後にある鼠色をしたスライド式の棚を左に引いて、中からなにか金属質なものを取り出す。
「ほら、気分転換に」
安っぽい鈍い銀色の皿を机の上に置く。4方向に1センチ程度の溝があるそれは、どう見ても喫煙具の一つだった。しかし、決して汚らしくなく、よく清掃されており汚すことに戸惑う。
「いや、ここって禁煙なんじゃないんですか?」
「大丈夫さ、文句言われるのはもう慣れたしな」
彼女のジャケットに縫合されている胸ポケットの不自然な膨らみは、白地に赤い丸が特徴のボックスパッケージのものだ。その固い長方形からチャコールフィルタの付いた紙巻きを取り出し、唇で受け取っている。
「ぶっちゃけ、吸いたいのは俺だ」
先に火をつけた彼女の口元から紫煙が立ち上る。その匂いにつられて僕も一服することにした。
「それで、どこまで話したっけ?」
「泉さんがなかなか特異な方だと」
「そうそう、そんなだからな、替えが効かない。それはさっきの話に重ねて、船乗りとしての経験の有無もある」
「そうなんですか?」
「夕立から自慢げに何度も聞かされたんだが、泉提督は深海棲艦が出現する前は、護衛艦に乗っていたんだと」
「護衛艦ですか」
「そう.紆余曲折あって護衛艦ゆうだちに2回配属されてる」
「ゆうだち、ですか。駆逐艦と同じ名前なんですね」
「同じ名前というか、襲名みたいなもんだ。験担ぎとかな。で、あいつは下積みもして、防衛大にも入ってる。生粋の船乗りなんだろうな」
「経歴としては叩き上げだったと」
「そうだな。俺とあった時が三十路くらいか?そう考えると、状況も異常とはいえ異例とも言えるよな。船を動かすことから、集団を指揮することまで一通りさ」
タバコの煙が揺れて葉だったものが灰になっていく。弾くと散らばるので縁にタバコの先端を転がす様にしてそれらを落としていく。
「なるほど……。その話しぶりから推測しますが、同時に提督と呼ばれる人でも、船に乗ったことがない人もいたんですか?」
「あぁ、居るぜ。当時は、そうだなぁ。半分くらいは海に出たた経験のあるのもいたが、今となっちゃ殆ど海上に出てこないな。船乗りと提督はもはや別物になっちまった」
「やっぱり海が危険だからですか? でも、深海棲艦の件も落ち着いているわけですよね」
「軍人や自衛官が危ないからって引っ込んでたら、有事に機能しそうにねぇな。うん、結局、妖精の存在をどうするのかという話と海岸警備の人員の都合もあってな、色々な建前と口止めという条件があるにしても、一般公募から勤めることが多くなった。もしくは見える見えないの資質に左右される面が大きくなったと言い換えてもいい」
「見える人なんて居るんですか?」
「見えるなんて言ってるやつのその殆どは法螺吹きさ。女子供に囲まれたいっていう変態願望を叶えたいやつらとかな。でも、ほんの一握り、見えるやつは居る」
「居るには居ると……。しかし、殆どが女目当てで嘘をつくとなると業の深いことですねぇ……」
「ホントだよな、全員が変態ではないとは思いたいが。訓練や教育もある程度やらされるんだが、その原動力だけで通過する奴には、多少の尊敬はしてやってもいいかもしれねぇけど」
「変態に守られる国」
「流石にそれは失礼だ。空陸海と変態だけじゃねぇんだから」
話を聞くうち、当時の人員確保のハードルの高さに上の人たちも頭を悩ませたんだろうと思った。妖精の存在を信じているメルヘン人種か、ハーレム願望というカルマの負債者をせめて戦える様に教育するのは心が折れそうになるだろう。
冗句の一つも飛ばしたところで、『そんなもんで』と彼女は続けた。
「艦娘であることは伏せ、"女子候補生らを教導する人員として" 公募したわけだ。面接の時なんか、『ここで見たこと話したこと、口外することはできません。それでも良いなら』って誓約書のサインから始めるらしいしな。ちなみに次の質疑は『あなたは妖精を信じますか?』だ。気が狂ってるよな」
「いやぁ、そんな面接受けたくないですねぇ……。怪しすぎる。いつの間にか壺でも買わされそうです」
「クーリングオフも適用外ときたもんだ。……まぁ、そんな状況を話せば分かると思うが、提督という立場になれる奴らは用意されていたが、 "使える人間" が少なすぎたわけだな」
「戦果も挙げられないでしょうしね」
「そもそも戦果どころか、軍事行動もままならないぜ」
「あぁ、目に浮かびますね。ふためくところが」
「そう、しかも、艦娘側よりも軍人側の方が外出の条件が厳しいんだ。ほぼほぼ軟禁状態だぜ」
「機密も機密なら逃亡阻止のためにも……、でもそれ違法ですよね」
「被害届が受理されれば、あるいは」
「さいですか」
そんな状態だったとはかなり切羽詰まっていたらしい。もしかすると今もだが……。
僕らはただ生活をしていただけだったけれど。そして、これの弊害で僕と泉さんとの接点もほぼ断たれてしまったと考えると、人との関係にまで口出しと統制をするのもいかがなものかと少なからず憤りを感じた。
彼女もそれはそれで考えることもあるらしく、ぼそりと『弊害も色々あるんだがな』と溢した。
「まぁ、それはいいだろ。話す機会があれば話してやるよ」
「そうですね、是非、またお会いしたいところです」
そうするとにまっと笑って彼女は指先で透明なグラスを摘んで口元に注ぐジェスチャーをする。
「……待ち合わせはまたあの店にしましょう。なるべく僕の給金が入った直後で」
「おっと、悪いな。気を効かせちまったか? と言っても1杯くれれば十分さ」
「あぁ、1杯分はこちらに付ければと」
「そゆこと。奢り奢られはそれなりにあるさ、覚えといても損はないぜ。特にバーで目についた女にとかな」
「……なんか、親父くさいですよ、発想が」
「そうか?悪い悪い」
悪戯が成功した様な笑顔で謝る姿に謝意は無いけれど、さばっとした性格や面倒見の良さ、愛嬌が憎めなさを形成しているんだろうなと思った。事実、僕はそこまで悪い気はしていないのだから。
「それでだ。なんだっけ」
「状況が悪いと」
「そうだな、それで……。うん、今思うと『代わりは居る』っつーのは皮肉だったかもしれねぇな。まぁ、それはいいとして――」
「――機を見るに敏でユーモアがあって、俺らのケアにも気を遣って……少しずれてはいたが……。とにかく、俺が下で使われて心地よかったのは間違いなく泉提督が1番だったね」
紙巻きの形を崩さないように丁寧に火を消す様は、懐かしさに感じ入ってる風に見えた。彼女にとっても特別な間柄だったことが強く分かる。
ここまで、雷姉さんとの話との記憶と照合すると殆ど合致しているし、寧ろよりその話に肉が付いて存在感は増した。自分の血縁であるというのに存在感が増すというのも変な話だが、泉さんとは面識が全くないこともあり赤の他人も同然だ。恐らくライターをやって、この1件に興味を持って、と縁が繋がらなければ一生そのままだっただろう。雷姉さんも泉さんとのことは詳には喋らず、何かしらのわだかまりや事情があるのだろうが、『そんな人がいたんだね』程度のものだ。
妖精のくだりは初めて聞いて驚いたが、そもそも艦娘自体も似たような存在であるのだから、そういうこともあるかと納得する。
さて、提督としての一面は表層だけではあると思うが窺い知ることは出来た。ここをより深く知るにはこの時間だけでなく、より長期的に交流を続ける必要がありそうだ。なんなら天龍さんだけでなく、他の艦娘や同僚の方、上下左右関係者に話を聞くことが必要と思える。あまり時間を頂いても宜しくないので、少し違った切り口で人物像を伺ってこの対談を終わらせようと僕は口を開く。
「……前より、泉さんという人物が見えてきた気がします。時間も遅くなりますし、最後に泉さんの趣味や嗜好なんてものが分かったらお聞かせできますか?」
「趣味嗜好ねぇ」
「どんな食べ物が好きだったか、とか些細なことで十分です。それだけでも人となりは浮かんできますしね」
「はぁ、そんなもんか? 仕事柄なんだろうけど、それも面白い特技だなぁ……。 そうだなぁ、喫煙者だろ、ほらお前さんと同じ奴を吸ってた。あと紅茶やコーヒーの嗜好品をよく調達してたぜ。肉より魚が好きで、鯖の塩焼きを好んでた気がする。2品選べるときは必ず鯖食ってたしな」
手早くメモを残しながら話を引き出すことは僕らの本分というもので、僕は手元も見ずに走り書きをしている。
「鯖の塩焼きというのがすごく庶民的な感じですね」
「確かに。ビーフストロガノフとかなんか、横文字の料理が好きそうな雰囲気出してる癖にな」
「強そうな横文字の? ザッハトルテとか」
「そうそう! そんな感じだ」
少し前のめりに天龍さんが話し込む。
「しかし……、天龍さんはかなり生き生きと話してくれますね。雷姉さんはあまり、話したがらないみたいで」
「ん……。そうだな、それぞれ色々と思うところもあるんだと思うぜ。ほんと色々」
「そうですよね。あまり込み入ったとこも聞くのは難しいことなのかも知れませんね」
「…………」
メモを見ながら、こんなところまで聞ければ良いかとペンをこつこつしていると、変な静けさと視線の強さにふっと顔を上げた。
天龍さんは少し睨め付けるようにして僕を見つめた。
「雷と仲良くしてくれてるんだな」
「え……、ええまぁ」
「あいつの事は、なんだ、大事に思うか?」
「……まぁ、そうですね……。なんというか、呼ぶときも分かるように姉のような存在ですからね、大切な家族のようなものです。最近は特に」
「そうか……」
『もう一本分付き合ってくれないか?』と彼女にお願いされる。差し出されたタバコを指に受け取り、話を聞くことを示した。
「オフレコだ、俺から聞いたとかは言ってくれるな。ただ、あいつが打ち明けるかどうかは分かんねぇし、なるべくなら昔のことは思い出させたくねぇから。お前さんの口からそういった類を話さないようにするため、そういった前提で話すんだが……」
「分かりました。胸に沈めて口には出しません」
「重畳だ。……あいつは直接的に響と、間接的に暁を亡くしてる」
「それは……」
「あいつの姉にあたるところだ。まぁ、それ以外も艦娘続けるのが嫌になった連中もザラにいるが、やっぱり同時期の姉妹なんだ。特別だろう」
「……」
「笑い話にするにはちっと重てえんだ。でも、まぁ2人とも悔いのない最期ではあったろうぜ」
改めて、僕たちはタバコに火を灯した。先ほどのタバコの煙もまだ残っており、部屋はほんの少しだけ霞みがかっていた。
「……天龍さんは最期の時を看取ったんですか?」
「そうだな、雷の代わりって訳じゃないが……、響はシーレーン解放の最終任務の時に、同じ部隊だった。満足気に沈んだんだ、悪くないだろ」
「悪くないって……、そんな、どうでしょう、なんかあまり良い言葉が見つけられないですが……」
「言い方だろ? でも、そう言わなきゃやってられねぇのよ。悪くない、悪くないはずだって」
『少なくとも笑ってたさ』。そう言った彼女の手元は先ほどまでの吸い方と違い、手で口元を覆うようにしていた。指の股にタバコを挟み喫煙はしているものの、その実は表情を隠したそうな所作だった。
「……そうですか」
「暁に関しては、国交も復旧したくらいの時に、見るものも見たってんで自己申告による解体願いさ」
「解体……ですか?」
「あぁ、知らねぇよな。俺たちは解体すると幾らかの鋼材や燃料になるんだ」
「資材になるんですか?」
「そういうもんなんだ。理屈は俺も知らねえけどな」
「はぁ……、で、そうなることを望んだと」
「だな。事実上の安楽死なんだが、俺たちも寿命がないからな。かといって、別に心が永遠に健康ってこともないからさ……。そこんとこは少しお前さんたちを羨ましく思うぜ」
一点、先を見る。じりっとタバコ葉が灰になりグレーのチリが灰皿に落ちた。彼女に貰ったものはいつも吸うやつとは全く違う香りで、少し棘を感じる喫味だった。喉の水分を奪うせいか喉のチクチクとした違和感がある。
「……そう言う事で、あいつには昔話は止してやってくれ」
「分かりました。心に留めて置きます。なるべく、今の話をしないといけませんね」
「そうしてくれ。どうなるかは先のことは分からないが……、仲良くしてやってくれると俺も嬉しい」
「……はい」
丁度、1本分だった。
「湿っぽくなって悪いな」
「そもそも、僕が話を聞きたいと言ったわけです。寧ろ、長いこと時間を割いていただいてありがとうございます」
「いやぁ、お前さんが聞き上手だからな。偶に来てくれよ、話すだけなら話してやるさ。どこまでが口外できないか含めてな」
「いやはや、そこまでしていただけるとは。大変助かります」
「……血縁にも何も伝わらないってのも可笑しな話だからな」
そうして僕らは席から立ち上がり、それぞれの場所へ戻ろうとしていた。
「しかし、話をするのはいいが、ネタにはなんねぇんだろう? 聞いてくれるのは嬉しいが……、あんまり意味はねぇ気がするが」
「そうですね――」
『いいのか?』と言いたげなその目に僕は返して言った。
「縁は大事にしようかなと。あと、大切な人が日陰者を押し付けられてるのは、やっぱり……」
扉の前で彼女はきょとんと僕らを見た。こうしてまじまじと見ると大きな瞳をしているのだなぁ、と場違いな感想を心に浮かべていた。そして、次にはくしゃっと破顔させた彼女は僕の首周りに腕を絡ませて、まるで酔っぱらいのからみ酒の様相を僕に押し付けた。
「男の子なんだなぁ、えぇ?」
「ちょっと……もう!」
僕は揉みくちゃにされ、突かれて、シャツもくしゃくしゃになっていた。なんとなくアルコールの香りが鼻をくすぐる。
「そんなにアルコール残ってるんですか? 結構、時間経ってると思いますけど」
時計はもうすぐ23時を通り過ぎようとペースを上げていた。
「現に浮かんだ夢みたいなもんだぜ? アルコール関係なく酔っぱらいみてぇなもんよ」
そして、そっと彼女は腕を外して、今度は僕の乱れた襟元を正してくれた。
「悪いな、久しぶりに楽しかったのさ――」
――――――
――――
――
その後、彼女は施設の外まで見送りで付いて来てくれた。もっとも、彼女が居なければ退場も難しいのだろうが。『本当は遅くまで残るなら申請してくれないと困るぞ』と門のところで警備にボヤかれて、拝み倒している天龍さんは中々にコミカルだった。
帰り道を控えめに横切る夜風は火照った体に心地よく、アルコールの混ざった吐息は春の月に溶け込んでいく。その様に目が釣られ、上を眺めるとそれは夜桜だった。少し立ち止まる。
今日、見聞きした話を少し夜桜の花弁に浮かべて、酔った頭をほぐすこと予定変更した僕は、おあつらえむきなベンチを見つけて、手近な自販機で缶コーヒーを買った。
「がこん」
そうして、アイスのブラックコーヒーを手に入れてベンチに尻を落ち着けると、脹脛から疲れがどくどくと流れ出していくのを感じた。
図らずも4人分の最期についてを受け止めることとなった僕の心は、どこか夢心地で、どこか冷めていて、どう反応すればいいものかを思料しているらしかった。
「風流だねぇ……」
響さんと暁さんの話は、何故だか今日の相模三浦氏の話と重なって聞こえた。本質的には違うことなのだろうけれど、今日一日というフィルターの効果か、僕の中ではしっくり来るものだった。
では、雷姉さんは、電さんはどうなのだろうか。
同寸の縁者は城から落ち延びるようにと逃げたとのことだか、一説に寄れば道中、産気づいてしまいそのまま死産となったという。そして、残された子も失った彼女は川に入り命を絶ったと聞く。
もしもこの女性が無事に逃げられて子を残せたとしたら、どうだろうか。
一時は子を産んだ安心感もあるだろう。しかし、その後の歩みは生き辛いものになるのではないだろうか、愛する人も寄る方になるモノも無く、赤子を抱いて生活するなど。もはや、敵に見つかればきっとただでは済まないし、敵で無くとも悪人であれば容赦なく食い物にするだろう。
即ちそれが姉さんであり、電さんであり、天龍さんなのではないだろうか。人を守り、血を流して、そうして返すものがこんなに日陰の道だけだというのだから。やはり、人の世は理不尽なのかも知れない。
「きみがよは ちよにやちよに よしやただ
うつつのうちの ゆめのたはぶれ」
ふと、思い出すのは荒次郎の辞世の句だった。世の理不尽に転がされるなら、現実で生きるのも、夢で戯れているのも、所詮は同じことなのかも知れない。
――ホテルまで後もう少しではあるけれど、僕の "ゆめのたはぶれ" はもう少し長引きそうだった。
どのくらい長引くか、見当もつかないが、もしかするとと、僕はナニカを予感している。
兎も角、今日のところはこの缶をゴミ箱に捨てるまでと決めて、僕は現からしばし離れて夜桜に霞みに掛かる月光を紫煙の向こうに楽しむことにしたのだった。