日付が加算されてもうすぐ1時間ほどが過ぎようとしている。時計は相変わらずかちかちと音を立てていた。
デスクにはまとめ途中の深海棲艦の資料が散乱していて片付けなければとため息を吐き出す。俺がこの横須賀基地でやっているのは、生態の研究を纏めたり、対深海棲艦を想定した海上行動だったり、次に備えるようなことだ。シーレーンは正常化し国交が復旧したとは言えリスクを孕んでる以上は常に対策をしなければならないとかなんとか。いつ何時に襲撃があるか分からないという建前の元、飼い殺しされている。ここに居ることは自分が望んだこととは言え、退屈なことには変わりはない。
あのひょろっとした男。中津海が会いに来た日は久しぶりになんだか楽しかった。あの日はバーで世間話に花を咲かせたり、この施設に連れ込んで真面目にインタビューを受けたりしていた。多少の親交はあるものの雷とも場所は離れ、メールや電話など間接的なやり取りが多く、彼女の性格と過去のことから生き辛い状況ではないかと心苦しくなることが、思い出すたびに幾度あったことか。顔を突き合わせて分かることもあろうもので、彼女がどんな状態でどんな気持ちを抱いているのか、彼の話を通してだが、その一端を知ることができて安心はした。電も元気そうにしていることも、俺の心を勇気づけてくれる。
彼も可哀想に。
縁とは言っていたが、その実は俺たちの事情に巻き込まれているようなものだ。懐く相手を間違えたのだろう、もしも雷が彼の日常と共にある幼馴染のような存在であれば、もっと明るい時間を共有することができたであろう。何故、俺たちが生まれて、魂を与えられ、記憶を蓄積するような存在になってしまったのか。何故、彼と雷が出会って仲良くなってしまったのか。その様は掛け違えたボタンに似ていて、無理やりに引き寄せあっているとも感じた。しかし、そうだとしたら、確かに縁であるかも知れない。酷く歪な縁。
――ただの兵器であれば良かった。一切の意思もなく目的も持たず、ただ人が使うための装置としてだけ在れば、こんなにも切ない思いをしなくて済んだというのに。太平を得るための道具では駄目だったのか、神が居るならば問い質したいと強く思う。
幾たび目線を投げたか分からない、その先にあるデスクの小さな写真たてを見つめる。古く色褪せてしまったその表面に懐かしい記憶が切り取られていた。
「何が間違ってたんだろうな」
語りかける先の妹は声を返してはくれなかった。
多分、何かが間違っていたのだ。何かの冗談だったのだ。徒にこの姿形に詰め込まれた魂はきっと、本当は、母の胎に招かれて、普通の人間として生まれていたのではと半分願いにも似た考えを持ちたくなる。しかし、輪廻の中へ帰ることも踏ん切りが付かない俺は、しがみつくようにしてこの研究を続けるのみ。
深海棲艦が人間の男性に執着する理由は分からない。それは何か強烈な恨みや呪いのようなものがあるのではと勘繰りたくなるほどで、結局彼らの考えるところが明かされなければその目的など、永遠に分からないのだろうと心の中で結論をつけている。母なる海とは全ての生き物との関係で人間というものへの酷い失望と、身勝手な行いへの対価として生み出されたのかも知れない。謂わば地球の自己防衛反応として。女性への被害が少ないのは、彼女と同性であることからの慈悲か同情か。といっても、全てを壊されてしまったのであれば残されるのは緩やかな絶滅であることには変わらない。
ぐるぐると詮無い考えが俺の頭を巡っては、視界へ影響を与える。アルコールなど、別に体内に入ろうが
――目を閉じる。
雷が後方を任されることが多くなったきっかけのことを喋っていた。よく話せたものだと思う。自分の弱みを曝け出すと言うことは心が強くなければできないと思う。
瞼に映すのは11月の海。それは色々とありすぎた日のこと――。
――――――
――――
――
――目の前の奴らに気を取られ過ぎていた。
「大井!!」
死角から発射された魚雷が発したものであろう水柱が大井の方から立ち上がる。その破裂音と落ちて海面を激しく叩く水音は爆発の威力を物語っていた。
「天龍さん! 前なのです!」
一瞬だけだが、目線を取られた隙に乗じて奴らは俺を目がけて機銃の掃射を放つ。身を捩り射線から逃れようとするものの左肩から先に損傷を受けた俺は、歯を食いしばりながらなんとか体制を立て直す。
奴らは時間を稼ぐ目的を隠しもせず、回避運動に徹しており反撃しようと銃口を向けるも嘲笑うかの如く離れ、じぐざぐに進路を変更している。
「なんとか……大丈夫よ……」
掠れた声は苛立ちを隠せないようだった。
「大井さん、無理しないで」
「ええ、ありがとう」
「……ナイスだ、響」
どうやら響のカバーリングが間に合ったところか。直撃する前に魚雷を割り込ませることにより大破轟沈は回避できたが、爆発の余波はかなりものだったのだろう。大きいリスクを負った状態で、シビア過ぎるタイミングを大胆に制した胆力に舌を巻いた。
「
彼女の涼しい顔をしながら銀髪を揺らして敵を見据える横顔に賞賛の拍手でも送りたいところだが、前衛部隊がちょっかいを出してくる以上は悠長なことはしていられない。
ひとまずは状況を纏め、伝達することを優先する。
「響、大井、損傷は」
「わたしはまだ動けるかな。ただ魚雷は出し尽くしたよ」
「……大井、中破よ。まだまだいけると言いたいところだけど、推進機関と脚部がダメね。艦隊行動についていけないわ」
「了解。電、二人を頼めるか?」
「任せてください!」
電もこの事態に普段からは想像できないほどの声を張り上げて頷いて見せた。安心して頼めそうなその凛々しい表情に俺も小さく顔を上下させる。
少し先では夕立が果敢に敵前衛部隊が攻めいることのないように足止めをしていた。たった一人、駆逐艦としての小さな体躯を最大限に動かして相手どる様は頼もしい。
「とりあえず、二人は戻すつもりだ。これから伝達して指示を仰ぐから、そのつもりで」
二人がそれぞれ首肯することを横目に見ながらその場を任せて前へ出る。その口元が悔しそうに歪んでいたことが移る景色少し影を残した。
耳元で無線ががなり立ててくる。よっぽど水柱が大きかったのか、動揺している声の主を宥めつつ、意識を切り替えるようにどんぱちを繰り返す前方に目を移した。小破程度とはいえ動きは鈍る。相手の頭を押さえることが精一杯だが、なんとか応戦し戦況を確認しながら連絡を続ける。
部隊の一部撤退は直ぐに了承された。直ぐに電に声を張り上げて戻るように促す。耳元の『前進し、射弾観測射撃を』の言葉に、扶桑は気の毒だなと苦笑してしつつ、猛る電を宥めながら説得をした。いっそてんでばらばらなと形容するに相応しい状況に、酷い戦いだなぁと場違いな感想が浮かんだ。
幸い、何事か電も落ち着いてくれたらしく、撤退の護衛を引き受けてくれた。帰ったらあの命中弾のことを褒めてやらねばなるまいと心に決めて、夕立に合流する。
「悪いな、夕立」
「んー、残念っぽい。合流までに仕留められなかったっぽいぃ」
「そりゃ良かった。俺も暴れたりねぇからな」
敵は少し離れたところに立っていた。様子見のつもりか分からないが……。
「やっこさん、我慢比べをご所望だが……」
「残弾は6割切った所、魚雷もまだあるわ」
なかなか激しい応酬をしていたように見えたが、やはり各方面の最前線へ駆り出されていた経験からか、無駄弾を最小限にしていたらしい。一体どれほどの経験と場数がその体に染み付いたのだろうか。
「俺もそんなに消耗してないが、燃料は?」
「がんばるっぽい!」
「いや、答えになってねぇから」
ふざけた会話ではあるが、確かにあの無茶な軌道を繰り返していては燃料の消費が激しいことにも納得だ。水上スキーならまだしも、自分達にはそんなご機嫌な推進装置は無かったと思うが……。しかし、そのお陰か偽装へのダメージは無いように見えるのは幸いだ。
「とりあえず、旗艦は俺が貰おう」
「ずるいっぽい!!」
「じゃ、スープと前菜をちゃちゃっと平らげちまえばいいだろう?」
見据える先、3つの陰が行動を開始した。先程と全く同じで左右に切り返しを行いながら運動していることを目視する。単縦陣、旗艦を先頭に駆逐が追従する形だ。記憶として染み付いているのか、はたまた前時代的な陣形を自然にとってしまう習性があるのか。
「じゃー、どうやって分断するっぽい?」
八重歯を見せながら獰猛な笑みを浮かべる同僚に、『分かってるだろ?』と口に出す。自然、俺の口角もゆっくり上がるのを感じた。
「やつらの隊列に突っ込んで、分断だ。シンプルだろ?」
俺たちは同時に駆け出す。射線を定めさせない程度に、幅を小さく左右へ振れる。
「ふふふ、素敵なパーティになるっぽい」
「だろうぜ、奴らの顔面にパイをデリバリーしなくちゃいけねぇからな」
「とびきり熱々のをお届けしなくっちゃ!」
「そういうこと、頼むぜ」
そうして、ほぼ同時に海面を揺らした俺たちは、向かう弾丸や砲弾を躱し、或いは弾き、至近弾が近くに着弾する前に駆け抜ける。なるべく最短距離。しかし、近づくにつれ命中弾と思しきものが目に見えて増える。それはそうだろう、遠方ならば角度や風向速の影響が大きく出るが、近づくにつれ主砲なり副砲なり適正レンジに侵入する形になる。それを駆け抜けるまでは、コンマ1秒も気が抜けない。
なるだけ海の波を味方につけて、重心の動きに左右だけでなく上下と緩急の要素を加える。捕捉されないように直進運動するという矛盾。俺も夕立くらい3次元的な動きができれば良かったが……、脚部、特に膝と足首への負担が重い。艤装の重さは馬鹿にできないからだ。
「そろそろ、インターホンを押す時間っぽい?」
海と空が過去へ流れる中でご機嫌な同僚に応えてやる。
「派手に行こうぜ」
「とっっっても!面白くなってきたっぽい!」
もう目標は目と鼻の先だ。機銃の適正レンジからも抜け出し、艤装としての砲塔なんかは上手く機能することもないだろう。いくらフラッグシップとはいえCQCの間合いなんかは初体験のはずだ。
夕立と声を重ね『"お届け物だ"』と呼び鈴を押してやる。俺は軽巡に足を、夕立は両手に魚雷を、それぞれアホみたいに驚いたそいつらへぶち込んだ。
「「お味はいかがかな(っぽい)?」」
フラッグシップは目に灯る光の線を空中に描きながら、横っ腹に入れられた蹴りの衝撃で海面を転げ回っている。ざまぁねぇ、鬱陶しいことばかりしやがって。
といっても俺もバランスを崩し倒れかけるところで、夕立の魚雷による風圧がさらに俺の体を押し出す。
「もー、天龍さん、格好つかないっぽい!」
あわや海面ダイブといったところで腕を取ってバランスを戻してくれる夕立。
「っとと。……半分以上はお前のせいだけどな」
「でも、分断は成功よ?」
お互いに拳を軽く当てて、それぞれの方向に向き直る。必然的に背中合わせになった状況は願ったり叶ったりだった。
「んじゃ、ちょっくら遊んでるわ」
「さっさとぶち殺してそっちに混ざるっぽい!」
合図もなく直進方向へ同時に進む。物騒な言葉遣いが可笑しくて、喉を狭めて『くつくつ』と笑ってしまった。そして、ゆらりと立ち上がる軽巡へ砲弾を装填した砲塔を向ける。
轟音。
当たるか当たらないかは考えていない。バランスを奪うための挑発のようなものだ。
その水柱と火薬が燃える匂いの真ん中を突っ込んでいく。
「硝煙の匂いが最高だなぁ、おい!」
俺はすらりと刀を抜き身にする。それは眩しいほどに日の光を反射させ、海面の輝きに負けないくらいだった――。
――――
――――
状況は中々に厳しい。やはり格上が逃げに徹しているとなると捕捉することも一苦労だ。先ほどの蹴りは幸運の一撃だったらしく、不意でも打たなければ射線から直ぐに消えてしまう。
夕立の方も攻めあぐねているようだった。彼方も彼方で互いのカバーリングに長けている様子で、多少のダメージは稼げてはいるものの決定的な一打を捉える前に邪魔が入っている。幸いなのは初手の魚雷の影響であいつらの艤装は中破小破と損害を受けており、攻撃手段が削られていることだろう。燃料が続く限りにおいては致命的な状況は躱せるように思えるが……。
『――泉だ。天龍、状況を』
『天龍、状況は拮抗』
不意の無線連絡に短く返す。その詳細を説明するような余裕はなかった。
『……。打開は難しいか?』
「練度もそうだが、ここに釘付けにしたい動きみたいだ』
『恐らく狙いは別働の敵本隊である正規空母部隊の到着だろう。そちらは扶桑隊が応戦中だ』
「了解」
『そちらは戦線の維持を。進捗は追って連絡する』
「頼んだぜ、提督」
詰まるところ、扶桑達が本丸を叩き潰してくれれば、敵の目的を台無しにすることができる。
「夕立、取れるか」
『ぽい!』
「扶桑がファンファーレ鳴らすまではパーティ継続だそうだ」
『OKっぽい!扶桑さんが早いか、こっちが早いかってとこね!』
強い語気とは裏腹に疲れを滲ませる声だ。とはいえなんとかせねばあるまい。俺はなんとなく嫌な予感がしながらも、砲撃を織り交ぜながら肉薄しようと前へ出る。水音と火薬の爆ぜる音、そして燃焼する焦げた臭いの中で少しずつ苛立ちが募っていた。
直撃、直撃が欲しい。
進捗の連絡は来ない。向こうがどうなっているかは分からない。ゴールは見えず、良いように遊ばれていると感じて焦燥が燻り、その火種が大きくなるような感覚。
その最中、向けた背の奥で水面ではない何かに炸裂したような音がする。続けて2回。
「夕立!!!」
吐き捨てるように名を呼んだ。
「大丈夫か!応答しろ!!」
『ぽい』
とりあえず、無事らしい。なら向こうの相手は終わったということか。これで形成逆転したと信じたい。しかし、嫌な予感がさざめいている。
「無事なら良い、良くやった」
後ろに引いて合流したい。少なくとも数の有利は取りたいところだ。
「とりあえず、合流できそうか?」
『なんとか出来るっぽい』
相手を逃さないよう、その進路上に砲弾を置く。主砲副砲を駆使して、なんとか釘付けにさせる。今度はお前の番だぞと睨みを込めて目標を補足する。
「お待たせっぽい」
「おう、遅かったな。メインはまだ――」
見ている視界を広げて取り、フラッグシップと同時に夕立へ意識を向ける。近づいたその左脚へ。
それはおかしな方へ足首が向いていた。ふざけて履いた靴のような歪さに、ぎょっとしそうになる心を落ち着けさせる。砲撃を緩ませないようにすることも億劫だ。
「ちょっととちったっぽい」
「とちったって……」
「大丈夫、動くから」
動くといってもその状態じゃバランスは取れない。案の定、彼女はふらふらと俺の右へ並んだ。
「……下がっとけ。なんとかする」
「ふふん、舐めないで欲しいの。こんなの序の口よ」
「その脚じゃ無理だ、航行に差し障る。砲撃支援を――」
「残念だけど、メインは全部食べさせちゃったわ」
彼女の重心が右に傾きその体に力みと呼べる力が漲っている。その意味するところは――。
「でも、取っておきのパイが一つ。……あいつにぶち当てなきゃいけないっぽいっっ!!!」
『待て』も『やめろ』も、その類の言葉は口に出せなかった。否、出す前にかけるべき相手は飛び出していて、目元から緋く煌々とした煌めきが跡を残すのみだった。
「くっそ!!!」
無謀とも言える突撃を敢行する彼女の背中目掛けて俺も後を追う。
夕立は万全でないはずだというのに追いつくことも難儀する速力を出している。しかし、背後から見ていても分かる通り、やはり左脚のダメージは無視できるものではなく、左側へ沈む瞬間が多々あった。そも魚雷が一つしかないならば、仕留め損なえばどうするのか。右脚にもダメージは蓄積し動けなることなどは予想に難しくない。
「死にたがりみてぇなこと、してんじゃねぇよ……!」
小さく毒突きながら、俺の右奥歯がギリギリとこの状況に腹を立てている。とはいえ、そんな事をしても、すでに目の前で展開された局面は巻き戻りはしない。俺はぐつぐつと心に取り巻く熱を口から吐き出し、11月の冷えた潮風を鼻から取り入れる。感情を入れ替えて今するべきこと、効果的な選択を検討する。
軽巡は魚雷を片手に殺気立つ夕立から距離を取り続けている。時間稼ぎという継続的な目的の他、その進路の取り方は夕立を射程に収めながら同時に俺を捉えることができる位置取りの様子だ。なるべく横槍を躱すことが出来るように手負いを仕留めるために……。
戦意ありだと答え合わせをするかの如く、その主砲がじりじりと旋回し始めた。その照準を邪魔するために2発砲弾を放つと、思い通りに水柱が立ち上がる。移動する軽巡の予想位置と夕立との直線上に立つそれは、視界を遮って視認性を下げたはずだ。
俺の視界がクリアになっていく感覚が広がり始める。一つ二つと海面を叩いて障害物を作るった。夕立の航路を妨げないように。
そうしている内に敵軽巡を主砲の射程に捉え始める。夕立はまだ魚雷を手放さない、確実に捉えるその時まで発射することはないだろう。俺はその機会を手繰り寄せるために主砲は軽巡の進路を邪魔するように、副砲はその視認性を下げるために、別々の弾道を計算し着弾地点を選び砲弾を送り出す。
音が遠く響き、視認できる状況が目の前であるようにも、ずっと遠くで起こっている事のようにも思える。呼吸も邪魔になって、時間の経過が素早く且つゆっくりと流れる頃合いに、その機会は訪れた。
物事の機会はいつだって一瞬だ。その一瞬を制することができなければ、ベットした命は永遠に取り上げられてしまう。
『―――泉だ。敵正規空母群の撃沈を確認。そちらに応援を送る――』
耳に飛び込んでくるそれは紛れもない朗報だった。と、同時に放っていた主砲弾も、敵の航行運動を阻害するのにドンピシャな着弾だった。煽る波に脚を取られた軽巡が止まり、夕立が鬨の声を上げながら終の幕を下ろそうとしていた。
一瞬を制するということは、その一瞬が完了するまで忠実である者にだけ与えられる褒賞なのだろう。
副砲を放つタイミングがずれてしまっていた、その朗報に耳を取られた一瞬が間に合っていなかった。いや、無線連絡が悪いわけではない。間に合わなかったのは俺の心の弱さの所為だろう。
敵の主砲から炸裂するような光が飛び出した。不安定な姿勢で魚雷を発射させる夕立に目掛け、真っ直ぐに飛ぶそれは空気を切り裂いて獲物を突き刺そうとしている。
「――っっっ!!!」
目を背けそうになる衝動を抑え、見ることに徹さねばならない。旗艦という立場をこれ程恨んだことはなかった。
現実が戻ってくる。時間の経過が1分を60秒とカウントし始め、音が音速を取り戻した。
「夕立っっ!!!」
その煌びやかな金髪は無事だった。敵の主砲は彼女の遥か後方で水柱を立てていた。しかし、それは同時に夕立の魚雷が失われたということも意味していた。
咄嗟に身を捩り砲弾を避けることに成功したものの、魚雷も軽巡の直ぐそばを通り過ぎ設定した時間で爆発するだけだった。
まだ、間に合う。敵が魚雷の爆発による波浪にのたくられている内に、夕立を回収せなばならない。
俺は自然と雄叫びを発していた。夕立へ向かって駆ける。あちらからこちらへ刺さる視線は黄色く燃えていた。
「行くぞ、夕立!!」
その手を取って引き寄せようとするも海に引き込むような力が腕を伝ってくる。
「早くしねぇと捕捉される! 夕立!!」
声を掛けて力を込めても彼女は全くもって動かなかった。
「……天龍さんだけ行くっぽい」
「なにを――」
「左足、海に捕まっちゃった」
見れば脹脛から下は海に突っ込んでいた。船底が浸水し浮力を奪われていくように、脚部の艤装がその機能を失っていた。
一瞬の怠惰が絡んで重くのしかかる。俺は手を離せずにいた。
視界の端で魚雷を放つモーションが見える。
「天龍さん! 手を離して!」
俺は納得も賛同も出来ないことを手に力を込めることで返した。
「離せるわけないだろ!」
静かに魚雷が向かってくる。少しの泡だけを軌跡に残していることが更に焦燥を加速させる。怖くなどないはずだというのに、海の水が混じっているのか、冷や汗が止めどないのか、視界がじわりと滲む。
金髪を振り回してこちらを向く夕立の表情は分からなかった。
「ふざけてないで! 天龍さ――」
「いやだ!!」
きっと怒ったように睨んでいるんだろうなと思った。
役に立たない視界を閉ざして精一杯の力で夕立の手を引く。駄々をこねているのは百も承知だが、それは到底認めることができなかった。
「天龍! 早く――」
『行け!』と乱暴に、かなぐり捨てるようにいう声と同時に近くで轟音と大きいうねりが発生する。そして、遠くにもう一度。
ばしゃばしゃと突き上がった海水が自由落下して俺たちを頭から濡らした。きーんと耳鳴りの残る頭はふらついていたが、目を開けるとまだ自分も夕立もそこに浮いているようだった。
『二人とも、沈んでないー?』
間の抜けた無線が入る。遠い耳でもその声の主は分かったが、錯綜する状況にあたふたとする俺を尻目に、夕立が先に返答を返していた。
「――こちら夕立。ギリギリ間に合ったっぽい」
「北上か?! 天龍だ、二人ともなんとか」
『いやはや、間に合って――』
影が差した。ふっと見上げると、にへっと笑う顔が見えて漸く俺は安堵した。
「よかったねぇ」
――――――
――――
――
――
怠惰な俺はデスクの上で眠っていた。
グラスの氷は水へ変わり、染み出したように外に水溜りを作っていた。ヒヤリとしたそれが袖に染み付いていて、寝起きの機嫌の悪さを助長させる。
弛んだ体をそのままに髪をがしがしと掴むようにかきながら、記録と記憶から離れてベッドへ向かった。
あの日程、自分の弱さを痛感した日はなく。またそれを誰かに伝えることもできず、今もまだ弱さを引き摺っていた。
ポツネンと考える。眠りにつく前の考え事の延長線。
やはり
今や、艦娘の建造技術も研究されて、俺たちは複数の依代にそれぞれ同じ記憶と似た魂を入れられている。
分かっている。
出所は軍艦という記録とその形質、そして船乗りたちの記憶とある種の信心から生み出され概念化した本体からだ。パンを千切ってもパンであるように、一掴みずつ千切ってはこの依代へと投げ込まれ、この現実世界に存在するようになっているのだ。
この横須賀で今まで多くの同僚を見てきた。同じ名前の同じ顔の同じ形質のそれ達。薄寒くも思えたが、そのことによって防衛のための戦力が強化され、人の役に立つというのであれば已むなしというところか。人々を守ること、それこそが俺たちが生まれた時から持たされた目的であり、今日までそれを求めて海を駆けている。
駆けていると言いつつも、実際のところ自分は長らく海に出ていない。他の奴らも同じだと思う。
しかし、本当に海へ出る理由が無いのならば、艦娘などは等の昔に皆見えなくなっていると俺は確信している。艦娘と深海棲艦は対の存在として、陰陽の類のような関係性のはずだからだ。同じ海から生まれ出て、同じ機能を持っているのだから、方向性が違うだけでその本質は同じなのでは無いかと思っている。
奴らが生まれるなら俺たちは生まれるだろうし、俺たちがまだ存在しているのなら、奴らもまた残存しているのだろう。
ふっと時計を見ると針はもう直ぐ5時を指そうとしている。夜の帷が上がるのも直ぐだろう。
改めてベッドに背中を押し付けて手で電灯の光を遮る。
――もしも、この弱さを、情けなさを少しでも伝えることで、強さへと変えられるならば――。
どうするべきか。
深海棲艦が統率されており、その習性を抑えてある種の作戦行動とも呼ぶべき動きをしていたことをレポートとして提出すれば、来るべき日への鍛錬を行わなければならないと結論づけることも出来るかもしれない。
あの日が過ぎて何年か。人が海を取り戻した最後の戦いの時まで含め、人間の男性を率先して襲う習性は確認できるものの、それよりも優先される目的を設定されることもあり得るということが大々的に共有されたかというとそうではない。
あの日、泉提督の漁船は無線が入る程度の距離を航行していたはずだが、あのフラッグシップの軽巡は人間の男性を無視して俺たちと相対し続けていた。それは戦術にしろ戦略ににしろ、目的を完遂するための意志があったということに他ならないら、
ただの化け物ではなく、知性があり進化する戦略的に考えることのできる化け物であることを、今の海防関係者は認識しているかというと怪しいところだ。当時を知る者は苗字の前に故の字が足されるか、引退してしまってひきこもっているか、殆どが残っていない。
今の体たらくで侵攻が再度始まれば、その対応など到底スムーズには行えないだろう。怖い状況であることは間違いない。
「怖い、か」
――挑発的な物言いをすることはもしかするの弱さを象徴していたかもしれないと何百ともない自嘲を重ねる。
一つため息をした。
また、怠惰に負けそうになっている瞼をそのままに少しだけ心に決めた。彼にまた会う時、もしも次があるならば、試しに話してみようかと。
記事にすることは出来なくなったのであれば、とりあえずは彼一人の胸の内にだけ俺の弱さを納めてみてもらおうか。多分、彼は交友関係も少ないだろうし、機密だと言えば言いふらすこともしないだろう。事実として、機密に触れる事柄もあるのだが、やっぱり心の弱い俺は自然と保身に走っていて、掠れた喉から『ふふふ』と息が抜けた。
もう一度、あの硝煙を割いて征くことを願って、俺は握り続けていた意識を明ける日へ手離すことにした。
まずは、心と記憶を整理をしてから、そしてその前にこの重苦しい体を睡眠へ漂わせてから――。