この女川湾の一帯はそれなりに複雑な地形をしている。牡鹿半島の一部を湾岸部に持ち、半島が擁する丘陵はは海に浮かぶようにぽっかりと南へ延びてゆく。沖合の出島は黄昏時にぼうっと、まるで大げさな海坊主のように佇んでいた。
窓を開ければ夕立でさっぱりした空気が部屋の雰囲気を一掃し、流れ込む風が心地よい潮の香りを運んでくる。そんな執務室はカリカリとペンの走る音が支配していて、私はうつらうつらとする意識を楽しんでいた。
そんなぼんやりとした雰囲気の中へ、どたどたと無遠慮な足音が飛び込んできた。
「もうすぐ夕食の時間よ! 」
勢いよくドアを開けて宣言する少女Aが現れた。小学生と見まごう体躯を落ち着いた色合いのセーラー服で包んでいる彼女は、こう見えても対未確認海上生物用人型戦術兵器であり、この女川警備府に所属している艦娘の一人でもある、暁型1番艦 駆逐艦 暁だ。
「そうだねー。今日のお夕飯はなにかなーっと」
ソファーに身を投げ出していた体へおもむろに力を入れると、背中から腰にかけてぱきぱきとした音が散らかった。流石に日がな一日横になるのはよろしくないようで、体から早急にストレッチを行うよう要求されて私は伸びをする。
「今日のメニューはカレイの煮つけらしいですわ」
執務補佐の机からメニュー報告をしてくれるのは、本日の秘書艦である大井っち。球磨型の4番艦で私とお揃いの重雷装巡洋艦だ。
持ち回り制の秘書艦業務も最初は『いやいや』と駄々をこねていたのに今では様になっている。わが親友はどうやら遠いところへ行ってしまったねぇ、なんて胸の中でつぶやく。
「よく旬の魚が手に入ったなぁ。今日も一日頑張った甲斐があったね」
ルンルン気分な声色の彼は真っ白な制服を通した手足を投げ出して、執務用の椅子でくるくると回り出していた。上官らしさのかけらも感じられないが、この女川警備府の主である提督、その人なのである。さっきまで『暁、優雅なレディーは扉をノックするものだよ』なんて窘めていた割には、自分の子供っぽさを棚に上げているのも平常運転だ。
「気を緩めるのには早すぎますわ、提督。まだこれだけの未決済の書類がハンコを待っていますのに」
仕事は終わっていないとばかりに、紙のタワーが目の前にどさどさと積み重ねられた提督は、あからさまに顔をぶすっとさせていた。
わざとらしさ満載の不機嫌さアピールで机に顎を載せる提督の様子に私は、もしもあの中から1枚ずつ紙を引き出してみたらどんな反応するのだろうと、くだらない想像を膨らませる。脳内のシアターでは誰かさんも一緒にジェンガしているイメージ映像が再生され始めた。
「これはなんなんだい、バベルのツインタワーなんて建造許可を出した覚えはないよ」
「大本営が要求する申請書や報告書の類です。個別の戦闘詳報と月間における戦局の推移のレポート、消費した弾薬や燃料の内訳とその妥当性を示す資料の要求、物資の要求目録への用途と必要性の説明、海域内の発見した敵艦隊や資源だまりの分布図、各艦種の最適な艤装の開発及びその運用の方法を纏めた論文、指定の鎮守府への演習伺い書や物資の支援要求、あとは……」
机上に額を擦り付けるようにして踞り『分かった分かった』と怨嗟の声を上げる提督を見て、私と暁は顔を見合わせて苦笑いをする。
大井っちが書類をぱらぱらとめくりながら書類を確認していたが、ある一枚で動きが止まった。
「あ、暁の申請が混ざってるわね。……シャンプーハット?」
『これ、要る?』と言いたげに大井っちは彼女を見やっている。
「ちょっ! ちょっと! いいじゃない、便利なんだからぁ……。うぅ」
「ふーん、まぁ、目を閉じなくてもいいのは便利なのかもねぇ。え、それも大本営に説明が必要?」
「今まで好き勝手に要求したツケが回っただけですわ」
恥ずかしそうに制帽を抑え込む暁、げんなりした表情の提督、涼しい顔で書類を整える大井っち。そんな混沌とした3人の様子に私はつい吹き出してしまう。『笑わなくってもいいじゃない』とぷんすかする暁に、シャンプーハットだけが原因ではないことを伝える。
「ねぇ、司令官。もしも煩わしかったら、わたし我慢するから」
「まぁまぁ。前のは大湊からの移動でうやむやに処分されたのが原因だし、暁が心配することじゃないよ。すぐ使いたいだろうし、めんどくさいから通販で買っちゃおうか」
片手で支えるようにして机に張り付かせた体を起こした提督は、雑貨用のカタログを引き出しから出して暁に『探してごらん』と手渡した。
「しかし、まぁ、阿呆だ阿呆だと思ってたけど、ここまでくると脳が委縮する病気に罹患しているとさえ疑えるね。いくらウチが余裕のある運営をしているとはいえ、他所ン家の仕事や財布まで気にかけてやるものかよ」
「それだけ上も必死なんじゃないですか? ここ2年間、海域の開放に足踏みしているどころか戦線が後退しているところもあるみたいですし」
片眉を上げながら手元を眺める大井っちに『見してくれ』と手を伸ばす提督。はい、と差し出された紙を手に取ると小学生みたいな棒読みで、戦線が押され気味な青ヶ島臨時基地の連絡記事を口に出す。
曰く、臨時基地から南方へ25kmほどの場所に地図上で確認できない島影を確認、おそらく連日交戦している深海棲艦はその島を拠点に派兵されているのではないかーー。
精強な横須賀所属の部隊に早急に応援を要請する、と朗読を終えた提督は今日何度目か分からない溜め息を吐いた。またも提督は机に頬を擦り付け始めるとバンバンと叩きながら文句を垂れ流した。
「なにが精強な横須賀所属だ。馬鹿どもを内地で遊ばせるくらいなら全員青ヶ島に落下傘降下でもさせればいいんだ」
「島がパラシュートで覆われそう……。というか、前線にそんな人数の将校を送り込んでも邪魔になるんじゃないかしら」
「だったら、金剛型4隻を空挺部隊として調練して送り込んでやろうぜ。作戦決行から半日と経たず戦線を押し上げてくれるに違いない」
「そういうことは本人たちの目の前で言いなさいな」
「馬鹿だねぇ、45口径なんか食らった日にはミンチすら許されざるよ」
とりとめもなく管を巻く提督は『あー、やだやだ、くだらない』とぐずぐず駄々を捏ねていた。それがだんだんと口数を減らし始め、最後には喋ることがなくなったのか一つ嘆息を吐き出すとのっそりと上体を起こした。
「カレイが、煮つけられたカレイが僕を呼んでいる……」
思いついたかのような間の抜けた声を上げてよたよたと椅子から降りる提督。あまりにも濁った眼にぎょっとする私たちを置き去りに、彼は扉を開けたかと思うと猛然と駆けだす。途方もない面倒臭さに特大のため息をつく大井っちは逃げた提督を追うために部屋を出て行った。
どうせカレイの煮つけに有り付くこともできずに引きずり戻されるのだろう、ここから食堂へはそれなりの距離がある。
急にしんとした部屋の中で、私の夕飯は提督が曳航された後でも遅くはないか、と決め込んで親友を待つことにした。
もう一度、背伸びをして再びソファーに背を預ける。
「北上さんは食堂にいかないの?」
ちんまく寂しそうに問いかける彼女は構ってほしそうな様子で目の前に腰掛けた。
『駆逐艦なんてうざい』と思っている私だけれど、この小さなレディーの相手をすることは存外にも面白く、最近の密かな楽しみになっている。
所在なさげに足をぱたぱたさせる様子はいじらしく、お気に入りのそんな姿に私は思わずくすくすと笑ってしまった。
「私は大井っちが戻ってくるの待つからさー。暁も一緒に待っていよう?」
『なんでそんなに私のこと見て笑うのよ!』と再び抗議する声にそう答えると、話し相手をしてくれることに安心したのか彼女はほっと息をついた。
「暁……というか、六駆の子らはどうなの? もうここには慣れた~?」
かくいう私は、煩い起床ラッパも鳴らず、任務がなければ惰眠を貪ることも許されてしまうという、この警備府の日常に毒されてしまっていた。これでは、他の基地では真面目にお勤めすることも出来そうになく、最悪の場合じゃ解体コースかもなと思うこともある程に。
しかし、ここ以外に私の居場所は無く、そんな心配はどうでもいい杞憂にすぎないと気付いた時から、深く考えることを止めて個人的安寧を享受するがまま過ごしている。
『そうねーー』と頬に指をあてて思い出す仕草をする彼女はここにきて1か月程だろうか。暁もこのまま慣れてくれれば、女川に骨を埋めるしかなくなるはずだ。
お前も仲間になってしまえと手の平から念を送る私に、彼女は素直な気持ちを吐露し始めた。
「--最初は、司令官が怖かったわ。死ぬと殺すとか! ようやく響と一緒になれたっていうのに、物騒なところに来ちゃったって思ったの・・・・・・」
『あー』と相槌を打ちながらその噂を思い出す。
天龍並びに六駆の面々が提督との邂逅を果たしていた時、私は駆逐艦の漣と曙を引き連れて海に出ていた。牡鹿諸島沖を含む近海の定期的な警邏の当番だったのだ。
帰投後に平和なクルージングをいかに堪能したかをしたためる傍ら、大井っちがひそひそ声で教えてくれたその出来事は、紙一枚の報告書を重い鉛のように変えてくれるには十分だった。
「私も聞いててさ、その日は流石に提督と話す気になれなくてねー。警邏の報告書、机の上に置き去りにしちゃったよ」
唇に人差し指を当てて、『内緒ね』とジェスチャーをする私に、暁は難色を示す顔をもって返してくる。
しかしまぁ、丁度よく提督が席を外してくれていたのは幸運だった。なるべく側に居たいとは思っても、『そんなこと』を提督が言ったと聞いてしまえば私はどんな顔をしたらいいか分からなくなってしまう。いつも通りに報告そっちのけで軽口を叩きあう程度の距離感でいい。軽薄すぎる私にはそんな程度で十分なのだ。
「でもね、提督とお話したり、あの時のことを思い返してみる度に、わたしの胸が熱くなるの。取り乱しちゃったのがばかみたい」
『だってね』と私と対照的な彼女は好意を紡いでいく。
「『戦場以外で『死ね』なんて言う権利はないんだ』なんてわざわざ言ってくれる人なんていないわ。どの鎮守府もわたし達をお手軽な手駒扱いしたり、女子供を見るような目線の人達ばかりなのに、彼はとても真剣だわ。
近海の警邏中にだって、子供のお使いみたいな扱い方をするところが多いのにわざわざ無線で安否確認とか、連絡してくれるなんて初めての体験だったわ。憎まれ口を叩くの玉に瑕だと思うけど……。
なんていうのかしら、駆逐艦の一隻じゃなくて 暁っていう艦のことを見てくれてる気がする。 ……ほんと、余計な一言がなければもっと良いいのに。
そうそうこの前も抜錨前にねーー」
怒ったように眉をひそめながら目を輝かせるという、任務の役にも立たない器用さを持つ彼女に地味に感心した私は、愚痴をこぼし始める彼女を『まあまあ』と宥めながら相槌を打つ。
ころころと表情を変える彼女は私なんかとは本当に正反対の子だ。素直さも純粋さも可愛らしさも。
「ねぇ、北上さん」
『そういえば』と彼女は私に尋ねる。
「……司令官とは、どのくらいの付き合いなのかしら? この部屋でも凄くリラックスしてるし、司令官も北上さんを自由にさせてるわよね」
「そうだねー、私がここに来たのは去年の2月くらいだよ」
そう答える私を『1年半くらいでそこまで気を許せるくらい仲良くなったの?』と小首を傾げた暁は不思議そうに見つめてきた。
この子は何故こういうところが鋭いのだろう。シレっと誤魔化そうとした私はバツの悪さを覚えて目を伏せた。
寄せ集めばかりのこの警備府で中途で配属された私だったが、提督との付き合いというと女川警備府の発足よりもさらに前、2年前の6月から始まっている。ただ、他の子にそのことを言うべきとも思えないし、近海の安全を確保するために目まぐるしい日々を送っていれば言う機会も訪れることはなかったのだ。
別段隠そうとしているわけではないけれど、ちょっとした隠し事のように胸の中にしまい込んでいた思い出。
「そうだねー。じゃー、暁にだけ話そうか。他のみんなには内緒ってことで」
なぜだろう、特別な理由もないのに折角だからと思った。
あの戦争でも接点といえるのは、胆の据わったかの篠田艦長が乗り継いでいった程度でしかない。彼女は輸送にこき使われたかと思うと南の海にあっけなく散っていったけれど、私は死ぬまでさまざまな仮面をかぶせられ歪な運命に弄ばれるまま生きながらえた。全く違う結末を迎えているというのに、彼女は私にとって特別な存在になっている。
大井っちが帰ってくるまで、どれだけのことを話せるだろうか。行儀よく座り私の言葉を待つ彼女に相対しながら目を閉じた。
――いつの間にか晩夏を知らせる鳴き声が聞こえる部屋では、鼻をくすぐる海の香りに真っ白なカーテンがはためいている。
「あの日も今みたいにつくつく法師の声が増え始めていてねーー」
さぁ、内緒話をしよう。ごめんね、提督。まだ帰ってきちゃだめだよ。