この女川湾の一帯はそれなりに複雑な地形をしている。牡鹿半島の一部を湾岸部に持ち、半島が擁する丘陵は海に浮かぶようにぽっかりと南へ延びてゆく。沖合の出島は若竹色に輝いており、露草色の空を背景により一層その存在感を増している。
そんな半島には船だまりが点在している。日々の釣果のために精を出す漁師たちが帰ってくるのを待っていた過去も今は昔、朽ち果てたコンクリートに錆びた係船柱が突き刺さるばかりだ。
そんな女川湾の水面は今日、4名の艦娘を女川警備府所属として受け入れるため静かに揺蕩っていた。
「待ち人、便りありて……なんてところかな。とはいえ、いくらなんでも早すぎないかい?」
水平線を眺めながら姉の入港を待ち構えている私にいたずら交じりな声が投げかけられる。
「家族を心待ちにするのは艦娘も人間も同じかと思っていたけど、きっとあなたは違うのね~?」
楽しみな心持を邪魔された私はつっけんどんな答えを投げ返した。
声の主は袖をまくっていて、女性であれば羨むような色白の肌を露出させている。軍帽に押さえつけられたショートヘアは艶やかさを保ち、日の光をまとって煌びやかだ。そして、男性にしてはこじんまりとした体躯ながらバランスよく鍛えられた筋肉は、日ごろの鍛錬を欠かしていないのが分かる。
「楽しみな時間を邪魔したことは許してほしいね。……だから、そんなに睨まないでくれるかな」
下がり気味の眉がさらに下がって困り顔を披露する彼は、これでもこの鎮守府を預かる提督なのだ。
「たった1年と少しで、この一帯に平和をもたらした素晴らしい鎮守府、その提督とは思えない顔よ~?」
「鎮守府なんて大それたものじゃないよ、ここは。というか、撫でようとするのはやめたまえ」
私の冗談をやんわりと否定する彼は、頑なにここを鎮守府と呼ぶことを嫌っている。実際、大本営としては女川警備府として管理されているからなのか、はたまた、彼の個人的なこだわりなのか。この1年間の付き合いでは、ついぞはかり知ることはできずにいた。
とはいえ、そもそも彼とはそこまで馬が合わないし、距離を取っていた私には彼の心の内なんて分かることなんてありえない。
そういうわけで私はこれから姉が到着するまでの時間を、どこの馬の骨とも知らない提督と過ごす羽目になってしまったのだ。これから面白くない気持ちを弄ぶであろう未来を胸中で嘆くばかりだ。
「軍人は時間厳守、5分前には行動に移すことができるように自分を律するものだと記憶してたけど、私の勘違いかしら」
「こんな辺鄙なところじゃ、見てくれる人もいないさ。殊勝な態度はいざという時のために取っておくタイプなんでね」
ああいえば、こういう。ひねくれ者なのか、不真面目なのか判断に困るのはいつものことだ。
「だいたい、起床ラッパや朝礼なんかも撤廃しているんだぜ。君たちなんかそもそも守るべき時間がないのに、僕をやり玉に挙げる気かい?」
そういわれると弱い。確かにその通りで私たちは他の鎮守府とは比べられないほど良い待遇を受けていると思う。
しかしそうは言っても、起床ラッパがなくとも活動時間の直前まで寝ていることなんかはしていない。ここは朝食時に連絡事項を伝える形式なので、なるべく早めに食堂に集合するように心がけているつもりだ。
「そんなこと言うなら復帰させればいいじゃない、その守るべき時間とやらを」
「いいかい、僕の起床時間は僕が起きたい時なんだ」
「軍人の風上にも置けない男よね~、提督は」
そんな冗談に冗談を返すやりとりをしながらも、私はこの人が日の出の時間には起床して、執務をしていることを知っている。
何気なく早く起きてしまったある朝、私が体をほぐしがてら散歩をしていると、執務室の窓からペンを走らせる提督を見たことがあるのだ。それも一度だけでなく二度三度と。
でも、この女川警備府ではやるべきことなど限られているはず。なにをそんなに朝早くしているのか分からないので、きっと執務ではない私用の何かと私は決めつけて今日に至る。
「そろそろ到着予定時刻ね~」
ようやく待ちに待った瞬間がくることに、私の口角はにんまりと上がってしまう。
「久しぶりの再会だろうから、今日はゆっくりしてくれ。受け入れ以外、これといって秘書艦のやることもないし」
それは朗報だ。一番に再会できるとはいえ、初日から秘書艦として拘束されるのはなんだか胸に閊えるものを残していたのだ。
「あら~、ありがとう~。お礼は深海棲艦の首でいいかしら~?」
素直にお礼をするのも癪にさわるので、なぎなたのように日傘を構えてみる。『危ないから止したまえ。僕は小心者なんだ』なんてビビりながら言う提督に、私は可愛らしいところもあるなとその反応をからかって楽しんだ。
今度からはなにかお願いするときも何かを構えてみようかしら、なんて。
「おらー! お前らついたぞー!!」
波止場の方から威勢の良い声が聞こえる。私が一番聞きなれた、私に一番思い出深い、私の愛する姉の声だ。無事に到着したようで人知れず私は胸をなでおろした。
「ここが新しい鎮守府ね!一人前のレディーに相応しい素敵な場所じゃない!」
「あれ、鎮守府かしら?教官さんは警備府と言っていた気するわ」
「あっ そっそうよ! ここが警備府ねって言ったのよ!」
「言い間違いなのです。素直に認めたほうがレディーと思うのです」
「うぅぅ、いいじゃない。きっとレディーでも間違うことはあるわ……」
「お前ら騒がしくしてないで整列しろー。提督が待ってるぞ」
いきなり姦しくなった海面には4名の艦娘が浮いていた。引率のお姉さんと付いてくる小学生みたいに、きゃいきゃいと楽しそうな面々。軍に所属しているというには気が緩みすぎているようなそういう雰囲気は、穏やかな女川湾にぴったりな構図だ。
「それでは整列とあいさつを……。どうかしたの~?」
先ほどまで手を上げながら『勘弁してくれ』とおどけていた提督は、配属された艦娘を喜ぶでもなく、不機嫌そうに眉を顰めていた。
もしかして、思ったような戦力ではなかったのだろうか。それとも騒がしい彼女たちが気に食わないのだろうか。『いやーー、よろしく頼むよ』となんとも歯切れの悪い返事をする彼の表情は、私の心を強張らせる。
そんな微妙な空気を纏っている私たちを尻目に整列の号令を聞くや否や、彼女たちはきびきびと陸へ上がり提督の前に列を成した。先ほどの緩慢とした空気とは打って変わって、みんな凛とした表情に引き締まっている。
「天龍型一番艦 天龍 並びに 第六駆逐隊より3名。大湊警備府からの転属命令により、今日から女川警備府所属としてよろしく頼むぜ。」
「暁型一番艦 暁よ!レディーとして精一杯頑張るわ!」
「わたしは暁型三番艦 雷よ。どんどんわたしに頼っていいのよ!」
「暁型四番艦 電なのです。よろしくお願いするのです。」
それぞれが思い思いの自己紹介を提督に披露する。それにしても私の姉は礼儀が欠けたまんま、何一つ変わっていなかった。
「僕は、この女川警備府所属 泊地責任者をしている泉という者だ。呼び方は好きにしてくれて構わないよ」
彼の口から当たり障りのない設備の紹介や大まかな規則の説明が始まって私はほっとした。先ほどの不安は気のせいだったのかもしれないーー。
「さて、最後にしよう。諸君は作戦行動でもなく、特に装備を預かることもなく、海に適当に放り出されたうえに護衛もなく移動させられ、ないない尽くしの中でこんな田舎へとやって来てくれた。ーー横須賀までとはいえないにしろ、それなりの距離を航海するのに変わりはないのにね。
なので、僕からの心遣いとして今日から3日間、休養期間を設けることを思いついた。 各自は僕に感謝しながら好きに過ごして、ついでに他の面々と親交を深めてくれたまえ」
なるほど、提督の機嫌を損ねた理由は大湊警備府の粗雑な対応が原因のようだった。といっても、初対面の彼女たちに臆することなく毒を吐くのは少しばかり頂けないと思うけれど。
そんな不機嫌さんに申し訳なさそうに手を上げながら喋り始める天龍ちゃん。
「ま、まぁ、大湊の連中も、なんだ、気の良い奴らなんだよ。ただ……あれだ、ちょっと手が足りなくてよ。護送できなくて申し訳ないともーー」
しどろもどろになりながらも、かつての仲間をフォローしようと提督に弁解を試みようとしている。思うところはあるとはいえ、同じ釜の飯を食べた人たちを悪く言われるのは後味が悪いのか、やはり私の姉は優しい。
「君は国防の要としての役割を担っている自覚があるのかね?」
訥々と喋る天龍ちゃんをまっすぐ見つめて、彼は平坦な言葉でそれを遮った。今日はシャツの中にじっとりと汗をかくような気温だというのに、周囲温度がむりやりに押し下げられていく。
「僕たちーーいや、僕にはね、権力を持っている自覚がある。君たちの上官として『戦場で死ね』という命令を押し付ける力をね。」
それは事実だけれど、抜き身の剣と言って申し分なく、残酷すぎる現実だった。
ーー『ただね』と彼は付け加える。
「戦場以外で『死ね』なんて言う権利はないんだ」
その言葉に、頭から水を浴びたような衝撃を受けた。それは至極普通なのに、誰も口に出さなかったことだ。そして、同時に私の中に彼に対する好奇心が芽生えつつあるのを感じた。
「ーーお前は……、殺すために俺たちを海に送るのか?」
よそ行きの笑顔を消した天龍が射殺すように提督を睨んでいる。
「そうだ、天龍君。僕は毎日、君たちを殺す覚悟で送り出すよ」
もはやお子様たちは蚊帳の外だ。『あの……えと……』とか、『喧嘩はダメよ!』とか、『わたしたち、死んじゃうのです……?』と軽い恐慌状態を呈している。 あんまりにもあんまりすぎる二人の話にため息がでてしまった。
「提督、 その子たちが怖がっているわよ~? というか、非常識なところは大湊とどっこいどっこいじゃないかしら」
私は軽く提督の脇腹を小突きながら、物騒な談義をやめさせようと努めた。
『あ~、ごめんね。ちょっと天龍君がまじめな話をするもんだから……』と慌てて雰囲気を緩めて、六駆に言い訳をして平謝りをする提督。そして、暁に『喧嘩はダメ。ぜったい。』を復唱させられながら彼女たちを案内するため警備府宿舎へ向かった。おそらく、先に響に引き合わせるためだろう。
「俺のせいかよ! なんつーか、独特だなぁ……」
と、待ち人が独り言ちながら私の方へ歩いてくる。
『よう、元気にしてたか?』と人懐っこく笑う笑顔を見ると今しがた見せた殺気が嘘のようだ。
「独特っていうより、変な人でしょう~?」
そう、彼は密かに私の中で馬の骨から変な人へランクアップに至った。愛想笑いを浮かべながら話題に上らせる程度の扱いだけど。
「でも、悪くないんじゃないか? 」
何故だろう、私は天龍ちゃんに無性に意地悪がしたくなった。
「でも、いきなり殺すとか言われてるわよ~? 天龍ちゃん、嫌われるようなことしちゃったんじゃない?」
煽るように微笑みながら私はいたずらを仕掛けた。『え! いや、そんなことはねーと思うんだけどよぉ……』としょげる仕草が可愛らしく、私は少し満足した。
「嘘嘘、冗談よ~。でも、なんで?」
彼女は私の冗談に少しむっとしながらも『大湊の連中をフォローしようとしたときにな』と始めた。
「言葉があんまりうまく出てこない俺をじーっと見てくるんだよ。すげぇ居心地悪かったぜ、まるで意地の悪い指導員みたいでさ。 でも、多分あれは俺が本当に思っていることや思っていたことを探ってたんじゃねぇかなって思うんだよなぁ」
なるほど、提督は天龍ちゃんの本質的な部分を見抜いてあんなことを言い始めたのかもしれない。
大湊では補給部隊のリーダーとしてこき使われていた彼女だけど、元来戦を好む性格も相まって生き死にに対して特に誠実に向き合う性質だ。
ーー実は前線補給の任務で大湊にしばしば行っていた私は、天龍ちゃんの胆が冷えるようなたたずまいが鳴りを潜めていることを気にかけていた。くすぶるような諦めているような笑顔を貼り付け、輸送任務や補給任務に精を出す姿は正直痛々しかった。
それが今日、あの一瞬、天龍ちゃんは『天龍ちゃん』として存在していた。
「なんだか、心地いいんだよな、あいつの言葉。言い方は底意地が悪いし冷たいけど。……ぬくもりとまではいかないまでも、血の温度を感じるみたいな。 あんまり上手く言えないけどよ。
まぁ、でも相手をするにはねちねちしてるし、面倒くさそうではあるな」
わたしの隣で女川警備府を見上げる彼女は、悪態をつきつつもその口角が上がっていることに気づいていない様子だった。『なかなか気に入ったぜ』という呟きは海風に浚われて太平洋に霧散していくくらい小さい。けれども私の耳にははっきりと聞こえた。
ーー『お前らが意味もなく沈むだなんて認められるか! そんなことがあった日にゃ俺は、銃殺刑でもなんでも受けてやる』。
そう言ったのは一体どこの鎮守府の提督だろうか。
ふっと頭のなかでよみがえった記憶を私は瞼の裏で反芻する。彼は今も元気だろうか。わたしはゆっくりと目を開けて大きく息を吸い込んだ。
「そういう龍田はどうなんだよ。気になってんじゃねぇのか~?」
「さっきも言ったでしょ~。 変な人って」
「か~、厳しいねぇ、龍田の男を見る目は!」
そう、女川警備府 泊地責任者 泉晴は私にとっての変な人。天龍ちゃんにとっては馬の合う人。そんな程度でいいはずなのだ。
深く心に刻んでしまえば別れる時がより一層つらくなるだけなのだから。
私は今日生まれた好奇心を串刺しにして明日を迎えることを決めた。
「『戦場以外で『死ね』なんて言う権利はないんだ』、か……」
その一言だけはしばらく忘れてしまいそうにないけれど。意気揚々と庁舎へと向かう待ち人には決して知られることのないように、私はひっそりと笑顔を被り直して彼女の跡を追っていった。