暁の向こうへ   作:出張族

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好候 1月某日 2249

 この女川湾の一帯はそれなりに複雑な地形をしている。牡鹿半島の一部を湾岸部に持ち、半島が擁する丘陵も夜の闇に覆われてぼんやりとしている。白銀に輝く月と宝石を砕いたかのような星々の煌めきの下、叶うことなら北上さんと二人きりで静かに航行したくなるシチュエーションだ。

 あの深海棲艦さえいなければ。

 

「サバーカ!! 右からくるよ! 備えてっ」

「本当に嫌になりますね。しつこい男は嫌われますよっ」

「おー、ナイススナイプ、大井っちー。一発必中だねぇ」

 

 私は標的に全ての苛立ちを込めて砲撃を打ち込んだ。奴らに性別があるかどうかはこの際関係ない。この世で一番無粋なのは"しつこい男"と相場が決まっている。

 衝撃で乱れた髪を撫でつけて周囲を確認する。狭い岩礁の間で先制雷撃でまとめて吹き飛ばしたかったところだが、駆逐艦風情が避けて反撃したところを見ると撃沈を確認できなかった艦隊は恐らく身を隠しているのだろう。『重巡1、雷巡1、駆逐2』か。数では互角だが私達では少し荷が重く感じる。

 とはいえ、響が無事に偵察してくれたのは非常に助かる。10隻近くの敵艦隊と立ち回るには乱戦必須だ。遠距離から魚雷で吹き飛ばすのが私と北上さんの設計思想なのだから近接したくはない。響は偵察行動で小破、あきつ丸は得意の分野が違うのだから火力が不足するのは仕方がない。足りない部分を補える情報は下手な装備よりも強力なものだ。

 

「皆、警戒を怠らないで。北上さん、現状を確認して提督に連絡」

 

 自然とため息が出る。重巡でも相手するには重いのに、雷巡も警戒しなくてはいけない。2隻のどちらかは私が相手取ることになりそうで、話の違う状況に辟易とする。甘言に乗せられた私が悪いのだが。

 何が『何もなければこっそりと北上君と抜け出してちょっとした散歩と洒落こめばいいじゃないか』だ。少しでも楽観的に考えたのが間違いだった。いつか大量の書類に埋もれさせてやろうと固く決心する。

 

「あきつ丸さん、敵影はある?」

 

 響が少し怒気を放ちながら確認している。どうやらバッドに入っているらしい。この子もこの子で苦労しているから不安定なのも仕方ないけれど、戦闘行動中には良い傾向ではない。

 

「響、あいつらが鬱陶しいのは分かるけど、もう少し落ち着いた方がいいわよ。いざとなったら北上さんと私が魚雷で吹き飛ばして終わりだから」

 

 委縮気味なあきつ丸との間に入ってやる。多少雰囲気が和らいでくれればいいのだけど。響に深呼吸を促してあきつ丸の言葉を聞く。

 

「……敵影は確認できず。推測ではありますが、重巡どもは爆発の衝撃で北側に飛ばされたかと。無傷であるとは考えにくく、シンプルに考えれば岩礁を東から回り込んで追撃でありましょうか」

 

 私は右方を眺めながら警戒を強める。この岩礁の東側にも岩場が点在している。

 

「そうね……。でも、ハ級は背が低いわ。小さな岩影ばかりだと待ち伏せされる可能性も高い」

「確かに、さっき潰したやつも目の色が違った……。エリートで揃えているとしたらそのくらいは考えるかもしれないね」

 

 多少落ち着きは取り戻したものの、響は真正面に先ほどの雷撃した箇所を睨みつけながら思案している。1方向から全員で向かうのも悪くはないが、奇襲を受け流せるかどうかは五分だ。あきつ丸も響も少し練度が物足りない。響の場合はさらに小破だ。もしもハ級がエリートで物陰から雷撃による奇襲を行った場合、誰であっても直撃すれば一溜りもないだろう。一人抜けても半壊状態に陥る。

 

「うん……うん……、そういうことで。帰ったらよろしくー、提督。 さてと、通信はかんりょー――。なに?なんでみんなして神妙な面持ちしてんの?」

「いや、深海棲艦の残りが北側に飛ばされたと仮定して、どのように追撃するべきか悩んでいるところでありまして……」

「北上さん、司令官はなんて?」

 

 やはりなかなか噛み合いにくい子達だ。片やコンプレックス、片やトラウマ。 精神的にも少し影を引きずっていて士気とは裏腹に、罷り間違えば恐慌状態になりかねない危うさを感じる。まぁ、実際私も少し前にやった戦いの苛烈さに疲労をぬぐえないあたり似たようなものかもしれない。

 

「提督はねー、朝ごはんお握り準備してるってさ。たまには温かいもの食べたいし、おねだりした」

 

 屈託なく笑う北上さんはやはり可愛い。天使のようだ。

 なるほど、帰れば人心地付けそうだ。であれば、ここはさっさと終わらせるに限るが。

 

「温かい食事は……2週間ぶりくらいね。こんなんでやる気が出るなんて、目の前に人参をぶら下げられたみたいで嫌ねぇ」

 

 馬車馬のごとき扱いに皮肉ってみるものの頬が緩むのを許してしまっている。『私も私ねぇ』と胸中にぽつりと漏らすのも仕方ないことじゃないかしら。

 

「なんにせよ、目の前のこの状況を動かさねば帰る算段も皮算用でありますよ」

「私はウォッカの方が嬉しいかな。少し冷えた」

 

 北上さんのにんまり口調で少し緊張がとれ、くだらない会話を許す程度の余裕はできたが。ともかくあきつ丸の言うように現状を打破しなければならない。

 

「敵さんがこの岩礁の向こうにいるとして、挟撃くらいはしてやりたいけどねー。といっても散開されて潜伏されたら面倒だなぁ」

「挟撃と言いますと、西側と東側からでありましょうか」

「でも、敵も開けた方には警戒を高めていると思う」

 

 一度に終わらせたいが、当然東西への警戒は強いだろう。敵の行動予測として、撤退ならばハ級を警戒に当たらせて雷巡を殿に置き、重巡は報告の為に戻る可能性が高い。全滅一歩手前の壊滅状態である現状、その線が濃厚と考えるべきだ。逃げる敵を追うのは骨が折れるし時間の無駄になる……。

 では、南か北か、奴らはどちらに逃げたいと考える? 南下してきたとすれば逃げ道は北東へ舵を切るのが最短だろうし北側に弾き飛ばされたとするならば部隊ごと後退していくはずだが、岩礁の向こうでは動きは見られない。とすれば考えられるのは、先ほどの雷撃で航行機能を損傷して動けないか、もしくはここから南下を狙っているのか……。いずれにせよ、鑑みるに私たちを撃破して進まなければならない状況のはず。そして、奴らだって最短距離で離脱したがるはず。

 ここは選択肢を与えれば否応なく道を進まざるを得なくなるのではないか。

 

「でしたら、一人はこの岩礁の狭間から正面に相対し残りを二手に分けて東西から強襲するのはどうでしょう。希望的観測をすれば、単艦であると知った敵がリスクが低いと踏み誤り各個撃破を狙ってくれるならその方が遣り易いと思います。重巡と雷巡が少し重いですが私か北上さんなら回避に徹すれば駆逐艦どもを潰して3方向から包囲殲滅が可能です。敵が固まっているならそれはそれで十字砲火も狙えますし損傷具合から制圧し続ければ継戦能力も枯渇するでしょう、押しつぶしてしまえばいい」

 

 発想の逆転だ。潜伏を嫌うならば向こうを攻めさせたくすればいい。このメンツであれば攻勢に転じるより防戦に拘った方が遣り易くも感じる。あのリ級自身に戦いを選び取って貰うとしよう。

 

「おー、大井っち、いつになく殺意がみなぎってるね」

「でも、正面で相手を受けるのは厳しい戦いになるんじゃないかい?」

「雷巡の雷撃にしろ、重巡の砲撃にしろ、我々では一発でも致命傷でありますし」

「それは言い出しっぺの私が受け持ちます。大丈夫、森下 元大佐にも座乗して頂いたのよ。きっと上手く釘づけにして見せるわ」

 

 『森下艦長の加護ぞある』とでも言うような私の物言いに北上さんはうんうんと頷いてくれた。

 

「おっけー、さっきの砲撃もかなり調子がいいみたいだし、頼んじゃうよ。大井っち、――沈んじゃダメだかんね」

「……本当に大丈夫なのでありましょうか」

「ふふ、先輩として良いところ見せちゃいますよ」

「ハラショー、とても頼りになるよ、大井さん」

 

 ――概要が決まれば迅速に各艦の指針を決定する。私は囮として正面から砲撃を中心に敵を誘い込む。敵が私を迎撃している間に北上さんは東から回り込んで雷撃、響とあきつ丸で西側の岩礁の間を抜けて砲雷撃を叩き込む。駆逐艦が居れば迅速に排除だ。

 東側はかなり入り組んでいるので大きい円弧を描くような航行になりそうだが、『タイミングは合わせるよー、任せておいて』と気楽な言葉と共に北上さんはすぐさま夜に溶け込んでいった。

 響とあきつ丸も先ほどポイントへ向かったところだ。あの二人は大丈夫だろうか……。

 

「……今度こそ活躍してみせるわ」

 

 即席の包囲殲滅作戦ではあるが、成功させねばなるまい。得意な夜戦でその上に奇襲なのだ、重雷装巡洋艦の過剰ともいえる雷撃による火力性能を存分に見せつけてやろう。

 私は正面にゆっくりと進む。岩礁の間は狭くまっすぐで逃げ場はない。だからこそ、ここが良い。この場所に誘わないといけない。喉が鳴る。少し勢いよく言いすぎてしまったかもしれない。

 案の定、敵艦が見えた。流石に敵もこんな阿呆なことは予想していないのか、正面への警戒は薄い。左側に雷巡、右手に重巡。駆逐艦の姿が見えないのでやはり東西の少し距離のあるところに配置しているのだろう。さて、見つかる前に一丁やってやりますか。右手側の岩礁に寄るようにして直進する。

 とりあえず、爆発物がこっちに来られると困るので私は左前方に標準を合わせて砲火を上げた。音と光で私の存在を知らせてやる。 続けざまにもう一発もご馳走しよう。

 2回のノックに奴らは驚きながらも早速こちらを捕捉し始めたが、金属にぶつかる鈍い音が一瞬だけ感じられた次の瞬間には雷巡の居た箇所に水柱が高く上がる。『ばしゃばしゃ』と跳ね上がった大量の水しぶきが海に返っていった後には人型の影はなかった。

 

「んー、ラッキーヒットかしら」

 

 これで私の服が吹き飛ばされる可能性はかなり低くなった。折角北上さんとお揃いの艤装なのだから傷一つだってつけてやるものか。

 すぐさま主砲の妖精さんに次弾装填をお願いしつつ、私は取舵にて運動に角度をつける。西へ18度。そして8ノットほど加速し、すぐに減速。重巡リ級が狙いを付けた砲弾が私の右を掠めて岩礁を大きく抉る。その爆散した轟音をきっかけに頭がすっと透き通る感覚がする。リ級の姿が遠く小さくしかし明瞭に細部まで観察できるようになる。いつもの感覚だ。

 

「ふふ、砲雷撃戦って聞くと、燃えちゃいますね」

 

 今度は面舵、東へ30度ほど角度を調整し右前方へ加速直進だ。装填が完了した傍から砲弾を発射してやるが、今度は至近弾程度に外す。あくまでもさっきのはラッキーヒットだったと思わせたい。

 

「あんたには前を向いていて欲しいのよね」

 

 しかし流石エリート重巡なのか、なかなかどうして正確に私に狙いを付けてくる。さらに右へ左へ蛇行をする中、リ級との距離が思い通りに詰められないと目測で知る。

 後退してもらっちゃ困る。突っ込んで貰いたいところだ。

 とっさに取舵側に飛ぶ至近弾に手を伸ばして犠牲にする。左の艤装が盛大な音と共にひしゃげて火炎と黒煙を上げる。

 

「痛いったらありゃしないわね」

 

 衝撃と火災による痛みに顔をしかめつつも真正面に敵を捉える。急ぎ取舵、今度は右をすっ飛んでいく鉄球に一瞥もせずに間髪入れず面舵、そして大きく減速1ノット程度。

 狭間の真ん中あたりに停留しつつ2度3度砲撃を加えて右後方へ下がる。私の負傷に気を大きくしたのか敵影が小さくなることもなく寧ろ向かってきている。

 

「ほうら、上手に追い込んでみなさい。直撃したら貴方の勝ちよ?」

 

 そのまま3~4ノットでジグザグの回避運動する中に停留を織り交ぜながら魚雷を1発放つ。左手は慣性のままに右へ左へと揺れていて、火もなかなか消えてはくれない。いや、むしろ消えない方が明らかに手負いだと分かる分、好都合かもしれない。とはいえ、筋に力を入れても動かせなさそうだ。入渠の時間が長くなりそうで嫌になる。

 

「まぁ、北上さんが傷つくよりはましよね。全部提督の所為よ、出撃命令なんて出してくれちゃって」

 

 リ級は好機と見たのか誘われるままに砲撃の頻度を増し、魚雷も発射しているようだ。なるほど、止まれば砲弾、右後方にまっすぐ後退すれば魚雷か、小賢しい真似をしてくれる。

 私は止まってしゃがむ、高低までは調整できまい。案の定砲弾は頭上を通過し、ぎりぎりまで引き付けたうえでの急静止に角度を修正しきれず魚雷も弧を描いて左後方へ消えていった。戻ってくることはないだろう。よしんば戻ってきたとしてもこの岩礁に阻まれて私までは届いてこない。

 そうこうしているうちにこの狭き門の入り口付近に差し掛かろうかというタイミングで東側から轟音が響く。同時に西側の砲撃音もなかなか激しい音を立てていた。北上さん、間に合わせるとは言ったけれど、まさか岩礁の狭い間を突き抜けて駆逐艦と遣り合っているのだろうか。

 私はリ級の動揺を見逃さなかった、今度は標準を合わせて肩の力を抜き軽く息を止める。肩から右腕まで直線上に置くように半身を開き、砲塔に相手を捉えさせる。指先は軽やかに腕とひじはしなやかに、片手だけで主砲を固定する。瞬きも許さないままトリガーを引くと、発射音を放ちながら弾が相手に向かって飛んでいく。主砲の反動を腕ごと後ろへ逃がしてやる。

 鋼鉄の悲鳴と共に炸裂の光が相手を1瞬だけ照らす。リ級は腕の装甲でダメージコントロールしたのか、頭を下げてショック体制を取っているのが伺える。……と、西側からあきつ丸の物と思われる口径の小さい副砲が砲火された。獲物はまるでハエが飛んでいるかのような鬱陶しさで左を確認しているが、今度は右側より水柱が上がる。

 2チームとも駆逐艦の掃討が早いことでこの作戦もそろそろ佳境に入りつつあるようだ。

 私は上方へ2度トリガーを引く。再び、2回のノックが空へ響いた。

 

「折角持ってきてあげたんですから、たんと味わってくださいな」

 

 デリバリー内容は魚雷の盛り合わせだ。おそらく、北上さんも響も発射していることだろう。

 3方向から放たれた魚雷はまっすぐにリ級を目指して海中を突き進む。水柱と空砲に気を取られたのが運の尽きだ。45発分の爆発が一度に巻き起こり敵影は飲み込まれていった。

 しかし、岩礁の狭さも祟って恐ろしい圧力に進化した爆風が私を襲おうとしていることに気づく。

 流石に自爆はシャレにならないので私はそのまま後ろへ倒れこみ、脚部のユニットを海面から無理やり引きはがす策を打った。当然、背中では浮力を得られないので私の体は海面を見上げるように沈み込んでいく。

 海上を瓦礫が吹っ飛んでいくのを眺めながら艤装を手放した。沈んでいく砲塔や魚雷発射管を横目に、全身から力を抜いて海中に身を委ねた。体を緊張させれば沈む速度が速くなることを経験上知っているから。

 とりあえず、腕を伸ばしておこう。まったく、自力じゃ海面に浮かび上がれないのは構造上の欠陥じゃないかしら、とゆっくり沈みながら悪態をついていると腕が掴まれる感覚がして――。

 

「大井っちー、沈まないでねって言ったじゃん」

 

 張り付いてくる濡髪の向こうにぶー垂れている北上さんが見える。あまりの近さに戦闘後の高揚感とは別の鼓動の激しさを胸に感じつつ、私は親愛なる彼女へつい頬を緩ませた。

 

「ありがとう、北上さん。心配させてしまってごめんなさい」

「ほんとだよー、もう。この体勢で曳航するの大変だからさー、とりあえず岩場にあがろっか」

 

 沈みかけた艦娘をつかんで引き上げるには脚部ユニットにもそれなりの負担を強いてしまう。なにより艤装を展開しているとはいえ、この排水量を腕で引っ張ったり支えたりするのは大変なのだが、まぁやろうと思えばできることの一つ。

 私は黙ったまんま暖かい手の感触を確かめつつ、今度北上さんに何かお礼を用意しなければとぼんやりと算段を立てることにした――。

 

―――

――

 

 ――北上さんに引っ張られ岩礁に辿り着いた私は、その上で仰向けに倒れこみ星を見上げている。濡れた体に冬の夜が容赦なく温度を奪っていく。艦娘ゆえにその程度はなんてことないが、早く温かいシャワーを浴びたい気分にさせられる。視界もぼんやりとしているのは先ほどの戦闘によるものだろうか、ともかく疲労が全身に纏わりついてしばらくは動けそうにない。

 北上さんはあきつ丸を引き連れて残敵の有無を確認するためこの出島周囲を含めて警戒行動中だ。今は響だけが私の護衛として残されている。

 風は未だに穏やかで月の輝きがしんとこの場所を照らしている。私と響の間に会話はなく波音がくすくすと笑っている。無機質な温度が支配している岩礁にぽつりと言葉が零れた。

 

「大井さんは……。いや、やっぱりなんでもないや」

 

 目線だけを響に投げる。その小さく猫背気味に丸まった背は波にゆらゆらと揺れている。

 私は口を開けるのも面倒で静かに見守るに留めた。

 

「私は役に立てたかな――」

 

 銀髪がたなびいた。彼女の問いに私は答えを持たず、その呟きだけが小さく聞こえる。

 まっすぐ前を向く彼女の眼に映るのは何か。声色には不安と迷いと自分への不満が帯びているように聞こえる。過小評価は毒だ。体を、考えを、委縮させ自分自身の選択肢を狭めることになる。だが、だからといって外から働きかけたところそれは変化しない、きっかけとはなるだろうが自分と折り合いをつけなければ彼女はステップアップしないだろう。

 私は彼女ではないし、彼女の過去も詳しく聞かない。興味がないわけではないが、私にしても自分のことと北上さんへの思いで精一杯なのだから。水を手の平で攫ってもその多くが指の間からすり抜けていくように、大切なものを増やしても零れ落ちていくだけということは、きっとこの世に存在する数少ない真実の一つ。

 

「あの狭い岩礁の間に立って砲撃を受けるのは怖くなかったの?」

 

 左へと顔を向けながら私へ尋ねる彼女の顔は影が掛かって表情が伺えない。

 

「そうね、当然怖かったわよ」

「そう……なんだ……。じゃあ……、なんで自分から向かって行ったかを訊いてもいいかな」

 

 再び顔を前に向ける彼女。後ろ姿の影は背負っている過去なのかもしれない。

 

「私たちの練度と損傷の程度から考えるとベターなやり方かなって思ったから、って答えでいいかしら」

「ううん、そうじゃないんだ。もっと大井さんの思いを聞きたい。あの地形じゃ、一度直撃を受けてしまえばすぐに沈まなくとも2度目3度目だって容易く命中するのは誰にだって想像がつくじゃないか。私がもしも同じことをやれって言われたら、……足がすくんでしまうよ」

 

 『だから』と続く。

 

「大井さんだってそんなことは百も承知だろう、下手をしなくても運が悪ければ沈んでしまうことは。私は不安だったよ。もし沈んでしまったらと考えると手が震えてしまっていたんだ」

 

 おそらく、ハ級との戦いでも思ったように体が動かなかったことがその口ぶりから容易に想像できる。

 

「考えすぎです、響。あなたは――」

「だって、私はもっとみんなと戦っていたい。置いて行かれたくない。こんな小手先の技術だけじゃなくて、ちゃんと戦果をあげられるような――」

 

 後悔と情けなさの念に押されているのか、興奮が止まらない様子だ。普段は口数が少なく表情も大きく変わらず読みにくい彼女の印象とは裏腹に、吐いても尽きぬくらいの悩みと思いが胸中に渦巻いていたのだろう。全く困ってしまう。子守は得意じゃない。

 彼女に聞こえないようにため息を吐きながら、空を見上げる。正直なところ、面倒くさくてしょうがない。メンタルケアをするにしても、人心地がついてからやりたいというのに。

 

「落ち着きなさいな」

「だって、大井さんが羨ましいんだ。私だって力が欲しい、仲間から頼られるような力を。信頼だなんて今の私じゃ支えきれない。このままじゃ実体のない、ただの響きに過ぎないんだ、私の名前は」

「二度目はないわよ。落ち着きなさい」

 

 しばらく、あたりは静まり返った。もう日付も変わるころだろうか。早いところ警備府へ帰りたい。いつの間にか少し雲が出ている。満月に食らいついていて丁度、漫画で描かれている三日月のようだなと思った。

 それは私の記憶によく見る形だった。

 

「正直なところ、今の私じゃ貴方の思いを受け止めたり励ましたりなんかはできません。私だって草臥れていっぱいいっぱいです」

 

 とはいえ、このまま話を切り捨てるのも後味が悪いので、黙って寝転んでいたい欲求を押さえつけて無理やり上体を起こした私はまっすぐと彼女へ顔を向ける。真正面にいる彼女はいつの間にこちらを振り向いたのか、私のことを睨みつけていた。口を真一文字に固く結び、全身を強張らせて激情に耐えているかのように拳を握りしめて。

 

「私の所感だけ、貴方に伝えます」

 

 私からはそれで十分だろう。後は提督の仕事だ。

 

「今日の戦闘での有利は響の偵察が大きく貢献しています」

 

 彼女は睨みつけるのを止め、ぽかんとしている。その幼げな表情はその体躯に似合っていて、私はようやくそれらしい彼女を見た気がする。

 

「戦力と地形はもちろん、敵深海棲艦の編成や損害の有無から目的や兵站まで情報を共有して貰ったことが、この殲滅戦を独断専行するにあたり強い根拠となりました。それが例え推測の域を出ないとしても採用するには十分な考察だったことも素晴らしいわ」

 

 それだけでMVPものだろう。あの提督のやり方や考え方を一番身に着けているのは彼女に間違いはない。誰が戦闘詳報を書くか分からないけれど、私であれば彼女を推すことに決めている。本当は北上さんを推したいところだが、流石に好みで左右してはならないことは弁えている。

 そも、前線において提督の考えをトレースできるのは作戦を遂行するのに重要なファクターだ。提督は基地から出ることはまずないし、無線連絡もいざ戦闘に入ればジャミングを受けたり機器の破損で途絶えることもしばしば、傍受などされてしまえば手の内を読まれることも危惧される。

 

「戦闘面でもあきつ丸のフォローをしたことも、ほぼ無傷で作戦を遂行できたことに大きく貢献しているでしょう。敵艦の砲塔の角度から射線を予測して回避運動の指示を出すのは容易なことではないですから」

「そう……かな」

「そうですよ。きっと、作戦によりけりでしょうけど、練度も上がるにつれて提督から旗艦を任せられることもあると、私は確信しています。ですから――」

 

 所感だけ、とは前置きしたけれど彼女には贈る言葉が一つだけ見つかった。いや、さっき見つけていたんだ。きっと彼女にはぴったりだろう。

 

「『俯くな。前を向け』」

 

 この言葉の主は疾うに除籍された。あの南の海で、取った私の手を弾いて、穏やかな海に沈んでいった。

 私の部隊はもう見つからない。

 

「……。励ますことは出来ないんじゃなかったのかい」

「"私じゃ"出来ません、と言ったんです。いつまでもこっちを見ていないで周囲を警戒しなさいな」

 

 きっとこの先、こんな先輩風を吹かすことも出来なくなるだろう。今度はこの北の海で私が彼女の部隊の中に入ることになるに違いない。なんとなくそう思う。

 

「すまない。込み入った話をさせてしまったみたいだ」

「そうですね」

 

 彼女は何かを感じ取ったような面持ちで私を伺っていた。私の話が原因とは言え私に気を遣うのはお門違いもいいところ。私はとっくに前を向いているし、人それぞれに自分の苦労を背負っているのは当たり前のことだから、他人を思いやる前にまず自分を思いやるべきだろう。

 

「なので、取り乱すのは今度から提督室でやることね。きっと提督も気を利かせてあなたと二人っきりでメンタルケアしてくれるわよ」

 

 ウィンクを交えて冗談を飛ばす。折角の夜なのだから、湿っぽい空気は似合わない。

 

「ハラショー、それは素晴らしいアイデアだ」

 

 『早速、警備府に戻ったら実行することにしよう』なんて軽口が叩けた響は少しだけ前を向けたようだった。割り切るのはまだ難しいだろうが、少なくとも今は良い傾向だ。

 ――過去は人それぞれでその痛みも人それぞれだ。私はそれを分かるとも思いやるともしない。貴方と私は違うから。そんなに薄っぺらなことは私はしたくないつもりだ。

 

 貴方の行くべき道が私の通った道ならば手を引いて行きましょう。貴方が目指す港が私の先だというなら、その背中を押しましょう。

 だから小さな旗艦候補さん、貴方が信頼できる僚艦として今少し先輩面をさせてくださいな。

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