働かざるもの食うべからず。
生活保護制度が充実し、それを利用する可能性が誰しもにある昨今、時代錯誤な言葉である。
しかし働ける者は当然ながら、労働力という名の社会の歯車にならなくてはならない。俺の仕事が果たして歯車たり得るのかどうかは、別として。
「そういうの、ほんっとしんどくて。何、これも仕事の一つなの〜? って考えちゃったんですよね」
春も幾分と近付いた頃。
俺はレンタルオフィスの中で、地下アイドルの『カラフルゆめみ』を取材していた。その名の通り色彩豊かなウィッグを着けた彼女は、今すぐにでも歌って踊れますとでも言うように、アイドル衣装に身を包んでいる。
アイドル衣装を見るのは、今日で二度目だ。しかしどうしてまた、あんな所に──。
「あの〜、聞いてますぅ?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
今朝の出来事に想いを馳せていると、心配そうな声音とは裏腹に疑わしげな目が俺を捉えていた。先程までの発言をメモに書き留めると、彼女は続ける。
「そこでゆめみは思い付いたんです。面倒くさいけど、仕事として割り切れたらいいんじゃないって。昔から男を適当にあしらったり手玉に取るのは得意だったんですよ〜」
さっきからアイドルになろうと思ったきっかけを聞いていたのだが、随分な物言いだ。これ、後から事務所に確認した時に全部NGくらったりしないだろうか。
「なるほど。アイドルには元々興味があったんですか?」
「い〜え〜? それほどは。あ、でも子どもの頃は流行りのアイドルの振り付け覚えたりしてたんで、本当は憧れがあったのかも知れません」
少しだけ真剣な表情になった彼女は、どこか自分を納得させようとしているようにも見えた。当たり前の事だが、地下アイドルにもそのキャラクターの分だけ人生がある。彼女のようになんとなくで地下アイドルになれた人間もいれば、切望して努力してようやくなれた者だっている。アイドルグループでデビューした後に不祥事で解雇され、地下アイドルとしてやり直しているなんて子もいた。
「最後に写真、何枚か頂いていいですか?」
「あ、はい。どうぞ〜」
週末アイドルとしての在り方や印象に残っているエピソード等を聞き終えると、俺は鞄からデジタルカメラを取り出した。いくら賞作家とは言えまだまだ駆け出しの身だから、わざわざカメラマンが帯同してくれるなんて事はない。足で稼ぎ手で作る。物書きの基本で本質だ。
「可愛く撮ってくださいね〜」
ゆるふわキャピルン☆ とでも擬声すべきポーズを取る彼女を、ファインダーの中の世界に閉じ込めていく。格好は奇抜だが、彼女の顔は造形で言ったらメジャーデビューしていてもおかしくないほどだ。それでも中々メジャーにはいけないのだから、本当に厳しい世界だと思う。
「撮った写真はネットの記事になるかも知れませんが、大丈夫ですか?」
「あ、はい。使う写真事務所に確認してもらえたら大丈夫です〜」
彼女の答えを聞くと、俺は撮ったばかりの写真を再生画面で確認する。担当編集の材木座と相談して、数人分の記事をネット新聞のコラムとして寄稿する事になっているのだ。収入源にもなるし、記事の反応を見て次の著書に入れるべきかどうかも判断できる。これが業界のセオリーなのかも知れないが、ああ見えて材木座は中々のやり手だった。
「それでは、以上になります。今日はありがとうございました」
「はい、こちらこそありがとうございました〜」
そう言って俺は鞄を手に立ち上がったのだが、ゆめみは一向に動く気配が無かった。それどころか、瞬き一つせずにこちらを見詰めてくる。
「比企谷先生って、記憶喪失になっちゃったんですよね?」
先生と呼ばれてむず痒さを覚えるのと同時に、その質問に「またか」と思ってしまう。
正確には逆向性健忘という症状だが、地下アイドルの取材を続けていると時折同じ質問をされる事がある。俺が倒れる前に取材を申し入れてきていたメディアは、キャンセルを受け入れる代わりに俺の事を記事にしたらしい。
『若き賞作家、クモ膜下出血に倒れ記憶喪失』
材木座にその事を聞いてエゴサーチをしてみたところ、そんな見出しがいくつかネット記事として上がっていた。大した反響はなかったとは聞いているが、そういった記事の事を彼女も伝え聞いているのだろう。
「よく知ってますね」
「もちろん知ってますよ〜。ゆめみ、前から先生のファンだったんですから。よかったら、これにサインして貰えませんか?」
そう言ってゆめみは鞄から俺の書いた本を取り出すと、両手で「はい」と渡してくる。⋯⋯この子、ひょっとして俺までファンにしようとしてるのかしら。
それにしても本まで買ってくれて準備するとは中々やる⋯⋯と考えながら裏表紙を開くと、なんと初版だった。本当に前から、俺のファンでいてくれたらしい。
「初版で買ってくれてたんですね」
「はい〜。だってファンですから」
そう言ってくてっと首を傾ける姿は、実にアイドルらしい。アイドルにそれほど興味はなかったと話していたが、こういう子の方が大成するのかも知れない。
どうやって自分のサインを書いたらいいのか俺の右手はよく覚えていて、サラサラと奥付けにサインを書き入れる。報道文学の賞など一般の人は興味もないだろうと思っていたが、俺は意外に有名人なのかも知れない。
サインした本を受け取って嬉しそうに笑う彼女を見て、ふとそんな事を考えた。
あれからもう一件取材を終えると、俺は自宅であるマンションに戻って来ていた。
一日で取材を二件はしごするなどあまり無かったし、二件目の子の方がキャラが強烈だった所為で精神的に疲弊している。まさか目の前で歌って踊られるとは予想できなかった。
「ただいまー⋯⋯」
誰も居ないとは知りつつも、癖になった言葉を廊下に向けた。今日は土曜日だったが、雪乃は休日出勤だから家にいない。厚着をしたまま歩いていた所為でじっとりと汗をかいてしまっているし、今日はいつもより疲れた。書斎に取材道具一式を置くと、とぼとぼとバスルームに向かう。
少し早いが、風呂を入れてしまおう。そう考えながら、脱衣所の扉を開けると──。
「え⋯⋯っ」
目に飛び込んで来たのは、肌色。
そのなだらかな身体に纏わりつく、未だ拭かれぬ水滴。
全てが凍りついたと思ってしまうほどの静謐な時間は、その肢体を伝い落ちる雫によって時の流れを取り戻す。
簡単に、簡潔に言えば、何故か雪乃がそこに居た。
一糸纏わぬ、生まれたままの姿で。
「す、すまんっ!」
慌てて扉を閉めると、早足でリビングに向かった。まるで坂道ダッシュでもした後みたいに心臓は早鐘を打ち、ソファに座ってしばらくしても落ち着く気配がない。
普通に、ばっちりと、見えてしまった。いや彼女の口振りだと、過去にも見た事があるはずだ。だが
なるべくもう、思い出さないように。しかしそう念じても何度も甦ってくる光景に悶々としていると、十分ほど経った後に雪乃がリビングに入ってくる。
「その、さっきは悪かった。⋯⋯思ってたより、早かったんだな」
「⋯⋯ええ。早目に用件が片付いたから」
雪乃はそう言いながら隣に座ってくる。やばい、目を合わせられない。
「八幡」
しかし雪乃の方は裸を見られた側だというのに、意外な程に動揺はなかった。それどころか伏せられた俺の顔を覗くように下から見上げ、無理矢理に目を合わせてくる。
「一緒にお風呂に入りたい時は、先に言って貰えると助かるわ」
そして余裕たっぷりににっこりと。さっきまで裸の女神だった彼女は着衣の女神になると、そう言って俺に笑いかけてきた。これを挑発と言わずに何と言えばいいのだろう。
「⋯⋯お前、押し倒すぞ」
「ええ。いつでもいいわよ」
精一杯の抵抗は虚しく、
「いえ、すいませんでした⋯⋯」
それ以上の事を行動に移せるはずもなく、俺はぼそぼそとそう言うに留まる。この流れで勝てる気がしない。
「⋯⋯まあ、まだもう少し時間が必要かも知れないわね」
どこか諦念のようなニュアンスを含ませながら言うと、雪乃はソファから立ち上がる。
「今日は私がご飯を作るわね」
そう言ってキッチンに立った雪乃の姿は、全くのいつも通り。
その後も、慣れた手つきで料理をする雪乃を、何度も何度も見てしまう。ついさっきの光景を、思い出しながら。
悶々とした気持ちのまま風呂に入り、雪乃の絶品手料理を食べ終えたあと。
夜も充分に深まり、後は寝るだけなのだが、そうなるとまた思い出してしまう事がある。いや雪乃の裸ではない。それと同じぐらい、重要な事だ。
俺は雪乃より先に就寝の準備を整えると、一人その戸の前に立っていた。その中はウォークインクローゼットになっており、衣服のほとんどはここに収納されている。
今朝の事である。
近頃暖かくなってきた事から、俺は春物の衣服を探しチェストの中を漁っていた。その際に見つけてしまったのだ。どういう訳か、アイドル衣装を。
それだけではない。猫耳と尻尾の下着セット。ナース衣装に白いスクール水着、どう考えても雪乃のサイズの燕尾服。それらと一緒に入っていたエプロンを、見つけてしまったのだ。
「どうしたの?」
後から寝室に入って来た雪乃は、立ち尽くしている俺に声をかけてくる。彼女に確かめるべきだろうか。いや、答えを聞かなくてももうその存在自体が答えのようなものだ。ついさっきも雪乃の裸を見てしまって気まずい思いをしたばかりだったし、これ以上のイベントはもうお腹いっぱいである。
「ひょっとして⋯⋯。
しかし黙り込んでしまった俺を怪訝に思ったのか、雪乃にばっちりと言い当てられてしまった。
「ああ⋯⋯」
しらばっくれてもよかったのだが、結局俺は好奇心に負けて頷いた。この機会を逃したら、暫く知る機会も無さそうだ。
雪乃はひっそりと息を吐くと、背中からぴたりと俺にくっついてくる。そしてすぐ耳元で、僅かな羞恥を滲ませた声で言った。
「エプロンを用意したのは私。あとはあなたが用意したものよ」
「⋯⋯そうですか」
どうやらこうなる前の俺は、随分と雪乃とお愉しみであったらしい。過去の俺はこれが地雷となり、そして自らが踏む事など露ほども考えなかっただろう。もー! 八幡のバカ! エッチ! どうすんのこの空気⋯⋯。
「⋯⋯寝ましょう」
雪乃は先にベッドに上がると、ぽんぽんとその隣を叩いた。彼女と寝床を共にする事などもう慣れたはずなのに、そこに向かう俺の動きは妙にぎこちない。
ベッドに寝転がると、雪乃は布団を引き寄せながらぽふっと俺の左腕の上に落ちてくる。リモコンで照明の明かりを落とすと、眠気など微塵も感じさせない大きな瞳が俺を捉えた。
「その⋯⋯。大丈夫?」
薄暗闇の中で、いつも通りに雪乃は俺の身体に腕を巻き付かせながら訊いてくる。
「⋯⋯何が」
「だって⋯⋯。以前なら少なくとも三日に一度は求めてきたわけだし、これだけ長い間しなかったのも、初めてだし⋯⋯」
段々声が小さくなってもにょもにょ言う姿が、まるでウブな少女のようだった。本当、そうやって天然なのか人工なのかは知らないが、こっちを試すような言動は控えて頂きたい。
「だから本当に我慢できなくなったら、⋯⋯いいのよ?」
「おい、お前さっきからやべぇ事言ってんぞ。お前のこと好きかどうかも分からない男に抱かれてもいいってのかよ」
「私が好きなんだから問題無いでしょう」
そこははっきり言うんかい⋯⋯。しかしこれじゃ、夕食前のやり取りの焼き直しだ。
いつかまたそういう関係になるとしても、きっとそれは今じゃない。たとえ彼女がそれを許したとしても、中途半端な事は出来なかった。
「⋯⋯寝よう」
俺はそう言って、目を瞑る。近頃は雪乃との距離の近さも慣れてきたけれど、また今夜は中々寝付けそうにない。
雪乃は俺の隣でもぞもぞと動くと、瞬間、柔らかな感触が頬に触れた。はっとして目を開くと、僅かに頬を染めた雪乃と目が合う。
「今日はこのぐらいで許してあげる」
「お、おう⋯⋯」
そう言うと雪乃は、表情を隠すように俺の胸に額を押し付けた。まるで子猫が甘えてくるような仕草に、胸が馬鹿みたいに高鳴る。
──いつか、はち切れるんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら、俺は無理矢理に目を閉じるのだった。
という事で、ちょっとだけ微エロありの話でした。
このぐらいなら、R-15タグつけなくてもいいよね……?
この話は八幡から見たら、雪乃がいきなりデレてくる話なんですよね。
これは以前プロット叩いて途中で展開思いつかなくて止めてしまった、雪乃が八幡と結婚した後に逆行してきて八幡ともう一度出会う話を活かしています。
雪乃さんみたいな美人がいきなりデレて来たら普通は即完落ちなのですが、そうならないのが八幡な訳です。
それでは、また次のお話で。