さよなら愛しき記憶たち。   作:滝 

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忘れたいぐらいの、たくさん。

 四月も中頃になると寒さもすっかりと緩み、過ごし易い季節になったと感じる。

 リビングに差し込む陽光は、俺の足元に暖かな陽だまりを作っていた。ソファに座ったまま首を回せば、キッチンで忙しくしている雪乃の姿が見える。さっきからずっと火を使っている所為か、嗅いでいるだけでお腹が鳴るほど美味しそうな香りが漂っていた。

 まだ昼食を摂っていないが、このまま昼寝してしまったらどれだけ心地いいだろうか。そんな事を考えていると、聞き馴染みのあるドアホンの音が鳴る。

 

「八幡、出て」

「あいよ」

 

 俺は立ち上がると、ダイニングの方まで歩いてドアホンのモニターを確認する。そこに映っているのは、お団子頭の女の子と亜麻色の髪が艶やかな眼鏡の女の子だ。いや年齢的に大人女子とでも言った方がいいのだろうか? そんな事を考えながら「今開ける」と声をかけて、玄関に向かう。

 

「やっはろー! ヒッキー」

「お邪魔しまーす」

「お、おう⋯⋯やっはろー。いらっしゃい」

 

 扉を開けた瞬間に謎挨拶をぶちかましてくる由比ヶ浜結衣と、にっこり素敵な笑顔を向けてくる一色いろは。二人は顔を見合わすと、やがて由比ヶ浜はくつくつと笑い出した。

 

「なんだよ⋯⋯。なんか面白いところあったか?」

「だって、ヒッキーがやっはろーって⋯⋯。ふふっ、初めて聞いた」

「ですねー。いつも『おう』とか『うっす』でしたし」

「さいですか⋯⋯」

 

 どうやら俺は挨拶もそぞろなシャイボーイであったらしいが、「やっはろー」で返さなかったのはそれが正解な気がする。俺が言うと違和感凄いし、アホっぽいし。それにしても、自分の事を自分より他人の方が知っているというのは、やはり不思議な気分だ。

 二人を連れてリビングに戻ると、雪乃は視線をコンロの上の鍋からこちらに移した。

 

「いらっしゃい。ごめんなさいね、わざわざ来てもらって」

「いえいえ〜。雪乃先輩の手料理で祝って貰えるならどこにでも駆け付けますよ」

 

 そう答えた一色の横で、由比ヶ浜もうんうんと頷いている。

 本日我が家に集まったのは、一色いろはの誕生会の為だ。

 先月は小町の誕生日会で集まったきりだったから、こうして顔を合わせるのは一ヶ月と少しぶりだった。ちなみに小町ちゃんは休日出勤だとかで、本日は不参加である。

 去年までは居酒屋なりレストランなりで集まっていたらしいが、今日は雪乃が手料理とお手製ケーキを振る舞うとの事で我が家での開催となった。ひょっとしたら、俺が過去を思い出せなくなってから一滴も酒を飲まなくなったのに配慮してくれたのかも知れない。倒れる直前に酒を飲んでいたという話を聞くと、どうしても飲む気にはなれなかったのだ。

 

「ゆきのん、あたしも何か手伝おっか?」

「いえ大丈夫よ何もしないでゆっくりしていてちょうだい」

「なんか凄い早口で断られた⁉︎」

 

 そんなやり取りの後、ふと二人は破顔した。まるで「懐かしいね」と囁き合うような、緩やかな時間が二人の間だけに流れている。

 何があったかはよく思い出せないけど、本当仲良いな。こいつら。

 

「まーたやってる⋯⋯」

 

 俺の隣に並んだ一色は、そう言ってふと微笑む。

 俺も多分そんな顔をしているんだろうなと思いながら、同意する由もないというのにそっと頷き返した。

 

 

 

 雪乃お手製の昼ご飯を食べ、プレゼントを渡し、小腹が空いてきたところでこれまた雪乃謹製のケーキを頂く。

 一色の誕生を祝う会は(つつが)無く(なご)やかに、土曜日の午後を暖かいものにしていた。

 

「でね、プロムが終わって泣き出しちゃったいろはちゃん宥め終わった後に、こっそり泣いてるの見ちゃったんだよね」

「⋯⋯マジで?」

「結衣先輩、その話はわたしにもダメージあるんですけど⋯⋯」

 

 雪乃の作ってくれたケーキを食べながら、彼女たちは俺の知らない思い出話に花を咲かせていた。生徒会長をしていた一色が俺たちを送り出す卒業式後のプロムで泣いてしまったという話から、ついでに俺まで泣いていたらしい。思い出せないのだからノーダメージのはずなのに、何故か恥ずかしくなってくる。

 雪乃曰く、俺と雪乃と由比ヶ浜は同じ部活の仲間であったらしい。一色は高校一年の時から二年まで生徒会長をしていて、何故かは分からないがよくつるんでいたという事だ。

 

「あなたには言っていなかったけど、実は私も一緒に見ていたのよね」

「やめろよ⋯⋯。っていうか泣いてたの俺だけなのか?」

「あたしも超泣いてたよ!」

「自信満々に言う事でもないと思うけど⋯⋯。まあ、その⋯⋯私も泣いてしまったし」

 

 あれ、なら俺だけ弄られる感じになっているのはおかしいのでは⋯⋯。俺に胡乱げな目を向けられながらも、雪乃は昔の事を思い出しているのか、その瞳に優しさを滲ませながら言う。

 こうやって社会人になってからも、理由を見つけては集まる仲なのだ。きっと俺たちの間には、強い絆があったのだろう。そう思うと、それすらも思い出せない俺が酷い薄情者に思えてくる。

 それに少し──いや、大いに勿体無い事をしているなと思った。これだけタイプもそれぞれで綺麗で可愛らしい子たちとの高校生活を過ごしていたのだ。俺の性格からウェイウェイしていたとは思えないが、どう考えてもリア充の青春ではないか。なんだそれどこのラブコメの主人公だよ爆発しろ。

 

「⋯⋯で、先輩は昔話を聞いて、何か思い出す事はありましたか?」

 

 一色はそう言って、くてっと首を倒した。なんともあざと可愛い仕草は、どこぞのアイドルを思わせる。

 

 ⋯⋯⋯⋯って、あれ?

 

 俺は一色の仕草に、引っ掛かりを覚えた。この仕草を、俺は知っている。というか、最近見た覚えがある。

 

「一色、ちょっと眼鏡を外してくれるか?」

「⋯⋯いいですけど」

 

 一色はそう言ってウェリントンの眼鏡を外すと、自信ありげな笑顔で俺を見た。

 やはりだ。髪型も色も違うけれど、ここまでくれば見間違えようもない。

 

「ひょっとして⋯⋯カラフルゆめみ?」

「あ、やっと気付きましたか」

「え? なに、どう言うこと?」

 

 あっけらかんと認める一色に、事情が飲み込めていないのか俺と一色を交互に見る由比ヶ浜。その隣で、雪乃は全部知ってますと言った顔で優雅に紅茶を飲んでいた。

 

「ひっどいですねー先輩は。ゆめみはずっと先生のファンだったのに」

「マジかよ⋯⋯」

「ねえ、全然話見えないんだけど⋯⋯」

 

 勝手に話を進めていく俺たちに、取り残された由比ヶ浜は口を尖らす。どうやら彼女にはアイドル活動の事を言っていなかったらしい。

 かいつまんで事情を説明すると、由比ヶ浜はほえーっと呆気に取られた表情を浮かべていた。

 

「そんなことしてたんだ。それで急に眼鏡を⋯⋯」

「ええ。たまにファンの方に気付かれちゃうことがあったので」

「ゆきのんも知ってたの?」

「⋯⋯自分を売り込むにはどうしたらいいか、前に相談を受けてね」

 

 アイドルのマーケティングは専門外なのだけれど、と付け加えると、雪乃はすっと目を細めて俺を見る。

 

「知り合いだからと言って、記事を書く時に依怙贔屓(えこひいき)にしては駄目よ」

「ええー、ゆめみは全然オッケーっていうか超ありがたいんですけど」

 

 きゃぴルン☆ と一色は言っているがそれを見る雪乃の目は冷ややかだ。雪乃ははむっと自分で作ったケーキを食べると、一口紅茶を飲んでから言う。

 

「一色さんなら大丈夫よ。私や八幡の後押しがなくても、きっと成功するわ」

「あー⋯⋯いや、ワンチャン売れそうならそっちで頑張るのもアリかなって思ってるぐらいなんですけど⋯⋯。そういう台詞本当ずるいな格好よすぎる」

 

 面映いのか雪乃を直視できなくなった一色は、俺の隣でもじもじし始めた。あれか、このいろはすは照れはすだな。あと雪乃さんもキメ顔で言うと誰よりも格好良くなってしまうから自重しなさい。

 

「あ、じゃあさ、今度みんなでいろはちゃんのライブ観に行こうよ!」

「あ、是非ぜひ。グッズも買って下さいね」

「身内にまで売り込むのかよ⋯⋯」

「冗談ですよ。Tシャツ団扇タオル一式で差し上げますんで、一緒にゆめみとドーリーミン☆ して下さいね」

 

 そう言うと一色は横ピースに舌をぺろりと出して、いつぞやの撮影の時と同じポーズを取る。あざと可愛いそのポーズは、地下アイドルとは言えプロ然としていた。

 

「私はもう、持っているけれど⋯⋯」

 

 その発言に俺は「えっ」と固まり、由比ヶ浜は「ん?」と首を捻る。

 雪乃さん、実は一回ライブに行ってガッツリはまっちゃった系だったりするのか?

 地下アイドルにはまる雪乃さん⋯⋯アリだと思います!

 

 多分⋯⋯。

 

 

 

 

「いやー、やっぱり雪乃先輩の手料理は最高ですね。毎日食べたいまである」

「うん、本当それ。何食べても美味しいもん」

 

 綺麗に舗装された歩道に、時折現れる路駐の車。そこかしこを走る電線の下を、俺たちはゆっくりと歩いていた。

 夕方になり彼女たちが帰る段になると、私は夕食を作るからあなたが送ってあげてと雪乃に言われたのだ。

 

「それじゃわたしはこの駅なんで。送ってもらってどうもでした」

「おう」

「じゃあね、いろはちゃん」

 

 一色はぺこりと一礼すると、手を振ってから駅の入り口へと吸い込まれていく。さてもう一人の子はというと、一色の姿が見えなくなるまでじっと立ったままだった。

 

「由比ヶ浜が使う駅はどっちだ?」

「こっち。⋯⋯だけど、寄り道しよっか」

 

 由比ヶ浜はそう言うと、自ら指さした方向に向かって歩き出した。どうせすぐに帰ったところで、まだ夕食は出来ていないだろう。俺は頷くと、由比ヶ浜の背中を見ながら歩き始める。

 線路沿いから少しだけ離れていくと小さな公園が見えて来て、由比ヶ浜は特に何も言うでもなくそこに入っていく。ベンチに腰掛けると、由比ヶ浜はほうっとした様子で空を見ていた。

 もう大分と季節は進んだとは言え、まだまだ暗くなるのは早い。俺もつられるように頭上遥か彼方を仰ぐと、林立するビルに侵蝕された空には茜色に染まった羊雲が見えた。

 視界の端で、ママ友同士と思われるお母さんたちが井戸端会議に熱中している。小さな男の子が公園を走り回っていたかと思うと、砂場の段差で転けて派手に泣き始める。

 

「ヒッキーはさ」

 

 由比ヶ浜は男の子に駆け寄る母親の姿を見ながら、そう切り出した。

 

「ゆきのんと、結婚しないの?」

 

 思っても見なかった方向からのど直球な質問に、俺ははっとして由比ヶ浜の顔を見た。けれど彼女は、目の前の出来事の一部始終を見続けている。

 

「なんで⋯⋯?」

「結婚式の話、今は中断してるって聞いたから」

 

 そう言われて俺は「ああ」と小さく呟くと、彼女に倣うように幼子をあやす母親へ視線を移した。

 由比ヶ浜の言う通り、俺たちは結婚に関する全ての物事を先送りにしている。そう言う事はまず俺が過去を思い出せるようになってから、と話したっきりなのだ。

 

「まあ⋯⋯。今のところは、しないな」

 

 それが正直な気持ちだったし、選択としてまちがってもいないと思う。本当なら今頃雪乃と式を挙げている頃合いだったが、彼女をまともに愛せてもいない男が伴侶になるなど、あってはならない事だった。

 

「そういうのは、ちゃんと思い出せるようになってからだと思う」

 

 俺が出来るだけ正直に、取り違えもないように伝えると、由比ヶ浜はようやくをこちらを見た。

 

「質問をちょっと変えるね。今のヒッキーは、将来的にはゆきのんと結婚したいと思ってる?」

「それは⋯⋯」

 

 答えはすぐに出て来なかった。イエスかノーで考えると、その答えは性急過ぎるようにも感じる。

 雪乃に心惹かれているのは確かだった。大事な過去をどこかに閉じ込めてしまった俺をそれでも愛してくれて、時々面倒臭くて辛辣なのにそれも可愛くて。毎晩その愛らしい寝顔を眺めて、明日も明後日も見ていたいとも感じている。

 けれどそれだけでは、雪乃と人生を歩むにはまだ足りなかった。彼女が注いでくれている愛情と同じ量の愛情を返せるかと言われれば、きっとまだ無理だと思うから。

 

「将来的にはしたい。⋯⋯けど、順番を逆にはしたくない。まずは俺がちゃんと昔の事を思い出して、雪乃に向けていた気持ちを取り返したいんだよ。そうじゃないと⋯⋯フェアじゃない」

 

 俺が訥々とそう語る間に、母親に抱かれた子どもはもう泣き止んでいた。由比ヶ浜はそれに少しだけ安心した表情をした後に、俺を見てはぁと盛大に溜め息をついた。

 

「ヒッキーって、やっぱりヒッキーだね。そういう律儀っていうか⋯⋯頑固なところ、本当にヒッキーらしいよ。⋯⋯それから、ずるい」

 

 最後はとても小さな声だったのに、由比ヶ浜の言葉は俺の心の深くにめり込んだ。

 

「ゆきのんは、今のヒッキーをちゃんと見て、それでも好きだって思ってるよ。それにヒッキーは、ちゃんと向き合ってない。思い出せたら全部上手くいくって思って、昔の自分に期待してる。そんなの、ずるいよ」

 

 悔しさとやるせ無さでいっぱいになった顔で、由比ヶ浜は唇を噛んでいた。言われたことは、全部図星だ。それでいいのか、これでいいのかと自問を繰り返して、自分から雪乃への気持ちを停滞させようとしているんじゃないかとすら感じる。

 今の俺と過去の俺は、決定的に、隔絶的に違う。

 その強固な認識が、雪乃の気持ちを素直に受け取れなくしているのだ。

 

「ちゃんと、ゆきのんを見てあげて。愛が重いなーって思うかも知れないけど、昔のことを思い出せるようになってもそう感じるのはたぶん変わらないよ。もともと激重なんだ、ゆきのんは」

 

 一体何が、雪乃と由比ヶ浜とをここまで強く結びつけたのだろう。どうすればこれほどまでに強く、お互いを思いやれるのだろう。

 きっと俺は知っていた。雪乃の事も、由比ヶ浜の事も、全部とは言えなくてもちゃんと向き合って知っていたはずだった。色々な事を知っていて、その上で俺には彼女を愛する資格があるのだと、疑いようもなく信じていたはずだったのに。

 

「⋯⋯ありがとな、由比ヶ浜」

 

 俺の口から溢れた言葉に、由比ヶ浜はううんと首を振る。いつしか公園内には俺たちしか居なくなり、茜色の空は藍色へと移り変わっていた。

 

「たぶん、色々あったんだよな。俺たちには」

 

 遠くから聞こえてくる車の走行音にさえ負けてしまいそうな声で、そう呟いた。由比ヶ浜はどこか疼痛を感じるような表情で、しかし茫洋(ぼうよう)とした優しい笑みを浮かべる。

 

「うん、いっぱいあったよ。すっごくたくさん。⋯⋯忘れちゃいたくなる事も、あるぐらい」

 

 由比ヶ浜はそう言うと、また空を見上げた。口元と目尻に僅かに残った微笑みが、痛いほどの郷愁を呼んでくる。

 

 

「けど忘れたくないな、絶対」

 

 

 由比ヶ浜は空よりも海よりも深い瞳に、慈愛を閉じ込めて俺を見る。

 その目が、表情が、言葉以上に雄弁に語っていたから。

 

 俺は今の俺に出来る事を──すべき事をしようと、そう思った。

 

 




 今回もお読み頂きありがとうございました。
 この話はこの物語の中でかなり大事な回になってまして、理由はもう言わずもがなですね。

 私が八雪の長編を書くと結衣にこういう役回りばかり回ってくるのが、結衣もいろはも好きな自分に取って非常に心苦しい⋯⋯。
 けれど八幡に正しく言葉を届けられるのは、やはりこの話では結衣しかいないんですね(少なくとも現時点では)。

 よければ評価や感想を頂けると嬉しいです。
 次回も早目に更新できるようにバリバリ書いておりますので、引き続きお楽しみ下さい。


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