さよなら愛しき記憶たち。   作:滝 

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このお話はあまり本筋とは関連性が薄いので、読んでも読まなくてもストーリー上は影響ありません。
ただ八幡と雪乃をプールで戯れさせよと天啓を得たので書きました。





一歩進んで、一と半歩下がる。

 色とりどりの光が、水面を綺羅びやかに彩っていた。

 宵闇はとっぷりと辺りを覆い尽くし、それを跳ね飛ばすかのように明るい声がそこかしこから飛び交っている。

 

 ホテルに併設されたナイトプールは盆を越えても盛況で、ぽつねんと一人待つ俺の疎外感をより強調しているように思えた。

 一体何故、こんな所にいるのか。

 理由は単純明快。雪乃とのデートである。ディスティニーランドにデートに行ってからというもの、時折りこうしてデートらしいデートを重ねるようになっていた。

 夏らしいデート、と考えた時に真っ先に思い浮かんだのは海だったが、色々と持ち込む物が多いので車を持っていない俺たちには厳しい。レンタカーを借りても良かったが、そもそも海は暑すぎて俺が無理だ。

 しかし、敢えて有り体に言おう。

 雪乃の水着姿が見たい。見たいったら見たい。裸も見てしまった事があるだろうという話なのだが、ラッキースケベな全開チラリズムと見られる事が意識された局部のみを隠すチラリズムでは、明らかに後者の方がくるものがあると思う(個人の見解です)。

 そこでそれらの制限をクリアしつつ、雪乃の水着姿を見る為に提案したのがこのナイトプールである。最初は雪乃も渋ったが、以前俺とのデートを断るはずがない言っていたのを引き合いに出して何とか了解を取り付けた。目的の為なら手段を選ばない俺が怖い。

 

「お待たせ」

 

 その鈴が鳴るような声に振り返ると、瞬間俺は息を呑んだ。

 ほっそりとした白い脚はまるで写真モデルのように完璧な脚線美を描き、夜の帳を連想させる漆黒の長い髪はシュシュでアップにまとめられている。そしてその上半身は――。

 

「おう⋯⋯。その、なんでパーカー?」

「パーカーじゃなくて、ラッシュガードよ」

 

 雪乃は上半身から腰の辺りまで、水色のラッシュガードでその素肌を隠していた。ちらりと見えるボトムの形からでは、それがワンピースなのかビキニなのかは分からない。脚だけ素肌見えてるのもやたらと悩ましくていいのだが、出来る事ならその全容を見たい。見たいったら見たい。

 

「夜だから、日焼け対策は要らんだろ」

 

 ラッシュガードとは本来体温の低下を防ぐ意味もあるらしいが、ここ東京はまだまだ暑い。それに夜だから当然日焼け対策など必要ないはずだ。

 俺が言うと、雪乃は短く息を吐いて顔を顰める。

 

「そうなのだけど⋯⋯。人目に晒すのは、ちょっと」

 

 えぇ⋯⋯。じゃあなんで今日の為に水着新調してくれたんでしょうか楽しみにしていたのに。

 俺が心情を隠し切れない目で見ていると、雪乃はぽしょぽしょと補足する。

 

「⋯⋯大学の時に、みんなで海に行ったことがあるの。その時にちょっと、注目を集めすぎてしまって」

「ああ⋯⋯。うん、まあ、見るだろうな」

 

 みんな、というのは恐らく由比ヶ浜や一色の事だろう。彼女たちのスタイルの良さは服の上からでもよく分かるが、そんな中にあっても雪乃の水着姿は目立ってしまったらしい。というか多分そのメンバーなら雪乃だけではなく、三人ともそこらの視線を集めて止まなかっただろう。俺なら確実に目の動きだけでガン見して脳裏に焼き付け、後から見過ぎだと怒られるまである。バレちゃうのかよ。

 

「浮き輪は借りて来てくれたみたいね」

「ああ」

 

 この話は終わり、とばかりに雪乃が言うと、俺もこれ以上言及するのは止めて頷いた。雪乃の水着姿を見るのを諦めた訳ではないが、下手に食い下がって頑なになられても困る。

 行きましょうか、と言って先に雪乃は歩き出す。雪乃がプールサイドに立ってこちらを振り返った瞬間、俺は彼女のその身体に大型の浮き輪をかけた。雪乃は反射的に浮き輪を落ちないように持つと、まるで極太のフラフープに身体を通しているみたいな格好になる。

 

「⋯⋯私だけ?」

「いやまあ⋯⋯。俺は掴まって浮いてるからいい」

 

 俺の答えに少しだけ不満そうな顔をすると、雪乃は静々とプールに入る。レンタルした大型の浮き輪は細身の雪乃には大き過ぎるようで、サイズの合わない服を着せられた子どもみたいな可愛さがあった。

 正直俺も一緒に入れないサイズではないのだが、そうすると確実にめちゃくちゃくっついてしまう。そうするのはやぶさかでは無いのだが、色々まずい事になりそうだから自重しておく事にする。

 俺もプールに入ると、宣言通りに雪乃が使っている浮き輪に掴まった。ナイトプールは水の中からも外からもライトアップされ、その特別感を上手く醸成している。

 ⋯⋯けどこれ、どうしたものだろう。俺が拝むのはラッシュガードという名のパーカーに秘匿された雪乃の背中。ずっとプールの(すみ)に居るのも邪魔なので取り敢えず浮き輪を押して空いている場所を漂ってみるのだが、これがナイトプールの楽しみ方で合っているのだろうか。ぐるりと周りと見渡して見ると、派手なビキニを着た女の子たちがぐっと腕を伸ばして自撮りに夢中になっている。

 

「せっかく来たんだし、私たちも撮りましょうか」

 

 そう言って雪乃は、何やらもぞもぞとパーカーのチャックを下ろす素振りを見せる。何、ようやく水着見せてくれる気になったのん? と覗き込むと、パーカーの内ポケットから防水ケースに入れた携帯を取り出すところだった。

 そして一瞬、見えてしまった。ボトムと同じで、その身を包むのは黒だ。全容が明らかになっていないので、やはり水着のタイプは分からない。ついでにふにょんと形を変えたささやかながらも柔らかそうな丘陵まで見えてしまって、とくんと心臓が跳ねた。童貞かよ。

 

「もうちょっと寄れる?」

 

 雪乃は携帯の画面を確認すると、ちらと俺を振り返る。(よこしま)な考えや視線には気付かれてないはずだ、多分。

 言われた通りにぐっと身体を寄せると、画面の中で気持ち俺の顔が大きくなる。

 

「これでどうだ?」

「まだ私ばかり映るわね。やっぱりあなたもこっちに入って」

 

 雪乃はそう言うとぽんぽんと浮き輪をタップした。簡単に言ってくれるが、言われた通りにすると妙にくっついてしまう事になる。

 

「⋯⋯一旦浮き輪から出たらどうだ?」

「それでもいいけれど、どうせくっつくのには変わりないわよ」

 

 どうやら俺が何に抵抗を覚えているのかはお見通しのようだ。まったく一方的に理解があるというのは、言い訳も何もかも予想され尽くしてしまうので困る。

 周りを見ても浮き輪は大きい物がほとんどで、カップルはもちろん女の子同士でも一緒に入って使っている姿ばかり。っていうか人の見てるとすげぇバカップルっぽいなと思うんだけど、マジでこれやんの?

 

「早く」

「はい⋯⋯」

 

 もう一度浮き輪をタップされ、俺も遂に観念した。というか、最初からそうすべきだったのだ。少なくとも俺は、ちゃんと雪乃と向き合おうと心に決めたのだから。

 浮き輪を少し持ち上げてその中に入ると、プールの中で太もも同士が密着する。雪乃はそれに反応する様子もなく、またぐっと腕を伸ばしてインカメラのプレビューを見ていた。

 

「もう少しこっちに」

「はい⋯⋯」

 

 ぶっちゃけもう画面には二人ともちゃんと収まっているのだが、雪乃さん的には構図が今一つらしい。ほとんど雪乃の肩を抱くのと変わらない近さになると、「撮るわよ」の一言の後にシャッター音が響く。

 雪乃は撮りたての画像を確認すると、むふーっと満足そうな顔でそれを見ていた。なんだこいつ可愛いの塊かよ。

 写真を撮り終わってそそくさと浮き輪から出ようものならまた呆れられるのは分かり切っていたので、そのまま浮き輪に掴まって色鮮やかに照らされる水面を揺蕩(たゆた)う。雪乃はまたパーカーの内ポケットに携帯を仕舞うと、くるりと浮き輪の中で身を回してこちらを見た。そのまま何を言う訳でもなく、俺の顔を見て静かに微笑む。

 

「なあ、それ脱がないのか?」

「⋯⋯正直、今更じゃないかしら」

 

 少しの逡巡の後に、雪乃はそう言った。しかしわざわざナイトプールに来ているというのに水着姿を拝ませて貰えないとは、生殺しもいいところだ。

 

「プールの中なら、脱いでもそんなに見られんだろ」

「それは、そうかも知れないけど⋯⋯。そんなに見たいの?」

「見たい。見せてくれないならせめてワンピースかビキニかだけ教えてくれ」

「急に素直になったと思ったらただの変態発言ね⋯⋯」

 

 雪乃はこめかみを押さえるが、別に下着の色を教えてくれと言っている訳じゃない。ちなみに雪乃の持っている下着は黒は一着だけで後は淡色系が多い。八幡、洗濯物干してるうちに覚えちゃった。

 

「はぁ⋯⋯。分かったわよ。でもここだと、やっぱり人目が気になるから⋯⋯」

 

 すい、と視線をスライドさせて、雪乃はプールサイドの方を見た。その奥を見れば、休憩用の建物の間でコの字の空間が出来ている。

 視線の意図を汲み取ると可及的速やかにプールサイドへと移動し、二人して陸に上がった。一瞬ライトアップされた雪乃の細い脚に視線を奪われそうになるが、見過ぎて機嫌を損ねたくないので意思の力でそれを剥ぎ取る。

 

「さっきから見過ぎよ」

 

 コの字の空間に入ると、雪乃は目を細めてそう言い放つ。全然隠せてませんでしたね、はい。

 

「正直、あなたの目を見ていると見せる気が失せてきたのだけど⋯⋯」

 

 と、そう言いながらも雪乃はゆっくりとパーカーのチャックを下ろし始める。少しずつと露わになっていく、雪乃の白い肢体。自ら、しかも焦らすようにゆっくりとほとんど半裸と言っていい姿を曝け出すその行為は、生唾ごっくんどころか生唾ごくごくものだ。俺は手を差し出してパーカーを雪乃から受け取ると、正真正銘、混じりっけなしの水着姿を堪能する。

 

「ど、どうかしら⋯⋯」

 

 そう言って雪乃は右手で左肘を持ち、うら恥ずかしいのかその身を捩る。

 雪乃の身を包むのは、黒のビキニだった。

 なだらかな肩。その下の鎖骨からは艶かしく水滴が滴り、決して深くはないが美術品のような谷間に滑り落ちていく。身体のどこにも無駄な脂肪は無く、腰のくびれが作る曲線美は完璧なカーブを描いていた。

 およそ全ての理想を詰め込んだかのような、究竟のスレンダーボディー。それが最小限の黒い布地だけで守られている姿を見て、俺の感想はとてもシンプルな物になる。

 

「いい⋯⋯」

 

 語彙力を完全に消失した俺は、ドーラ一家の次男が如くその感動に打ち震えていた。一体何を言えばこの地上に舞い降りし女神の全貌を伝えられるのか、物書きの端くれのくせに(ろく)に思いつきやしなかった。

 

「うわ、見て」

 

 いい加減見詰め過ぎて、雪乃がもじりだしたその時だった。不意にそんな声が聞こえたのは。

 一気にアクセルが踏み込まれる思考。しかしそれよりも早く、俺は雪乃を壁に押し付けるようにして彼女の身体を隠していた。

 

「いいねもう五○いったんだけど。ヤバくない?」

「えーすご。誰が見てる?」

 

 明るい声がすぐ近くを通り、やがて遠ざかっていく。ナイトプールの喧騒が耳に戻ってくると、それよりも心臓が早鐘を打つ音がうるさく聞こえた。

 

「あ、の⋯⋯」

 

 今の状況は、誤解を承知で言うなら壁ドンの格好に近かった。ただし、壁ドンなんて距離ではなく、俺の身体は雪乃の身体に密着しており、言わば壁プレスである。胸板に感じる柔らかさから心臓の高鳴りが伝わりやしないかと思うぐらいに、何もかもが近い。鼻がくっつくぐらいの距離で見る雪乃の顔は、一体いつからそうなっていたのか真っ赤と言っていい程に紅潮していた。

 

「あ、ありがとう⋯⋯。もう大丈夫だから」

「あ、ああ⋯⋯。その、急にすまん」

 

 そっと身体を離すと、雪乃にパーカーを渡す。それに袖を通す姿ですら直視できなくなって、俺はずっと光の揺らめく水面を見ていた。

 

「あの⋯⋯」

 

 その言葉に雪乃へと視線を戻すと、彼女はパーカーを羽織ったまま前をはだけさせていた。自らの身体をかき抱くような仕草のお陰で、その柔らかい部分が二割増しに大きく見える。

 

「まだ、ちゃんとした感想を聞いていないのだけど」

 

 恥ずかしいのか顔が少し伏せられている所為で、雪乃は上目遣いになる。緩やかに心拍数を下げていた心臓は、また鞭打たれたかのように走り出す。

 いい、なんて一言では、雪乃は納得してくれないらしい。けれどこの感動をなんと伝えればいいのか、未だに最適な言葉が見つからなかった。

 それでもようやく戻ってきた語彙で、伝えるしかない。恥ずかしそうな態度を、完全に払拭し切るまで。雪乃が自分の真の価値を、完璧に理解できるまで。

 

「雪乃、すごく──」

 

 

 

 

 明るい雲の間にぽかんと浮かんだ月は、口を開けて笑っているようだった。

 高層ビルの間を抜ける風は涼やかとは言えず、強いて言えばぬるやかに俺たちの間を駆け抜けていく。ずっと水中にいた所為か、どこか身体は重く、まだ夜も十時を回っていないというのに強い眠気を感じる。

 

 結局あのあと閉場時間ギリギリまで、俺たちはナイトプールに滞在し続けた。ただプールで浮いているだけの時間は意外にも早く過ぎ去って、少し名残惜しいぐらいだ。そんな風に感じるのはきっと、というか間違いなく隣を歩く人が居たからだろう。

 

 当の本人は薄ぼんやりと笑う月を時折り見て、夜闇に包まれた道に視線を戻すのを繰り返している。

 俺との距離は、半身分と言ったところだろうか。偶に手と手が触れ合うが、それ以上の事は起こらない。これではディスティニーランドに行った時より、後退しているではないか。一歩進んで二歩下がるとはこの事だ。

 そう考えると、やはり夢と魔法の国の効果は凄い。あの国では誰もが主人公になって、一歩踏み出す勇気を貰えるのだ。

 

「なあ」

 

 けれど、俺は。

 今度は私があなたを助ける番と言った彼女の言葉を鵜呑みにするつもりは無い。彼女に任せっきりでは、不実に過ぎるし本意じゃないから。

 

「前もこんな風に、プールに行ったりした事はあるのか?」

 

 僅かに俺の方に身体を向けた雪乃に問いかけると、雪乃は柔らかな微笑みを浮かべて答える。

 

「あるわよ。ナイトプールは初めてだけれど」

 

 その答えに少し安心して、やはり少し悔しくなる。その気持ちをかき消すように、俺は雪乃の手に自らの手を伸ばした。

 俺に触れられた雪乃は、びくっと僅かに指を反応させる。次の瞬間手を握ろうとした俺の手から逃れ、代わりとばかりに小指同士を絡ませてきた。

 

「こうやって初めてのことを積み重ねていけるのが、とても嬉しいの」

 

 指切りげんまんでもするみたいに小指と小指を繋いだまま、雪乃は前を見て言った。ああ、しまった。このままでは、全部言われてしまう。けれどそれも、答え合わせをするみたいで悪くない。

 

「だからこんな風に、また出掛けましょう。行ったことのない場所に行って、やったことのない事をするの」

 

 ああ、と頷くと、雪乃は「約束」と言って微笑んだ。

 手を握る事は叶わなかったが、これはこれできっといい。

 一歩進んで、二歩下がる。それでもそこから半歩でも一歩でも踏み出せるのなら、彼女とこうして美しく歩んでいける。

 

 これは予想や希望なんかじゃなくて、約束なのだから。

 

 




 という事で八幡と雪乃がナイトプールに行くお話でした。

 社会人になっていてかつ東京に住んでいたら、ナイトプールというのもアリだよなぁ⋯⋯と。

 気付いた方もいるかも知れませんが、パーカーの下りは私の大好きな作品『やはり俺の社会人生活は間違っている(kuronekoteruさん作)』のオマージュです。
 シチュエーションは違いますが、焦らして見せるのって絶対ドキドキワクワクすると思うのです。

 少しずつ進んでいく物語。引き続き楽しんで頂けたと思います。
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