走ることしか考えていないスズカのおはなし。   作:サイレンススズカ専属トレーナー

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サイレンススズカIF4

 

 私が所属するチーム、エルナトのトレーナーは凄い方です。

 

 獲得GⅠ数? いえいえ、それだけならもっと……いえ、一人で、という意味なら別ですが、もっと上の方もいらっしゃいます。

 

 

 では、何が凄いかって。

 

 

「お疲れ様です、トレーナー!」

「お疲れ。今日はお休みじゃなかった?」

「レースに勝った時のシューズ、飾りたいって母が言ってまして……この話、昨日しませんでした?」

「ああ。そういえば……そうだったかも」

「しっかりしてくださいよ、もう」

 

 

 トレーナーの本当に凄いところ。それは、私のようなウマ娘に重賞を勝たせてくれたところです。

 

 謙遜が過ぎるって? いえいえ。本当に私は、ろくなウマ娘じゃないんです。勝てなかった時期があるものとしてあまり卑屈にはなりたくありませんが、でも、才能の欠片もないとよく言われていたんです。

 

 

 というより、このチームの子達はみんなそうです。私の他に何人もいますが、みんな、きっと他のチームだったら一度として勝てずに消えていくようなウマ娘だったはずです。

 

 

「最近忘れっぽいの。歳をとったのかしらね」

 

 

 頭を捻りながら、トレーナーが苦笑いを浮かべます。おばあちゃんみたいな言い方に、シューズをしまいながら、私もくすりと笑ってしまいました。

 

 

「まだ若いじゃないですか」

「そうでもないのよね……」

 

 

 このチームで覚醒した……というよりたぶん、元々私達が持っていた適正や能力を見抜いて、それに合うレースとトレーニングを選んでもらって、それで、私達はついに重賞に手が届くまでになりました。

 

 夕方のトレーナー室、いつも通り定時で帰り支度をするトレーナーの後ろに、ズラリと並ぶ額縁。これら全て、私達とその先輩が取ったものです。

 

 

「今週末は小倉だけど、行く人は決めてくれた?」

「あ、はい。チャットで聞いたら私と、あとアイスちゃんとスターリーちゃんが行くみたいです。ダブル先輩は行けたら行くって言ってました」

「……」

「……トレーナー?」

「……あ、ええ。ごめんなさいね。ちょっとぼーっとしてて……四人ね、四人。トレセンにバンを出してもらわないと」

 

 

 先輩の中から、GⅡウマ娘も出ています。GⅠにはまだ足りませんが、GⅡだって目玉が飛び出るくらい凄いことです。かく言う私も先々週、三度目のGⅢに勝つことができました。ハナ差でしたが勝ちは勝ちです。

 

 そんな私達を率いるだけあって、トレーナーも結構偉い立場みたいです。最近はよくぼーっとしていたり、物忘れがあったり、抜けている方ではありますけど。

 

 

 それでも、凄い方なことには間違いありません。時々厳しいトレーニングをしてくれる時もありますけど、それだけじゃなくて、食事や休養、作戦についてもしっかり考えてくれています。

 

 

「ああそうだ、先々週のトロフィーが届いたから、持っていくわね」

「あ、はーい。じゃあ書いときますね」

 

 

 チームのベッドの枕元、壁に張り付けてある一枚のルーズリーフに書き込んでおきます。私の名前と、トレーナーが持っていくトロフィーの名前。

 

 エルナトはかなりルールが厳しいです。詳しくは教えてもらっていませんが、大体、逃げ先行の子が多いですかね。それと、ダートの子は一人しかいませんし、その子は芝も走れます。

 

 その他にも、スカウトでしか入れなかったり、トレーニングに弱音を吐いたりサボったりするとかなり早い段階から仮加入状態に戻されてしまいます。普段は優しいし、結果が出せなくても怪我をしても絶対に追放はされないんですけどね。

 

 

 そしてもう一つ、今私が書き込んだメモ書きにずらりと並ぶトロフィーの名前。エルナトが発足してから数年後から勝ち取ったトロフィーの全てです。

 

 エルナトにいるためのもう一つの条件。それは、もしトロフィーが貰えるレースで勝てたら……つまりオープンレースより上のグレードで勝てたなら、そのトロフィーをトレーナーが預かる、というものです。

 

 当たり前ですが、レース当日に写真撮影をするために貰えるトロフィーはそのまま貰えるわけではありません。レプリカ……というと言葉が悪いですが、少し小さめにして、台座に名前を彫ったものが貰えます。

 

 そして、それが郵送なり、理事長さんを通して届くわけですが、そのトロフィーを、トレーナーがどこかに持っていっても何も言わない、というのが条件です。

 

 

「……あ。バイオレットちゃんが明日必ずトロフィーを持ってくるって言ってました。結構マジな顔してたのでちゃんと持ってくると思います」

「そう? 良かった。明日忘れたら仮加入にしようかと思ってたの」

 

 

 ……怖くて震えました。このトロフィーのことに関しても、トレーナーはかなり真剣になります。何か並々ならぬこだわりでもあるんでしょうか。持っていったトロフィーがどこにあるのかは私達には知らされません。だけど、誰から何のトロフィーを預かったかは全て記録され、『いつか返す』と言われています。

 

 

「あはは……バイオレットちゃんも悪気はないんですよ。忘れっぽいだけで」

「ううん。これはダメ。必ず持ってくるように言っておいてね。本当は持って帰らないでほしいのよ。すぐに私が持っていきたいんだから」

「……キツく言っときますんで……」

 

 

 ただまあ、それくらい勝てないことに比べれば何てことはありません。それに、勝ったことはちゃんと記録に残りますし、賞状も賞金も貰えます。最悪トロフィーが帰ってこなくても誰も文句は言わないでしょう。

 

 こんな良い条件のチームもありません。やっぱりウマ娘の気持ちをよく理解しています。バイオレットちゃん、明日は絶対に忘れないように言っておかないと。

 

 

「じゃあ気を付けて帰るのよ。もう鍵を閉めるから」

「あ、はい。お疲れさまでした」

「お疲れさま」

 

 

 優しい微笑みで見送られ、トレーナー室を後にします。トロフィーの行方、たまに知りたいとも思うんですけど、何かとタイミングが無いんですよね。聞いても適当に誤魔化してくるので、触れちゃいけないものじゃないはずなんですけど。聞かれたくないなら一睨みすれば良いわけですから。

 

 ただまあ、最近はやけに機嫌が良いみたいですし、多少無茶をしても大丈夫かなあ、なんて思ったりして。

 

 廊下を歩いていると、着信がありました。友達のアイスちゃんです。

 

 

「もしもし? アイスちゃん?」

『あっもしもし? 今どこ?』

「え……今トレセンだけど……」

『今さぁ、アタシもトレセンいんだけどさぁ』

「うん」

 

 

 下駄箱で靴を履き替え、外に出ます。アイスちゃんのことだし、たぶん大した用じゃないんでしょうね。ただ声が聞きたいとか、絡みたいとかで連絡してくる子ですから。

 

 

『前話した、トレーナーがトロフィーをどこに持ってくのかってやつ、今日探らない?』

「え……どしたの急に」

「いやさあ」

 

 

 歩いていると、前の方からアイスちゃん。通話を切ります。確かに以前から、それはちょっとやってみたいと思ってました。探るなとは言われてませんし、その、良くないことだとは知っていますが、それでも知りたくなるのが人の常です。

 

 

「今日、トレーナーの車無くてさ。でも、今日トロフィー届いてたじゃん」

「私のね」

「は? ハナ差で負けたアタシを煽ってんの? キレそう……まあ良いや。じゃあトレーナー、今日は歩いて持って帰るんじゃない? それなら追えるっしょ」

「……なるほど」

 

 

 確かにそうかも。流石に車を追うと気付かれてしまいますし、こちらも疲れてしまいます。それに、走りすぎて疲れてしまうと明日のトレーニングに響きます。

 

 歩くなり走るなりであれば、距離さえ取っていれば簡単に追えるはずです。いや、本気で逃げられたら危ないかもしれませんが。

 

 

「アタシは行くけど、アンタ行く?」

「……行く」

「よしきた」

 

 

 こうして、私達はトレーナーを尾行することにしたのです。

 

 ……それで、どんなことになるのかを考えることなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bad√4 『あなたをおって』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どこに行くんだろうね」

「……さあ?」

 

 

 どうやらスーツを着替えたらしいトレーナーは、トロフィーの入ったケースを大事そうに抱えながら日の暮れた道を歩いていました。私達もかなり後ろの方からそれを追います。髪の毛でまだマシですが、かなり濃い黒のスーツはとても見辛いです。

 

 

「毎回ヒントすらくれないもんね」

「着替えてるし、たぶん人に会いに行くんじゃない?」

「恋人とかかな」

「でも指輪してないよ」

「大事にしてたらあえて外すことだってあるでしょ。何も知らないのね。だからGⅢ勝ったのにモテないのよ」

「それは今関係無くない?」

 

 

 あんまり大声を出すと気付かれちゃうかもしれないんだから騒がさせないでほしい。そもそもアイスちゃんだって別に彼氏いないじゃん。

 

 それを言うと青筋を立てて怒り出したので、そこから数分間私達は睨み合いながら尾行を続けることに。いつレースが始まってもおかしくない一触即発の状態は続き、お互い幸せにならないと気付いたところで、どうやらトレーナーがどこに向かっているのか大体解ってきました。

 

 

「……病院?」

「病院だよね、この道だと」

 

 

 トレセン付近でもかなり大きい病院の方に向かっていました。私達はそうそう怪我なんてしないのであまりお世話にはなっていませんが、それにしても……そもそも何故トロフィーを? あるいは、ただ寄っただけでしょうか。

 

 

「……あ、入った」

「隠れるところ多いし、こっからはもう少し近付こうか」

 

 

 受付の方に何か話して、エレベーターの方へ。流石に乗り込むわけにはいかないので、二人で連携して階段で追い付きます。入院棟の最上階。ここには確か、個人病室しか無いはずです。トレセンの生徒であればよほどでなければ相部屋なので、違うのでしょうか。

 

 ……それにしても。

 

 

「……ねえ」

「うん……物凄く不気味……どういう場所よ、ここ」

「いや、うーん……たぶん個室だしお高めってことは解るけど……難病とか……?」

「……ちょっと、なんかアレよね、やっぱり尾行って良くないことかもしれないわよね」

「……私もそう思ってた」

 

 

 一応追いかけて進みますが、正直後悔しています。こんな闇の深そうなことになるなんて思ってもみませんでした。トレーナーはいつも……テンションが高いわけではなくとも元気な方ですし、優しく笑う方ですから。

 

 

「……どうする? 帰る?」

「……ギリギリ賛成」

「よし……じゃあ……あっ入った。あの病室だ」

 

 

 もうやめよう。これ以上は何か嫌な予感がする。二人の意見がそこで一致して立ち止まった瞬間、トレーナーがとある病室に入っていきました。滑り込むように素早く、しかし周りを見回すこともなく。

 

 しかし私達は帰ると決めたのです。決して中で何が行われてるか、盗み聞きなどしません。

 

 

 ぴと。

 

 

「……アイスちゃん、重い。胸が乗ってるんだけど。また太ったでしょ」

「聞こえないでしょ。喋らないで」

「でぶ」

「チッ……明日の併走覚えておきなさいよ」

 

 

 ああ、良くないことだと解っていても、ウマ娘は好奇心には勝てないのです。耳をくっつけて、中の会話を聞き取ろうと精神を研ぎ澄ませます。会話が聞こえるまで少しのタイムラグがあって、話し始めたのか声が聞こえてきて。

 

 

「……っ!?」

「な──」

 

 

 何か聞こえると同時に、私達は後ろから何かに引っ張られて、口を塞がれて。叫ぶ間も無くそのままどこかへ引きずられていったのです。

 

 

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

 

 

「手荒なことをしました。申し訳ありません」

 

 

 次に目が開いた時、私は病院の二階、レストランに連れて来られていました。私達二人を解放して、犯人はそう言いました。

 

 

「ぶ、ブルボン先輩!?」

「静かに。注目を集めます」

「す、すみません……」

 

 

 そこにいたのはエルナトのOG……といっても一度も来たことはないんですが、OGのミホノブルボン先輩です。もうかなり前のことですがら、とっくに引退して普通のウマ娘として何かされているとは聞いていましたけど。

 

 

「な、なんでブルボン先輩がここに……」

「……いえ、お互いにその質問はやめましょう。お二人が何故ここにいるのか、私は理解しています。いつかこうして強引に事情を知ろうとする方が出てくるだろうとは予想していました」

「……はあ」

 

 

 どうも、会話の主導権は私達には無いようです。当たり前ではありますけど。ブルボン先輩はいくつか飲み物を注文すると、一枚の写真を取り出しました。

 

 

「指示は受けていませんが、これで変化がある可能性はあります。お二人が知りたかったことは私が話しましょう。そして何を思うかはお二人次第です」

「……これは?」

「写真です。あの病室にはこの方が眠っています。もう八年になります」

 

 

 写真には、三人が写っていました。二人のウマ娘と、一人の人間の女の人。そして、うち一人は私達にとっても見覚えがありますし、うち一人はまさに目の前にいるブルボン先輩です。

 

 

「これは、私達がチーム・エルナトとして活動していた頃の写真です。これが私、ミホノブルボンです」

 

 

 一人ずつ指差して、ブルボン先輩は無表情に会話を進めます。どうやら私達は、余計なことを言わない方が良さそうです。事情を全て、ブルボン先輩は知っているのでしょう。

 

 

「そして、この方があの病室に眠っている方」

 

 

 なにせ、過去のチーム・エルナトのメンバーを知っている方です。中央を指した指が、そのまますぐ横にずれます。抱き合うくらいの距離感で控えめに笑う姿は、私の知る彼女とは違いました。

 

 

「この方が、あなた方がトレーナーと呼ぶ方……サイレンススズカさんです」

 

 

 今もトレーナーはよく笑います。でも、控えめでもこんなに楽しそうにはしません。写真の中のトレーナーは、サイレンススズカさんは、病室にいるらしい彼女に寄り添って、光ってすら見えました。

 

 

 エルナトのトレーナー。私達の恩人たるトレーナーの、現役時代。そして、私達が知っているものとは違う名前。サイレンススズカと言われれば誰だって解ります。エルナトの最初期のメンバーであり、神話を作ったウマ娘。

 

 誰にも捕まることのない大逃げを武器に、エルナトに入ってからはついぞ一度も負けなかった伝説の逃げウマ娘です。

 

 

「これって……じゃあ、この人が、エルナトの元々の……?」

「はい。お二人がどう聞いているかは解りませんが、この方です」

「え、で、でも、確か前のトレーナーさんは普通に退職したって、理事長やたづなさんだってそう言って」

「はい。ですのでこれは、URAやトレセン学園にも話の通った事柄だとご理解ください。故に、積極的にこの話を広めることはお勧めしません。矛盾するようですが……私も、これを知る者は少ない方が良いと考えています」

 

 

 淡々と語るブルボン先輩。じっとこちらを大きな目で見つめます。ブルボン先輩が指差した、写真の中の、人間の女性。この人が、トレーナーを覚醒させたという、エルナトの初代トレーナー。サイレンススズカの担当の方。

 

 

「もう一度聞きますけど……この人が、トレーナー……サイレンススズカさんのトレーナーですか?」

「はい。私達のトレーナーです」

「この人が、あの病室に? 八年も?」

「はい」

 

 

 八年、入院し続けている? 難病? ううん、ただの難病なら、普通の病気なら、きっとこの話をもっと多くの人が聞いているはず。チーム・エルナトはそういうチームだから。ブルボン先輩だってレジェンドの一人です。こうして話せることが奇跡に思えるくらいの。

 

 

「ど、どうして……?」

「原因は、まだ解っていません」

「え……」

 

 

 写真をしまい、ブルボン先輩は届いた飲み物を回してくれます。しかし、口をつける気にはなりません。口の中はカラカラですが、しかし、ブルボン先輩の言葉を止めてはいけないと、頭の中の何かが騒いでいます。アイスちゃんもまた、普段からは考えられないほど静かに聞いています。

 

 

 

「ある日、突如としてマス……彼女は意識不明の昏睡状態に陥りました。いえ、正確にいえば前兆はあったのでしょう。物忘れが激しくなり、何も考えていない時間が増えていました。脳に何かしらの問題が発生していたのでしょう」

 

 

「病院に運ばれましたが、何度検査をしても、何も解らないという結論に達しました。数いる名医の方々でも、原因は不明だと。外傷及び腫瘍等も見付からず、身体は健康そのもの。しかし、脳波のみが異常に弱くなっている状態だそうです」

 

 

「当然、医者たる彼らに治せないものは我々にも治せません。しかし、彼女は生きています。今も確かに生きているのです。意識も感覚も存在していないようですが」

 

 

「スズカさんは酷く悲しみました。トレーナールームから出なくなり、そのまま死んでしまうのではないかというほど食も細くなりました。しかし、ある日の見舞いを機に、突然元に戻りました。もう大丈夫だと、そうおっしゃった」

 

 

「私達も知らない合間にトレーナーライセンスを取得して、突然トレーナー業を始めました。あとはお二人も知っての通りです」

 

 

「……じゃあ、私達のトロフィーって」

 

 

 ブルボン先輩がいちごジュースに口をつけたのを見て、一段落ついたのだとアイスちゃんが聞きました。ブルボン先輩は、さらりと、そうです、と首を振り、飲まないのですか? と促してきた。

 

 

「我々のトレーナーへの捧げ物です。スズカさんは恐らく……いえ、間違いなく、トレーナーに追従しています」

 

 

 ……自分のトレーナーが倒れ、代わりに自分がチームを引き継いでいる。そこだけ聞けば何もおかしなところはありません。だけど何でしょう、胸の辺りがもやもやするような、何か違うと叫びたくなるような違和感があります。

 

 横目に見たアイスちゃんも同じように感じているのか、飲み物に手をつけようとはしません。

 

 

「……それを、ずっとやっているんですか」

「やっています。間違いなくこれからも継続するでしょう」

「ブルボン先輩は、今何を?」

「……スズカさんを見届けることが私の責務であると思っています。中で何が行われていて、どのような会話……いえ、会話が行われているかには関知しません」

「……いや、でも、その……」

 

 

 何だろう、私は何が言いたいんだろう。全く纏まりません。でも、言い様のない気持ち悪さだけがあります。おかしいですよ、とアイスちゃんが独り言のように溢しました。

 

 

「いやその、何も間違っていないのは解るんです。トレーナーは何も間違っていない、はずです。全部、いや、たぶん、トレーナーじゃなければ、綺麗な話で終わるような……」

「……言いたいことは理解できます。ですが私は、個人の感想ですが、スズカさんは間違っていると感じます」

「え……」

「最近、スズカさんはとても機嫌が良いようですね」

 

 

 そ……うだ。機嫌が良い。とても。

 

 

「……待ってください。もしかして」

 

 

 私が何かに気付く前に、アイスちゃんが声を震わせた。

 

 

「恐らくは」

 

 

 対して、ブルボン先輩もゆっくりと首を傾げました。私達より遥かに大人なブルボン先輩が、とても小さく見えます。

 

 

「追従している、と申し上げた通りです」

 

 

 それを聞いた瞬間、私は思い切り立ち上がってテーブルを殴り付けてしまいました。

 

 

「は!? い、意味が解りません! なんですか、それは!」

「私にも解りません。ですが、スズカさんは確かにトレーナーの何かを受け継いだようです」

「受け継いだって……」

「さっきの、ある日を境にって……」

「トレーナーは、ウマ娘の才能を見抜くことに長けた方でした。スズカさんも同様の能力を得ていると考えられます」

 

 

 なにか、スケールが大きくなってきました。ウマ娘の才能が解る能力なんて、訳の解らないことを言われても困ります。でも、一度話しただけでも、ブルボン先輩はそんな冗談を言うような人には見えませんでした。

 

 でも、それがもし本当だとして、だったら。

 

 

「……トレーナーを止めないと!」

「……何故ですか」

「何故って……!」

 

 

 こんなことは間違っていると言わなければなりません。まだ、綺麗な言葉にはできないけど、それでも、トレーナーがこれを続けることが良いことのようには思えないのです。

 

 

「間違ってるでしょ、こんなこと……!」

「ちょっと! 失礼じゃん! すみません、ブルボン先輩」

「……いえ」

 

 

 とっさに駆け出そうとしてしまった私の手を、アイスちゃんが掴んで止めてくれます。でも、だけど。確かに今この場で失礼なのは私だけど、全部の話を聞く限りでは、むしろ、こんなものを止めようとしない、

 

 

「間違っているかいないかで言えば、間違っていると思います」

 

 

 ブルボン先輩の、方なんじゃないか、って。

 

 

「スズカさんの思考が正しいとは思っていません。恐らく、間違っています」

「じゃあ!」

「……ですが、申し訳ありません。私は、スズカさんを止められません。お二人が止めようとするのも、私は阻止します」

「……どうして」

 

 

 何も言えなくなって座り直します。ブルボン先輩は変わらず無表情のまま、グラスの中身を全て飲み干しました。

 

 

「何故なら、トレーナーの意志を継いだのは、スズカさんだからです」

「……は?」

「私では、なかったからです」

 

 

 汗をかいたグラスを両手で握り、ブルボン先輩は少し俯きました。店内BGMが一瞬消えた時、椅子が軋む音がします。

 

 

「トレーナーの一番のウマ娘はスズカさんです。トレーナーがもう話せない以上、それを代弁すべきはスズカさんです」

「いや、そうじゃなくて……」

「そうなのです」

 

 

 今までで一番はっきりと、ブルボン先輩は言葉を切りました。

 

 

「私ではなく、スズカさんが継いだのですから、私には咎める権限などありません。トレーナーの力をどう使おうと、私に止めるべくもありません」

「ブルボン先輩……」

「せめて。せめて半分だけでも。ほんの少しだけでも私が継ぐことができたなら、私も何か解ったのかもしれません。ですがそうはならなかった。全て、スズカさんが持っていってしまった」

 

 

 表情が無いながら、それでも、ブルボン先輩はどこか泣き出しそうにも見えました。

 

 

「でも、理由とか権限とかじゃなくて、単純にブルボン先輩がそうしたいからって言えばっ!」

「言えません……止めるのが正しいことだと解っています。これ以上スズカさんをウマ娘に関わらせるべきではないと解っています。ですが、止められません。止められないんです」

 

 

 だんだんと、言葉が速く、つっかえつっかえになっていきます。

 

 

「もしかしたら、トレーナーの能力を排除する方法があるかもしれません。ウマ娘に関わらなければ、これ以上悪くはならないかもしれません。ですが、ですが、スズカさんに、マスターのそれを捨てろと、もはや動くことも話すこともできないマスターの、最後の意志かもしれないそれを、捨てろなどと言えるはずがありません」

 

 

「ただ一つで良かったのです。一言でも、マスターが何か遺してくれていれば。私も欲しかった。スズカさんと同じになれたら、こんなことはやめましょうと言えたのに。でも言えないんです。何も持っていない私が、一つだけ持っているスズカさんに、どうして言えるでしょう」

 

 

 ブルボン先輩が、泣いています。

 

 

「解らないのです。今でもまだ解らない。どうすれば良いのでしょうか。スズカさんにとって最も良いことは何なのでしょうか。解らないんです。マスターが何も言ってくれなかったから。私一人では、何もできないんです。ただこうして、スズカさんを見ていることしかできない」

「ブルボン……先輩……」

「だって、マスターはもう起きてくださらないのです。マスターは今も緩やかに死んでいます。スズカさんが病院からの要請にサインをすれば。治療費の支払いが一秒でも遅れれば、それでマスターは死んでしまうのです。全て、スズカさんに決定権があるんです。私が、私に、スズカさんに、マスターを、殺せと、そんなこと、は」

 

 

 ぼろぼろと涙を流し、握るグラスにヒビが入ります。

 

 

「でも」

「申し訳ありません。私には、私にはできません。思考が上手くいかないんです。どうすればいいですか。私は何をするべきですか。スズカさんに何を言えばいいんですか。何と言えば、私はこんな、気持ちで」

 

 

 ぱきん、とグラスが割れました。すぐに破片が刺さり、少しだけ血が垂れます。はっとなって、ブルボン先輩は濡れた手のまま財布を取り出し、一番高いお札を寄越しました。

 

 

「すみません、こんなことを話して、あなた方を困惑させました。ですが、解りません、話さなければと、話したいと、こんなことでは何も変わらないと解っているのに、変えようとしたあなた方も私は止めてしまうのに。でも、しかし、ああ、申し訳ありません、もう私は行きます。何もできないのですから、せめて、せめてスズカさんを見ていないと、私が、お二人を見届けないと、スズカさんが倒れても、私が側にいられるように、私、も」

 

 

 不自然に言葉が途切れ、そのままふらついて、ブルボン先輩は席を立ちました。ゆっくりと歩いていくブルボン先輩を見て、私はつい、良くない言葉が口をつきそうになって、慌ててグラスを口に運びます。

 

 

「……バカみたい」

「……アイスちゃん!」

 

 

 ですが、その言葉を私の友達が代わりに吐き出しました。ブルボン先輩は聞こえているのかいないのか、そのまま立ち去っていきます。無意識に手を繋いでいた私達は、それを放すこともなくただ下を向いていました。

 

 

「……帰る」

「い、言わないの? このこと」

「……言えるわけないでしょ。言ってどうするの。明日から放り出されたら、アタシらどうやって過ごすのよ」

「それは……そうだけど……」

「どんな裏話があっても黙ってよう。何も、聞かなかったことにする」

 

 

 目を鋭くして何度か繰り返した彼女に、私も何も言えませんでした。自分のことと、トレーナーのこと。自分が大切なのは、当然だと思っていました。これからもきっとそうです。

 

 

「……アタシらには関係無いことだし」

「……そう、だね」

 

 

 それも、生き死にが関わってしまったらなおさらなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん」

 

 

「今日もトロフィーを持ってきましたよ」

 

 

「トレーナーさん」

 

 

「みんな、とっても速いんですよ。きっと次も勝ってくれるはずです。来年は、GⅠに手が届きそうな子もいて」

 

 

「トレーナーさん」

 

 

「もう、私より速いんですよ、あの子達」

 

 

「もう私、一番速くなくなっちゃいましたよ。トレーナーさんが見ていてくれないからです」

 

 

「ねえ、トレーナーさん」

 

 

「嫌ですよ、私、こんなの嫌です。トレーナーさん。私が一番速いって、言って、くれてたのに」

 

 

「でも、私の方が遅いって。そう書いてあるんです。私、もうあの時みたいに走れないんです」

 

 

「トレーナーさん……トレーナーさんも、嫌ですよね? 悔しいですよね?」

 

 

「トレーナーさん」

 

 

「もう私、あの時のトレーナーさんより、歳上になっちゃったんですよ」

 

 

「もうあんな風には、走れないんです。トレーナーさんに、私のことを見せてあげられない」

 

 

「トレーナー、さん」

 

 

「教えてください、トレーナーさん。私、どうしたらもっと速くなれますか?」

 

 

「どうしたら、もう一回あの景色が見られますか」

 

 

「トレーナー、さん……」

 

 

「……寂しいですよぉ」

 

 

「トレーナーさぁん……」

 

 

「私……私……もうトレーナーさんのサイレンススズカじゃなくなっちゃいますよ」

 

 

「速くないんです。私、速くない……」

 

 

「私、どんなに休んでも、5%、怪我しちゃうんです……もう、トレーナーさんが知ってる走り、できないんです……」

 

 

「でも……いつも、走ってしまうんです。トレーナーさんが、止めて、くれないからですよ……」

 

 

「起きて……起きて、トレーナーさん……」

 

 

「また、また私に……私に、走っちゃダメって言ってください……」

 

 

「スズカが一番速いって、誰にも負けないって言ってください……一度で良いです……から……」

 

 

「好きって言ってください……私、頑張りますから……もう一回、誰にも負けない、私になりますから……」

 

 

「トレーナーさんが教えてくれないと……わからないです……どうしたら良いのか……また、教えてください……」

 

 

「早くしないと……もう……見られなくなっちゃいますよ……」

 

 

「トレーナーさん……」

 

 

「私、お料理もできるようになったんです……なんでも一人で……できるんです……」

 

 

「トレーナーさんが来ても良いように……ちゃんとお世話、できるようになったんです……」

 

 

「美味しいん、ですから……たくさん食べれば、きっとまた、太っちゃいますよ……」

 

 

「そしたら……また、撫でてください……抱き締めてください……トレーナーさん……」

 

 

「トレーナー、さぁん……」

 

 

 

 

 

「わがまま……また……言わせて……」

 

 

 

 

 

 

「さびしい……よぉ……」

 

 

 

 

 

「トレーナーさんのご飯が食べたい……一緒にお風呂に入りたい……」

 

 

 

 

 

「トレーナーさん、と……」

 

 

 

 

 

 

「お話……したい……少しで良いから……」

 

 

 

 

 

 

「起きてくれたら……起きてくれたら、それで良いんです……」

 

 

 

 

 

 

「この目も返します……できないことは私がやります……」

 

 

 

 

 

 

「私が嫌なら……一回だけ、一回だけ撫でてくれたら……それで我慢しますから……」

 

 

 

 

 

 

 

「起きて、起きてくださいトレーナーさん……」

 

 

 

 

 

 

 

「スズカって……スズカって言ってください……」

 

 

 

 

 

 

「置いていかないで……私が……嫌いでも良いから……」

 

 

 

 

 

 

 

「少しだけでも……一言でも良いから……」

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてほしいか……教えてください……どうすれば良いのか……教えて……」

 

 

 

 

 

 

 

「叱って……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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