――ただいま。
「おかえりー。あはは、さすがにすごいことになってるね!」
「おいおいおい! 大丈夫なのか!?」
――え、なにが?
「なにがってお前、ズタボロの血まみれじゃねえか!」
――あ、うん大丈夫だよ? ちょっと頭がぼんやりして身体が寒くなってきたけど。
「全然大丈夫じゃねえな! ああもう肩貸せ、さっさと治療受けに行くぞ!」
――大丈夫だってば。もう血も止まってるし。……えへへ、でもありがとう
「にしても、よく勝てたね。先にこっちの体力が尽きて死ぬかなーって思ったけど」
「フン、今にも死にそうだがな」
「叔父貴、話なら後で」
――いや、いいよ。……言われた通り、目標部隊を殲滅したよ。
「……
――…………。
「……だが、確かに言った通りこなしたのも事実。年齢を鑑みれば十分な戦闘力でもある、か。
クク、いいだろう。喜ぶがいい、お前もまた一つ試しを乗り越えた。引き続き俺が戦う
――了解。
「あはは、よかったよかった! ご褒美にイイコイイコしてあげるね」
「なあ、もういいだろ? いい加減連れていくぞ?」
「まあ待て。兄貴も何か言ってやれ」
「…………」
――えっと……。
「……よくやった、レイヴェル」
――……! うん、ありがとう父さ――
◇
――ふと、目が覚めた。
予兆も何も無く、ただ唐突に瞼が開く。
生温い穏やかな水の中をゆらゆらとたゆたっていたと思ったら、急に地面へと投げ出された。
そんな感覚。
寝起き特有の気だるさや倦怠感は感じず、一気に体が覚醒した。
そんな状態。
だけど僕は一切身動きを取らず、しばらく薄暗い部屋の中でそのまま天井を眺め続ける。
夜目は利く方であるため、この程度ならば既に昼と同じ様に見て取れる。
建物という物は、一から建築せずとも改装しただけで十分、少なくとも天井は綺麗になるモノなのだと理解した。
薄暗い、と言う事は今は明け方なのだろうか。
まさか夕方なワケではあるまいし、十中八九そうなのだろうけれど。
まったく、カーテンも何もつけていない窓は光をよく取り込むだけでなく、内部状況も外部情報もよく伝え、狙撃手の任務達成率まで上げてしまう実に優秀な働き者だよ。
と。
何も考えないようにしたり、逆に皮肉気に無駄な事を考えたりしてみたが、効果は無さそうなので僕は諦めてようやく体を起こす。結わずに下ろしたままだった髪の毛が前に来た。顔にかかった。鬱陶しい。
それを適当に払うと、枕元に置いてあった僕がいつも使っている髪留めを――装飾も何も無い銀のヘアリングへと手を伸ばし――先程見ていた夢を、改めて思い出す。
思い出してしまう。
「……普段は夢なんて滅多に見ないのになあ」
いまいましげに僕はそう呟くと、さっさと目当ての物を掴み取り、ベッドから降りて備え付けられた姿見の前へと移動する。途中で机に置きっぱなしにしていた櫛を取ってから。
髪留めを口に咥え、鏡に映る自分を見ながら乱れた髪に、櫛を通していく。櫛は上から先まで引っかかる事無くするすると抜けて行った。
もう一度、同じように櫛を通してみる。
変わり無く、上から先までするすると抜けて行く。
もう一度通してみる。
やっぱりするすると抜けて行く。
もう一度。
もう一度と。
僕は同じ動作を繰り返す。
既に必要が無いほど梳かし終わっていようとも。
何度も何度も梳かしに梳かす。
それはただ無心のうちに行っていた事なのか。あるいは心を落ち着かせようとしてたのか。
ようやく手を止めた僕は、とっくの昔に綺麗にまとまっていた髪を結ぶ為、髪留めを口から手に移し――
「…………」
また、脳裏をよぎる、あの光景。
誰も欠けずにみんながいた。
迷いは無く、何も考えず。
ただ幸せだったであろう夢を。
……おそらく僕だけが、幸福だったあの――
「っ……。案外、人の事言えないのかも」
視線の落とした先。手の内にあるリングをギュッと握り締め、思考を打ち切り髪を結える。
バカバカしい。
全て過去の事だ。
僕がずっと勘違いをしていただけだ。
もう気づいているし、わかっている。
今更あの時に戻れたとしても、あの時と同じようにそれが正しいとは思えないだろう。
たとえ兄さんがいなくならなくとも。父さんがとても幸せそうに死ななくとも。
「ねえ」
いまだ迷いは晴れず、いまだ答えも出せずにいるけれど。
何が正解で、何が間違いなのかわからないけれども、僕は決めた。
肚を決めたのだ。
何度繰り返したって、何度でも飛び出すさ。
だったら笑ってろよ。いつも通り。
悲しいのはいつだって、少しだけのはずなのだから。
「そうだろう? ――
もちろん鏡の中の
◇
「おはようございます! あなたのレイヴェル・オルランドが朝を告げに来ましたよ!」
「おう何しに来た帰れ」
「ええっ!?」
カウンター越しに座ったまま手元の新聞に目を落とし、こちらを見もせず言われた。
問答無用だった。
明らかに客に対する返事じゃない。
「何が客だ何が。あくまで客って言い張るなら一度くらい利用しやがれ」
「だって別に欲しい物無いですし、交換するような無駄な物も一切持って無いんですもん」
寮を出て真っ直ぐ進み、玄関先でキスを交わすご近所さんに大声で挨拶(わざと)しながら横を通り過ぎ、道なりに進んで行くと一軒の店が見えて来る。大通りに立ち並ぶ店とは違い、そこから外れてひっそりと営業する質屋に僕はいた。
まあひっそりと言っても街の人から浮いているという意味ではないのだが。付き合いもちゃんとしている。
それなりに客は来るし、それなりに儲けてもいるらしい。
実際この店に顔を出す学生も少なくはないそうな。
と言っても、ここの店主の方針で学生相手には金を貸すような真似はせず、その品に応じた品を渡す――つまり物々交換を行っている。うまくいけば自分が渡した物よりグレードの高い物が手に入れられるという寸法だ。
それだけ聞くと良心的――いや良心的は違うかもしれないが、できた店主と言うか、健全なお店と言うか。割とクリーンなイメージが湧くのは未成年での金の貸し借りはあまりよろしくないという風潮のおかげだろう。
僕にはさっぱり縁の無い話であったため、いまいちピンとこないのだが。
金を必要としたことがあまり無いから有り余ってるし、貸すような知り合いもいないし、これからも関係無さそうである。
あと、質屋であるため流れた品物も売っている。普通の店では買えない珍しい物や意味不明な物があったり、なんでこれが? と言う物があったりと意外に掘り出し物があって面白いのも学生が来る理由の一つだろう。
「毎日毎日、早朝から来んな」
「あはは、朝の象徴の一つとでも思ってくださいよ」
カウンターに手を置き、僕は言う。
「ほら小鳥のさえずりみたいな、ねえ?」
「道端に転がった酔っ払いの間違いだろ。不快感しかねえんだよ。ったく、学生らしく寝坊でもしてろよな。ゆっくりヤマを張らせろってんだ」
「いやん、そんな事言っちゃ嫌ですよぅ。素敵素敵なミヒュトおじさまぁ〜ん。でもそんなおじさまの冷たい所がレイヴェルは……レイヴェルは……大好きなんですぅ!」
「急に気持ちわりい猫撫で声出すな! ってなんて顔してんだ小僧! 今にも血ヘド吐いて血涙流しそうだぞ! どんだけ無理してんだお前は!」
「ぐ、ぐぐぐ……これくらいなんてことな……あ、すいませんトイレはどこですか? 吐いていいですか?」
「吐くな!」
ようやく顔をあげてくれたが、あまりの気持ち悪さに僕の精神が限界だった。
そこまでする価値があるとは言え、おっさん相手に何言ってんだ僕は。
ごますりは無理せず程々に。
新しい教訓である。
「……ふう、なんとか落ち着きました。で、どうです? ちょっとは僕にサービスしようと思いたくなりました?」
「あんな鬼気迫る顔見せられてなるかよ……むしろ早く追い返したくなったぜ……。大体お前女扱いされるの嫌なんじゃなかったのか」
「嫌ですけど持って生まれた容姿だから仕方ないですし、せめて有効活用して間違いを起こした理不尽な世界に復讐してやってるんですよ……! 結構使えるのが腹立ちます……!」
「お前の考えはともかく俺を理不尽な世界の一つに巻き込むな」
至極もっともな意見だった。
この上なく。
「まあ、ごますりはこれくらいにして」
「全く擂れてなかったけどな」
「これくらいにして」
僕は言う。
「なにか情報は入りましたか?」
「…………」
この場に何も知らない第三者がいた場合、先程とは違った意味で僕は突然何を言ってるんだと思うだろう。
もしくは彼が競馬好きである事を知っていて、その事についてなんらかの情報を聞きたいのだろうかと思うやもしれない。
だが別に僕はおかしな事を言ったつもりはないし、競馬にも興味は無い。
一度もここを利用した事が無いと言うミヒュトさんの言葉は正しいが正しくない。僕は現在進行形でこの店を利用している。
僕が今日と言わず。毎日、毎朝のようにここに来る理由――
「今現在の場所は聞きません。さすがにまだわからないでしょうし。ただどこを通ったとか、どこで見かけたとか、本当に少しでもいいんです。なにか、なにかわかりましたか?」
それは、表の質屋としての顔では無く裏の顔――情報屋としての彼に会いに来ていたのだった。
「……何もねえよ」
「本当に? ちょっとしたことも?」
「無いっつってんだろ。第一わかってんのか? 二年前だぞ? お前ん所が二年も見つけられなかった奴を、俺が二週間足らずで探し出せると本気で思ってんのか?」
「……それは」
「あとな、何度も言ってるが、たとえ見つかったとしてもお前に言うつもりはねえ。サラに頼んだのはお前だから大元の依頼主は小僧と言えるだろう。だが俺に依頼したのはあくまでサラの奴なんだぜ? だったらいくら来ようが、結局いの一番に話を聞けるのはあいつ以外ありえねえよ。お前もプロならそこんとこ、わかってんだろ?」
「…………」
わかってるさ、そんなこと。
ミヒュトさんの言う事はどれも正論で、僕もわかりきっている。うちの団ほどの規模であれば、探す手段などいくらでもあるだろう。
それなのに二年だ。二年間行方知れずだ。
二年もの間姿をくらませ続ける事ができるほどの実力なのか、はたまた碌な人材がいなかったのか。無論、僕は断然前者を推すが。
なんにせよ、見つけ出すのが困難という事くらい僕にだってわかる。子供にだってわかる。
それでも。
それでも、だ。
大陸全土に展開する遊撃士協会。
その独自のネットワークから本部はおろか、各地に点在する支部の方まで有用な情報はしっかり行き渡る。
うちもツテは色々あるだろうが、さすがに大陸全土の情報をすぐに把握できるかと言われると首をかしげざるをえない。どこで聞きつけるのやら、おかげでよく邪魔をされたモノである。
まあ何が言いたいのかと言うと、情報に困る事は少ないという事だ。
それが、
そんな彼女が信を置く、頼りにしている情報屋。つまり耳の良さは折り紙付き。
期待してしまうじゃないか。
もしかしたらと思ってしまうじゃないか。
ここに留まる事を決めたのは僕自身であり、納得もしているが――自分の足で動けない事に何も思わないワケではない。時折無性にジッとしてられなくなる。
何か手掛かりがあれば飛び出したくなる。
たとえ、僕が一年大陸を駆けまわろうが、ミヒュトさんの一か月の成果にすら遠く及ばないとわかっていても。
僕が影を掴む頃には本人を掴まえてるとしても。
それでも――だ。
「はあ……。やっぱりごますり作戦失敗が痛かったですかねえ。うまく行けばギンギンに頑張って明日にでも僕へ一番に流してくれると思ったんですけど……」
「お前の中の俺はどうなってんだ」
「やっぱり胸がある方がいいですか? 今度つめ物でもしてきましょうか? 最高に嫌ですけど」
「いや、いい。もう何もするな。つーか来んな。店で吐かれちゃ迷惑だ」
「あはは、今度から袋を用意してきます。……あ、今度のレースこいつに賭けてみたらどうですか?」
「ああ……? バカかお前、こいつは大穴も大穴だ。来るわきゃねえ、金をドブに捨てるようなモンだぜ。素人はこれだから……」
「そうなんですか? んー。確かに競馬はさっぱりわかんないですけど、なんとなく当たりそうな気がするんですよねー。あ、じゃあこれとか……」
そんな具合に、目的が果たされなかった時点でただの雑談へと移行する。
なんとなくを装って競馬の話をしているが、実はミヒュトさんの機嫌を取ろうと言う魂胆もあったり。
何も知らない相手に対して色々説明するのは優越感を感じていい気分になるだろう。自分の趣味ならより一層。
仕方ない、めんどくさい。そんな表情をしているが、饒舌に説明してくれている所を見ると思惑通りらしい。
「だからこいつとこいつに絞ってだな……おい聞いてんのか?」
「あはは、聞いてます聞いてます」
良い関係を築く為には日頃から積み重ねが大切なのである。
しかしながら、いまいち楽しさがわからないなあ。わからないと言えばギャンブル全般に言えるけれど。
勝ち負けのスリルを楽しむとか聞いた事はあるが、自分は生きてるんだからどっちに転んでも結局は勝ちなんじゃないか?
ミヒュトさんだって別に金に困ってるワケでもないんだし、そんな真剣に選ばなくてもいいんじゃないだろうか。
まあ確かに何事も、負けるよりは勝つ方がいいけれど――
「よう、邪魔するぜミヒュトのおっさん」
「ん?」
ミヒュトさんのありがたいヤマの張り方について、僕がただ相槌を打つだけの機械になりかけていた頃。
突如背後にある店の扉が開く音がし、ミヒュトさんが視線をそちらに向けた。
誰かが来たようだ。
こんな朝っぱらから僕以外に来る人もいるのか。時間が時間なだけに、今まではほかの客と鉢合わせた事がなかったからなあ。
なんて考えながらもその場で振り返ってみる――
「…………!」
「お、なんだ? こんな時間に先客たあ珍しいな。何かちょっかいかけられなかったか?」
「つまらん事言いに来ただけなら帰れ。こっちも暇じゃないんでな」
「へっ。どう見てもヒマだろ?」
言いながら彼はこちらへ歩いてくる。
「随分舌が回ってたみたいだが、嬢ちゃん相手になに話してたんだよ?」
「なんだっていいだろうが。あとこいつは女じゃない、男だ」
「はは、そりゃおもしれえ冗談だ。このツラで男だなんて――って、ん? そういやその赤い頭と制服……ああ、そうかそうか、そうだったな」
「知ってんのか?」
「ま、色々噂にはなってるぜ」
平民生徒の証である緑の制服。
腕をまくり、前は閉めずに開け放ち、ネクタイを緩めに緩めてシャツをズボンに入れないだらしない恰好。
両耳に合わせて計八個ものピアスをし。ベルトは左右交差するように二本締め。
白、というよりは若干くすんだ灰色の髪。その額にはバンダナを巻いていた。
チンピラ――いや、この場合は不良か。
とにかく軽薄な印象を与える姿は、トールズ士官学院ではあまり見かけない珍しいタイプで僕は驚き――
「俺の名前はクロウ・アームブラスト」
――腹の奥底で眠らせていたモノがずぐりと刺激され、首をもたげる。
「学年は一年の一個上である二年生だ。平民クラスのな」
不意に目の前に現れた、思ってもみなかった存在に、涎をだらだら垂らしながら舌なめずりをする。
「つまり、お前らの先輩にあたるんだぜ?」
においがする。うまそうなにおいがする。懐かしいにおいがする。
――戦場のにおいがする。
「で、初めての学院生活ってのはどーよ? 新入生クン?」
「……いえ、実は予想通りの期待外れでした」
背中に感じる変わらぬ重さを意識し、胸の中心を斜めに走る感触に手をかける。
「おいおい、俺が言うのもなんだが、ちっとばかしスレてねーか? ここに来たって事はやりたい事とかあるだろ?」
「はい、もちろん、ありますよ。でも、あたりまえですけど、
「あ? そういうのってなん……ッ!」
――学生の中に、あなたみたいな人がいるなんて。
「…………あは。お兄さん、かなりやるね」
我慢しようと、堪えようとしていた殺気が漏れ出ただけで、目の前の人は瞬時に身構えた。
かなりの修羅場をくぐってきてるな。得物は何だ? ああ、腰に銃が二丁あるじゃないか。飛び道具か。近距離で互いをガツガツ喰らい合う方が好きだが――まあそれはそれで楽しめるか。でも火力はそこまで高そうじゃない。急所に貰わなければ支障は無さそう――いや待て本当にそれがコイツの得物か? さっき、一瞬、僅かだったが、その銃へと手をやる前に背中に手を伸ばそうとしていなかったか? 何も無い。殺られるかもしれないのに先にそちらへ――ああ、なるほどわかった。それならそれでいい、事情なんて知らない。お前が悪い、お前が悪い、準備を怠ったお前が悪い。僕がいるのにお前が悪い。でもそれはつまらないどれだけ差が出るどれだけ弱くなる、あああでも少しにすればいいのか次に持ち越せばいいのか。ならちょっとだけ、少しだけ、心行くまで、血みどろになるまでどちらかが死ぬまで戦って戦って戦って戦いた――
「ふん!」
「うお!?」
「なんだぁ!?」
脈絡なく、躊躇い無しに頭突きをかました。
カウンターを。額で思いっきり。
「ふん! ふん! ふん!」
「おい何してる!」
「瞑想です!」
「確かに迷走してるけどな! っていい加減連撃するのやめろ!」
「おかまいなく! 自分への! お仕置きも! 兼ねた! 精神統一ですからあああ!!」
「カウンターが壊れるだろうが! クロウ、このバカ止めろ!」
「お、おう!」
突然奇行に走った、今だカウンターに向かって額をこすりつけようとする僕を、クロウさんが背後から羽交い絞めにして無理やり引き剥がす。僕はそれでもブンブン頭を上下させていたが、下手をすれば後頭部がクロウさんに激突することに気付き、それはまずいと動きを止めた。
一旦、自分を落ち着かせた。
そしてジッと動かなかくなった僕を見て、もう大丈夫かと思ったのかクロウさんはようやく手を離し、
「…………」
「…………」
「…………」
僕は解放されたが、誰もが無言で一時的に静寂が下りた。
……そこはかとなくどころか、普通に気まずい。
「……お前、本気で出入り禁止にされたいのか?」
「うううすみませんすみません。僕が全部悪いんです色々あってちょっと不安定な所に不意打ち気味で自制できずに久々に調子に乗りかけたんです。何も関係無く自分の楽しみだけで一般人? を巻き込もうとしてううう」
僕はたまらず顔を手で覆う。
あぶなかった。こんなんじゃだめじゃないか。
いくらどうでもよくたって、必要も無く、敵対するでもない相手を欲望のままに自分から襲おうとするなんていいわけないだろう。これじゃあただの暴漢じゃないか。犯罪者じゃないか。
そこらの三流みたいな真似してさ。アレだって相手が全力じゃないなら一旦我慢くらいするよ? おあずけできるよ?
なのに普段から頑張ってる僕の方がしつけの行き届いてないバカ犬になってどうするんだよ……。
「あー、よくわかんねえけどそう落ち込むなよ、な?」
どれだけどんよりしていたのか、被害者(仮)から慰められた。
「まあ、その、アレだ。よくあることだろ?」
「いや、ないでしょう。適当な事言わないで下さいよ……」
「あるある。俺なんか一日に三回はある」
「は!? 一日で!?」
「おう、食後の後に必ずある」
「朝昼晩なの!?」
「あと風呂上りとか寝る前にもあるな」
「すごい、僕より危ない人がいた!」
「何の話してんだお前ら……」
なんて人だ。食指が動いた時点でただ者ではないとわかってはいたが、想像以上に豪の者だった。
自分を律する事に長けているなんてレベルじゃない。
まさに石とか、鉄とか、鋼とか。
なんかその辺りばりの硬い精神力だ!
「だからって言うワケじゃあないが、あんま気にすんなよ。この学院じゃ血の気の多い奴だって少なくはないんだしな」
「へえ……」
名門校と呼ばれるだけあって、あんまりそういう風には見えないけど、ここに属する人達は一応軍人のタマゴと言えるのだから、実は珍しくもないのか?
いや、だからって僕の行動を正当化する事は、させる事には繋げちゃいけない。そこは自分で締めていこう。
「じゃあ、お言葉に甘えて気にしない事にしときます。とりあえず未遂で済みましたし。ミヒュトさんも本当にすみませんでした。カウンターにひびとか入ってたら言ってくださいね。弁償しますから」
「俺はむしろお前の額が割れてねえかと思ったが……まったくなんともないな。どんな石頭してんだ」
「あはは、訓練の賜物ってやつです」
使える武器はいくらあっても困る事はないからね。
使う使わないは別として。
「ま、それはともかく、こうしてお客さんも来たワケだしいい加減失礼しますね。また明日来ます」
「ああ、もう来んなよ」
「僕の話聞いてます?」
それじゃあ、と二人に挨拶をして僕は店の扉に歩き出す――
「あ、ちょっと待て」
「はい? ――っと」
が、途中で呼び止められ、振り返ると同時に、片手に収まるくらいの何やら四角い物体が飛んできた。僕はそれを咄嗟に掴み取る。
なにこの箱?
「そいつの中身は『ブレード』って言う、ゲームをするためのカードが入ってる」
「『ブレード』?」
「ああ。最近俺がハマってるカードゲームでな」
「カードゲーム……」
箱を見つめて首をかしげる僕を見て、クロウさんは言う。
「実は今日ここに来たのはほかでもない、そいつを流そうと思ってよ。何かの縁だしお前にやるよ」
「え、でも」
「遠慮はいらねえって」
「そんな」
「元々布教用に何個か流そうと思ってたヤツの一つだからな。どうしてもって言うなら、遊びまくってまた誰かに布教してくれや」
「…………」
いや、悪いけど遠慮とかじゃなくって。
いらないんだけど。
別に欲しくないんだけど、これ。
同じ『ブレード』なら『強化ブレード』とか『ブレードライフル』の方がまだいいんだけど。
……しかし、さっき迷惑をかけそうになった事もあり、さすがに「いりません」と突っぱねるのはどうだろう。
そこまで面の皮は厚くないのである。
フィーを見習いたい。
僕をぞんざいに扱う彼女を見習いた――いや見習っちゃだめなのか。
「まあ……ありがとうございます」
とりあえず、お礼を言って貰っておく。
顔を立てておく。
その時ふと名前を名乗り返してなかったことを思い出し、僕はそれのついでとばかりに言い忘れた事も付け加えておく事にした。
「名乗り遅れましたが僕はレイヴェル・オルランドと言います。代わりと言うか、元々そのつもりですけど、特に
「……何のことだよ?」
「あはは。なんだろう、忘れちゃいました。それじゃ、ほんとに失礼します」
――素性や背景なんかは本当にどうでもいいし。
どういう表情をしていたのか見る間もなく、興味もなかった僕は端的に伝えるだけ伝えて彼等に背を向け、扉を開けて外に出る。
入った時とは全然明るさが違くて、日の光に少し目が眩んだ。空を見上げるまでもなく、太陽は完全に顔を出しているらしい。
もう早朝とは言えない、まごうことなき普通の朝。
誰も彼もが既に活動を始めている、いつもの平凡な朝だった。
思わぬ出会いに長居しすぎたなあ、と僕はうーんと伸びをしつつ、歩き出す。
「……どうせだから、なにか買ってこうかな」
切なげな声を上げて訴えるお腹をさすりさすりとなだめつつ、店が立ち並ぶ駅前の方へと視線を向ける。
自分で作ってもいいのだが、どうせ外に出てるなら買った方が早いしうまい。
帰ってトースト焼くより菓子パンとか食べたい。甘いやつ。
……まだ寝てるんだろうしなあ。あのおっきい猫さんは。
思う存分惰眠を貪っていると予想する。ほっといたら本当に猫みたいに半日くらいは起きてこないんじゃないだろうか。自由行動日は授業が無いだけで厳密には休みではないと言うのにぐうたらと。
ちなみに僕が制服を着ている理由もそれに所以している。私服を着ても構わなくはないのだが、休みじゃないなら制服を着ようという感じである。別に遠出するワケじゃないし、楽だし。ていうか実際のとこ私服ほとんど無いし。
生徒のほとんどが制服を着ているのが僕みたいな理由かは知らないけれど。
「んー、食い付きそうなモノってやっぱりミルクとかかなー、あはは」
猫だけに。
なんてつまらない冗談を一人呟きながら、実際彼女が喜びそうな食べ物って甘い物以外でなんだろうと頭を悩ませつつ、僕は足を方向転換させた。
◇
パタン、と音を立てて扉が閉まる。
別に見送りだとか監視だとか、そういう考えは特に無かったつもりだが、彼が完全に出て行くまでジッと目を離す事はなかった。
「あいつは本当によくわからん奴だな」
噂には聞いていたが、じかに会ってみたクロウでもよくわからない、変わった奴という印象を抱いた。それはいつから知り合ったのか割と親しげに見えたこの店主も同じらしい。
「同感だ。いきなり頭を打ち付け始めたのはさすがにビビったぜ」
気配がこの店から離れた事を確認すると、クロウは扉から視線を外してミヒュトへと向き直る。
「なにもんだよアイツは。どっかイかれてんのか?」
「……まあ、ある意味イかれてなくもないけどよ。何者かって言うとわかるだろ」
「……わかんねえ」
「見たままじゃねえか」
「見たまま?」
赤くて小さくてデカい箱を背負っていた、くらいがクロウの頭に残っていたが、やはりその程度で何者かなどわかるはずもなかった。
レイヴェルが頭を打ち付けていた場所に手をやり、へこみや傷が無いかを確かめながらミヒュトは言う。
「ただのバカだ」
「……随分と辛辣だな」
「そうか? 的確も的確だろう。少なくとも俺から見りゃあそうだ。お前はそうじゃなかったか?」
「……ああ」
いきなり突飛すぎる行動を取ったと思ったら、あまりにも目に見えて落ち込んだり。適当に冗談交じりで慰めてみたら、どこまで本気なのかわからない反応をしたり。思い返してみると少しばかり頭が足りないというか、ネジが何本か外れている感じで、ミヒュトの言う事はわからなくもなかった。
(『ただの』バカ、ねえ)
しかし、何の前触れも無く、初対面の相手に対して殺意を解放するような人物をその一言で済ませていいものだろうか、と疑問に思う。
血の気の多い奴が少なくないと言ったのは嘘ではないし、事実クロウも一年の頃は幾度となく突っかかられたりして衝突していた事もあったのだ。当たり前だがそれはあくまでケンカの域を出ないモノ。
たった一瞬ではあったが、あの時クロウは確かに自分が殺されるイメージを持った。咄嗟に手元に無い、本来の武器へ手を伸ばそうとしてしまうほどに。まるで目の前にいるのが小さな少年ではなく、大きな人喰い虎で、いまにもその
だがそれ自体は本当に一瞬だった事もあり、そのあとが予想外過ぎてすっかり毒気を抜かれてしまったあげく、なんとなく『ブレード』までやってしまった訳だが――
(アイツはいったい何に気付いてた?)
去り際に告げられた言葉が再びクロウに少なくない警戒心を抱かせる。
特別何か変わった事をしてもいないし、話してもいない。そもそもなぜあんな殺気を向けられたのかすら謎だった。
あるいは最初から向こうがこちらを知っていたのだろうか。しかしあれはどちらかというと、思わずといったような気もする。やはりそこからの行動が意味不明すぎて結局よくわからない。
何も考えていないバカのフリをしているのか、ミヒュトの言う通り本当に何も考えていないただのバカなのか。そこがうやむやでハッキリとした結論が出ない所為で、警戒心を抱かさせるには抱かさせるが、警戒して当たるべき相手なのかまでは結論が出なかった。
もし、これを狙ってやったとしたらかなりの策士だろう。彼を見る度に自分の心労を呷ろうというつもりなら、可愛い顔して結構えげつない奴だとクロウは思った。
(だがまあ、その程度で――)
「で、お前は結局何しに来たんだ。まさか本当にその『ブレード』とか言うもん流しに来たんじゃないだろうな?」
「ああ、そのまさかだぜ。別に期待してるワケじゃあ――いや、できれば少しくらい色はつけて欲しいけどよ」
それでもクロウにとってレイヴェルの存在はただの些事でしかなく、過去に経験した事に、これから為そうとする事に比べたら障害とも呼べない物であった。
途方も無いほどに大きく分厚い壁と、今さら足元に転がって来た小石。
彼は鼻で笑うだけだった。