まあそんな感じで、なんとなくの理由で朝食を二人分買いに行った僕は第三学生寮に戻り、玄関先で重そうなダンボール箱を二つ、なんとか部屋まで運ぼうと苦心しているエリオットさんがいたので、両肩に一つずつ担いで運んでやってからいざフィーの部屋へと行ってみると、中から気配はするが鍵はかかっている状態、つまり案の定寝ていたので、扉をガンガン叩いて起こしたのだった。
朝食食べるだけでどんだけ時間かかってるんだよって話。
「ふぁ……。最初から、甘いものがあるって言ってくれたらよかったのに」
「あのいちごクリームパンは僕のなの! キミはただのサンドイッチ!」
人のを散々かじってくれてさあ!
同じのを買えばこんなことにはならなかったが、隣に並べられていたので、これでいいやとつい手に取ってしまったのである。
決して目の前で自分だけ甘いものを食べてドヤ顔してやろうとか思ってない。断じてない。
「レイの考えはお見通し……ふぁぁ」
「なに? そんなに眠たいの?」
「最近ちょっと寝不足かも」
「普段あれだけ寝といて……ていうかフィー。キミ、ちゃんと髪梳いた? ハネてるよ?」
「ん、問題ない」
「せめて直す仕草くらいしようよ……。ああもう、仕方ないなあ」
フィーを立ち止まらせると僕は後ろへ回り込み、懐から櫛を取り出して髪を丁寧に梳いてやる。
短いのですぐに整うだろう。
「……フィーも綺麗な髪してるんだから、伸ばせばいいのに」
「戦闘の邪魔。管理めんどい」
「確かにそうだけど……もったいない。長い方が好きなんだよなあ、僕」
「…………ふうん」
フィーはやはり興味が無いのか、気の無い返事をしながら前髪をいじっていた。
「ところで」
「うん?」
「どこに行くの?」
「どこに行くって……」
現在トリスタの街。の道端である。
第三学生寮からほど遠くもない、道端。
「毎朝歩いてる道だから、わかるだろ?」
「……休日だけど?」
「休日じゃないよ。自由行動日」
「違いがわからない……。やれやれ、起きるんじゃなかった」
「自堕落な生活はだめだよフィー。いつかサラさんみたいになっちゃうからね」
今日は授業が無いため朝から部屋飲みらしい。
反面教師としてどこまでも優秀な人である。
「僕はいつまでも魅力的なキミでいてほしいんだ」
「……レイって恥ずかしくないの?」
「なにが?」
「そういう歯が浮くようなセリフ。よく言うけど」
「? よく言うかな? 特に言った覚えもないよ?」
今のも別に。ただ思った事を口に出しただけじゃないか――よし、完成。綺麗になった。
「ん、サンクス。ほんと髪梳かすのうまいね。気持ちよかった」
「あはは。うちの一族柄そうなるのは当然だよ。それ抜きにしたって僕を見れば一目瞭然でしょ?」
「ああ、女子力高いもんね」
「ケンカ売ってんのか」
髪が長いからって意味に決まってるだろうが。
代々積み重ねて来たのは戦闘技術だけじゃないのである。
あの見た目からは想像できないだろうが、叔父さんも相応にうまいという事実。
まあ長い分、手入れはきっちりしないとすぐ痛んでみっともないことになるからね。仕方ないよね。
凄まじく似合わないけれど。
「その割にはいつもハネてるけど」
「え、嘘嘘、どこが?」
「そこ。てっぺん」
「……ああ」
フィーに促されるまま、僕は指差す先へと手を伸ばす。
そこにあるのは予想通り、重力に逆らう一本の髪。
「なぜだか知らないけど、こればっかりはどうにもならないんだ……ほら見てよ」
論より証拠とばかりに、僕は手に持つ櫛で梳いてみる。ピョロンと素晴らしい反射速度でハネた。
ほかの髪は従順なのにこいつだけ凄まじく反逆する。
何が不満なのか。
「なにそれ」
「……クセ毛?」
「そこだけ? 水で濡らしてみたら?」
「……その時は直るんだけど、乾いたら勝手にハネてるという……」
「なんで?」
「……さあ?」
「ていうか、あざといね」
「……あざといかな」
さすがにここまで来ると、僕達より上位の存在が干渉しているのではないかと邪推してしまう。おのれ
この容姿も含めて一言文句を言ってやりたい。わざとだったらゲンコツくらわせたい。いやドジっ娘でもゲンコだな。
「なので僕はこの髪を、『不屈の闘志』と名付けてみました。決して膝をつくものかというレイヴェル・オルランドの漢っぷりを表現しています」
「…………ふ、ふふ、『不屈の闘志』って。……ふふふふ」
「笑うな!」
「全然似合わなすぎてかわいそう。ずっと、そうやって自分をなぐさめてきたんだね……」
「哀れむな!」
痛々しげに僕を見る表情。
もう無理しなくていいんだよ。大丈夫、わかってるから。とでも言いたげな目である。
直前に笑いをこらえてたと思えない。
実にムカつくなあ。
「……まあ、僕の髪はどうだっていいんだよ」
僕は手に持ったままだった櫛を、懐になおして話を打ち切ると、
「ほら、もう行くよ」
「らじゃ」
フィーを促がし歩き出す。
既に多少の遅れがある。本日の予定は少なくないのだ。
もっと迅速に動くべきだろう。
とか言って、僕自身が原因と言えなくもないのだけれど。
何かあったら話を広げていくのやめないとなあ。
文字通り、話が進まない。
「今日一日で全クラブを見て回るんだから、無駄口もほどほどにしようねフィー」
感情の起伏が薄いワケでもなく、割とノリもよかったりするフィーであるが、表情があまり大きく変わらず物静かであるため付き合いの浅い人から見れば無表情な子。みたいなイメージを持たれがちな彼女。
そんな彼女が僕の一言で今まで見たことないくらい嫌そうに、感情むき出しに顔を歪ませたのはかなりのインパクトであり、あまりにレアすぎたため、僕はその瞬間をついぞ一生忘れることはなかった。
◇
――ラクロス部
「あら、レイヴェルとフィーじゃない。どうしたの?」
「おやアリサさんじゃないですか。いえ、ちょっとクラブを見て回ろうと思いましてね。体験入部とかしてみようかなあと」
「そうだったの。でも残念ね。見ての通りラクロス部は女子部しかないわよ?」
「え、ほんとですか。うわあ、いきなり出鼻をくじかれちゃった……。仕方ない。別のとこ行きます」
「何言ってるの、あなたもアリサも! 男子部じゃなくて女子部なんだから帰る理由なんてないでしょう! さあ、ユニフォームに着替えてらっしゃい!」
「テ、テレジア先輩、この子は……」
「ああ、やっぱりこのオチなのか……」
「正直わたしはここに来た時点で悟ってた」
――馬術部
「フィー、馬に乗ったことある?」
「レイは?」
「食べたことならある」
「わたしも、食べたことならある」
「……うーん、世話しなくちゃいけないし、移動手段としても弱いけど、非常食にはなるよなあ」
「団に導入するのは難しそうだけど」
「やっぱりそうだよねえ、残念だけどさ。……じゅるり」
「非常食メイン?」
「我がマッハ号をそんな目で見るのはやめてもらおうか!」
――美術部
「ははは裸の女性が淫らなポーズを惜しげも無く披露するけしからん部というのはここですかっ!?」
「そ、そんなことしませーん! いきなり入って来て何言ってるんですか!」
「おや、レイヴェルとフィーか。どうしたんだ?」
「レイがクラブを見て回ってる。わたしは振り回されてる」
「付き合ってやってるのか。相変わらず仲の良いことだ」
「振り回されてるだけって言ってるんだけど。いい迷惑」
「えー、でも絵画って裸の人のとかあるじゃないですか。美術部なんだからやってもおかしくないでしょう?」
「おかしいです、おかしいですっ。私達学生なんですからっ。うう……部長もなんとか言ってくださいよ……」
「知らん」
――吹奏楽部
「音楽なんて全然まったくこれっぽっちも縁が無いよ。せいぜい僕と言う楽器を使って戦場を奏でるくらいだよ」
「悲鳴か何か?」
「せ、戦場……? 音楽は誰でも素直な心を表現できる素晴らしい芸術ですからぜひ、触れて行ってくださいね」
「そうなんですか? ねえフィー。ちょっと僕を思ってそこのバイオリン弾いてよ」
「聞くに堪えない音が出ると思うけど」
「僕のこと嫌いじゃないって言ったのは嘘だったの!? ひどいよ!」
「いや弾いたことないから」
――調理部
「……あらぁん? あなた、男ね」
「……い、いえ。女です。女の子ですからはい、すみません」
「そんな嘘ついたって、むせかえるようなたくましいオスの匂いでわかるわよぉ?」
「か、顔ちか……! あの、匂い嗅ぐのやめてくださいっ……!」
「ムフフ~ン♡ ウブなのねぇ~、照れなくてもイイのよ?」
「照れてなんか……ひっ! ど、どこ触ってるんですか!」
「……アナタ、カワイイ顔してるわねえ。ダンナ様にするにはちょっと物足りないけどぉ、ペットにならしてあげてもいいわよ~♡」
「…………ッッッ!! フ、フィー、フィー! やだ! 僕こんなのやだー! 助けてえええ!!」
「ムフッ♡ ほんとにウブなのねぇ~。大丈夫、このマルガリータブレンドの秘伝の惚れ薬を混ぜた料理を食べれば何も怖くないわぁ~♡」
「はあ!? ままま待って待って無理やりは待ってえええ!! 話をっ、話をしましょう! まずは普通にお友達から始めてそれ以上進みたくないいいい!! フィー! フィイイイイ!!」
「ああ、マルガリータ君。熱いからそのまま食べさせるのは辛いんじゃないかな」
(面白いからもうちょっと見守ろう……)
――写真部
「写真か……。導力カメラを個人で持つ人は少ないよね」
「ま、それなりに値が張る物だし。道楽として持てるのは裕福なとこに限られる。趣味にするには難しい」
「ふうん。そういうもんかー。あ、でも僕も一つくらい持っておけばよかったかな。兄さんの写真とか撮れたのに」
「……レイは持たなくて正解だったと思う」
「え、なんで?」
「目線こっち向けて―! んー、いいねいいね二人とも! いやーやっぱ被写体は可愛い女の子に限るよなー。赤毛の君がスカート履けばもっといいけどなー!」
「こんな風になったら、ウザい」
「……部長さん」
「ご、ごめん! すぐやめさせるから! レックス、ちょっとストップだ!」
――第二チェス部
「えーと、部長さん。確かチェスって戦争ゲームでしたよね?」
「ああ。そう考えてくれて構わないよ。自分の駒を使って相手のキングを落としたら勝ちさ」
「ふむふむなるほど。部隊を指揮したことってせいぜい小隊率いて突っ込むだけなんだけどやってみようか。じゃ、行くよフィー」
「えっ!?」
「え? どうしました部長さん?」
「……レイ。盤外にポーンを置いてどうするの?」
「え、だって奇襲するなら敵から隠れないと……え? 戦争だよねこれ?」
「発想が柔軟すぎる」
――文芸部
「本を読んだり書いたりするのかあ。なんだか面白そうだね。フィーは本とか読む?」
「あんまり。レイは?」
「僕もあんまりかな。でも嫌いってワケでもないんだよね。特に僕と同じ赤髪の冒険者の話とか――」
「そそそ、そんなことより! 美少年同士の熱い友情ってどう思います!? 可愛い……っクソ! 何考えてんだ俺は……! みたいな熱い友情、どう思います!?」
「え、いや、別になんとも……。あ、ああっと。ここにある本はなんだろなー」
「あ!それは秘蔵中の秘蔵……!」
『さあ、君のスロットを開封してあげよう……』
『ああ、いいぞ……。次はクオーツ合成だ……』
「ぎゃー! 汚い戦術オーブメントー!!」
「ぎゃー! 私の秘蔵本がー!」
「どうどうレイ、落ち着いて」
――技術部
「やあ、久しぶりだね」
「……フィー、知り合い?」
「……レイの知り合いじゃないの?」
「い、いやいや入学式の時、校門で会っただろう?」
「……レイ」
「……ごめん。なんか僕達と同じくらいちっちゃくて可愛い人しか目に入ってなかった」
「は、はは……いいけどね。僕は二年Ⅲ組のジョルジュ・ノーム。技術部の部長さ。君達は何か機械を修理した事とかあるかい?」
「ん、調子の悪い通信機を叩いて直したことある」
「はい、うまく駆動しない戦術オーブメントを叩いて直した事があります。まあ、そのあとすぐに壊れましたけどね!」
「わたしは壊れなかった。むしろ調子良かった」
「……うん。とりあえず、工具の説明でもするよ……」
――水泳部
「む? そなた達も泳ぎに来たのか?」
「別に、ただの見学。この時期に水練とか寒くない?」
「寒中水泳もまた、鍛錬の一つだからな。フフ、なんだったら一緒に泳いでも構わないぞ?」
「遠慮しとく」
「そうか。では気が向いたら来るがよい。私は先に行かせて貰おう」
「……で、レイはなんで黙ってたの? なんで前かがみなの?」
「ん、いや、その、学院の水着って体の線が出やすいんだなあと思ったり? みたいなー。あははははは。……キミが着ても残念だろうな……あ、でもお尻の食い込みとか……」
「?」
――フェンシング部
「あれ、なんだこの剣。ぐにゃぐにゃしてるし軽すぎるんだけど。あのー、二本持っていいですかー?」
「いいわけねーだろ一年坊主! きっちり基礎からやってろや! ったく、どいつもこいつも……」
「あはは、フェンシングって僕のスタイルに合わないんだなあ」
「まあ、基本的に力に物言わせてるし」
「……な、なんだアイツ。よくあんなこと言えるな……」
「……フン、フェンシングも知らないとは。さすが寄せ集めだな」
――釣皇倶楽部
「よし、じゃあまずはこの竿をあげよう。あははー、今日はカルプなんか釣りたいねー」
「ありがとうございます。……あの、魚が欲しいなら釣糸垂らすより素潜りで狩る方が早くないですか?」
「いきなり否定から入るんだ」
「んー、僕にはそんなことできないし、春先だから水はまだ冷たいんじゃないかなあ」
「冷たいだろうけどもね」
――園芸部
「花を育てるって言ってもさ。水をあげて雑草取れば終わりじゃないのかな」
「うふふ、基本はそうですけど、それだけじゃないんですよ? たとえば毎日話しかけてあげると、より綺麗に大きく咲いてくれたりするんです」
「……部長さんは毎日自分の体に話しかけてるんですか?」
「? いえ、特にそんなことはしてないですよ?」
「……誰かに話しかけられてるのかな? だとしたら僕以外もその野郎に殺意が湧くと思う」
「?」
「日向ぼっこに適したクラブ……。いいかも」
◇
「ふう、なんとか全部回れたかな?」
「…………」
朝から始めて昼を周り、全クラブが終了するオレンジ色の空の下。
僕らは学園の中庭にあるベンチで一休みしていた。
「いやー、結構多かったねえ。クラブって一口に言っても色々あるんだなあ。あはは、これが実際に知れただけでも十分収穫だよ」
「…………」
「でも悲しいかな。どうもピンと来るものがなかったよ。やっぱり今まで無趣味だったヤツがいきなり何かに興味を持つって言うのはないのかなあ。あ、別に面白くなかったってワケじゃあないんだけどね? 琴線に触れる物がなかったていうかさ」
「…………」
「新鮮さはあるんだけど、全部が全部等しく見えたんだよなあ。んー、これじゃあどれか特定のクラブに入るより、全部を掛け持ちしたいくらいだよ。もちろん一部を除いてだけど。あはははは――」
「…………」
「――で、いい加減その目、やめてくんない?」
隣から送られてくるじっとりした、絶対零度の冷たい視線。
僕はたぶん、苦笑いを浮かべていたと思う。
だってバナナで釘が打てるんですってくらい涼しげなんだもん。
まあこれはこれで、ゾクゾクと全身を這い回るような感じがなかなかどうして悪くはないのだが、それは人として割とアウトな気がするので触れてやることにした。
「なんだよ、引っ張り回したのは悪かったけどキミも楽しんでた部分があったじゃないか」
「それは否定しないけど、こうして日が傾くのを見ると、貴重な睡眠時間が失われたのを実感する」
「まだ夕方なんだけど、キミは冬眠でもするつもりだったのかい? 結局何が言いたいのさ」
「ん、関係無いけどわたしプリン食べたい」
「おい、いつからそれを狙ってた」
交渉と言うには直球すぎて、むしろ普通におねだりだった。
雑すぎる。
「転んでもタダでは起きない。逆に布石」
「タダでさえ寝てばっかなのに甘いものも良く食べて。太りたいの?」
「わたし、ほとんど太らないからドーナツでもいいよ」
「なにがいいんだよ、なにもよくないよ。まったく、なんやかんやで楽しんだクセに報酬までねだろうとは。相も変わらず姑息で汚い手を使ってくれるよね。やれやれ、これだから西風は」
「結果的に楽しんでた部分もあるから報酬をねだるなと。暴論にも程があるね。相も変わらず野蛮。やれやれ、これだから赤い星座は」
…………。
「あ?」
「ん?」
「ちょ、ちょっと待つんだ二人とも!!」
あまりに楽しい会話のために、ついついベンチから立ち上がり、若干闘気をみなぎらせながら火花を散らす。
そんな僕達の間に突如飛び込む一人の影。
それは最近よく関わりのある人物で、
「何があったか知らないが落ち着いてくれ!」
「リ、リィン、いきなり走り出してどうしたの……!」
「何かあったのか」
遅れて到着した二人も含めてワンセットで縁のある人達であった。
ていうかリィンさん一行だった。
「いきなり何? そっちこそ落ち着いた方がいいと思う」
「そうですよ。血相変えてどうしたんですか? 後ろの二人も困惑してるじゃないですか」
あと僕も困惑してる。
「……え? ケンカしてたんじゃないのか?」
『…………?』
ケンカ?
思わずフィーの顔を見てみると、彼女もこちらを向いていた。
顔を合わせて首をかしげ合う。
「どこをどう見たらそうなるの?」
「別に武器も抜いてないしねえ?」
「……いや、ちょうど遠目にレイヴェル達が見えたと思ったら、随分険悪な雰囲気で……。口論ならまだしも手を出したらマズイと思って……」
「するワケない」
「フィーの言う通りです。それは早とちりという物ですよ」
バッサリと一言で切り捨てたフィーへと便乗すると、リィンさんは、違ったんならいいんだと気まずげに頬をかいていた。
……なんというか、フィーはともかく僕はそんなにも節度を弁えないような暴れん坊に見えるのだろうか。
心外だ。ちょっとへこむ。
大体、今のも十分日常の範疇に在る(と思う)、気心の知れたじゃれあいみたいなモノじゃないか。
普段からこれくらいは言い合ったりしている――彼等の前ではどうだったかは知らないけれど。あ、見た事ないから割り込んで来たのか。
だとしても、やはり心外なのは変わらない。
「僕らがそんな殴り合いなんてするワケないでしょう、もう」
「う……面目ない。重ねて謝るよ」
殴り合いを否定するつもりはないが、いちいちそんな、安いケンカをするものか。
つまり今のはせいぜい怒涛のジャンケン勝負にもつれ込むくらいだったのだ。
それなのにリィンさんはまったくまったく。
「……なんだか三人とも、服がホコリっぽい」
と。
不意にフィーがこぼした一言で、僕はふと我に帰り、今更ながら三人の状態に気が付いた。
「あ、そういえばそうだね。何かしてたんですか? 所々、薄汚れてる感じですけど」
リィンさん、エリオットさん、ガイウスさんと。一通り、上から下まで視線を走らせる。話す事に気を取られ、周囲への観察力が少しばかり低下していたようだった。
むむ。いけない、いけない。こんなことでは格上からの不意打ちで即死してしまう。
その点フィーは落ち着いて、いつも通りクールに場を把握し、些細な所までよく見ている。
さすがだなあ。
「ああ、実は――」
ていうかなんでこの二人がいるんだろ。
エリオットさんは家から送られてきたっていう大量の荷物を整理してるんじゃなかったの?
まあ、それは区切りがついたからかもしれないけれど、ガイウスさんは美術部で絵を描いてたんじゃなかったのか?
つい今しがた合流したようにも見えないし、ふーむ?
「――旧校舎の地下でも行ってたんですか?」
「! そ、その通りだが……」
「す、すごい! なんでわかったの?」
「いやまあ、あてずっぽうに近いですけど……え、本当に行ってたんですか」
理由としては単純に、三人揃って武装している事から戦闘行為を想定して動いていたのかな、と思っただけだ。
僕は普段から肌身離さず武装を解いた事は無いが、この三人もそうであるかと言われると否である。
リィンさんは腰に鞘があるからまだしも、ガイウスさんとエリオットさんが使うは長柄物。持ち運ぶには大変不便と言えるだろう。
……まあ、僕も長柄物に分類される武器なのだけれど、当の身長がアレなため、いくら僕より大きいと言っても僕に合わせて作られたコレは、たかが知れているというワケで……ぐぬぬ。
さておき。
そんな理由を抜きにしたって、常日頃から武器を持ち歩く人もそうそういないのだ。たとえ携帯できる武器と言えどもだ。
日常生活において武器などほぼ必要ない。士官学院生だとしても、不必要に持ち歩いたって荷物になるだけなのだから。
逆に言えば、持ち歩く人は皆何かしら、理由があるのかもしれないが――そこは僕の与かり知らぬ事であるため、どうでもいい。
「服がホコリっぽかったりするのは土埃かなーとも思ったんですけどね。僕も前から旧校舎には目を付けてたんで、ああそういえばあそこも魔獣出るしホコリっぽかったよなー。みたいな感じで。とりあえず言ってみたら当たりました。あはは」
「なるほど。結構鋭いのだな。レイヴェルは」
「ま、レイはそういうとこ、ちょっとすごいから」
「なんでキミが自慢げなんだよ」
目を閉じ薄く微笑むフィーに突っ込みを入れつつ話を戻す。
「で、結局なんで旧校舎の地下に行ってたんですか? とっくに全容はわかってるんですから、リィンさん達がわざわざ行くような真新しいナニカがあるワケでもないでしょうに」
「…………いや、それがだな」
「学院が昔から管理してるんだったら今さら新種の魔獣が出たとか踏破していない場所があったとか、大型魔獣が増えたとかも無いとは言い切れませんが、まあ無かったでしょう? あんまり近寄らない方がいいですよ。地下には全員がかりで倒したアレがいたくらいなんですから。再生する石像の魔獣って言うなら、また出てくるかもしれませんからね、あはは。それともなんですか?」
「構造が、変わっていたんだ」
「地下の構造が全部作り変わっていたとかそんな面白い事で――――は?」
柄ではないし、大きなお世話だろうけれども、一応はクラスメイトという名の仲間に当たる人なので、最低限の忠告くらいはしておこうと思っていた僕は、
「二週間前。俺達が落とされたあのダンジョンは、まるっきり違う物に変わっていたんだ」
真っ直ぐに僕を捉える真剣な眼差しに、二の句を継げなくなってしまったのだった。
◇
技術棟を横切り、学院の裏手を抜けるように進むと周りは徐々に木が生い茂り、学院に溢れる生徒達の喧騒は遠くなって行く。
目的地までまっすぐ敷かれた、足の裏から伝わる固いタイルの感触。視線を少し脇に外して見れば、草は刈りこまれ、ベンチが数台置かれている。特に放置される事もなく、整備は行われているのだろう。
それでも歩を進めるほど取り囲む緑は多くなり、人の気配をまったく感じられず、ざわざわと草木を揺らす風の音だけが場を満たす。
深い森に迷い込んだ錯覚。
もちろんそれは錯覚に過ぎず、振り返れば、少し歩けば払拭されるその程度の物――しかし、閉め切られ、ずっと火が入らない暗い旧校舎は、何も変わらずそこに在る。
ここは、森の中ではなく、旧校舎には誰もいない。
なにもない、なんにもいない――だからこそ。
不気味さだけは、変わらず留まり続けるのだろう――
「二回目だけどまったく変わらず陰鬱なとこだなー。あはは、こういう場所に幽霊が出るんだっけ? フィーは幽霊ってこわい?」
「全身にあらゆる爆発物を巻き付けてたらこわい」
「それは確かにこわすぎる……!」
戦慄する。
幽霊である必要性がどこにあるのか疑問を感じる恐ろしさだけれども。
いつかのオリエンテーリングの時みたいに、目の前の旧校舎を僕達は眺めていた。
場の雰囲気なんて僕達には特に関係ない。出やすそうな戦場で見た事ないんだもん、怖がる必要なんてないのである。
結局人間が怖いと言う事でオチがつく。
「でもこの建物もこわい――っていうか意味わかんないよ。二週間で誰にもわからず地下のリフォームを済ませるって随分アグレッシブていうか――」
「そんないいモノだっけ?」
「今は真面目だから茶化さないで」
「わたしに突っ込ませないで」
誰もボケてるつもりはないんだけど?
「学院長も思い切ったことするもんだよね、調査をⅦ組に任せるなんてさ。リィンさんもリィンさんで勝手に引き受けちゃって。受けるならしっかり内容を詰めてから受けろって言いたいよ。中がそんな状態になってるなら、なおさらタダ働きってワケじゃあいかなくない?」
でも今回も最奥で大型魔獣が出たって聞いたなら、さすがに次はないかもなあ。
話の限りでは三人で倒せたらしいので前より弱いのかもしれないが。
二週間でそんな劇的に強くなんてならないだろうし――あ、もしかして戦術リンクの恩恵だろうか。変化と言えばそれくらいしか考えられない。ふむ、やはりこのシステムは計り知れないモノがある。
「――まあ、僕としては嬉しい限りだからいいけどね」
「さっきは流したけど、目をつけてるって話?」
「勝手に入るより、ちゃんと許可を得た方が気が楽だよねー。僕って小心者だし」
人はいないし魔獣は出るし、もしかしたらまた大型魔獣も出るかもと、なかなかに素敵な場所なのだ。活用しない手はないだろう?
訓練に最適すぎるじゃないか。
地下であんなに広いだなんて、都合が良すぎるくらいだ――
「あは。でもダンジョンだからさあ悪いけど、僕が迷わないようフィーには絶対、絶対ついてきてもらうから――」
隣で割と真剣な顔で「小心者……?」と呟き考え込むフィーを尻目に僕は足を動かすと、少しばかりの階段を上りきり、いかにも”旧”校舎らしい古めかしく重厚な扉の前に立つ。
「それだけは、忘れないでね?」
――とりあえず今日はもう遅いから、様子見程度で終わらそう。
ふつふつと込み上がる興奮を感じつつ、取っ手を二つ両手に持つと、僕はガチャリと音を立てながら、扉を一気に押し開――
「……あれ?」
押してみる。引いてみる。
ガチャリ、ガチャリと音が鳴る。
「……あれ? あれれ?」
いや音だけは確かに鳴るのだけれど。
「あれえー!?」
押しても引いても、扉は頑として、びくとも動かなかったのだった。
「なにやってんの?」
「いや中に入ろうとしたら開かないんだよ! あれ、許可出てるんじゃなかったの!?」
「? 使わない時は鍵くらいかけると思う」
「じゃあリィンさん達はどうやって入ったの!?」
「鍵開けて入ったと思う」
「そりゃそうだ!」
魔獣が徘徊してるような所を自由にするワケないもんなあ!
ちょっと興奮してて、当たり前の事に気付かなかったよ!
おいおいこいつはまいったぜー。とばかりに僕は額をぺちんと叩く。
「なんでそんなにテンション高いの? バカ?」
「息するように自然な罵倒はやめてくれる? あと、ただの空元気みたいなものだから気にしないで」
しまらなくて妙に気恥ずかしいからとは言わない。
扉の前から離れてフィーの元へと戻る。
「そんなに入りたかった?」
「そうだねー。思わずキミの薄い胸を借りて、慰めて欲しくなるくらいには入りたかったよ」
「ならそこのベンチに顔をこすりつけてれば?」
「やだなあ、キミのにおいを胸一杯に堪能するのが目的に決まってるじゃないか。言わせんな恥ずかしい」
「言わないで気持ち悪い」
仕方ないが、用が無くなってしまえばこんな所にいつまでもいる必要も無いのでさっさと帰ろうと、フィーの背中を押して行く。
今回はアテが外れたが、次があるのだからそんなに焦る必要もないだろう。
「問題は鍵が借りられるかだよなあ。今はもう入る必要ないんだし」
その次がいつになるかは知らないが。
そう遠くはないだろう。たぶん。きっと。おそらく。
まあ、気長に待とう。日常を優先しようじゃないか。
「あ、そうだ。今日とこれからの報酬を兼ねて、今日は僕が夕飯作ろうか。甘いものばっかり食べるの良くないしねえ」
「……レイの料理ってひたすら焼くか、ひたすら煮るかの二択しかない……」
「あはは、料理なんてそんなもんじゃないの? まずくはないでしょ?」
「……不思議なことに」
楽しみは後にとっておく、なんて慎ましい考え方は生まれてこの方理解しようとも思わなかったけれど――今はその思想に共感するとしよう。
この不思議な学院生活というヤツは、まだ始まったばかりなのだから。
◇
「そろそろ閉めるか……」
太陽は地平の彼方へ沈み切り、既に出歩く人はとんと見掛けぬ時間帯。
ミヒュトは自分の仕事に区切りを付けて、店の灯を落としにかかろうと腰を持ち上げた。
「こんばんは」
だが、それと同じくして、本日最後の客であろう人物が現れる。
常連であり、厄介事を持ってくる。よく見知った人物が。
なぜこんな閉店直前に来やがるんだとミヒュトは顔を歪ませ、上げかけた腰をまた下ろした。
「そんな顔しないでくださいよ。アタシだって好きでこんな時間に来たワケじゃないんですから」
「はん。どうせ休みだからって朝から酒呑んで爆睡してたんだろ」
「……そ、それはともかく。またちょっと銃弾を頼みたくてですね」
図星を突かれ、しどろもどろに話を変えるサラにミヒュトは溜息を吐きたくなる。が、客は客で、時間も時間なのでさっさと用件を済ませてしまおうと、特に追及せずに話を聞いてやる。
「で? どの弾だ? まさか前に渡したヤツじゃないだろうな?」
「そのまさかだったりしてー?」
「……まためんどくせえ弾を注文しやがって。くそっ、朝一に来たら、今日中に手を回せたってのによ……そこんとこ、わかってんのかサラ?」
「あははははー……すみません」
ブツブツと愚痴をこぼしつつ、ミヒュトはいつの間にか取り出した紙とペンで必要な物を書き殴って行く。
コイツと言い、毎朝押しかけて来るヤツと言い、たった二週間程の師弟でありながら、なぜ揃いも揃って頭を痛ませるのだろうかと眉間を抑えたくなった。
「このクソ忙しい時に依頼を持って来たんだ。値ははずんでもらうぜ」
「ふう。わかりましたよ。自分でもちょっと悪いなーとは思ってましたし、ただでさえやっかいな件を一つ任せてる所に重ねて手をかけますから」
「あ?」
「でも少しくらいは容赦してくださいよ? 見つかるまでの手間と手段を考えると、最初に提示された料金からどれだけ膨れ上がることなのやら……!」
「……ああ、その事なんだが」
肩をすくめて首を振るサラを、手元の紙から顔を上げて怪訝な顔で見上げるミヒュトだったが、得心がいったとばかりに頷くと、隣に置かれていた、上に導力ラジオが乗せてある小さな棚をガサゴソあさり始めた。
「半分でいい」
「え、何が?」
「最初に言った金額の半分でいいって言ってんだ」
「……は? どういう事ですか?」
「そのままの意味に決まってんだろうが」
「いや、余計にわかりませんよ! こちらとしてはありがたいですけどそんなの絶対割に合わないでしょう! 彼を探そうと思ったら、アタシが注文する弾以上にやっかいでミラもかかるはず――」
「だったんだがな。必要無くなったんだ――っと、あった。そら見てみろ」
目当ての物を見つけたミヒュトは言葉を遮り、それをサラに向かって無造作に放り投げた。
宙を舞ってこちらへ寄越された物を危なげなく受け取ったサラは、
「……クロスベルタイムズ?」
帝国で読まれる事はまず無いと言えるだろう余所の場所の新聞に、胡乱げな様子で呟いた。
思わずミヒュトの顔を窺うが、読んでみろと無言で促され、流すくらいの気持ちでページをパラパラとめくって行くが――
「――ッ!」
「腑抜けた顔だろ?」
ある一点で手が止まり、息を呑む。
「隠れる気が無くなったのか、それとも隠れる必要が無くなったのか。どっちかは知らんがな」
「……この事、レイヴェルには」
「言ってねえ。今日も朝からやかましく突撃してきやがったが、
「……ありがとうございます」
その号は、市民の味方でありながらまったく頼りにならず、腐敗しきった存在を非難しきり。逆に遊撃士協会をこれでもかと持ち上げる、サラとしてみれば嬉しい記事と言える内容だった。
中でも新人四名だけで構成され、新しく立ち上げられたという部署は、遊撃士の猿真似、露骨な市民の人気取りと一面を使って揶揄されており、先に動いたというのに遊撃士に手柄をかっさらわれた事を示す、無様な場面を一枚の写真として収められていた。
「クックック。誰も思わねえよなあ。悪名高き『闘神の息子』。その一人である『赤い死神』がまさか」
四名のうち、一人の顔にサラは覚えがあった。
毎日嫌でも目に入る彼と比べると、どことなく似た雰囲気がしたが、全体的にはあまり似ているとは思えなかった。
ただ一点。
「警察なんて――それも『特務支援課』なんてしょうもない場所に、所属してるなんてよ」
深く、赤く、そして黒く。まるで乾いた血のように。
一つにまとめた真紅の長髪が――確かに血の繋がりを感じさせた。