赤い星座出身系主人公モノ   作:シグこれ

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十五話

 追い詰められていた。爪も牙も無く、自身の肉体の半分程度しかない生物に。

 そんな事実は決して認められず、二足歩行の蜥蜴型大型魔獣『スケイリーダイナ』は、今まで屠ってきた弱者と大して変わらないはずの小虫が、いつまでもうっとおしくまとわりついてくることに苛立つよう、鱗で覆われた太く丸太のような尻尾をその場で振り回し、周囲を薙ぎ払った。

 リィンは咄嗟に後ろに跳び退きかわす。風切り音と顔にかかる風圧から、もろに食らえば骨ごと持っていかれてもおかしくはないと感じた。

 

「はあああッ!」

 

 リィンから見て逆側に位置するラウラも危なげなくかわし、側面から斬り付けた。その一撃の重さに耐えきれずスケイリーダイナは踏鞴を踏む。始めのうちは、全力の状態であったうちは、受けきって反撃に転じることもできていた。だがもはや行動は叶わない。その身は既に満身創痍だからだ。

 ここまで押される要因はなかったはずだ。何が違ったのだ。何が起こっているのだ。

 スケイリーダイナは考える。眼前に存在する種族は強者である自分にとって取るに足らない存在だ。喰らった事はまだ無かったが、自分の姿を遠目に見るだけで一目散にいなくなる、腹に収めて来た連中と等しい存在のはずだ。

 

「好機!」

 

 はずだった。

 

「やあ!」

「それ!」

 

 どんな小さな隙でさえ、戦術リンクは追撃の糸口へと繋げていく。

 後方でARCUSを駆動させて待機していたアリサとエリオットがそれぞれ得手とする属性のアーツを解き放った。アリサが放つは火の導力魔法《ヒートウェイブ》。スケイリーダイナの足元が急速に熱せられ赤く染まり、火柱となって立ち昇る。これはまだ耐えられた。しかし間髪入れずに放たれるはスケイリーダイナにとって弱点属性である水の導力魔法《アクアブリード》。エリオットは宙に生み出された重い水の塊を激しい勢いでその身に叩き付けた。

 意識が遠くなる。

 その命はもはや風前の灯火だ。

 

「これで――終わりだ!」

 

 リィンは一気に懐へと踏み込んだ。いっそ滑らかと言うほど静かに、首筋を刃が撫でた。頸動脈を断ち切る、致命の一撃。

 ごぽりと喉は湿った音を立て、悲鳴を上げる事すらできず、血飛沫を撒き散らしながらぐらりとその巨体が大きく揺れる。誰が見ても終わったと感じる光景だった。

 

「なに!?」

 

 しかし、踏みとどまる。

 渾身の力で立ち上がり、水音を響かせながら無理やり吼える。喉も裂けよとばかりに天へ大きく咆哮を上げる。

 スケイリーダイナを支配する感情。それは怒りだった。誰もが自分を害することをできるはずがなく。自分以外の生物はすべからくただ震えるばかりの獲物なのだ。その身を焦がし、燃やし、全てを焼き尽くさんとする激しい怒り、強者としての傲慢さは、今わの際であろうとも現実を受け入れようとはしなかった。

 だからこそ。

 終わりを受け入れない精神は、肉体を限界の先へと進ませる。

 

「ッしまった!」

「くっ、間に合わん!」

 

 スケイリーダイナは明確に何かを考えていた訳ではない。血がのぼった頭にあるのは沸騰し、煮え滾るような殺意のみ。体は本能のまま動く。

 

「えっ……」

「う、わわっ……!」

 

 戦いの基本。狩りの基本。それは確実に殺せる弱そうな者から討ち果たすことである。離れた場所に固まるまとわりつく二匹と比べて小さく脆弱そうな者へと疾駆する。勝利を幻視し意表を突かれたリィンは突破を許し、アリサとエリオットは今までと比べ物にならない大地を揺るがすほどの咆哮に一瞬ひるむ。気付いた時には近づいて来る魔獣に呆気に取られて咄嗟の身動きができない。

 開かれた瞳孔。理性の感じられぬ血走った両目に獲物の姿を映し。

 スケイリーダイナは勢いのままに襲い掛かった。

 

「あの二人ではなく、こちらの人間なら容易く殺れる。そう、思ったかい――?」

 

 しかし牙は届かない。

 右と左。交差し、堅固な壁と化した二振りの戦斧によって阻まれる。

 この場において一際小さく、もっとも与し易そうな――やおら赤い人間に。

 

「んー、腹の底までズシンと響く……たまらない。いやまさか二アージュ近くも押し込まれるとは思わなかった。やればできるじゃないか」

 

 その巨体の加速と突進力を殺しきれず後退するが、靴底で地面を削りながら踏み止まる。

 

「それをもっと早く出せばちょっとはマシに戦えたのに。でもまあ、どうせ死に際だからできたことなんだろう。外し方(・・・)がなっちゃいないし足りないよ」

 

 相対する力はせめぎ合い、拮抗して膠着状態へと陥った。止められたということがどういう意味を持つのか。考える理性の失われた今のスケイリーダイナはただ邪魔物を排除するのみ。このまま押しつぶそうと戦斧にさらなる圧力がかかる。

 

「……!?」

「やれやれ、この期に及んでまだ自分の立場を理解してないみたいだね――――間抜けめ。そこまで思い上がったか」

 

 だが、小さな身体は根を張ったようにピタリとそれ以上動くことはなく。それどころか、かかる圧力を上回る尋常でない膂力を持って徐々に押し返す。

 

「ふんッ!」

 

 そしてついには一気に力を込めて弾き飛ばした。巨体がよろめきながら後退。ダメージはない。だが力に絶対の自信を持っていたスケイリーダイナにとって真正面から打ち破られたことは敗北に等しい証だった。スケイリーダイナは驚愕で冷や水を浴びせられたように一気に頭が冷え――ようやく気が付いた。

 

 その視線に怯えはおろか、何の感情の色もない。

 道端の石ころに対するのと同じように、視界に入れつつ何も映していない。

 ――――見下していた。

 見上げながらに、見下していた。

 その傲慢が許されるのは、確かな実力に裏打ちされているからこそだ。矮小な体躯にはそう感じ取れるほどの風格が備わっていた。

 強いものが勝つ。強いものが偉い。

 圧倒的な強者としての――捕食者としての風格が。

 迫り来る透き通った翠眼に映りこむ己が、より矮小な存在であることに気付き、愚かさに気付き、頭の中で喧しく鳴り響く警鐘に気付いた時には全てが遅かった。

 

「死ね」

 

 あのとき、攻めるのではなく退くことを選択していれば、その強靭な生命力によって瀕死ながらも生き長らえることはできていた。スケイリーダイナの生涯において幸であり、不幸であったのは、一帯に自分以上の魔獣がおらず、自分を倒そうとする人間に出会わなかったことだろう。野生でありながら、いつしか『自分こそが狩る側である』と確信してしまった。

 上には上がいる。

 身の程を弁えぬ妄想の代償はあまりに大きく。

 その首は、挟み込むようにして刎ねられた。

 

 

 

 

 

「うえ、きったな」

 

 突っ伏すように崩れ落ちた首の無い、スケイリーダイナであったものには目もくれず。レイヴェルは血糊のついた双戦斧をブンと大きく一振りする。斧を伝う血は中空へと飛び散り、びちゃりと音を立てて地面を赤黒く染めていった。

 

「で、お二人は大丈夫ですか?」

 

 そしておもむろに振り返ると、レイヴェルは背後にいた二人に声をかけた。

 

「う、うん。レイヴェルが庇ってくれたから、怪我は無いけど……」

「私達よりあなたは大丈夫なの!? あんな真正面から受け止めて!」

「僕ですか? そうですねえ、特にこれといって身体機能が落ちるようなダメージは受けてないみたいですけど」

「よかった……って、逆に何で平気なのよ」

 

 焦った様子のアリサに問い掛けられたレイヴェルはいつも通り悠然と戦斧を担ぎながら、きょろきょろと自分の身体を見渡して言った。レイヴェルの返答に二人はあからさまにホッとしたような顔になる。

 魔獣が到達するまえに防いだので怪我などあるはずもなく。レイヴェルはあくまで確認のつもりで軽く尋ねたつもりだったが、アリサとエリオットはレイヴェルの方が心配で気が気でなかったようだ。

 もっとも当の本人は他人事のようにあっけらかんとしていたわけだが。

 

「そうか、そういえばレイヴェルが後ろにいたんだったか……すっかり忘れてた」

「僕はいつだっていますよ。というか、配置したのはあなたじゃないですか」

「悪い、正直助かった」

 

 そこへ安堵した様子で近づいて来るリィンにレイヴェルは口を尖らせた。

 戦術リンクがうまくいかず、視界に入らず、声も聞こえないとなると、必死に戦っている最中は他の面々と違って些か存在感に欠けていた。リンクによる恩恵、使いこなす必要性も理解しているが、頼り過ぎるきらいがあるとリィンは自分を戒める。

 

 しかし元はと言えばレイヴェルがいつまでたってもリンクの精度を上げられないことが原因である。戦術リンクがうまくいかない要因は繋がる相手ではなく、レイヴェル自身に問題があるのだ。

 

「まったく、いけませんよリィンさん。ああいう獰猛な手合いはとにかくしぶといんですからキッチリ終わらせないとだめです。あんな見事にスパッといけるなら、首くらい簡単に落とせるでしょう?」

「いや……」

「落とせるでしょう?」

「さすがに買いかぶり過ぎ……」

「落とせます」

「……あー、うん。そうだな」

 

 断定された。疑いの一片も無く、ただ純然たる事実を口にするようにレイヴェルは言い切った。

 できるできないで言えば確かにできるだろう。だが結局はあの場面でそうできなかったのが全てであり、所詮はその程度なのだとリィンは思う。それでも、そんな自分を高く買ってくれていることは素直に嬉しく感じ、曖昧ながらもその力強さに押し切られて頷いた。

 

「そもそも僕も前に出しとけばよかったのに……いえ、別に采配にケチをつけるつもりはありませんけどね。結果的に僕がアリサさんとエリオットさんの護衛に回っておいて正解でしたから。さすがです。ただ僕の性能的には、先に言った使い方がいいと思いますけど」

 

 最前線で敵を惹きつけ攻撃を受けさせつつ、一心不乱に戦わせておけばいい。

 見た目だけで言えば子供のように小さく、まるで少女のように華奢な少年は、各依頼を消化し始める前にそう進言した。

 

「ああ。言ってることは、これ以上無いってくらいに理解したよ」

 

 攻撃力で言えばⅦ組で随一のラウラに勝るとも劣らないことは知っていたが、やはり吹けば飛ぶような見た目からして盾や囮のような真似はさせられようもなかった。それがどうやら、単純な力に加えて耐久力という面でも並々ならぬモノを持つらしい。にわかには信じられなかったが、すぐそばに転がる残骸がそれを証明してくれた。

 

「だけどレイヴェル。性能とか使い方とか、そんな言い方はよくないぞ。まるで自分が道具みたいじゃないか」

「あはは、だとしたら僕個人の値段っていくらくらいだと思います? 今なら結構自信あるんだけどなー」

「あのな……」

 

 うーん、と考え込むように眉を顰めるレイヴェル。

 冗談なのか本気なのか。どちらにせよ大して取り合う気が無いのは確かだろう。

 

「とりあえず、これで東ケルディック街道の手配魔獣は完了よね。早く依頼主に退治したことを伝えた方がいいわ」

 

 アリサが口を開き、エリオットはそれに頷く。

 

「確か街道沿いにある農家の方だったよね。えへへ……喜んでもらえるといいけど」

「ああ、そうだな。……しかし、本来なら魔獣の討伐とかは軍の仕事じゃないのか?」

 

 リィンの疑問に言われてみればとアリサは首をかしげた。

 

「そういえばそうね……こんな時のための領邦軍のはず。どういうことかしら?」

「街道に出て来る魔獣も少なくはなかったし……。特に忙しそうな雰囲気じゃなかったと思うけどなあ……」

 

 ケルディックには国家正規軍である《帝国軍》ではなく、それとは別系統の、いわゆる準正規軍である《領邦軍》が置かれていた。

 領邦軍とは大貴族によって運営され、地方の治安維持を行う軍組織である。犯罪や揉め事の取り締まりは当然ながら、住民の手に負えない魔獣による被害の解決、街道の治安維持も行っている。ここケルディックは、帝国東部に当たるクロイツェン州の北端に位置するため、配置されるは当然クロイツェン領邦軍であり、彼等によって統括されていた。

 その領邦軍にリィン達も町を出る際たまたま出会っていたのだった。

 

「……ここで考えていても埒が明かないな。とにかく、そのあたりの事情も含めて聞いてみよう。何かわかるかもしれない」

 

 さきほどアリサが言った通り、今は何よりも依頼達成の報告を優先して、あの魔獣に困らされていた人達を安心させるべきだろう。

 ひとまずリィンは結論を後回しにすることにして、一行は移動すべく歩き出した。

 

「……そなたは、つくづくデタラメだな」

 

 ――そのとき、誰にも聞こえないくらい小さく呟かれた声。

 

「別に、大したことをした覚えはありませんが」

 

 今まで沈黙しきりだったラウラの傍らにそれとなく近づき、関係があるとはいえ、自分に向けられたというワケでもない呟きに律儀に反応する。

 何か思う所があるのか返事が返って来たにもかかわらず、前を見据えたその表情は堅く感じられた。

 

「あの程度で何かしら誇れるワケがないですし」

「あの程度、か。軽く言ってくれるな」

「あの程度、ですよ。そうでしょ? あんなの、あなただってできますもん。ねえ、ラウラさん?」

 

 レイヴェルは茶目っ気を滲ませながらそれでいて、できて当たり前だとおどけながらも言い切った。

 

「……アレは正直、特に脅威といった相手でもなかった。私やそなたに限った話でもないだろうな」

「ですね。あはは、本当のデタラメってのは、次元が違うとしか言えない強さですからねー」

「ああ、そうだな。だが――」

 

 だが、そういうことではないのだ。とラウラは思った。口に出さず内心で留め、首を振って頭に浮かんだ不穏な言葉も消し去った。世間知らずの理が世界共通な訳がないと今は無理やり飲み下す。

 顔は前方に向けたまま、前を歩くリィン達を捉えて歩き続ける。口ごもった自分を怪訝な顔で見上げるレイヴェルが視界の端に映った。

 

「……あ、もしかしてリィンさんのことですか?」

「――――いや、詮無き事だ」

 

 視線を追ったのであろうレイヴェルに否定を返す。

 それも間違いではない。だが自覚はないのか、それともわかっていてこの態度なのか。

 妙な得体のしれなさが強くなるのをラウラは感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜケルディック周辺の治安維持を任された部隊が、その役目を果たしていないのかという疑問はあっさりと解決することになる。

 その答えは一口に言ってしまえばただの怠慢であった。依頼主である農家の主人に討伐達成を報告するついでに聞いてみると、そうとしか言えない理由が返って来たのである。

 この辺りは見ての通りの田舎。ケルディック自体がクロイツェン州の中心から大きく外れているため、そう熱心に対応してくれることはない。それはつまり領邦軍からしてみれば、平民しかいないここの重要度など、そう高くもないということだろう。

 

「ふむ、理解はできても納得はしかねるが……」

 

 清く正しく、常に真っ当な貴族であろうとするラウラが領民をないがしろにする行為に憤るなか、リィンは先に出会った領邦軍の兵士達を思い返す。

 

 見回りをしていたのか三人と少人数で行動していたが、その中の一人は、ケルディックに駐屯する兵を率いる隊長であった。領邦軍は正規軍と違って大貴族の私兵という側面があるため、所属する兵士達も貴族が多く気位が高い。まさに貴族のための軍といったところ。こちらが貴族の子弟も多く通う名門トールズ士官学院の生徒であると知ると些か柔らげな物腰ではあったが、それでも例に漏れず貴族らしい傲慢さが見え隠れしていた。

 

(確かにあの領邦軍の態度だと、住民を助けてくれそうにはないか……)

 

 理解はできても納得はできない。

 その通りだ、とリィンはラウラに共感した。

 

「いや喋りすぎましたな。それはそうと、君達にはお礼を渡さんと――――」

 

 

 

 

 

「えへへ、ケルディック産の新鮮食材なんて楽しみだなあ」

「ちょっと貰い過ぎた気もするけどな」

 

 嬉しそうに笑うエリオットにリィンはぎっしりと詰まったバスケットの中身を思い苦笑する。

 喜びと多大な感謝を以って手渡されたのは、卵やベリー類の果物といった農家ならではの食材の数々であった。

 

「今日は宿のご飯だから使う必要ないか。帰ったら何つくろっかな」

「え。あなた料理できるの?」

「できますよー」

 

 基本的にひたすら焼くか煮るかのモノになりますけど、と尋ねたアリサにレイヴェルは付け加える。

 

「普段はしませんけど、気が向いた時は寮の食堂を勝手に使わせてもらってます」

「……意外だわ」

「僕が料理をすることがですか? それとも料理ができることがですか?」

「両方かしら。そんな風には見え……見えるんだけど、見えないじゃない?」

「あはは、あえて突っ込みませんけどまあ、物心ついた頃から色々やらされてたんですよね。だから最低限はできるようになっただけです」

「へえ……レイヴェルの家って結構きびしいのね」

「きびしいんですか? 僕にはよくわからないですけど……それ抜きにしたってもう十五だし、できるのが普通なんじゃないんですか?」

 

 ラウラの肩がびくりと震えた。

 

「……耳が痛いな。俺なんかはいざ自炊しようと思っても何から手をつけていいのかわからなくて、調理部の部長に簡単なレシピを教えてもらったよ」

「え、リィンさんできないんですか? ……ま、まあ、あれですよ! 料理なんて切って火入れて味をつければいいだけですから!」

 

 などと他愛も無い話を繰り広げながら街道を往く一行は、やがて見えてきたケルディックへと到着する。

 他二つの依頼は事前に終わらせていたため、ひとまずは小休止といったところであり、後の予定について意見を出し合いながら宿へと向かった。

 

 しかし、途中でリィンは気が付いた。

 

「……なんだ?」

「大市の方からみたいだけど……」

「ふむ。何やら諍いめいた響きだな」

 

 耳を澄まさなくとも聞こえる大きな声。

 まだ街道からの入り口付近であるからして言葉は断片的にしか聞き取れなかったが、それでも不穏なモノが含まれているのは感じ取れた。

 

 宿や工房といったモノを除けばこの町の商店という商店すべてが立ち並ぶ、ケルディックの目玉である大市。入り口をくぐればぐるりと一周できるようありとあらゆる種類の店が密接して開かれており、日々様々な商品が裁かれるそこは、ケルディックの町においてもっとも活気に満ち溢れた場所である。

 粋良く声を張り上げ客を呼び込む商人。楽しそうにあれやこれやと冷やかし歩く観光客。本日の夕餉の食材をじっくり吟味し値段交渉に勤しむ地元民。

 雑多に混じり合い、膨れ、それでいて不快ではない軽やかな喧騒が、今日も大市を賑やかに盛り上げていた。

 

「ふざけんなあッ! ショバ代だってちゃんと払ってんだぞ!?」

「それはこちらの台詞だッ! 見たまえ、許可証だって持っている!」

 

 しかし今、誰もが楽しむ大市は、怒号が飛び交う張り詰めた険悪な雰囲気となっている。

 足を踏み入れ真正面。自然と一番最初に目に飛び込んでくる、店を開くなら絶好の場所であろう一画で言い争う二人の男性。

 

「――あの、何かあったんですか?」

 

 リィンは取り巻く野次馬の一人に話を聞く。聞くところによると、店を開く場所を巡ってのトラブルらしく、若い方が地元の商人で、身なりのいい壮年の男性は帝都の商人らしかった。

 

「ふむ、妙だな。こういった市での出店許可は領主がしているはずだが……」

「ここの領主って言うと――あっ」

 

 アリサが短く声を上げる。

 

「いい加減にしやがれ、この野郎!」

「さっさとここからどきたまえ!」

 

 見れば二人はとうとう胸倉を掴んでもみ合っていた。

 

「まずい……!」

「止めるぞ!」

 

 このままでは確実に流血沙汰になることを危惧したリィンに続いてラウラも仲裁に入るべく動き出そうとする。だがその瞬間、レイヴェルが突如制止を入れた。何かあるなら早くしろと急かされるが逆に落ち着き払って手短に問い掛ける。

 

「一つ聞きたいんですけどラウラさん。どうやって止めるつもりです?」

「それはこう、後ろから羽交い絞めにして引き離そうと……」

「あ、じゃあやっぱり僕が出ます。これ持っててください。リィンさん、行きます!」

「なっ、お、おい!」

 

 ラウラの手を取り持っていたバスケットを握らせて、何か言われる前にレイヴェルがリィンと共に野次馬の列から飛び出した。

 

「俺は右の方を引き離す。レイヴェルは左の方を頼めるか」

「了解しました」

 

 指示を出して左右に分かれる。自分が受け持つのは壮年の男性。つまりレイヴェルに任せたのは若者の方であるのだが――

 

「……大丈夫なのか?」

 

 対するのはどちらでも構わないのだが、羽交い絞めにして穏便に引き離すというにはなかなかどうして長身の若者である。壮年の男性も同じくらいに高かった。有り体に言ってレイヴェルでは背が足りないのだ。

 

「ちょっとそこ、失礼します」

「な、なんだぁ!?」

 

 しかしレイヴェルは密着する腹の間に腕を差し込み割り込んだ。引き離すのが不可能であれば代わりに壁を立てるつもりらしい。

 

「は、離したまえ!」

 

 それに合わせてこちらも引き離す。頭に血が上っているようだが見境無しに暴れるような真似をしないところを見る限り、こちらは幾分か冷静さは残っていると判断する。

 

「あはは、すいませんね。なんか止めた方がいいらしくって……あ、初めまして。僕、レイヴェル・オルランドって言います」

「名前なんか聞いてねえよ! いきなり何してんだこのチビ!」

「チビ……? いえ、お二人ともちょっと熱くなりすぎかなって思いましてね、ええ」

 

 向こうは血気盛んであるらしく、遠慮無しにレイヴェルを怒鳴りつけている。

 だが、どれほどの怒声を浴びようともレイヴェルは委縮せず、気にすることなく憤怒の表情で詰め寄る若い商人に目を合わしていた。

 

「ここって大市のど真ん中ですから迷惑っぽいんですよ、ほら野次馬すごいですし。やめたほうがいいんじゃないかなあ」

「なにぃ……?」

「ああいや、僕は別に言い争おうが殴り合おうが一向に構わないんですけど……まあようするに、ここでやるなら落ち着いて、騒ぐなら裏でやってもらえないかなって」

「知ったふうな口聞くなッ。このクソガキどもが! 大人の話に首突っ込んでくんじゃねえ!」

「クソガキ……? いや大人と言うならですね……」

 

 レイヴェルは顔を引き攣らせながらも理性を保ちつつ、説得を続けている。

 さすがに見かねたリィンは助けに入ろうとするが――

 

「そうだ! 制服からしてどこかの学生だろうが、君みたいなまだ子供のちんちくりんに話がわかるはずもないだろう!」

「ち、ちんちくりんだってぇ……!?」

 

 子供に正論を言われるのはよほど腹に据えかねたのか、若い商人だけでなく、リィンが抑えている壮年の商人からも怒気を孕んだ罵声が飛んだ。

 これにはさすがにレイヴェルはさすがに我慢の限界に達したのか、額に青筋が浮かぶせながら声を震わせていた。

 

「くっ、少し頭を冷やして落ち着いてください――レイヴェル? どこに行くんだ!」

 

 唐突に踵を返したレイヴェルは野次馬の一角に険悪な視線を振り撒いた。その睨みに対抗しようとする者はなく、左右に割れて出来上がった道を通り抜けた、と思うとすぐさま取って返してきた。

 場はリィン一人が残されたため仲間達が飛び出そうとしていたがそれより早く、リィン達に近づいて来る。

 

「いきなりどこへ……!」

 

 若者を抑えていたレイヴェルがいなくなったことで、胸ぐらこそ掴んではいないが結局最初と同じ構図である。リィンが間にいなければあと一歩で流血沙汰だったろう。

 だがそれらをすべてを無視し、三人にズイと突き出されたその手に握られていたのは――

 

「……りんご?」

 

 赤い、赤い。手に持つ少年と同じ様に赤く瑞々しいりんご。

 

「僕はお二人がなぜ喧嘩しているのか知りませんし興味もありません。ええ、事情をさっぱり理解してませんから確かに知った風な口を聞いたように聞こえたのでしょう。それは謝罪します。すみませんでした」

 

 先程までの陽気な雰囲気はなりを潜め、なぜかりんごを突き出した奇妙な状態で静かに話し始めたレイヴェルに言い争っていた二人は呆気に取られ、リィンは訝しげな表情を浮かべた。

 

「僕が子供というのも否定はしません。もう十五であるため、自分では既に大人であると考えていますが、あなた方から見れば、大して変わらぬ若輩者に見えるのでしょうね」

 

 結果、意味がわからなくとも鎮静することに成功したのだが、それは理解が追い付かなかっただけの一時的な物であり、いち早く我に返った血気に逸る若い商人が問題は何も解決していないことからまた騒ぎ出そうとするが――

 

「――けどな」

 

 一瞬、打って変わって響いた底冷えするような冷たい声に思わず口をつぐまされる。

 

「子供だガキだって言うなら、自分達が大人だって言うなら、それ相応の振る舞いをしたらどうかと僕は思うんですよ」

「レ、レイヴェル……」

「チビだのちんちくりんだの、散々バカにしてくれてさあ……」

 

 力が篭る。ミリミリと音がする。指は半ばめり込みかけている。

 

「――僕の身長は関係ねえだろうがッ!!」

 

 グシャリ、ではなく、ボンッと。

 ありえない音を立てて、りんごは粉々に四散した。若い商人はその光景に絶句し、壮年の商人は眼を見開いて口をパクパクと動かしている。

 正直リィンとしても驚きであった。力が強いのは既知であったがまさかここまでとは。

 握りしめた拳からポタポタと雫が滴り落ちた。

 

「僕はね、そりゃもう温厚な人物ですよ」

 

 手をゆっくりと開き、指に絡みつく蜜を丁寧に舐め取りながら、レイヴェルは言う。

 

「でも――気が短いんだ」

 

 その意味を察せないような子供はこの場にいなく、大人達は今度こそ本当に沈黙したことに、事態の収束をリィンは悟ったのだった。

 

 その後、騒ぎを聞きつけてやって来た大市を預かるオットー元締めは、奇妙なほどに静まり返る二人に首を捻る事となる。

 

 

 

 

 

 

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