大多数の人にとって日常とはと聞かれ、連想するモノは、まず争い事が絡まない物を指すらしい。
そんな事に気が付いたのは僕が十になるかならないかくらいの頃である。
それまでの僕はと言えば、赤い星座として、オルランドとして、猟兵となるべく訓練に明け暮れ、昼夜問わず日々を走り回っていた。血反吐を吐きながらひたすら泥にまみれていた。
乾いた口内に張り付く、血と汗が混ぜられた不快極まる土の味を噛みしめながら。
限界を迎えようとも、伏した身体を蹴り上げられる痛みに意識を引き戻されながら。
繰り返す毎日に対してどんな気持ちを思うこともなく、定められたルーチンワークのごとき訓練にどんな感情を抱くこともなく。
それでも時を経るごとに、年齢を重ねるごとにつれて徐々に形になっていき――九歳、つまり初陣を果たす頃には大方出来上がっていたため、そのような事もかなり減ってはいたのだ。
ただまあ聞くところによると、それまでは膨大な基礎と言えなくもなかったらしく、僕としても初陣を終えてからが本当の始まりだったと思わなくもない。
その頃に至ってからの僕は昔に比べると幾許かの余裕が生まれていた。
厳しさは変わらず、むしろ更なる段階へと進んだことで訓練はより苛烈さを増していたけれど。
レイヴェル・オルランドという素材をふんだんに、容赦無く、常規を逸して使用され、綿密に作り上げられた肉体は既に十分な器量を示しており、戦場という経験を獲得した事によって精神もそれに追い付く形で成長を遂げていたのであった。
生かさず殺さず。
一流は何かを教えることも一流なのか。
と言っても僕は三番目なので、単に二人分の例に沿っただけかもしれない。
まあ要約すれば、今と比べて本当にささやかではあるけれど、少しは外界の情報に耳を傾け始めたというだけの事である。
無垢で無邪気なかつての僕は、この些細な大発見を兄に教えて感心してもらおうと目論んだが『そりゃそうだろ』と不思議そうな顔をされ、いつも通りうっとおしく周りをうろちょろしていた従姉からは、いつも通りひとしきり笑ったあとに『アホな子ほどかわいい』と抱擁を受けた(もちろん、ケンカになったのは言うまでもない)。
僕が年下だから知らなかっただけで年長者は知っていて当たり前――なんて、言い訳してもみるけれど、僕よりも年上の彼等は、僕の当時の年齢より前からそんなことは承知済みだったのである。
僕が脇目も振らず必死になっていた時期に脇を見るだけの余裕があった――そう考えるとやはり、才能という面では二人に劣っているのだろうと僕は思う。別に自身を卑下する心持ちはこれっぽっちもなく、あるがまま、しみじみと思う。
そんな不甲斐ない僕が、両の指をすべて立たせるまで気付くことができなかったのかと呆れ返られるような僕が、当たり前につきまとう、当たり前に『ある』モノに具体的な何かを見出せているワケもなく、こうして今現在『非日常』に身をやつす身で一日一日を思い出してみても、特に感慨深さなどはまったくあるはずもない。
『ありがたみ』や『ありがたさ』を感じられず、きょとんと首をかしげてしまう。
それゆえ正しく、平凡な『日常』と言うのだろうけれど。
まあ。
だからというか、仕方ないというか。
どうしても言い訳っぽさは拭えないのだが、そういった生まれと生い立ちの理由があるからにして、
「――そなたは、己の武についてどう思っている?」
その質問にはなんとも答えられそうにないのである。
◇
右の戦斧を袈裟に振り下ろす。
しかし下ろし切らずに途中で止めると手を返し、横一文字に薙払い。左の戦斧が後を追いかけ通り過ぎる。
すかさず腰をひねって右手を振るい、その軌道を逆走させ、先に引き戻していた左手から続けての二連斬り上げ。
頭上を越えて大きく振りかざされた双つの戦斧は重力に従い身体を無理やり大きく反らす。
まるで射出寸前のカタパルト。
渾身の力を込め、斬るのではなく、砕き潰すつもりで地面に叩き付ける――――ことはせず、そこそこの力でピタリと中空へ制止させた。
「見事なものだな」
「…………」
僕は一旦手を下ろして、ふむと思考を巡らす。
見事、見事見事見事――もしかして闇夜にたなびく、この赤い髪のことを言っているのだろうか?
「よくもまあ、そこまでしっかりと振れるものだと思ってな。決して軽くはないだろうに」
「あれ?」
そっちかと、僕は両手に持った戦斧を見る。
確かに軽くはないが、コレを扱うにあたって一番重要なのは別に、力というワケじゃない。もちろん持ち上げられるのが前提の話ではあるが。
「随分荒々しかったが……仮想敵でも相手にしていたのか?」
「いえ、ただの素振りですよ」
「ただの素振り? あれが? だとしたら、闇雲に振ってるようにしか見えない気もするが……」
「あはは」
確認するように尋ねるラウラさん。
気持ちはわからないでもない。実際特に考えず頭をからっぽにして、流れに任せてめちゃくちゃに振ってるだけだったのだから。
もし口にすれば説教されそうなので言わないけれど。
「でも僕が学んだこの双戦斧ってヤツは基礎になる型とかが無いから、そう見えるのも無理はないですかねえ」
「型が――無い?」
「ええと、確かラウラさんの家はアルゼイド流っていう剣術の、帝国でも由緒正しい有名な武門なんですよね? ウチもそんな感じで家の技を教えられた――いや別に由緒正しい貴族の家系とかではないですが」
自分のために、自分らしく、自分に適した戦い方を模索しているうちに身に付いた。能力やらクセやらを加味した流派ともいえない剥き出しの戦闘技術。
しいていうなら、ただの我流。
その戦闘法は万人に教えられるような物ではないため、自分以外に価値はなく。確立された戦闘体系として誰かに伝わることなく散っていく、その程度のモノ――と、聞いてはいるが。
何の因果か、僕はこうして戦斧を両手に振るっているのである。
「では先程聞いたそなたの兄も、その双戦斧とやらを使うのか?」
「ああいや、兄さんはまた別で……双戦斧自体は僕と、僕の叔父だけです」
「ふむ。つまりレイヴェルの師に当たる人物は、叔父というわけか」
「気になるんですか?」
「気にならないと言えば嘘になるな。だって、珍しいなんてものじゃないだろう?」
言ってラウラさんは、街灯に照らされ鈍く光る赤い斧に目をやった。
「『本当のデタラメは次元が違う』。その御仁はさぞ名のある方なのだろうな」
「……まあ、さぞって言うほどではないですが、それなりには」
特定の誰かを指したつもりはなかったが――間違いでもなく、とりたてて隠す事でもないので取り繕うことなく僕は答えた。
別に嘘ではない。一部の界隈ではともかく、一般にまで大々的に知られているはずもない。町のヒーローであり、正義の味方として民間人から崇められる遊撃士と比べれば、いくら実力に開きがあろうともその知名度は天と地だろう。どこまでいっても猟兵は裏側、アウトローに属する人間なのだ。たとえ世界レベルで頂点争いができる強者であれ何も変わらない。
そんな僕の期待に添えてないだろう返答を受けたにもかかわらず、
「なるほど」
と、ひとつ頷いて――得心したように頷いてから。
妙に神妙な面持ちで、ラウラさんは僕へ問いかけた。
「――そなたは、己の剣についてどう思っている?」
「僕は剣なんか使ってませんけれど」
◇
で、冒頭に戻る。
何事もなかったように言い直され、何も問題なく始まる。
しかし己の武、か。
「それはつまり、自分の強さについて、という意味ですよね?」
「ああ」
「……なんで僕?」
僕はあまり物事を頭で考えるようなタイプではなく、自分の直感に従うことを重視しているというのに。
……決してバカというワケではない。
人には得手不得手があるのである。
「使う武器も違うし境遇も違う。聞く相手間違ってません?」
「そなた、今日一日ずっと手を抜いていたな?」
…………。
「メッチャダシテマシタヨー」
「まさか隠しているつもりだったのか?」
「い、いやいや。僕は常に全身全力全開の三拍子をモットーにですね」
「ほう、戦技の一つも出さずに全力と」
「ななな、なんのことやら?」
「……大体、旧校舎であれだけやっておきながら今更それは、無理があるだろう」
「あ」
そういえばそうだった。
あのやたらと走り回る羽目になったオリエンテーリングからそこまで日が経っているワケでもないのに、さっぱり気が付かなかった。というか、僕が何をしたのかをすっかり忘れていた。
それはともかく、なぜ手を抜いていたかと問われると、でしゃばりすぎるなというサラさんとの約束が一番頭に来るのだけれど。
それをバカ正直に答えられるはずもない。
「もしや」
僕がそんな風に、なんと言ったものか考えながらもごもごと口ごもっていると。
いい加減焦れたのか、ラウラさんの方から。
「レイヴェル。もしやそなたまでそれは買いかぶりで、自分は所詮この程度と言うのではあるまいな?」
「…………」
と言ってきた。
ああ。
そうか。
そういうことか。
どうにも不審と言えるほど変に絡まれるとは思ってはいたが、虚言は許さぬとばかりに鋭い視線で打ち込まれた言葉の楔でようやく説明がついた。
「ラウラさん、まだリィンさんに怒ってるんですか」
「初めから怒ってなどいない。私が勝手な期待をしていただけだ」
「実はアレが全力で、訓練相手として不足していたからって仕方ないでしょう? 八葉一刀流とか言うのがどれだけすごくて特別かは知りませんが、強いのは流派じゃなくて、あくまでその人なんですから」
「……そんなことはわかっている。別に、稽古相手がどうこうという訳ではない」
今更の話ではあるが、ここは僕等が本日夜を明かす宿の一室ではなく、ましてどこかほかの建物の内部でもない、完全なる屋外、街灯だけが煌々と辺りを照らす、街から少し離れた街道付近である。
こんな時間に不審者よろしく何をしていると問われたならば、胸を張って素振りをしていますと僕は答えよう。
食事を終え、あとはレポートを仕上げて本日の特別実習を終了させるために部屋へ戻る際のことだった。ラウラさんは迷いもあったが今日一日、僕も感じていた違和感をリィンさんにぶつけたのだ。
すなわち、なぜ本気を出さないか。
どうも八葉というのは帝国ではあまり知られていない流派らしいが、聞くところによるラウラさんの父親の『光の剣匠』と呼ばれる、まあいわゆる化物クラスが一目置いているようであり、ラウラさんは太刀筋からリィンさんがそれの使い手と知ったのだ。東方での経験も少なくはないが、剣士じゃない僕じゃあ太刀筋だけではさっぱりわからない。
とはいえ結局――その答えは、納得のいくものではなかった。
「限界を感じ師より修行を打ち切られた、ただの初伝止まり。か」
――これが俺の限界だ。
リィンさんは言っていた。
最初から後で適当な理由をでっちあげ、夜の街を見て回ろうと思っていたから都合良く便乗した僕はいいものの、外は既に暗い中、いきなり素振りをしてくると言いだすくらいなのだ。しかもリィンさんの答えを聞いた直後である。
何がそんなに気に入らないかよくわからないが、何と言おうとラウラさんが気分を害していることは確かだろう。
個人的には別に、それならそれで構わないと思うのだが。とやかく口を挟む気も立場でもないし、リィンさん当人が言うのであれば何もありはしない。腑に落ちない点を口にするには僕の場合、根拠が根拠にならないということもあるのだけれど。
「生憎、自分を無意味に卑下する趣味はありません。そう見えるとすればラウラさん。それはおそらく、あなたと同じ理由ですよ」
「私が手を抜いていると言いたいのか?」
「逆に聞きたいんですが本気なんですか?」
「無論だ」
「戦技がと言うならば、あなたも僕と同じはずですけど」
「…………」
「手を抜いているわけじゃあない。全力じゃないだけだ。それはなぜか――簡単な話です。必要がないから、ですよね」
普通に勝てる相手にわざわざ全力を出すなんて一瞬で決着がつくか一撃で粉微塵かと言ったところだろう。オーバーキルもいいとこだ。何の意味も無い。そもそもそれでは本当に全力なのかどうかもわからない。戦技を使う事が前提ならばなおさら、そこに至るまでに終わってしまう。トップスピードに乗るためには助走が必要なのだ。
己の技のみで繰り出される戦技はともかく、より強力なモノとなれば合わせて闘気をも使用する。奥の手ともなればそれはより多く、必要不可欠だ。
戦いのさ中、昂る戦意に比例してみなぎる闘気。戦闘開始直後に大技を放つなど、よほど仕上がってなければ難しいはずである。刃を合わせずして雑魚相手にそこまで高揚できるものか。その先に目的など何も無いのに。
やりたければ初めから闘気を練り上げておくか――無理やり一気に引き出すか、だろう。
「それにコレは個人の活動ではないし、僕等に課せられた大元の課題が戦術リンクを使いこなすという名目もありますけれど――ま、単純に足並み揃えない独りよがりはだめでしょう? 意味が無いですからね」
リンクがいまひとつな僕が言えたことではないが、そうあるように努めるべきではある。その点を踏まえて彼女も抑え気味なのだろう。
「隊の不和は生存率に直結するしなあ」
「確実にそこまで深刻な話ではない」
どんな危険地帯だここは、とラウラさんは言った。
突っ込まれた。
「……まあ、わかった。それで一応は納得しておこう。旧校舎でのような本気を見せない理由は、意味があると」
「? ああ、はい。一応っていうのが引っかかりますけどまあ、納得してくれたならいっか、あはは」
疑問も解消したことだしそろそろ帰りましょう、と戦斧を収めながら僕は声をかけるが、
「ならば」
と言う。
まだ何かあるのだろうか。
首をかしげながら先を促すと。
「理由はわかった。納得もした。しかし私はまだ、質問の答えを聞いていない」
「質問の答え? 今言ったばかりじゃあ――」
「ならば、もう一度問おう――そなたは己の武について、どう思っている?」
「――――」
「先程は本気を出していないことについて聞いたつもりではあったが今度は違う。同年代――いや同級生にそなたほどの武人がいるからこそ、私は聞いてみたいのだ。何を思ってその豪斧を振るっているのかとな」
鋭く追求する視線はなりを潜めていても、真摯な顔つきは変わらずこちらへ向けたまま。一度目はあえて答える事を避けた質問を、ラウラさんは再び僕に問い掛けた。
「答えたくないなら構わない。これは興味本位の私事だからな」
「いえ、答えたくないというか。……あんまり考えたことがなかったというか」
「そうなのか? それは……意外だった」
「意外、ですか?」
眼を丸くするラウラさんの反応に思わず僕は聞き返す。
ああ、と彼女は頷いた。
「他にも色々とあるが主に年齢として言わせてもらうと、レイヴェルがそこまでの力を身に着けるのは並大抵の事ではなかったはずだ」
「年齢と言ったって二つしか違わないはずですけどね……」
「主に、と言っただろう。だからこそ何かしら信念があるわけでもなく、言うなれば無心で強さだけを追い求められるものなのかと……、もしかしたら、それが答えだったりするんじゃないか?」
「――いや、それはないです」
思い返せば大半が終わったことだが、つまらない事から大切なモノまで、理由は往々に存在していた――僕はいつだって、必要だから求めてきただけだ。
断言する。
ただ強くなりたいから強くなる。なんて思った事はきっと一度も無い。
「でもまあたぶん、誇らしくは感じていたんだと思いますよ。先を行く兄たち家族と同じ様に、力を振るえてゆけることが」
「……今は違うと言うのか?」
「あはは、その辺は宿で言った通りです」
なんとはなしに手が髪へと動き、結った毛先を指が弄ぶ。
「なんでかなあ。これでも必死にやってきたはずなんですけど、不思議な事に今は――」
決して多くを生きたワケではなく、かと言って過ごした生活は少なくなかったけれど。
「今は少し、ブレています」
決定的な瞬間から幾許も経たないうちに、それまでの猟兵レイヴェルは薄ぼんやりとモヤがかかり、どこか他人事のようで、僕はわからなくなってしまった。
身に着けてきた力は僕にとって正しかったのか正しくなかったのか。
在るべき姿も。
目指すべき頂きも。
至るまでの道筋は、はっきり見えていたはずなのに――。
「レイヴェルは、自分に自信が持てなくなってしまったんだな」
「その言い方はすごい情けない感じなのでやめてくれません?」
切実に。
だって間違ってはないから否定しきれないんだもん。
「だが……それなら一つ、一つだけは自信を持っても良いのではないだろうか」
「え」
「少なくとも私はそう思う」
「……いやいや、突然何を言い出しますか。一つ? 自信? 僕自身まだ何も見出せていないというのに、違う身体のまるっきりそのままの他人に、何がわかると言うんですか?」
無意識に語気を強めてしまっていたが、しかし、ラウラさんはこれから僕にくだらない気休めを言うようなネガティブな雰囲気をまとってはいなかった。
「抱えている事情の正否はわからない。それでもレイヴェル。そなたがそこまで強くなれた事――ここまで絶えず努力を続けられてきた自分自身の事だけは――胸を張っていいはずだ」
ラウラさんは言った。
認めていいと。
そんな何でもない、ただ当たり前だったから繰り返してきただけの行為を――挫折とか怠けるとか、そんな選択肢は最初から無く、考えつく事もなかっただけの毎日を。
誇りに思っていいと。
それを。
この人は言っているのだと。
頭に浸透するまで。
僕は数秒を用していた――理解できなかった。
「そんな……そんな単純な事が、他人に胸を張れるって言うんですか――誇れるって言うんですか?」
動揺をまったく隠せていない声を出していた。
「単純ではあるが簡単でもあるまい。なぜそうまで自分を下に見る? レイヴェルは少し自分に厳しすぎる」
「だ、だって、僕は何も特別な事をしていない。こんなの普通じゃないですか。ましてや厳しくなんか――」
「普通じゃない。ありえないんだ、そなたは。――いや、そなた達と言うべきだろうが……」
「……そなた達?」
濁した言葉尻は再生されることなく、すぐに話が逸れたと本筋へと戻る。
「とにかく。私の想像もつかないほどの修練を積んできていることはわかる。普通なら十分称賛に値するものだと、レイヴェルは知るべきだ」
「僕は、知るべき」
「身分や立場に関係無く、どんな人間でも誇り高く在れると私は信じている――自分の軌跡を証明したいのだろう。ならまず自身を許し、自身を認めたらどうだ」
「…………!」
許す許さないとか。
下に見ているとか。
僕はずっとそんなつもりはまったくなかったけれど。証明するべき僕が、僕を認めるとっかかりすら掴めていないのであれば――それはつまりスタート地点に立つことさえできてはいないのか。
しかし、そうだとしても。
――それはおかしいんじゃあないか?
と。
この後に及んでなお長年の常識がそれは間違いだと語りかけ、疑問をもたげ、邪魔をする。長らく付き合う十五年分の常識が当然のように僕にまとわりついてくるのは仕方なく、実際正しいはずなのだ。
「……いや」
だからそれが間違いだ、と頭を振って払いのける。真に正しいのは今の僕にとって必要であることだ。
捨て去ることで前に進めるならばどうでもいい。元より常識の範疇で生きたつもりもない――僕を遮るものに容赦はいらない。
認め、おぼろげだった思いをはっきりと形にしよう。
許し、その思いを僕の中にしっかりと置いておこう。
だから僕は口にした。
「僕は、今日の自分に至るまで絶えず、諦めず、努力しつづけてきた僕自身を――誇りに思う」
そして僕は理解した。
これはきっと気のせいなのだと。
こんな、こんなことで、どこか心が軽くなり――モヤが少し、晴れた気がするなんて。
◇
「ありがとうございました」
肩を並べて夜道をてくてく歩く。
宿への帰路につく道中で僕は言った。
「感謝しています。今日一日はほんともう色々と、眼からウロコが落ちた気分です」
「大袈裟な。そこまで言われることをした覚えはないぞ」
「ウロコどころか両眼も一緒に落ちた気分です」
「本当に思っているのか?」
そういう軽口がうさんくさいのだ、とラウラさんは呆れたように言う。
嘘や誤魔化し無しの自然と湧き出た本心からの言葉であるというのに。
「だがウロコがと言うならこちらもか……。特にそなたへ抱いていた印象がかなり変わったと思う」
「へえー。それはいい意味で? 悪い意味で?」
「さて、もしかしたら悪い意味かもしれんぞ?」
「あはは、僕の方はいい意味でラウラさんへの見方が変わりましたけどね」
正確にはラウラさん達へ。
もっと言えば僕等のような人間以外へ。
学院だなんて、一ヶ所に留まるだけで何がわかるのだろうかと、実は今なお疑う気持ちがなくもなかったのだが、受け入れて正解だったとみえる。
あとでリィンさん達にもお礼を言っておこう。
「すまなかったな」
と。
そのようなことまで話したところで、ラウラさんが途中で謝罪してきた。
「? どうしました、いきなり?」
「いや、そなたが礼を言うなら、私は謝るべきなのだろう」
「僕は謝られるようなことをされた覚えはないですけど。むしろラウラさんがリィンさんに謝るか謝られるかだと思いますけど」
「ケンカをしているわけではないし、別に怒ってもいない」
くどいぞ、と言って、ラウラさんは言う。
「こうしてわざわざ、付き合わせてしまったことを」
「うん? 付き合わせてしまったことって。そのことについては最初に言ったじゃないですか。来たくてついてきたんですよ。今更蒸し返されて見当違いに謝られても――」
「違う。そなたの意思云々ではなく」
便乗した事ではなく。
ついて来る来ないの話ではなく。
「レイヴェル。どうせ後で行くつもりだったと私についてきたが、本当は初めから素振りなんてするつもり、なかったんだろう?」
「…………」
「急に後を追いかけるようついてきたこともそうだが、そなたが私事で誰かと共に行動しようとするのは私が知る限り、いつもフィーだけだ。私は、気を使わせてすまなかったと言っているのだ」
「…………」
指でくるくると髪を弄ぶ。
後を追いかけるハメになったのはラウラさんがさっさと出て行ったからだし、僕がフィーだけと行動すると言うが、結局はラウラさんが知る限りでしかないはずだ。
「僕をいい人――いや実際僕は素敵ないい人なんですが、だからそれは、たまたまの見当違いですって。所詮は推測でしょう?」
「ああ、そうだな。推測でしかない。確信などないただの推測だった――だが、足並みを揃えないことは、いけないらしくてな?」
にやりと。
誰かを思わせるようないやらしい類の笑みを。
「そう努めるべきなのだ。なぜなら隊の不和は生存率に直結するからな」
「…………」
「すまなかったな、レイヴェル」
「……ええと、はい」
がしがしと乱暴に頭をかきむしる。
僕は悪人ではないが、かと言って善人のように持ち上げられるのも気分が悪い。いや、悪くはないのだが、なんというか、『いつでも他人を気遣い思いやる女神のように慈愛に溢れた聖人』といった系列の上げ方は間違いである。
身に覚えが無さすぎる。
僕は僕で街を見て回るという理由があって、そういうつもりは無きにしもあらずだったけれども、それは本当についで、できることなら程度であり、僕はただ自分の理念にしたがって動いているだけであるからにして。
「ふむ。やはりリィンの言う通り少しは認めてくれたのか」
「なぜそんな話になる。僕の話聞いてました?」
「聞いていたとも。いい方向に見方を変えてくれたんだろう?」
「…………っ」
やりづらい!
こんな人だったっけ!?
ごほん、とわざとらしく咳払い。
「……本来ケンカの仲裁とか、誰かとの間を取り持つとか、僕の役目じゃないんですよ柄じゃないし、やり方いまいちわかんないし。でも、サラさんは自分の分野じゃないからって他人任せはしないよう念押しするし……」
「……なんというか、言うだけあって本当に素直で真面目ではあるな」
頭をかきながら地面に目を向け、ぶちぶちとぼやく、ふてくされ気味の僕を見てしみじみと呟く。
一応と付け足しながら。
一応はいらない。
「まあということで、早く仲直りして空気をなんとかしてくださいよ。僕は全然気にしませんけどアリサさんとエリオットさんが気にします。ああリィンさんもか。当事者だけど」
「ふむ、それは難しいな。何度も言うがケンカをした覚えはないし、私は怒ってもいないからだ」
「なぜそんなにも頑ななんだろう……」
「ケンカと言えば」
ラウラさんは不意に、物思うように顎を上げて手を当てる。
何かを思い出すように。
「昼間、大市で起こったあわや乱闘騒ぎの言い争い。覚えているか?」
「それはもちろん。僕とリィンさんの巧みな話術で説得しましたし」
「記憶がねつ造されているようだが概ね間違いではないか。あの時なぜ私の代わりに飛び出したのか、理由がどうにもわからないんだ」
「あの時って……ああ、それは――」
確かリィンさんとラウラさんが慌てて止めに入ろうとしたから僕は一旦引き留めて尋ねたんだっけ。
ラウラさんへ、どうやって止めるつもりかを。
「羽交い締めなんかしちゃったら、ラウラさんのお胸様があの連中のどちらかに押し付けられることになるじゃないですか! ギュッと! 力強く!」
と僕は握りこぶしを作りながら力強く説明する。
「そんな……そんな羨ましいこと女神が許しても僕が許しませんよ……! むしろ僕にしてほしいくらいですよ! 僕とラウラさんの身長差だったらちょうどとは行きませんが大体頭の後ろくらいに当たりますでしょうし!」
「…………」
「ちょっと待って? ということはもしかして正面向いたら顔全体が母性に包まれる可能性が……? あ、ヤバい! ナイスアイディア! 自分の発想が怖い! さすが僕! さすがレイヴェル! さすが闘神の息子! 赤色の脳細胞が恐ろしい……!」
「…………」
「――――で、話はズレましたが、その程度の特に変哲もない理由でしたけど、どうかしましたか? なんで離れてるんですか?」
「それ以上近寄ると斬る」
「ラウラさん?」
「あと話しかけないでくれないか。仲間だと思われたくない」
「ラウラさん!?」
剣を既にこちらへ構えて対峙している。
心の距離が急速に離れて行っている気がする!
何があった!
「さっきそなたの印象が変わったと言ったな?」
「え、はい」
「アレは悪い印象からさらに悪い印象に変わっただけだった」
「あれえ!?」
「いいか、そこを動くなよ……。私が宿に戻るまでそこにいるんだ……」
「ごめんなさい、マジでごめんなさいするから、僕をまるで夜道に出会った頭がヤバげな奴みたいに扱わないで!」
「ええい、追いかけて来るな!」
翌日。
謝罪を申し入れたリィンさんに対して、ラウラさんは僕にも聞いたような質問を返したが、今度は満足の得られる回答をもらえたようで仲直りはできた。
ラウラさんがなぜ怒っていたのか。
それはリィンさんが言った『ただの初伝止まり』。剣の道を軽んじるような発言。
それに加え、自身をも軽んじるような発言が気に食わなかったらしい。
ううむ。
どこまでも実直な人である。やはりこんな人は本当に馴染みがない。
まあ、だからこそ本気で宿の外に放り出されそうになったのだが。
許してもらうまでにマジ土下座一歩手前だった僕は、その真っ直ぐな在り方に感心するのであった。