「――――!」
砂塵を巻き上げる。
迫る豪腕は巨木の如く。
いつも通り突撃から切って落とされた戦いは先手を取ることなく、地に伏せることから始まった。
飛び交うハエをまとめて叩く薙ぎ払いの一手を紙一重でかわす。あやうく口付けそうになるほど屈んだ頭上を通りすぎる破壊槌。
皮一枚の差で空間をえぐり取って行く。
「――、ハ……!」
四肢をバネに跳ね起きる。
リーチの差は絶望的で、いまだ間合いに入れていない。
「――ふっ、やっ」
しゃがみ、飛び跳ね、駆け回る。
後ろ足で立ち上がり、矢継ぎ早に落とされる左右の拳をかわしながら接近を試みる。
ヤツからすれば接近戦。こちらからすれば中距離戦。殴りたい放題だ。
「――しっ、――っく、は――!」
大人と子供。いや、大人と赤子。だが、この状況を悲観することはない。
今更なのだ。
この身体はいつだって不利な戦況を強いられてきた。
自分より小さな者を相手にしたことなど数えるほどしかない。
それでもこうして
たとえ相手が誰であろうとも。
引けを取らず、僕は死ぬまで渡り合ってみせる。
「そこだ……!」
一際伸びきった腕を引き戻すに合わせて懐へ飛び込み、そのまま背後へ抜ける。
ついでに行きがけの駄賃として尾をぶった切ってやろうと戦斧を振るう。が、空を切った。ひょいと器用に尾だけ動かしかわしやがったコイツ。
体を素早くこちらへ向け直す。
見据えるその目は僕を捉えている。
攻撃は外されたものの、こちらをしっかり敵と認識したらしい。
そこへ――
「砕け散れぇえええ!」
どこかで聞いたような気合の発露。
大上段から重力を加味した一撃が、無防備な背後へと吸い込まれる――!
「……って今のもかわすんだ。これが野生の勘ってやつなのかな? 本物は違うね、あはは」
「笑ってる場合か。この魔獣、体格の割に敏捷性がかなり高い」
地面を砕き、めり込んだ剣を持ち上げ油断無く構え直すラウラさん。
そりゃまあヒヒだし。というか動きのノロい猿なんているのだろうか。少なくとも僕は見た事がないけれど。
「――――!」
「ッ……なんて声の大きさだ」
繰り返す咆哮。今度は二人を視界に入れて
下手をすれば鼓膜が破れそうな声量はそれだけで一つの攻撃手段。積み重ねれば危険だろう。あまりやらせるわけにはいかないな。
――あの瞬間、完全に注意を逸らしたかと思えた魔獣の行動。
しかし放たれたラウラさんの斬撃は僕の焼き直しのように空を切った。意識はこちらへ来ていたと思う、ならなぜ察知できたのか。
「頭は下等。体は上等ってところかな」
ただ寸前で気付いたから跳んだだけだろう。
相手は一人じゃないと言うのに目の前の事だけを見てなおかつ対応できる。バカみたいに単純なのに、生まれ持ったバカみたいな身体能力でカバーする。
まったくもって獣らしい。羨ましいかぎりだ。
……なんて。
ふわふわフラフラ自由気ままな
「でも状況は悪くないですね。目的は達成できました」
「ああ。だがここからだろう。ここからが――本番だ!」
少し遠くなった彼等を確認。ラウラさんは飛び掛かるヒヒを相手に再度交戦を開始する。
僕はというと、今度は前に出過ぎずラウラさんに任せて動き回り、バックアップに徹することにする。
しかし、やはりというべきか、分が悪いようである。
彼女が扱う
通常の相手ならば問題ないのだろう。だが相手が悪い。相性が悪い。
言ってしまえばラウラさんが一度剣を振る間にヤツは二回拳を放つことができるのだ。
ただでさえ高い敏捷度に加えて素手である。モーションから攻撃へ一連の動作はほぼノータイム。持ち手より刃の方が長く作られている剣では短く持つ事もできやしない。
防戦一方である。
「たあっ――!」
だが僕等は人間。
技もなく、鍛えることもなく、恵まれた持ち前の
僕とは真逆に真っ当に練り上げられた剣を用いた戦闘理論。それを身に着ける為に積み上げられた時間と労力はどれほどか。
突き出された拳を受け流し、そのまま流れるように攻撃へと転じた……のだが。
「なっ……!?」
敵もさるものながら、獣は獣でも火を焚けば逃げるような雑魚ではない。
ヒヒは残るもう一方の手を使って受け止める。受け止めると言うのは文字通り、刃に向かって手の平をかざしたのだ。
生身に見えてもその実、厚い毛皮と筋肉で覆われた両腕は凶悪な矛であり、驚異的な盾ということだろう。
「――――!」
ああ、これはちょっとまずいかな。
攻撃直後でラウラさんは硬直していた。
ヤツが攻撃に使った腕を引き戻して次弾を放つより先に横から突き飛ばしてフォロー。
ラウラさんが居た位置に僕が割り込んだため、目標を変更してこちらに照準を合わせてくる。
「よせ、まともに受けるな!」
ぐ、見た目通りかなりの力。
下段から地を這い迫る拳に咄嗟の防御とはいえ一息に顔面近くまで押し込まれた。交差させた戦斧をなんとか維持し、直撃だけは避けうるも――
「っ、しま――」
――全身がぶわりと気持ちの悪い浮遊感に包まれた。
「――ガハッ!」
「レイヴェル!」
背中を強かに打ち付けた身体はバウンドし、勢いは止まらずゴロゴロと転がった。肺から強制的に空気が吐き出される。
あのヤロウ。
僕を拳で持ち上げやがった――!
「ゲホッ、ゲホッ!」
「待ってて、すぐに回復を!」
力はともかくここまで体格差があるとさすがにどうにもならず吹っ飛ばされた。
傍からエリオットさんの声が聞こえる。一体どれだけ飛ばされたのかヒヒとの距離を確認するが、意外にもさほど離れてはいない。
僕と入れ替わりになるようリィンさんが戦っている。既にこちらへ向かっていたということか。
「せい! はっ!」
ラウラさんに比べると小回りが利く事、さらにリンクによる連携が使える事からか、リィンさんが切り付ける回数が多く見える。単に気を引くくらいだった僕がいたよりはヤツの体力も削れてはいるんじゃないだろうか。
しかしそれでも浅い。
手や足に刃を滑らそうともせいぜい皮が限界だ。
いくら斬ることに特化した刀と言えど、アレはそう易々とはいかないだろう。
狙うなら――
「――いえ、平気ですので必要ありません」
足で反動を付けて跳ね上がり、回復魔法を準備していたエリオットさんの申し出を辞退する。
ふと見ればアリサさんも近くで援護射撃をしていた。と言っても動き回る敵と味方になかなか狙いが付けられないようで弓がフラフラと動いている。まあそれが普通なのか。乱戦状態で正確無比な一撃を連続で撃ち込めるような狙撃手など僕は一人しか知らない。銃と弓の違いはあれど、そう何人もいてたまるものか。
「ちょうどいい、アリサさんもこちらへ来てください。どうせあんなにデカければ骨の厚さは頭蓋骨だって装甲並だろうし、目でも狙わなきゃ矢なんてハジかれるだけで大して役に立たないでしょう?」
「あんな風に叩きつけられておいて平気な訳ないよ!」
「そりゃあ人体の構造上まったく何も無いとは言いませんけど、痛みを和らげる必要も無いですから」
「や、役に立たない……」
「そんなことより」
損傷個所無し。身体機能低下無し。
つまり
「ARCUSの駆動を。用意するのはもちろん攻撃魔法――ああ、範囲型ではなく相手に直接飛んで行くやつでお願いします。僕はあまり魔法に詳しくないけど顔面めがけてブチ込めるなら何だっていい。属性も問いません。とにかく時間を稼いでほしい」
言いたい事はあるだろう。でも聞かない。押し切り黙って頷かせる。
双戦斧を振りかざす。腰を捻り、脱力。
いま必要なのは柄に指を埋めるほどの力じゃない。振り抜きと回転。二つの動作を齟齬なく合致させた最速が求められる。
「合図はありません。二人から魔獣が離れた瞬間がそうだと思ってください」
言うが早いか投擲する。
相手がこちらに横腹を見せた瞬間を狙って左右同時、直線状に一投する。我ながらなんとも情けない、牽制以上に成り得ない力の抜けた戦斧は対象との距離をあっという間にゼロにした。
大口を開けてまたもや咆哮を見舞おうとしていたデカブツは側面から迫る二つの刃に気付くと泡を喰って回避行動を取る。
しかしかろうじて躱し切れず、前面に突き出した角へと衝突。横殴りの衝撃に首の向きを変えながらも敵は続けざまに飛んでくる火と水をかわすために離れて行く。
――なんて無様。
防御されたワケでもハジかれたワケでもなく、ただその身を貫けなかった。
力と速さ、本物に比べると片方に傾倒させたことでより不完全さが浮き彫りに。足りない自分に反吐が出る。
「リィンさん、ラウラさん」
投擲と同時に走り出していた僕は彼等の下まで既に辿り着いていた。技の特性上、防がれようとも弧を描いて戻る戦斧を掴み取る。
「大丈夫なのかレイヴェル、回復は――」
「さっきはすまない。おかげで――」
「だからいらないんですって、そういうの」
早くしないと、狙われるのは気を引いている後方支援組なのだ。
「リィンさん、こんないつまでもチマチマやってたってジリ貧です。デカいやつで決めましょう」
「そうしたいのはやまやまだが一気に決めるのは厳しい。防御にしても生身にしても固すぎる」
「狙うべきは固く筋張った手足じゃない。柔らかく脂の乗った腹を食い千切る」
「急所を狙うのも考えたが無理だ。素早い上にあの体勢は腹への隙が極端に少ないんだ。どちらにせよ両腕を突破しないといけないことに変わりはない」
「なら突破すればいい」
四足歩行。つまり四つん這い。
腹は下を向き、両手両足に隠され守られた状態だ。
懐へ踏み入ろうにも速く重い拳打に迎撃され、連携で側面から切り込んでも察知し、すぐさま距離を取られてしまう。
「二人が突っ込んで、右と左をそれぞれが受け持ち攻撃させる。おそらく立ち上がるだろうから腹は剥き出しです。そこを三人目が仕留めればいい」
「……ただ振らせるだけじゃ同じだろう。たとえ同時に攻撃してきたとしても隙なんてもんじゃない。奴の素早さからすればほんの一瞬だ」
「その一瞬を僕がこじ開けます。ラウラさん、さっきみたいに攻撃を受け流す事はできますか?」
「私は可能だが……どうやって隙を作る気だ?」
「心配無用。仕事は確実にこなします」
「……任せていいのか?」
「僕を誰だと思ってるんです?」
誰だと聞かれて正しく理解できるはずもないのに、つい挑発めいた口と視線をセットで送ってしまったけれど、特に異論も無く頷いてくれた。逸る気持ちが抑えられなくなってきている。
「待ってくれ! つまり俺がとどめを刺すってことなのか!?」
「何を今更。この作戦で他に誰かいます?」
「……俺じゃあ力が足りない。修行は積んでいてもあの技は実戦ではまだロクに使えない……今の俺に、一撃で決められるような戦技は無いんだ」
「よくわかりませんがロクにってことは使える事は使えるんですね。じゃあ今回でコツを掴めますよ。よかったですね、あはは」
「そんな冗談言ってる場合じゃ――!」
「――冗談なんかじゃない。
魔法が途切れ始めた。完全に標的を変えている。時間が無い。
「男には、ここぞという場面で
――いい加減、目を覚ませよ隊長。八葉の教えってヤツは、たかが魔獣ごときに尻を向ける程度のものなのか?」
つまらないことをいつまでもゴチャゴチャ言うな。その手に持つ物が飾りでないなら突き進め。見せてみろよ、この僕に。
あなたの力は。
こんなもんじゃあないんだろう――?
「…………レイヴェルって結構男らしいよな」
「僕より男らしい人なんてそうはいませんよ。もちろんⅦ組にもね」
「っはは」
言葉はもういらない。
リィンさんは刀を構え直すと目を閉じて集中し、僕はラウラさんと共に疾駆する。
そびえ立つ山のごとき肉体が、さらに見上げるほど大きくなっていく。
「では先手を頼みます」
「承知。何をするかは知らないが、そなたもしっかりやれ」
若干置いてけぼりにしてしまっているかと思いきや、力強い頷きを返してくれたことに笑いだしそうになる。
ついにガス欠なのか魔法による支援が無くなったタイミングで魔獣の眼前へとラウラさんは躍り出た。左腕を受け流す。内から外に。切っ先から腹を用いてすべらせる細やかな技術は見事に隙間を作り上げる。
こんな時にリンクが使えればよかったのだろう。しかしそれは次回までの課題で今はそれすら頭に無い。
背中はいまだ熱を持っている。
じくじくと疼き身体中へ行き渡る。
久方ぶりの痛みらしい痛みに高揚し、膨大な闘気が纏わりつつあった刀身に当てられ猛る衝動は腹の底で目を覚ます。
続けて振り下ろされた右腕が頭上へ迫る。視界を覆っていく拳を睨み、再度戦斧を交差させる。
だが過剰になってはいけない。これ以上の興奮は抑えつけろ。自身の役目を思い出せ。
「ぐっ、お、おぉ――」
「バカな、なぜまた同じ真似を――!」
全身を押し潰す衝撃。
時間が止まる。
これでは僅かに足りない、拮抗の繰り返し。
鼓動が上がる。
血管中を血液が一気に疾走する。
勝負はこの一瞬でいい。
超えるのはこの瞬間だけでいい。
デッドラインは遥か遠く、境界を跨ぎ正面から借りを叩き返す――!
「――ォオオオオッ!」
振り切った戦斧は固められた五指を切り飛ばしながら拳をハジき返す。腕は大きく跳ね上がり、体は仰け反り完全に体制は崩された。
絶好の機会。戦術リンクが無くたってわかる。熱は背後からこじ開けられた突破口へ捻じ込むように――
「斬!!」
――――焔が奔る。
それは、烈火の如き一撃だった。
集束された闘気が象るは赤き火炎。強烈な踏み込みは数アージュの距離を一息で詰め、揺らめき燃え盛る剣は硬い皮も肉も貫き一刀のもとに斬り伏せた。
残ったのは勝者と敗者。
周囲を歪ます、刀身に燻る残滓から立ち昇る熱気。
傷を焼き、噴き出す血潮は蒸気と化す。
それはまるで中心に立つ彼自身が炎であるかのように調和していた。
……僕はたぶん、見惚れていたのだろうと思う。
沈む巨体には目もくれず、腹を裂いた戦技が生み出した光景にことごとく意識を持って行かれてしまっていたのだから、なんとも隙だらけだったはず。それほどに意表を突かれ、
「――――、ああ」
でも仕方ないだろう。
無性に胸が締め付けられる。
思いもよらなかったのは技だけではない。
先行きを照らす炎。
僕が仰ぐべき炎。
その光景に、似ても似つかない。今は見ることの叶わない姿を重ねていた。
◇
果たして先に動いたのはどちらだっただろうか。同時だったのかもしれない。
だからというか間違いなく、危険極まりなく、そんな有様だったため後手に回ることになるのである。
「はあっはあっ……」
「と、とんでもなかったわね……」
「……さ、さすがに……もうダメかと……」
膝をつき、肩で息をする三人。
傍らで突っ立ている僕はそれを眺めながら、ただ呼吸が整うのを待っている。別に急がせる理由も無い。脅威は既に去っている。
――そう、去ってしまっていた。
「…………はあ」
自身の失錯を恥じる。
リィンさんが崩れ落ちるのを見計らったようにヒヒは素早く身体を起こし、あっという間に木々の隙間を縫って消えてしまった。
残ったのは変わらず勝者と敗者の図。さて、どちらがどちらだったか。説明は必要ないけれど。
まったく何を惚けていたのか。この光景を見れば重なる人物なんて、両手でこと足りる関係の中にいないだろうに。
「……ふう」
「あれラウラさん。勘違いかもしれませんが、もしかしてお疲れだったりするんですか?」
「もしもなにも相応に消耗している」
ふいに隣から聞こえたため息をとっかかりに話を振ってみると、少々意外な答えが返ってきた。
「レイヴェルがいなければ今頃は私も同じ様に膝をついていただろうさ。持ちこたえるのが不可能だとは言わないが……まあ、前線を一人で維持するのだからな。そう言うそなたこそ、本当に問題無いのか?」
「ええ、問題どころかむしろ活力が湧いていますよ」
それはつまり彼等だけではなく、彼女にとっても強敵だったというワケか。
顔に出ていたのか、理解の足りない頭に補足を付け加えてくれたけど――やっぱり意外だった。
ふうむ、と腕を組むかわりに少し軋む身体を動かして戦斧を担ぐ。自然体で気を抜かない、楽で厳しい馴染みの体勢。
ようやく息も落ち着いてきたのかラウラさんも交えて四人は勝利を分かち合う。具体的にはリィンさんが鮮烈に魅せてくれたなかなかに素晴らしかった戦技について等。興奮は静かに冷めやらぬ。
輪に加わらず、一歩引いてぐるりと周りを見渡す。む、腰を抜かしているが五体満足な盗人達を発見。全員意識もあるようである。こちらと目が合うと、ひぃと戦慄した顔がさらに引き攣った。特にそちらを見てはいない。僕の目当ては放り出した戦斧を収めるためのケースであり、ただ目線が通過しただけである。そして目当ての物は発見したのである。
「……はあ」
再度ため息が漏れた。別に疲れてはいない。頑丈さは僕の取り柄である。ただしこりを残す不甲斐なさと不完全燃焼感があるだけだ。
炉に
――実を言えば追撃の許可を貰いたかったのだが、言ってみたところでリィンさんは僕一人で行かそうとはしないだろう。
では消耗の少ないラウラさんとなら、と考えていたが予想外にお疲れのようだった。
些か高く見積もっていた――とは思わなかったが、見誤っていたことになるのだろうか。まあ別にいいのだけれど。ご自慢そうな拳を真正面からハジいてやったのでそれでいい。
あ、でも――
「だから撃退するって言ったのかなあ」
こちらの戦力を把握し、相手を倒し切れないと判断したからこそ。
だとすればなるほど、大したものだ。隊長として、指揮官として類い稀なる才能を持っている。Ⅶ組はこれで安泰だ。やったぜ。
「俺達A班全員の”成果”だ――って、どうかしたかレイヴェル?」
「お気になさらず。明日使える軽い冗談を考えてました」
「なぜこの場面で冗談を考える……」
申し訳ないが酔えるほどの勝利でもないので余韻に浸れず空を仰いでしまったのだった。憎たらしいほどいい天気だった。
で、面倒事も終えて話も終わって後片付けに入ろうとしたところで――またぞろ面倒事がやってくる。
先程とは違い、はっきりと聞こえる笛の音。
足音。
軍靴の音が聞こえる!
とか言ってみたり。
「いたぞ!」
「連中も一緒だ!」
青い軍服を着た兵士が速やかに取り囲み退路を塞ぐ。銃剣付きのライフルが構えられた。その数六挺。
友好を築いた覚えはないが、お互い顔見知り程度ではあると断言できる。
手前にいた一人をとっても昨日今日の出来事を忘れるような老人には見えないのだから。
「抵抗は無駄だ、全員動くな!」
「学生だからと言って手加減すると思うなよ!」
だが銃口はすべて僕達へ向いている。
身分も知っていると言うのにあからさまに怪しい犯人達は放置されたまま。
とりあえず静観。
棒立ちしたまま流れに身を任せる。
答えを求めるまでもなく、リィンさん達はやはりと冷ややかな目を向けている。ラウラさんにいたっては皮肉気にその行動を問い掛けたが、もとより兵士達は何を言おうとも威嚇してくるだけで話にならない。緊張が緩んだのか、腰を抜かしたままの犯人達が徐々に勝ち誇った笑い声を上げた。
場違いな野次とやかましい怒声が全方位から鼓膜を侵す。耳に入れられたムカデが這いずり回るような不快感。
「確かに盗品もあるようだが彼等がやった証拠はなかろう。可能性で言うならば……”君達”の仕業と言うこともあり得るのではないか?」
包囲を部下に任せ、自分は余裕綽々といった風で歩み寄った領邦軍隊長その人は、犯人達を見下すように一瞥し、そのようなことをのたまった。
言うまでもなく完全なグルであり、今更何も言うことはない。あまりの言い草にリィンさん達は静かに怒りを募らせ抗議する。
「弁えろと言っている」
が、ソイツはすべてをその一言で一蹴した。
いい加減にしろ。
クロイツェン州の、公爵家の邪魔をするな。
たかが学生風情が思い上がるなと。
挙句の果てには、お前たちを容疑者として連行することもできるのだぞ、と。
あとは珍しくもない世の常、人の常。抗うことのできない力に黙らせられ、歯噛みし、ただ呻くのみ。
――ああ、これ以上はどうしようもなく、詰みの状況なのだろう。
「くっ」
意思に反してゆるむ口元。知らずと滴る飢えた嘲笑。
せめて顔を伏せることしかできやしない。
「くく、くひひはは……」
躊躇無く権力すらも使い。
こちらを徹頭徹尾なめくさって。
高高度からこちらを見下ろしていた。
疑う余地もなく自分の方が上だという自信に溢れていた。
――――どろりと滲み出す。
「はははっ、あははははっ!」
それはいっそ清々しく。
僕は、たまらなく、侵食されていく。
「――黙れと言っているのが聞こえないのか!」
「ああなに? 僕に言ってる?」
ふと顔を上げるとこちらを睨む手前の兵士の銃剣が目と鼻の先だった。当然銃口もこちらの眉間へ定められている。
腕に力を入れるか指に力を入れるかで簡単に僕は即死、ないし致命傷を負うだろう。
「……貴様、気でも触れたか」
「ひどいこと言うなあ隊長さん。まだ特に何かした覚えはないのに、言いがかりもいいところだ」
ケラケラと笑う。
何が面白いのか、なぜ笑っていられるのか理解不能という顔だ。
それがまた滑稽で、やはり堪えきれず笑い声は大きくなっていく。
……はて? 気が付けばなぜ周りから音が無くなっているんだろう。先程は僕以外の笑い声も聞こえていたはずなのに。
「かの名門、トールズも落ちたものだな。そもそも平民を貴族と同じ学び舎に通わせること自体間違っているのだ」
「平民ねえ。僕はまだ名乗った覚えもありませんけど?」
「貴様のような品も常識も無い者が貴族であるはずなかろう。たとえそうだとしても下級貴族に決まっている。礼儀を知らぬ者などなおさら不要だ」
「あはは、今度は常識か。僕はあなたの自虐に笑っただけで、非難される筋合いはないはずだけどなあ」
「自虐だと?」
「自覚が無いなら旅芸人の一座でピエロでもやったらどうです? 笑うより笑われる方が似合っていますよ」
「……口の利き方に気を付けろ。貴様ごときの処分など、どうとでもなるのだからな」
六挺すべての銃口がこちらへ向く。手を上げただけで長の意を汲み取れるのは腐っても軍属。よほど頭に来たのか今度は僕個人へ狙いを定めたワケだ。
構わずそちらへ踏み出した。
が、幾許も距離は縮まらない。
それは此の期に及んで萎縮したとかではなく――
「二度目は無いぞ。動くな」
「ほ、本当に撃った……」
「あなた達はどこまで……!」
足元に撃ち込まれた警告の一発という物理的な問題である。
「しかしさすがに子供を害するのは心が痛む、私も鬼ではないからな。おとなしくその見掛けだけは大層な武器を捨てて跪き、非を詫びるがいい。さすれば許さんこともないぞ」
「…………」
「待て、だめだレイヴェル……! 今は堪えるんだ、無茶はするな……!」
敵は笑みを消した僕を満足そうに言葉とは裏腹の嗜虐心を。リィンさんは必死に僕へ落ち着けと焦燥感を。おそらく僕がなりふり構わず飛び出した場合に周りへ降りかかる被害を考慮してだろう。
だがそれは間違っている。
なぜなら僕は落ち着いているからだ。
明確な敵対行為を示されてなお、いまだこうして静かに対話していることが過去にない。
「紹介しましょう。こちら、見掛けだけは大層な武器。左戦斧《レティオ》。右戦斧《ディザイア》です」
さらにわかりやすい証拠として言われた通り武器を手放した。
まさかハリボテとでも思っていたのか、一つずつ放った戦斧が立てた重い音に目を見張ったのは敵の隊長だけではなく、そしてそれはそのまま両手を上げたこちらへと向けられる。
「ふ、ふん。最初から素直に言う事を聞いていればよいのだ」
ゆっくりと膝を折っていく僕を見て口が動いた。何か言っている。もはや僕には理解できない。しかしそこに宿る感情は獰猛な獣を制した安堵のようだ。
視線は固定。瞬きすらしない。見据えたモノ以外は全て焼け落ちる。チリチリと脳を焦がし赤く染まっていく視界。反して黒くとろける甘美な
ならば知っているだろうか。獣が襲い掛かる時の体勢を――
「――そこまでです」
ふと、どこからか涼やかな声が降って来た。
注意がこちらから完全に外れた。
一気に両足へ力を籠める。
一足で首を取って極める。
数秒後の未来が現実まで落ちた。
いける――!
「っやめろレイヴェル! これは命令だ――!」
「――――!!」
――瞬間、脳天を撃ち抜いた衝撃が頭からつま先まで電流のように走り抜けた。
爆発しかけた力は渾身の力で自身によって無理矢理抑えられ、身体は強制的にその場に縫い止められ、冷えた頭は両目が映した光景を受信した。
背を向けた領邦軍。対峙する灰色の軍服に身を包んだ軍人達。先頭に立つ場違いなほど美人な水色の髪をした女性、こちらを睨む今現在の隊長――
……正直色々言いたい事はあるけれど、なによりもまず僕がすべきことは、
「
苦々しくもそれら全てを飲み込んで、返事を返すことだろう。
「……で、リィン隊長。なんですこの状況。誰ですあの人達?」
「……俺も色々言いたい事はあるけど、状況が状況だから今は飲み込むことにする。彼等は鉄道憲兵隊だ」
「鉄道憲兵隊?」
「帝国正規軍の中でも最新鋭の部隊、らしい」
「へえ……正規軍の最新鋭」
なるほど、確かによく見ればおそらく隊長であろうあの女性の身のこなし、立ち振る舞いは只者ではない。それがわかっても結構な美人さんなので軍服を着ているのも信じられないけれど。隊員の練度も領邦軍とは比べ物にならないモノであるからして。
「ん? 正規軍?」
「ああ」
「政府側の軍?」
「そうなるな」
つまりトップは政府代表。
そして精鋭というからには限りなくトップに近い。もしくは直属。
「――帝国軍・鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉です。トールズ士官学院の方々ですね?」
あちらの話は終わったのかいつのまにやら領邦軍はいなくなり、憲兵隊の隊員が犯人達を捕縛する中で件の女性が話しかけてくる。
涼しげでありながら優しく耳をくすぐる実に良い声で、こちらを威圧させないよう笑顔を浮かべながら語り掛けるその姿は大抵の男にもっと話を、それも親密なお話をしたいと思わせることだろう。
「調書を取りたいので、少々お付き合い願いませんか?」
僕は再び空を仰いだ。