4月17日――
入学式。そして、それにおけるオリエンテーリング(強制参加)という名のダンジョン攻略およびクラス選択(事前情報無し)から二週間弱。
あれだけ咲き乱れていた春の風物詩であるライノの花も徐々に散り始め、街を歩けばどこもかしこも薄桃色の絨毯が敷かれるようになり、代わりに爽やかな新緑が芽吹き始める今日この頃。
当初は右も左もわからなかった新入生達も学院に慣れ始め、士官学院特有の武術訓練はもちろん通常授業のレベルの高さにも上げていた驚きの声は、今では悲鳴の声に変わっていた。
文武両道は帝国の気風であり、トールズ士官学院は名門校の一つであるため致し方なしである。とはいえ予習復習をきっちり行えば決してついていけない訳ではない。本当に悲鳴を上げることになるのは一部の不真面目な生徒である、主にテスト前に。まあ本当に不真面目な生徒は進級さえできればいい、とそれすら大して気にせず最低限の事しかしなかったりするのだがそれはそれとして。
つまり向き不向きがあろうとも毎日を漫然と過ごさず自分を磨く事が大切だと言う事だ。それも勉強に限った話ではなく。
クラブ活動だったり。
遊びだったり。
とにかく学生時分にしかできない事だったりを。
あらゆる物に対して自分を磨き。もっと言えば自主性の赴くまま何かひたすら打ち込める物を見つける事が大切なのである。
この学院で過ごす二年間、可能性に満ち溢れた二年間。悩むこともあるだろう、苦しむこともあるだろう。それでも昨日の自分に負けないように、情熱と熱意を持って前へ前へと突き進む。
その努力を続けることが。
それこそが、『世の礎たれ』という言葉の答えに繋がる方法の一つではないだろうか――――
◇
「――そう、僕は思うんです」
「なるほど素晴らしいですね~! レイヴェル君はまだ入学したばかりなのに感心感心!」
「えへへ、それほどでもないですよ?」
「ですが、時にレイヴェル君」
「はい?」
「それが君の居眠りとどう関係するのでしょうか?」
「いやまあ、僕も答えを見つけるためにちょーっと一つの事に打ち込みすぎて少々寝不足気味……みたいな?」
「ああ、そういう事ですか! う~ん、それでは仕方ありませんねえ。ではレイヴェル君」
「あはは、はい」
「少し、そのまま立ってましょうか」
「あれ?」
長々とよくわからない言い訳はいけません。と笑顔で叱られた。
前列の一番左。
窓から差し込む日光が僕を積極的に眠らそうとする魔のポジション。
そこが僕の席であった。
くぁ、と欠伸が出そうになるのを噛み殺す。
しまったなあ。
授業で居眠りなんて初めてだ。まだ二週間しか経っていないというのに気が緩んでるな。
僕の右隣に座るフィーはちゃんと起きてる事を鑑みると余計にいたたまれない気持ちである。
トマス教官の歴史の授業は結構面白いので個人的に気に入っていた。まあ、たまに熱が入りすぎてやたらマニアックな話になったりもするのだけれど。
それでも帝国に住む人なら当たり前のように知っている話でも僕からすれば新鮮で、今のところ飽きることはない。自分で本を読んでもいいが、やはり誰かに聞かせてもらった方が楽だし。
しかし、ポカポカと暖かい日の光に照らされ続けながらジッとしてるのは辛いもので、そこに寝不足が加わるともうダメだ。
トマス教官の声は子守唄にしか聞こえず(実際に聞いた事はないが)つい、うとうとしてしまったのである。
……ていうか、起き抜けでよくもあんなに口が回ったなあ。あるいは起き抜けで寝惚けていたからこそ回ったのかもしれないが。
僕は僕自身に感心する。
とはいえ、無駄に回ってしまったおかげで立たされているのだけれど。
何事もこちらに非があればさっさと素直に謝るべき。なんて当たり前のことを再確認。
僕の代わりに問題を当てられたリィンさんが答えに窮しているのを心の中で謝りながら反省。
依然、直立したままで。
「ノルド高原――帝国北東に広がる高原地帯です」
「はい、正解です。ちょっと難しかったですかね?」
おっと、少しばかり時間は掛かったか正解できたようだ。
とりあえず謝罪の意を込めて軽く頭を下げておこうと思い、僕の右斜め後ろに位置するリィンさんへと頭だけ振り返ってみる。
「……ん?」
問題に答える為に立ち上がった状態のリィンさん。は、いいとして。
なぜ視線は左隣のアリサさんに注がれてるのだろうか。
なぜアリサさんは薄く頬を染めて目線を逸らしているのだろうか。
……えっ、またなんかやらかしたの?
先日のオリエンテーリングに起こったアレは不幸な事故だったらしいが、まあ前科と言えば前科なので真っ先にそんなことを思ってしまう。
この二週間、リィンさんがいくら謝ろうとしてもアリサさんはそれすらさせてくれないからなあ。
誰かと普通に話してる最中にリィンさんが来たら急に動揺して冷たく対応して逃げちゃうもんなあ。
……ただでさえユーシスさんとマキアスさんの仲が最悪で空気悪いのにさ。あなた達はいい加減仲直りしようよ。どうせもう怒ってないんでしょうアリサさん。
おかげさまで特化クラスⅦ組は今日もどこかギスギスしてます。
ギスギスに特化したクラスⅦ組。
「って、あれ?」
ふと気付く。
アリサさんの机に開げられているノートと教科書。
授業中なのでそれ自体は別段おかしくはない光景である。
おかしくはないが――気になったのは不自然な形で机の端に寄せられているノート。
まるで誰かに見せるかの如く斜めに傾けられ、中身が読みやすいよう配慮されたそれが、リィンさんの方へと向いていた。
ああ……うん、なんていうか、図らずとも二人の距離を縮める役割を担ってしまったようだ。
ふふん、ナイス僕。
無意識にいい仕事をする男。
ここは何も見なかったことにしておいてあげよう。
ニヒルな笑みを浮かべ、クールな男を気取りながら前を向く僕。
気分は兄さん。
かっこいい。
「レイヴェル君。ニヤニヤしてないで授業に集中してくださいね」
「アッハイ」
◇
日もすっかり傾き。
夕焼けが差し込む教室は紅く染まる中。
本日最後の授業終了の鐘が鳴る。
「――お疲れ様。今日の授業も一通り終わりね」
今し方Ⅶ組での授業を終えた担当教官と入れ違いに入ってきたサラさんは、壇上につくとそのまま
「前にも伝えたと思うけど、明日は《自由行動日》になるわ。
厳密に言うと休日じゃないけど授業は無いし、何をするのも生徒たちの自由に任されてるから、帝都に遊びに行ったっていいし、何だったらあたしみたいに一日中寝てても構わないわよ?」
「サラさんサラさん。あんまりぐうたらしてるとたるみますよ? 年齢的に」
「死にたいのかしら?」
「親切心のつもりですごめんなさい」
ゴゴゴゴと膨れ上がる殺気に平謝りする。
すごい、午前中の教訓がもう生きた。
「なぜ自分から地雷原に突っ込むのか」
「んー、僕って基本罠を発動させて解除するから?」
「解除できない罠に突っ込んでどうするの?」
それは盲点だったよフィーさん。
「えっと、学院の各施設などは解放されるのでしょうか?」
「図書館の自習スペースが使えるとありがたいんですが……」
この二週間で僕達の突如始まるどうでもいい雑談にも慣れてきたらしく、エマさんとマキアスさんの真面目な眼鏡コンビ、略して真面眼鏡さん達が特に気にせずサラさんへ質問する。
いや呆れた視線自体は相変わらず全員から感じるけれども。
「ええ、そのあたりは一通り使えるから安心なさい。それとクラブ活動も自由行動日にやってる事が多いからそちらの方で聞いてみるといいわね」
ふうむ、クラブ活動かあ。
いい経験になりそうなので気にはなっている。
色々あるのは知ってるんだけど、どれに入ろうかまでは考えてないな。
やっぱり名称だけじゃなくて一通り体験してみた方がいいのだろうか。
フィーにも相談してみよう。
「――それと来週なんだけど。水曜日に《実技テスト》があるから」
えっ。
「ま、ちょっとした戦闘訓練の一環ってところね。一応、評価対象のテストだから体調には気をつけておきなさい」
なんだ、戦闘なら大丈夫かな。
「なまらない程度に身体を鍛えておくのもいいかもね」
片目を閉じながら意味深に笑うサラさん。
いかにも思わせぶりだが一回目だし、そんなに過酷なモノになるとは思わない。
まだ二週間だから特別、何か教えられたワケじゃあないし。普通に一対一の対人戦とかだろうと思う。
思うのだが――サラさんだから。
オリエンテーリングの例があるサラさんだから。
信用はしないでおく。
むしろ警戒心を持っておく。
そうだ、僕とフィーだけ別メニューを用意してるかもしれない。
突然アンタ達は別ね。とか言われるかもしれない。
……ナイフ一本であの旧校舎の大型魔獣と戦うとかだったらどうしよう?
まあ、さすがにフィーと一緒に戦わせてくれるか。
「その時はお願いするねフィー」
「拒否」
「まだ何も話してないのに!?」
「ん。考える前に条件反射で、つい」
「僕からのお願いを咄嗟に断るよう体に染み込ませてるってどういうことなの……?」
「あ、違う。どっちかって言うと、熱いモノを触った時に手を離すアレ」
「ひどくなってるんだけど!」
それはもう本能的に拒否られてるじゃないか。
びっくりした。
フォローどころか逆に傷口をえぐりにきてる。
確実に仕留めにきてる。
さすがだなあ。
「そこ、うっさいわよ。今から大事な事言うんだから静かになさい」
「あは、すみません」
「ふぁ~あ……」
「っとにアンタ達は……。それで実技テストの後なんだけど、改めて《Ⅶ組》ならではの重要なカリキュラムを説明するわ」
その言葉で教室内はにわかに色めき立つ。
入学してから今まで何の音沙汰もなく、厳しくはあるが通常のクラスと大して変わらない授業が行われていた分、驚きも一入と言ったところか。
だが場の様子とは裏腹にそれを聞かされた僕の感想と言えば、その時頭に浮かんだ正直な感想と言えば。ああなんだ、やっとか。くらいの冷めたモノというか、大して思う所はなかった。
重要っちゃあ重要だけど、心乱されるような事だろうかと疑問さえ浮かぶ。
まあまあ、例によって何も聞かされてなかったから仕方ないか? いや今回は先に、今しがた言ったけども。しいて言うなら最初のクラス説明の時に詳しく教えなよって感じである。
……それとも、学院だけの都合で決められないカリキュラムなのかな?
なんにせよ、実のある訓練であればありがたい。
少しでも自身の実力を上げておこうと思ってⅦ組に参加したっていうのに、どうもまだ意味が無いというか。今の所は僕にとってプラスになりうるのはARCUSくらいというか。
結局勘が鈍らないよう自主的に努めなければならない現実に、参加するのは早まったかもしれないとちょっぴり後悔を覚えているのだ。
……勉強難しいしね。
「HRは以上。副委員長、挨拶して」
「は、はい」
そして副委員長――もといマキアスさんの号令に合わせて礼。
今日も一日お疲れ様でした。
まだ夕方だけど。
◇
「重要なカリキュラムってどう思う?」
「眠いって思う」
「今キミが思ってる事を聞いてないんだけど」
「サラの話聞いてる時から思ってた」
「だからなんなのさ」
そんなの僕も思ってたわ。
適当に雑談を交えながら机の中にある物をカバンに詰めていく。
教科書、ノート、プリント等を丁寧に。
真面目な僕は置きっぱなしにするような真似はしないのだ。
「じゃあ実技テストはどんなのだと思う?」
「フツーに対人戦とか。グループ分けして」
「僕は一対一だと思うんだけどなあ」
「でもなんか、意味深に笑ってたね」
「それが気になるよね……。サラさんの事だからまたなんか企んでるのかも」
「たとえば?」
「僕達だけあの旧校舎にいた大型魔獣と戦う」
「ん、それならめんどくさいけど大したこと――」
「ナイフ一本で」
「殺意を感じる。学院長に訴えるべき」
「さっきはその時一緒に戦おうねって言いたかったんだよ」
「やっぱりロクなお願いじゃなかった」
冗談めかした楽しい会話もカバンに物を詰め終えた時点で一旦終わり。
僕が席を立つのに連れて、とっくに帰り支度が出来ていたフィーも立ち上がる。もうほとんどの人は教室を出て行ってしまったようだ。
あとは机の横に置いておいたいつものケースを背負って――
「なあ、レイヴェルにフィー」
と。
背負おうと手に持った所に、後ろから声を掛けられた。
声の方向へと振り向く僕とフィー。
「二人はクラブとか決めたのか?」
振り向いた先にいたのはリィンさん。
いや声でわかってたけどさ。
どこで何を気に入られたのかは知らないが、入学式――正確にはオリエンテーリング以来、なんだかよく声を掛けられる。
その傍らにはこれまたオリエンテーリング以来、よく一緒にいるエリオットさんとガイウスさんが立っていた。
「エリオットは吹奏楽部でガイウスは美術部に決めたらしいんだが……俺はどうもピンと来なくてまだ決めてないんだ」
「へえ、そうなんですか。僕はまあ、一通り見て回ろうかと思ったり思わなかったりはしてますけど。フィーはどう?」
「特には。ていうか、何があるのかもいまいち知らないし」
「あ、ああ。悪い、そうなのか……」
「ん、そう。じゃ」
「いやいや、じゃ。じゃないよ。なんでキミはすぐにどこか行こうとするんだい?」
あまりにもあっさり立ち去ろうとするフィーの肩を掴む。
返答に困るリィンさんが哀れすぎて代わりに僕が引き留めてしまった。
身体は既に出口の方へと向けながらも首だけで少し振り返り、フィーは言う。
「風がわたしを呼んでるから」
「大丈夫? 確実に幻聴だよ?」
「幻聴じゃない。風はわたしの友達。たぶん」
「最後の一言が幻聴を確立させたね……何者だよキミは。さっきからキャラがおかしいって」
「――妖精、かな?」
「いや間違っちゃないけどさあ!」
ある意味だけど。
だからって自分で言うのはナルシストもいいとこだ。
なにその満を持してみたいな言い方。
しかし本当に間違いと言う訳でもないので強く否定できない。
「ま、そんな感じで用がある。屋上にいるから」
そう肩をすくめて言うと、今度こそフィーは去って行った。
去って行ってしまった。
……そんな感じってどんな感じ? 用があるなら先に言いなよ。
なぜ無駄な茶番を挟んだ。
あと、屋上に用ってなにさ。
「はあ……」
「はは、そんな落ち込まなくても」
「見る限りでは特に嫌われているという訳でも無さそうだしな」
「それでもアリサとの事もあるし、ちょっとへこむな……」
「うーん、でもフィーってさ。誰に対してもあんなそっけない感じじゃない? ねえガイウス?」
「そうだな。あれが素なんだろう……いや、一人例外がいたか」
そこで三人は同時に僕を見つめる。
後ろを振り向いてみる。誰もいない。
「もう少し話せるようになりたいんだが……どうすればいいと思う?」
「あ、例外って僕なんですね。そっけないのは変わらないと思うんだけどなあ」
「いやいや、いつも今みたいに冗談言い合ってるし、すごく親しげに見えるよ」
「だな。それにお前達はいつも共にいるじゃないか」
「はあ……そう言われればそうなんですけど」
確かにエリオットさんとガイウスさんの言う通り、ほかの人達よりもフィーと親しい自負はあるのだが、それはただ付き合いが長いから。と僕は思う。
別に僕にだけ冗談を言うワケでもないし、いつも共にいるのは単に知り合いだから――居場所が無いから一緒にいる。惰性でしかないのではなかろうか。
と言っても、僕は望んで彼女の傍にいるのだけれど。
フィーは『レイ』と呼ぶ事を許した数少ない一人であり、僕にとって『特別』ではあるが、それがそのまま彼女にとっての例外に、特別に繋がるかと言えばそうではない。
名を呼んでくれるからと言ったって。
元々僕達が顔を合わせる時なんて大抵は戦場だったのだから。
今みたいに何もせず馴れ合うような立場でも関係でもなかったのだから。
それが不満だとは一度も思わなかったし、むしろ僕は満足していたが、やっぱりそれがそのままフィーに適応されるワケではないので、本当はどう思ってるのかはわからない話だ。
……ただの敵の一人とか思われてたらやだなあ。
僕はこんなにも――キミを想ってるのに。
「まあ、今まで通り根気強く話しかけてればいいですよ。フィーって気さくな娘ですから割とすぐに仲良くなれますって」
「それは突っ込み待ちなのか……?」
「あはは、冗談ではないですよ一応」
とっつきにくさは感じるだろうが、親しくなりやすいという意味では嘘じゃない。
意外にも付き合いは悪くない方なのだ。
「それはそれとして。リィンさん、何でそこまでフィーと話したいんですか?」
「え、何でって」
「あっ、もしかしてフィーに惚れちゃったんですか? すみません、僕、口説き方はちょっとわからないです……」
「違う、大いに誤解だ! 大体、俺はフィーだけじゃなくてレイヴェルとも――」
「ええええ!? フィーじゃなくて僕に惚れてたんですか!? やめてくださいよ! 僕、こんな見た目だけどノーマルですから!」
「もっと違う! 俺だってノーマルだ! 頼むから話を聞いてくれ……」
「……そうだったのリィン?」
「リィン、水臭いぞ。そういう事は先に言え。俺達は友だろう?」
「二人とも悪ノリはやめてくれ……」
◇
リィンさんの惚れた腫れたが誤解だと聞いて安心した僕は彼等と別れ、フィーの元へ向かう。
すなわち屋上。
教室を出て階段へと進むルートを淀みなく進み、帰宅する時と違って下に降りるのではなく、上へと登って行く。
さすがにこれくらいなら僕でも迷わない。
一本道だし。
それなら学院全体なら危ういのでは――なんてこともない。
別に意図的に迷わそうとした構造でもなく、大きいけれど各教室や施設の配置自体は単純で見やすいと言うか、わかりやすい。
いや。
それでも実際は迷子になっていたかもしれないが、僕は僕を知っている。
自分の事を知っている。
ようするに毎日探索してました。一週間くらい。
具体的に言うと放課後、毎日彷徨ってました。
ふふん、しっかりきっちり対策を講じて予断を許さない僕に隙はないのさ。
と、僕は辿り着いた屋上への扉を開ける。
今はもう春も半ばであるため、日中は気温も高く暖かいが、それでも日が暮れるとまだまだ冬を思わせる程には寒い。
未だ日は落ち切っていないが、吹き抜ける風は既に冷たさを帯びていてた。
「フィー」
そんな中、誰もいない屋上で取り付けられた柵の前に一人ぼんやりと佇み、景色を眺めるフィーを見つけた僕は、その背中に声を掛けながら横へと並び、同じ様に景色を眺めてみる。
夕焼けに沈み行くトリスタの街並みがよく見えた。
僕達はそのままの状態で、どちらからともなく話し始める。
「……意外と早かった」
「あはは、別に大した話じゃないただの雑談だし」
「そうじゃなくて、よくここまで辿り着けたって意味」
「僕だっていつもいつも迷子ってワケじゃないさ。普通の建物くらいなら余裕だよ」
「それもわたしのおかげだけどね」
「うーん、毎日彷徨う僕に付き合ってくれたのはキミだったし、否定はしないけどさあ」
「報酬は早めに払って欲しい」
「まさかの依頼扱いだったんだ……」
善意から付き合ってくれたんじゃないのか。
なんてやつだ、騙された。ていうか詐欺だ。
「ところでそっちの用事ってなんだったの?」
「ん、屋上からの景色が見たかった。予想通りいい景色」
「訂正する。やっぱりキミって付き合い悪いかもしれない」
リィンさんに嘘を言ってしまった。まあいいか。
「夕日がキレイ」
「あー、今日は特にキレイだね。……この場合はキミの方がキレイだよって言った方がいい?」
「聞かれても困る。なんで寝不足気味?」
「えーっと」
話の切り替えが急すぎて一瞬なんのことだがわからなくなるが、授業中に言った自分の言い訳についてかとすぐさまピンとくる。
マイペースを遺憾なく発揮してるな。
「ここんとこは毎晩トリスタの街とその周辺を探索しててさ。昨日やっと地形が全部頭に入ったんだよね。ふふん、猟兵たるもの昼と夜の街の顔を見るのは当然として、しばらくここが拠点なんだから色々把握しとかないとねえ」
「……レイってほんとポンコツだよね」
「ポンコツ!? そんなこと言われたの初めてだ」
「わたしも言ったの初めて」
お互い初体験だった。
なるほど、嬉しくない。
「そんな初歩的な事一日で終わる。なに、新米なの?」
「新米じゃないです」
「ルーキーなの?」
「ルーキーでもないです。……ほら、その分僕って戦闘に特化してるから」
「戦闘っていうか、力と耐久に特化してる。銃弾撃ち込まれたら素直に死ねばいいのに」
「死ねばいいのにって……。チャチな銃じゃ内臓に届く前に食い止められるから致命傷にならないよ」
ちなみに僕が特別頑丈だから僕だけしかできない芸当という話でもなし。
それに、地形の把握とかは苦手だけど、ほかの必須項目は平均並の実力はあるはず。必要な事は一通り叩き込まれているから出来なくはないのだ。
ちょっと向いてないだけで決してポンコツではない。
「でも戦闘特化って言えば聞こえはいいけど、勝てない相手多いよね」
「うっ」
「わたし達基準で団長レベル――化物クラスは当然だし、連隊長クラスにも勝てるかどうか」
「ううっ」
「確実に通用するのって、せいぜい部隊長クラスじゃないの」
「うぐぐぐ」
「そもそも、わたしに勝ったことない時点で戦闘特化(笑)としか」
「もうやめろぉ!」
確かに勝ったことはないが、負けたこともないだろ。
第一キミはスピードと回避に特化してる。言うなればそれも戦闘特化――いやフィーは僕と違って当たり前の事ができるのか。
とにかくお互い相性が悪いんだよな……。
詰めたり詰められたりを幾度も繰り返し、決定打を打ち込めないままに勝負を分ける。
決着のつかぬままずるずると今に至る。
出会ってから僕達はずっと対等だった。
だからこそ僕はキミを――
「だけど」
不意に、フィーは言う。
「団も無くなって、皆もいなくなって、どこに所属するでもなく、何をするでもないわたしはもう、猟兵じゃない。結局は――結局はレイの勝ちで、わたしの負けかもしれない」
わたしの方が弱かったのかもしれない――
なんて。
しおらしい、らしくないセリフを――恐ろしくらしくない、似つかわしくないセリフを突如吐いた。
この、僕に対して。
「……言ってる事がよくわからないんだけど? どうして猟兵じゃなくなったから負けとか弱いとかって結論になるんだい?」
フィーがそうなったのは別にフィー自身の問題ではなく。
周りの環境が変わっていった結果でしかない。
それに、
「群れるから猟兵、じゃない。どこか別の団に行くのが嫌なら個人でやれば――」
「やらない」
と、僕が言い切る前にフィーは否定で僕の言葉を遮った。
なぜ、と問い返す前に彼女は言葉を続ける。
「別に、その生き方が嫌いだと言うわけじゃない。好きだと言うわけでもないけど、自分からやろうとも思わない。
物心ついた頃にはどことも知れない戦場を彷徨っていて……拾ってくれた人がたまたま『猟兵王』で、団員のみんなはわたしを可愛がってくれた。だからわたしは、そんなみんなの為に――『家族』の為に役に立ちたくて……幾つかの偶然が重なって、わたしは猟兵に、『西風の旅団』の一員になっただけだから――」
「それ、は」
驚き、思わず顔だけでなく体ごとフィーへと向け直し、景色を眺め続けるその横顔を見据えてしまう。
凝視してしまう。
僕と同い年であの強さ。
昔からフィーの生まれや育ちは想像に容易いモノではあったが、彼女が猟兵を続けていた理由なんて一度も考えた事がなかった。別にフィーはどこぞの従姉のように戦闘狂というワケではないのだから、少し頭をひねればわかったことなのかもしれないけれど。
「……ちょっと夕日がキレイすぎて、感傷的になってたかも。ごめん、変な事言った」
よほど大袈裟に驚いていたのか、そんな僕を見受けたフィーはどこか儚げな微笑みを見せてまた視線を戻す。
夕日を通して何かを思い出すように、ぼんやりと。
その姿に僕もあの日の事を思い出す。
あの日、サラさんと共に旅団の動向を探りに行った時の事を。
何も無く。
誰もいない。
からっぽになった場所で。
色が抜け落ちたように生気無く佇む。
薄くて、儚くて、脆そうな。早く捕まえなければ瞬きをした瞬間、吹き荒ぶ西風と一緒にどこかへ消えてしまいそうだった彼女の姿を。
僕がいなくてもサラさんはあそこに向かっただろうから、フィーはどのみち学院に来れただろう。
ひとりぼっちのままにはならなかっただろう。
それでもまた。
この場所で、あの光景を思わせる。
「…………」
僕がいなくてもフィーは学院に来れた。
けれども、僕がいなかったら誰にも見つけられずこうしていたんじゃないか、と思うと胸がザワザワする。
いや。
あるいは誰かに見つけられていたかもしれず、その誰かと親しくなって、Ⅶ組の皆とも仲良くなって、色んな困難を乗り越えてそのまま――あれ、なんでだろ。いいことのはずなのに今度はイライラしてくる。
しかし、そんな出所の知れない感情よりもハッキリしてるのは、僕が隣にいるのにそんな姿を見せる事へのムカつき――
「フィー」
「……な」
に、とまで言わせず僕はいつものケースを無雑作にフィーの頭上へと振り下ろした。
どごん、と鈍い音が鳴る。
「なんのつもり……!」
だが人を潰す手応えは感じられず。屋上の床が少しばかりへこんだだけだった。
そりゃ躱されるか、当てる気なかったし。
まあ、いくらスキだらけでもこれくらいなら咄嗟に飛び退けて当たり前だよね。それくらいできなかったらとっくに倒してる。
「ごめんごめん、ちょっとムカついてさ。ついつい手が出ちゃったよ」
「……やろうっていうなら――」
「そうやって無くなったモノに目を向けるのやめなよ」
言いつつ双銃剣を構えようしたフィーの言葉を今度は僕が遮る。
「うちの団長――父さんも、キミんとこの団長も、あんなに強くたって人間なんだからいつかは死んでしまうんだ。それが早いか遅いかだけだなんて、僕達はよく知ってるだろ? どれだけ大きい団だって無くなる時は無くなる。同じことさ」
昨日まで話していた身内や知り合いが、次の日に死んでたって不思議じゃない。
それどころか自分が死んだって全然おかしくはない。
そして僕達はそのことに文句を言える立場でもないだろう。
僕やフィーみたいに猟兵になるしか選択肢が無かった例もあるが――大半は望んで戦場に赴き、誰かの命を奪っているのだから。
「あれだけいた団員が誰も団を引き継がず、キミを残して去って行った理由は僕にはわからないし、同情もするけれど。死んだわけじゃないんだからいつかは会える時も来るんじゃないかな?」
「……だからみんなを思うのはやめろって?」
「あ、いや。するなとは言わないから。居場所が全部無くなったワケだしね」
なんて、普通の事をもっともらしく言っているだけなのだが、それを聞いたフィーが若干しゅんとしてるので頭をかきながら、ついでに括った髪の先をくるくる弄びながら僕は慌ててフォローを入れる。
自分が同じ立場ならどうなるかわかんないし。少しだけ悲しいのは確実だろうけど。
「……なんていうか、つまり、僕が言いたいのは、無くなったモノより残ってるモノに目を向けようよってことかなあ」
「残ってるモノ……?」
「あはは、育ての親も仲間も居場所さえ無くなりましたが、『宿敵』は隣にいますよ?」
「……ぁ……」
そう言って僕は僕を指差してみた。
いや残ってるモノで思いつかなかったって事は、やっぱり僕はただの敵の一人なのかもしれないな……。
そう考えるとこっちまで沈んでくる……。
まあ僕が勝手に決めた事だから片思いでも構わないんだけど――。
「――キミは『レイ』の名を許した数少ない一人で、僕の特別な、『闘神』における『猟兵王』のような、誰にも譲らない僕の、僕だけの終生の『宿敵』だと思ってるんだよ?」
「……」
「ってこれ、昔レイって呼んでーって言う時ついでに言ったと思うけど、忘れてた?」
「…………」
「あれ、フィー?」
「………………」
「僕、結構いいこと言ったと思うんですけどー! 無視ですかフィーさーん!」
聞こえてはいるよね、少し離れてるけど真正面にいるし。なぜか俯いてるけど。
……また笑ってるのかな。時々僕をおちょくってプルプルしてるし。
ちょっとレイはクサいからこっちこないでとかそういうあれだったらどうしよう。
……そんなに変な事言ったかなあ?
「ねえフィー」
「待って。あと三十秒くらいこっち来ないで」
「…………」
ひどいことを言う。
やっぱり変だったのか。
「……あんまり笑うのやめてよ。僕からしたら真剣だったんだよ」
「知ってる。それに笑ってない」
「じゃあ、そっち行っていい?」
「だめ」
「…………」
なんなんだ一体……。
仕方ないので、フィーが復活するまでの間、僕は柵にもたれかかりつつ景色を眺める事を再開したのだった。