○・○・○・○・○
「エルノア様、私たち、本当に大丈夫だよね…?」
そう言って、怯えた様子の雌ゴブリンはエルノアのポンチョの端を掴む。
エルノアへ出したリムルの命令は、戦えない者と村の中央で待機。柵を突破されたらこの子達を連れて逃げるというものだった。
負傷していたゴブリン達は、昼の間にリムルの回復薬によって全員戦線に復帰している。そのため、ここにいるのは年老いたゴブリンや、戦えない雌ゴブリン、そして子供達だった。
センサーの範囲を最大にあげて、相手の位置と味方の位置、リムルの位置をマーキングしていく。其々の魔素量や動きの予測を立てて見てみると、ゴブリンに比べて牙狼族の方が数値は明らかに高い。
だけど、そんなもの達とは比較にならないほどの存在が一人いる。
「………」
『大丈夫ですよ。リムル様を超える魔素を有している個体は、牙狼族の中にはいないようですから。そもそも足元にも及んでいませんね』
パッと顔を上げた雌のゴブリンはエルノアの顔を覗き込む。
不思議な声が聞こえたからだ。明らかに、エルノアの口元は微動だにしていない。無表情のまま、雌ゴブリンを見つめて立っているだけだったのに。
にも関わらず、大丈夫だと、安心させるような声が聞こえたのだから、ハルナは驚いていた。
「大丈夫。リムルが突破される可能性は、ゼロ。だよ」
今度こそ、エルノアから発せられた声が聞こえた。
黄金の色に輝く瞳と、整った顔立ち。不安など微塵も感じさせない佇まいのエルノアを、戦えない者たちはまるで勝利の女神ではないかと思っていた。
「始まった、ようですな」
外からはゴブリン達の雄叫びと、イヌ科特有の甲高い雄叫びが響き渡り、村長はそう呟く。
その後、どんどんと減っていく赤いマーカー。牙狼族が村へと入る前に息絶えているのだ。
「そうだね。でも。すぐに終わるから。大丈夫」
そう言って、エルノアは静かに外を見つめていた。
○・○・○
──エルノア
マッピングした牙狼族の数が次々と減っていく反応と、集音機から入る会話から早々に戦いは終わったのだと言うことはわかった。
リムルの反応が大きく膨らんだようだけど、この現象には覚えがある。
それは『擬態』。リムルの持つ『捕食者』の持つ能力のひとつ。
僕の兄変わりで、家族で、転生者。
元々はスキルなんて無い世界の人間だったと言うが、今はスライムという魔物の身体になって、スキルを完全に使いこなしているのは才能というものなんだろうか。
よくわかっていない僕に対して、向き不向きがあるからとは言っていたけど、自分が使いこなすような姿は想像できないな。
そんなリムルが群れのボスを排除して新たなボスに君臨したらしく、牙狼族もリムルへと忠誠を誓ったようだ。
今は生き残りの牙狼族は村の周辺で待機させ、ゴブリン達と共に戻ってきたリムルが、僕の前までやってきたところ。
「ただいま」
「おかえり」
そう言ったリムルに返事を返したところで、ゴブリン達はリムルにそれぞれの言葉で感謝を伝えている。
その様子を眺めていると、さっきまで隣にいたゴブリンがまたもぐいぐいと裾を引っ張ってくる。
「エルノア様の言う通りだったね。本当にありがとうございました!」
「……? 僕は、なにもしてない。よ?」
「それでもです!」
一緒に待機していただけだと言うのに、なんなんだろう。
一方的に伝えると、雌ゴブリンは小屋から出て行った。
「エルノアも随分懐かれたみたいだな。何かあったのか?」
「懐く……いや、何もない。よ?」
労いも感謝も落ち着いたところで、牙狼族との事は明日にしようと言う事で、其々が各々の小屋へと戻り、僕とリムルはあてがわれた小屋の中に2人でいる。
「なぁ、エルノア」
「?」
「俺たち、この村で暮らさないか? まだ右も左も分からないけど、まずはここに居場所ができた。ゴブリン達もあと牙狼族も俺たちに忠誠を捧げてくれてるわけだし」
「たち? リムルに、だよ。それに、僕は大丈夫。リムルに従うから」
「俺たち、だよ。さっきの雌ゴブリンも、あの若いゴブリンも、エルノアの事を良く言ってくれていた。優しくて強くて、綺麗だって」
そうは言われても、どっちもいっぱいいるのでどの個体の事を言っているのかわからない。なので、シロマに聞いてみるとどちらの個体も教えてくれた。
「あぁ、名前がないと不便だな……よし、明日は全員に名前をつけよう」
「うん」
そう言った後、リムルはズイッと僕の前に来る。
持ち上げて欲しいのか、両手でリムルを顔の前に持ち上げてみると、その軟体な身体をモゾモゾと動かしていた。
「こうして欲しかったんじゃ、ないの?」
「違う違う!でも、まぁちょうどいいか。エルノア、俺に従う必要は無いんだ。俺はエルノアの意見も聞きたいし、エルノアが嫌なら一緒に考えたいんだ。妹だと、家族だと思ってるし、従うとかじゃないんだ。俺はエルノアが、どう思ってるかを聞きたいんだ」
どう、と言われても。と言うのが正直な話。
そもそも末の子が親や長子に従うのは普通のこと、だとデータにあるのだけど。
「判断材料もないし、妹だとしても、兄であるリムルに従うのが、当然」
「そうかぁ…なら、判断材料が増えれば、自分で考えられるか?」
「……リムルは、僕に何をさせたいの? そんな事言われても、わからない。よ」
「エルノア……」
この会話の意図もわからない。
何を求められているのかも、なんて、言って欲しいのかも。
『エルノア様、私が話してもかまいませんか?』
「…うん」
シロマには、わかるのかな。
『リムル様。 エルノア様は、あえてリムル様が求めている答えを言いませんでした。"わかった"と、一言言えばリムル様が満足されるのはわかっていた上で、です。ですが、今エルノア様は考えていらっしゃいます。これが今の答えではダメでしょうか? エルノア様も、もちろん私もすぐにそう言った思考を出すのには、もう少し学習する時間が欲しいのです』
僕の顔の前で、リムルはシロマと話している。
シロマの言っていた事は本当で、言って欲しいのだろう言葉はわかっていたんだ。
なんで僕は、求められている答えを言わなかったんだろう。
○・○・○
──リムル
あぁぁぁあ……
完全にやってしまった。
エルノアが産まれたばかりの赤子と変わらないと言う事はヴェルドラとの話でも、一緒にいた期間でもわかっていた事なのに。
簡単に事が落ち着いたので調子に乗ってしまったのかもしれない。大きな仕事を終えた後、妙に気が大きくなってしまう時のような、後輩に偉そうな事を言ってしまう時のような……
シロマに教えられたな。流石は元超未来のテクノロジーを持った世界の中でも最新鋭のAI。シロマの言う事はもっともで、人と話し始めて数ヶ月とは思えない言動と、まだ中高生くらいのようとは言え、その完璧とも言える容姿のせいなのか、急ぎすぎたようだ。
「エルノア、ごめん」
「……気にしてない。よ」
ゆっくり、本当にゆっくりだけど、彼女は自分の事を話してくれた。
今、なんとなくでもわかり始めた事を色々と教えてくれた。
それは他人の感情や、言葉の意味のこと。意味はわかっても理解ができないのだという。
本当に、小さな子供と似ている。
なんでわかってくれないのか。
なんでそんな事を言うのか。
自分は何をしたいのか。
わかってくれないから泣き叫ぶし、わからないから機嫌を悪くする。
泣かないし、怒らない分、エルノアはずっと良い子じゃないか。
「わかろうとは、してみる。シロマも、頑張ってくれるって、言ってくれたから」
『はい! 一緒に頑張りましょうね。エルノア様♪』
「シロマは、ユニークスキルになって、変わった。と思う。僕も、変わる、のかな」
不安、と言うわけじゃ無いのかもしれないけど、人からスライムに変わった俺よりマシとは言え、なまじ人生経験がない分、転生という事をまだ受け入れられていないのかもしれないな。
「いや、変わるとかじゃないさ。エルノアもシロマも、これからなんだからな。俺もまだまだだ。一緒に、成長しような」
「一緒、に…………うん、わかった」
これは、ちゃんと考えた上での返事だってわかる。
大丈夫。
俺のスライムとしての生も、エルノアのここでの生も、まだ始まったばかりなんだから。