逢魔時。赤の空が夜に覆われつつある、境目の時間帯にて。
ついなは宴会場として使っていた部屋に、これでもかと札を貼り、一通りの儀式を終わらせた。
「……おしっ。これで大丈夫や思うわ。
コナンの坊っちゃんと服部の兄ちゃんは狙われとるさかい、こっちで直接守った方がええから連れてくで」
ついなは言うと、二人の手を引いて、札だらけの襖を開ける。
と。これまで傍観していた和葉が、不安げに声を漏らした。
「な、なあ…。ほ、ほんまに蜘蛛御前っておるん……?」
「おらんかったら、こんな儀式しとらん」
ついなはそう返すと、襖を閉めようとする。
ここで閉めれば、夜が明けるまでの間、蜘蛛御前が展開する結界から干渉は出来ない。
と。ついなは閉める直前で、思い出したように和葉たちに迫った。
「ええか?一枚でも剥がしてみ?あっちゅう間にあの死体の仲間入りやからな。
溶かされて、意識あるままでちゅーちゅー吸われとうなかったら大人しくしとき」
その言葉に、頼りにはならないものの、残される面々の中では唯一の男である小五郎と抱き合った二人は、コクコクと頷いた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「……今さっき日ィ落ちたばっかやんな?もう真っ暗やで」
「そら結界ン中入ったらそうなるわ。
相手にとって、居心地いい住処やしな。祟り神やとこんなもんやで」
先程、逢魔時を迎えたばかりだと言うのに、空はどんよりと黒く染まっていた。
服部はその空を見上げながら、不安げについなに話しかける。
と。ついなが頭部に被った四つ目の面…方相面が、怯える服部とコナンを嘲笑うように、カラカラと笑った。
二人がソレに驚き、ビクッ、と肩を震わせ、後退りする。
「ディクソン、あんま人を驚かすなや。
アンタの声は、服部の兄ちゃんらにゃ聞こえんよ」
ついなが宥めるように言うと、ディクソンと呼ばれた方相面から、呻き声にも似た鳴き声が響く。
どうやら不満なようだ。ついなは方相面を軽く小突き、無理矢理に黙らせた。
と。服部がふと立ち止まり、不気味な静寂が抱擁する空気に耳を澄ませる。
最初こそは聞き間違いかと思うほどの微かな音だったが、段々と大きくなってくる。
「…工藤、なんや聞こえんか?」
「……確かに、聞こえる…」
足音だろうか。しかし、ソレにしては、やけに音が重い気がする。
その重さに反して、音が何十奏にも奏でられていることに、疑問を感じる二人。
いち早くその正体に気づいたイタコが、二人を手で制し、下げさせた。
「見えない人にも感知できるほどに、現世に影響が及んでますわ…。
ついなちゃん。当初の見立てよりもだいぶ深刻ですわよ」
「分かっとる。ディクソン」
ついなは方相面の口に手を突っ込むと、そこから三叉の槍を引き抜く。
イタコも、目には何処か野性味を感じさせる光が灯り、その臀部からは、揺らめく炎にも、霊魂にも似た九つの尾が生える。
二人はその光景に目を白黒させながら、現実離れした光景に戸惑いを漏らした。
「なっ、なっ…!?」
「なんじゃそりゃあ…!?」
「こう言う世界もあるのですにゃあ。
手ぶらじゃ、今来るご馳走を調理できないのですにゃあ」
「にゃ、にゃあ…?」
イタコがいつにも増して奇抜な語尾で、コナンと服部に教鞭を取る。
抽象的な物言いに、二人が何のことかと思っていると。
倉から轟音が響いた。
悲鳴を幾重にも重ねたような、歪な合唱。歌うのは、ベートーヴェンの交響曲第九番。「歓喜の歌」とも称される、祝福の音楽が、祟りから放たれる。
「うっわ…。だいぶ混じっとる…」
「美味しそうですにゃあ」
「……ホンマ悪食やな」
「グルメとおっしゃってくださいまし」
妖艶に指に舌を這わせるイタコ。
ついなが呆れたため息を吐くや否や、視界が大きく揺れ始めた。
「っ、な、なんや…!?」
「地響き…?いや、ソレにしては何かが倒れる音が聞こえない…?」
二人が疑問に思っていると、答えは向こうからやってきた。
以前見た、蜘蛛御前の人形と同じ風貌の女が、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのだ。
女が歩いているだけ。ただそれだけなのに、歩みに重なるように、幾重もの足音が響く。
影からの歌声が、絶えず女を祝福する。
その悍ましさに当てられてか、コナンと服部の肌は、毛穴が閉じて鳥肌になっていた。
と。ついなが近づこうとする女に詰め寄り、その喉元に槍を突きつけた。
「人のフリなんてせんでええ。ええから正体見せぇ。いてこますぞ」
『今代の方相氏は気が短いな』
女と男が同時に話しているかのような、気味の悪い声が、その喉から響く。
同時に、影から幾多もの蜘蛛の子が現れ、ついなを取り囲んだ。
「邪魔や」
ついなが言うと共に、蜘蛛が握り潰されるようにして潰れる。
体液が噴水のように噴き出す中、蜘蛛御前はくすくすと笑い、ついなから距離を取った。
『まったく。ゆっくり食事もできやしない』
蜘蛛御前が言うや否や、蜘蛛の糸が四方八方からコナンと服部を襲う。
元より運動神経抜群ではあるものの、不意打ちに近い形で、しかも高速で迫るソレに争う術を持たない二人。
そのまま絡め取られてしまうかと思われた、その矢先。
青白い炎が、蜘蛛の糸を焼き尽くした。
「あら、これ以上肥えては、エグ味が目立って不味くなりますにゃあ。
私は美味しく頂きたいの」
『狐…、いや、荼枳尼天…!?
何故、指折りの祟り神である貴様が方相氏と連んでる…?』
揺蕩う炎に見覚えのある蜘蛛御前は、その正体を看破し、首を傾げる。
狐。「荼枳尼天」と呼ばれる祟り神であり、東北イタコが身に宿す…というより、完全な事故で宿してしまった神である。
因みに、イタコはこれを誤魔化すために、憑いてる狐を「ニヒルでハンサムなキツネ」…略して「NHK」と偽っている。
その力は、大半が事故によって吹き飛んでしまったとはいえ、他の祟り神を喰らい尽くせる程には大きい。
ソレもそのはず、荼枳尼天は成り立ちから、宇迦之御魂神…日本人であれば誰もが知っている稲荷神社に祀られている神と習合している。
つまり、稲荷神社の信仰は、必然的にほぼ全てが荼枳尼天にも結びつき、神としての位が底上げされているのだ。
もうお分かりだろう。魔を祓うことを生業とした方相氏は、祟りそのものである狐にとって、バリバリに天敵なのである。
ついなの祖先…役小角と死闘を繰り広げたこともあり、その際は本体の八割を吹き飛ばされたという。
「そりゃあ、この体の主に言われてるからですにゃあ。『これ以上好き勝手するのであれば、私ごと自害する』と。
生意気にも抑え込む力は最強レベルですから、自害されたら今の私は消えますの。
だから、この小娘には従うほかないのですにゃあ」
「はっ。イタコさんとくっ付いとらんかったら、伏見稲荷の本殿にブチ込んで封印しとったんやけどな」
「あら怖い」
二人の会話に、コナンと服部は耳打ちを始めた。
「伏見稲荷に祀っとる神様っちゅうと…、あの狐の?」
「荼枳尼天は祀られてねーよ。宇迦之御魂神と習合して、今やお稲荷さんっつーと、どっちか判別つかねー人が殆どだ。
ってか、服部。伏見稲荷は京都なんだし、オメーの方が詳しいんじゃねーか?」
コナンが服部に問うと、彼は渋い顔をする。
伏見稲荷は京都の神社である。彼は大阪生まれ大阪住まいで、別段、京都に詳しいわけでは無い。それこそ、コナンと同等の知識くらいしかなかった。
『成る程…。以前見かけた時より腑抜けたのはそのせいか…』
「はっ。地域伝承程度の羽虫が多少成長しようが、狐には関係ありませんわよ。
こんっ。…なーんて」
イタコは指で狐を象ると、その先で迫り来る蜘蛛の足を受け止める。
そこへ、ついなの槍による一閃が放たれ、蜘蛛の足を切り落とした。
「ちっ…、ほぼ手応えない…。ぎょおさん食っとるだけあるわ」
「ただ肥えただけの生肉を食う気はありませんにゃあ。ちゃんと調理してくださいまし」
「なら手伝わんかい」
「あら?この小僧どもを護ってるのは私ですわよ?」
普段の東北イタコとは違う、謙虚さのかけらもない不遜な物言い。
コナンと服部がソレに目を白黒させる傍、ついなは面倒そうにため息を吐いた。
「蜘蛛御前に当てられたのと、名前出されたせいで、意識強ぉなったな…?
イタコさーん。起きてー」
「あっちょっ余計なこと言うな方相氏……ぶっはぁ!!危なかったですわぁっ!!」
と。肌を焦す炎の勢いが弱まると共に、イタコの瞳に理性が戻る。
蜘蛛御前はそれをまじまじと見つめ、邪悪な笑みを浮かべた。
『抑え込まれてるとは、本当のようだな。
随分と愉快なことになってるらしい』
「私だって、好きでこうなったんじゃありませんわよ!!」
迫り来る蜘蛛の糸を焼き、叫ぶイタコ。
はらはらと火の粉が舞い散る中、ついなの被った方相面の瞳が煌めき、そこから四本の光の奔流が放たれる。
蜘蛛の足を千切り、小蜘蛛を焼き尽くし、蜘蛛御前の肌を焦す。
続け様に、イタコの炎が駆け巡り、蜘蛛御前を縛り上げた。が。蜘蛛御前が少し力を入れるだけで、即座に霧散する。
「な、何が起こっとるかよぉわからんけど、俺らここ居てもええんかな…?」
「バーロー。避難しようにも動いたら蜘蛛の糸で絡め取られるだろ。
それに、忘れたのか?
狙われてるのは俺らだけって話だろ。釣り餌に使われたって思っとけ」
「釣り餌なんや、俺ら…」
コナンのこの言葉は、実は結構当たっている。
というのも、祟り神や悪霊と言った魔の存在は、軒並み警戒心が強い。
彼らが自身の世界に引き込んでから捕食行為に及ぶのは、余程のことがない限りは安全圏足り得ると分かっているからである。
ついなも方相面により、潜む魔を見破ることが出来るとは言え、そこまで乱用できないという、利便性を台無しにする致命的欠点を持っている。
イタコは同じ祟り神である狐を宿している影響からか、感知することはできるが、大雑把にしかわからない。例えるなら、スマホで「近くの本屋さん」と調べた結果、大型のショッピングモールが出てきたものの、その中の間取りを知らないまま探さなければならない…という状況に近い。
では、破魔を生業とする人間は、どうやって獲物を見つけるか。
釣りや狩りと同じである。餌を用意して、相手に干渉し易くする。
その餌が、今回はコナンと服部だったわけである。蜘蛛御前の領域がその顎門を開いた際、イタコたちが同時に侵入できるように、情報を偽ったのだ。
とは言っても、これが最善の方法であることには変わらない。
あの部屋に置いておけば、小五郎たち諸共、精神崩壊待ったなしの怪奇現象が起こっていたのだから。
一頻りの攻防を終えると、二人が息を吐く。
乱れた呼吸を整えるためのものではなく、昂った感情を落ち着けるためのもの。
蜘蛛の体液を払うようにして、矛を払ったついなは、普段見ないような険しい表情で舌打ちした。
「ちっ…。やっぱ、核が強すぎる。
相思相愛もここまでいけば、立派な祟りやな」
「死別の原因を考えれば、こうなるのは頷けますわ。
…やはり、引き剥がしてしまわないと」
ロバート・テイラーと武田美沙。二人の愛は最早、祟りと化している。
その祟りは、美沙の両親と、その仕事仲間…果ては、無辜の民すらも喰らい尽くして尚、収まることを知らない。
蜘蛛のはらわたで誓われた愛は、世界すら許さない。
その怨嗟が込められた愛こそが、目の前に顕現した蜘蛛御前の核である。
つまり、二人を引き剥がせば、蜘蛛御前の力の大半は失われるということになる。
「無理やろ。二人ごと喰うてまう方がよっぽど早いわ」
「それこそ無理ですわ。狐は精神的に弱らせた獲物しか喰いませんもの」
「…やんなぁ」
そこに、ほぼ不可能という前提がなければ、いい案だったのだが。
イタコが片方を降ろせば、イタコごと蜘蛛御前の腹の中へ行こうとするだろう。
一週間かけて力を削いでいき、弱り切ったところを食うという戦法もあるにはあるが、その間にどれだけ犠牲が出るか分からない。
であれば、取れる手段は一つ。
「……しゃーない、あんま使いたないけど、降ろすわ。引き剥がしたら食って」
「分かりましたわ」
「あ、二人とも喋らんといてよ。……目移りしてまうから」
ばきり。
ついなの体から、明らかな異音が響く。
方相面の牙が、鬼の角のように伸び、爪が空を裂かんばかりに鋭くなる。
ついなの乳歯が混じる、成長期らしい歯も、その面影すらない獣の牙となる。
その姿は、まさに鬼。
『なっ…』
蜘蛛御前が声を出し切るのも待たず、そのか細い喉に爪が刺さる。
ついなの目は、瞳孔がかっ開き、理性など欠片もなかった。
先ほどコナンたちに告げた「目移りする」という言葉は、的確だった。
ついなは鬼神を降ろしたことで、暴虐を振る舞うだけのバケモノと化していたのだ。
しかし、極めて危険な状況というわけでもない。いくら方相氏の中でも歴代最高峰とはいえ、ついなは成長期の子供。体は未成熟であり、この姿は三十秒と保たない。
しかし、少し力をつけた程度の地域伝承にとっては、恐怖そのものと言えた。
『ぐ、がっ、がっ…!?』
雄叫びを上げながら、剛腕がその胸へと侵入する。
魔を引き裂き、掻き乱す力を込めた腕が、霊魂を二つほど掴み、引き剥がそうと力を込める。
蜘蛛御前はそれを許すはずもなく、蜘蛛としての本性を表し、暴れ始めた。
『離せ!!離してくれ!!』
『やめてよ!!ここで幸せになるの!!邪魔しないでよぉ!!』
霊魂から、聞き覚えのある声が響く。
以前、コナンたちが暴いた事件の犯人たるロバート・テイラーと、その恋人である武田美沙の声。
子供が縋るような叫び声に、服部とコナンが恐怖に唾を飲み込んだ。
「がぁっ!!」
『『いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』』
そんな嘆願など、バケモノに聞き入れられるわけが無く。
肉がちぎれる音と悲鳴が轟き、蜘蛛御前の体の一部が崩壊した。
と。そこへイタコが歩み寄り、蜘蛛御前の体に触れる。
「いただきます」
ぐちゅり。
噛み潰すような異音が、コナンたちの耳に響いた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「ご協力、感謝します」
被害が多いだけに、東都の警察も駆り出されたらしい。
ついなに敬礼する公安の風見に、小五郎が同情の視線を向ける。
というのも、風見の目元には、明らかにここ数日は寝てないと主張するような、それはそれはもう分厚い隈があった。
「鳥取まで来て、ご苦労さんやなぁ…。風見っちゅうたっけ」
「ええ。休暇返上ですよ」
「目元見るからに寝てへんよな、あんた…」
「はははっ。1ヶ月前はそうでもなかったんですけどね」
心労が祟って眠れていないだけである。
というのも、ついなが来てからか、米花町では怪奇現象騒ぎが頻繁に起こっているのだ。
お陰で公安は大忙し。黒の組織としての任務や、ポアロのバイトまで熟さなければならない降谷は、疲労が祟ってバイト中に倒れている。
酷な事実ではあるが、ついなたちは怪奇現象の増加に関与していない。寧ろ、こうならなかった方がおかしい町なのである。
「コナンくん、大丈夫だった?」
「うん。なんとか」
「平次、どこも食われてへんよな?蜘蛛御前に食われてへんよな!?」
「べたべた触んなや気色悪い!!どこも食われとらん言うとるやろ!!」
死地から帰ったコナンたちは、その帰還を喜んだ蘭と和葉にもみくちゃにされていた。
食われはしなかった。ただ、トラウマは残ったが。
探偵として、事件や謎にガンガン首を突っ込むタイプの二人。今回のことで、世の中には知らない方が良いこともあると思い知った。
「…で、取り込まれていた霊は?」
「天に帰りましたわ。きちんと供養すれば、化けて出ることもないでしょう。
蜘蛛御前は祟り神として蓄えた力を失いましたが、またいつ活性化するかわかりません。
祠を建てておいて下さい」
イタコが一通り説明すると、ふぅ、と息を吐いた。
「あー…。久々の大仕事で疲れましたわぁ」
「ほんまやわ…、もう暫く、祟り神とは戦いとうないわ…」
漏れ出たのは、心の底からの叫びだった。
しかし、彼女らは知らない。
この戦いが、ほんの序の口であることを。
荼枳尼天…イタコさんに憑いてる狐。悪霊を食おうとして齧り付いたタイミングで、その霊をイタコさんが降ろして合体事故を巻き起こした。悪霊は余波で消し飛んだ。
合体事故で力の九割が吹き飛んでしまったものの、それでもとんでもなく強い祟り神。現在の状態であれば、ついなには余裕で負ける。
イタコと協力して力を蓄えているのは、癒着してしまった体を元に戻すため。精密な作業を要求されるので、最低でも50%まで回復する必要がある。
ディクソン…ついなちゃんの方相面。実は鬼神。お茶目な性格で、笑ってた時はジョークを言ってた。ウケないと機嫌が悪くなる。普段は二人のお家で寛いでおり、一日中バラエティ番組を見ながらゲラゲラ笑ってる。最近、洋酒に凝っているらしい。