※未成年の喫煙は違法です。
とある高等学校の屋上。少年が一人、錆びついた鉄柵に背を預け、座り込んでいた。
彼は、手元の紙巻き煙草を口元に運ぶと、ゆっくりと深く呼吸をして、肺の底までタールを沈める。今年で十七になる見通しの彼にとって、それは立派な不法行為であり、少なくとも、そこらの中学生が改造自転車でそこらを走り回るなどよりもずっと、悪質極まりない行動の筈だ。
しかして彼の少年の所作は、年不相応に完成されたものであり、遠慮も躊躇も感じさせないまでに自然と、言葉通り呼吸をするかのように、空へと煙を吐き出していた。
見る人によっては成熟仕切った者の仕草に見えるその佇まいに、敢えて違和感を持つ隙を見出すなら、これまた年不相応に皺の寄った眉間だろうか。
その表情は、内向きの棘を作っているようで、しかして己の度を越した非行に、罪悪感を抱いているような風でもない。どちらかと言えば、何者かを責めるような、この世の何れかに嫌悪を示しているかのような、そんな表情だ。
人間であれば本来は外に向けるべき、嫌悪や排斥の感情を、無理に真逆へと捻じ曲げた故の矛盾。そこから生じた精神の摩擦熱が、逃げ場を求めて表情筋に寄ったのである。
早い話が、彼は自身の感情を上手く発散出来ない
彼の制服の内ポケットには、今彼の手元にある紙巻き煙草の外箱が入っている。同年代の平均よりも、ほんの少しばかり恵まれた体躯を生かし、ほんの少しばかり年齢を誤魔化したということはあっても、この煙草の入手元は普通に普通のコンビニエンスストアである都合、その外箱に、喫煙の危険性がどうたらこうたらと、世間の風潮に押し負けたメーカーの、苦し紛れな注意書きが添えられているのは、正規の煙草と全く同じところである。
そして彼は、その外箱の注意書きを、一から十まで読み切った上で、八割近くを無視している。裏面に書かれる「様々な疾病」こそ、彼の目的として最大のものであるが故に。使い物にならなくなった身体なぞ、壊れて仕舞えば良いのだと、彼の少年は本気でそう思っていた。
「また煙草か、非行少年君」
そんな彼に、視界外から声を掛けて来たのは、少年のものと近しい趣向の服を着込んだ少女であり、つまるところこの学校に於ける同輩だ。とは言え歳の話をするなら、彼女の方が一つ上だったりもするのだが、この二人に於いては、高々一つ二つの年齢差が優劣を決定付ける要因にはなり得ない。実のところ、彼と彼女は十年来の付き合いがある幼馴染だったりもするのだが、これもまたことこの場に於いては、関係性を左右する原動力足り得ない。
幼馴染で、先輩後輩で、その上異性でもあって、と。彼と彼女の関係は、一見すると複雑なこと極まりないが、しかしてこの状況では全く単純なことである。彼女はこの学校の風紀委員を務める者であり、彼はいっそ潔く映るくらいあからさまに法を破るスーパー非行少年。お互いがお互いのやるべきことを、取るべき態度を知っていて、それを淡々と消化するばかりの薄っぺらな関係なのだ。
季節柄か、五時過ぎにはもう落ち掛けている陽が、その暖かみを出し渋ってくる。時折吹き抜ける風の冷たさに、いよいよお世辞にも心地良いとは言えなくなってきた屋上で、彼と彼女の間に生じるものと言えば、彼女が彼の非行を責めて、彼がそれを適当に受け流すだけの、さして実りのない会話のみだ。
彼も彼女も、そんなことを毎日のように繰り返して、良い加減半年が経つ。だからこそ、彼はいつものように彼女の言葉を聞き流すばかりで、今日のところは終わるものだと確信していたし、それ故に彼は、自身の不法行為を咎められていることについて正しく認識しながらも、特別気を張っていた訳ではなかった。
と、こういった経緯があるからして。彼女が一通りのテンプレを消化しきったあと、相も変わらず暖簾に腕押しな現状をさして気にせぬまま、一旦は終わった筈の問答の、その次に続ける彼女の言葉が、常と少しばかり異なる趣向のものだったことに、彼が思わず煙草を取り落としてしまうくらいの動揺を見せたことは、ある種当然と言えなくもない。
「私は、少なくともこの半年、君の体を思って言葉を掛けていたつもりだったんだけどね」
そう言う彼女の顔は、一応幼馴染として、幼少からそこそこ関わりのあった彼にとっても、ここ十年で一度たりとて見たことのない、哀しげで、儚げなものだった。
彼女と言う既知の中から、未知を見出してしまった彼は、これまたもの凄く動揺した。それこそ、みっともなく縦に跳ねた肩が、寄りかかっていた鉄柵を揺らしてしまうくらいに。
かしゃん、と軽い音が鳴った。目の前の人の声を、全く遮らない程度に、小さく。少年は、自身の心の揺れ動きを、その具合までまるっきり真似たような、この音が酷く気に入らなかった。
が、そんなことも彼女はさして気にせず、ゆっくり、切々と、言葉を続ける素振りを見せた。彼はと言うと、突然の未知に身構えるばかりで、言葉を返すまでは頭が回っていない。
「私はね、極論校則も法律も、なんだってどうだって良いと思っているんだよ」
彼女の言葉は、一見すると独白のような形を取っているが、しかして目の前に座る少年へ、自らの思いを届ける意図があった。少年も少年で、それを理解出来てしまっているが故に、臆病ながらも受け止めるつもりで居座っているのだ。
「もし君が、一年生の頃に“あの”挫折を味わって、こういう人間になっていたとして。その時の私は、ただの図書委員でしかなかったけど、それでも君をこうして咎めることはしたと思う」
彼女の言葉は、彼にとってあまり心地の良いものではなかった。胸の奥が軋むような、瞳の奥が滲むような、とにかく惨めな気持ちにさせられる、辛くて怖いものだった。
「君がまだ中学生の時に、こうなってしまっていたとしても、私は止めるよ。絶対に。それが君のためだと私は信じているし、疑わない」
私達が小学生の頃とか、それくらい遡ると怪しいけれど。
そう続ける彼女の口元は、昔のように弧を描いていて。それを愛しいものだと捉える程度の情緒なら、彼の少年にも備わっていて。
だからこそ、泣きそうな顔で笑う彼女と、目を合わせることも出来ない、己の臆病さを心底呪っていた。
「私は、この半年、君にお小言を繰り返していたね。余計なお節介だと何度か自分でも思った。校則を破って屋上に籠るのも、法律を蹴飛ばして煙草を吸うのも、君個人の自由なんだと、何度も何度も逃げ出したくなった」
かつての彼女は、かつての彼の記憶に残る彼女の姿は、温かくて、優しくて。
「でも、でも君は、まだ若い。一つしか違わない私が言うのもなんだけど、まだもの凄く若い。今のうちから煙草なんか吸ってたら、いつか大病を患ってしまうかもしれない。君がそうなることを望んでいるのも、私がそうならないことを願う論理的な理由なんてないことも、重々承知した上で、君には長生きして欲しいんだ」
彼は、温かだった筈の彼女が、彼女自身の涙に濡れて、冷え込んでいくのを見た。
彼は、彼女の優しさが、己の所為で彼女の足枷になっているのだと、いよいよ確信した。
「なんだって良い、何をしたって、何をしなくたって良い。だから、頼むから、
彼は、未知に当てられて火照った頭で、彼女の言葉を咀嚼した。咀嚼して、咀嚼して、嚥下した頃には一旦の結論が出ていた。即ち、彼女はあまりにも優しすぎるのだ、と。
彼は、彼女から自身に向く優しさの源を、悉く誤解していた。己が彼女に出来る唯一の報いは、彼女の優しさを振り切ることなのだと、手酷く誤認していた。
「煙草をやめさせたいだけなら、警察にでも駆け込めば良かったじゃないか」
だからきっと、こんな無茶苦茶で残酷な、言い訳としても苦しいような馬鹿な言い分が、喉元から出てこれたのだろう。
彼は、動揺を口に出さないよう気を付けて、ゆっくり、しっかり、平坦な声で喋ることに勤めたが、しかし声の震えはどうしようもなかった。そしてまた、人間というのは不思議なもので、彼のその酷く平坦な口振りと、責めるような言葉から、その声の震えは悲しみに由来するようにも、怒りに由来するようにもとれる、絶妙な塩梅だった。
「君が何かしら証拠を警察に持ち込んで、僕が未成年ながら煙草を吸っている非行少年なんだと打ち明けてくれば良かったじゃないか。そうすれば、事勿れ主義な先生方も慌てるだろうし、なんなら僕の親だって、海の向こうからすっ飛んでくるかもだし」
そしてまた彼女も彼女で、半年もの間、彼の自傷を止められなかった罪悪感に押しつぶされていて、冷静な思考が出来ていなかった。そもそも、彼と彼女は十年来の付き合いと言えど、ここ数年は殆ど関わりがなかった訳で、そんな状態からここまで動揺した頭で、彼という人間の本質までを考慮出来る訳がなかったのだ。
「そこまで事が大きくなれば、煙草なんかすっぱり諦めるさ。知っての通り、別に好きで吸ってる訳じゃないし」
だから、この滅茶苦茶な論理を聞いて、彼女は自分を責め苛むような考えへと至った。一晩と経たずに矛盾がそこかしこから見つかるような、有り体に行って無理のある解釈だったが、彼の少年の気迫と、自らの抱える罪悪感に、押し切られてしまったのである。
「流石の僕も、おまわりさんに言われれば、煙草なんかすぐに捨てたのに」
優し過ぎる彼女に見捨てられたかった彼と、その彼に負い目しか持っていなかった彼女のすれ違いは、この日この時を以て、最大限拡大した。
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色々な事情ありきで、大分変な関わり方をしたこの二人が、なんだかんだで仲直りした挙句、勢いそのままゴールインまで行っちゃったりするのは、大体これから十年後の話となる。
彼くん:悪い奴では間違いなくないが、今のところはクズ。好きになって貰えるキャラじゃないのは保証できるけど、色々事情があってこうなってることだけは知っておいて欲しい。現高校二年生。
彼女ちゃん:聖人。以上。特に書くことなし。強いて言うなら今回は少し情緒が不安定。現高校三年生。
続きは多分書きません。書けない気もしてます。
あと一応、クソややこしい書き方ですが別に「彼」くんと「彼女」ちゃんは、別に彼氏彼女の仲じゃないです。名前が出てきてないだけです。