目が覚めるとそこは……デジャブ?
既に日は暮れており、保健室の電気は消えていた。
「ええと、電気電気」
壁を伝いながらスイッチを探す。
少し探したところで出っ張りを見つけ、それを押す。
すると眩しい光が目を襲う。
景色が暗くなり、目を開けることができない。
数秒して、そろそろ慣れただろうと目を開ける。
その先に見えたものは、立ったまま不動の『人』だった。
「うわぁっぷ」
俺は腰が抜けるとはいかなかったが、2歩3歩後ずさりはした。
その人は俺が叫んだことにより、こちらへと目を向ける。
起きてたのかお前。ってか怖いわ。なんで暗闇の中で立ってるんだよ。
「すまん驚かせた。ラムネ先輩に見張りを頼まれたんだけど、暗闇はどうも落ち着いちゃってね」
その男は目を擦りながら事情を説明する。
それはそうとして、次から次へと人が出て来てとても覚えられない。
どうせこの人も自己紹介して握手を求めて来るんだろうな。
男の方を見ると、立ったまま寝ていた。
「名乗らないのかい!」
思わずつっこんでしまった。もう灯ついてますよ?
まあ、よく考えたら道ゆく人に片っ端から名刺渡すのって普通じゃないもんな。
名乗るなら俺からってのが筋か。
「さっきは大声出してすまん。俺の名前はチェイサー・ストリートだ。そっちは?」
「ん、ああ。俺はヘブン・ツェルンっていうんだ。よろしく」
そう言うとまた目を閉じる。
もう、ぐっすり寝てください。
踵を返し、扉に手をかけ横にスライドさせる。
廊下は真っ暗で、灯は保健室の光のみだった。
後ろからの光により自然と自分の影が差す。そこには不思議と2つの影があった。
驚いて後ろを向くと、そこにはカタカタと音を立てた人形が立っていた。
人に似てるが明らかにおかしな首の動きと、肌に体温を全く感じない見た目から人形と結論づいた。というより、カタカタって音が決め手だった。
人はあまりの予想外の出来事だと声が出ないらしい。
俺が硬直していると、人形の後ろからヘブンの声がする。
「そうかチェスが起きたから、もう解除していいんだったな」
その直後、俺の目の前の人形がヘブンに取り込まれる様にして消える。
「へ、ヘブンの能力だったのか。ビックリさせんなよ」
俺の見張りって人形がしてたのか。結局この人寝てただけじゃん。
ヘブンは腕を組み、こちらを見ている。
「なんだよ」
「いや、ラムネ先輩の言う通りチェスはタメ口なんだと思ってな」
少し面白がって話すヘブンの姿を見て、俺のタメ口リストに新しくヘブンが追加された。
というか、さっきから気になっていたラムネ先輩っていうのは、もしかしてナインハーズのことか。
ライムネスだからラムネなのか? 今度呼んでやろう。
「ヘブンは教師になってあんま経ってないのか?」
先輩がいるからという安易な理由でヘブンに尋ねる。
「まあ、そうだな。今年で9年目になるな。いや、10年目か? ……8年?」
答え方からして、あんまり自分の職業に興味ないんだろうなと感じる。
教師ってそういうものなのかな。
「あ、それと。なんで俺のあだ名がチェスって知ってるんだ」
俺は付け加えて言う。
チェスって呼ぶのはトレントとチープとプラスαだけなのに。
トレントみたいにって事はないだろうしな。
「ああそれは、問題児君たちが呼んでたからだ。様子見に来てくれてたんだぞ。後でちゃんとお礼言っときな」
俺の頭に手を乗せて続ける。
「それと、無事でよかった。ロールさんも褒めてたぞ。よく生きててくれた」
わしゃわしゃと俺の髪を乱してくる。しかし、不思議と悪い気はしない。
今まで感じたことのない感情が込み上げて来る。
「やめろって。髪乱れんだろ」
少し乱暴にヘブンの手を退ける。
ヘブンは何も言わないが、生意気な餓鬼とでも思っているのだろうか。
そのまま踵を返し、保健室を後にしようとする。
「なあ」
ヘブンに呼び止められ、足を止める。
「なんだよ」
俺は振り返らずに答える。
「……いや、なんでもない。今日はゆっくり休みな」
「……ん」
およそ返事と言えない返事をし、扉を閉め廊下に出る。
気分転換にと、涼しげな廊下を目指すところもなく歩きだす。
今日は色々あったな。と言うよりはここに入ってからがドタバタし過ぎてるんだな。
毎日こんな調子なら疲れるが、たまにはこういうのもいいかもしれない。
殺されかけたのはあれだけど、これはこれで貴重な体験として心にしまっておこう。
あ、そういえばヘブンにスウィンのこと聞くの忘れたな。
あいつは無事なのかは気になるが。まあ、スウィンのことだから死んではないだろうな。
今日までのことを振り返ると、随分と濃い1日だったとまた実感する。
ナインハーズに勧められ推薦枠で入って来てからハンズら問題児と出会い、急な闘いのせいで寝坊してキューズとスクールの争いに巻き込まれて、化け猫ババアに気絶させられて。
そして今に至る。
らしくもなく、そんな1日を楽しいと感じてしまう自分がいた。
もし最初のあの時ナインハーズの誘いを断っていたら、また別の人生が待っていたのだろう。
それも気になるところだが、過去の事ばかり気にしていたら前には進めない。
今は今を生きていこう。
「はぁ」
俺は自分の手に息を吹きかける。少し肌寒くなって来たな。手も悴んできたし、そろそろ部屋に戻るか。
俺はここで、あることに気が付いた。
『ここどこですか?』
少し散歩しようと歩き出したが、肝心な帰り道を覚えていない。
しかも、保健室から自分の部屋も分かるはずもないので完全に詰んでいる。
「こりゃヘビーだな」
ここから闇雲に歩いても仕方がない。
一旦部屋に帰る事は諦めて、朝になったら誰かに部屋の場所を聞くか。
そうだとしても、今夜は寒くてとても廊下で眠る事は出来ない。
どこか空いている教室はないだろうか。
辺りを見渡すが電気が点いている教室はあるはずもなく、もちろん鍵も閉まっているだろう。
ここまで来て俺の最後は凍死かよ。そんなことを思った矢先だった。
どこかで誰かの声がする。
警備員か? しかし、それらしき光も見えない。
音の方に少し進むと、扉の隙間から光が溢れている場所があった。
「こほごほ」
声の正体は見知らぬ誰かの咳だった。
その咳は、回数を増すごとに濁点が増えていく様に感じた。
どうしたのかと思い、俺は扉を開ける。
扉の先にはベッドから体を起こした、見るからに病弱そうな少女がいた。
肌が白いということもあり、勝手にそう見えてしまったのかもしれない。
中は暖房が効いているのか暖かく、なにか気分が落ち着く様に感じた。
扉の開ける音に気が付いたのか、彼女はこちらへと視線を向ける。
一瞬目を大きくしてから、すぐに顔を緩め俺に手招きしてくる。
俺はそれに従い近づく。
近くで見ると、彼女がより一層弱々しく見えた。
「突然の来客にビックリしちゃった。もしかして迷っちゃったの?」
「そうなんだよ。どうにも道が覚えられなくて」
ふふふと彼女は笑う。その笑顔はとても可愛らしく、しかしどこか儚さを感じさせる。
「ここは広いからね。君が覚えられないのも仕方がないと思うよ」
「そうだよな。いきなり知らない場所から部屋に戻れって言われても、そんなの無理ゲーだよな」
「確かに。そうだ。せっかく迷い込んだんだから、少し話でもしない?」
少女はベッドの横の椅子に腰掛ける様に促す。
俺も迷い込んだついでにと、彼女の方を向く様にして座る。
「そういえば、さっき咳が聞こえたけど大丈夫か?」
「うん。僕、生まれつき体が弱いんだ」
「そりゃ大変だな。寝たきりってのも辛いだろ」
「まあね。でも、いつでも寝れるから一石二鳥だよ」
「どこがだよっ」
初対面に関わらず不思議と気が合い、会話が弾む。
まるで久し振りに再開した旧友の様に。
「そうだ、まだ君の名前聞いてなかったね」
「そういえばだな。俺はチェイサー・ストリート。そっちは?」
「僕はミラエラ・モンド。チェイサーって、もしかして君が噂チェスかい?」
「チェスってのは俺のあだ名だけど、噂のチェスってなんだ?」
指名手配でもされてるのか? 俺。
「あのキューズの幹部と勇敢に闘ったっていう、噂のチェスだよ」
「それって今回の騒動の事だよな」
「うん。僕はここを動けないからあんまり詳しくは無いけど、チェスって名前は小耳に挟んでてね」
心当たりがあるとしたらポケマンだろう。
キューズ側の人間だとは思ってたが、まさか幹部だとは思いもしなかった。
たが、そんな噂されるほど闘えていたとは思えないがな。
「確かにキューズ側のやつと闘ったけど、俺はやられてばっかでとどめを刺したのはロール先生だぞ」
「それでも凄いよ。僕は何にも出来なくていつも周りに迷惑かけてるし」
ミラエラは少し顔を曇らせ、俯いてしまう。
「そんな事ないぞ。少なくとも、俺は今楽しいし」
「ありがとう。君は優しいね」
「褒めるなって。照れるだろうが」
「ふふふ。それに面白いし、僕は君の事好きだよ」
「お、おい。やめろって。マジで照れるじゃん」
人に好きって言われたの初めてだな。
俺が頬を赤らめると、ミラエラはまた笑う。からかわれるのも初めてだ。
「それはそうと、よくこんな時間まで起きてたな」
「うん。なかなか眠れなくてね」
そう言うと、ミラエラはベッドに横たわる。
「けど、チェスが来てくれて安心した。今なら少し寝れる気がする」
ミラエラは目を閉じ、ぐーぐーと寝息をたてる。
「寝るのはや!」
「なんてね」
俺を騙せたのが嬉しかったのか、にへへと悪そうに笑う。
「ん」
ミラエラは俺に手を差し出してくる。
握手?
俺はそう思い、ミラエラの手を握る。
その手はとても小さく、そして温かかった。
すぐに離そうとすると、ミラエラの手に力が入った。
「握手じゃないよ。手握ってて欲しいってこと」
そう言われて、再びミラエラの手を握る。
「それでよいのです」
そのまま手をベッドに置き、今度こそ目を瞑る。
「ったく、手のかかる奴だな」
初対面の相手にここまでするのは普通ではあり得ないだろう。
しかし、ミラエラにはどこか気を許せるものがあった。
今までがドタバタしていたので、こういうゆったりとした感じが心に染みるのかもしれない。
「チェスも一緒に寝る?」
「流石に一緒には無理だ。けど、ミラエラが寝るまでは付き添えるぞ」
「ありがと。それに、ミラエラって言いづらいでしょ。次からミラちゃんでいいよ」
「ちゃを付けるのは確定なんだな」
「その通りです」
ミラエラはにこりと笑い、どこか嬉しそうだった。
「分かったよ。じゃあミラちゃん、いつまでも起きてないで早く寝るんだぞ」
「はーい」
ミラエラは布団掛けてこちらに寝転ぶ。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
俺は辺りを見渡し、電気のスイッチを探す。
扉の近くにあるのを見つけ、髪の毛を棒の形に伸ばして押す。
暗闇が部屋を包み、俺も眠くなってきた。少しだけ寝るか。
俺はベッドにもたれかかる形で目を閉じた。