鳥のさえずりが俺の耳を刺激する。
「ん、んうん」
俺は目を擦りながら目覚めた。
どうやら朝まで寝てしまったらしい。
窓から日光が差し込み、部屋を隅々まで照らす。
俺は立ち上がろうとして、未だに手を握っていたことに気が付いた。
ミラエラはぐっすり寝ており、その寝顔の可愛さに少し心が動かされそうになる。
「よく見ると可愛いよな。こいつ」
気が付くと声に出しており、自分でも何を言っているのかと頬を叩いた。
そのおかげで少し目が覚め、逆に今の状況を冷静に把握することが出来てしまった。
手を繋いで寝てたって、傍からみれば勘違いされてしまうな。
俺は手を離して立ち上がりたいが、ミラエラの事を気遣って離そうにも離せない。
こんなにぐっすり寝ているのに、起こしてしまうのは可哀想だからな。
とりあえずやる事が無かったので、ミラエラの頬っぺたを指でぷにぷにする事にした。
「おお。柔らか」
ゼリーの様な弾力があるのにも関わらず、マシュマロの様に柔らかい。
こんな最強のハイブリッドがあるとは。一生触ってられるなこれ。
しばらくの間ぷにぷにしていると、後ろから声がした。
「何してんだ。ストリート」
「ふぇ」
アホの様な声を出してしまう。
突然話しかけられた事もあるが、今この状況を見られたという焦りで、心臓の鼓動が速くなる。
後ろを振り向くと、そこにはやはりナインハーズが立っていた。
「オ、オオ。ドウシタンダイナインハーズ」
俺の頭はやばいの一言で埋め尽くされていた。
「まさにやばい所を見られたって感じだな。けど安心しろストリート。ここは犯罪者が集まる場所だからな」
ナインハーズはニコリと笑う。
違うんだ。誤解なんだ。顔は笑ってるのに目が笑ってないぞお前。
言い訳しようにも、状況が状況なので見苦しいだけだろう。
信じてもらえるか分からないが、俺は今までの経緯を正直に話すことにした。
「なるほどな。となると、ストリートはギリギリ犯罪者ではないという事か」
「ちゃんと犯罪者じゃねえよ」
なんとか誤解は晴らせたが、ナインハーズの疑いの眼差しは未だに消えていない。
まあ全て信じたとしても、明らかに普通の状況ではないからな。
「それは分かったけど、いつまでそれやってる気なんだ?」
ナインハーズの指差した先は、俺とミラエラの手が互いに握り合っている。いわば1番見られてはいけない所だった。
「い、いや、これはミラちゃんを起こしたら悪いかと思ってなかなか離せなかっただけだ。決してやましい気持ちからではない」
一生懸命言い訳するが、ナインハーズの目は着々と光を失っていく。
「ミラちゃん?」
「あ」
言葉を発するごとに自滅してしまう。やっぱりまだ頭が寝ぼけてるんだな。
「それはそうと、その繋ぎ方でやましい事がないってのは苦しいんじゃないか?」
なんのことかと手の方をよく見ると、寝る前の握手の様な握り方とは打って変わって、恋人繋ぎになっていた。
「恋人繋ぎは確信犯だろ」
こんのミラエラめ。こいつ絶対起きてるじゃねえか。
「違う、これは違うんだ」
既に俺の逃げ場は残されていなかった。
どうやら途中で起きたミラエラが面白がって、ナインハーズに指摘された直後恋人繋ぎに変えたのようだ。
「何が違うんだ。……しょうがない。今日は朝の集会来なくていいから、今から職員室ににこい」
「……はい」
「それと」
ナインハーズが付け足す様に続ける。
「寝る時は自分の部屋で寝ろ」
「……はい」
本日2度めのはいが出たところで、俺はナインハーズに連行された。
ミラエラはそれでも寝たふりを続けており、恋人繋ぎがわざとなのか確信が持てなくなってきた。
もし違うとしたら……。そんな考えなくてもいい事を考えてしまう。
まあ、それだけ今の状況に対して余裕を持っているんだと思おう。
なかなか直接言えないから心の中で言うが。
ナインハーズ、俺はロリコンじゃないぞ。
その言葉はナインハーズに届く事なく、俺の心の中で反響しながら闇へと消えていった。
職員室に着くと、他とカーテンで仕切られた個別の部屋があり、そこに座る様に促された。
ここまで来ると、本気で怒られるんじゃないかと構えていたが、意外にもお茶を出された事で俺の緊張はほぐれた。
「なんでお茶なんだ?」
「お茶には解毒作用があるからな。君のその曲がった性癖も治してくれるかもしれない」
「だからあれは誤解だって!」
「冗談だよ。もう疑ってはない」
ナインハーズは少し笑い、お茶を飲む。
そんなこと言いながら、実はお茶に毒を仕込んでいて、
『毒を殺すには同じくらいの毒が1番効くからな』
とか言って殺しにこないだろうか。
とりあえず、今はお茶を飲まない事にしよう。
「まあただ、気持ちを整理してもらいたかっただけだ」
うっすらとナインハーズの顔が曇る。
「というと」
なにか悪い予感がする。
「ストリートは保健室で起きた時に1日しか眠っていないと思っているだろうが、実際には3日経っている。ロールは治療をする訳ではないからな。重症だと治るのが遅いんだ」
3日も。そんだけ経っていれば、赤の他人だったミラエラに噂が回るのも納得だな。
「なぜこれを言ったかというと、その3日の間にある事が起こったからだ」
「……それってスクール側にとって悪い事か?」
「ああ。生徒に関係ある話では無いが、ストリートは特別枠だからな。一応話しておこうと思ってここに呼んだ」
わざわざ個室に呼び込みしかも職員室となると、もしかして一部の先生たちにも伝えられてないのかもしれない。
それを特別枠って理由だけで俺に話すか?
それだと一部の先生よりも特別枠の生徒の方が上って事になる。
しかしその可能性は低い。もっと他の理由があるのだろう。
「分かった。じゃあ、話してくれ」
俺はお茶を一口で飲み干す。
「まずは今回の騒動のきっかけから話そう」
そう言うと、ナインハーズの目は一瞬で真剣なものへと変わった。
「ストリートも知っての通り、この騒動の首謀者はキューズだ。今まで何もアクションが無かった訳ではないが、今回のは明らかなスクール側に対する攻撃だ」
俺も体感したようにキューズは生徒や先生を狙うと言うよりは、完全にスクール側を潰そうとしていた。
名前は分からないがキューズの幹部であったポケマンをはじめ、美人お姉さんにスウィンが瞬殺した幻覚使い。
俺の見てないところでも、他に多数居たのだろう。
「未だ目的が分からない以上緊迫した状態が続くだろうから、あと数ヶ月は行事も何もしない予定だ」
行事というとハンズの言っていたクラス別対抗戦を思い出す。
実際何をするか分からなかったから、嬉しいのか悲しいのか判断がつかない。
少し間を置いてナインハーズが口を開く。
「それと、これを見てくれ」
ナインハーズは足元から縦長い箱を取り出す。
机に置かれたそれは、明らかに何かを隠している様な不気味な雰囲気を漂わせていた。
「なんだこの箱。このタイミングでお土産とかは有り得ないよな」
「それはほんとに有り得ないだろ。見たく無いなら見なくていい。オススメはしないからな。口頭でも説明できる事だ」
「いや、見るよ。気になるし」
俺は箱を引き寄せ蓋を開ける。
「ぁ……」
かろうじて声は出た。
無理もないだろう。誰も箱にこんな物が入ってるとは思わないからな。
「これ……って」
「ああ。左腕だ」
箱を開けた先にあった物。それはナインハーズの言う通り、恐らく誰かの左腕だった。
「教師であり俺の同期でもあるマットという奴の物だ。いや、だった物か。そいつは単独行動が好きでな。ある時出張と称してキューズの潜入に行ったんだ」
「そんなの自殺行為じゃねえか」
「確かに普通の能力者ならそうだ。だがあいつの能力はかなり強く、俺含め誰も敵わないと言われてた程だ」
ナインハーズでも。あの幹部を瞬殺したロールでさえも。
そんな奴がこんな姿になるなんて。
今回の騒動に参加していない奴も多いのかもしれない。
ここで1つ疑問が浮んだ。
「ってか、なんでそのマットっていう奴って分かるんだ? 別に名札とかが付いてた訳じゃ無いだろ」
「確かにこれだけじゃ分からない。だが簡単な話、他にも数個これと似た箱があるって事だ」
「こんなのが他にも……」
「ああ。しかもご丁寧に部位ごとに分けてある。悪趣味甚だしいったらこの上ない。」
ナインハーズは眉間にしわを寄せ、血管がぴくぴくと動いていた。
それだけ同期を失った哀しみが大きいのだろう。
「悪趣味とかの次元じゃないだろ。これは。残酷すぎる」
「……実はこれ、今回の騒動の前からここに差出人不明で届いていた様だ。毎日送られて来て、昨日までで5つ。不思議な事に今まで誰もこれの存在を知らなかった」
「誰も? それは有り得ないだろ。ならどうやってこれを見つけたんだ」
「見つけたのは俺だ。だが昨日のことだ。他の奴が黙っていたのか、本当に見つけられてなかったのか。そこは分からない」
差出人不明でこの大きさ。それに毎日届いてたにも関わらず、誰も見つけていない。
これが本当なら……。いや、変な想像はやめよう。
「少しいいかな」
カーテンが開けられ、知らないおじさんが入ってくる。
髪のほとんどは白髪で、黒い髪を見つけるのが難しいくらいだ。
というより、勝手に入って来て良いのか?
「校長。すみません、長く話し過ぎましたか」
校長? 校長ってあの偉い人の事か。よく見ればそのオーラプンプンな気がする。
時々ここが学校って事を忘れそうになるな。
少なくとも俺の知ってる学校は死にかけないし。
「いやいや、この歳になると長話は常でな。そこはいいんじゃよ。だが、生徒に話さなくても良いものも話すのは駄目じゃ。危険に晒してはならん」
そのおじさん兼校長は別段怒っている様子もなく、ゆったりとしたトーンで話す。
「すみません。つい口走ってしまいました。……少し席を外します」
そう言い、ナインハーズがカーテンを開けて出て行く。
あのナインハーズが下手に出るなんて。校長ってのはやっぱり格が違うんだな。
……さて、俺は取り残されて校長と2人になった訳だが。
全く何を話して良いか分からない。
「すまんね。唯一の顔見知りを追い出してしまって。しかしね、チェイサー君。子供が踏み込んではいけない事もあるんだよ」
校長の一言めは忠告だった。
「はい。それは分かります。ですが」
「特別枠と言いたいのだね」
「……はい」
話の腰を折られてしまった。
身の程を知れって話だよな。
実際俺は17歳で世界を全く知らないし、校長の言い分は間違っているとは思わない。
「特別枠といえど、子供には変わりない。チェイサー君には馬鹿にしている様に聞こえるだろうが、事実は事実。しかと現実を受け止める能力も必要じゃぞ」
「仰る通りです」
今ぐうの音も出ないという言葉を実感した気がする。
少し調子に乗っていたのかもしれない。
特別枠というイレギュラーの入学で、他より優れていると勘違いしていた部分もあるのだろう。
俺は校長に突きつけられた現実を見ずにはいられなかった。
自分の強さを知り、弱さを知る。痛いほど分かりきった事だ。
……それでもやはり、認めたくは無かった。
俺は傍から見ればかなり落ち込んでいたと思う。
「だから提案と言ってはなんだが、どうじゃチェイサー君。ジャスターズに入らんか」
「……へ?」