2人が話し終わる頃、既にコップの中のお茶は空になっていた。
「チープってやっぱり滅茶苦茶強いんだな」
「そうですかね。私は強いのでしょうか」
さっきこいつ『最強だから?』とか言ってただろ。
戦闘時の記憶が吹っ飛ぶ性格してるのか?
「それより最後の殺気を感じたって言ってたが、そいつの顔とかは見てないのか?」
「見てないと言うよりは、見れなかったに近いね」
「息を吸うことすら死に直結する様な雰囲気でしたからね」
話から伝わる緊迫感を察するに、その人物の正体は十中八九キューズの親玉だろう。
ナインハーズの知り合いの様に感じたが、無能力者であるあいつがキューズとの関わりがあるとは思えない。
『お前には期待してたんだがな』という言葉。どこか意味深な言い方に感じる。
そんな事を考えていると、いつの間にか部屋が沈黙に包まれていた。
「もう一杯淹れましょうか」
チープが気を遣って話題を振ってくれる。
俺は話すきっかけが出来たので、心の中でチープにお礼を言いつつ立ち上がった。
「いや、長居するのも悪い。今日は部屋に戻って休むわ。わざわざ話をしてくれてありがとな」
「いえ。私もチェスと話できて楽しかったですよ」
「おう。気を付けてな」
2人が玄関まで見送ってくれる。
「じゃあ」
扉を開けて外に出る。
窓からは燦々と太陽が顔を覗かせている。
今まで眠っていた事もあり、日付の感覚が無かったが、どうやら今日は休日の様だ。
トレントとチープが俺を部屋に誘ったのもその理由だろう。
休日でなくとも、あの騒動の後にすぐ授業をやるとは考えられない。
今日から暫く休みが続くかもな。
しかし正直平日だから休日だからって、特にやる事は無い。
部屋でボーッとするのもいいが、少しは能力も鍛えてみるかな。
それにしても、今日はいい日だ。
静かで暖かくて、そして平和で。
こんな日々が毎日続いてほしいと我儘は言わないが、たまにはこういうのも悪くは無いな。
俺は自分の部屋の扉を開けて中へ入る。
ハンズの姿はなく、俺が騒動当日に壊した壁も直っている。
流石に仕事が早いなクリミナルスクールは。
俺はベットの上に仰向けになって寝転ぶ。
目を閉じたら朝が来てしまうんではないかと、そう思わせるには十分な睡魔が俺には襲い掛かって来ていた。
このまま眠り落ちるのもいいが、心のどこかでスウィンに失礼と思ってしまっていた。
スウィンは命懸けでこの3日間を彷徨っている。
これが明日終わるのか、それとも1年後になるのか。そればかりは知り得ることは出来ない。
そんなスウィンを差し置いて、俺が呑気に寝ていいのかと疑問が出てくる。
……恐らく答えはイエスなのだろう。スウィンが、他人がどうであれ俺の行動に影響するほどの力は持たない。
寝るなら寝る、食べるなら食べる、生きるなら生きる。それは全て自分で決める事だ。決められる事だ。
しかし、今のスウィンにはその選択肢が存在しない。
寝たい、食べたい、生きたい、そう口や思う事をするだけで、実際には自分では決められない状態にある。
やはり、今俺のしたい事をするのはとても失礼な行為だと思う。
俺は起き上がり、窓を開けてもたれかかる。
ふと思ったが、自分でも自分の中に優しさが残っているとは思ってもみなかった。
まあ、これが実は優しさではなくて、ただの自己満足なのかもしれないが。
とにかく、ここに来る前の俺なら、自分1人の時にこんな考える事はしなかっただろう。
成長期を過ぎたこの歳で、俺の中に何かが変化しつつある。
環境によって性格や考え方が変わるのは好きじゃないが、今回のは好きや嫌いとかの問題ではない気がしている。
もっとこう、確実な軌道を捉えた変化に感じてしまう。
それ程ここが俺にとって落ち着く場所なのだろうな。
振り返ってみれば、俺の人生に安心なんて言葉は存在しなかったのかもしれない。
今のスウィンの様に明日が来るのか常に心配していて、生きた心地なんてしなかった。
当たり前に寝ているこのベッドでも、昔は硬いコンクリートの上で寝るのが普通。
能力なんて一回でも使ってはいけないのに、なぜか身につけてしまっている悪運。
親や兄弟とも離れ離れで、生存も確認できない。
その中でナインハーズと出会った事は奇跡と言うべきか、希望だった。
ナインハーズには散々生意気な態度をとってしまったな。今度謝っておこう。
そう思い、俺は窓を閉めた。
気が付くと、俺はある場所へ向かっていた。
どこか見た事あるような……。しかしここは広いので似た様なところは沢山ある。
俺はフラフラと歩き、傍から見れば完全に迷い人だ。
そう思った時、俺は目的地へと着いた。
扉を開けて、目の前の人物を視認する。
そこへ近づいていき、俺はベッドに座る。
その人物は未だ寝ていた。
透き通る様に肌が白く、今にも壊れてしまいそうなくらいに尊い。
頬に触れ、手から伝わる体温はとても温かかった。
「どうせ嘘寝なんだろ? ほら、早く起きなミラエラ」
「あ、バレてた?」
ミラエラはケロッとした目でこちらを見つめてくる。
「それにしても、普通にスキンシップしてくるから、少しびっくりしちゃったよ」
「すまんすまん。嫌だったか」
「ううん、別に。あとミラちゃんね」
「すまん忘れてた」
ミラエラは起き上がり、俺の手を握って降ろすように促す。
「で、急にどうしたの? 僕の頬っぺた触りたかったから来た訳では無いでしょ?」
「半分それだな」
「半分も!」
「冗談だ。ただ、なんとなくここに来たかった」
なぜかは分からないが、ここは1番落ち着く場所な気がする。
それがこの部屋のせいか、ミラエラのせいかは知らないが、ここにはなにかゆったりとした空気が流れている。
「ホントに? 僕はてっきり悩み事でもあるのかと思ったんだけどな」
「悩み事?」
「うん。なんか浮かない顔してるよ。何かあったの?」
「言われてみればそうかもな。……これが悩み事か俺には分からないから、聞いてくれるか? ミラエラ」
「いいよ。僕はチェスの話大好きだからね。あと、ミラちゃんね」
「ありがとう。ミラちゃん」
俺はこれまでの事、そして今思っている事を全て話した。
昔の事、キューズの事、ジャスターズへの勧誘の事、スウィンの容態の事。
不思議と話しているうちに、次々と話したい事が湧いて来て、俺はかなりの時間ミラエラに付き合ってもらった。
「なるほどね。きっとチェスは不安を抱いてるんだよ」
「不安?」
「うん。幸せに慣れてないんだね」
「幸せって、敵に殺されそうになってもか?」
「チェスが経験したのはそれだけじゃ無いでしょ? 居場所が出来たり、友達が出来たり、恋人が出来たり。それ以外にも、今まで手にしてなかったのがいっぱいあるでしょ?」
「……そうだな。経験した事ないのが多すぎて、頭が整理出来てなかったのかもしれない。あと、勝手に俺の恋人になるな」
「ありゃりゃバレちゃった。まあとにかく、チェスは今幸せなんだよ。それは僕が保証する」
そう言い、ミラエラは平たい胸を張る。
「今、僕の胸小さいって思ったでしょ」
俺の視線に気が付いたミラエラに、どうやらバレてしまった様だ。
「いや、俺はいいと思うぞ。うん。少女って感じがする」
「それフォローしてないよね。セクハラだぞー。今のチェスセクハラしてるぞー」
「すまんすまん。思った事を言っただけなんだよ」
「また。……まあいいや。チェスはロリコンだもんね」
「んな!? お前それどこで聞いた!」
「えーっと確か、ナから始まってズで終わる先生だった気がするなー」
「くそナインハーズめ許さねえ」
さっきはナインハーズに謝ろうと思ってたが、絶対に謝ってやらん。
「まあとりあえず、チェスは幸せに慣れてないだけで、全然不安がる事は無いんだよ。段々慣れてけばいいんだよ。僕と一緒に」
「そうだな。けどなんでミラちゃんと一緒なんだ?」
俺が幸せに慣れてないって話で、別にミラエラはどうなのかは分からない。
今幸せなのか、それともそうでは無いのか。
ミラエラの笑顔を見る限り、とても不幸な様子では無いが。
しかし、人の本質は分からないからな。
「僕も、やっと最近幸せになってきたんだよ」
「ミラちゃんはずっとここにいて、今も変わらないのにどうしていきなりなんだ?」
「確かに僕はずっとここにいる。毎日独りで、退屈で、不安で、何もする事がない。本を読みたいって言った時に、お前には必要ないって言われた事もある」
ミラエラのその儚い笑顔の裏には、こんなエピソードが隠れていたのか。
「……よく、普通でいられたな」
「普通じゃなかったよ。自分の存在意義が分からないくなったり、自殺もしようとした。もちろん未遂になったけど。以前の僕は、とても普通とはかけ離れてたんだよ」
「……そうか。それは辛かったな」
俺には同情する事しか出来ない。
なぜならそれ以外の方法を知らないからだ。
今日まで、いや4日前まで人との関わりを持たなすぎた。
その経験の無さが、こんなにも心が痛むものなんて知らなかった。
やはり俺は世界を知らなすぎる。
「けど、今は違うんだ」
ミラエラの一言が、俺を心の奥底から引き上げる。
「だって、今はチェスがいるもん」
その言葉の意味するところは、もちろん俺の存在だろう。
「え?」
思いがけない言葉のせいで、俺は聞き返してしまう。
「僕はいつも1人だったから、チェスがここに迷い込んだ時、ホントに嬉しかったんだ。もう、1人じゃないって」
「けど、俺はいつもミラちゃんの側にいる訳じゃないぞ。……それでも。それでも、心の支えになるのかよ」
「うん。だって今日も来てくれたじゃないか」
「……そんな簡単な存在で人は変わるのか?」
「簡単な訳じゃ無いよ。僕はチェスが来てくれたから救われたんだよ。チェス以外ならまた別だったと思うよ」
ミラエラにとって、俺の存在はあの日のナインハーズなのだろう。
奇跡というか希望。知らずに自分がそんな存在になっていたとは驚きだ。
正直俺は誰にも必要とされて無いと思っていたからな。
「……だから、毎日って我儘は言わないから、2日に1回は来て欲しいな」
そう言いミラエラは俺の袖をギュッと握る。
心なしかミラエラの目が潤っている気がした。
そんな相談に、俺でなくとも受けない奴など存在しないだろう。
俺はミラエラの頭に手を乗せ言う。
「ったく、我儘だな。約束するよ。必ず毎日来る」
そのまま引き寄せ抱きかかえる。
「……ありがとう」
その時ミラエラは泣いていた。
相当今までが苦痛であり、恐怖だったのだろう。
毎朝起きると襲いかかる孤独。唯一忘れられる時間である夢の中は永遠では無い。
明けない夜はない。捉え方次第でこの言葉の意味が違ってくる。
ミラエラのお陰で、俺はやっと決心する事が出来た。
「俺はまだジャスターズには行かない」
ミラエラには聞こえない程小さく、俺はそう呟いた。