チェスクリミナル   作:柏木太陽

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死闘

 エッヂは、第二ラウンドと言葉の通り、闘いのスタンスががらっと変わった。

 今まで手数の多く、確実に急所を狙っていた拳が、自分のダメージを顧みない大振りな攻撃へとなり、まるでチープがそこにいるかの様だった。

「ラットさんが押されてる」

 サンがそう言い、俺はハッとする。

 チープがいなくなった今、まともに闘えるのはラットのみ。

 つまりラットこそが最後の砦なのだ。

 俺たちが守るには大き過ぎる、しかし絶対に守らなくてはならない砦。

 もしラットが殺られてしまえば、次は言うまでもない。

 俺はまだ回復しきっていない足を引き摺らせながら、俺は立ち上がる。

 チープの恨みもあり、完全に立ち上がった時には、痛みなど忘れていた。

「チェイサー、お前……」

 膝をついたまま立ち上がれないでいるサンを横目に、俺は覚悟を決める。

「折角なら、ミラエラに告っときゃよかった」

 地面と足がみしみしと音を立て、俺は走り出す。

 後ろでサンとトレントが声で止めるが、俺は聞こえないフリをした。

「エッヂ!」

 俺は大声で名前を叫ぶ。

 そうしなければ、気が付かれずに不意打ち出来たかもしれない。

 しかしそんな可能性、ほぼ皆無という事を俺は無意識下で理解していた。

「来るかチェイサー」

 大振りな裏拳が俺に飛んでくる。

 スピードも重みもさっきとは桁違で、当たれば即死。

 だが、俺の足は止まらなかった。

「なっ!」

 ラットが反転させ、エッヂの左半身に隙が出来る。

 別に打ち合わせや合図をしていたわけでなく、この場合ならこうするだろうと、俺はラットと戦闘の中で会話をしていた。

「オラァ!」

 俺の無意味な一撃が、エッヂの側頭部に直撃する。

 能力で脆くしながら打つも、チープの超再生には敵わない。

 結局少し揺らめいたのみで、傷すら付かずに終わった。

「痛みはあるのか。くくくっ、いいぞ」

 不敵な笑みを浮かべたエッヂは、再び俺に攻撃を仕掛ける。

 右足を軸に蹴りが飛んでき、俺に当たりそうになる。

 しかしやはりラットが反転させ、それは外れた。

 筈だった。

「危ねえっ」

 空振りしたかに思えたその蹴りは、反転した後にラットへと進行方向を変え、頬を少し掠めて通り過ぎる。

「こいつ、見切りやがった」

 ラットが少し距離を取り、俺もそれに合わせて距離を取る。

「見切ったって、まさか」

「そのまさかだ。普段そうされねえ様に、能力の使用を最小限にして、闘ってるってのに」

 確かに、ラットは近距離の闘いになっても、あまり能力は使っていなかった。

 それは能力がバレない為というのもあるが、見切られない為という事もあったのだろう。

 ラットが厳重に警戒しても、ほんの数回の使用で見切られてしまったという事実。

 正確に言うならば、チープが取り込まれてから1回で見切られたという事実。

 俺には思い当たる節がない訳でもなかった。

「多分チープの能力だ」

「チープ? あの取り込まれた」

「ああ。チープは断片的に、相手の能力が分かるって言ってた。自分では元の流れとか言ってたけど、俺はたった今違うと感じたな。あいつは単純に、観察眼が優れ過ぎてたんだ」

 ラットに説明する様には言っていなかった。

 ただ自分の感じた、思った、思い付いた事を、忘れない様にメモする感覚で、俺は口に出していた。

「よく分からんが。とにかくあいつは、俺の能力を見切った。もう俺に頼らねえ方が身の為だぞ」

 同時攻撃を仕掛けると、却ってエッヂの攻撃が片方に当たってしまう可能性が高い。

 だからと言って、単独で闘えるほど強くはないし、エッヂは弱くはない。

「チェイサー!」

 俺が悩んでいると、遠くから大声で名前を呼ばれる。

「5分程度時間稼げるか!」

 俺が返事をする間もなく、サンは続けた。

 5分。その5分は、俺の知っている5分だろう。

 あの普通に過ごしていたら、あっという間に過ぎてしまう5分。

 しかし今は1秒ですら命懸け。

 サンに何かの作戦があるにしろ、それだけの時間エッヂを止められるかどうか。

 正直自信はない。

「その5分で確実にあいつを殺せるのか!」

 ラットがサンに聞く。

 それは当然の疑問であり、大前提として聞かなくてはいけないものだった。

「8、いや、7割で殺せます!」

「ほう。それは楽しみだ」

 普通なら、7割という数値は低くはない。場合によっては高い時もある。

 だが、生憎今回はそうじゃない。

 嘘でもいいから、10割だったり、100パーセントとか言ってくれれば、俺も頑張れるんだが……。

 いや、弱音を吐いてる場合じゃない。

 どうした。怖気付いたのかチェイサー・ストリート。

 お前はそんなに弱い人間か。

 こんな所で朽ち果てて、能力者と無能力者の隔てを無くす夢はどうする。

 自分の為に、他人の為に、今、動け!

「ラット、能力が見切られた以上、主な肉弾戦は俺がやる。死ぬ気でやれば、5分はいかなくても3分はいける」

「ちっ、痛いとこつくなテメェ。……まあいい、俺の不覚が招いた事でもあるからな」

 ラットは恐らく、完璧なまでのサポートをしてくれるだろう。

 後は俺がどれだけやれるかだ。

「来い! チェイサー」

 その言葉とほぼ同時に、俺は地面を蹴り上げる。

 コンマ数秒でエッヂの前に行き、拳を放つ。

「ふんっ」

 それは簡単に受け止められ、俺の脇腹に蹴りが飛んでくる。

 左手が掴まれている事もあり、ラットの反転も意味がない。

 そこで俺は、思いっきり上へ跳躍する。

 今まであまり行動にした事の無いそれは、予想以上の高さを見せ、俺を驚かせた。

 エッヂの放った蹴りより高く、頭が攻撃の位置に丁度いい。

 俺は素早く右脚で蹴るが、手首を捻られ軌道は僅か上を行く。

「甘い!」

 左手辺りから衝撃が伝わってきて、俺は吹き飛ばされる。

 その勢いで俺の頭の上が地面になるが、ラットの反転により、上手く着地する。

「さんきゅ、危なかった」

「発勁も使えるのかあいつ。なら掴まれるのはまずいな」

 恐らくエッヂは遊び感覚で闘っている。

 あの攻撃で左腕の全てが無傷なのは、エッヂに殺意が無いからだ。

 5分という謎の数字を与えられ、残り時間ギリギリまで本気を出さないつもりなのだろう。

 その緊張感を、あいつは楽しんでいる。

「チェイサー、分かってるな」

 ラットは俺に、本気を出すなと無言で伝える。

 その答えを、俺はする事が出来なかった。

 友達の、仲間のチープを取り込まれ、絶大な力を手にしたエッヂ。

 それなのに、相手が手を抜いているという理由で、俺が本気を出さなかったら、チープに合わせる顔がない。

 逆に油断している今が、俺の最後の反撃の時だ。

「チェイサー、中々筋がいいぞ。もっと俺を楽しませろ」

 こちらから近付く暇もなく、距離を詰められる。

 攻撃のスピードは速いが、大ぶりなお陰で隙が出来る様になった。

 その針に糸を通す様な、繊細なタイミングを見計らい、俺は攻撃を続ける。

 あっちは何発当たろうが無傷。

 こっちは1発当たれば終い。

 その極限の状態で、俺は冷静だった。

「凄え、エッヂとほぼ互角だ」

 暫くして、トレントがそう言った気がした。

 俺は出来る事なら、今すぐにでもそれを否定したかった。

 決して互角では無い。その一言を伝えたかった。

 俺の身体は既に限界を超えていたからだ。

 足と手の感覚は無く、どうやって動いてるのかすら分からない。

 たまに掠る攻撃に、何度も膝をつきそうになる。

 視界もはっきりとせず、避けている攻撃が全く目で追えない。

 俺は本能のまま、命を燃やして闘っていた。

「終わりか」

 その言葉で、エッヂは俺から離れる。

 素早く、警戒する様にでは無く、ゆっくりと後ろに2、3歩下がった。

「意識はあるか」

 声は聞こえるが、言葉が出ない。

 空気が音を持たずに、喉を通り過ぎていく。

 やがて腕は下がり、全身が脱力する。

 倒れはせずとも、立っている感覚はなかった。

「貴様の元は既に尽きている。それが何を意味するかというと、後に訪れる死だ」

 そう言い、エッヂは開かれた左手を前に出す。

「我の一部になれ。生きはせんが、死にもせん。極楽浄土だ」

 俺はその左手を見つめる。

 なぜ差し出されているのか、どんな理由があるのか。

 耳が聞こえていながらも、それを理解する脳が俺に残っていなかった。

「さあ、来い」

 その声を聞き、俺は自然と右手を前に出す。

「それでいい」

 エッヂは邪悪な笑顔でそう言った。


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