「チェイサー、ここから本部までは20キロぐらいだぞ。それを走りって無理じゃないか?」
「ラットが乗ってきた車で行けばいいだろ。なあラット、どこに車あるんだ」
「その手があったか」
エッヂのあの様子から察するに、あと数十分、気合いで数分に縮めてくる可能性もある。
たが、車に乗って逃げるには充分な時間だ。
いくらエッヂでも、ジャスターズのメンバーが集まれば流石に勝てないだろう。
「……すまん」
ラットが小さく呟く。
「どうした。どこにあるんだ?」
「すまん……、車はない」
俺は右足を踏ん張り、急ブレーキをかける。
それと共に、皆も止まる。
「え? 待て待て。今なんて言った?」
俺がラットを見つめると、ラットは罰が悪そうにする。
「だから車は無いってんだ! たまたま近くでドンパチやってたから、面白そうって来てみただけなんだよ」
おいおい。新たな発見だ。
ラットって意外とお茶目らしい。
……って、そうじゃない!
「じゃあどうするんだよ! このままじゃどうにも出来ねえじゃねえか!」
「俺もこうなるとは思ってなかったんだよ! だいたい止め刺せばいい話じゃねえか! それをテメェが逃げるって」
「それなら止め刺してから逃げて来いよ! お前が1番歴長いんだろ? だったら他人に流されんなよ!」
「テメェ調子乗ってんじゃねえぞ! ナインハーズさんに気に入られてるかどうか知らんが、自由に行動し過ぎなんだよ!」
「はあ? 今は関係ないだろそんな——」
「ちょっと黙って!」
トレントの声に、俺の怒りはかき消される。
「どうしたんだ。トレント」
サンが聞く。
しかし、すぐには返事が返ってこなかった。
その代わり、数秒開けたその間に、なにか不気味なものを感じた。
「エッヂがいない」
その返答で背筋が凍りつく。
危うくチープを落としてしまいそうな程、俺は動揺した。
サンを見ると青ざめていた。
あの状態からまだ動けるはずもないのに。と、そう思っている顔だった。
ラットは何とも言えぬ顔で立っていた。
ただじっと、今走ってきた道を見つめていた。
「じゃあ今どこに……」
恐る恐る俺は聞く。
スウィンの時みたいに上か? それともお前後ろだ的な感じで怖がらせてくるのか?
俺的には、トレントの勘違いであって欲しいんだが。
「ゆっくりと近付いてきてる」
「ゆっくりと?」
想像したものと違う返答に、俺は気を抜かす。
ゆっくりって、やっぱり死にかけじゃねえか。
そのマイクロデビルってのが、よっぽど効いたんだな。
「なら別に大丈夫じゃねえか。身体引きずらせながらでも来てるんだろ?」
冗談半分で言う俺に対し、トレントは真剣だった。
額からの汗が止まらず、顔も少しこわばっている。
小刻みに身体は震え、歯は軋んでいた。
「違うんだよ。後ろじゃなくて、前なんだよ」
サンとラットを見ると、来た道ではなく進行方向に目を向けていた。
2人とも目を見開き、構えることすら忘れていた。
無論、俺もである。
「うそ……だろ」
後ろにいたはずの、到底追いつけない程の怪我を負ったエッヂが、そこに息を切らしながら立っていた。
「ストリート。貴様だったか」
こいつ瞬間移動の能力も持ってんのかよ。
というよりなんだ。今俺の名前言ったか?
ストリート……。いやおかしい。俺はチェイサーとしか呼ばれていなかったはず。
いつの間に知られたんだ。
「ストリート。……ストリートか。確かに少し面影がある」
俺こいつと会った事ないよな。
「チェイサー、こいつと会ったことがあるのか?」
俺にも分かんねえよ。
もしサンの言う通りなら、俺はここで今生きてないだろ。
……駄目だ。全く見当もつかねえ。
「この怨み、貴様に晴らさずして、誰に向ける」
足を引きずりながら、着実に近付いてくる。
本来なら縮まるはずのない距離を、俺たちが動かない事によって、それを実現させてしまった。
「間合いだ」
およそ人1人分程の距離を置き、エッヂが口を開く。
「ど、どこかで会いましたっけ……」
ぎこちない笑みを浮かべ、俺は言う。
それを見たエッヂも笑みを浮かべ、こう言った。
「何やってんだお前ら」
否。その声の主はエッヂではなかった。
「貴様、どうやった」
見ると、エッヂの左腕がもがれて、床に転がっていた。
その時俺はやっと、チープを落としていることに気が付いた。
それと同時に、その男へと目を向ける。
「もうすぐで死ぬところだったな、チェイサー・ストリート。まあ、死んでも何もしないがな」
あの時会議室で見た、ジャスターズの1番偉い人と言われていたあの男が、エッヂの後ろに立っていた。
エッヂの右腕をもぐ音を聞かせず、静かに行われたその動作を、俺は気が付くはずもなかった。
なぜならこの男は、ジャスターズで1番偉く、恐らく1番の実力者だからだ。
「ど、どうしてここに……」
ラットが声を漏らす。
それに反応するかの様に、俺の足元で何かが動いた。
「わ……わたしがよ……びました」
その声はチープのものだった。
手にはツールが持たれており、いつの間にか連絡していた様だ。
それなら、チープは最初から負ける気で挑んだということだろうか。
いいや、負けてもいい様に保険をかけたんだ。
そうする事によって、自分が全力で闘う為に。
事実、その保険によって俺らは救われた。
「貴さ——」
エッヂが硬直する。
振り返ろうとした体勢のまま、つまりアンバランスのまま硬直していた。
「五月蝿いから停止してもらっただけだ。で、なんだこの様は。ラット、サン」
直後、全身に寒気が走るのが感じられた。
この圧倒的な実力差。
決して縮まる事はないだろう、無力さ。
その全てを感じ、俺たちも硬直していた。
「す、すいません。思いの外敵が強く」
「ま、マイクロデビルですら、この通りでした」
2人は綺麗に直立していた。
今までの怪我や傷を気遣う事なく、その体勢を維持していた。
「マイクロデビル……を使ったのか。そうか、サンなら可能か。まあいい、兎に角」
瞬間、停止していたエッヂの首が飛ぶ。
「後で部屋に来い」
そう言うと、ケインは踵を返す。
その緊張の中、まともに動けた人間は、恐らくケインだけだろう。
ケインの背中が見えなくなるまで、2人ともう2人は、硬直したままだった。
「わたし……わるいことしちゃい……ましたね」
うん。しょうがないだろこれは。
チープは悪くないさ。多分。
結果助かった訳だし。ナイスチープ!
その言葉を声に出すには、俺には少しハードルが高過ぎた。