世界に一つ、必要なモノ その1
☆
ボーダー本部、食堂スペース。
多くの隊員たちで賑わうこの空間では、様々な会話が行き交う。やれ、「きな粉を溢しまくって基地内できな粉餅が禁止にされた人がいる」とか、「炒飯で人を殺すA級がいる」みたいな、信憑性の欠片もないようなものばかりだが、これが存外盛り上がるのだ。隊員はほとんどが学生であり、その手のうわさ話に興味を示しがちな年頃。聞く人間の食いつきがいいから話す側も調子に乗って、噂は背びれ尾ひれをつけてあれよあれよという間に広がっていく。
とまあ、それくらいであればランチの箸休めにちょうどいいかもしれない。問題なのは、しばしば行き過ぎたものが出回ってしまうことだ。サイドエフェクトを持つ隊員への中傷が広まったこともある。悲しいかな、年頃の学生たちにはそういったものも大好物だ。
「相変わらず賑わってはるなぁ」
左手のハンバーガーを一口、男がかじった。
特徴的なイントネーションで話す男を前に、菊地原はうんざりしてストローを吸う。
「勝手に座らないで欲しいんだけど」
菊地原は態度を隠さずにため息をついた。
男はけらけらと笑うと、「こっちも相変わらずやわぁ」と、今度はトレーに置いておいた菊地原のコーラへ手を伸ばした。
出来うる限り最大限に嫌そうな顔をして、菊地原は男──琴吹伊織を睨みつける。
髪は金色がかったショートヘア。真ん中あたりで綺麗に分けられたそれは、彼の親戚の影が見え隠れする。泣き黒子の無いのが相違点ではあるが、それ以上にどこか似非っぽさを漂わせる関西弁が鼻につく。間違いなく出身ではないはずだが、性格も相まってか不思議とそこまで違和感がない。
「二人が来るまでにしてよね」
「おおきに」
構わずジャンクフードを貪る様子に観念したのか、菊地原は肩を大きく落とした。
とはいえ、手持ち無沙汰なところをこの男と会話して潰すのはどうにも勘弁したいところであったから、仕方なく菊地原は周囲の騒音に耳を傾ける。
他人より幾分か耳のいい彼は、BGMと大差ない喧騒でも一つ一つの会話を聴き取ることが可能だ。あまり行儀の良い行為ではないが──と、一応の建前を心の内で唱え、さっきから止まらない噂話に注意を向ける。
サイドエフェクトを持つ隊員への暴言が多かったのは今は昔、最近はある話題で持ちきりだ。
曰く。変な関西弁の隊員は血も涙もない最低の人間だから、絶対に近づいてはいけない、とか。
ここまで広がると、菊地原でなくとも自然と耳に入ってしまうだろう。
「言われてるよ」
「そやなあ」
人間なん、それ?と戯けた様子でストローを吸った。中身のなくなった紙コップからは、空気と氷が擦れる音だけが鳴っている。
じいっと、菊地原は彼を見つめた。
無言ながらも、その様子から察するに「何かしなくていいのか」と訴えかけているらしい。
「士郎くんみたいに髪でも伸ばしたらええの?」
菊地原の視線が一気に鋭くなる。
菊地原の後ろ髪は肩にかかるほどの長さで、男子にしてはかなり長い方だ。それは単純な嗜好というより、一種の願掛けである。サイドエフェクト持ちという触れ込みで鳴り物入りで入隊した菊地原だったが、蓋を開けてみればそれは『強化聴覚』という、側からみれば何とも拍子抜けのものであった。「騒がれてたくせにそんな程度かよ」「全然大したことねえじゃねーか」嫌でも拾ってしまうそんな雑音を遮断できるような気がして、彼は耳にかかるまで髪を伸ばしていた。
そんな、菊地原の誰もに隠したい心の内を嫌味たらしく仄めかされて、顔が思わず歪む。
冗談やて、本気にせんでやと、また伊織はけらけらと笑った。
「そこ、邪魔なんだけど」
「怒らんといてや。冗談や言うたやないの」
「二人が来るまででしょ。相席」
菊地原が指をさすのに倣って伊織も振り返ると、風間隊の二人が談笑しているのが見えた。先ほどに二人がこちらへ向かう様子は聞こえていたから、菊地原にとっては予想していた通りだ。
「えらい薄情やわぁ…」
別にボク一緒でもええやないか、とか泣くふりをする伊織を菊地原は無視した。しばらく経っても返事がないからか、伊織は口を曲げたまま席を立つ。
「ま、ボクも用事あったとこやし?」
包み紙を綺麗に折り畳んで挨拶もなしに何処かへ向かう伊織を見て、菊地原は舌打ちをした。
休日ということもあってか、食堂近くの座席は全て埋まっている。
ええと、と伊織は辺りを見渡した。
菊地原には用事があると伝えたが、なんてことはない。彼に言われて振り返った時に、
「うーん、あっこでええか」
伊織の右寄り、壁際の席。
C級の制服を着た隊員四人が談笑している。別段大声という訳ではないが、話題が話題なだけに嫌でも脳が会話を聴き分けてしまう。
「おまえ、最近ボーダー入ったんだって? 琴吹伊織って知ってるか?」
「誰?」
「A級のソロ隊員。ボーダーで知らないやつは居ないよ」
「あれには絶対近づかない方がいいぞ。今までC級が何人も潰されてきたからな」
「あと、他人と揉め事もダメだ。あいつを呼び寄せるエサになる」
「エ、エサ…? 言ってる意味がわからないけど…」
「人を嫌な気持ちにさせるのが趣味なんだよ。知ってるか?あいつの好きなもの。揉め事とあと──」
「他人の困った顔とかも好きやなあ」
四人はぎょっとした。
噂話の張本人がいきなり目の前に現れたのだから当然である。他人の悪い噂話をしているという、良心の呵責が曲がりなりにも彼らにはあるようで、四人とも押し黙ってしまった。
「ああ、そう!ちょうどそんな感じのやつや!」
伊織はけらけらと笑う。
ひとしきり笑い終えたころには、四人はどこかに消えてしまった。
ちゃんとトレイを持って逃げるあたり、それなりの常識はあるらしい。興冷めした様子の伊織は、菊地原に釣られて振り返ったときに見えた人影を気にすることなく、その場を立ち去った。
☆
翌日のことだ。
B級部隊那須隊の隊長、那須玲はいつも通り、何をする訳でもないが自らの作戦室へ向かった。誰かしらは居るだろうからちょうどいい暇つぶしだ。というのも、故あって玲は基地外でもトリオン体でいることが例外的に許されているのだが、何だかズルをしているような気がして、外を出歩くのがどことなく申し訳なかったからだ。
案の定、作戦室にはチームメイトの熊谷友子が一人でくつろいでいた。パックのいちご牛乳をするすると吸いながら、こちらへ手を振っている。
挨拶は一拍置いてから返ってきた。
他の二人は出かけるやら家でダラダラするやらで忙しいらしい。まあ休日だからねー、と熊谷は自嘲気味に笑った。
「休日なのに私ってば、何やってんだろ…」
花の女子高生なのに、と今度は下を向いてしまった。
玲にとっては休日に外出できるというだけで結構テンションの上がる出来事だから、何故なのかはあまりよくわからない。
「一度でいいから『明日デートだからごめん!』とか言ってみたいわ…」
ソファでだらしなくいちご牛乳を飲んでいる内は縁がないだろうが…休日でも相も変わらず感情の発露が彼女らしくて、玲は笑った。
玲にはあまり共感できることではないが、色恋沙汰には敏感な年頃なのは理解できる。しかし性格はもちろん、容姿も割と上位に位置する熊谷ならそういったことには困らなそうなものだが。
「玲に言われると結構ダメージ来るわね…」
嫌味を込めて言ったつもりは全くなかったが、と一言謝ると、熊谷にかえって謝られてしまった。
若干気まずくなった空気を払うかのように、熊谷はこほん、と一つ咳払いをする。
「玲はないの? なんか素敵な出会いみたいな」
素敵な出会いと言われて思い当たる記憶はない。チームメイトにセクハラする自称実力派エリート、DANGERの読めない大学生、女子高生に尻に敷かれる成人男性。走馬灯のように脳裏を駆け巡るのは、どれも残念な大人たちばかりだ。
そうしてしばらく古い記憶から辿っていくとふと、昨日の出来事を思い出した。
食堂で昼食を取ろうとしていた時のこと。
まあ、一つぐらい空いているだろうと、横着して事前に席を確保せずに注文をしてしまったが、そういった時に限って満席だ。
しばらく待っていても、一向に空く気配はない。みな、食べ終えても雑談に興じているから、なかなか席を後にしないのだ。
そんな中、一人の男性と目が合った。
同じように辺りを見回して、空いている席を探しているようだ。しかし玲が何度も探しても見つからなかったのだ、恐らくはあの男性も立ち往生だろう。少しすると、男性は何かに気がついた様子で壁側の席へと向かっていった。
四人席に座る隊員たちは食事を終えて、何やら話し込んでいる。
男性はその隊員たちの下へ行き、一言二言交わすと、隊員たちはそそくさと席を立った。自分もやはりどこかへ譲ってもらうよう声をかけなくてはいけないか、と決心しかけたのだが、しかしその男性はそこへ座ることもなく、そのまま立ち去ってしまった。
「えっ、席を譲ってくれたってこと?」
「うん、多分そうだと思う」
他人の、それも昨日の事にも関わらず熊谷は嬉しそうに声を上げた。そういうのを待ってたのよ、とか勝手に盛り上がる熊谷に水を刺すのもなんだか申し訳ないから、もっと詳しく、とのチームメイトからの要求に応えることにする。
「えっと、背は高めで…」
いいわね、高身長!と熊谷。
「顔は!?かっこよかった!?」
「か、かっこいいかはわからないけど…。あ、髪は金髪というか、クリーム色っぽかったわ」
ええと…と何故か少し戸惑った声が聞こえた。
「あと、口調が特徴的だったの。京都弁かしら」
ああ、やっぱり…と残念そうに熊谷は呟く。
ついさっきまで目を輝かせて詳細を聞いていたというのに、萎んだアサガオのようにすっかりげんなりしている。解散、とでも言いたげだ。
「それ、琴吹だわ…」
「琴吹?」
琴吹伊織。玲や熊谷と同い年の隊員らしい。見覚えや聞き覚えがないが、どうやらソロ隊員のようだ。
「玲って変なとこ能天気よね…」
「そ、そうかしら?」
ボーダーで琴吹を知らない人間なんてほとんど居ないらしい。確かにボーダーでのコミュニティは熊谷や日浦と比べたら狭い方だが、能天気とまで言われるとは些か不本意というか、驚きである。
「有名人なのね、琴吹くん」
「悪い方面でね」
いちご牛乳を飲む熊谷の顔が渋くなる。熊谷も玲も、人の悪い噂に花を咲かせるつもりはなかったからか、この話題は終いになった。
「でも、あんまり悪そうな人には見えなかったけど…」
この一言を最後にして。
消化不良だと言って個人ランク戦ブースへ足を伸ばした熊谷を追うようにして玲もそこへ向かうと、ちょうど噂のソロ隊員の姿があった。
運命、とまで思考は飛躍しないが、何かの縁は感じずにはいられない。誰かを待っている様子はないし、思い切って声をかけることにした。
「琴吹くん。昨日はありがとう」
「ええと、どちらさん?」
どうやら昨日のことは覚えていないらしい。施された側の玲ですら、記憶を辿ってやっと思い出したのだから無理もない。あるいは、目が合ったのは気のせいで、単純にあの四人に何か用があっただけだったのかもしれない。
だんだんと耳が紅潮するのが感じられた。なんだか、自分だけが舞い上がってしまったようで恥ずかしい。
「あ…いや、なんでもないの。ごめんなさい。え、えっと、那須隊の隊長、那須玲です。よ、よろしく」
「ご丁寧にどうも。ボクは琴吹伊織いいます。まあ、そっちはボクのこと知ってるみたいやけど」
側から見ればいきなりありがとうから入って、それきり触れずに自己紹介をするのはかなり怪しい登場なのだが、伊織は気にせず礼をした。熊谷は玲のことを「能天気だ」と言ったが、伊織の方がよっぽどなのでは…と、内心玲は呟く。
「琴吹くんは今日は何を?」
「別に、なあんにも。玲ちゃんかて、そうやろ?」
少し気を許したところに名前で呼ばれると、なんだか仲良くなれたような気がする。
伊織はぱっと顔を綻ばせて
「おもろい事でも起こらんかな思うて、その辺ふらついてんね」
と言った。
休日の昼下がり、個人ランク戦は学生が暇を潰すには丁度いい催しなのかもしれない。ここならばトリオン体で居るのに違和感はないし、誰に対してなのかもぼんやりとした申し訳なさは感じない。冬の乾いた空気に溶け込むような、さっぱりとした感情を玲は抱いた。
「琴吹くんは出身は関西の方なのかしら?」
「どうやろなあ?三門かもしれへんよ」
何故か他人事のような物言いに、ふふ、と自然に笑みが溢れた。
どこかで見たような制服を伊織は着ているあたり、近くの高校に通っていることはわかる。どことなく間の抜けたイントネーションが弛緩した雰囲気をより柔らかくした。
一通り玲がリアクションを終えると、今度は伊織が声を潜めて
「ボクに話しかけるんはけったいな人やと思われるさかい、あんま近づかんといた方がええよ」
と言った。
自身の噂を鑑みてのことだろう。
けれども、ここまで話した感じ、玲は伊織が噂で聞いたような人物だとは全く思わなかった。
確かに、彼の言う通り、あまり気軽に伊織と話していたら玲も何か巻き添えを食らうかもしれないが、今日まで玲はそんな話を聞いたことはない。それはつまり、普段関わるボーダーの人間にそんな信憑性の欠片もない噂を吹聴する者は居ないということだ。ならば、極論を言ってしまえば玲の生活に何か悪影響があるということはない。
「ふふ、琴吹くんは優しいのね。私は気にしないわ」
「あ、そ。そやったら好きにしたらええわ」
しかし、伊織の返事はあまりにもそっけなかった。
途端に興味を失ったような薄っぺらい表情になると、付いてもいない埃を払うようにして立ち上がる。
「あの、一体どこへ…?」
少し驚いた様子で玲は言った。
「昼のおばんざい買うたろ思うて、あっこのスーパーや」
「一人暮らしなの?」
「従姉妹に頼まれてんね。適当に買うて炒飯でも作られてもうたら敵わんからなあ」
炒飯という単語に一瞬だけ伊織の顔が強張ったが、それ以外は変わらず平坦だ。少し前とは対照的に無機質な印象を受ける。
なんだか訳が分からないが、ともかく玲も伊織と一緒に基地の出口へとつま先を向けた時だ。
「それにしても、玲ちゃんも難儀してはるなあ」
伊織が、笑った。
すでに頭を支配していたクエスチョンマークが脳の容量を超えて、思考が追いついていない。
脈絡のない伊織の言葉に、玲は辛うじて疑問を投げかけた。
「
まるで親に隠していたひどい点数のテストが見つかってしまった時のように、ぎくりと玲の肩が上がる。
別に隠していたわけでもなく、そして隠していたから何ということもないはずなのだが、何故だかいけないことをしているような気分になった。
「なんでそれを…」
故に、口をつくのは言い訳のような言葉。
「メディア出といてそらあらへんやろ。キミ、結構有名人やで?」
と、伊織がここまで言ってようやく、状況が飲み込めてきたのだった。
「じ、じゃあ最初のは嘘…?」
この口ぶり、伊織が玲のことを知らなかったのというのは演技なのだろう。
演技。
その言葉が頭に浮かぶと、途端にわからなくなる。最初の人当たりが良さそうな伊織と、今の薄っぺらい表情の伊織のどちらが──
「どうやろなあ?」
伊織は笑う。
玲が『最初の』に含めた意味も汲みとってなのか、単純に額面に対しての返事なのかはわからない。けれど、はじめと今でのこの言葉の湿度は正反対だった。
「えらい出来過ぎてると思わへん? 親切にされた次の日に偶然ばったり出くわすなんて」
「え…?」
そうして再び思考よりも目の前の会話が先行していく中、伊織が次に発したのは全くもって予想だにしない内容。
玲を前から知っていたのは一歩遅れて理解した。しかしそれだけでなく、昨日の出来事も覚えていて、しかもそれが伊織の自作自演だと言いたいらしい。
「考えてみれば、あの手際の良さも怪しさマックスちゃう?」
確かにそう言われると、やけに四人の引き際はあっさりしていたような気がする。
つまりは伊織は、メディアに特集され密かに人気の玲に下心から恩を売ったと言いたいのだろう。
しかし仮にそうだとして、あえて玲にそれを告げる必要性が理解できない。事実、はじめは伊織に対して好印象を抱いていたというのに、それを意図的に伊織は崩すようなことをしたのだ。
何か得体の知れない気持ち悪さがじんわりと玲の中に入ってくる。
「あはは!冗談やて、本気にせんでや!」
玲が顔を歪めたところで、伊織はけらけらと笑った。
もはや何が冗談だったのかも玲にはわからなくなっていた。
「ほんなら玲ちゃん!折角やし一緒に行こか!」
そうして一巡回ったかのように、伊織はもとのさっぱりした笑顔に戻ると、止めた足を再び進める。
全く後ろを振り返らずに出口へ向かう伊織よりも先に、玲は気がつくと自らの作戦室へ逃げるように走っていた。