覗く
「…こんなところか」
最後の書類をまとめ上げ、ようやく忍田は一息ついた。
ここ最近、あまりにも事件や出来事が一度に起きすぎている。上層部の面々はその対策なり指揮なり後処理なりで大忙しだ。時折、鬼怒田に対して不摂生を改めるよう小言を言うこともあったが、これほどの激務を毎日こなしているのだと考えると、無理もないのかもしれない。
イレギュラー門、近界民、そして黒トリガー争奪戦。当時は色々と肝を冷やしたが、全てが終わった今となっては、ゆっくりと振り返る時間もある。
一度、忍田は冷えてしまったコーヒーを口に運んだ。
これら一連の出来事の中心にいたのは、三雲修と空閑遊真の二人だろう。彼らがイレギュラー門事件の解決に奔走したおかげで現在の平穏な暮らしがあるといっても過言ではない。だからこそ、あんな茶番を行わずとも最初から遊真を歓迎していればよかった、と今でも忍田は思う。
出来事の中心にいたのが彼らだとすれば、裏にいたのは城戸司令だろう。近界民の遊真を巡って他の派閥と対立し、琴吹伊織という搦め手まで利用して派閥の拡大に成功した。食えないのは、城戸派だけが利益を得ただけでなく、遊真や彼の黒トリガーが加わったことでボーダー全体で見ても戦力が上がったということだろう。落とし所としては完璧なものだ。
琴吹伊織という、一人の隊員を好きに利用した点を除いては。
その裏にどんな感情や決意があるのかはわからないが、伊織がやらんとしていることは忍田も認識している。それが机上の空論であり、伊織一人では間違っても達成できないということも。
だが、彼もまだ高校生だ。失敗を重ねて大人になっていく年齢だ。行き過ぎた行為は叱ってやる必要があるが、大人が正しい方向へ導いてやらないでどうする。それを城戸は、ただ己の目的のためだけに利用し、挙げ句の果てには真意を隠すためのスケープゴートにした。珍しく迅が怒りを露わにしたのも、そうした城戸の行動に憤りを感じたのだろう。
「…琴吹伊織、か」
忍田は、デスクの片隅に置かれた書類へ目をやった。
A級個人隊員琴吹伊織に関する調査書、とそこには銘打たれている。冷え切ったコーヒーを飲む片手間、忍田はそれを手に取った。
琴吹伊織。
本部所属、A級個人隊員。
ボーダーには、従姉妹である加古望(注釈1を参考されたし)のスカウトで入隊。隊員としての適性は高く、特にトリオン量に関してはサイドエフェクトを発現してもおかしくないレベル。しかし、適性検査の段階から素行に関しては問題がみられ、入隊の可否は上層部へ判断を仰いだうえでの結論となる。
以下に調査書執筆時点での琴吹隊員の各種データをを示す。
ポジション:シューター
ポイント:7092(バイパー)、5438(アステロイド)
主トリガー:バイパー(改)、アステロイド、テレポーター(試作)、シールド
副トリガー:バイパー(改)、メテオラ、シールド、Free
トリオン:10
攻撃:10
防御・援護:5
機動:5
技術:13
射程:6
指揮:3
特殊戦術:2
トータル:53
シューターには珍しく、サポートよりも自らが勝負を決める方が得意と思われる。バイパーの弾道制御に代表されるようにトリガーを扱う技術に関してはボーダートップクラスの技量を見せており、素行の問題さえクリアすれば今すぐにでも開発室は彼の能力を調査したい、という旨の発言を鬼怒田室長はしている。
特に、琴吹隊員がかつて扱っていた玉狛支部のワンオフトリガーに関しては、ボーダーのトリガーの性質上、実戦では観測不可能な結果を示すことが可能であり────
「……」
忍田は興味深そうに息を巻いた。
あれだけ伊織に対して声を荒げていた鬼怒田が、存外彼のことを評価していたからだ。もちろん、素行という一番の問題点を度外視したのであれば、という条件がつくのだろうが。
その後、調査書には伊織の起こした問題の列挙が延々と続くが、それはそこそこに、更にページを捲る。
玉狛第一(木崎隊)脱退後の琴吹隊員の処遇について、一般的には部隊が解散となった場合のみA級個人隊員という肩書きを与えることとなっているが(界境防衛機関隊務規定第七章を参照されたし)、彼の組織内での立場を鑑みた上で、A級個人隊員という、ある種例外的な肩書きを持つ方が彼に箔が付き振る舞いやすいだろうという点、A級の権限である既存トリガーの改造を施したバイパーの活用に目を見張るものがあるという点から、特例でA級隊員であることを認めるという結論が上層部の判断で決められた。しかしながら、彼の行動を予測することは迅隊員のサイドエフェクトをもってしても難しいため、玉狛へ所属している間外されていた監視は戻すものとする。
「…監視」
忍田が思うに、ボーダー隊員が伊織に対して抱く感情は三種類に分かれる。
一つは嫌悪。大多数はこれだろう。自分に対して振り撒かれた悪感情を好意的に捉える人間は居ない。
一つは無視。嫌なものは寄せ付けない。それもまた、人生を歩む上で必要なことのひとつだ。
そして残る一つは、親愛。数は圧倒的に少ないが、伊織を大切に思う人間も存在する。忍田の認識するところでは、林藤支部長、迅、加古隊の隊員たちであろうか。
しかし、城戸だけは例外だった。黒トリガー争奪戦でのことも然り、伊織のことを徹頭徹尾利用することだけを考えている。それは、例外的に彼をA級個人隊員と認めた点や、あれだけの問題行動を起こしても彼を黙認している点からもそう言えるだろう。監視という行為も、利用するためには城戸の管理下に彼を置く必要がある、という思惑の表れだ。
だが、伊織自身あえて利用されている節もあった。
みんなが傷つかないことと、これ以上仲間を失わないこと。背景は違えど、彼と城戸の果たさんとすることは共通している。恐らく二人の間で具体的な取引は交わされていないだろうが、暗黙の了解として彼らはこの歪な関係を続けているのだろう。
「しかし、迅もまた妙なことを言う…」
ため息を一つ、忍田はついた。
迅や伊織がやってきて、風刃と引き換えに遊真の入隊を認めさせた後のこと。迅は忍田に対して、二つ頼み事をした。
彼の防衛任務を極力減らすこと。そして、遊真や修たち玉狛の新メンバーになるべく関わらせること。
それがひいては、今後予想される近界民の大規模侵攻でのより良い未来へ繋がるという。なぜそうなるのかは彼の口から語られることはなかったが、迅がそう言うのならそうなのだろう。彼を信頼するだけの結果は今までで十分すぎるほど受け取っている。
だが、あまりに突拍子もないことだったから忍田は少なからず困惑した。防衛任務を減らせば伊織の実戦感覚を鈍らせるだろうし、遊真たちと関わらせて小南が黙っているはずもなく、ただ状況が混沌とするだけのような気がするが。
「…いや、しかし」
存外長い間報告書を読んでいたようで、PCはスリープモードに入っていた。マウスを適当に動かして再起動させると、忍田はファイルを二つ開く。
一つは、遊真たちも参加する入隊式のプログラム。もう一つは、その裏で行われるチームランク戦の対戦表。普段であれば、一月はオフシーズンでありランク戦は終了しているが、今回は事情が違う。迅からの助言で、最終戦をこの日に振り替えるよう決めていたからだ。
忍田は、そのランク戦の解説に伊織を据えるつもりでいる。
迅にああ言われた手前、申し訳ないような気もするが、忍田が責任を持って預かるのは遊真たちだけではない。期待とやる気を持って新たな門出を迎える訓練生たちに、初日から『琴吹伊織』を経験させるのはあまりにも酷というものだろう。
これだけは、迅の頼みを聞くわけにはいかなかった。
「忍田本部長、お時間です」
眉間に皺を寄せて思い悩むところに、扉越しから沢村本部長補佐の声がかかった。
壁の時計へ目をやる。もうこんな時間か、と忍田は呟いた。
「定例会議だったな。今向かう」
PCの電源を切り、忍田は席を立った。
机に置いた報告書を引き出しにしまい、部屋を後にする。
この時はまだ、忍田は知らなかった。
迅の言う『より良い未来』とは、無数にある最悪の未来と比べた相対的なものであるということ。どうあがいても伊織本人には、悲しい結末しか待ち受けていないということ。
暖かな夕暮れが、誰も居ない本部長室を照らす。伊織の報告書は、一人暗い四角の中だ。
短めの話、短めの区切りですみません。
伊織の設定集、とでも捉えていただければと思います。