年内には大規模侵攻に入りたいです………
観覧席の出口付近に彼は居た。
右肩を壁にもたれかけ、葉子からは背中しか見えない。少しずつ近づいていくと、断片的に誰かと話す声が聞こえてきた。
解説はいつぶりだの。見ない間に少し痩せただの。またドライブに行きましょうだの。耳に入ってくるのは伊織の向こうに居るであろう、聞き覚えのある女性の声ばかりで、伊織は「ああ」だとか、「はいはい」だとかぞんざいな返事しかしていない。
解説席で周囲に毒を撒き散らす姿とはあまりにかけ離れた、まるで身内相手に気を許したような様子の伊織を見て、余計に葉子は苛立った。
「へえ。嫌われ者って聞いてたけど、話し相手くらいは居るのね」
伊織がぎょろりと振り返る。あまりの勢いに、葉子はぎょっとした。
「おやおやおや。これはこれはイニシャルKやのに未だ加古隊に勧誘されてへん葉子ちゃんやないの」
振り返った伊織は、作戦室から見たものと同じような表情をしていた。
「…あんた、よっぽど叩き潰されたいらしいわね」
出来る限り最大限に底冷えする声で、眉間に力を入れて睨みつける。
だが、それを向けられた嫌われ者は、腹が立つような貼りついた笑みを余計に大きくした。
「叩き潰す…? あはは!おもろい冗談言うなあ!」
笑い声が乾いた廊下に響く。
「B級相手ですら一人も落とせへんかった葉子ちゃんが、誰に何をするって?」
「こいつ…!!」
葉子の顔が更に険しくなる。
お互い、言い合わせてもいないのにほとんど同時に、個人ランク戦ブースへ向かおうとした時だった。
「伊織」
望が伊織を呼び止めた。
「何や、今いいところやってのに」
無表情で、振り返らずに伊織は言う。
その顔も──彼女は今日の伊織しか知らないが──葉子には、見たことのないものだった。
「先に戻ってるわ。…週末、予定を空けておいてちょうだい」
それだけ言って、望は伊織の返事も聞かずにどこかへ歩いていく。
堪忍したかのように、伊織は「はいはい、わかったわかった」と首を縦に振った。
「…
望は頷いて、それから笑った。
伊織のそれがどんな意味を持つのか、葉子にはわからない。だが、二人のやりとりを目の当たりにして、作戦室で感じたもやもやが腹の奥でちりちりと熱くなるようだった。
個人ランク戦ブース。葉子は個室に入るなり、驚きとともに嘲りの感情を抱いた。
『ぶっ…! あんた、マスタークラスにすらいってないじゃない!』
ブース番号133。使用トリガーはバイパーで、ポイントは7000台。葉子よりも下だ。
ボーダーでは8000を越えた隊員はマスタークラスと呼ばれ、一種の実力の指標とされている。葉子もマスタークラスだ。
あれだけ葉子たちをこき下ろしたくせに、当の本人はその程度。玲を相手に束になっても圧倒された、チームメイト二人と同じレベル。もやもやした感情のサンドバックにするには、お誂え向きかもしれない。
『どこのチームかは知らないけど、こんな弱いやつ居たんじゃ解散して正解ね!』
通信機越しから伊織の吠え面でも感じられることを期待して葉子は畳み掛けた、が。
『たしかに、あっこはボクには合わへんかったわ。もっと手頃な──そやなあ、イコさんに手も足も出えへんようなやつが隊長やってるくらいのチームがええかもなあ』
終わってから一時間も経たないチーム戦の記憶を無理やり、それも嫌な部分だけこじ開けられ、葉子の顔が歪む。彼に見られなくてよかった、と少しだけ思った。
『…潰す』
『あはは! 冗談やて、本気にせんでや!』
☆
転送先。住宅が並ぶオーソドックスな戦いの場だった。
開戦の華からの通信を思い出す。聞き慣れた声が無いだけで、少し寂しい気がした。
(ナメた真似…!)
レーダーを見ると、東の方に一つ、まるで自己主張を存分にするかのように反応があった。
それは伊織がバッグワームを起動していないということであり、それが意味するのは、正々堂々正面から戦いたい…のではなく、葉子相手なら姿を隠す必要もない、ということだろう。少なくとも、葉子はそう受け取った。
対抗するかのように、葉子は一度羽織ったバッグワームを解除する。
どうやら、実力を勘違いして調子に乗る雑魚相手に、力の差というものを見せつけなくてはいけないらしい。
「あれ、正面から来るんや」
微動だにしないレーダー反応の所まで行くと、迎えたのは不思議そうな表情だった。
みょうがわるいなあ、と首を傾げたまま一言、伊織はこちらに聞こえるように呟く。
「あんたくらい、小細工なんて使わなくても余裕よ」
だが、葉子はあまり意に介さなかった。
言わせておけばいい。今までチームの得点のほとんどを獲得してきた自信がある。ポイント7000そこらの相手、軽く捻り潰せる。
確か、彼がメインに使うトリガーはバイパーだったはずだ。グラスホッパーで近距離まで近づいて、スコーピオンで切り裂いて終わり。
そうイメージをつけて、右足で反射板を踏んだ。
「あ、そ。なんでもええけど」
勢いのままスコーピオンを一閃するが、手応えはない。
振り返ると、近くの塀を背にして、彼は相変わらず貼りついた笑みで佇んでいた。
別段躊躇もせず、伊織へ接近する。今度は相手の距離まで下がるつもりはない。
息をつかせぬように、両手のスコーピオンを葉子は振る。生駒と違い、受け太刀からのカウンターに怯える必要はない。反撃もシューター相手ならワンテンポ遅れてやってくる。安易にこの距離まで近寄らせた伊織の驕りだ。
少しずつ、少しずつ。伊織と塀の距離が縮まっていく。
(所詮この程度よ)
伊織の回避を、葉子のスコーピオンが上回ってきた。どうやら向こうの盾の展開が追いつかないらしく、盾で防ぐのは時折だけで、何とかステップで避けているといった状態だ。
右手で振るったスコーピオンを辛くも避けた先。伊織の左踵が、塀に付いた。
「これで終わりね!」
左のスコーピオンで、伊織の左半身を攻撃する。もう退がる事は出来ない。盾で凌がれても両手の手数で押し切れる。反撃にトリオンキューブを展開する様子もない。
なら、伊織が次に打つ手は一つ。
スコーピオンが伊織の左脇腹を捉え、突き刺す──前に、予想通り、伊織は姿を消した。
視線の向く方、数メートル先。どこへ姿を消したのかはわかっている。葉子は塀を突き刺したスコーピオンを確認することなく、そちらへ身体を向けようとした。
だが。
(な……)
葉子の目に映ったのは、吠え面をかいて焦る彼の姿ではない。しばらく煙が視界を占拠し、それから見えたのは呆れるくらいに真っ青な空だった。
何が起こったのか、わからない。
「おーい。こっちやでー」
声がする。葉子の背後に居るはずの彼の声は、いつの間にか正面から聞こえてきた。
辺りを見る。どうやら尻もちをついていたらしい。葉子がスコーピオンを突き刺して瓦解したはずの住宅の塀は、跡形もなく消えていた。そして、葉子の身体からは所々トリオンが漏れている。…このダメージの具合、一時間と経たないほど前に葉子は味わっていた。
「うーん、
「…っ!!!」
歯を折ってしまいそうなくらい、顎の力が強くなる。
跡形もなく消えた瓦礫に、破片でも食らったかのように漏れ出すトリオン。ランク戦で日浦にやられたのと同じ、爆風によるものだ。
(こいつ…! 壁の裏にメテオラを…!)
塀まで追いつめたと葉子は思っていたが、実際は逆だ。彼女が来る前に仕掛けておいたメテオラのところまで伊織は瞬間移動をし、避ける素振りでそこまで誘導した。あとは、葉子のスコーピオンなり射撃なりが塀を打ち壊して、その瓦礫がメテオラを爆破させるのを誘えばいい。
だが、伊織が自分で言った通り爆発は小規模だった。もっと火力の大きなメテオラだったら一発で仕留められただろう。…つまり、ただ煽るためだけにあんなことをした、ということになる。
「…っざけんな!!」
伊織の行動と──まんまとやられた自分への苛立ちを隠さず、葉子は迫る。
小細工がどうとか、深く考えるのはやめた。全力で、最速で終わらせる。
アステロイドでの牽制を四発ほど見舞い、スコーピオンを振るう。射撃は盾で、スコーピオンはステップで避けられた。
だが、それでいい。
伊織がステップした先にはグラスホッパーがある。右足が地面に触れるよりも先にそれを踏んで、伊織は再び葉子の目の前に戻された。
少し驚いたような様子を見せる伊織から、射撃が数発飛んでくる。
(こんな射撃…!)
至近距離から真っ直ぐ葉子の懐へ向かってくるが、あの時の旋空より数段も遅い。
葉子はそれを難なく避けると、今度は両手のスコーピオンで畳みかけた。空中で移動の出来ない伊織は盾で受けることしかできない。それも、両側からとなると反撃にトリガーを使う隙もなさそうだ。
右のスコーピオンで薙ぎ払う。伊織は盾で防御した。
次は左。これも盾で防がれる。続けて左。当たる寸前で、また防がれた。
だが、葉子はそれを好機と捉える。盾と伊織との間隔が段々と狭まってくれば、伊織本体へ当たる確率も上がるからだ。
そして、盾を縫って攻撃を当てる技術と発想に関しては、葉子はボーダー有数だ。
防がれた左手が弾かれる反動のまま、葉子はスコーピオンを手放す。その慣性で飛んでいったスコーピオンは、その先のグラスホッパーで反射し、伊織の背後へと弾かれていった。そしてまた、背後のグラスホッパーがスコーピオンを反射させる。ブーメランのように回転しながら伊織の側を動き回るスコーピオンは、さながら鎌鼬のように刹那の攻防を描く。
伊織へブーメランが接近する中、葉子は右手でスコーピオンを振るって、彼に選択を迫る。
飛び回る方を撃ち落とすのか、あるいは防ぐのか。それともある程度のダメージは割り切って、目の前の葉子を警戒するのか。だが、彼がどうするのかは明白だ。
伊織は葉子の右手の方と、右後方から飛来してくる方、どちらも盾で受けた。
それが最も安全であり、最も
伊織の盾に衝突し、ブーメランは弾かれる。
今よりも上空へ弾き返されたそれを横目に、葉子は再び右手を振るった。
まだ畳みかけるつもりか。伊織は身構えて、スコーピオンの軌道上に盾を置くが、葉子のスコーピオンは明後日の方へ伸びていく。
伸びたその先で────スコーピオンは、弾かれたブーメランと接触し、一体となった。
「…!」
一体となった二つのスコーピオンは、普段のリーチを遥かに超え、直角を為して伊織の右肩へ突き刺さる。
元A級隊員、影浦の得意技『マンティス』。
二本のスコーピオンを連結し、通常よりも遥かに長い射程で相手を攻撃する彼の得意技だ。
現在B級二位部隊を率いる彼との対戦経験はほとんどなく、またログを見て研究するなんて面倒な真似は全くしない葉子にとっては、彼の技を借りたという自覚はない。ただのその場での思いつきだ。
だが、空中でスコーピオンを連結して攻撃するなんてマンティスの応用とも言える芸当、ぶっつけでやってのけた葉子の胆力と実力は特筆すべきである。
「あはは! いい顔よ、あんた!」
言葉とは裏腹に葉子はすぐさま伊織へ接近した。
最速で終わらせるとすでに決めている。伊織の吠え面なら、あとで拝めばいい。
右手を振り下ろす先、伊織は盾を構える。
彼の展開した盾はいつもより範囲の広いものだったが、葉子は気に留めなかった。
油断ではない。彼女にとって、それはただのけん制だった。防がれることは織り込み済み。この先でどう伊織を崩していくのか、そちらへ思考を割いていた。だから、些細な違和感を無意識に切り捨てた。
スコーピオンを振り抜く途中、何かをさくりと切る感触がした。
それが盾ではないと感じると同時に、辺りに小さな爆発が起こる。
視界を再び、爆風が占拠した。
(小癪…!)
その正体は小さなメテオラである。
伊織は葉子の攻撃が当たる前、展開しておいたメテオラを一発、スコーピオンの軌道へと向かわせた。
やや広く延ばした盾は爆風を防ぐためのものだったらしいが、葉子にもダメージはほとんどない。
迫り来る葉子から時間を稼ぐだけ稼いで、考える時間を作ろうとしたのだろうが、こんな虚仮威しに日和る葉子ではなかった。
足下へグラスホッパーを展開する。爆風で見えないのは向こうも同じ。なら、いきなり目の前に葉子が現れて面食らうはずだ。
「全部後手で、
爆風を突っ切る。その中に伊織の姿は見えない。流石に一歩退がったか、と少しだけ用心して、そのまま白煙を抜ける。
「ちゃうなあ。キミが一歩、早いんね」
前傾姿勢で駆け抜けたその先、伊織は葉子を見下ろしていた。
葉子の目が見開く。
伊織にではない。葉子の視線はその傍らにある、無数のトリオンキューブに注がれていた。
一体いくつに分割したのだろう。大まかな数すら見当がつかないほどに、それは伊織の背後を真白く照らしている。
(釣られた…!?)
メテオラでお互いの姿が見えなくなった時点で、一つの読み合いがあった。
仕切り直すか、畳みかけるか。
伊織は前者、葉子は後者をそれまでで見せていた。そしてその結果、葉子が優勢に立ってもいた。大抵の人間は上手くいっているときほど疑問に思わない。パーしか出せない人間が──そもそもそう思わされている時点で葉子の負けなのだが──突然グーを出してくるとは、思いもしなかった。
「イコさんにもボクにもボコられて、人生世知辛いなあ」
伊織のもとを離れたトリオンキューブたちは、まるで小魚が集まって泳ぐかのように群れを成し、三日月を形成する。
さながら、それは────
「旋空弧月、なーんて」
(は、速い!?)
先程のアステロイドのスピードを想定していた葉子は驚愕する。シューターの特徴にして特権。威力や速度といったパラメータを自在に操ることのできるメリットが遺憾なく発揮された。
そしてそれは、刀で切断するかのように、葉子の右半身を抉り取る。
「…カメラ目線できへんかったわ」
脱出光がひとつ、伊織の頭の上を通り過ぎていった。
☆
『うーん。大した威勢の割に、やっぱおもろないなあ』
結果。五本勝負のうち、負けは四つ。振り返れば、完敗だった。
『どうしてアタシがこんなやつに…!』
認めたくない。自分よりポイントが下のやつに、自分をあんなにバカにしたやつに、完敗しただなんて。しかも、葉子がランク戦で負ったものと同じような食らい方を許すなんて、屈辱もいいところだ。
『あはは! 準備も実力も足りへんって、解説のとき言うたやないか!』
ズタズタにされたプライドに追い討ちをかけるように、伊織は同じ言葉を重ねる。
言い返すこともせずにただ通信機を睨みつけていると、伊織は「けどな」と続けた。その声色が、自分よりも下の者へ向けられるような嘲笑の類だと感じて、苛立ちは最高潮まで跳ね上がる。
『ボクかて少ーし言いすぎたって反省してんね。ちょっとだけアドバイスしたるわ』
いらない、と通信機に向かって吐き捨てるが、聞こえてくる声は全く聞く耳を持たない。
『負けるのが嫌なんやろ? そやったら簡単や。勝負なんてせえへんで逃げたらええ』
確かに、今まで葉子は壁に当たったときは、乗り越えようとせずに逃げてきた。オールラウンダーの称号も、裏を返せば中途半端に投げ出してきた結果だ。
だが、プライドの高さだけはボーダーで留まることを知らない葉子がそう言われて、素直に従うはずがない。絶対にこいつを見返してやるとさえ思った。
戻ったら、特訓だ。そう決めたときに葉子の頭に浮かんだ戻る先には、見慣れた三人の姿があった。文句を言いながらも手伝ってくれそうなのと、それを宥めてくれるのと、何も言わずに手を貸してしてくれるのと。
そんな時、だった。
通信機から、声が聞こえてくる。
『チームなんて組んでるから試合せなあかんのや。ちょうどシーズン終わってキリもええし、
『お前、名前は?』
気がついたら、口をついていた。自分が思っているよりもずっと低い声で、大きな声で。
なぜランク戦が終わってから、あんなにもやもやしたのか。ぼんやりとだが外型がわかりかけてきた気がする。手を伸ばせば届きそうだが、その前に嫌われ者への感情が邪魔をした。
『琴吹伊織。ボーダーで知らへんやつの方が少ないで?』
『琴吹伊織…しっかり覚えたわ。お前は絶対に許さない』
どうしてここまで感情的になったのか、まだはっきりとはわからない。伊織の言葉への反抗心とはまた違う。ただ一つ言えるのは、それは到底看過できるものではない、ということだ。
『あんたはアタシがぶっ潰す』