敵の敵は味方になるらしい   作:マカベ

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ただ、楽しかったんだ その1

 ────違うんだ、父さん。

 あの日決めたことを忘れたわけじゃない。過去に葬り去ったわけでもない。全てを完璧に記憶できる俺にとって、あの日のことは色褪せずに思い出すことができる。つまりはそれは、俺にとって紛れもなく今のことなんだ。

 

 ああ、わかってるよ。父さんには申し訳ないと思ってる。

 だけど。言い訳にしかならないけど、それでも一つ言えるとするのなら、あの時だけは。

 

 ……ただ、楽しかったんだ。

 

 

 

 

 

 歪んだ理想を下敷きに日々を積み違えていた伊織だったが、それは高校に入っても変わらなかった。毎日のように問題を起こし、時には保護者である望の両親が呼び出されもした。

 だが。望は当時では唯一の伊織の理解者であった。何故人に嫌がらせをするのかも知っていたから、望から伊織を叱ったことは一度もない。しかし、事情を知っているが故に、望が伊織を思う気持ちは日に日に重たいものとなっていた。例えば、学校の不良に喧嘩をふっかけた時。例えば、クラスの女子を泣かせた時。望にしかわからないだろうが、それらを受け止める伊織の顔は恐怖と申し訳なさが同居した感情が、ほんの少しだけ入り混じっている。そしてその時の出来事は、その時の感情とセットになって伊織に不動の記憶として積み重なる。夜中、夢でうなされる伊織を見るのは、もはや毎日のこととなっていた。それでも伊織は毎日変わらず、嫌われ者を演じ続ける。自分が傷ついてもお構いなしに。もはや狂気ともいえるそんな行動を見て、望の方が先に根を上げてしまったのだ。

 そんなとき、望に天啓が降りる。二つの目的のために、望は伊織をボーダーへ誘うことにした。幸い、彼の能力は突出していたらしく、素行には目をつぶって採用される運びになったわけである。

 そうして伊織がボーダーに入ってから少し経ったときのこと。ボーダーで片方の目的を果たせなかった望は、もう一つの目的を果たすべく、伊織の師匠でもある東と玉狛支部の迅の協力で彼を玉狛支部に転属させた。

 伊織が安心して眠れるように。他人に嫌われる記憶よりも、仲間との楽しい思い出がいっぱいになるように。そう、願って。

 

 

 

 

「はあ!?こいつをうちのチームに入れる!?」

 

 いつかの玉狛支部。従姉妹に強引に推し進められ、師匠にそれっぽい理由で言いくるめられ、伊織はここへ転属することになった。今日がその初日である。

 迅とかいう、軽薄そうな顔に変なサングラスをつけたいかにも胡散臭い男に連れられ、支部のメンバーに紹介されての現在だ。

 まさか、ボーダー最強部隊にいきなり組み込まれるとは伊織も思ってもみなかったが、驚く心をかき消して冷静にしてしまうくらいの大声で、長い髪に羽根を生やした女子──小南はありえない、といったリアクションを見せた。

 

「ああ。支部長(ボス)からの命令だ。面倒見てやってくれ」

 

「琴吹伊織や。よろしゅうな〜」

 

 繕った薄っぺらい笑顔で伊織は言う。

 それを見ると、今度は小南は怪訝そうな顔をした。

 

「……なんかあやしいんだけど、こいつ」

 

 驚いたり怪しんだり、よくもまあころころと表情が変わるな、と思う。

 だが、この手の人間が一番伊織にとってはやりやすい。

 

「初対面の人間にえらいこと言いはるなあ、()()()()()()()桐絵ちゃんは」

 

「なっ!?ど、どこでそれを……!?ってか、名前!なんで知ってんのよ!」

 

 あたふたと、忙しなく一人で慌てた様子を小南は見せる。

 初動は上出来だ、と伊織は口角を上げた。

 

「そやなあ。例えば、密かに桐絵ちゃんの後をつけていろいろ調べた、とか」

 

「…………」

 

 気色の悪いものを見るような目で、小南は伊織を見る。

 

「あはは!冗談やて、本気にせんでや!」

 

 ぱっと、普段通りの張り付いたような笑みを浮かべて伊織は笑った。

 実際のところ、伊織のそれは半分本当で半分嘘だ。ストーキングこそしてはいないものの、玉狛に転属するとなってから、伊織は徹底的に支部の隊員たちを調べ上げたのである。

 

 小南桐絵。攻撃手ランク3位。何でも一度は信じてしまう弄りがいのある人物で、なぜか学校ではオペレーターをやっていることにして猫を被っているらしい。

 烏丸京介。太刀川隊の元メンバー。転属理由まではわからなかったが、家計が苦しくボーダー以外でもバイトをしているらしい。

 宇佐美栞。風間隊の元オペレーター。メガネ狂い。彼女を知る人はみな口を揃えて性格の良さを褒め称える人格者。

 木崎レイジ。ボーダー唯一のパーフェクトオールラウンダーにして、ボーダー創設メンバーの一人。彼の弱みは調べた限りでは掴めなかった。

 迅悠一。風刃を所持するS級隊員。未来予知のサイドエフェクトを持つ。趣味は暗躍だとふざけてはいるものの、サイドエフェクトからいって伊織の一番の障害となり得る存在。

 裏方のメンバーはスカウトに向かうことが多く、あまり情報は得られなかったが、伊織が抱いた玉狛への印象はただ一つ。ボーダー屈指のエリート集団だということだ。それを聴いた従姉妹は意味ありげに笑っていたが、ともかく、ここでも自分の役割は変わらない。

 

「こいつはまた強烈なのが来たな」

 

 レイジが苦笑いをする。

 

「本当にこいつ入れるの?あたし嫌なんだけど」

 

 そう言って、小南はこちらを睨みつけた。

 まずは、誰か一人でいい。一人を標的にすれば、他の人間だって少なくとも伊織に対していい感情は抱かないだろう。その先入観を抱かせれば、あとは些細なことの繰り返しで簡単に好感度は下げられる。

 伊織が集団と関わるときの、よく取る立ち回り方だ。

 

「んー、そやったら別にええんちゃう?オペレーターなら栞ちゃんも居てはるわけやし」

 

「……わかった。ちょっとこっち来なさい」

 

 伊織は再び、笑った。

 

 

 

 

 

 

「うーん。初日から校舎裏呼び出すなんて、ええ性格してはるなあ」

 

 玉狛支部のトリオン空間。加古隊の作戦室にも訓練用の仮想空間が用意されていたが、それの玉狛支部版といったところだろう。

 だだっ広い真っ白な空間の中央に、小南と伊織の二人だけが居る。さながらそれは、不良高校生が気に入らない生徒を校舎裏に呼び出した光景に近しいものを感じる。

 

「校舎裏?何の話よ?」

 

 一方の小南は、伊織の言葉に首を傾げた。

 

「あれ、お嬢さま校って頭ええんとちゃうの?……ああ。ボーダーやから、そういう……」

 

「なんかバカにされてるのはわかるわ……」

 

 はあ、と両者ため息をついた。

 

「ともかく!あたしのチームに弱いやつはいらないの。あんたの実力、見せてみなさい」

 

 小南は懐からトリガーを取り出してみせる。「あんたも出しなさい」とでも言いたげな目線だ。

 

「ええと、桐絵ちゃんって太刀川さんタイプ?頭足りなさそうなとことかそっくりや」

 

 何かにつけて戦闘で解決しようという魂胆は、個人総合一位を筆頭に本部に数多く居る戦闘狂の発想だ。

 だが、小南がその手の人間であることは事前に織り込み済み。性格の悪い新参者と、古株の一人が対立する。この構図を作りたくて、伊織は『一人目』を小南にしたのだから。

 

「……そうね。あたしが勝ったら、まずはその『桐絵ちゃん』ってのやめさせるから。なんか背筋がゾワっとするし」

 

 煽るような口調で、小南は伊織を見下ろす。

 そのまま、「あんたは?」と続けた。片方だけの要求ではフェアではない、と思ったのだろうが、その目は微塵にも自分が負けるとは思っていなさそうだ。

 

「別に。子どもと遊ぶのにいちいち賭けなんてせえへんやろ。大人げない」

 

 口元を吊り上げて笑う。ぴくり、と小南の目が引きつった。

 

「その減らず口も叩き直してあげるわ……!」

 

 

 

 

 

 

「まあ、そりゃそうすよね」

 

 玉狛支部、居間。

 小南と伊織の勝負を見て、京介は当然の結果だ、と頷いた。

 結果として、十本中、伊織が勝った試合はゼロ。完膚なきまでの敗北だ。

 それ自体は想定通りではある。流石の伊織も、攻撃手ランク三位の小南相手に勝てるとは思っていない。伊織と小南が対立するという、それそのものが重要なのであって、結果は正直どうでもよかった。

 だが。想定外だったのは、試合を終えて居間に戻った伊織に対して京介がかけた言葉に、嘲りの感情が一切なかったことだ。

 

「で、どうだったんだこいつは?」

 

 レイジが小南に問いかける。ついさっきまで、伊織の性格に対して苦笑いをしていたというのに、まるでランク戦を終えたあとの振り返りを行うかのようにその声に偏りはなく、フラットなものだった。

 

「……あんた、B級入りたてよね?」

 

 そして、当事者の小南も。

 先ほどまで顔に立っていた青筋は全くなく、むしろ伊織に対して感心でもしているかのようだ。

 

「筋が良いわ。物覚えが早い。鋼さん相手にしてるみたいだった」

 

 小南が続けた言葉に、伊織は目を丸くした。

 結果で見ても小南の心象を察しても、罵倒こそすれ、褒められるとは思ってすらいなかったからだ。

 

「つまり、A級レベルになるのも時間の問題ってことだな」

 

「ぐ……認めたくはないけど……」

 

 ちょっと待ってほしい。

 琴吹伊織は、初対面にも関わらず他人が気にしていることをずけずけと馬鹿にして、戦闘の前にはこれでもかと煽りちらかした人間である。

 だというのに、なぜ。

 なぜ小南は伊織を罵倒しない?

 なぜ京介は伊織を笑わない?

 なぜレイジは伊織を嫌わない?

 

 ……どうして玉狛の人間たちは、伊織を受け入れはじめている?

 

「加古さんの従兄弟すからね。センスあってもおかしくないでしょ」

 

 伊織はぎょっとした。別に隠していたわけではないが、望も伊織も周囲に言いふらしてはいない。これまでで一度も話したことがない京介が知っているはずはなかった。

 

「えっ、そうなの!?」

 

 小南が驚いた様子で伊織を見る。

 その視線を受けつつも、横目で京介を確認すると、仏頂面が心なしかにやついていた。

 ……察した。

 恐らく、京介は小南を騙して遊ぶために適当なことを言ったのだろう。それがたまたま当たっていたというわけだ。

 

「いやいや。あたしを騙そうたってさすがにないでしょ。顔だってほら……」

 

 脳内の望と比べるかのように、じっくり小南は伊織の顔を見つめる。

 客観的に見て、伊織と望は似ている。それは髪色然り、目の形然り、マイウェイを行くような笑い方然りである。

 

「……結構似てるわね」

 

 当然だ。本当のことなのだから。

 

「あはは、仲良くなれそうでよかったよ。ああ、そうだ。ちょうどいいから小南が鍛えてやってくれ」

 

「……はい?」

「は?」

 

 伊織が初日で抱いた印象は、事前に調べたものとはまるで違うものだった。

 あれだけ嫌な言葉をかけられたにも関わらず、本人を嫌うどころか、受け入れるような人間たち。……それは、伊織が今の性格になってから、初めて出会った人間だった。

 そして。

 伊織の印象は、次の日の出来事を境にして劇的に変化することとなる。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『このサイコ野郎が……!』

 

 よかった。先輩が嫌ってくれて。

 ……はは。すごい目つきだ。それを向けられるのが俺でよかったよ。

 

『近寄らないでください。私はあなたが嫌いなんです』

 

 わかってる。だから近づいたんだ。

 ……ああ。他人に負の感情をぶつけられるのって、何度やっても慣れないな。けど、だったらなおさら俺が受け止めなきゃ。

 

『……どうしてこんなひどいこと……』

 

 その悲しみが、取り返しのつかないところで生まれないために、かな。

 ……大丈夫。俺は絶対忘れないから。全部、背負うから。

 

『伊織』

 

 ごめん。ごめんよ、父さん。俺のせいで、父さんと母さんは……。

 だから、もうこれ以上二人みたいな人を増やさないために。辛くても、大変でも、俺はやるよ。

 

 

 

「…………」

 

 目を開ける。いつもと変わらない、最悪の朝だ。

 夢は脳の記憶を整理するために見るのだと、いつかに見た本に書いてあった。だとすれば、記憶が完全な伊織はどうして夢を見るのだろう。それも毎回、同じような夢を。

 伸びをして、伊織は身体を起こした。慣れない天井と、初めての布団の感触。

 

(にしても、まさか俺の荷物全部こっち送ってくるなんて……。姉貴絶対今笑ってるだろ……)

 

 部屋の壁越しに、川の流れる音と雀の鳴き声がうっすらと聞こえてきた。

 玉狛支部で住み込みとなってから、初めての朝だ。

 

 転属初日を終え、帰路につこうとした伊織だったが、なにやら訳知り顔の迅に呼び止められた。

 曰く。従姉妹から、私服や制服、その他諸々生活に必要なものが送られてきたとか。

 曰く。もし帰ってきたとしても、家族全員受け入れるつもりはない、とか。

 

(そういえば今日、昼当番だったっけ)

 

 部屋着から着替えながら、伊織は思考する。

 玉狛支部では家事全般は隊員たちの分担で行っているようで、伊織には今日の昼当番が割り当てられていた。普通、入りたての人間にそんなことさせるか?とか不満はふつふつと出てくるが、伊織はそれを言ったりはしなかった。

 昼当番をサボるつもりだからだ。

 初日に面を食らったものの、素直に彼らの言うことを聞くつもりはない。むしろ、そうして色々と仕事を割り振ってくれた方が伊織としてもやりやすかった。

 

「…………」

 

 引き出しを開く。これから本部に行って、日課の嫌がらせにでも勤しむことにするつもり、だったが。

 

(……ない。昨日そこの引き出しに入れたはずだ)

 

 昨日、寝る前にしまっておいたトリガーがない。

 本部へ入るには、トリガーが必要だ。そして玉狛へ入るにも同じである。それはつまり、玉狛支部を一度出てしまうと、伊織はどこにも行けなくなってしまうということだ。まさか、昨日の今日であの従姉妹さまが家を開けてくれるとは思えないし、事情を話したところで玉狛へ再送検されて終わりだろう。

 

「おっ、早いな。もしかして慣れた布団じゃないとぐっすりできないタイプ?」

 

 と、伊織が人知れず冷や汗をかいていたところへ、迅が部屋までやってきた。見計らったかのようなタイミングは、自分が犯人だと自白しているようなものだ。

 

「はあ。迅さんも性格悪いなあ。ボクのトリガー、どこに隠しはったん?」

 

「……何の話?」

 

 しかし、迅は不意を突かれたようにきょとんと首を傾げる。

 今まで数多くの人間の感情や表情を見て記憶してきた伊織には、それが本当に素の反応であることはわかっていた。

 

「だから、そこの引き出しに入れといたボクのトリガー盗ったやろ?」

 

「いや、知らないけど」

 

 けれど、その事実が信じられない、とばかりに伊織の口は迅を追及する。

 

「その辺探せばあるんじゃないか?置いたと思ったら記憶違いだった、なんてよくある話だろ?」

 

 確かによくある話だ。……だがそれは、普通の人間であれば、だが。

 完全記憶能力を持つ伊織にとって、記憶は絶対だ。昨晩引き出しにしまって、そのまま就寝したことは確定事項なのである。だからこそ、伊織は目の前の迅が犯人ではないという事実が信じられなかった。

 

「なによ、朝から騒がしいわね」

 

 騒ぎというほど騒いでいるつもりはないが、ともかく小南も伊織の部屋へとやってきた。

 

「伊織のトリガーがなくなったみたいなんだ。小南知らない?」

 

 知っているはずがない。一応、形式的に迅は尋ねたが、何か有用な返事がくるわけがなかった。

 そんなことをしそうなのは本命が迅、大穴で京介くらいだと伊織は思っている。そもそも、出会って初日の異性の部屋に勝手に入るなんて真似、嫌われ者の伊織ですらしようとは思わない。

 

「ああ、それならあたしが持ってるわよ」

 

「は?」

「え?」

 

 ────だが。小南の口から出たのは、耳を疑うような言葉だった。

 

 

 

 

 

「どうせ本部に悪さでもしに行くつもりだったんでしょ?」

 

 玉狛支部、仮想空間。

 昨日、小南と戦ってから24時間と経たずに再びだ。

 伊織のトリガーを親指と人差し指でぶら下げた小南が、「あたしに勝ったら返してあげる」と言っての現在である。

 

「噂程度には聞いていたけど、昨日ので確信したわ。本部で暴れてるって隊員、あんただったのね」

 

 小南の目には、幾分かの正義感とやり返しへの湿度がある。

 想定外の出来事だったが、予定通りの展開に持ち込むことができた、と伊織は内心安堵した。

 

「桐絵ちゃんも案外えぐいことするなあ。もしかしたら知らへんかもやけど、それ窃盗っていうんやで?」

 

「だ・か・ら!!『桐絵ちゃん』はやめろって言ったでしょ!?」

 

「昨日のあれ、ボクは条件言うてなかったやろ。そやったら勝負は成り立たへんよ?」

 

「えっ、そうなの!?し、知らなかった……」

 

 ちょろい。

 まあ、それで納得しなかったとしてもその理論を押し通すつもりではあったが。

 

「そやから、これが正真正銘の勝負や。ボクが勝ったら、それ返してもらうで」

 

「ふうん。昨日の今日で、本気で勝つつもりなのね」

 

 小南がトリオン体へと換装する。

 それと同時に、伊織の手元へ戦闘用のトリガーが投げられた。伊織のIDと紐付けられていない玉狛備え付けのものだから、これだけでは本部へ行くことはできないだろう。やはり、戦うしかない。

 

「三つでいいわ。十本中、三つ取れたら負けを認めてあげる」

 

 両手に、斧のようなトリガーが呼び起こされる。

 昨日、小南が使ったものとはまるで違う、今まで見たことのないトリガーだ。

 

「そのかわり、本気でいくから」

 

 伊織には譲れない戦いが、始まる。

 

 

 

 

(くそ……。強い……!)

 

 十本終了。伊織の勝利数、ゼロ。

 

「こんなんじゃ一生あたしは倒せないわよ?」

 

 本気の言葉通り、昨日とは比べものにならないくらい小南は強かった。恐らく、あの斧のトリガーが小南本来の得物なのだろう。

 

「まだ十本終わっただけや。次いくで」

 

 

 

 

 

 

「はい、三十本。諦めるなら今のうちだけど?」

 

 三十本。十本中三本取るどころか、トータルしても一度も勝てていない。

 これまでの戦いで、小南の戦い方の特徴は覚えた。だが、村上と違って伊織は記憶力が完璧なだけで、それを瞬時に戦闘で活かす能力は人並みだ。

 ……いや、例えそのサイドエフェクトがあったとしても。この相手を凌駕するには、圧倒的に実力が足りない。

 

「……いいや。まだ終わってへん」

 

 だが。伊織に諦めるつもりは全くなかった。

 

 

 

 

 

「まだやるつもり?」

 

 五十戦が終了した。未だ、伊織は一度も勝ちを収めていない。

 流石の小南にも顔には疲労が見てとれる。だが、それ以上に伊織は消耗していた。肉体的にではない。トリオン体でそれは感じられないからだ。一戦一戦、本気で勝ちを目指す両者にとって、一挙手一投足を考えることが脳への疲労となって積み重なっていた。

 

「……もう一回や」

 

 息をつく。ここで諦めるわけにはいかない。それは両親への裏切りであり、そしてここまで伊織が傷つけてきた他者への裏切りでもあるからだ。

 

「あんた、どうしてそこまで……」

 

 伊織の気迫に、小南はたじろいだ。それは、始めに宿していた正義感だとか悪意とはかけ離れた、小南の本心からの言葉だった。

 

「桐絵ちゃんには関係あらへんやろ」

 

「…………」

 

 押し黙る。視線はまっすぐ、伊織を見つめていた。

 

 

 

 

 

「今日はこれで終わりよ。あんた、昼当番でしょ?」

 

 七十戦が終わったところで、小南は換装を解いてしまった。周囲は白い壁に囲まれ、時計もないが、かなりの時間が経ったであろうことはわかる。

 

「迅さんあたりに適当に作らせればええ」

 

 だが、それでも伊織はやる気だった。もとより昼当番なんてやるつもりはない。

 

「はあ。これ以上やっても無駄だって言ってんの」

 

「……」

 

 返す言葉がない。小南の言葉通りだということは、正直言って三十本を終えたあたりからわかってはいた。

 

「作戦なり何なり、考えてからまた来なさい。何度でも受けてあげるから」

 

 何度でも。そう小南は言った。

 昨日の鬱憤を晴らすには十分すぎるほど伊織を圧倒したはずだが、まだそんなつもりがあったとは……と、小南を見る。

 だが。そのような雰囲気は、とうに小南から消えていた。

 

「……そうまでしてボクのこと止めて、大層な正義感やな」

 

 苦し紛れに皮肉をこぼす。

 何度でも、の裏に隠れた感情を読み取れないほど、伊織は鈍感ではなかった。

 

「最初はその腐った性根を叩き直してやる、と思ってた。……だけど。そこまで食い下がるだけの理由があるって、わかった」

 

 分岐点は五十戦を終えた後の伊織との会話。

 ただ己の快楽のために嫌がらせをしている人間に、あの気迫は出せない。

 

「そりゃあ本部の隊員に嫌な思いさせたくはないけど、顔も知らないやつのためだけにここまで付き合えるほど人間できてないわよ」

 

 なら、どうして。

 伊織がそれを口にするよりも先に、小南が言葉を紡ぐ。

 

「あんたを突き動かす何かがあるのは十分わかった。けど、チームメイトに他人を傷つけるようなことはしてほしくない」

 

「……どうして、そこまで」

 

 先ほどとは話す側が真逆の言葉。

 小南は自慢をするような素振りは全く見せず、当然のことであるかのようにさらりと、続ける。

 

「認めるのは癪だったけど、昨日からあんたは紛れもなくうちの一員よ。だったら、チームメイトになったあんたを大切に思わないわけないじゃない」

 

「…………」

 

「さっき言ったでしょ?何度でも受けてやるって。そんなくだらないことやる気がなくなるまで付き合ってあげる」

 

 そういえば、迅に鍛えてやるよう言われたし。照れ隠しで出たその言葉が、伊織の耳へと届いて、ゆっくり消えていく。

 

「チームメイトで、大切な仲間なのは変わりないわ。だけど、それと同時に、こうやって戦っている間だけは。その気を改めるつもりがない間だけは。あんたは、あたしの敵」

 

「……敵」

 

 今にして思い返せば、伊織にとってその言葉はたった一つの最適解だったように感じる。

 味方であり、敵でもある。普段は隣に立って共に歩くが、違うと思えば躊躇せず目の前に立ち塞がる。それまで積み違えていた伊織の記憶が、綺麗に正しい方向へと揃えられていくような、そんな未来が見えたような気がした。

 

「ちょ、どこ行くのよ!?」

 

 両手の下にあったキューブが消え、伊織の身体が元に戻っていく。

 小南の方へと振り返ることなく、その足は出口へと向かっていた。

 

「昼作れ言うたのは()()の方やろ」

 

 振り返らず、けれど足を止めて伊織は言った。それはまた、伊織なりの照れ隠しだったのかもしれない。

 

「ったく、素直じゃないんだから」

 

 ため息をついて、小南はそれから笑った。

 そこには伊織への負の感情は一切ない。チームメイトへの親愛のそれだった。

 

「ていうかあんた、料理できるの?」

 

 足を止めた伊織の隣へ、小南は急ぐ。軽口を言いながら、出口へ共に歩き出した。

 

「あんまりせえへんけど、まあ人並みちゃう?……そやなあ、無難に炒飯とかは?身体動かしたら()()()()()()()()()()()

 

 へえ、と小南。意外と家庭的なものを作れるんだな、とぼんやり思いながら、横の伊織へ視線をやった。

 

「炒飯か……まあまあってところ……ね……?」

 

 クリーム色の髪。綺麗な二重。我が道を征く性格。

 何度もしつこく小南を勧誘してくる隊員と、伊織の見た目が重なる。

 

 ……そういえば、加古さんの従兄弟なんだっけ。

 

 そう思い出した途端、本能が冷や汗という警告をひっきりなしに鳴らした。

 加古の従兄弟に、炒飯。限りなくマズい組み合わせだ。

 

「ちょ、え……はあ!?」

 

 急に焦り出す小南を横に、伊織はにっこりと笑った。

 

 

 





当初はここで区切る予定ではなかったのですが、12月がとても忙しくて年内に仕上げられなさそうだったので、ここまでで一度上げることにしました。
恐らく年内最後の更新だと思います。
いつも読んでくださる方、今日初めて読んでいただいた方。評価や感想をいただける方。全ての皆さまに、感謝いたします。2022年、ありがとうございました。
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