敵の敵は味方になるらしい   作:マカベ

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一応元々タグ付けはしていましたが、今回は特に残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

……苦手な私は書いていて少し気持ち悪くなりました。





ショーは続けなくてはならない その3

 乱れた息が、いつまで経っても正常に戻らない。

 黒くて、暗くて、恐ろしくて。

 人間が大量の血を流して苦しみながら死んでいく様が、脳にこびりついたまま消えなかった。

 名前も知らない、侵略者。口から出るのは悪意のこもった鋭い言葉ばかりで、とてもではないが分かり合えたとは思えない。けれど、それは痛めつけて殺していい理由にはならない。それも、仲間同士でだなんて。

 分かり合えずとも、玲は『彼』から一歩踏み出す理由を貰えた。彼のことは嫌いでも、殺すことなんてできない。これが戦争で起こりうることなのだとすれば、それは間違っている。

 初めて触れた、理屈や正しさの通らない世界での出来事。すぐに折り合いをつけろだなんて、玲には難しかった。

 ちらり、と横を見る。

 迅は難しい顔で目的地の方を真っ直ぐ見ていた。

 そして、その隣の彼も。特段取り乱した様子はなく、平然と街を駆けている。

 

「遊真くん……だったよね?」

 

「?」

 

 玲の呼びかけに、遊真は目線だけこちらへ向けた。

 何か別のことに意識を向けていて、こちらにはあまり気は向いていなさそうだ。

 

「遊真くんは……その。あんな場面を見てしまって、平気なの……?」

 

 口にして、あのべっとりとした赤黒い光景を思い出してしまった。

 また、顔が歪む。

 

「ご心配なく」

 

 口を丸めて、あっけらかんとした言葉が返ってきた。

 やはり、玲とは違って動揺はしていなさそうだ。

 

「向こうで何度も見てきたから」

 

『…………』

 

 まさに彼にとっては、普段通りの出来事なのだろう。戦争で、人が死ぬ。近界で傭兵のようなことをして暮らしてきた遊真からすれば──父親が目の前で死んだことでさえも──十分考えられることであった。

 

「遊真くんは強いのね。私にはとても……」

 

 本来なら「見てきた」という遊真の表現に疑問を抱くべきではある。

 だが、玲には普段通りの思考が出来ずにいた。未だ頭から離れないエネドラの死の光景。それに加えて、自分よりも年下の人間はけろっとしているという、ある種の情けなさを感じる状況。どんどん玲の思考は、負の方向へ向かっていた。

 

「…………」

 

 遊真の目線が、玲をゆっくりと確かめるようなものへ変わる。

 元より儚げだった佇まいは、今にも消えてしまいそうなくらい弱い。顔は青さを含んだ白色が全体に渡っていて、トリオン体だというのに息が上がっていた。

 遊真の表情が少しだけ穏やかなものへと変わる。玲の様子を感じとって、何か思うところがあるらしい。

 

「その一瞬のせいで、自分も死ぬかもしれない。だから今は立ち止まるなって、昔親父が言ってた」

 

「今は立ち止まるな……」

 

 耳に入るその言葉を咀嚼する。

 地に足がついた、力強い言葉だ。立ち止まること、それ自体を否定しない優しさも感じる。

 新しい決意を持って踏み出し始めたばかりの、まだ駆け出しの玲にとってはそれがとても心強く感じた。

 大切な人たちを守るために戦う。今はそれを一番に考えればいい。けれど、人が死んだという事実を無視するような、冷えた心になる必要はない。

 いつの間にか、玲の息は穏やかになっていた。

 

「……ありがとう、遊真くん」

 

「ふむ、何のことかわかりませんな」

 

 にこり、と遊真は笑って惚けた。遊真自身も、戦いが佳境へ移りゆく中で朧げながら現実味を帯びてきた修の死に意識を囚われていた。その中で玲とは反対に、立ち止まって深呼吸をする機会が必要だったらしい。

 

「二人とも落ち着いたみたいだな」

 

 子どもを見守る親のような優しい表情で、迅は声をかけた。

 落ち着いた雰囲気だが自分の道を踏み出したばかりの玲と、幼い見た目に反して様々な現実を見てきた遊真は一見して噛み合わなさそうな二人なのだが、案外いい組み合わせなのかもしれない。

 

「それじゃ遊真、アレ頼んだ」

 

「りょうかい」

 

 迅の指示に遊真が頷く。何のことか置いてけぼりにされている玲を尻目にして、遊真は『弾』印と唱えた。

 三人の前方へ、何やら印のような模様が浮かび上がる。見たことのないトリガーだ。

 

「玲ちゃん、間違って舌とか噛まないように!」

 

 いや、トリオン体だから噛んでも問題ないのでは?と、脳内で迅にツッコミを入れる最中。目的地へ向けていた足が、遊真の展開した印へと触れる。

 

「わ、わ!すごい!」

 

 そして。三人の身体は、前方へと大きく跳び上がった。

 グラスホッパーに似た感触だが、それよりも大きな跳躍だ。風を切る感触が心地いい。

 

「よし、このままメガネくんのところに直行だ」

 

 空を飛ぶような感覚が、心まで伝播する。

 今なら何でもできそうな気がする。漠然とした希望を胸に、玲は目的地へ意識を向けた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

白兵戦特化(ブレードシフト)

 

『緊急脱出まで220秒。カウントダウン開始』

 

 トリガー起動と同時に、京介の姿が変化した。腕と足が、まるでその部分だけを強化したかのように黒く変色し、弧月の見た目までもが強力なブレードへと変化している。

 

「は、速い……!」

 

 修の一言目はそれだった。

 ラービットへ向けて踏み出した、その一歩目。ただの踏み込みだが、その速さは生身の身体能力を遥かに上回るトリオン体ですら出し得ないようなものだった。

 そこからの京介の動きは圧巻だった。C級へと迫るラービットに追いついたかと思えば、伊織の射撃でも壊せなかった分厚い装甲を弧月の一振りで斬り崩し。沈黙したことを確認すると、すぐさま別のC級を襲うラービットへと向かっていく。

 

『あれがトリマルの持つワンオフトリガーということだろう』

 

 レプリカ曰く。玉狛の隊員はそれぞれ、独自に改造した一点モノのトリガーを持ち合わせているらしい。そのせいでチームの格付けではランク外とされてしまったようだが、文字通り規格外の性能だ。これだけ見れば、時間を稼ぐどころか京介一人で新型を全て倒してしまいそうな勢いすら感じられる。

 

(あえてトリオン体の安定性を崩すことで、一時的に出力を強化している。発想自体はこちらの角と似たようなものだが)

 

 一方のアフトクラトルの遠征部隊の一員であるヒュースだが、特に攻撃するわけでもなく、快進撃とも言える京介の様子を、興味深そうに眺めるに止まっていた。

 彼のトリガーと、トリオン体を見るに。均等に配分されて人の形を成しているトリオンの流れをあえて崩して、足や剣へと流し込むことによってその部分の出力を強化していると予想できる。

 それ自体は、トリオンの出力を上げるために頭に取り付けたアフトクラトルのトリガー角のコンセプトと似通ってはいる。

 

「不安定な部分からトリオンが漏れている。制限時間付きとは難儀なことだ」

 

 だが、不安定な状態というものは当然長くは続かない。維持するために均質だったトリオンが偏れば、いずれは崩壊するのも当然だ。

 そして。京介が三体目のラービットを倒して、次なる標的を定めたタイミングで、ヒュースが動く。

 

蝶の盾(ランビリス)

 

 黒い鉱石のような小さい破片が、京介の肩へ着弾する。

 やはり、それ単体に大きなダメージはない。あのトリガーには引力のような能力があるが、ヒュースの動きに注意を払いさえすればラービットの討伐に支障はない。

 標的は変更せずに、ラービットへと向かった京介だったが。

 突如として、視界が下へと引き寄せられる。

 

(新型と連動した!?)

 

 ヒュースが何かをした様子はない。行動を起こしたのは、ラービットの方だ。

 ラービットの動作に、ヒュースのトリガーが反応して右肩が引き寄せられた。

 そして。体勢を崩された瞬間、ラービットの腕がやってきて、地面に押さえつけられる。

 

「多勢に無勢だ。そのまま寝ていてもらう」

 

 続けざまにヒュースのトリガーが飛来する。一つ一つの引力は微弱だとしても、これだけの数を受けては身動きが取れない。

 沈黙した京介を放置して、ラービットは再びC級へと狙いを定める。放っておけばいずれ京介のトリオン体は崩壊する。無視が一番の有効打だ。

 

「くそ……!A級でもダメだってのかよ!!」

 

 それから広がったのは、先ほどと同じ虐殺の状況。いや、頼りのA級がやられたという絶望感が支配するこの場は、それ以上だ。

 一人、また一人と。キューブにされて、ラービットの体内へと取り込まれていく。

 

(……このままだと、修くんや出穂ちゃん、それにみんなも)

 

 目の前に広がる惨劇は、千佳にとっては恐怖以外の何物でもなかった。

 それは自分の身を案じての恐怖ではない。修や夏目、それから訓練を共にしたC級たち。周りの人達が、千佳の前で消えてなくなる。それが、姿を消した兄や連れ去られた友達と重なるようで、千佳の心を凍えさせた。

 

「…………」

 

 この場で、この惨劇を止められる人物は存在しない。

 誰もがただ目の前の光景に立ち竦むだけ。何かの慈悲で、自分だけは助からないものか、と怯えて屈むだけだ。

 

「……わたしが」

 

 それならば。

 惨劇は止められないかもしれないが、自分が狙われて、誰かが助かるかもしれないのなら。

 千佳が戦う理由には、十分だ。

 

「な……!」

 

 両手には、かつて基地の壁をぶち抜いた大砲を。

 千佳のトリオンからすれば、装甲の固いラービット相手だとしてもアイビスは過剰だ。だが、彼女の頭には敵を倒すことよりも、こちらへ注意を向けさせることだけが残っていた。

 狙いを定めて、引き金を引く。

 大きな爆発が、周囲に巻き起こった。

 

 

 

 

 

 

「以前観測した出力と概ね一致しました」

 

 アフトクラトル、遠征艇。ヒュースの戦場をモニタリングしていた彼らの目にも、千佳のアイビスが引き起こした規格外の爆風は映っていた。

 

「やはり雛鳥の中に隠れていたか」

 

 やはり、とハイレインは言った。

 一度は全滅したラッドの偵察部隊。遠征に向かう前にもう一度、イレギュラー門ではなく玄界の視察目的で送り込んだ矢先で、一つの映像が残された。

 玄界の基地を撃ち抜く、一筋の射撃。

 それを確認したとき、どれだけハイレインの心は踊ったことだろう。細かく出力を測る必要すら感じないほど強大なあの射撃。アフトクラトルの新たな神として、十二分にトリオンを備えた存在が、玄界には存在する。遠征に出た甲斐があったというものだ。

 

「ミラ、門の準備を」

 

 外套を纏い、ハイレインは身なりを整えた。

 金の雛鳥の存在を確認し、作戦を練りに練った今回の遠征。何としても彼女を捕らえるために、隊長自らが戦場へと赴く気概だ。

 

「ハイレイン隊長も出られますか」

 

「念には念を入れなくてはな。後々のことを考えても、ここで私が出た方がやりやすい」

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 通常、どんな人間でも嫌なことは存在する。そして、よっぽどわかりやすい人間でなければそれを悟らせないように壁を作って、それを突かれることを防いでいる。

 だから、伊織は手練れと戦うときはまずその壁を見つけるところから始めるようにしている。例えば、太刀川なら二刀流が故の中距離の乏しさを旋空でカバーし、二宮であれば射撃の破壊力で接近戦に対応しているといった具合に。嫌な部分を攻めるためには、壁を壊す必要があるからだ。

 だが、ヴィザ相手にはその壁すらも見つけられない。

 近距離では仕込み刀での剣術が。中、遠距離では星の杖のブレードが。老獪な読みで回避もこなし、ブレードを応用させた防御も堅牢。全てにおいて付け入る隙がなく、戦争における立ち回りも抜かりがない。フルアームズを使ったとしても、このままでは勝負にならなかった。

 だから伊織は、発想を転換させる。

 こちらから仕掛けて綻びを生じさせることは不可能。少しずつ少しずつ認識のずれを生み出して、向こうが自ら踏み外すように仕向けると。

 

「あんたらぎょうさん押し寄せてきはるけど、ちゃんと戸締りしてきてん?」

 

 トリオン兵たちの攻撃を何とか回避しつつ、伊織はヴィザへ投げかけた。

 ラービットたちを巻き込んでしまうことを恐れてか、ヴィザのブレードは飛んでこない。

 

「もちろん、本国を留守にするリスクは承知しております。ですが、玄界が力をつけてきていることも事実。虎穴に入らずんば、とでも申しましょうか」

 

「へえ、それでほんまにか弱い虎児狙うなんて、律儀なお相手やなあ」

 

 言い切ると同時に、ヴィザの振りが強くなった。回避が少し遅れ、右膝を切り裂かれる。

 

「そちらの兵士は少し追いつめただけで巣へ逃げ出してしまうのですから、致し方ありますまい」

 

 いたって冷静な言葉の返しからして、こちらの挑発に我を忘れたわけではなさそうだ。

 

「貴殿も遅かれ早かれそうなるのでしょう。実に残念だ」

 

 その気になれば、いつでも倒せると。伊織を緊急脱出させるかどうかは、こちらのさじ加減次第なのだと、挑発で返してきたのだろう。

 実際のところ、ヴィザがどれだけ本気なのか伊織には全く掴めていない。だから伊織にはそれが、ひどく背筋を冷たくさせた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(彼は自らの役目は終わったと言った。まるで、仲間を撃ち抜くことが目的だったかのように)

 

 彼の矛盾した言動が、ヴィザにひどく不安定な印象を与えていた。あの薄っぺらい笑みは胸の内に秘めた何かを隠すためのもので、小南を裏切った行動も何か彼の目的の一端だったと思えてならない。

 例えば、ランバネインと戦った女射手や、高速移動の剣士。そして、先ほどまで刃を交えた三人の玄界の兵士たち。彼らの目指すものと、伊織が見るものは、同じようでいて、どこかズレているように思える。目的こそ同じだが、そこへ至るまでの過程が決定的に違うような、違和感が。

 玄界はおろか、近界でもこのような人間を見た記憶はあまりない。それが、ヴィザを伊織に興味を持たせていた。

 

(敵国に攻め込まれているという状況で、彼らが一枚岩でなかったとしてもそうする理由が思い当たらない)

 

 ヴィザの剣が、伊織のシールドに防がれる。

 全ての人間が同じ方向を向くことは難しい。だが、一つだけあるとすれば、それは共通の敵を前にしたときだ。彼らのような現場で戦う者にとって、今がまさにその時のはず。

 

(いや。思い当たっても、彼のような若者がそれを担う必要性が理解できない)

 

 トリオン兵が伊織を少しずつ追いつめる。

 向こうでも何か政治のような根回しが水面下で繰り広げられているのかもしれない。だが、そうだとして。それはこうして戦い、そして何よりもそういった裏の駆け引きとは切り離されるべき若者である伊織に行動させるべきではない、と思う。

 

(彼の言い分を鵜呑みにするとして。こうして私に立ち向かうその行動も嘘ではなさそうだ。……‥差し当たっては、玄界を守りたいという意志は確かにある)

 

 エネドラのように──彼はトリガー角に自我を侵食されてしまったせいなのだが──もはや道理などはどうでも良く、ただ己の快楽のために戦いに興じているようではない。玄界の兵士として、ヴィザを相手にしているという気概を感じる。

 では何故、彼は……。

 そこまで考えて、ヴィザははっとした。

 

(……未練というものは、いくつになっても断ち切るのに難儀する)

 

 共通点はないに等しい。ただ、どちらも若いというだけ。無意識のうちに、ヴィザは伊織をヒュースに重ねてしまっていた。

 珍しい人種を見かけた興味というそれらしい理由をつけていたが、実際のところは違う。これからヒュースに待ち受ける未来と、目の前で不安定なまま道化を演じる伊織。二人が重なって、ヒュースに対する胸の内の感情が、そのまま伊織へと流れていった。本当のところは、それが伊織を気にかけた理由だ。

 

(彼の背負う何かを知る必要は、ない)

 

 仕込み刀を握り直す。

 ここまでで十分与えられた任務は達成した。ここで伊織を倒そうが倒さまいが戦況に大きな差はないし、こうして別のことに思考を割いていたとしても、彼を倒すことに支障はない。だが、だからこそ、この思考は捨てるべきだ。彼を倒して脱出する様を見届ける、そのときまで。ただの兵士として戦わなくては。

 ……ヒュースには、そう教えたのだから。

 

 トリオン兵たちが、伊織の周囲を取り囲んだ。

 一体のラービットが右腕を振り回す。伊織はステップで回避。

 逃がさないように、もう一体のラービットが迫る。身体ごと潰してしまいそうな突進を、伊織はテレポーターで回避した。

 

「逃しませんよ」

 

 彼のあのトリガーは、視線の向いた先の数メートル先へと瞬間移動するもの。数回それを見た中でヴィザはある程度の特性を把握していた。使うことさえわかっていれば、移動先へと先回りすることは容易い。

 

「こっちのセリフや。やっぱり飛び込んできはったなあ」

 

 先回りして、伊織へ息をつく隙を与えないようにと迫ったが。

 伊織の手元にあるトリオンキューブが、混ざり合って一つになる。

 

「二倍+バイパー」

 

 対する伊織も、ヴィザがテレポーターの移動先を先回りしてくることを読んでいた。いや、先回りすることを誘ったと言った方が正しい。

 トリオン兵たちを置き去りにしたこの状況、ヴィザとの一騎打ちに半ば近い。至近距離でのやり合いならヴィザに分があるが、今はヴィザがこちらへ向かってきている。彼の刀よりも、伊織の弾丸の方が先だ。

 

「鋭い。なかなかの読みだ」

 

 ほう、と感心したような表情を浮かべるヴィザ。

 そのまま、伊織の展開したトリオンキューブには特に気にする様子もなく、刀の間合いまで接近する。

 

「ですが、近くの敵を疎かにするのはいただけない」

 

 だが、その途中で。

 ヴィザの足が、止まった。

 

「……!」

 

 こちらへ向かうヴィザの進路を想定して向かっていった弾丸が、急停止したヴィザを捉えきれずに明後日の方向へと飛んでいく。

 そして。そのやりとりの間に、再びラービットたちが伊織へと迫っていた。

 伊織にテレポーターを使わせ、そこへ先回りしたように思えるこの局面。ヴィザが思い描いたのは、それがゴールではなかった。先回りしたヴィザはあくまでこちらへ意識を向けさせる陽動。伊織が今、一番嫌がる複数の敵に包囲されるという状況を再び作るための、時間稼ぎだ。

 つまり、裏をかいてヴィザの迎撃行動をとった伊織の、更に上を行ったということを意味する。

 

「そら疎かにもするやろ。もう終わった敵なんやから」

 

 だが。

 伊織の顔に浮かぶのは絶望が入り混じった苦悶の表情ではなく、いつも通りの、見るものを苛立たせるような張り付いた笑みだった。

 伊織の背後──ヴィザの死角から、トリオン兵へ向かって無数の弾丸が向かっていく。

 

「あんたが結構根に持つタイプやいうの、もうこっちはわかってんね。桐絵ちゃんの真似事してくるいうのも想定内や」

 

 本命と見せかけた陽動策。それは少し前に伊織と小南が見せた連携と同じものだった。

 冷静なようでいて、相手へのやり返しは欠かさない。ここまで戦う中で伊織が理解したヴィザの性格。それら全てを鑑みて、伊織はヴィザの行動が陽動なのだと、半ば確信に近い形で予想していた。

 時間を稼いだのはヴィザではない。一番嫌な、物量差での詰みの状況を作られることを防ぐために、トリオン兵を倒すための合成弾を作る時間を、伊織は稼いだということだ。

 

「メテオラ+ハウンド」

 

 メテオラとハウンドを組み合わせた合成弾。正面でヴィザを狙う傍ら、背後から迫るトリオン兵は、こちらの弾で倒す。伊織の狙い通りだ。

 そして。敵を自動追尾するその弾丸が、ラービットやモールモッドたちを捉えて、爆発する。

 

「三倍+バイパー」

 

 爆風が晴れない中、伊織は次の合成弾を用意。アステロイド三つとバイパーを組み合わせ、装甲の固いラービットへトドメを。

 

「ふむ、なるほど。化かし合いというところでは、やはりそちらの得意分野でしたか」

 

 両者が裏をかき続けた応酬は、最終的に伊織に軍配が上がった。

 だが、ヴィザの表情は変わらない。

 それもそのはず。戦いの中の一部分を、伊織が上回ったというだけのことで、勝敗がついたわけではない。

 そして、何よりも。

 

「では、こちらの勝負ならいかがでしょう?」

 

 ヴィザの言葉とともに、伊織の左側からブレードがやってくる。

 そう。読み合いでは一度だけ上回ったのかもしれない。だが、それはあくまで同じ土俵に立った上で成り立つ心理戦だ。アフトクラトルの国宝という圧倒的なトリガー能力の前では、同じ土俵に立つことすら不可能。そこに読み合いなんてものは、存在しない。

 

「くっ……!」

 

 トリオン兵が全滅し、向こうからすれば巻き込んでしまう心配が消え去ったタイミング。来るなら今だろう、と思っていた。

 だが、そうやって身構えていたにも関わらず。反応が間に合わずに、伊織の左腕がブレードに切り裂かれる。追撃を嫌ってか、沈黙したトリオン兵たちの陰に隠れるように伊織は転がりこんだ。

 

(インターバルはとうに過ぎたはず。移動先を読まれることを嫌ったということだろうか)

 

 次は小細工や深い読み合いなどを抜きにして、ただ真っ直ぐに伊織へ向かおうとしたヴィザだったが。肝心の伊織はテレポーターを使わなかった。

 予想は外れたが、何も問題はない。確かに、ヴィザのブレードは軌道を円状に伸ばしてそこを高速で通過させる都合上、敵の位置を三次元で捉える必要がある。その点、トリオン兵の陰に隠れたのは有効な対策の一つではあるが。

 

(斬られた箇所からトリオンが漏れて立ち昇っている。これでは頭隠して尻隠さずだ)

 

 それをするのが遅すぎた。狼煙のように自らの居場所を知らせるトリオンがあれば、姿は見えずとも軌道を描くのは容易い。

 

「終わりです」

 

 狙いをつけて、ヴィザはブレードを走らせる。

 

 

 

 

 

(まだ、テレポーターの移動距離を変えられることは向こうに気づかれていない)

 

 ここまで、ヴィザの前では同じ距離でしか瞬間移動はしていない。百戦錬磨の相手だとしても、距離を変更できるとは予想していないはずだ。

 もちろん、長い距離を移動すればその分インターバルも増えるから控えていたという理由もある。現状、あのブレードを回避する手段はテレポーターしかないのだから、万が一でも使えないという状況は避けなくてはならなかった。

 だが。伊織は今、そのセオリーを破ろうとしている。それはつまり。

 

(必要なものは揃った。……ここしか、ない)

 

 ここで勝負をつけると、決めたということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

『隊長。伊織くんからの伝言です』

 

 時は少し遡り、警戒区域内、西。

 付近のB級たちと連携してラービットの討伐に当たっていた望のところへ、オペレーターの杏から何やら珍しい通信があった。

 

「直接寄越せばいいのに。やけに回りくどいわね」

 

 伝言なんてもの、戦闘中にほとんど受け取ったことはない。隊員同士なら誰とでも通信のやり取りはできるから、人づてに何かを伝えるという機会が起こり得ないからだ。

 そして、普段ではありえない伝言なんてものを、今回は関わりがないものだと思っていた人物からもらったという事実が、望の胸をざわつかせる。

 

『隊長へのものかと言うと、少し微妙なところですが……』

 

 実際、杏は伊織から望に伝えるように、と言われたわけではない。

 だが、伊織と望の関係性と、杏と望の関係性からいって、彼女の耳に入れておいた方がいいだろう。

 

『勝ち筋はできた。だから、その後のボクのことを頼んだ。だそうです』

 

 要点を踏まえ、不要な似非関西弁は排除して簡潔に杏は言った。

 

「…………!」

 

 ぴくり、と望の眉が動く。

 何か、今の言葉に引っ掛かる部分があったらしい。

 

『頼んだ、と言われても一体どうしたらいいのか……』

 

 杏が望に伊織の言葉を伝えた理由は、それが一番大きかった。

 頼んだと言われても、具体的に何をすればいいのかがわからない。負けたときを頼む、ならわかる。フリーになった人型のフォローなりに人を送ればいい。だが、勝った後を頼むと言われて、何か手を貸す余地はないように思えた。

 付き合いの長い望なら、伊織の言葉の真意がわかるかもしれない。だから、なぜか大規模侵攻中では伊織のことにそれほど熱心でなかった望にあえて通信を送った……のだが。

 望からは、これといった返事は来ない。

 

『隊長?』

 

 はっ、と。杏の言葉で、何か思考を巡らせていた望が我に帰る。

 そして、これまでの状況を整理した。

 伊織は今、一人で人型と戦っている。隣にいた小南は、伊織が自身の手で撃ち抜いてしまった。

 ……迅が言っていた伊織の未来と、全く同じ道を辿っている。だとすれば、この後は。

 

「伊織のところへ急ぐわ。オペレートをお願い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わりです」

 

 ブレードが、来る。斬り落とされた左腕や右足からトリオンが立ち昇っているから、トリオン兵の陰に隠れたとはいえ、向こうが狙いを外すなんて甘い考えは通じないだろう。

 そして。

 トリオンキューブ二つを携えて、伊織はテレポーターを起動する。

 

「やはり、背後へ回ってカウンターを仕掛けにきましたか」

 

 予想通り、とヴィザは平坦に呟く。

 瞬間移動というトリガーはその性質上、回避と反撃両方の側面を持つことはランバネインと加古隊の戦いからも明らか。カウンターを一番狙いやすいのは背後。そして、今までの様子からいって、あのトリガーで移動できる場所は、視線の向く方、数メートル。

 だから、彼が移動するであろう場所には、事前に星の杖の軌道は敷いてある。その程度の対策なんて、怠るはずがない。

 そして。

 カウンターに対処するべく、背後を振り返った、その時。

 

「これは……!」

 

 伊織の現れた位置が、ヴィザの想定よりも遠い。これでは事前に仕込んでおいたブレードは届かない。表情に驚きが滲み出た。

 

(よし……!)

 

 星の杖のブレードが高速なのは確かだ。テレポーター以外で避けられるイメージは全く湧かない。

 だが、それはブレードの移動スピードだけに絞った時の話だ。

 ここまで伊織が把握する限り、ブレードを振るうまでに二つのステップがある。

 第一に、軌道を設定すること。恐らくは自在なのだろうが、バイパーと同じくそれ故に都度設定する必要がある。

 そして第二に、どの軌道のブレードを走らせるのかを判断しなくてはならないこと。例えば、軌道に近づいた敵に自動で反応して攻撃するような類いのトリガーではない。どのブレードを使うのか、これもヴィザが決めている。

 それらを経て、回避不能のブレードが発射される。恐らく向こうは、今までのテレポーターの移動距離に合わせて、事前に軌道を設定している。イレギュラーなこの状況では、この二つを新たに行わなくてはならないはず。

 そうであるのなら、伊織の弾丸の方が、速い。

 

 

 と、考えたが。

 

「ふむ。読み合いの勝負は終わったと、すでに言ったはずですが」

 

 ヴィザの驚きの表情が、そのまま焦りに変わることはなかった。

 

「なに……?」

 

「ブレードの軌道を途中で変更しました。それが何を意味するのか、貴殿に説明は不要でしょう」

 

 たったそれだけ。その一言で、伊織の予想は全て崩れ去る。

 伊織がトリオン兵の陰に隠れていた際に放たれた、一度目のブレード。それを周回させながら、伊織が瞬間移動した位置を通るように軌道を変更した。軌道の設定も、ブレードの選択も。全てをすっ飛ばした、最短の解決策だ。

 圧倒的なトリガー能力の差を前にしては、読み合いなんて心理戦は存在しない。意味するのは、ただ一つ。

 ヴィザのブレードの方が、速い。

 

 

 

 

「……やっぱり、こうなるんやなあ」

 

 何かを受け入れたかのような、虚しい乾笑いが響く。

 それは、負けを受け入れた諦めの表情なのか、あるいは。

 

 

 

 

 

 星の杖のブレードが、伊織の首を斬り裂いていく。少しだけ遅れて、展開した弾丸が手元を離れ────ブレードへと、向かっていった。

 直後。伊織の首と共にブレードに切り裂かれた弾丸が、今までで一番大きな爆発を引き起こす。

 

「捨て身の自爆ですか」

 

 残ったブレードで爆風を防ぎながら、ヴィザは呟いた。

 確か彼は、勝敗なんてどうでもいいと言っていた。その言葉の行き着く先がこの自爆だったとは、何ともあっけない。

 

(……いや、そうだ。あまりにあっけなさすぎる……!)

 

 半ば戦闘を終えた感覚だったヴィザの胸の内に、ほんの少しの違和感が引っ掛かった。

 そうだ。あっけなさすぎる。

 一度とはいえ、読み合いでヴィザを上回ってみせた彼が、この程度で終わってしまうとは到底思えない。

 そしてヴィザは、重大な見落としに気がついた。

 彼の首元へブレードが入っていくところは確認した。だが、玄界の兵士特有の脱出光は爆風で隠れてしまって、見えていない。

 

(まさか、この爆風は!)

 

 捨て身覚悟の自爆ではない。あの爆発は、倒したと錯覚させるための目隠し。ヴィザがカウンターに対処するところまで、彼は織り込み済みだったというのか。

 

(だとしてもありえない!一体どのようにして生きながらえたというのだ!?)

 

 確かに彼が離脱する様は確認していない。だが、見届けていなくとも首を切ったことは確実だ。首を切り飛ばされて無事なんて、一体どんなことをすれば可能なのかヴィザには全く見当がつかなかった。

 最後の最後で、ヴィザの額に冷や汗が一つ浮かぶ。

 だが。アフトクラトル最強の男は、窮地でさえもその所以は錆びつかない。ヴィザの身体は、焦りの感情とは干渉せずに迎撃体制を整えていた。

 

「これ……も……反応……するのかよ……!」

 

 ヴィザの近くから、伊織の声がする。息が絶え絶えで途切れそうな声なのが引っ掛かるが、そこに意識をやる余裕はない。至近距離から弾丸を撃ち込んで勝負を決めるつもりだ。この距離なら、ブレードよりも仕込み刀の方が速い。

 不意を突かれはしたが、まだ間に合う。今度は確実に仕留める。

 そう思い、刀を構えて伊織の声がする方へと振り返ったが。目に入った彼の姿に、驚愕が重なった。

 

(この姿は……!?)

 

 一瞬。否、一瞬にすら満たないほんの僅かな躊躇い。

 それがヴィザの剣を遅らせ、そして判断を変えさせた。

 

「……」

 

 ヴィザの胸に、鋭い感触が伝わってくる。トリオン供給機関を寸分の狂いもなく、伊織が右手に持つ何かが貫いていた。

 

「ぐああああっ!!!」

 

 そして、そのほんの僅か後に。ヴィザの刀の峰が、伊織の身体を強く打ちつける。

 ……痛い。痛い。痛い。

 叫んでも、悶えても紛れることはない、経験したことのない激しい痛みが伊織を襲った。

 

(く、そ……肩が…………)

 

 右肩が本来あるはずの位置よりも下へだらりと下がって、全く動かない。

 

「まさか、脱出する前に自らトリガーを解除するとは。一歩間違えていれば命を落としていたというのに」

 

 肩を砕かれ、痛みで地面に倒れた伊織をヴィザは見下ろす。

 黒い学ランを見にまとうその姿は、どこにでも居る三門市内の学生のそれと何ら変わりない。フルアームズを起動し、シュータートリガーを操る伊織とは明らかに見た目の異なる、紛れもない生身の姿だった。

 

「あ、はは……勝ち負けなんて、どうでもええから……両方……選ば……せて……もらった……」

 

 普通の勝負では勝てない。どこかでヴィザの裏をかく必要がある。だから伊織は、トリオン体で負けることを受け入れて、生身で勝つことを選んだ。首を完全に斬られる前、緊急脱出する寸前のところでトリガーを解除して、ヴィザの裏をかいた。両方選んだとは、そういう意味だ。

 だが、伊織が払った代償はそれだけではない。

 

(ダメ……だ……意識が…………)

 

 身体中が痛い。患部を見る余裕はないが、ヴィザの仕込み刀で打ち付けられた右肩は十中八九脱臼している。それだけではない。メテオラの爆風を受けた顔は火傷で皮膚が捲れ、吹き飛んだ瓦礫が直撃した手は切り傷に塗れている。首を斬り裂かれている最中でトリガーを解除した影響で、残ったブレードが生身の首元を斬り裂いて、出血が止まらない。

 痛みと出血のショックで意識が朦朧とする。

 ……ここで死ぬわけには、いかない、のに。

 

(彼の言葉で、脱出機能への意識を知らず知らずのうちに植え付けられていた)

 

 ヴィザは感嘆と驚愕の目線で伊織を見下ろしていた。

 雛鳥がこちらの目的だという共通認識。そして、雛鳥を守るかのような伊織の行動に、こちらの真意を探る言動。彼がいわば雛鳥の保護者であり、他の兵士たちと同様に負ければ脱出するのであろうと、無意識のうちに刷り込みを植え付けられていた。

 

(事前にモールモッドの爪を忍ばせていた辺り、咄嗟の判断ではない。この結末は彼の狙い通りだ)

 

 ヴィザのトリオン供給機関を貫いたのは、伊織のトリガーではない。生身なのだから当然だ。トリオン兵の陰に隠れたあの場面で、伊織はモールモッドの残骸から爪を回収し、最後の場面でヴィザの胸を貫いた。

 つまり、少なくとも伊織はトリオン兵に囲まれた時点でこうして決着をつけることを思い描いていたということになる。

 

(だが、何よりも。死すら予想されるほどのダメージを受け入れて立ち向かうとは……)

 

 伊織の刷り込みがあったとはいえ、ヴィザが想定の外を行かれたのも無理はない。確かに、追いつめた敵がせめてもの報いとして特攻することは考えられるし、ヴィザも何度もそういった場面を見てきた。だが、今の玄界の状況はどうだ?被害はあるとはいえ壊滅とは言い難い現状であり、またこちらの目的は雛鳥の確保であって玄界を滅ぼすことではない。命を投げ出すことを思い止まる理由はいくらでも思いつく。

 そして、仲間を撃ち抜くような人間がここまでの行動を取るということが一番の想定外だった。

 

(……あまりに儚い。ああして仲間を撃ち抜いてしまっては、本来賞賛されるべき決死の行動に見向きをする人間は、誰も居ないだろうに)

 

 自惚れではなく、客観的事実として。敵国の一番の強敵を、彼は打ち倒したことになる。傷だらけで戦ったという語り草になる背景もあり、ともすればそれは、彼が英雄にもなり得る結果だというのに。

 仲間を故意に撃ち抜いたという事実があってしまっては、処分とともにこの功績をなかったことにされるか、あるいは賞賛の裏でとんだピエロとして石を投げられる羽目になるか。いずれにせよ、彼に待ち受けているのは薄暗い陰鬱な未来に違いない。

 

「……その心配も杞憂でしたか。貴殿が玄界へ戻ることは、もうないのだから」

 

 と、独り言をこぼした頃合い。ヴィザの前に大きな門が開く。

 

「ヴィザ翁」

 

 中から現れたのは、ヴィザを回収しにきたミラだった。

 ヴィザが倒されたことへの驚きが少しだけ表情に出ているが、それでも淡々と、ミラはヴィザを遠征艇へと案内する。

 

「ミラ殿、申し訳ありません。彼の執念……いえ。視野の広さと行動力を見誤りました」

 

 そう言われて、ミラは改めて状況を確認する。

 側には、玄界の兵士が一人倒れているだけ。彼がたった一人で、アフトクラトルのトリガー、人材ともに国宝級を相手にして勝ちを収めたという現実が広がっていた。

 

「……玄界の曲芸師、でしたか。ヴィザ翁がそこまで入れ込む理由がわかりかねますが」

 

 たかが玄界ごときに、ヴィザがやられるなんて。彼への不満ではなく、下に見ていた玄界が起こした番狂せに、ミラは苛立ちの表情を見せた。

 

「ふむ、そうですね」

 

 しかし、普段はそういった仲間の感情を受け止めず、跳ね返さずにただ受け流すだけのヴィザが、少しだけ抗議の目線をミラにやる。

 

「歳を重ねると、未来ある若者は輝いてみえる……とでも申しましょうか」

 

 我が国のそういった人材にも目をかけなくてはなりませんね、とヴィザは言う。

 若者という広い言葉と我が国という身内を指す表現が、一体誰の話で、何故ヴィザは少しだけ不満そうな顔をしたのか、ミラには察しがついた。

 

「……それが、彼を殺さないように峰打ちをした理由だと?」

 

 隊長の決断を否定するような言い回しに、今度は明確に非難の意思を込めてヴィザへと問いかける。

 あの局面、仕込み刀で伊織を切っていればヴィザが戦闘不能になることはなかっただろう。すでに満身創痍だった伊織よりヴィザの刀の方が速いことは明白。つまり、あの場面で何らかの手心をヴィザは加えたということだ。

 

「滅相もありません。年寄りを買い被りすぎだ。私にとっても切羽詰まった状況でしたから、全くの偶然ですよ」

 

 と、不穏な空気が二人の間を漂い始めたが。

 ヴィザは少し前までの感情をすっと奥にしまい、またいつもの通りの笑顔に戻ってミラの問いかけに戯けてみせた。

 無意識に息をついてしまった自分に対して、驚きの感情を抱く。仲間同士での言葉のやり取りでさえ、敵意を向けられるとこれほどの圧迫感を感じるとは。……一番敵に回してはいけないのは、やはり彼だ。

 

「回収いたしますか?」

 

 努めて淡々とした表情を繕って、ミラは言う。

 感情を抜きにすれば、ヴィザを倒した手合いを放っておくなんてありえない。

 

「もちろん、そのように。……ですが、念には念を入れておきましょう。抜け目のない相手だ」

 

 ラービットをお願いします、と。ヴィザの言葉に、ミラが頷く。

 程なくして、伊織の真横に大きな黒い円が現れ出でた。

 その様子を、伊織はただうつ伏せで眺めることしかできない。

 

(力が……入らない……)

 

 ミラのトリガーでどこからか呼び戻されたラービットが、伊織へと近づいていく。

 

(こんな……ところ、で……)

 

 身体が、動かない。

 

 まだ、やり残したことがあるのに。

 

 

「……思いの外、出血が酷い。遠征艇に戻り次第、直ちに彼の治療をお願いいたします」

 

 

 ヴィザが何かをミラに伝えているのが聞こえる。意識がぼんやりとして、視界が暗くなってきた。

 

 

 そして。

 

 

 ゆっくりと腕が伸びていって。

 

 

 ラービットの右手が、伊織を掴んだ────

 

 

 その瞬間。

 

 

「ハウンド」

 

 

 聞き馴染んだ声がすると同時に、周囲を煙が包む。

 さくり、と何かを切り裂く音とともに、ラービットに掴まれていた感触が、誰かに抱えられる優しいものへと変わったところで、伊織は意識を手放した。

 

 

「全く。一体これのどこが『伊織の未来をどうこうできる立場にいない』のかしら」

 

 

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