「またとんでもないことをしおって!!」
会議室に大きな声が反響する。マイクに向かって叫んだ時のように、甲高い金属音がした。
「そんな声張らんでも聞こえるて…」
「自分が何をしたのかわかっているのかね!?」
鬼怒田に加え、根付までもが詰め寄るのは珍しい。
それほど重大なことをしでかしたのだなと、伊織は他人事のように頷いた。
一言で言ってしまえば重大な隊務規定違反。任務中の三輪隊へ攻撃を行った、俗に言う仲間割れというやつである。こうしてお偉いさん方に呼ばれて叱られるのは何度もあったが、はっきりと明文化された規則を破ったのはこれが初めてのことだ。
「規定違反どころか近界民まで取り逃がしてしまったのだぞ!?」
「ボク一人でいける思うたんやけどなあ」
近界民を野放しにしておくなんてありえない、と根付は声を荒げた。
問題は、伊織が三輪隊に牙を剥いただけではない。
近界民の少年の存在自体はイレギュラー門の時からうっすらと彼らは把握していた。迅の妨害がありながらもようやく接触にこじつけ、処理に移ろうとしたところでの伊織である。ボーダーが襲撃したと知れれば、次はより困難を極めるはずだ。少年の敵愾心を煽ってしまったせいで、向こうから仕掛けてくることすら考えられる。
「静粛にしていただきたい」
鬼怒田と根付を上回る重さで忍田が一蹴した。
彼もまた、顔が険しい。
「この騒動の是非はともかく、一般市民を狙うとはどういうつもりだ」
彼は、伊織が背の小さな少女を狙おうとしたことを問題視した。
近界民から市民を守るボーダーと一口に言っても、完全な一枚岩の組織ではない。
大きく分けて、ボーダー内の思想は三つに分かれる。
一つは旧弓手町で少年を襲撃した三輪隊が所属する城戸陣営。近界民は全て敵とみなし、問答無用で排除することを目的とする。
一つは忍田本部長の陣営。三門市を守ることを第一とし、近界民への対応はその都度での道理で判断する。
もう一つが、最後に介入してきた迅に代表される玉狛支部陣営。出来うる限り近界民と友好的な関係を築くことを目的とし、向こうが敵対する場合のみ戦闘へと踏み切る。
城戸派と玉狛は思想の違いから衝突することが多い。近界民となると過激な行動をすることもある城戸派を諫めるような形で、本部忍田派が玉狛へ加勢することもままあったが、今回は勝手が違うようだ。
「処分を言い渡す」
感情がせめぎ合った会議室でも、城戸の声はよく通る。決して声質が特徴的という訳ではないが、忍田とはまた違った威圧感がそうさせていた。
「二週間のトリガー没収、ポイントの剥奪及びB級への降格だ」
ボーダーで最も重大とされる違反は機密情報の漏えいと、トリガーの横流しである。隊員同士の戦闘はその次に重いとされている。
トリガー没収とはそれすなわち二週間の自宅謹慎であり、降格はもちろんのこと、ポイントの剥奪も隊員の序列降格に等しい。
「そりゃちょっと重すぎるんじゃない?」
しかし、沈黙を保っていた玉狛支部の林藤が、ここに来て口を開いた。
伊織が違反を犯す云々以前に、この騒動自体が起こるべきではなかったと林藤は主張する。
本人たちの報告はまだだから断言は出来ないが、伊織曰く、市内の中学で発生したイレギュラー門は、三雲のトリガーを使ってその近界民が処理した可能性が高いという。加えて、その発生源であるトリオン兵『ラッド』に関しても、何らかの助言を行ったやもしれないとも。
確かに伊織の意見に筋は通っている。警戒区域内で伊織に反撃を一切しなかったことからも、敵対する意思はないと捉えることもできる。
で、あれば。少なくとも、最初に三輪隊が彼へ向けて鉛弾を放つべきではなかった。話し合いで解決できたかもしれないことをフイにしてしまったのだ。
「それを言うなら琴吹隊員だって近界民に攻撃したのではないのかね!」
「最初は三輪隊を止めてるように見えたけどな〜」
伊織は小さく舌打ちをした。
「しかし林藤支部長。市民を狙ったことについてはどう説明する?」
城戸派が近界民を襲った、という点に関しては忍田も憤りを感じている。向こうから攻撃してきたわけでもなく、これでは異国にやってきた人間を追い剥ぐ強盗に変わりないからだ。
それもあってか、伊織に詰め寄るときよりは幾分か声色が柔らかい。
「あれ、最初から狙う気なかったんじゃない? なあ、伊織?」
「どうやろなあ…忘れてしもうたわ」
伊織はわざとらしく首を傾げた。
「もしあのちびっ子が来なかったなら、そのまま当たってたんやない?」
煽るような口調に、忍田の顔が再び険しくなる。
やはり伊織には重い処分を下さなくてはならない、と意見が傾きかけたときだった。
「仮定の話をしたところで水掛け論になるだけでしょう。事実として、市民へ当たることなく彼の攻撃は弧を描いたことだけが確かだ」
林藤へ助け舟を出したのは、城戸司令の側近。唐沢営業部長だ。
これには伊織や忍田どころか、同じ派閥であるはずの鬼怒田と根付も驚いた表情を見せる。あのまま黙っていれば、彼らの長である城戸の言い渡した処分が下されるというのに。
「私も琴吹隊員の処分は減刑すべきだと考えます」
「…意見を聞こう」
何よりも近界民の排除とボーダーの秩序を重んじる城戸が、それを曲げてまで唐沢に靡いた。
それだけ唐沢への信頼が厚いのか、あるいは──
「ポイントの剥奪は致し方ないかと。しかし降格と二週間という長い期間の謹慎は、我々にとってもリスクがあるということです」
ふむ、と沈黙。
(確かに素行は置いておいて、肝心なときに琴吹が居ないとなれば困ることもあるじゃろう…)
それよりも前のイレギュラー門事件も考慮しなくてはならない。伊織の話が本当なのであれば、イレギュラー門はその近界民ではなく別の国が仕掛けてきたということだ。それは大規模な侵攻の前触れとも取ることが出来る。そんな時に伊織が謹慎で出撃できない、となれば戦力ダウンは確実だ。戦力で言えば、A級だけが持つトリガー改造の権利を奪ってしまうのもまた然りである。
(あまりに重い罰を与えてこの件が明るみに出るのも、ボーダーとしては避けたいですねぇ…)
近界民が今現在三門市内に潜伏しているという事実は、ボーダーですらごく一部の隊員しか知らないトップシークレットだ。もしも市内にそれが広がるようなら、イレギュラー門と合わせて大きな騒ぎになることは想像に難くない。隠ぺいしていたボーダーの信用問題にも繋がってくる。
主に悪い方面で、ボーダー隊員たちの伊織に対する注目度は高い。軽い罰なら「ああ、また琴吹が何かやらかしたのか」で済むが、二週間も基地に居ないとなるとどんな憶測が出るかわからないし、B級降格となればかなりの噂となるだろう。今はタイミングが悪すぎる。
「ランクはそのまま、謹慎は三日ということでどうでしょう。もちろん謹慎中に問題を起こすようなら、先ほど城戸司令が仰った処分を下していただければと」
ボーダーとしての威厳や他の隊員への示しとの天秤は、どちらが重いか。
…異論は、上がらない。
「よかろう。忍田本部長も異論はないな?」
「…少し、私も熱くなっていたようだ。処分に同意します」
☆
それから伊織は、近くの自動販売機に向かった。
この後にチームランク戦があるようだから、冷やかしに行くまでの時間潰しである。
周囲には誰も居ない。
それも当たり前だ。
琴吹伊織に近づくなんてよっぽどの馬鹿か、よっぽどの無知かのどちらかしかいない。
「とても謹慎を食らった顔には見えないな」
呑気にサイダーを飲んでいると、横から声がかかった。
…どうやら、伊織の見立ては間違っていたらしい。
そのどちらでもない人間がやってきたのだから。
「こんなしょぼくれた顔してんけど?」
わざとらしく伊織は苦笑いをした。
唐沢は胸ポケットから煙草を取り出そうとして──ここじゃあかんやろ、と声がかかる。
手はポケットの真上で止まった。
「で、迅さん何て言うてはったんです?」
「概ね、君の予想通りだったよ」
中途半端に浮かせた右手を誤魔化すように、唐沢は自動販売機のボタンを押した。
少年──空閑遊真には敵意はない。イレギュラー門のことについては言及していなかったようだが、中学校でモールモッドを倒したことは三雲づてに認めたようだ。
伊織は一つ、息をつく。
「ここまで狙い通りなんだろう?」
「そやなあ。秀次くんの困った顔見られて満足やわ」
伊織は再び、わざとらしく肩を竦めた。
ふっと一言、唐沢は笑う。
「相手は黒トリガーだ。恐らく三輪隊では返り討ちにあっていただろう。しかし君の予想外の介入で、三輪隊が失敗を責められることはなかった」
煙草の代わりに缶コーヒーを一口、口に含む。
「玉狛も然りだ。例の近界民が悪さもせず、迅くんが存在感を見せることもない。この件で悪者となったのはただ一人、君だけだ」
少しだけ、伊織の表情が歪んだ。
「想像力豊かやなぁ。営業やのうて、小説家にでもなったらええんやないです?」
顔を歪めて言い放つそれは、伊織の自白に等しい。
「あいにく、この仕事が気に入ってるんでね」
「あ、そ。そやけど、狙い通りなん、そっちとちゃいますか?」
しかし唐沢が伊織の腹の内を把握していたとすれば、伊織が感じた違和感の裏付けになる。
ほう、と唐沢は息を巻いた。
「あんな茶番、誰だってわかるやろ」
意見の対立する林藤にあえて寄り添うことで、厳罰が決まりかけていた場の空気が変化した。
鬼怒田や根付がどうかはわからないが、近界民に対しては厳しいスタンスを崩さない城戸が意見を変えたということは、少なくとも二人がかりの仕込みであることは確かだ。
「君はつくづく周りがよく見えている」
唐沢は両手を上げてため息をついた。
伊織と違って素直に認めるらしい。
それすらも彼の手の上で転がされているような気がして、伊織は口を尖らせた。
「それにしても三日て、ボクにえらい気ぃ遣うてくれはりますね」
「それは処分に不満がある、と取っていいのかな?」
伊織はサイダーを飲み干してペットボトルをゴミ箱に投げ捨てると、一拍置いて続けた。
「
ふむ、と唐沢。
「戦力整うてから攻め込むんが定石やけど、その頃にはボクの処分も解けてる」
戦力が整うとは、近界への遠征で不在の精鋭たちが帰還することを指す。ボーダーでも割と少数の人間しか知らない遠征部隊の帰還日時を何故知っているのか、と唐沢は苦笑いをした。
唐沢と城戸があそこで流れを変えたとして。
それはつまり、最初から着地点を決めていたということだ。
では一体何故?
まさか、本当に大規模侵攻や市民への印象を考えたわけではなかろう。戦力的に伊織の代わりとなる隊員ならいくらでも居るし、今日までにボーダーの市民権を確固たるものにしてきた根付にかかれば、印象操作も苦ではないだろう。
だとすれば、二週間伊織が居ないことで彼らにとって不都合となる点は──ひとつしかない。
「まるで、
「…どうやら、君の方が小説家に向いているようだ」
伊織と同じセリフを吐いて、唐沢は大きく息をついた。
唐沢のそれは、果たして──