変わらず、迅たちの戦場。
互いに決定打となるようなダメージは与えられていない。強いて言えば太刀川の右つま先がそれに当たるかもしれないが、彼自身戦いに影響を感じてはいなかった。
再び、両者は睨み合う。
達人同士の手合いは時として全くの静寂が訪れることがあるという。勝負手に至るまでの駆け引きを互いにイメージしているからこそ、迂闊に一歩踏み出すことが出来ないのだ。
彼らをその達人と準えるのなら、この静寂は何重にも及んだ読み合いの末の結果といえるだろう。
風刃の残弾はあと四つ。リロードにはしばらくの時間がかかる。その間は風刃は何の能力もないブレードと変わらないから、太刀川たちは何とかしてそれを使い切らせたい。けれど、未来予知を持つ迅にはまさにという使い所が手に取るように把握出来ているから、生半可な陽動では通じない。かといって、リスクを負って迅に迫っては本末転倒だ。
「出水もあっちの方がよかったんじゃない?」
いつからか、迅は風刃を下ろしてしまった。
恐らく、油断という表現は適切ではないだろう。迅が向かってくるはずがないと判断したのなら、それは紛れもなく向かってくるはずがないからだ。
誘っている、は半分正解だが、全てではない。
このまま待っていれば、向こうの勝負は決着がつく。
迅は伊織が勝つことを確信していた。サイドエフェクトは旗色が悪いと頻りに伝えている。けれど、いつも決まって予測の斜め上を行く伊織を、サイドエフェクト以上に彼は信頼していた。
「俺や太刀川が琴吹を侮るとでも?」
迅の言葉に、風間は不機嫌そうな表情をした。
こうして機を窺って膠着するくらいなら、向こうを早く終わらせて全員でかかった方がいいかもしれない。
だがそれは二流の考えることだ、と風間は思う。
この人数だからこそ今の状況になっている訳であって、出水の中距離の牽制がなければ迅の行動を物理的に制限することは出来なかっただろう。
そして癪に障るのは、こちらが伊織を過小評価していると迅が思っていることだ。他の隊員がどうかは分からないが、少なくとも風間と太刀川は伊織の実力を身をもって知っている。
だからこそ、だ。
「だから一番信頼の置ける部下を向かわせたに決まっているだろう」
風間もまた、菊地原たちが勝つことを確信していた。
『右二発、左三発。一発遅れて後ろ』
三輪の脳内に菊地原の声が反芻する。
二発は菊地原が防ぐだろうから、盾を構えるべきは左の三発。後ろの一発は避けるなりすれば問題はない。
「あれ、全然当たらへんやないの」
簡単に対処された変化弾を見て、伊織は難しそうに首を捻った。
左右に気を取られたり、あるいは反撃に前へ出てきた時の隙を突くために一発、死角を通して背後に変化弾を向かわせていたが。
少し前とは比べものにならないくらい三輪が冷静だった。
「そやったらこれやなあ」
伊織は両手から再び弾丸を放つ。二人へ真っ直ぐ軌跡を描く道中、右の群れから一つだけ左へ分岐した。
今まで何度も見せてきた変化弾特有の包囲網──ではない。群れから離れた一つの射撃は、そのまま左の群れを横切るようにカーブして、衝突する。
次の瞬間、激しい爆発が起こった。
射撃トリガー、メテオラは着弾と同時に爆発を起こす。それを変化弾で能動的に引き起こしたというわけだ。
この爆発の中でなら、菊地原のサイドエフェクトを無効化できるという算段だろう。
「発想が小学生以下」
菊地原は嘲るようにため息をつく。
彼のサイドエフェクト『強化聴覚』の真骨頂は、聴き分けにある。微小な音の大きさや周波数の違いを、極めて高い精度で聴き分けることが彼には可能だ。
ゆえに、メテオラの爆発音は全くもって、菊地原の耳の障害にはなりえない。
それどころか、菊地原と三輪の二人は爆風を目隠しにして、伊織へ急襲した。
左から菊地原が迫る。一撃目はシールドで防いだが、スコーピオンの足回りは伊織の想像するよりもずっと軽い。盾の間隙を縫って、二撃目、三撃目がやってくる。
「くっ…」
遂にそれは伊織の肩を掠めた。左肩から立ち込めるトリオンを気にしている隙はない。ここから更に、右からもう一人がやってくる。
今までとは一転して、三輪は突きを主体に攻撃を仕掛ける。
剣を振り下ろすより、何段もそれは素早い。ピンポイントで急所を狙ってくるから、盾の読みを外したり、展開が遅れれば即、致命傷だ。
心臓を狙った突き。盾の読みが当たる。
首を鋭く突く。反応で避け、カウンターにアステロイドを三発。
右足へ一発掠める。バイパーを展開。
発射と同時に、左からカメレオンで姿を隠した菊地原の攻撃が迫る。読んでいた伊織は、バイパーを左へ曲げて牽制。
「もっと秀次くんとお話ししたいのに、ボク寂しいなあ…」
ふうっと、伊織は息を吐く。言葉とは裏腹に集中した表情を崩さない様子が、緊迫した戦いだということを物語っていた。
対する三輪も、目の前の戦いに集中した様子で、伊織の軽口に掻き乱される様子はない。
「
どこか憑き物が落ちたような、すっきりとした表情で彼は言った。
「…ええ顔や」
ほんの僅か、伊織は微笑む。そこには貼り付けた笑みも、薄っぺらい表情もなかった。
伊織は両手にキューブを展開すると、二人へそれぞれ放つ。
二人の意識に変化弾は十分刷り込めた。恐らく最小限の防御で、最大限の速さでカウンターを狙ってくるだろう。変化弾の威力に合わせた盾で防御するはずだ。そこへ、それよりも威力の高い通常弾の攻撃。ダメージを与えられれば儲けもの、盾を崩して有利な駆け引きに持ち込むのが最低ライン。
直線的に軌跡を描いた射撃は、案の定二人のシールドを破った。
それを確認するや、伊織は間を置かずに再びキューブを展開。今度は変化弾。急いで盾を再び展開するだろうから、その隙間を縫うのが狙いだ。
しかし、二人の行動は伊織の予想を超えていた。
菊地原が、突如として姿を消したのだ。彼がカメレオンを用いた攻撃を得意とするということは十分知っているから、突如というのは姿を消したこと自体に抱いた感情ではない。
なぜ、このタイミング──不意を突かれ、防御と攻撃どちらに重きを置くかなんて明らかなこの場面で、カメレオンという選択をとったのか、だ。
伊織の驚愕はまた一層大きくなる。
三輪は自分の方に放たれた変化弾を無視するかのようにそのまま腕で受けて、菊地原の方へと向かう弾を盾で防いだのだ。
攻防一体、とはよく言うが、まさか攻防分担とは。急造のペアにしては、息が合いすぎている。
姿を隠した菊地原はレーダーで大まかな位置は確認できるが、オペレーターの居ない伊織には自分で確認するしかない、という大きな足枷がある。そんなことをしている猶予はない。
彼が狙うであろう部位。
首──除外。当たれば致命傷だが、逆に最も警戒されるポイントだ。三輪がリスクを負って被弾した手前、何の成果も…となることだけは避けたいはず。同じ理由で心臓も除外。
両腕──除外。シューターである伊織にとって、それはトリオン切れ以外気にする点にはならない。
であれば、狙うのは──足か。
「残念」
菊地原がいた方、右足へシールドを展開する…が。伊織の予測の裏をかいて、彼のスコーピオンは右腕を斬り飛ばした。
「迅さんみたいに上手くはいかへんなあ…」
伊織は吐き捨てる。
迅という強敵に意識が向いて、彼らは伊織を出来るだけ早く仕留めたいと思うはずで、その焦る気持ちを利用すれば…と伊織は考えていたが。
思えば、三輪はいいとしても菊地原までもが伊織の煽りに素直に付き合うところから、違和感を覚えるべきだったのかもしれない。
彼らもまた、時間稼ぎを良しとしていた。だから、戦況に直結する首や足は狙わなかったのだろう。
現段階で伊織を倒すつもりはない。待っていれば増援がやってくる。三輪が受けたダメージによるトリオン切れも、今の伊織に比べればどちらが早く限界を迎えるかは明白だった。
「迅が片付けるのを待っていたのだろうが、当てが外れたな」
三輪が口を開く。相変わらず余計な感情は削ぎ落とされ、目の前の『敵』をただ見据えていた。
「…言うやないか」
調子は崩さず、伊織は思考する。待ちの展開は潰され、こちらから攻めなくてはならない。が、攻勢に出るにも消費の大きいシュータートリガーでは結局トリオン切れとの戦いになる。
未だ結論を出せずにいる中、伊織の斜め上から突如、斬撃が飛んできた。
「っ!」
四発放たれたそれは、伊織の居たアスファルトを切り裂いて消える。右手失っている分、ケアすべき箇所が減ったというのは笑えない副産物だ。
「時間切れだよ」
そう言ってスコーピオンを構える菊地原の後ろに、米屋は着地した。
予想よりも早い。迅に彼らが到着する時刻を聞いておけばよかった、と伊織は思ったが、それでこの状況を免れることができるのなら、迅の方から伝えていただろう。つまりこれは、避けようのない未来だった、ということになる。
「盤面は揃った。お前の負けだ、琴吹」
「…どうやろなあ?」
「普通に考えて無理でしょ」
何とか絞り出したその言葉に、菊地原は嘲るように笑う。
「…普通に、ねえ」
だが、伊織の目にはまだ、戦意は消えていなかった。
「こちら古寺。狙撃ポイントに着きました!」
米屋が伊織に旋空を放つ少し前。伊織たちが見渡せる高台に古寺は居た。
『オーケー。俺ももうすぐそっち着くぜ』
遠征部隊が帰還したのち玉狛への襲撃作戦を練ることは知っていた。しかし、それを率いる太刀川が「今夜にしよう」と言うのは流石に予想外で、監視をしていた二人が遅れての参戦になってしまうのは仕方がない。
米屋は三輪たちが戦う場所へ。古寺はそこを狙い撃てる高台へ。警戒区域へ入ってから、二人はそれぞれ目標へ向かった。
『了解した。迅と違って琴吹に狙撃は効く。だが、何をしでかすかわからないのは奴も同じだ。時間をかけて隙を与えるわけにはいかない。最初の一撃に勝負をかける』
伊織を相手にするのは、彼らにとっては初めてのことだった。それは好んで個人ランク戦をする趣味はない三輪や、ソロ隊員とはどうやってもその機会がない古寺だけでなく、ランク戦ブースに足繁く通う米屋も例外ではない。
だが、ここまでの戦闘を見て、ある程度伊織のスタイルや実力は把握していた。
変化弾を巧みに操り、敵の攻撃を一捻り加えた手で受け流す。それに驚いて生じた相手の隙をまた変化弾で突く。そんなところであろうか。
だから、有無を言わせず一撃で仕留めるという彼の隊長の作戦に異論はない。
(残った狙撃手はおれ一人だけ…。ここで琴吹先輩を倒した後、迅さんに圧力をかけるのも自分の仕事だ)
スコープを覗きながら、古寺は全体の戦況を整理した。
開幕の伊織の裏切りで、古寺以外の狙撃手──当真と奈良坂は離脱した。
迅が未来予知のサイドエフェクトを持つことは今さら説明するまでもない。狙撃は恐らく通用しないが、物理的に迅の行動を制限することはできる。狙撃手2トップの代わりとして、予知しても回避できないような状況を生み出すことが、この後の古寺には求められるだろう。左手で狙撃銃を支える力が、強くなる。
(三人なら、きっと琴吹先輩を崩してくれる。あとは、おれが決めるだけ…)
三輪は、最初の一撃で仕留める、と言った。失敗は許されない…が、A級である古寺にとってそれは──重圧こそ多少なりとも感じることはあっても──幾度となく経験してきたことだ。
『二人仲良くピクニックかいな?』
『あはは! その顔見るために決まってるやないか!』
サイトの十字が伊織を捉える。
彼とは監視任務中に一度会った。今まではほとんど彼の感情は三輪へと向けられていたが、こうして自分にとなると、思うことがないわけではない。
(集中しろ…。この一発で勝負を決める…!)
一度、すうっと息を吐いた。
敵を前にして、この感情は不要。ただ、引き金を引くタイミングを探る事だけに思考を割けばいい。
(………)
近距離から孤月と鉛弾で攻撃する三輪と、カメレオンで不意を突く機会を窺う菊地原。そして、長いリーチを活かして二人とはやや下がった位置から畳み掛ける米屋。
伊織は防戦一方だ。むしろ、ここまでよく持った方と言っていい。
菊地原が姿を消して伊織に迫る。伊織は盾で防いだ。
息をつかせずに、三輪が弧月を振り下ろす。これも盾で防ぐが、その後は鉛弾だ。盾で防ぎようがないから、伊織は身体を翻す。
半身になったところへ、米屋が槍型に改造した弧月で突きを放つ。
盾は間に合わず、伊織は────飛んだ。
「…ここだ!」
「あーあ。これ、詰んでもうてるやないの」
米屋の突きを飛んで回避した伊織だったが、この後の展開は例えそのサイドエフェクトがなくとも、十分予測できていた。
飛ばされたのだ、伊織は。
監視任務に就いていた米屋がやってきたということは、もう一人も狙撃ポイントに到着したに違いない。無防備に空中へ姿を晒した伊織は格好の的だろう。
最後の足掻きとばかりに、伊織は飛来する狙撃にタイミングを合わせて、姿を消す。
一定距離瞬間移動の出来るトリガー、テレポーターで三輪の背後へ飛んだ。
これは三輪たちの想定内だ。伊織がテレポーターを使うことは、開戦時に迅の隣に突如移動したところから把握している。テレポーターの移動先は、視線の向く方、数メートル。連続使用はできない。だからそれは、古寺の狙撃を避けたというだけで、状況は相変わらず。ただの延命手段に過ぎない。伊織の言う通り、詰みだ。
と、思ったが。
「──キミらが、やけど」
三輪も米屋も菊地原も、誰一人として伊織が飛んだ方へ視線を向けなかった。
それは何故か?
理由は簡単だ。伊織よりも目を向けるべきものが、彼らの前にはあったから。
彼らの視線の先──伊織がもと居た場所にあったのは、大きなトリオンキューブ。大きさで言えば、出水がトリオンキューブを分割しないで展開したくらい、成人男性が膝を抱えて丸くなった程の大きさ。
それからコンマ数秒。古寺の狙撃が糸を引き、キューブを貫く。
瞬間、辺り全てを消しとばしてしまう程の爆発が起こった。
「分断してボク一人にさせる? 間違ってへんなあ。時間稼いで、人数の有利を増やす? 正しいと思うで」
伊織はテレポーターで狙撃を回避すると同時に、分割なしの最大火力のメテオラをその場に設置したというわけだ。
これ程の爆発、しかも狙撃が飛来するまでのコンマ数秒、凌ぐことは不可能だろう。
「けど、
人の数だけ、各々が嫌がる事は増える。一つでもそこを突くことが出来れば、あとは数珠つなぎのようにズレと綻びが生じる。
古寺が今回はそうだ。
自分以外の狙撃手が落とされ、いざこざのあった伊織が相手。重圧と逸る気持ちはあっただろう。
もちろん、A級隊員の古寺がそれに思考を支配された訳ではない。一瞬頭にちらついた程度で、それからはいつものように、ただ標的を貫く事だけを考えて引き金を引いたはずだ。しかし、精鋭同士の戦いではその一瞬が勝敗を分けることも時としてある。その一瞬の盲目さが、メテオラを射抜くという綻びを生じさせた。
ソロ隊員でいる期間がほとんどだった伊織には、シューター本来の役割である「相手を動かして、それを味方に取らせる」といったサポートが苦手だ。彼がチームに短期間だが所属していた時ですら、気の利く二人にそういったことは任せ、もう一人と好き勝手暴れていたのだから不得手を克服する気もなかったのだが。
さておき、伊織は一対一は苦手ではないが、別段得意ではない。彼の真骨頂は、一人で敵に囲まれた時、存分に発揮される。
メテオラの爆発で虫の息だった三人を変化弾で貫くと、爆発で巻き起こった辺りの煙を晴らすかのように三つ、緊急脱出の光が基地へと向かっていった。
伊織の、勝ちだ。
「柚宇さーん。そっちどないなってますー?」
伊織に居たはずのオペレーターに話しかけるが、返事はない。
「あ、やっぱええわ」
別の場所から、基地へ向かって光が二つ、軌跡を描く。
特に表情も変えず、伊織は平坦に言い放った。
「この戦い、
激しい戦いを終え、一人夜の中佇む自分は、その勘定には居ない。