敵の敵は味方になるらしい   作:マカベ

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つまらない嘘 その6

 ボーダー本部、加古隊作戦室。

 ソロ隊員の伊織には専用の作戦室はない。ソロ隊員用の緊急脱出先は用意されているが、オペレーターの杏に頼んで(半ば強引に)伊織は加古隊を転送先としていた。

 目を開けて体を起こすが、周囲は真っ暗だ。

 四人が県外スカウトで居ないのは都合が良かった。

 

 一度、大きく伸びをする。

 迅はこの後風刃を取引に使うと言っていた。尽くせる手はほとんど打っておいたし、迅のことだから心配するまでもないだろう。

 ここで伊織のお役は御免だ。

 

(姉貴たちも居ないし、しばらくここに居てもいいか…)

 

 伊織はもう一度ベッドに仰向けになった。

 ここまでの出来事が頭の中を反芻する。一人の少女を守りたいと言った少年、他人を危険な目に遭わせることはできないと一人で抱え込もうとする少女、父親に貰った命を他人のために使うことを決めた少年。…そして、姉の仇への復讐心が大きすぎるがゆえに、その扱い方を間違えている青年。伊織の行動は、彼らのためになったのだろうか。

 

「お疲れ、伊織」

 

 目を瞑りかけたところで、作戦室の戸が開く。

 廊下から照明が差し込んで、伊織は眩しそうに顔をしかめた。

 

「トリオン体じゃ疲れへんよ」

 

 迅が電気のスイッチを押す前に、伊織は身体を起こして息を整えた。

 パッと部屋全体が明るくなる。

 

「伊織のおかげでかなり楽になったよ」

 

「別にボク、迅さんの味方した覚えはあらへんけど?」

 

 伊織は意地の悪そうに笑った。嵐山隊を排除するという、あんな回りくどいやり方をした理由の一つがそれとは、思わず迅の顔が苦くなる。

 

「そやから、戻るとかなんとか言う話はナシや」

 

 この光景も、迅はサイドエフェクトで見えていただろう。けれど、実際に目の前でそう言われるのとでは、やはり感じ方は違う。

 迅も笑ってこの場を済ませたいと来る前は考えていたが、伊織の答えと彼が水面下で行っていたであろうことを思うと、とてもそんな気にはなれない。

 

「…辛い役回りをさせちゃったな」

 

「ええと、何の話?」

 

 やけに含みを感じる迅の物言いだが、伊織は変わらず煙に巻く。

 

「おまえ、そういうとこ全然変わってないなー…」

 

 はあ、と大きなため息が迅から漏れる。

 それ以上迅は踏み込んでこなかった。

 

「ま、ともあれ助かったよ。久しぶりに伊織と組めて楽しかった」

 

 ベッドに腰掛ける伊織へ、迅は手を伸ばす。

 どうやら、伊織の退場はまだ先らしい。

 

「それは意外やなあ。ボク以外で揉め事楽しゅう思える人居るとは思わへんかったもの」

 

「おっと、こいつは手厳しい」

 

 

 

 

 

 

 上層部全員が集まった会議室。いつかと同じように様々な感情が入り乱れて紛糾する、といったことはなかった。

 

「ええい!どうなっておる!」

 

 鬼怒田が吐き捨てる。

 どうなっている、とはこの場の人間ほとんどが抱いた感情である。近界民や黒トリガーを巡って城戸派と玉狛の争いとなるはずだったこの騒動、蓋を開けてみれば一人の隊員によって如何とも言い難い結果に終わったからだ。

 

「珍しくしおらしいと思ったらこの有様じゃ!!」

 

 その隊員の名は琴吹伊織。

 思えば警戒区域内での出来事からそうだ。城戸派を邪魔したと思えば、今度は近界民に牙を剥き。あろうことか、市民すら手にかけようとした。

 そして今回の戦闘である。

 両陣営に近づいたものの、結局は遠征部隊とともに黒トリガー強奪を目指すと思われたが。開戦になると、今度はその遠征部隊を攻撃して、玉狛に協力したのだ。

 上層部たちの口数が少ないのは、派閥の争いから始まった騒動を伊織によって滅茶苦茶にされて、どう折り合いをつけたらよいか言い淀んでいるからだ。

 

(最終的にこちら側へ来てくれたのは歓迎すべき事なのかもしれないが…ならば何故嵐山隊(我々)の邪魔をした?)

 

 忍田もまた、伊織の行動に困惑している内の一人である。

 迅の下へA級部隊の嵐山隊を増援として送るつもりだった忍田であったが、突然広報任務が舞い込んだせいで戦いに参加することすら叶わなかった。

 当然、城戸派にその素振りを悟られないよう細心の注意は払った。情報が漏れたとすれば、迅とやり取りをしていたという伊織以外には考えられない。

 伊織がそうした理由が忍田には理解できなかった。

 

「あれ、思ったより静かですね」

 

 そこへ、今まさに戦いを終えた迅が姿を見せた。

 しんとした会議室に少し面食らった様子だ。

 

「迅…!貴様も舐めた真似をしおって!」

 

 まあまあ、と諌める迅の声がどこか安心感を帯びているのは気のせいだろうか。

 血圧上がっちゃうよ、なんて割と本気な心配に口ごもる鬼怒田だったが

 

「一番舐めた奴が来たでー」

 

「琴吹ぃ…!!」

 

 遅れて顔を見せた伊織のおかげで、迅の助言はどこかへ消え去ってしまった。

 元凶の登場で、会議室全体の空気が一気に上昇する。

 加熱していく鬼怒田や根付を横目に、忍田は黙って伊織を見ていた。

 

「引っ掻くだけ引っ掻き回して、どう落とし前つけるつもりかね!!」

 

 上がった熱は机を乱雑に叩くエネルギーとなる。

 少し横柄なのは咎めるべきだが、伊織にそう問い詰めたくなる気持ちもわからないことはない。

 

「あはは!根付さんもおもろいこと言うなあ!」

 

 しかし伊織は、そんな感情を逆撫でするかのようにけらけらと笑う。

 

「いつから『落とし前』いう言葉は負けた方が使うようになったんや?」

 

 結果だけを見れば。

 太刀川率いる黒トリガー奪取部隊は敗れ、近界民擁護派の迅たちが勝利を収めた。追い詰められているのは城戸派であり、机を叩くべきは玉狛ということだろう。

 

「なんじゃと!!」

 

 それを聞くや否や、鬼怒田はデスクから身を乗り出して声を荒げた。

 伊織の言い分も筋は通っているが、二人の雰囲気を見たうえで取るべき行動ではない──と忍田は内心呟いた。

 

「まあまあ。落ち着いてください、鬼怒田室長。迅くんたちだって別に油を注ぎに来た訳ではないのだろう?」

 

 宥めたのは唐沢である。

 彼も机を叩く側の派閥ではあるが、城戸と同じく冷静だった。わざわざ声を荒げて止める必要がなくなり、少し安堵する。

 代わりに忍田は、「ボクはそのつもりで来たけどなあ」とか言ってる伊織をじっと睨みつけた。

 

「一つ、交渉に来ました」

 

 ようやく本題。

 迅は一歩前に出て城戸に言った。

 

「うちの遊真の入隊を認めてもらいたい」

 

 結局のところ、争点はここに帰着する。

 近界民である空閑の処遇をどうするのか。黒トリガーは誰が持つのか。

 涼しい顔をしている迅も、伊織と同じことを思っているのだろうか。

 

「駄目だと言ったら?」

 

 城戸の言葉に、忍田は何かぼんやりとした違和感を覚えた。

 近界民に対しては絶対にノーを提示する彼が、こんな及び腰で答えることなんてあっただろうか。

 遠征部隊が壊滅したことも少なからず影響があるとは思うが、これではまるで──

 

「こっちは風刃を出す」

 

「なんだって!?」

 

 しかし忍田の思考は、迅の言葉で一度隅へ追いやられてしまう。

 あの迅が、師匠の形見の風刃を手放すと言ったからだ。

 S級という肩書き以上に、彼にとってそれは重く大切なもののはず。反対勢力であるはずの鬼怒田でさえ、動揺を隠せない様子だ。

 

「…私は十分見返りのある取引だとは思いますが」

 

 近界民が組織に居る、という感情的なものを抜きにすれば、それはこの問題を解決する最善の手かもしれない。風刃は適合者が多く、またその性能も十分にボーダーが把握している。どんなものかもわからない空閑のトリガーを手に、居るかどうかもわからない適合者を一から探す必要はない。そして忍田には考えたくないことだが、風刃ともう一つ城戸派が持つ黒トリガーを使えば空閑を始末することだって可能だ。

 鬼怒田や根付も、唐沢の意見に同調するような面持ちに変わった。

 

「いいだろう。空閑遊真の入隊を認める」

 

 そして城戸は表情を変えずに決断する。

 そういえば、迅の後ろに居る伊織も、貼り付けた笑みはずっと崩していない。

 それを見て、隅へ追いやっていた思考を再び忍田は机の上に戻した。

 感情的なものを考えれば、送った部隊を返り討ちにされ、その上返り討ちにした張本人に情けをかけられ、忌み嫌う近界民を受け入れるなんて屈辱以外の何物でもない。

 しかし城戸は表情を変えず、考える時間も多く取らずに受け入れた。

 

 …いや、実際には屈辱に顔を歪め、主観と客観を天秤にかけて熟考したのかもしれない。

 

 あの口ぶりはまるで、迅が何か譲歩をするのを確信しているようだった。

 

 城戸が、迅が風刃を差し出すことを事前に知っていたとしたら。

 

 屈辱を呑み込むだけの時間と、その後の対応を考える猶予は十分にあったはずだ。

 迅の取引は、城戸派にはメリットの方が遥かに大きい。マクロな目でもミクロな目でも、あるいは彼らが勝利し遊真を処理できた時よりもいい結果にすら思える。さらに加えると、あの未来予知のサイドエフェクトを持つ迅が戦いに応じたという、極めて高い勝算が向こうにはあったのであろうという事実。ともすれば城戸は、その時間的猶予を活用した結果、迅の譲歩を引き出すためにあえて負けることを選んだとまで考えられるかもしれない。

 もちろん、現場の太刀川や風間たちはそうではないだろう。迅だって、まさか城戸に風刃を渡すと事前に伝えたはずがない。でなければ、初めから風刃を渡して騒動は終結したはずだ。

 城戸だけがこの結末を思い描き、その手のひらの上で他の当事者たちは踊らされている。そして不確定要素であった第三勢力──忍田派は、関与することすら許されなかった。

 

 結果、城戸派は風刃を手に入れ、黒トリガーのパワーバランスは保つどころか上回り。問題の近界民も、組織内に取り込むということはつまり、やろうと思えば難癖をつけて処分が出来るということだ。

 何よりも、現場の隊員に何も知らせずに出来レースを行わせたのが後味の悪い。一体何のために太刀川や迅たちは戦ったというのだ。

 

 だが、偶然城戸がそのことを知ってしまったとは考えにくい。嵐山隊のことと同様に、『彼』が意図的に漏らしたか、伝えにいったかのどちらかだろう。

 そして、処分自体に異論はないものの、思い返せば、彼の処分が謹慎三日のみだったというのも裏がある気がしてならない。まるで示し合わせたかのように彼の謹慎が明けた後遠征部隊は帰還し、それから襲撃作戦は決行された。十中八九、城戸は彼を泳がせておいた。それに加えて、彼の裏切り行為は紛れもない敗因であり、責められるべき戦犯でもある。城戸が負けることを望んでいたという事実へのスケープゴートとしては、申し分ない。

 

(……趣味の悪い茶番だ)

 

 忍田は一度、深く息をついた。

 

 

 

 

「…最後に一つ聞きたい」

 

 忍田の心の内とは裏腹に、騒動の終着が見え、半ば穏やかな空気に包まれた会議室。

 城戸の一言は、唯一見せた本心のようだった。

 

「お前の目的はなんだ?この提案は我々にとって有利すぎる」

 

「ボーダーに黒トリガーが一本増えて、強い仲間が加わった。誰も不利になんてなってないでしょ?」

 

 実に迅らしく、玉狛らしい答えだ。

 自然と顔が綻ぶのが感じられる。

 

「それに、遊真は城戸司令の役にも立つと思いますよ。()()()()みたいにね」

 

 しかし、迅は皮肉めいた言葉を続けた。それはまた、彼が唯一見せた怒りの表情のように思える。

 

「その件は申し訳ないと思っている」

 

「…遊真がここに居たら何て言うでしょうね」

 

 そう残して、迅は会議室を後にした。

 いつ消えたのか、伊織の姿は見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの時、なんで琴吹先輩を呼び止めたんだ?」

 

 遊真がいつもの十本勝負を終えてリビングへ戻ると、修から声がかかった。

 確かに呼び止めるにしては間の悪いタイミングだったとは思う。けれど、こうしてなぜと聞かれても、遊真自身にもよくわからなかった。

 ただ遊真は、迅を追って階段へと向かう伊織の背中を見て、声をかけずにはいられなかったのだ。

 

「…あの人がどうして乱入してきたのかがわからなかった」

 

「たしかに…」

 

 ゆっくりと、確認するように遊真は呟く。

 重しのトリガーを使う隊員のように、近界民に対して強い感情を抱いているようには見えなかったし、上からの任務で来たとしても、仲間同士で戦闘をする意味がわからない。

 けれど、そんな論理的な理由で呼び止めたのではなかったように思う。

 

「いや。聞きたかったのはなんで嘘をついたのか、だな」

 

 中学校と、警戒区域。それまでで会ったのは二回だけだが、そのいずれも伊織は嘘をついていた。ほとんどと言っても差し支えない。

 嘘を見抜くというサイドエフェクトを得てから今まで、そんな人を遊真は山ほど見てきた。

 けれど遊真は何故だか、伊織がどんな理由で、そしてどんな感情で嘘をついたのか、それが気になった──のだと、思う。

 どうしてなのかは、遊真自身にもぼんやりとしていて、はっきりと言葉には出来なかった。

 

「けど、()()もそうだったな」

 

 目的は、他人の困った顔を見るため。

 それもまた嘘だった。

 つまり、だ。伊織には何か別の理由があって、そのために嘘をつき、仲間を攻撃し、千佳たちを狙おうとした。

 

『ボク、間違った悪い人間やから』

 

 吐き捨てたその言葉が遊真の頭をぐるりと廻る。

 国同士が上手くやるのに手を取り合う必要はない。共通の大きな敵が居ればそれで十分だと、昔父親が言っていた。

 仮に遊真の考えていることが正しいとして、こうして遊真が玉狛で楽しく過ごせているのが彼のおかげなのだとしたら。

 だとしたら、それは。

 

「本当に、つまんないウソだ」

 


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