ようこそしたくなかったわ、こんな教室   作:薔薇尻浩作

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初めて予約投稿つかってみたから初投稿です。
綾小路視点は5話くらい続いちゃうかも……番外編も書きたいなぁ。


『喜劇、或いは悲劇の傍観者』2

 

水泳の授業から数日。土日を挟んで新たな週を迎えた。

いつもの時間に起きて、いつものように登校する。

人は環境に適応するもので、オレにとっては何もかもが新鮮だった『普通の学生生活』はあっという間に『慣れ親しんだ日常』へと化していた。

いつものようにDクラスの扉を開き、机の留め具に鞄をかけて着席する。

辺りを見回せば数人のクラスメートの姿は見えるが、オレにとってはまともに話もしたことないような知り合い以上、友人未満の存在でしかない。

 

 

(池や山内、須藤がいれば雑談で時間も潰せるんだが、やっぱまだ来てないよな)

 

 

せっかく友達となれたのだから、池や山内辺りと交流を深めたいところだが、ホームルームの時間まで余裕のある現在、残念ながら二人とも登校していない。

先週の水泳の一件は本当に特別だったという訳だろう。

 

 

「貴方は今日も一人なのね」

 

「……おはよう、堀北。今朝も早いな」

 

「気安く話しかけないでくれないかしら?」

 

「ちょっと待てこら。流石に今の返しは理不尽だろうが」

 

 

いつの間にやら席についていた堀北から全く嬉しくない挨拶? をされるも返事がまともに返ってくることもなく、会話は続かない。

どうやら今朝はあまり機嫌がよろしくないようで、いつも以上に刺々しい雰囲気である。

触らぬ神に祟りなし。と早々に堀北から視線を外したオレは扉の方をボンヤリと観察していた。

早く友達が来てくれないだろうか。気不味いし、退屈だし、何より一人でポツンと座っているのは哀れな気持ちになってくる。

 

 

「みんな、おはよう‼︎」

 

 

そんなオレの心の内の懇願が届いたのか、向日葵のような笑顔を携えた櫛田が登校してきた。

弾みだすような明るい声でクラスメートに挨拶を交わしていく。

 

 

「おはよー櫛田さん」

 

「あっ、桔梗ちゃん。おはよう」

 

「オッス櫛田ちゃん。今日もかわいいね」

 

 

男子も女子もみんな笑顔。いかに彼女が人気者であるか一目で判る光景だった。

大天使クシダエル。なんて一部の男子から呼ばれる程の天使っぷりが眩しい。

彼女は孤立気味だったオレにも毎日声をかけてくれるような明るい女の子で、その明るい声を聞いているだけで思わずこちらが笑顔になるような魅力があった。

 

 

「綾小路くんも、おはよっ」

 

「あ、ああ。おはよう、櫛田。今朝は、いい天気だな」

 

「うん。でもポカポカ陽気だから授業中に眠くならないかちょっと心配かな?」

 

「あー、そうだな。須藤みたいに寝こけないように気をつける」

 

 

短い言葉の応酬だが、それだけでも胸が温かくなるような気配り。

だがまあ、そんな彼女の魅力が一切通じない、ごく一部の例外もいる訳で。

 

 

「堀北さんも、おはよう‼︎」

 

「……」

 

「えっ……えーっとー……」

 

 

ガン無視。ガン無視である。

コミュ力の塊である櫛田ですら狼狽えているレベルの徹底的なスルーに、流石のオレも苦言を入れた。

 

「あのなあ、挨拶ぐらい返してやれよ。わざわざ近くもないこっちの席にまで足を運んでくれたんだから」

 

「頼んでもないわ。むしろ擦り寄られて来られると迷惑でしかないもの。何度も言う通り、私は他人と仲良くする気は一切ない。同じことを何度言わせればあなたの愚鈍な脳味噌は理解してくれるのかしら?」

 

「……あー、櫛田。悪いけど堀北、ちょっと調子悪いみたいだから」

 

 

挨拶が迷惑でしかない。と言う、果たして人間的に大丈夫なのだろうか? と疑いたくなる様な言葉でバッサリと切られたせいだろう。

櫛田はシュンと音が聞こえそうな程に落ち込み、眉を落としている。

慌ててオレがフォローに入るも、果たして意味があったのやら。

その後周りの女子に名前を呼ばれた櫛田は痛々しい笑顔で「また今度話そうね、堀北さんっ」と小さく手を振ると、他のクラスメートの集団に合流して行った。

 

 

「なあ、気のせいだったら悪いんだが櫛田にだけ不自然に当たりが強くないか?」

 

「黙りなさい」

 

「あ、はい」

 

 

取り付く島も無い。とはまさにこの事だ。

この氷の女は気づいていないのだろうか。いや、気づいていたところで自分には関係がないと自己完結しているのだろう。

こうして居た堪れない空気にオレが嘆息している間にも、敵意を孕んだ視線があちこちから飛んできているというのに。

 

 

(堀北のやつ。このまま放っておいたら不味いかもな)

 

 

クラスの人気者である櫛田に辛辣な態度を取り続ける堀北のヘイトは凄まじい事になっていそうだ。

とは言え、事なかれ主義者のオレがアイツの為に能動的に行動を起こすかというと、それは否。

そもそも、堀北に何を言っても無駄となるだろう。付き合いは短いが、アイツの病的な人嫌いは身に染みているのだから。

 

 

 

「よーっす。綾小路ー」

 

「お前メッセージ返せよなぁ。既読すらついてねーじゃんかよ」

 

 

ますます気まずくなった空気に、さてどうしたことかと悩んでいる時に現れたのは親愛なるマイフレンド達である。

大声で談笑しながら教室に入ってきた二人はオレを見つけると大きな声で名前を呼んできた。これが友達同士の気やすいやりとりか。何て素晴らしいんだ。

やはり充実した高校生活には友達の存在が必要不可欠だな。

 

 

「おはよう山内。あーそれと池、メッセージって何のことだ?」

 

「ウッソだろ気付いてなかったのかよ⁉︎ 送ったの昨日の朝だぞ⁉︎」

 

「綾小路って何か抜けてるとこあるよなー。表情もなんかヌボーッてしてるし」

 

「ぬ、ぬぼー。何なんだその力の抜けるオノマトペは……」

 

 

オレは不機嫌な堀北から逃げるように池の机に移動して、流れる様にそのまま二人の会話に交ざりに行く。

 

 

(悪いな、堀北よ。オレにはもう友達がいるんだ。お前とは違うんだ。そう、住む世界。ってやつがな)

 

 

そんなこんなで、眠気の取れていない締まりのない表情の山内と池の三人でそのまま談笑した。

やれ、昨日のテレビでやってたバラエティがどーだとか、流行りのゲームのイベントクエストがあーだとか、そんな雑談を交わしていた。

 

 

「だからお前も買えよ綾小路ー。ポイントだって十分に……有るんだ……し」

 

「あ? 山内、どうした……んだ……って」

 

 

その時だった。

 

急に途切れ途切れとなり、ついには無言になり完全に会話が急に止まりだす。

あまりに不自然な様子にオレが友人達を観察すると、何というか固まっていた。

 

 

「お、おい。二人ともどうした?」

 

 

山内も池もあんぐりと大きく瞳と口を開けて、教室の前扉の方を怖いぐらいに凝視しているようだ。

一体何事か。とオレも視線を向ける。

 

 

(……は?)

 

 

その先に、『ソレ』が居た。

 

 

化身だった。

オレの目に映ったのは『美』の化身だった。

 

月光を編み込んだ白金の髪。

真珠を溶かしたように仄かに輝いてすら見える白い肌。

瞳は蒼玉。唇は薔薇に桜桃。

耳も鼻も顎のラインも。骨格全てが作り物のように完璧で、いっそ非現実的なまでに整っている。

 

カツン。カツン。

真っ赤なブレザーに身を包んだ美の化身が一歩一歩と歩みを進めるたびに、皺一つ無い真新しいローファーが床を静かに打ち鳴らす。

その度に波打つプラチナブロンドのショートボブがふわりと広がる。

まるで天使の羽が舞い散るように芸術的な金糸のソレが、窓ガラスから透過した陽光を反射する度に黄金のように煌くのだ。

 

 

(凄いな……)

 

 

暴力だ。美貌という名の暴力だった。

瞳が焼けつく。あっという間に網膜に焼き付いた光景が視覚を通し、脳髄を麻痺させ、目の前の『美』そのものに。

目線も、意識も、魂さえも。

美の女神が戯れに下界に創り産み落とした。そんな戯言でさえも信じてしまうような美少女に。

オレ達Dクラスの面々は、正に一瞬で心奪われてしまった。

 

ふわり。風が吹き、カーテンが靡いて広がった。

遮るものがなくなった陽の光がスゥッとピンスポットのように一つの席を照らしている。

彼女はまるで導かれたようにその晴れ舞台に着席すると、鞄から黒革のブックカバーがついた文庫本を取り出した。

そうして愕然と目の前の天使の姿に心奪われているオレ達の存在など知ったことか、とばかりに周囲に一瞥もくれずに静かに読書を始めてしまう。

 

 

静寂。よりも粛然という言葉があっているだろうか。

彼女の革靴が床を叩く僅かな音でさえも、大きく聴こえるほどに静まり返っていた教室は誰かがゴクリと唾を飲む音をきっかけに、ようやく音を取り戻す。

だがしかし、もはや言うまでもなく誰一人として冷静さを保ってはいられない様だ。

そもそもDクラスにあんな目を引く美少女なんて、今までは確実に居なかった筈なのだから。

 

 

「だ、誰だよアレ⁉︎ あんなチョー美少女、先週までいなかっただろ⁉︎」

 

「知らねーよ‼︎ 池、ちょっと声かけてこい」

 

「いやいや流石にあのオーラは無理だって‼︎ 綾小路、お前行ってこいよ‼︎……綾小路?」

 

「え? あ、ああ。何だって?」

 

 

掠れたような小声で興奮した様子の山内と池の言葉にようやくオレは我に返った。

 

 

「……綾小路、お前完璧に見惚れてただろ」

 

「えっ? いや、そんなことは」

 

「無理もねぇって。周りの連中見てみろよ、男も女もみーんなガン見だぜ?」

 

 

その言葉に周囲を観察してみると、興味の矛先は皆一様に同じ向きを向いていた。

男子も女子もヒソヒソ声で囁き合っている。

黙々と読書に耽る天使のような容貌の見慣れぬ少女の正体が気になって仕方がないのだろう。

とは言え、それは当然だ。諸事情あって、他人の美醜にあまり関心の無いオレでさえ。

 

他人の存在に決して魂を揺さぶられる事なぞ生涯あるまいと自嘲めいた諦念を抱いていた、このオレが。

一瞬とは言え情動の全てを引き摺り出され、見惚れてしまったのだから。

 

 

(誰なんだ。あの女は?)

 

 

怪訝な思いを表情に出さぬよう意識しつつ、池や山内と一緒に縮こまるようにして件の少女を観察していた。その時だった。

謎の美少女を観察していた我らが群衆から一人の少女が恐る恐るといった様子で歩み出る。

 

 

「お、おおっ⁉︎ 櫛田ちゃんが行ったぞ‼︎」

 

 

本堂か、菊池辺りの男子が背後から期待するような声で小さく吠えた。

 

 

「……っ‼︎」

 

 

櫛田は普段の様子からは想像もつかないような緊張しきった表情でゆっくりと歩みを進めている。

何度か足を止めかけるも周囲の期待に応える為だろうか。

僅か数歩の距離を進むにしては焦ったくなるほどに時間をかけて、ようやく謎の美少女の隣に立った。

 

 

「いけっ‼︎ いくんだ‼︎」

 

「櫛田ちゃんファイトー‼︎」

 

 

冷静になって考えてみれば全く意味の分からない。それでいて熱意だけは篭っているクラスメートの声援が効いたのだろう。

 

 

「あっ……あのぅ……お、おはよ‼︎」

 

 

下界のことなど我関せずといった様子でペラペラと文庫本をめくっている上位天使に、ついにDクラスの大天使クシダエルが緊張を押し殺したような声色のまま口を開く。

が、彼女にしては珍しい事に、その内容は明後日の方向にぶっ飛んだトンチンカンなものだった。

 

 

「さ、佐城くん……でいいんだよね?」

 

 

……この時、オレは。否、教室内で見守っていた全員が一斉にこう思った事だろう。

なーんだ。櫛田って完璧なアイドル系の美少女だと勝手に思っていたけど、意外と天然。というかおバカさんな部分もあるんだねー。と。

 

恐らく彼女は初めて相対した、あの謎の美少女の神々しいまでの清浄たるオーラに押されつつも、それでも怯むことなくどうにかして仲良くなる為に明るい声で挨拶したかったのだろう。

そして挨拶の後に「その席はサショウくんの席だよね? もしかしてクラスを間違えちゃったのかな?」とでも続けたかったのではないだろうか。

それが、きっと緊張やらなんやらで脳内で用意していた台詞が飛んでしまって、変な部分でごちゃ混ぜになってしまったのだろう。

そうに違いない。

 

 

「え? 佐城? 誰、それ?」

 

「聞いた事ないんだけど知ってる人いる?」

 

「ほら、水泳の。あそこってアイツの席なんだって?」

 

「あー溺れた痴漢野郎ね」

 

 

何故なら櫛田のあの言葉では、そこに突如として現れたあの作り物のような超絶美少女様のことを、あのドンヨリと暗い感じのボッチであるサショウ某くんと間違えたように聴こえてしまうからだ。

櫛田らしくもない、実にウッカリとしたミスだと言えるだろう。

 

 

 

 

「え、じゃああの人は他クラスの人?」

 

「そりゃそうでしょ。あんな美人、一目見たら忘れられないって‼︎」

 

「私、夢にまで出てきそう」

 

「オネエサマ……」

 

「でも何で他クラスの人が? 間違えちゃったって感じじゃ無さそうだし」

 

 

櫛田の言葉を聞いたクラスメート、主に女子達が小声のまま騒ぎ立てるという器用な真似をしている。

未だ目を決して逸らしたくない、いつまでも眺めていたくなる程の輝く貌なのだ。

彼女達の言葉のとおり、他クラスか他学年の女子生徒であることは間違いない筈。

 

 

(それにしてもなんでサショウ某くんの席に座っているのかは謎だがな)

 

 

大天使クシダエルとは言え、目の前に座る上位天使と思われる謎の美少女Xが放つ、黄金のオーラにパニックでも起こしてしまったのだろう。

さもなければ、誰にでも優しく気やすい彼女があんなミスを犯すはずがない。

これは誰かフォローに向かうべきでは?

 

そうオレが考えた時だ。

 

 

「……あぁ」

 

 

声をあげた。読書に耽っていた件の少女がポツリと。声をあげた。

ちょうど今、まさに。漸く周囲の騒ぎに気がつきましたよ。そう言わんばかりの何処か芝居がかった動作だった。

緩慢で、気怠げ。それなのに優雅で、煌びやか。そんな矛盾したような動きのまま。

 

ゆっくりと櫛田に目を合わせた件の美少女は、ふんわりとした微笑を携え口を開いた。

 

 

「おはようございます。櫛田さん」

 

 

甘い。

目眩がするほど甘かった。

 

この瞬間、オレは本物の美声を知った。

恐るべき事に極限まで美しさを極めた声というものは鼓膜を焼き、脳を蕩し、目眩を起こし、果てには味覚までもを誤認させてしまうものだと知った。

 

小鳥のような。鈴の音のような。透明のような。天使のような。

そんなありふれた比喩表現では欠片も言い表すことの出来ない圧倒的な美声。

あまりにも完成された、玲瓏たる玉の音。

 

挨拶一つ。単語一つ。

たったそれだけで教室内の全ての人間を媚薬漬けにし、蕩し、惚けさせた天使の音色。

 

……だが、その後に続いたまさかの言葉に、一瞬で目が醒めることとなる。

 

 

「佐城であっていますよ」

 

 

……。

……いやいや。

……いやいやいやいや。

 

 

いやいやいやいやいやいや‼︎ 何もかもが違うやんけええええ⁉︎

 

 

「えーと、だいぶキャラ変わったみたいだけど……そのっ、イメチェンかな? 凄く似合ってはいるんだけど」

 

 

櫛田さーん⁉︎ 違ーう‼︎ それイメチェン違ーう‼︎

イメージどころか性別がチェンジしちゃってますよー⁉︎ っていうか何だったら種族人間から天使っぽい上位種族に進化しちゃってませんかね⁉︎

何がどうなったらあの根暗ボッチで今にも死にそうで陰鬱な雰囲気を撒き散らしていた近寄り難い少年が、ドン引きするような美貌を携えたド級の美少女に変身するんだよ⁉︎

 

そんなモブと化したオレ達観客の内心のツッコミなど気に求めずに目の前のサショウと名乗る美貌の化身はくすりと悪戯げに笑った。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

(あ、かわいい)

 

 

ずるい、ずるいが過ぎる。かわいい。くっっっっそかわいい。犯罪的にかわいい。

視線を合わせるのが恐れ多い程に美麗な容姿をしているというのに、あんな可愛い仕草が似合うのはいくら何でもずる過ぎる。

一体全体、美の女神様は目の前の存在に何物与えたら気が済むのだろうか。

 

何人かのクラスメートが胸を押さえながら「ウッ」と呻き声を上げて撃沈した。

あの閉鎖された空間で徹底した教育を叩き込まれた身でなかったらオレもヤバかったかもしれない。

 

 

(まさかあの白い部屋の存在にほんの少しだけとは言え感謝する事になるとはな。もう二度と戻りたくないのは変わらないが)

 

 

そんな内心で大嵐が吹き荒れているオレの事など知ったことかと自称サショウくんと櫛田の話は比較的、穏やかに続いている。

 

 

「イメチェンって言うよりは元に戻した。と言いますか……」

 

 

ふとそこまで言いかけて、自称サショウくんはゆっくりと本を閉じた。

白く細い、真珠のような煌めきを放つ細い人差し指を瑞々しい果実のように艶を放つ唇に添える。

そのまま宙を眺めるように視線を泳がし、柔らかくも曖昧な笑みを浮かべた。

 

ゾクリ。神聖さの中に匂い立つ様な艶かしい色気が混じる。

オレはあまりの倒錯的な彼? 彼女? の美貌に鳥肌が立った。

 

 

(凄いな。たかが『容姿が優れている』だけなのに、ここまで心が動かされるとは)

 

 

一挙一動、一言一句全てが美しく、全てが官能的で、蕩ける程に甘ったるい。

全ての行動がやけにゆったりと芝居がかった大層なものに見えるが、それがあまりにも似合っているものだから、周囲の人間も目をハートにしてウットリと見惚れていた。

 

現に山内や池はすっかり魅了されているのだろう。

顔を猿のように真っ赤に染めて鼻の下をビヨーンと伸ばした上に、酒にでも酔った様なだらしない笑顔のまま硬直して完璧に脳を焼かれている。

 

ドサリ。と教室の後ろ扉の方から音がした。振り向いてみると、そこにはあの須藤が学校指定の鞄を床に落としたまま、見たことも無いような顔をして金魚のように大口をパクパクさせながら呆然と天使の姿を眺めていた。

だがそんな須藤の痴態を嘲笑ってやる余裕のある人間はいない。

何故ならオレも含めて、皆たった一人の人間に、すっかり首ったけにされてしまっているのだから。

 

 

「ちょっと理由があって目立たないように過ごすつもりだったのですが……ほら、水泳で。ね?」

 

 

サショウくんの艶やかな白磁のような肌にほんのり朱が混じる。

恥じらいを見せるその表情はどう見ても男には。というか、そんじょそこらの女性とは比べものにならないレベルで魅力的だった。

 

現に近くでその美貌に茹ってしまったであろう櫛田の顔もすっかり赤くなってしまい、どことなく目が潤んですら見える。

それでも必死に会話を繋ぐ彼女のコミュニケーション能力は本当に大したものだと思う。

 

 

「……ああっ。あ、あにょあとっ‼︎」

 

 

だから目がバッシャバシャと泳ぎまくって声もグルングルンに裏返っているのを恥じなくてもいいんだぞ、櫛田。

あんな美貌の化身みたいなナマモノに相対して会話をしてるだけで十分な偉業なんだから。

咳払いしつつどうにか落ち着いて話を続ける櫛田の勇敢な姿にクラスメート一同、心の内で敬礼を送った。

 

 

「あ、あの後‼︎ 佐城くん? って早退しちゃったもんね。体調はあれから大丈夫っ?」

 

 

むしろ櫛田の方が大丈夫だろうか。

顔は真っ赤でお目目はグルグル。挙動不審という言葉がピッタリに思えるのだが。

それでも誰も彼女を止めないのは、少しでも自称サショウの情報を引き出したいから。

それに何より、彼? 彼女? から発せられる、その美しき声を、ほんの少しでも長く鼓膜の奥に焼き付けておきたいからだろうか。

 

 

「体調は大丈夫ですよ。体育が金曜でしたから、土曜日にゆっくり眠って、あっという間に全快です。昨日はヘアサロンとやらに行ける程度には元気になりましたから」

 

「あ、あっー。だから髪色変わってるんだね。いいなー凄く綺麗に染まってるよ。どこのサロン?」

 

「ああ、この髪色は染めた訳じゃないんですよ。実はこれ、地毛でしてね。入学当初は、なんて言うか、そう。変に目立ってしまうんじゃないかって怖くて、黒く染めていただけなんですよ」

 

「えっ、えー‼︎ そうなんだ⁉︎ じゃあじゃあっ、名前からもしかしてって思ってたけど、佐城くんってハーフなのっ?」

 

「そうですよ。母がイギリス人でね。……それで、ええと、ヘアサロンの場所でしたよね? 確か、ケヤキモールの奥の方だったような」

 

 

 

辿々しくも和やかに会話が続き、櫛田にも余裕が出て来たのだろう。

彼女も調子を取り戻し、すっかりお友達との談笑モードに入っている。

流石のコミュニケーション能力だとオレも内心では拍手喝采である。

 

 

「えっ‼︎ えっ‼︎ 意味わかんない‼︎ あの溺れてた子って男子じゃないの⁉︎」

 

「お、おとこ? いや、女だよな? あれ、女って何だっけ?」

 

「あんな綺麗な人……見たことない」

 

「男ってことは、ノーメイク? 素っぴんでアレって嘘よ⁉︎」

 

「わぁい‼︎ おちんちんランドはっじまるよー」

 

 

まあ、櫛田が復活したのはともかく。

同時にこっち側の人間。つまりオレを含めた周囲で様子を窺っていたクラスメート達は見事にメンタルがぶっ壊されている訳なのだが。

簡単に言ってしまえば、目の前の自称少年が水泳で無様を晒したスクールカースト最底辺最有力候補だった男子である。という事実に殆どの人間が理解が追いついていないし、理解したくもないのだろう。

……と言うか、あの自称サショウくんは、本物のサショウくんなのだろうか?

 

 

「今は何を読んでるの?」

 

「コレですか? 団鬼六の著作……」

 

 

えーと、つまり、山内の隣のレーンで泳いでいた男子。

男子。つまり、男だ。俺と同じ股ぐらにアレが生えている?

……いやいやいやいやあり得ないあり得ない‼︎

あの顔と美貌で男は詐欺だろう⁉︎

 

 

(頼む櫛田‼︎ 聞いてくれ‼︎ ズバッと聞いちゃってくれ‼︎ 本当にサショウが男なのか⁉︎ 実は女だったりしないか聞いてくれ……あーでもあれか? センシティブな話題だったりするのか⁉︎ なんか、こう。性別に関する障害持ってたりしたら軽々しく質問するのは失礼に当たるかもだし……とは言え気になるんだよ‼︎ 頼む櫛田‼︎ 生えているのか‼︎ 生えていないのか‼︎ 唯それだけでもっ‼︎)

 

 

そんな感じであっという間にパニックに陥ったオレが勝手に目を白黒させていた時だった。

一人の勇者が勇敢にも群衆から飛び出し、櫛田とサショウくんの会話に割り込み、ズバリオレの聞きたかった事を真正面から切り出してくれたのだ。

 

目の前の美少女にアレが生えているか。否か。

そんなデリケートな話題に恐れることもなく飛び出した勇敢なるその男の名は……

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい‼︎ サジョーって女の子だったのかよ⁉︎」

 

 

ドスケベの化身‼︎ 『山内 春樹』だった‼︎

 

 




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