穏やかな春の陽気に初夏の足音が聞こえる。
入学と出会いの季節であった四月も、あっという間に終わりを迎えようとしていた。
そんなある日の朝のこと。
寝起き独特の気怠げな眠気を吹き飛ばすような衝撃的な出来事は、特に前触れもなくやって来た。
「うぉっ……⁉あー、えっと。お、おはよう」
やばい、少し声が裏返ったかもしれない。だがこうして無様を晒してしまうのも仕方はないと言い訳させて欲しい。
「……えぇ」
テンパったオレの不格好な言葉に対し、言葉少なげに一言の挨拶?と共に小さく礼を返した相手が絶世の美人なのだから。
(ま、まさか佐城と二人っきりになる機会があるだなんて! いや、冷静に考えれば男子寮の同じ階で生活しているんだから、そりゃばったり鉢合わせしても何のおかしい話でもないんだけど)
美少女揃いだと噂され始めているらしい、高度育成高等学校一年生のあらゆる女子生徒をぶっちぎりで突き放す美貌と気品を兼ね備えた、美の寵児。それが彼、佐城ハリソンだ。
今のオレの状況は、男子寮からエレベーターで降りる際に偶然にも狭い室内で鉢合わせした、という訳だ。
(男同士、密室、七秒間。何も起きない筈がなく……って何バカなことを考えてんだオレは!?)
毒電波に侵されたバラ色の妄想をすぐさま頭を振って追い出す。
そりゃ、いつか機会があったら人間離れした佐城の美貌を観察してみたい。とは考えたことはあったが、まさかいきなり奇襲じみたこんなタイミングで叶うとは思わず、ちょっとばかりパニックを起こしてしまった。
(っにしても本当に綺麗な顔してるな……肌もただ白いだけじゃなくて、何だか艶々と光って見えるし。耳も鼻も唇も、本当に芸術作品のような、いや、ソレ以上に整った造形美だ。うっわ、まつ毛長いなぁ。鳥の羽根みたいにフワって広がってる……っていうか距離が近い!! めっちゃイイ匂いする!! えっ何で⁉ 何で男なのにこんな甘い匂いがするの⁉ 本当に佐城は男なんだよな⁉ 堀北や櫛田よりもイイ匂いがするんですけど⁉)
やはり佐城の美貌は凶器である。同性愛の気質など持っていないオレがあっという間に視線を惹き込まれ、観察することが止められなくなってしまう。
天使のようなプラチナブロンドがふわりと跳ねる度に、淡い蜂蜜と金木犀が交じった甘く爽やかな香りがオレの脳内をトロリと魅了し、思わず視界がクラクラと揺れた。
我ながらだいぶ気持ち悪い状態になっている自覚はある。
山内や博士から聞きかじったゲーム知識で例えるなら今のオレはまさに『状態異常 魅了』と言ったところだろうか。
(ん?……改めて観察すると、佐城のやつ、やけに顔色が青白いような)
思い出した。そう言えば、数日前から佐城の顔色が非常に悪くて、もしや体調でも悪いのでは? 学校を休んだほうがいいのでは?
と彼の友人である井の頭や王が涙目になりながら心配していたような気がする。
遠目から見ていたオレには詳しいことは分からなかったが、どうやら相当に調子が悪かったのだろう。
いつものように佐城にダル絡みしに行った山内や池を、気を利かせたであろう櫛田がやんわりとだが身を張ってまで、佐城から遠ざけていたこともあった。
たおやかで華奢。見るからに繊細そうな佐城だ。
慣れない寮生活に体調でも崩したのか、それともストレスで精神的に負担がかかっていたのかもしれない。
緊張感のあまり固唾を呑む。オレはほんの少しの勇気を振り絞って佐城に声をかけてみることにした。
「あー、その。さ、佐城? 顔色が悪いみたいだが。その、体調とかは大丈夫なのか?」
「ええ」
「え? あ、うん。そっか、なら良かった。うん」
一言。一言である。
冷や汗かく思いで声をかけたというのに返答はたったの一言。ヤバい、ちょっと泣きそう。なんだったら普段堀北から浴びせられている心無い罵倒よりもダメージが大きいかも知れない。
何でだ? 佐城が口下手でもコミュ障でもないというのは普段の様子から知っている。
だというのに会話が一瞬で終わってしまったぞ。もしかしてオレって佐城に嫌われているのか!?
そんなバカな⁉ そもそも今まで一回も話したことすらなかったのに嫌われる要素なんてある筈が……。
(いや、あったわ!! オレの友人二人が佐城に思いっきり嫌がらせしてたわ。嫌われる要素あったわ。これ、下手したら池や山内とつるんでるオレもあの二人と同類だと思われてるのか)
気不味い。普通に気不味い。
目の前にいる超絶美人に嫌われているという事実だけで死にたくなる。おのれ、山内。おのれ、池。
来月10万ポイント振り込まれなくて泣きを見てもオレは絶対に助けないぞ!!
(嫌われてるのか……そっかぁ。いや、逆に考えれば今の機会を逃せばまともに会話する機会も無くなるってことだし。せっかくだから気になった事は聞いておくか)
佐城について興味を持ったのは彼が誇る人外の美貌に興味を惹かれたのがきっかけだが、最近になってもう一つ気になる点が出てきた。
それは以前に櫛田と平田がクラスに呼びかけていた授業態度とポイントの増減の関連性について。
「なあ佐城。聞きたいことがあるんだが」
そんな重要な情報を櫛田を通して提供した匿名の人物の正体こそが、佐城ではないかと言うことだ。
「前に櫛田と平田が言っていた匿名の情報提供者。アレ、お前だろ?」
……なんてことだ。我ながら会話の仕方が絶望的に下手くそで嫌になる。
つっけんどんで無遠慮に問いただす形になってしまった俺の言葉など、無視されるか何を言っているのかと冷たく切り捨てられる覚悟もしていた。
「ええ」
「……え? お、おう。あっさり教えてくれるのな?」
だがしかし、肯定。返って来たのは気が抜けるぐらいにあっさりとした肯定だ。
ここまで明け透けならば、何故わざわざ匿名で櫛田経由で伝えたのか疑問に思うのだが。
(もしかしたら佐城もオレと同じで事なかれ主義だったりするのか? 必要以上に目立ちたくないから影響力の強い櫛田を使って自分の名前を隠した。とか?)
そこまで考えて、結局それは有り得ない話だと俺は判断した。
そもそも現時点ですら佐城ほど目立つ生徒なんてクラスどころか学年にも居ないのだから。
今さら目立ちたくない。だなんてオレのようなコソコソと小さい企みなんかするような人間ではないだろう。
そもそも佐城がオレと同じ事なかれ主義で目立つのを避けるタイプの人間なら、入学当初からの擬態を解く必要がない筈だから。
(案外ただの気紛れかもな。櫛田や井の頭たちには気づいたから友人として忠告しただけ。オレからの質問はただ聞かれたから答えただけ。とか)
平田と櫛田のクラスに対する呼び掛けの後、Dクラスには僅かな変化が見られた。それはポイントの使用頻度に関してだ。
今までは無条件で毎月10万ポイントを貰えることを盲信していたが、雲行きが怪しくなったことをきっかけに、一部の生徒がポイントを節約するようになった。要するに財布の紐がキツくなったのだろう。
特にその傾向が目立つのが平田、軽井沢のカップル。
そして最も顕著なのがDクラス一の人気者である櫛田である。
今までは誰かが遊びに誘えば笑顔で予定を組み立てていた彼女が、最近は声をかけられる度に「ちょっと厳しいから、また来月でもいいかな?」と困ったような表情で遠回しにお断りするようになった。
クラスのアイドルからのあざと可愛い謝罪に殆どの人間は、なら来月に。と笑顔で受け入れるが、中には不満を抱いているものもいる訳で。
大天使クシダエルに余計な入れ知恵をした匿名の情報提供者を恨んでいる、見当違いも甚だしい人間もいるのだ。
(情報提供者が佐城だという事実は。うん、黙っていたほうがいいだろう。言い触らすようなことでもないし)
というか現に山内と池が「櫛田ちゃんの付き合いが悪くなったのは余計な事を言ったやつのせいだ」と愚痴を言っているのを聞いた事があった。
ただでさえ佐城を一方的に目の敵にしている山内と池だ。
彼こそが櫛田に節制を決意させたきっかけとなった件の情報提供者である。などとバレたら一騒動起きるに決まっている。
ぼんやりと思考に耽っていたオレの目を覚ましたのはチン。というエレベーターの機械音だった。
「では」
「え、あ、うん。また教室で、な?」
扉が開くやいなや、こちらを一瞥することもなく降りていった佐城の短い挨拶にどうにか反応できたものの、今になってもう一つ聞きたいことがあったのを思い出した。
(せっかくだから評価の対象が個人なのかクラス単位なのか聞いておけばよかったかもな)
例えば堀北は授業態度を始めとした日頃の行いが個人のポイント額に丁寧にも一人一人反映されると確信していた。
だがオレから言わせてもらうならばその考え方は、はっきり言って甘いだろう。
尤も、現時点で何か明確な根拠があるワケでは無い。
だが情報提供者の指摘。つまり佐城の意見である『この学校の理念』という観点から考えれば話のオチがぼんやりと見えてくる。
将来の日本社会を支える為に集めた生徒達がいくら優秀だったとしても、スタンドプレーばかりで協調性の無い者ばかりだとしたら、それは果たして優秀な社会人だと言えるだろうか。
それこそオレの隣人である堀北のように、いくら文武両道の才女とは言え、徹底的に他者との関わりを避け、近づく人間全てに攻撃的な態度をとるような彼女が社会に受け入れられるだろうか。
(それに、入学初日に茶柱先生が言っていた『三年間学年によるクラス替えは無い』というあの言葉も。改めて考えてみると、どうにも疑わしく思えてくる)
クラス替えが存在しない。つまりオレ達、高度育成高等学校に入学した生徒達からすれば各々が所属するクラスは卒業するまで一蓮托生の関係だ。
40名の生徒のグループ。つまりクラスそのものを、小さな社会を模したモノと考えられるのではないか?
将来的に優秀な社会人となることを期待されているならば、むしろ評価の基準は個人よりも社会全体と考えるのは穿った意見だろうか?
もしも。もしもオレの考えがこの学校の教育理念と同じベクトルを向いていたとするならば評価の基準。
つまりポイントの増減単位は個人では無くむしろ……。
(でも、まあ、別にどうでもいいか。どうせ来月になったら分かる事だしな)
大きくなっていく猜疑心が輪郭を持つ前に欠伸を一つ噛み殺し、オレはざわついていた脳内を綺麗にリセットした。
そもそもオレは事なかれ主義なのだ。ようやく手に入れた平穏な日常を、わざわざ好奇心のままにあちこち首を突っ込んだ結果、むざむざ自分から手放すような愚かな真似はしたくない。
結果的に言ってしまえば。
配布されるポイントの増減も、暗礁に乗り上げるであろうDクラスの行く末も、学校の理念やら怪しげな企みも。
俺にとっては全てどうでもいいのだから。
(佐城も早足で行っちゃったし、オレも学校行こう。その内、またゆっくり会話でも出来ればいいんだけどな)
すっかり花弁が散り尽くして、寂しくなった桜並木の間。
あっという間に小さくなってしまった佐城のポツンとした背中を追うようにして、オレはダラダラと。
騒がしく、どこか退廃的な高校生活に向かってオレはゆっくり歩を進めた。
「……なんか、妙な小テストだったな」
月末だから。という理由で唐突に始まった小テストを終えたオレだが、どうにも腑に落ちない気分だった。
「ええ。入試の問題と比べると格段に難易度が落ちているというのに、最後の三問だけはかなりの高レベルだったわね。下手な大学の入試問題よりも難問だったかも」
どうやら違和感を感じたのはオレだけでは無かったらしく、珍しく堀北が話に乗ってくれた。
「ああ。言われてみればそうだったな」
茶柱先生曰く「今後の参考の為」に行われたテストにしては、時期が微妙だという点も個人的には引っかかった。
だが、やはり一番の違和感は堀北の言った通り最後の三問の難易度だろう。
あの問題に関しては明らかにおかしい。
普通の高校一年生なら解けるはずがない。
と言うよりも、学校側としても解かせる気がないのでは無いか。というレベルの問題ばかりだ。
「数学の問題は解けたと思うけど。他の二問に関しては正直、自信がないわ」
「いや、あんな難問を一問でも解けてるなら十分にすごいと思うぞ」
オレは堀北の言葉に珍しく素直に感心した。
以前から学力という点では優秀だろうと思っていたが、まさか理系選択の高校三年生が習うであろう範囲にある問題を解ける程とは思っていなかった。
堀北はオレの想像以上に能力水準の高い生徒のようである。
思い返せば水泳の授業でも現役の水泳部には敵わなかったとは言え、抜群の運動神経を見せつけていた。
ピンと張ったような、芯の通った普段の立ち姿や歩行の姿勢から察するに、ほぼ間違いなく何らかの武道の経験もあるだろう。
ダメ押しとばかりに『女子』内では群を抜いて整った顔つきをしているのが堀北 鈴音という女の子だ。
これでコイツの病的な人嫌いさえなければ、絵に描いたような理想の優等生となっていただろうに。
「オレはテスト全体で半分ぐらいしか解けなかったし、最後の三問なんて問題文を読んだ時点で投げ出したからな」
「半分って、あなた……呆れたわ」
まあ、正確に言うなら解けなかったではなく『解かなかった』が正しいのだが、些細な問題だろう。
点数としては50点になるように調整してあるから、変に目立つ心配も無い。
平均点がどれくらいになるか分からなかった……と言うよりも、態々『クラスメイトの面々を観察及び分析し、クラスの平均点を予測して点数を合わせる』なんて真似をする程、たかが小テストに労力をかけたくなかった。
入試と同じように、とりあえず50点で合わせたしこれなら悪目立ちはしないで済むだろう。
「最後の問題を除けば、どの教科も中学時代の基礎の問題ばかりだったじゃない」
「そう言われてもな。そもそもやる気もなかったし、中学時代もそこまで勉強してなかったからな。まあ、赤点とか補習に引っ掛からなければ十分だろ。それに今回の小テストは成績に入らないみたいだし」
「怠惰な人間。やっぱりあなたみたいな愚かで能力の無い人間、嫌いだわ」
「……オレは事なかれ主義だからな。悪目立ちさえしなければいいんだよ」
堀北からの侮蔑混じりの冷たい言葉と視線が心にグサグサと刺さる。想像以上に刺さる。
いくら性格がアレとは言え、コイツのような可愛い女の子から面と向かって「嫌い」だなんて言われたら、どんな男だって傷つくだろう。
現に今のオレは泣きそうだ。
だがオレにも言い分はある。
「それに周りを見てみたらどうだ。オレだけが特別に出来が悪いってワケじゃあなさそうだ」
オレは堀北に顎で周囲を指し示すような動作をしながら、ぐるりとDクラスの面々を観察した。
「小テストどうだったー? あたし全然わかんなかったんだけど」
「私もー。っていうか抜打ちってホントやめて欲しいんですけど。マジで萎えるわー」
「あんな問題習ってたっけ?」
「知らね―よ。授業なんか聞いてねーし」
いわゆる陽キャに位置するクラスメイト達は常日頃から声が大きい。ほんの少し意識して会話を聞いてみると、やはり殆どの人間が今回の小テストで満足行く結果を出せなかったようだ。
「……信じられないわ。本当に彼らはどうやって入試を突破したのかしら?」
愕然とした堀北の言葉にオレは内心で同意した。
日々の授業態度から何となく察してはいたが、Dクラスの面々は学力という点では能力もモチベーションも、非常に低い人間が集められている気がする。
「まあ、確かに。軽井沢とか須藤とか、よくこの学校に受かったなーと不思議に思うやつもいるけど」
「他人事のように言ってるけどアナタも似たようなものよ。この程度の小テストで半分しか分からないなんて恥と思った方がいいわ」
「安心しろ。自覚はある」
「何で自慢気な顔をしているのよ」
頭痛をこらえるように頭を抱えてしまった堀北を尻目に、オレは「そういえば」と前の方に視線を向けた。
勤勉という言葉を鼻で笑うような怠惰な者が多いDクラスの中で、堀北同様に真面目に勉学に励んでいる生徒に心当たりがあったからだ。
「小テストの手応えですか? どうですかね。ケアレスミスと最後の数学さえ合っていれば恐らくは問題ないとは思うのですが」
「ほ、殆ど解けたってこと!? 佐城くん、凄いです。わ、私は、半分も分からなかったのにぃ」
「殆どの問題は中学レベルだったと思うのですが」
「うぅ……あ、でも!! 英語は結構出来ましたよ。佐城くんとみーちゃんが教えてくれましたから!!」
「ああ、良かった。ボクのつまらないお節介でも、井の頭さんのお役に立てたなら幸いです」
オレの目に映ったのは美を司る魔人。まあ、つまり、何だかんだと視線が吸い込まれる存在である佐城がいるわけだが。
そんな彼は隣席の井の頭に慰めるような言葉をかけつつ、柔らかい笑みを浮かべていた。
(普段から井の頭に勉強教えていたのをよく見ていたから何となく分かってたけど、やっぱり佐城って頭良かったんだな)
井の頭との会話の節々や佐城本人の余裕の表情から察するに、佐城にとってあの小テストは比較的簡単なものだったのだろう。
英国人とのハーフという環境から英語が堪能という背景も加味すると、やはり佐城は学力という面でもかなりの能力を有している。
「……同性愛を否定するつもりはないけれど、同性でもセクハラやストーカーは成立することを忘れないようにね」
「おいコラ、お前はいきなり何を言っているんだ」
知らず知らずの内にまじまじと佐城を観察していたオレが悪かったのだろう。
隣人からの心無き誹謗中傷の声が心の内にグサリと突き刺さった。
「あのね、隣の席に座っている人間が隙あらば舐めるような視線で同性を視姦していたら、嫌でも目につくのよ」
「言葉選びに悪意が有り過ぎる!!」
普段の声色すら氷のように冷たいというのに、更にワントーン低くなった堀北の言葉は極寒だった。
おまけにその顔色は犬の糞でも見るような嫌悪一色に染まっている。いい加減にしないとそろそろオレも泣いちゃうぞ!?
「別にオレは佐城に変な気なんか持ってないからな? ただ、ほら。座席の関係上で、目につくってだけで」
「その理屈で言うならあなたの隣に座っている私まで当てはまるのだけど」
「いや、それは。アレだ。あの容姿だぞ? お前だって、やっぱちょっとは目を惹かれたりするだろ」
「あなたのような性犯罪者予備群と一緒にしないで頂戴。私は他人に構っている暇も、余裕も、興味も無いの」
バッサリと言い切った堀北だが、実のところオレは知っている。
授業の合間の短い休憩時間。読書をしている堀北が時折、佐城の方に視線を向けていることに。
かと言ってそんな事につっこみを入れてしまえば、どんな報復を受けるかも分からないワケで。
次の授業が始まるまでの短い時間、オレは汚物を見る目で距離を取ろうとする堀北に必死になって弁解するハメになった。
「堀北と? バカ、付き合ってないって。全然。いや、マジで」
とある日の放課後。自販機近くの廊下にへばりつくように屯しながら山内達と雑談している時だった。
急にとんでも無い勘違いが飛んできたものだから思わずオレの声が大きくなったのも無理はないだろう。
「だってお前ら今日も授業中コソコソ何か喋ってただろ。俺たちに聞かせられない話でもしてたんだろ。デートとか、デートとか、デートの約束とか! あああ、羨ましい!!」
オーバーリアクションと共に嘆きの声をあげる池の言葉に同意するように山内が睨みつけ、須藤ですら興味深げにオレの様子を窺っていた。
要はオレと堀北が付き合っているんじゃないかという、当事者であるオレからするとバカバカしいにも程がある疑いをかけられているらしい。
「ないない。そもそも堀北ってそういうキャラじゃないだろ」
「知らねーよ。俺たち話したこともねぇのに堀北ちゃんのキャラ知らね―し」
池や山内曰く、櫛田から聞かなかったら未だ堀北の名前すら知らなかったかもしれないんだとか。
いやまあ、そう言われてしまえば、誰ともまともに会話をしようとしない堀北がコミュニケ―ションを取る唯一の相手がオレだ。という点は否定できないが……
だが、そこには恋愛感情のような甘酸っぱいものどころか友好的な暖かみすら皆無だ。
オレと堀北もなかなか奇妙な縁だとは思うが、少なくとも互いの関係が進展することは暫く無いだろう。
「顔だけはすげぇ可愛いじゃん? だから注目はしてるわけよ」
うんうんと頷く池と山内。
とは言え、おっぱい賭博や佐城の件もあって、ぶっちぎりで女子に嫌われているこの二人に注目されても、堀北も困ると思うんだが。
他人に興味が無いと言い切っている堀北が、たまに絡みに行く櫛田やオレ以外に、唯一嫌悪の表情を隠そうともしないのが目の前の二人だからな。
「性格がキツいけどな。俺はああいう女はダメだ」
困惑しているオレを見かねてか、コーヒー片手に須藤が頭を振った。
池曰く、バスケ部の女子マネージャーは美人揃いらしいが須藤は女の子よりもバスケに惚れ込んでいるらしい。
新人部員が女の品定めなんかしていられるか。と恋バナには興味がなさそうだった。
「そうなんだよ、トゲトゲしいというか何というか。俺は付き合うならもっと明るくて会話が自然と続くような娘がいいな。もちろん可愛くて。櫛田ちゃんみたいな」
「あー櫛田ちゃんと付き合いてー。つか、エッチしてー!!」
池と山内のお気に入りは、やはりクラスのアイドルである櫛田のようだ。
まあ少なくとも櫛田ならどんなに女子から嫌われていたとしても、優しく笑顔で話しかけてくれる博愛精神に満ちた天使のような女の子だからな。二人が首ったけになるのも無理はない。
「でも最近付き合い悪くなっちゃったよな―櫛田ちゃん。来月のポイントが振り込まれるまでは節約したいとか、なんとか」
「平田も櫛田ちゃんも気にし過ぎだよなー。サエちゃん先生が心配するなって言ってたのにビビってたし。問題行為さえしなけりゃ毎月10万貰えるってのに」
櫛田がポイントを節約し始めたのは有名な話だ。
茶柱先生の説明を『真正面』から受け止めたDクラスの面々は来月も10万ポイント振り込まれるに違い無いと信じていた。
「問題行為ってアレだろ? 備品壊したり、喧嘩したりしなきゃ良いってだけだろ。普通に生活してりゃ、いいだけじゃん」
「この中で心配なのは喧嘩っ早い須藤だけだな。もしポイント没収されたら俺が貸してやってもいいぜ?」
「うっせぇよ。そもそも最近、喧嘩なんかやってねぇっつーの」
ヘラヘラと笑う山内と池に須藤が舌打ちしながらコーヒーを飲み干した。
オレの記憶が確かなら入学初日に先輩方に喧嘩を売り、つい先日も肩がぶつかったとか下らない理由で別クラスの男子の胸倉を掴み上げていたような気がするんだが。
どうやら須藤的にはあの程度なら問題行為にはならないと思っているらしい。
「それにしてもさー。櫛田ちゃんは可愛くて優しくて明るくて、めっちゃエロい身体してるけど、あんなに節約にうるさいなんて。もしかして、意外とケチだったりするのかな?」
「ケチとは言わね―だろ。来月のポイント振り込まれてから遊ぼうって言ってるワケだし。あれはただの心配性じゃね? 何度誘っても毎回断られるのはちょっと、心に来るけどよー」
櫛田や平田、軽井沢と言った影響力の強い面々があからさまに節制を心掛けているものだから、主に一部の女子グループが影響を受けて、今更ながら節制に励んでいるらしい。
もっともオレの友人である三バカ連中は、節制とは無縁な生活を送っているようだが。
「ポイントが理由で断られているなら、お前らが櫛田の分を奢ってやれば良いんじゃないか?」
来月振り込まれるであろうポイントが10万でないことを、半ば確信しているオレからすれば櫛田の行動は間違いでない。むしろ遅いぐらいだ。
フォローの意味も込めて、目の前で愚痴りあっている二人に提案するも、返って来たのは何とも情けない言葉。
「いや、俺もうポイント殆ど残ってないんだよな。あと二千くらい?」
「俺もそのくらいだな」
「……は? お前ら、三週間で九万ポイント以上も使ったのか?」
まさか本気で10万ポイント使い切るペースで浪費しているとは思わず、オレはらしくもなく瞠目した。
「仕方ねーじゃん。大金が手に入るとついつい使っちまうよな」
「俺なんてゲーム機買ったぜゲーム機!! 宮本がゲーム上手くてよー」
池はモテる為の先行投資のつもりなのか、流行のファッション雑誌を参考に洋服やアクセサリーを買いしめ、男女問わず遊びに行ったりと夢のような学生生活をすっかり満喫しているようだった。
山内の場合はもっと極端で、後先考えずに「どうせ来月も10万ポイント貰えるから」と目につくもの全てに金を使いまくるという無駄遣いのお手本のような有り様だ。
須藤も須藤でバスケ部の活動に必要なシューズやボール。トレーニング機器などで結構な額を使ってしまったのだとか。
使い方は三者三様とは言え、残高は殆ど残っていないらしい。
(まさかDクラスの面々もコイツらと同じ勢いで浪費しているんじゃないだろうな? これ、下手したら来月は地獄を見るんじゃないか?)
『どうせすぐ、お前らは地獄を見るんだからよ』
入学初日に須藤と揉めていた先輩が嘲笑と共に言い残したこの言葉。
何故このタイミングで浮かんできたのだろうか。
「綾小路ー、早くココアを奢ってくれー」
廊下に寝そべりながらヘラヘラと笑う山内の声で意識が戻る。
目の前にいるオレの友人たちは、オレにとって大切な存在だ。
だが、客観的に彼らを評価してしまえば、お世辞にも品がイイとは言えない人間ではないだろうか。
喧嘩っ早く、直ぐに手が出る直情的な須藤。
自堕落で虚言癖があり、他者の感情を慮ることのできない山内。
無計画で、その場のノリで直ぐに短慮な行動を取りがちな池。
つい先日行われた小テストについて話を聞いてみた時も、山内のホラはともかくとして全員が半分も解けなかったと諦め半分の軽薄な笑みを浮かべていたのを思い出す。
日本屈指の進学率、就職率を誇る高校にも関わらず合否の基準は学力やテストの点数だけではないのだろう。
なら、一体この学校は、その人間の何に可能性を見て入学者を選んだのだろう。
オレはふと、そんなことを疑問に思った。
そして迎えた五月一日。
「お前らは本当に愚かな生徒たちだな」
こうして地獄が始まった。
.
本当に待たせてごめんなさい。綾小路視点が終わらないー