五月一日。
始業チャイムが鳴ると程なくして茶柱先生がやって来る。だがその顔はいつもよりもどこか険しい。
「せんせー、ひょっとして生理でも止まりましたー?」
池がまさかの発言を繰り出す。ただでさえピリピリしていたDクラス内の雰囲気が加速度的に悪化していくのが分かる。
茶柱先生は池のセクハラ発言に一瞥することすらなく教卓の上で淡々と言葉を発した。
「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」
冷静、というよりもいっそ、冷酷。といった冷たい温度の先生の言葉は、生徒からの質問があることを確信している様子だった。
実際、数人の生徒がすぐさま挙手をした。
「あの、今朝確認したらポイントが振り込まれてないんですけど。毎月1日に支給されるんじゃなかったんですか?」
今朝ジュースが買えなくて焦りましたよ。と不満げな声を漏らしたのは本堂だ。
というかジュース一本を買うポイントすら残ってないのかアイツは。
「本堂、前に説明しただろ、その通りだ。ポイントは毎月1日に振込まれる。今月も問題なく振込まれたことは確認されている」
「え、でも……振込まれてなかったよな?」
淡々とした茶柱先生の語り口とその内容に不安を覚えたのだろう。本堂は不安気な声で山内と顔を見合わせて確認し合っていた。
池に関してはそもそも気づいていなかったらしく今さら端末を確認して驚いている。
確かに今朝、ポイントを確認したら残高は昨日までと全く同じ。
普通に考えたらポイントは未だ振込まれていないのでは? そう勘違いしてもおかしくはないのだろう。
「先生、僕も質問をいいでしょうか」
騒めく一部の生徒を差し置くように、震える声で挙手をしたのは平田だ。
今のDクラスの反応は真っ二つに分かれている。本堂や山内のように茶柱先生の発言が、矛盾していると慌てふためく者たち。
そして櫛田や軽井沢といった一部女子たちを中心に、絶望的な未来を予測してしまい静かに震えている者たちだ。
「ポイントが振り込まれているのが確認されているならば、つまり……僕たちに。Dクラスに振り込まれた今月のポイントは0ということでしょうか?」
歯を食いしばるようにして発言した平田の顔色は悪い。
いや、平田だけじゃない。軽井沢も、櫛田も、松下も、幸村も。そして隣人の堀北も。
質問という形の答え合わせの先が、絶望的な未来だということを悟ってしまったのだろう。
「はぁ? 何言ってんだよ平田!! 毎月10万って話だったろうが。そんなの詐欺じゃねーか!!」
「そーだそーだ!! そもそもサエちゃん先生だって問題行為さえしなけりゃポイントが減らされることは無いって言ってたじゃねえか⁉」
騒ぎ立てる生徒達に何を思ったのだろう。
怒り? 哀しみ? あるいは愉悦だろうか?
不気味な気配を纏った茶柱先生は酷薄な笑みを浮かべて、言い捨てた。
「お前らは本当に愚かな生徒たちだな」
好き勝手に騒ぎ立てていた一部の面々がピタリと音立てて静止する。それだけの迫力が今の茶柱先生の言葉には込められていた。
「愚か? っすか?」
「座れ、本堂。二度は言わん」
「さ、サエちゃん先生?」
先程まで立ち上がって平田に抗議していた本堂が間抜けに聞き返すも、茶柱先生は鋭い眼光と共に切って捨てた。
先月までのクールでありながらどこか親しみやすい雰囲気はすっかりと鳴りを潜めている。
あまりの迫力に本堂も腰が引けたのか、そのままズルっと椅子に収まった。
「平田の質問に答えよう。その通りだ。ポイントは振り込まれた。これは間違いない。結論から言うならばDクラスには0ポイントが振り込まれた、という訳だ。納得したか?」
0ポイント。10万ポイント満額貰えないことは覚悟していたが実質、無収入が確定してしまったか。
オレのようにどこか覚悟していた人間は傍観とともに受け入れられたが、全ての生徒が自らの行いを反省できたわけではない。
「いやっ? はぁっ⁉ 納得なんか出来ないっすよ!? なんすか0ポイントって⁉ 毎月10万の約束でしょ!? 先生が嘘ついたってコトっすか!?」
「そーだよ⁉ 普通に生活してたらポイント減らないって言ったのはサエちゃん先生じゃないっすか!!」
池が、山内が。抗議のために大声をあげて立ち上がった。
だが殆どの生徒は力なく項垂れていた。それも無理は無い、分かっていたのだろう。
心の何処かで、あの平田と櫛田の呼び掛けを聞いた時から。
一部の生徒が節約を徹底するようになった緊迫感を感じた時から。
授業を放棄し、教師への尊敬を忘れ、モラルとマナーを廃棄したDクラスの行く先が地獄だということを。
「山内、池、座れ。全く、今まで散々にヒントをやったというのに気づかない人間がいたとは嘆かわしい。もっとも殆どの人間が気づいたところで既にどうにもならないレベルまで堕ちていたようだがな」
教室の中は、突然の出来事、報告に騒然としだした。
「先生、もう一つ質問があります。腑に落ちない……いえ、念のために確認したいことがあります」
Dクラスの顔役としての自覚か、平田が再び手を挙げる。
こんな時も率先して行動する彼の献身には頭が上がらない思いだ。だがその顔色は非常に悪く、整った顔立ちも不安のせいか歪んで見えた。
「僕たちのポイントが0になってしまった理由を教えてください。その……クラスのみんなにも、分かるように」
確かに、未だ不満を垂れ流している一部の生徒からすれば何故ポイントが振り込まれなかったのか、その詳細も分かっていないだろう。
恐らく平田本人はその原因に気付いている筈だが、彼の言葉どおりクラス全員がその理由を自覚するためにも茶柱先生からの説明は必要だった。
「遅刻欠席、あわせて98回。授業中の私語や携帯を触った回数363回。おまけに『とある方向』を惚けたように見つめて授業を放棄した回数82回。たった一月で随分とやらかしたもんだ」
授業を放棄。という言葉に多くの人間が佐城に視線を向けたのは気の所為じゃないだろう。
いや、別に佐城は真面目に授業を受けていた立場だから悪いわけじゃないし、どちらかと言うと被害者染みた立場であると思うんだが。
「この学校では『クラスの成績がポイントに反映される』。その結果お前たちは振り込まれるはずだった10万ポイント全てを吐き出した。それだけのことだ」
茶柱先生の鋭い眼光に恐れをなしたのか、未だ騒いでいた山内や池が怯んだように静かになった。
「入学式の日に直接説明したはずだ。この学校は『実力』で生徒を測ると。つまりお前たちは」
呆れたような、感情のこもっていない機械のような言葉で。
茶柱先生はオレたち、Dクラスの面々に宣告した。
「評価0のクズ。と言うわけだ」
再びチャイムが鳴った。
茶柱先生のまさかの宣言からどうにか情報を引き抜こうと平田が何度も質問するも返って来たのは冷たい答えばかり。
曰くポイント増減の詳細は教えられない。曰く減るものがないのだからこれ以上いくら遅刻欠席してもポイントは減らない。
生徒のやる気を削ぎ、むしろ煽るような茶柱先生は果たしてどんな思いでオレたちを見ているのだろうか。
更に黒板に張り出された各クラスの成績とそのポイント差。最も大きくポイントを残したAクラスは940。オレたちDクラスとは雲泥の差だ。
だがそれは当然の話。茶柱先生曰く、この学校は優秀な生徒はAクラスへ、ダメな生徒はDクラスへと振り分けされるらしい。
オレたちは歴代最高の不良品だそうだ。
言われてみればDクラスにはやけにモラルの低い人間や学力の低い人間が多いとは思っていたが、まさかそういうカラクリだったとは。
さらにクラスの昇級制度。例えば今回DクラスのポイントがCクラスの490を上回っていた場合、晴れてオレたちはCクラスにレベルアップしていたわけだ。
とは言えクラスのランクを上げたところで、果たしてどんなメリットがあるやら。
毎月の小遣いが増えるだけなら、わざわざ昇級制度なんて作らないとは思うんだが。
「……さて、もう一つお前たちに伝えなければならない残念な知らせがある」
そんな台詞とともに茶柱先生は黒板に追加する形で一枚の紙を張り出した。
そこにはクラスメイト全員の名前と、その横に数字が記載されている。
「この数字が何か、バカが多いこのクラスの生徒でも理解できるだろう」
カツカツとヒールを打ち鳴らしながら、侮蔑の表情を隠しもせずに生徒たちを一瞥する。
「先日やった小テストの結果だ。揃いも揃って粒揃いで先生は嬉しいぞ。中学で一体何を勉強してきたんだ? お前らは」
一部を除いて、殆どの生徒は60点前後しか取れていない。
最後の三問を除けば中学時代の範囲。それも比較的簡単な基礎問題ばかりの小テストでこの点数は、確かに茶柱先生も皮肉の一つや二つも言いたくなるだろう。
(須藤……お前14点って。池は24点。山内30点。オレの友人が想像以上にバカばかりで何か悲しくなってきたぞ)
かく言うオレも50点に調整した為に偉そうなことは言えないのだが。
そんなことを考えていると茶柱先生からのまさかの爆弾発言が飛び出した。
「これが本番だったら六人は入学早々、退学処分になっていたところだ」
「退学? どういうことですか?」
まさかの一発退学。
下手したら次の中間テストでオレの友人が全滅してしまう危険性もあるのか。
「なんだ、説明してなかったか? この学校では中間、期末試験で赤点を取ったら退学になることが決まっている。今回の小テストでいうなら34点未満の生徒は全員対象ということになる」
「は、はああああああぁぁ!⁉」
35点の井の頭と31点の菊池の間に真っ赤なラインが引かれる。
つまりこれが本番なら菊池以下の六人含めて、まとめて退学ということか。
「ふっざけんなよサエちゃん先生⁉ 退学とか冗談じゃねえよ!!」
「私に言われても困る。学校のルールだ、腹をくくれ」
唾を飛ばしながら食って掛かる赤点組をサラリと受け流す茶柱先生を見兼ねてか、ここで意外な人物が声をあげた。
「ティーチャーが言うように、このクラスには愚か者が多いようだねぇ」
爪を研ぎながら、机の上に脚をのせたまま微笑む金髪の生徒。
Dクラス一の自由人、高円寺 六助だった。
「何だと高円寺! どうせお前だって赤点組だろ!?」
「フッ。どこに目がついているのかねボーイ。よく見たまえ」
「あ、あれ? ねえぞ、高円寺の名前が……あれ?」
下位から順に、上位へと向かうクラス全員の視線。
そしてたどり着いた高円寺の名前は信じられないことに上位も上位。同率二位の一人に名を連ねていた。
その点数は90。つまり彼は恐ろしく難易度の高かった最後の三問の一つは解いていたことになる。
「絶対に須藤と同じバカキャラだと思っていたのに……つか、一位って……はあ⁉ 何で佐城⁉」
「は、はあああ!? サジョーが何で100点取ってんだよ!?」
驚嘆と嫌味が入り混じった池の声は直ぐにそれ以上の驚きに塗りつぶされたようだ。
追従する山内の言葉に気づいたのだろう、クラスの面々が最上位の生徒の名前と点数を瞠目しながら見つめたあと、バッと音の出る勢いで一斉に佐城本人へ視線を移した。
肝心の佐城は手に持った扇子を広げて口元を隠し、興味なさげな、すまし顔で茶柱先生を見つめていた。
ペキリ。何かが折れる音がした。
恐る恐るオレが隣を見ると圧し折らんばかりの勢いでシャーペンを握りしめている堀北が、ちょっと見たことの無い表情で佐城を睨みつけていた。
(うわぁ……今日もいい天気だなぁ)
オレは何も見なかったことにした。
「それからもう一つ付け加えておこう。国の管理下にあるこの学校は高い進学率と就職率を誇っている」
衝撃的な種明かしはまだ終わらないらしい。
能面のような無表情のまま茶柱先生は語り続ける。
「……が、世の中そんなに美味い話はない。お前らのような低レベルな人間がどこでも進学、就職できるほどの世の中は甘くはない」
オレはこの時点で察した。実力至上主義のこの学校の理念。それからクラスの昇級制度の意図を。
「結論から言ってやろう。この学校に将来の望みを叶えて貰いたければ、Aクラスに上がるしか方法は無い。それ以外の生徒には、この学校は何一つ保証することは無いだろう」
やはりそうか。理想の将来という餌で徹底的に各クラスで競争を促し、本物の実力者を生み出す。
それがこの高度育成高等学校の狙いなのだろう。
「聞いてないですよそんな話!! めちゃくちゃだ!!」
嘆きの声をあげながら立ち上がったのは眼鏡をかけた男子生徒である幸村だった。
小テストでは高円寺、堀北に並ぶ同率二位で学力的には文句のつけようが無い成績を誇っている。
今思い返せば幸村は堀北同様に、真面目に授業を受けていたタイプの人間だ。
学力は高いのに最底辺のクラスに押し込められるわ、自分は真面目にやっていたのに連帯責任で小遣いを没収されるわ、進路の保証もこのままでは叶わないと知らされるわ。
そりゃ、文句の一つや二つ吐き出してもおかしくはない。
だが、そんな幸村を鼻で笑う声があった。
「みっともないねぇ。男が慌てふためく姿こそ惨めなモノは無い」
耳障りなものでも聞いたと言わんばかりに肩を竦めてため息を漏らしたのは高円寺だ。
もちろん怒り狂った幸村は直ぐに食って掛かる。
「Dクラスだったことに不服はないのかよ、高円寺」
「不服? なぜ不服に思う必要があるのか、私には理解できないねぇ」
「俺たちは学校側からレベルの低い落ちこぼれだと認定されて、その上、進学や就職の保証も無いって言われたんだぞ!! 当たり前だろっ!?」
「フッ、実にナンセンス。これこそ愚の骨頂と言わざるをえない」
爪を研ぐ手を止めない高円寺は、幸村に一瞥くれてやる価値すらないと言わんばかりに持論を展開した。
「学校側は、私のポテンシャルを測れなかっただけのこと。私は誰より自分のことを評価し、尊敬し、尊重し、偉大なる人間だと自負している。学校側が勝手にD判定を下そうとも、私にとっては何の意味もなさないということだよ。仮に退学にするというのなら、勝手にするがいい。後で泣き付いて来るのは100パーセント学校側なのだからね」
流石は高円寺だ。ここまで来るといっそ清々しいものを感じる。
唯我独尊自由人には学校側の判定なんかどうだっていいらしい。
確かに高円寺は学力も身体能力も非常に高い生徒だ。恐らくだがDクラスに所属になったのは、あの我が強すぎる性格のせいだろう。
尤も、本人が全く気にしていないので学校側の判断が正しかったのかは分からないが。
「それに私は学校側に進学、就職を世話してもらおうなどとは微塵も思っていないのでね。高円寺コンツェルンの跡を継ぐことは決まっている。DでもAでも些細なことなのだよ」
確かに将来を約束されている男にとってはクラスのレベルなんかどうだっていいだろう。
高円寺は言いたいことは言い切ったとばかりに爪研ぎに集中し始めたが、幸村はそうはいかなかったようだ。
「なら……なら!! 佐城、お前はどうなんだ⁉ お前も学校側に落ちこぼれ扱いされて不服に思わないのか⁉」
高円寺には言っても無駄だと悟ったのだろう。幸村は佐城に矛先を変えたようだ。
確かに佐城は模範的な優等生だ。小テスト一位を収めた学力については言うまでも無い。
運動神経についても、初回の授業で体調不良によって事故を起こしたことはあっても、以降の授業ではかなり優秀な記録を残している。
高円寺や堀北のように性格に難があるわけでもない。
口には出さずとも劣等生扱いされていることに内心で不満を抱いていたとしても、確かに無理はない。
だがご指名を受けた佐城は興味なさげに幸村の方を振り向くと、つまらそうな声色で静かに忠告した。
「……とりあえず、先生の御言葉を勝手に遮り、あまつさえ八つ当たりの如く不平不満をぶつける様子は、劣等生や不良品などと呼ばれても否定のしようが無い。と個人的には考えるのですが如何でしょうか?」
「なっ!?」
思わぬ言葉に幸村が絶句している間に、佐城はさっさと姿勢を正して幸村から視線を外した。
どうやら佐城は佐城で高円寺とは別ベクトルで幸村に興味が無いらしい。
皮肉めいた言葉は佐城らしいと言えばそうだが、幸村にはかなり効いたのだろう。
顔を真赤にした彼は怒りを抑え込むようにして、ドカリと椅子に腰掛けた。
こうしてようやく、話が戻る。と思いきや、人の悪そうな笑みを浮かべた茶柱先生が佐城に視線をあわせた。
「何だ、佐城。遠慮することは無いぞ。毎年この日のホームルームは時間を長く取っているから言いたいことは言っておいた方がいいぞ? それに、個人的にもお前の意見なら聞いてみたいと思っているからな」
ニヤリ。そんなオノマトペが聴こえてきそうな、教師がするにはあまりにも邪悪な笑みで茶柱先生は佐城にゆっくりと語りかけた。
「入学して僅か二週間でSシステムの本質に気づき、おまけに一ヶ月にも満たない短い期間で配布された10万ポイントを十倍近くにまで増やした生徒など、歴代でも滅多に見なかったからな」
二週間でSシステムに気づいた? つまり櫛田や平田が呼び掛けを行った一週間前には、既にこの学校の仕組みに気づいていたということか。
いや、今はそれよりも気になることがある。
今、茶柱先生は何と言った? ポイントを増やした? だと。
「はああはああぁ⁉ ポイント増やしたってどういう事だよ佐城!? つかお前十倍って……」
「それって100万ってことだろ!? な、何をどうやったらそんなにポイント貰えるんだよ!?」
池と山内が思わずと言った様子で立ち上がって指を指す。
日頃から佐城にダル絡みするたびに周囲の女子から冷たい視線に晒されていた二人だが、今度ばかりは誰もせめなかった。
殆どの生徒が彼らと似たようなリアクションで佐城に視線を向けていたからだ。
「……いくら先生と言えども、他人の財布の中身を覗き見て公衆の面前で発表するのは如何なものでしょうか?」
「仕方ないだろう、これも仕事だからな。生徒が不正をしていないかポイント額を把握するのは担任の義務だ。それにお前が懐いている星ノ宮も褒めていたぞ。不正も無しにここまで短期間にポイントを稼いだのは優秀な証。だとな」
「だとしてもこの場で言う事では無いと思いますがねぇ」
ピシャリと音立てながら掌に叩きつけるようにして扇子を閉じた佐城の表情はどこか気怠げだった。
えも知れぬ濃密な色気が漂っているのはいつもの事で、視線を向けられた茶柱先生がちょっと怯んだのがオレの席からでもよく分かる。
「一応訂正させて頂くなら増やしたポイントは十倍ではなく約九倍ですよ。先日少々使ってしまったので現時点では89万ポイントしか持っていませんし」
「いやおかしーだろ⁉ なんだったら他のクラスのやつよりぶっちぎりで金持ちじゃねーかよ⁉」
「不正じゃねーか‼ お前、ちょっと綺麗な顔してるからって学校から贔屓されてんじゃねーだろうな⁉」
「不正で稼いでいたら今頃ボクは退学になっていると思うのですがねえ……」
佐城はアンニュイな雰囲気のまま頬杖をつき、面倒くさそうに池や山内に返事をしている。
ギャーギャーと騒ぎ立てる二人とのテンションの落差が凄まじい。
一気に混沌とした場を茶柱先生がニヤニヤと面白そうに眺めている。あんたソレでも教師か。
内心でそんなツッコミを入れていると、ここで再び幸村が参戦した。
「ま、待て佐城!! ポイントの件はともかくとしてSシステムを把握していただと⁉ だったら何で共有しなかったんだ⁉ もしもお前が声をかけていればクラスポイントはもっと残せた筈だ!! そうしたらAは無理でもBクラスやCクラスに昇級できていたかも知れないじゃないか⁉」
幸村の言葉に何人かの生徒が同意するように佐城を睨みつけた。
怒りに満ちた視線を一斉に浴びているにも関わらず、佐城は知ったことかとばかりに緩慢な動作で幸村に振り向くと、言葉短く言い放った。
「しましたが?」
「は?」
「ですから、しましたよ。共有。櫛田さんを通して匿名という形でしたが、ちゃんと意見として共有したじゃないですか。学校の理念、生活態度への危惧、ポイントの増減、全て伝えたじゃありませんか」
「あ、あの時の匿名の情報提供者はお前だったのか……だが⁉ あれはつい最近の話だったろうが⁉ お前はもっと前から気づいていたんだろ⁉ もっとお前さえ早く動いてくれればっ」
「そう仰られましてもねぇ……」
心底めんどくさい。そう言わんばかりの表情の佐城はおもむろに振り返ると茶柱先生に向き直った。
「先生はボクが二週間で気がついたと確信していらっしゃるようですが、その理由をお伺いしても宜しいでしょうか? その時点では少なくともクラスメイトの方には情報共有をしていなかった筈なのですが」
「お前自身も分かっているだろう? 体育授業だよ。二回目の水泳授業の時、お前はラッシュガードの着用を義務付けられたそうだな? 学校側がポイントを負担すると宣言した時、お前はある取引を持ちかけたと聞いている。体育担当の東山先生も感心していらしたぞ」
ますます面白いとばかりに愉悦を浮かべる茶柱先生はスーツのポケットから白い紙を取り出し、生徒達に見せつけるように広げて見せた
「先生の署名と印鑑入りで『体調不良による早退に関するDクラスの評価、ポイントに関するあらゆる査定を一度だけ不問とする』……お前個人ではなくわざわざクラスの評価に触れる文言を書くなど。この時点でSシステムについて察していなければ思いつかない内容だろうに」
体育担当の教師のサインとハンコまで押されている紙には、確かに茶柱先生が説明した文言が書かれていた。
つまり佐城は結果的に早退という形を取ることになった水泳授業の失点を、購入を押し付けられたラッシュガードの費用を立て替える事で相殺した。ということらしい。
果たしてそんなのアリなのか? と疑問に思うが初回の授業で先生がポイントを景品に競泳を開催したのを思い出した。
細かいルールは教師しだいなのか、それとも教員だけのマニュアルがあってそこのルールに抵触しなければ問題無いという扱いなのか。
「二回目の体育ならやっぱり入学して、二週間。その時点で共有さえしてくれればこんな事にはっ……!!」
「単純にその時点ではSシステムの裏側に気づいていませんでしたので」
「あからさまな嘘なんかつくなよ⁉ 茶柱先生が持っているあの紙が証拠だろ!?」
「嘘というワケでは無いのですがねぇ……」
「ふっ、ふざけるなよ佐城ぉ!!」
「ゆ、幸村くん落ち着いてくれ!! 今ここで佐城くんを責めても何も変わらないだろう⁉」
扇子で口元を隠しながらのらりくらりと受け流す佐城の態度に我慢ならんとばかりに怒鳴り散らす幸村を、どうにか平田がなだめすかした。
幸村の気持ちは分かるし、その意見自体は間違っていない。
あの誓約書を見るに、佐城が二週間目でSシステムを殆ど見抜いていたのは事実だろう。
その時点で情報共有をしていたらクラスポイントは大量に残り、クラスの昇級もあり得たかもしれない。
だがそれは、何の根拠も無いただの感情論に過ぎない。
そもそも佐城がいくら早くシステムに気づいたところでそれを共有する義務など無い。
それに幸村だって冷静になれば分かる筈だ。僅か一週間としない内に学級崩壊を起こすほどの問題児の集まりがDクラスだ。
仮に佐城が気づいた時点で注意を促したところであまり効果は無かったんじゃないだろうか。
そもそも最初から素直に注意を聞く人間たちなら、櫛田や平田が呼び掛けた時点で改善している筈だろう。
むしろ時期が時期とは言え、貴重なSシステムについての裏側を完璧な善意でもって共有してくれた佐城には感謝するべきだ。
(この様子を見るにそんな殊勝な考えには至らないだろうけどな。今は平田が抑えているがホームルームが終わったら佐城が槍玉にあげられてもおかしくない熱狂ぶりだし)
山内が、池が、須藤が。本堂が。菊池が。幸村が。
いや、Dクラスの殆どの人間が佐城を悪だと責めている。
恐らくみんな生贄が欲しいのだろう。自分自身の自堕落で自分の首を締めていると認めたくない。
「お前のせいだ!! 責任取ってお前のポイント寄越せよ⁉」
「そうだそうだ!! お前のせいで0ポイントになったんだぞ⁉ 賠償金払え!!」
「どう責任取るつもりだこの野郎!!」
集団心理の恐ろしさを垣間見た気分だった。
下手したらこのまま私刑が始まりかねない。
流石に暴力行為は茶柱先生が止めるだろうが、佐城への悪感情が充満した空気が続けば監視の目の無い場所で集団私刑が行われる可能性だってあり得る。
いざとなったら介入してでも止めるべきだろうか。
事なかれ主義のオレらしくはない、そんな考えが頭に浮かんだその時。
うつむき気味の佐城の姿を視線に入れたオレは、そこで意外なものを見た。
(あれ? 佐城のやつ、なんか笑ってないか?)
後ろの席にいるオレだから気づけたのだろう。
扇を広げ口元を隠し、まるで群衆に怯えるように頭を縮こまらせていた佐城の顔は喜悦に染まっていた。
友人に笑いかけるような優しい微笑みでは無い。
山内や池に皮肉をぶつける時の冷たい笑みでも無い。
もっと、邪悪で。ドス黒く。人間性の澱を煮詰めたような暗く妖しい。
そんな怖気が走るような悽惨で、脳が焼け付くほどに妖艶な笑顔だった。
我ながら機械じみていると自覚していたオレの脳内の情動が、全て引き摺り出されて釘付けにされる。
そんな笑みにただ、ただ見惚れてしまったオレだから気づけた。
佐城の艷やかな唇から肉厚の真っ赤な舌がぬらりと触手のように顔を出し、蠱惑的な動きと共にリップを濡らす。
すっかり目が話せなくなったオレは無意識の内に佐城の唇の動きを読んでいた。
白い部屋で学ばされた読唇術。佐城の唇は間違いなく、こう言っていた。
「CHECKMATE」
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感想、評価、とっても嬉しいです!!
綾小路視点ながいわ。