銀。
それは神秘の色だった。
月明りを反射し、煌めきを放つ星々の如きその色はあまりにも美しく視る者を魅了してやまない。
サラリと揺れる髪の一本一本が、まるで夜空に流線を描く綺羅星のような幻想的な輝きを放っている。
老いを感じさせる薄汚れた白色とは違う。
人工的な、どこかノッペリとした重くるしい灰色とも違う。
フィクション(ライトノベル)の世界だからこそ存在する、ファンタジーなその色彩は筆舌尽くしがたい美しさだった。
神秘的なプラチナの髪。
雪のように白い肌。英知を溶かしたディープブルーの瞳は好奇心にキラキラと輝き、その興奮と期待感からか頰は赤く色付いている。
『美少女』。
果たしてこの言葉がこれ程までに相応しい存在がいるのだろうか?
そんな疑問すら浮かぶ程に見目麗しき、妖精のような文学少女。
「あなたもミステリーがお好きなんですか⁉︎」
叫ぶかのような勢いのまま、上目遣いで此方に詰め寄る彼女、『椎名 ひより』。
突然にして偶然、ある意味で運命的で必然。
そんなヒロインと出逢った俺の心境は……
(くぁwせdrftgyふじこlp)
それはそれは盛大にパニクっていた。
(アイエエエ⁉︎ シイナ⁉︎ シイナナンデ⁉︎ コワイ‼︎ ゴボボーッ‼︎)
何故ならば目の前にいる美少女は俺が『よう実』世界のヒロイン候補の中でも、1、2を争う程に関わりたく無いキャラクターだったのだから。
「……あ。いきなり失礼しました。私の名前は『椎名 ひより』と申します。趣味は読書を、主にミステリー関連を好んで読んでいます」
(聞いてねえよ‼︎ 何を勝手に自己紹介してんだボケ‼︎ 俺まで名乗らなきゃいけない流れじゃねえか‼︎)
アイサツは大事。古事記にもそう書かれている。が、そんな事はどうでもいい。
俺としては目の前の文学少女に自身の名前を覚えられるのは、どうしても避けたい事態なのだから。
『椎名 ひより』。
『よう実』ヒロインの中でもかなりの人気を博している文学少女だ。
マイペースで本の虫という基本的に害の無い大人しめな性格。
運動は苦手だが、知識や学力はズバ抜けて高水準というしっかりしたキャラづけ。
思わず見惚れるような銀髪蒼眼という儚くもどこか神々しさすら感じさせるその美貌。
美少女だらけのこの世界においても、人気が出るのも納得のキャラクターである。
そんな彼女と知り合えたのは存外の幸運……とは言い切れない理由がある。
「ちなみに私が今読んでいるのは、このアガサ・クリスティの名作『ABC殺人事件』です。臨場感が溢れる丁寧な心理描写と作中のありとあらゆる箇所に散りばめられた叙述トリックは何度読んでも素晴らしい名作なんです」
(本の感想なんか聞いて無ぇから、どうでもいいんだよ‼︎)
ぶっちゃけ椎名本人は問題ない。だが所属しているクラスが問題なのだ。
「……あ、それから、私はCクラスに所属しています。クラスは違いますが、どうぞこれからよろしくお願いします」
(そこおおおおおお‼︎ そこが一番大事なんだよおおおおお‼︎)
Cクラス。
頭のおかしいドラゴンボーイこと『龍園 翔』が王として君臨する武闘派クラスだ。
いや、武闘派って書くと何だか無駄に雄々しい感じがするが、要するには暴力至上主義のヤンキー共の溜り場と言ってもいいだろう。
龍園は暴力という分かりやすい恐怖政治でクラスをまとめ上げた危険人物だ。
基本的に刃向かう奴はぶん殴るの精神で生きているヤバい奴。
ここが普通の学校だったならば他のクラスでどんな人間がどんな統治をしようが所詮は他人事。
別に気にする必要も無い話となるところだが、クラス間闘争が大前提である、この『高度育成高等学校』のシステムを考えると、たまったものじゃない。
原作でもCクラスは、いの一番に他クラスへ挑発行為や脅迫などの妨害行為を繰り返し、原作2巻の中核ともおける『須藤暴力事件』を引き起こしている。
そして数々の卑劣な問題行動をクラスメートに指示しているのが、リーダーである龍園なのだ。
彼は腕っぷしの強さも十分に脅威だが、その狡猾さと執念深さは作中でもかなり際立った描写がされており、敵対すると考えれば非常に厄介な存在だ。
将来的には成長を見せ始めた堀北をあと一歩のところまで追い込んでいるのだから、かの人物がいかに危険な存在であるかは語るまでもないだろう。
まあ、結果的に我らがサイコパスの綾小路きよぽんにボコボコにされ、踏み台のような扱いをされる可哀想な運命ではあるのだが。
(か、関わりたくねぇ……どうやってこの場を逃げ出す⁉︎)
話を椎名に戻す。
俺の目の前にてキラキラとした視線を向けて来るミステリー大好きっ娘である彼女こそ、そのリーダーたる龍園から一目置かれているとんでもない厄ネタなのだ。
原作における初登場は割と遅い方だったが、そのインパクトはなかなか強い。
龍園は比較的に登場回数が多かった『伊吹』でさえ苗字で呼んでいるにも関わらず、椎名に関しては『ひより』とわざわざ下の名前で呼んでおり、既に信頼を得た幹部扱いをされていた。
物語後半では失脚しかけた龍園本人から後継者として指名される程に暴君からの信頼を得ていた才女こそが、目の前に立つ彼女なのだ。
入学して間もない現時点で龍園と椎名の関係がどれほど深いのかは定かでは無いが、彼女と関わりを持つことは将来的に暴力王との接点を持つ事になるだろう。
厄介事に関わりたくない俺としては一刻も早く彼女から逃げるべきだと分かっている。
「あ、私ったら、いきなりすみません。同じクラスに読書を好む方がいなかったので……。同じ趣味を持つ『佐城くん』とお友達になりたくて。ちょっと騒いでしまいました」
が、一瞬でその選択肢が潰された。
目の前の美少女がシュンとした表情で落ち込んでいて、心が痛んだ。などという訳では無く。
「……その、椎名、さん? 何故。ボクの名前を?」
本来なら先ずはぶつかった事を詫びるのがスジというものだ。それが常識というものだ。
それが分かっているにも関わらず、俺は震えた声でその問いを口にせざるを得なかった。
(何故、知られている?)
他クラスの人間との接点は皆無。それどころか同じクラスでも櫛田としかまともに会話をしていないのが俺の現状だ。
そんな孤立に限りなく近い状態である他クラスの男子生徒の名前を椎名は知っている。
断言するが今この瞬間まで、モブ以外の他クラスや他学年の生徒は挨拶どころか正面から顔を合わせたことすら無い。
にも関わらず目の前の女は俺の顔と名前を認識している。会ったことすら無いのに。
これで警戒するなという方が無理な話だ。
先ほどまでとは全く違った理由で身体が強張り冷や汗が吹き出た。
緊張感を誤魔化すために唾を飲み込むと、喉から想像以上に大きなオノマトペがゴクリと鳴った。
だが警戒する俺に対して椎名はどこかキョトンとした表情であっけらかんとこう告げた。
「えーと。佐城くんは有名人ですから、私以外の人もみんな知っていると思いますよ? Dクラスの『姫王子』様。ですよね?」
……。
……ちょっと何言ってるか分からないです。
「ひめおうじさま」
「はい。男性にも関わらず、まるで少女漫画に出てくるお姫様のような美貌を持つ生徒がDクラスに所属している、と最近噂になっていましたので」
「他人の顔を覚えるのが苦手な私でも一目で佐城くんだと分かりましたよ」と微笑みを浮かべる椎名の言葉に俺はどんな顔をすれば良いのだろう。
そもそも姫と王子って対義語みたいなものだから矛盾してるじゃん、とツッコめばいいのか。
その小っ恥ずかしいあだ名が学校中に広まってる事を嘆けばいいのか。
そもそも椎名って少女漫画なんか読むのかと疑問を呈せばいいのか。
「その。ボク自身は、他クラスの人と挨拶すらした事が無いのですが。にも関わらず、ボクの顔と名前は知られている、という事ですか?」
「⁇ はい。学校中で噂になってましたので、恐らくは学年問わず知られているかと」
「がくねんとわず」
「私は茶道部に所属しているのですが、先輩方も興味津々といった様子でしたので恐らく間違いないかと」
「……Jesus」
結論。
俺こと佐城ハリソンの存在はとっくに噂になっており、椎名との接点云々の前からキチガイドラゴンこと龍園に顔と名前を知られている可能性が大。
おまけに学校中に俺の個人情報が知られているならば、葛城や坂柳。
先輩にあたる南雲や堀北生徒会長にも知られている場合もあり。
つまり前世の記憶が戻った直後に目指した目立たないで静かに生きる。というプランは最初っから破綻していたのだ。
「あ。ですが私は以前から佐城くんとはお話してみたかったんです。つい先日、書店で文庫本を購入しているところを偶然お見かけしまして」
「は、はぁ。成る程」
「少し離れたところから横顔を見ただけでしたが、噂に違わぬ見惚れてしまうような
と、ここまでキラキラした目でこちらを伺っていた椎名の視線が落ちていく。
華奢な身体をさらに縮こまらせ、どこかモジモジと恥ずかしがった様子で、頰を染めながらポツリとこう続けた。
「その。まさか、同年代の方で……官能小説家として名高い『団鬼六』の著作を好んでいる人がいるとは思わなかったので、はい。そのぉ……とても、印象深くて」
(エロ小説買ってるところバッチリ見られてるじゃねえかああああああああああああああああ‼︎)
心の中で嘆きの慟哭をあげる俺の内心は先ほどまでとは別の理由で、大混乱だ。
きっと状況が許すならば俺は頭を抱えて、床をゴロゴロと転がり醜態を晒していたことだろう。
そりゃそうだよね。椎名さんは本の虫だもんね。
自分が読んだことは無くても有名どころの作者の名前とその作風は知っていても可笑しくないよね‼︎
……何だろう。この。まるで隠していたエロ本やオナホが母親に見つかった時のような、心臓が掴まれたような恐怖と燃え上がるような羞恥心。
気まずいなんてものじゃない。さっきから冷や汗が滝のように流れている。
「そ、それは恥ずかしいところを見られてしまいましたね。不快にさせてしまったなら申し訳ありません」
「いえ。その、確かに、少し驚きましたが。それはそれとしても、読書を好む方が身近に居ると知れたので嬉しかったですし」
羞恥に顔を染めながらも、どこか弱々しい微笑みを浮かべる椎名の美貌は、とても尊い何かを感じさせるが、ぶっちゃけた話、こっちはそれどころでは無い。
さっきの姫王子(笑)のインパクトが吹っ飛ぶレベルに動揺している。
というか帰りたい。色んな意味でいっぱいいっぱいだから早く帰りたいが、一応口止めは必要だろう。
「その、出来ればボクがそういった本を買っていた事は椎名さんの心の内に仕舞っておいて頂けないでしょうか? 情けない話ですが、公にするには、些か恥ずかしい趣味ですので」
椎名 ひよりというキャラクターに現時点で親しい友人がいないであろう推測は出来るが、既に俺という異物の存在でバタフライエフェクトが発生している可能性もある。
彼女を経由して龍園の耳にでもこの話が伝わったら最悪だ。
他人を陥れる為なら何だってやる狡猾なるドラゴンボーイの事だ。
過激なSM描写のある官能小説を購入していた、という事実を面白おかしく脚色してどんな醜悪な噂を流して来てもおかしくない。
不本意な事ながら現時点ですら俺の情報は学校中に出回っており、すっかり有名人の仲間入りをしているらしい。
これ以上の悪目立ちは何としても避けたいのだ。
「もちろん言い触らしたりするつもりはありませんよ。ですが、その……代わり、といっては何ですが」
椎名は少し考え込むような仕草をしたと思えば、再び俺と目を合わせて一歩距離を詰めた。
白銀の髪がふわりと揺れ、花のような香りが俺の鼻をふんわりとくすぐる。
彼女の整った顔立ちがグッと近くに寄せて来て、そのラピスラズリの瞳が星々のように煌めいているのが嫌でも分かった。
目の前の銀髪娘が口にするであろう台詞が容易に想像できてしまい、俺は顔面の筋肉が引き攣っていく。
「私と、お友達になってくれませんか?」
(嫌です)
嫌だよ‼︎ 嫌に決まってんだろバアアアアアアアアカ‼︎‼︎
お前、お前ちょっと自分が美少女だからって俺が何でも言うこと聞くと思っとんのかボケェ‼︎
友人になった後の展開が容易に想像つくわ‼︎
どうせ椎名との仲がいい感じに深まったところでアレだろ?
龍園が横槍を入れて来て「クククッ、クラス闘争は抜きとしての交友を認めてやる代わりスパイになれ。クククッ、もしくはポイントを払え。クククッ」とか脅しに入って来るパターンだろうが‼︎
何回そのパターンの二次創作読んだと思ってんだバアアアアカ‼︎
藪をつついて蛇どころか龍が出て来ちゃうだろうが、このポンコツ文学少女‼︎
大人しく伊吹辺りと百合百合してろこのアマァ‼︎‼︎
(……って言いたいところだけど‼︎ 言いたいところだけどおおおおお‼︎)
本来なら椎名とこのタイミングで仲良くなる必要は一切無い。
ボッチ気味の俺にも友人が出来る。しかもそれが美少女である事を加味したとしてもプラスどころかマイナス査定だ。何一つ良いことが無い。
物静かな文学少女で、更に銀髪碧眼という美貌を加味すれば、一読者としては椎名ひよりは魅力的なヒロインだ。それは間違いない。
だが、将来的に頭のおかしいドラゴンボーイと悪魔の契約を迫られるであろう確定した暗黒の未来を背負ってまで近づきたくない。
それにメタな話ではヒロインの殆どが、どうせ主人公である綾小路に惚れるんだから意味がない。
どうせみんな綾小路Tレックスの餌食になってアヘ顔ダブルピースがオチだろう。
「あの……ダメ。で、しょうか?」
だから目の前の少女が泣きそうな顔でこちらを見上げていたところで、絆されたりしてはいけない。
ましてや連絡先を交換する必要など皆無なのだ。
皆無、なのだが……
「……いえ、その程度のことでしたら。むしろボクの方からお願いしたいくらいです。改めまして、ボクは佐城 ハリソンです。これからよろしくお願いしますね、椎名さん」
「は、はい‼︎ よろしくお願いします、佐城くん‼︎」
結局、こうして彼女と握手を交わしている俺がいる。
嬉しそうに端末を取り出して連絡先を交換しようとする目の前の椎名の笑顔を見ると、キリキリと胃が痛んだ。
だが、まあ、何も彼女との繋がりを作っておくのは悪いことばかりでは無いのだから。
(龍園ホイホイの椎名と友人になるのは本来ならば要らないリスクを抱え込む愚行でしかない。だが既に俺という存在を龍園本人が認識しているなら話は変わってくる筈だ)
争い事を嫌い、マイペースな椎名 ひよりというキャラクターはその実、芯が太く何事にも動じない強さを持っている。
龍園が彼女を気に入っているのは学力や洞察力だけでなく、そういった内面も加味しての事だと俺は予想している。
彼女と繋がりを保っておけば本格的に龍園が俺に対してアクションを起こす際、なんらかのメッセージを送ってくれるだろう。という期待を込めているのだ。
流石にクラスを裏切ってまで俺のことを庇いだてしたりはしないだろうが、『龍園くんというクラスのリーダーが佐城くんの事を探っています』程度の情報なら教えてくれるのではないだろうか?
場合によっては『須藤暴力事件』に関する詳細な情報や裏話なんかも得られる可能性も0ではない。
(まあ、どのみち乗りかかった舟だ。きっかけが事故みたいなもんだとは言え、どうせ椎名と知り合っちまった。なら少しでも俺が有利になるように、せいぜい利用させて貰おうじゃねえか)
どうせ椎名と交友を深めたところで、そう遠くない未来に龍園にバレて口を挟まれることになるだろう。
そう。そんな、僅かな時間の間だけの関係だ。
王様が出張って来てこちらを脅迫してきたら、こちらが被害者ぶって椎名との関係を切ってしまえばいい。
ただ、それだけの話なのだから。
その後、俺と椎名は互いに目当ての本を借りて図書館を後にした。
寮に着くまでの間にたわいのない雑談。
主に椎名からのミステリー小説の布教を俺がのらりくらりと躱すだけの会話。
だが櫛田以外とのまともな話し相手は初めてな俺からすると、そんな下らない話ですらどこか新鮮で、中々に心地良かったのも事実だった。
やがて日が落ちる頃には二人揃って寮に到着し、そのままエレベーターへ乗り込む。
椎名の部屋のある階層につき別れが近づく中。
彼女はふいに俺に向き直ると、花開くような鮮やかな笑顔で俺に笑いかけた。
「佐城くんとお友達になれて、本当に嬉しいです。改めまして、これから『末永く』よろしくおねがいしますね。佐城くん」
「……ええ、こちらこそ。椎名さん」
まあ、短い付き合いになるだろうが、な。
そんな事を考えながら俺は機嫌良さそうな椎名に向かって手を振って、別れを告げた。
なお、既に御察しの方もいるかもしれないが一応、記しておく。
(あ、スーパー行くの忘れてた)
後日、俺は椎名と軽率に友人関係を結んだ事を盛大に。
それはそれは盛大に、後悔する事になる、と。
感想読んでますよ。