トラックに轢かれて異世界転生するはずのやつが意外としぶとくて神様が激おこな件 作:佐藤寛
プロローグ
その醜悪な化け物はわけのわからないことを叫びながら、猛々しく襲いかかってきた。
──うぐっ
口の中が血の味で満たされている。
頭がぼんやりする。
全身を強打したはずなのに痛みはない。
極度の恐怖と興奮で健の感覚は麻痺していた。
「#&*§@!!」
化け物は咆哮をあげながら大股でのっしのっしと健に歩み寄ってくる。動けない健に追撃するつもりのようだ。
──に、にげないと‥‥!
逃げないと殺される。そう確信した健は壁に寄りかかりながらなんとか立ち上がった。
だが、健が立ち上がった頃には既に、化け物はすぐ目の前にいた。
化け物が叫びながら健の胸ぐらをひっ掴む。
歯並びが悪いそいつの大きな口から、唾が飛ぶ。
「やめて!お願い!!」
“彼女”はそう叫び、健と化け物の間に割って入ってきた。
化け物は健のシャツから手を離すと、今度は“彼女”に襲いかかった。
化け物は“彼女”を押し倒すと、服をビリビリに切り裂いた。
健は化け物が自分に背を向けている隙を逃さなかった。
──今しかない!
今、やるしかない。
やらなければ、死ぬ。
或いは、この地獄が続く。
終わらせなければ。
殺さなければ。
全身の痛みなど完全に忘れ、健は玄関へと走った。
──あった。
金属バット。
あいつを倒せる武器。
健はすぐさま化け物のもとへ引き返した。
化け物はまだ全力で抵抗する“彼女”と取っ組み合っていた。健のことなど頭から消えているようで、彼のドタドタとたてていた足音も化け物にとってはどうでもいいらしい。
化け物はその怪力で“彼女”の抵抗する腕を膝でふんずけ全く身動きが取れない状態にしてから、そのおぞましい唇を、“彼女”の顔に近付けた─
グシャッという鈍い音が部屋に響く。
化け物が“彼女”を補食しようとするのを目の当たりにした瞬間、健の身体は殆ど勝手に動いた。
健はその幼い体躯には大き過ぎる金属バットを、醜悪な化け物相手に振り下ろした。
何度も。
何度も。
床に伏したそいつの頭は既にぐちゃぐちゃになっていたが、それでも健はやめなかった。
今やめたら、コイツは起き上がって襲ってくるんじゃないか。そんな怖れが、健にその機械のような反復運動を強いていた。
「健、もういいのよ」
女の声がする。
その声を聞いた健は、ハッとして動きを止めた。
化け物はもう、動かない。
“彼女”はセーラー服がはだけ乳房が露になっているのも構わず、健の肩を抱いた。
健は顔を上げ、“彼女”─姉の恵─と目を合わせた。
恵は涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「どうしよう‥‥とうさんを、殺しちゃった」
健の目からも涙が零れる。何の涙だろう。
「ぼくは‥‥人殺しだ‥‥」
もう、後戻りはできない。
冷静さを取り戻す一方、殴られた頬や身体の痛みが次第に増していく。
「うっ」
健は膝から崩れ落ちる。痛みと後悔と絶望が、その小さな身体には重すぎたのだ。
恵はしゃがみ、健を優しく抱き締めた。
「健は人殺しじゃない。だってあいつは人間じゃない。化け物‥‥魔物よ」
恵はそう言った。健と、自分自身に言い聞かせるように。
「健、あんたはね、あんたは‥‥魔物を倒した“勇者”なのよ」
勇者。それはテレビゲームの主人公。弱きを助け、強きを挫く。
ゲームをよく知らない健でも、その存在くらいは知っていた。
「いい?あんたは私達だけの、“勇者様”なんだからね」
恵は念押しし、全身が痛む健を思い切り抱き締めた‥‥
健は雷に打たれたように敷き布団から跳ね起きた。
汗で全身がぐっしょり濡れている。またうなされていたらしい。
しばらくすると、ジリリリリリリ!!という目覚まし時計のやかましい音が鳴り響いた。
健は時計を止め、大きなあくびをしながら起き上がった。
健はこの時、これから本当の地獄を味わうことを知るよしもなかった。