トラックに轢かれて異世界転生するはずのやつが意外としぶとくて神様が激おこな件   作:佐藤寛

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第二話 前編

【7】

 

 ユキは濃霧に包まれた町を走っていた。逃げるために。

 魔物に追われているわけではない。それどころか奇妙なことに、魔物達はユキの姿を見てもそのまま素通りしていった。仲間だと思っているのだろうか。

 

 ついさっきのことだ。

 ユキはケンと共に警備局を出た。

 同僚達の無残な遺体たちをそこに残したまま。

 二人で周囲を警戒しながら慎重にリーミス通りを歩いていた時。

 道の中央に遺体と、その遺体が引きずり回されたことを示す血の模様があった。

 それを見たケンが弱音を吐いた。

 

 「ああ、アン、無事でいてくれ」

 

 それは家族の身を案じる、ありふれた言葉。

 だが、“アン”─ケンの妻の名前─を耳にした時、ユキの中に真っ黒なものが腹の辺りから沸き上がり、それは憤怒と嫉妬と憎悪の奔流となりユキの身体を貫いた。

 単に想い人を()られた嫉妬ではない。

 まともな人生を歩んでいることへの嫉妬。

 自分より大切なものがあることへの嫉妬。

 そして、“あいつ”への際限のない憎悪と憤怒。

 

 ユキはこの時まで、自分にも“我慢の限界”があると知らなかった。

 ハイスクールで嫌がらせを受けた時。

 新人の同僚にバカにされた時。

 除け者にされた時。

 想い人が嫌いなやつと結ばれた時。

 今までの人生で受けた数々の屈辱と心の痛み。

 ユキのそれらへの対処法は、耐えること。

 黙って耐える。それだけだった。

 他人と争うくらいなら、自分が我慢して耐える。

 負の感情を小出しにできず、全てを溜め込む。

 破綻しているほどに内向的。

 それがユキだった。

 

 気がついた時、目の前にはケンがいた。

 彼は腹を押さえてうずくまっている。

 腹を押さえた両の手は真っ赤に染まっていた。

 そして、自分の手には銃。

 

 ──私が、撃った。

 

 それも、発作的に。

 ユキがそれを自覚したのは、自分の方を見ているケンの顔に、混乱と恐怖が浮かんでいたからだ。

 

 「な‥‥なんで‥‥」

 

 ケンはわけがわからないという顔をしながら、苦しそうに言った。

 

 「ち、違うの、私─」

 

 ユキは弁明を試みる。だが、どう弁明したらいいかわからずに言葉に詰まる。

 

 「裏切り者‥‥」

 

 ケンの顔が、“敵”に向けるそれへと変わる。そしてレーザー銃をユキに向けようとした─

 

 「!!」

 

が、銃を握る彼の指はユキの銃から放たれた熱線に切断された。

 だがそれはユキの意志ではなく、訓練の成果による条件反射だった。反撃に備えて彼女の身体が先制攻撃してしまったのだ。

 

 もう、後戻りはできない。

 

 「や、やめてくれ‥‥家族がいるんだ‥‥」

 

 命乞いをするケン。

 しかし、彼の言葉はユキには届かない。

 ユキは頭が真っ白になっていた。

 

 ──どうしよう。

 

 このまま彼を生かしておけば、仮にこの町から出られたとしても私は一生逃亡者だ。

 今さら謝ったって、彼が許してくれるはずない。

 

 ユキは周囲を見渡す。辺りには誰もいない。

 

 ──今、殺すしか、ない。

 

 「ご、ごめんなさい‥‥」

 

 ユキは顔をひきつらせ、涙を流しながら引き金を引いた。銃から放たれた光線はケンの胸を貫き風穴をあけた。

 胸を押さえて倒れ、ケンは動かなくなった。

 

 「ごめんなさい‥‥わ、わたしは‥‥」

 

 ユキは逃げ出した。何かに追われたわけじゃない。

 だが、逃げ出さずにはいられなかった。

 

【8】

 

 ユキは休まず走り続けた。彼女は疲れを知らない。彼女の特異な点は見た目だけではなかった。

 常人離れした膂力と際限の無いスタミナ。そして、異様に頑健な骨格と肉体。

 それは紛れもなく、魔物の特徴だった。

 

 すれ違って行く、異形と無残な遺体。

 生きている人間は一人もいない。

 

 ユキはここでも孤独だ。

 化け物にすら見向きもされない。

 彼女は数十メートル先すら見えない霧の中で、行くあてもなくがむしゃらに走り続け─

 

 「ぐおおおおおお!!死にやがれぇぇぇ!!」

 

 声がした。間違いなく、生きた人間の声。

 男の声だ。

 

 ──生存者?

 

 どうしようか。

 ユキは一瞬だけ思慮に耽る。

 私は市民を守る警備局員。

 でも、人殺し。

 些細なきっかけで罪の無い人を殺した。そんな私がヒーローみたいに誰かを助けていいの?そんなことが許される?本当に?

 

 「いいぞ!!そこだ!!やっちまえ!!」

 

 さっきのとは別の声だ。悲鳴でも戦っている風でもない。野次のようだ。

 

 ──野次?

 

 あんな強い魔物が相手なのに?

 

 ユキの鼓動を高鳴らせるもの。

 それは興味。

 いま行けば見れるだろうか。

 

 ユキは声のした方へ、磁力に引っ張られるかのように歩みだした。

 

 霧の向こうに、“彼”はいた。

 “彼”は魔物と戦っていた。

 

 狼の頭を持つ、全身毛むくじゃらのヒューマノイド。

 それが“彼”の相手。

 ユキはそいつを狼頭と名付けた。

 狼頭が、丸太のような両腕を広げて“彼”に襲い掛かる。

 “彼”は狼頭と手と手をガッチリと組み合い手四つになる。

 狼頭は目の前の“彼”の頭を食いちぎろうとするが、“彼”がことごとく頭を逸らしてかわすため、狼頭は虚空を何度も噛み、虚しいガチッという音を断続的に発するだけだった。

 “彼”は狼頭の股ぐらを思い切り蹴りあげると、股間を押さえて悶絶するそいつの脳天に、おのれの両手を組んで作ったハンマーを振り下ろした。

 ダウンした狼頭のその後頭部を、間髪入れずに踏みつける。

 グシャッという鈍い音。

 狼頭は血だまりに沈み、動かなくなった。 

 

 ぜぇぜぇと肩で息をする“彼”。

 

 「まじですげぇな、お前」

 

 戦いをただ見ていただけの小汚ない中年男性が、“彼”を称賛した。

 二人ともユキには気づいていない。

 

 ユキは自分が見たものを信じられなかった。

 ただの人間が、魔物と素手で渡り合う。

 

 人間は武器と魔法があって初めて魔物と互角に戦える。それが常識のはずだ。

 

 と、もう一体の狼頭が霧の中から現れる。

 “彼”と中年男性はその存在に気付いていない。

 狼頭が、二人に猛然と突進する。

 

 「う、うわぁ!!」

 

 “彼”が狼頭に押し倒される。

 

 「ひぃぃぃ!」

 

 中年男性はただただ怯えて叫んでいる。

 

 「こ、こいつ!」

 

 “彼”は必死に抵抗している。

 

 「おいおっさん!」

 

 助けを求めるのだろうか。

 

 「逃げろ!!」

 

 ユキは“彼”の自己犠牲の精神を見て、じっとしていられなかった。

 長剣を抜き、魔法で刀身に炎を纏わせる。

 そして、狼頭の筋肉で隆起した背中を斬りつける。

 狼頭は身体の内部を焼かれ、悶絶してのたうち回り、やがて動かなくなった。

 

 「大丈夫?」

 

 ユキは剣を鞘に戻してそう言い、右手を差し出しながら“彼”を見下ろした。

 目と目が合う。

 ほどよく逞しい体つき。

 健康的な黒い短髪。

 深く切られた爪。

 自分より年下らしい若くてハンサムで‥‥何故か全身が血塗れの男。

 

 “彼”はその血塗れの手でユキの手をとり立ち上がった。

 

 「助けてくれてありがとう。命の恩人だよ」

 

 “彼”はユキの目をまっすぐ見ながらそう言い、微笑した。

 

 ──綺麗な目‥‥。

 

 “彼”なら自分の罪を知っても責めないのではないか、ユキはそう感じた。根拠は無い。

 誠実そうだ‥‥。

 

 「あんた‥‥それ、コスプレか?」

 

 中年男性が、ユキの身体をなめ回すように見てから言った。

 

 「すげぇ美人だな」

 

 ──スケベオヤジめ‥‥。

 

 ユキは局長を思い出し、嫌悪感を抱いた。

 

 ──こいつとは絶対に仲良くなりたくないわ‥‥。

 

 「おい失礼だぞ!助けてくれてくれた人に!」

 

 “彼”は中年男性を小突き、それからユキと再び目線を合わせると、

 

「俺は宇崎健っていいます」

 

と名乗って右手を差し出した。

 (ケン)という名に、ドキッとする。

 

 「わ、私はユキ‥‥」

 

 ユキは健の右手を握り返し、握手をした。

 

 「あ、そうだ。こいつは─」

 

 健はユキと握手したまま隣の中年男性に顔を向ける。

 

 「─轢き逃げ犯の佐藤とし─」

 「おい!」

 

 今度は中年男性が健を小突く。

 健とユキの手が離れた。

 

 「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ!こういうのは第一印象が大事だろ!?」

 

 ──既に最悪よ!!

 

 ユキは内心で毒づいた。

 

 「へへ、というわけで、俺は佐藤敏夫だ。よろしく」

 

 敏夫も握手しようと手を差し出したが、ユキは無視した。

 

 ──コイツ嫌い!!

 

【9】

 

 敏夫は突然現れて自分達を救い、自分との握手を拒んだその怪しすぎる女─ユキ─に見とれていた。

 エメラルド色の髪、真紅の瞳、牙、それにファンタジーゲームの世界から飛び出して来たかのような鎧。

 

 ──やっぱりコスプレか?

 

 そんなわけない。たった今、あの化け物を“燃える剣”で倒したじゃないか。何者なんだコイツ‥‥。

 

 「よろしく、サトウさん」

 

 ユキは“陽気な男”を演じた敏夫の目を見て冷たくそう言った。“よろしく”という言葉とは裏腹に拒絶の感情が籠っているのを敏夫は敏感に感じ取り、それから威圧感を感じた。ユキの背丈は敏夫よりも幾分か上で、健よりも少し高いほどだ。

 そして、その日本人とも西洋人ともとれる顔立ちは“整って”いて間違いなく美人といえるものだったが、涙の跡がある充血した眼とひび割れた唇、そして陰りのある雰囲気がそれを霞ませていた。 

 

 「わ、私は見ての通りプリズン町警備局の者よ。この町は危険な状態だから、一緒に脱出しましょう」

 

 ユキは敏夫から目線を外し、健の方を向いて言った。

 

 ──プリズン町?警備局?

 

 この女は一体、何を言ってるんだ?

 

 敏夫は初めて聞く単語達に混乱する。

 

 「ええと、ユキ?さんだっけ何が起こってるのか知ってるんですか?それにその格好は?あの化け物は?プリズン町?警備局?」

 

 健も同じように混乱した様子だ。

 

 「わ、私‥‥私嘘ついてないわ!」

 

 対するユキは突然、少しヒステリック気味になって答えた。

 

 「別に疑ってる訳じゃありません。ただ、本当にわからないことだらけで‥‥」

 

 健が慌てて紳士的な態度でなだめると、ユキはその言葉に唖然とした表情をしながら健の顔を見つめた。

 

 「プリズン町を知らないの?」

 

 信じられない、という顔をしている。

 

 ──そんなふざけた名前の町、聞いたことねぇけどな‥‥。

 

 敏夫は“プリズン町”を記憶の海を辿って探してみるが、そんなものは見つからない。

 

 と、突然ユキは辺りをキョロキョロと見回し、そして突然走り出した。

 

 ──?急にどうした?

 

 敏夫はずっと困惑することしかできない。

 

 ユキは個人経営の小さなカフェテリア“円伐喫茶”の前で立ち止まった。

 

 「ここ、どこなの?」

 

 ユキは明らかに焦っている。

 

 「ユキさん?」

 

 健が心配そうにユキに駆け寄って呼び掛けた。

 

 「こんなとこ‥‥私、知らない‥‥」

 

 頭を抱えるユキ。

 

 「あ、あの、大丈夫ですか?」

 

 健はそう呼び掛けながら、頭を抱えるユキの肩に触れた。

 ユキはそれにびっくりしたかのように顔を上げると、健に向き合った。

 

 「え、ええ。勿論。多分‥‥」

 

 自分に言い聞かせているようだ。目の焦点があっていない。

 

 「とりあえず早く中に入ろうぜ。化け物が彷徨いてるかもしれねぇだろ?」

 

 敏夫が言った。

 

 ──とにかく、こんなとこで立ち話はしたくねぇ!

 

 敏夫はいつまた霧の中から化け物が現れるか気が気で無かった。

 

 「ああ、それがいいな」

 「そ、そうね」

 

 健とユキも敏夫に同意した。

 

 敏夫が入り口のドアを開けると、ベルがカランカランと鳴り、“誰もいない”店内に寂しく響いた。

 

 

 ──誰もいない?

 

 奇妙だった。客はともかく店員さえいない。 

 だがしかし、いくつかのテーブルには、ついさっきまで客がいたことを示すコーヒーの入ったカップや食べかけのデザートが置かれている。

 

 ──さっきの地震で逃げたのか?

 

 そうに決まってる。

 

 敏夫はその明らかな店内の不自然さ─例えば、屋内に避難している人が一人もいないこととか─を強引に無視し、店内に入っていき、一番奥のテーブル席に着いた。

 とにかく、できるだけ入り口から離れたかった。

 後に健とユキも続き、健は敏夫の隣に、ユキはその向かいに座った。

 

 「それでユキさん。質問しても?」

 

 最初に口を開いたのは健だった。

 

 「わ、私に答えられることなら‥‥」

 

 そう答えたユキの表情は自信無さげだ。

 敏夫にはその顔が、何かに怯えているように見えた。

 

 「ええと、じゃあまず‥‥」

 

 健は少し考えてから、

 

「失礼かもしれないけど、あなたは何者なんですか?」

 

と訊ねた。

 

 ──そうそう、まずはそっからだな。

 

 敏夫はうんうんと頷いた。

 

 「さっきも言った通り、私はプリズン町警備局の者。一応、隊長よ‥‥」

 

 ユキが“一応”、と言った時、敏夫は彼女が自嘲するような表情を浮かべたのを発見した。

 

 「その、プリズン町とか警備局って?」

 

 健は更に訊いた。

 

 「本当に知らないのね‥‥プリズン町は私たちの住む町で、警備局は各地方に配置された治安維持機関よ」

 

 ──?

 

 彼女の言ってることがまるで理解できない。

 

 治安維持機関って、警察だろ?警備局なんて聞いたこともねぇぞ。それに、プリズン町なんて町も‥‥。

 

 「嘘じゃないわ!」

 

 ユキはキョトンとした健と敏夫の顔を交互に見てから、またヒステリック気味に言った。

 

 「オーケイ、全部信じるよユキさん。命の恩人を疑ったりしない」

 

 健はユキと目と目を合わせ、真剣な面持ちでそう返した。

 

 ──オイオイオイ、なんだそのイケメンムーブは!

 

 そんな簡単に信じて良いのか?こんな怪しい女を?

 まあ確かに美人だし、鎧の上からでもわかる“たいしたもの”をお持ちのようだが‥‥でも‥‥。

 

 敏夫は健のようにはなれない。ユキの言動は滅茶苦茶だ。

 むしろ健こそ“命の恩人”ユキに対し認知バイアスがかかっていると言えるだろう。

 

 「それで、今、一体何が起こってるんですか?」

 

 健は脳内で疑念渦巻く敏夫をよそに、ユキに質問を続けた。

 

 「ごめんなさい、私にもよくわからないの‥‥ただ、地震が起きて、突然濃霧が発生して、恐ろしい魔物が大量発生して‥‥わかってるのはそれだけ」

 

 ──つまり、持ってる情報は俺たちと大差ないってことか‥‥。

 

 敏夫は少しがっかりした。健も敏夫と同じ表情をしていたが、すぐにハッとして、

 

「“魔物”ってのは、あの化け物のことですか?」

 

と質問した。

 

 ──危ねぇ、スルーするとこだったぜ!

 

 ユキがあまりにもさらっと“魔物”という単語を言ったものだから、敏夫は流してしまっていた。

 

 「そうよ。でも、連中に関してはとにかく人間に敵対的ってことぐらいしか解明できてないの‥‥」

 

 ユキは役立つような情報を何一つ提供できていないことを恥じるように答えた。

 

 ──わからないことだらけだな‥‥。

 

 敏夫は頭を抱えた。

 

 「ねぇ、ちょっと、逆に質問しても良い?」

 

 ユキが言った。

 

 「勿論」

 

 健が答える。

 

 「ここは何処なの?」

 

 ──え?

 

 「え?」

 

 ──どういうことだ?

 

 ここに自分で来たんじゃ無いのか?

 それなのに、ここがどこかわからない?

 

 「‥‥日本国の■■県円伐町。人口二万。特産物も観光名所も一切無し‥‥勿論、こんな霧がかかるような湖も沼地も無いよ」

 

 健はやはり真剣に答えた。

 

 ──こいつ、けっこう真面目だな。

 

 「‥‥聞いたことも無いわ‥‥」

 

 ユキはさっきの健や敏夫と全く同じ反応をした。

 

 「あ、教えてくれてありがとう‥‥」

 

 ユキは微笑しながら感謝の意を伝えた。が、覇気の無い投げやりな声だった。

 

 ──一体‥‥この女はどこから来たんだ‥‥?

 

 結局、わからないことだらけだ。

 会話は行き詰まる。

 

 突然、健が席から立ち上がった。

 

 「俺、ちょっと顔洗ってくるよ」

 

 敏夫は今更、健がずっと血塗れなのを思い出した‥‥自分のせいで。

 

 席をたつ健。

 

 ──あ、ちょっと待て!!

 

 今、健に行かれたら敏夫はユキと二人きりだ。

 しかし敏夫の願いも虚しく健は顔を洗いにお手洗いの入り口へと消えていった。

 敏夫とユキは向かいあったまま、互いに俯いていた。

 

 ──気まずい‥‥。

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