足が地についた感触がして、恐る恐る片目だけを開ける。暗闇に橙がかった光が薄く広がっており、両目でやっと光源である灯籠が見えた。
「そこへ直れ」
威厳のある声に引かれ、まさかと思い目を見開く。高貴な影があり、御簾の向こうからやんごとない気配がした。腰を下ろし、頭を低く伏せた。
姿は見えずともあの方……鬼人の頭領としか思えなかった。
「先ほどの戦いぶりが気になってな。覚えのない鬼人だが、組長格ではないにしろ強い隊士をよく倒した」
「お褒めいただきありがとうございます!」
褒め言葉に声が震える。鬼人にしていただいたことのお礼に行くはずが、呼び出しを受けてこんなことになるとは。
しかしそれから無音の時間が続き、何かまずいことでもしたかと不安に駆られる。何かが振り下ろされ、不安は肯定された。
「返事をしろ。少し褒めた程度で浮かれるな」
「返事でありますか……!? 感謝に打ち震えながら精一杯返したはずですが……」
肉塊になった私は上半身から再生しつつ、困惑しながら答える。
「それはその前のことで、私はさっき貴様にチキを出したぞ」
「申し訳ありません。チキとは一体何のことでありますか?」
これは非常識な質問だったようで、影だけでわかるほどに信じられないといった様子で肩を落とされた。
「チキが分からない?貴様の脳に直接言葉を送ったのだ。鬼人なら当たり前にしていることだぞ」
「言葉などは全く……」
そうは言っても干渉を受けた覚えなどない。
「私は確かに出した。お前の脳に問題があるのだ」
影は顎を上げて断言し、指した扇を強く振った。
「……鬽素が足りていない可能性がある、か。」
心なしか左に控えていた鬼人へ向き、考え込む。
「よし、お前を正八位上に昇格する。褒美ついでに鬽素をやろう。近う寄れ」
「ありがとうございます……!」
少し力が抜けながら、恐る恐る身を伸ばす。左の手首を出せと言われ、袖を引き上げて青白い手首を露わにする。
御簾の隙間から青白く細い指が伸び出て、生前より浮き出た気のする血管を刺した。血が喜んでいるのか跳ねるように流れ出す。
痺れと区別がつかず、手は痙攣し始めた。
手を振り落としたいくらいだったが、頂いているのに途中で止めることなどできない。
逆の手で下から押し支えていると、あの方が指を引き抜いた。
私の肉はきゅぽっと引き留めるような音を立て、穴からは血が膨らんだ。袖を下ろして手で圧迫し、崩れ落ちる流れで地に伏せて礼を言う。
「聞こえるか……」
それから間を置いて声が聞こえる。
「はい、聞こえます……」
「そうか、わざわざ口に出して返事する必要はない。やつらに聞かれては都合が悪い話もあるからな。これからは不用意に口を使うな」
鬼人は声を出す必要すら薄れているらしい。左に控えていた鬼人はおそらくこれで進言していたのだ。
また魂を引き抜かれる感覚があったが、不思議と苦しくはなかった。
次は質素な木の壁だった。照明器具は見当たらないが先ほどより明るく、周囲を見渡せる。
立ち尽くす私に、男が感心した様子で話しかけてきた。
「よっ、あの方に呼び出されるなんてすごいじゃねぇか」
何かと思い振り向くと、後ろの柱にもたれていた。おそらく私と同じ鬼人であり、深緑色の簡素な着物に古めかしい髷を結っていた。
「いやぁそれほどでも。鬼人になったばかりで勝手もわからず粗相をしてしまい……」
「鬼人になったばかり!? それでやらかしたのに殺されていない!? どれだけ期待されてるんだ……」
確かにあの方は全ての鬼人の頂点に立っており、その気になればいつでも下の者を潰すことができる。生かされているのは本当に幸運なことだ。
「お前なら殿上人になれるかもしれないな」
「殿上人?」
「あの方の真の姿を見ることが許された鬼人だ。最低でも階級が五位はないとなれない」
彼は難しげに、どこか誇らしげに腕を組んで頷く。
鬽素を頂いてから鬼人の常識が掴めてきた。
階級は鬼人になると与えられるもので、初位から始まり八から一まである。数字が小さいほど上位で、同じ数字でも従から正、さらに上下に分けられる。
今日頂いた正八位上の上が従七位下。そして彼を見ると正六位下だと閃いた。
「君は今正六位下かな?」
「そうだ。もうじき殿上人になるはずだ」
確信はあったが一応確かめる。彼はいきいきとして歯切れ良く答えた。
殿上人になればあの方を見てお礼が出来る。しかし多くの同胞が憧れる階級であり、そう簡単になれるものではないだろう。
競争には興味はないが、階級はあの方に有用性を認められた証だろう。これからも階級を指標に励もう。