サンノウへ至る頂きへの道のり   作:森林 木

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今回は思いつきで書いたうえに校閲作業も怠っているので色々とあらがあることをご容赦ください。
本話は現在どうなっているかなどを書きなぐったような駄文で、読み飛ばしても支障のないように心掛けて執筆を続けたいと考えています。


~幕間~ 番 一の備忘録

 (ばん) (はじめ)は幼少の頃からウマ娘が好きだった。そのきっかけは単純で、速くてかっこいいだった。子供が興味を持ち好きになるきっかけなんてこんなものだ。やがて中学生になり、修学旅行で北海道に行った。思い返す度に、ここが人生のターニングポイントだと今でもはっきりと感じる。

 ウマ娘を見た。それは、修学旅行の自由行動中。班員全員の行きたい場所が見事にバラバラだった。そこで、集合時間を決め、それまで各々別の場所を観光しに行った。そして見事に迷った。うっかりバスの中で寝過ごし、気が付けばだだっ広い田畑や空き地が広がっている場所に着いてしまったのだ。もちろん焦りに焦った。だが、当時はスマホなんて便利なものもなく、支給品の携帯も班のリーダーにしか持たされていない。どう帰れば良いか分からず辺りに人がいないかを見回した。そこで見つけたのが自分よりも幼い、小学校の低学年ほどのウマ娘を見つけたのだ。

 ホッとしたからか、今すぐ声をかけに行けばいいものをつい見惚れてしまっていたのである。彼女が特別速いわけでも、独特な走り方をしていたわけでもないのに。ウマ娘を生で見たことは幾度となくある。クラスメイトにも何人かウマ娘がいるし、レース場に行けば最速を競い合うウマ娘達も目にすることもできる。珍しい存在ではないのだ。にも関わらず、彼女から目が離せない理由はなんだ。しばらく、何分だったか何十分だったか分からないが彼女をじっと見つめているうちに、はっと気が付いた。

 ずっと一人で走っていることに。それなのに今まで見てきた誰よりも幸せそうに走ることに。

 ウマ娘達は走るのが好きだ。これには勿論例外は存在するが、日本人は几帳面な人種だというレベルではなく、遺伝子的に走ることを好む種族だとまで言われている。そして、そのほとんどは最速を競い合いたい競争心から走るのが好き、誰かに勝ちたいという想いで走っているらしい。しかし、彼女は誰と競っているわけではない。自分の思うままに。移り変わる景色を楽しんで走っているように見えた。

 その姿にときめいた。気が付けば口を開けっ放しに彼女が走っている姿を眺めていた。この光景が、トレーナーを志すようになったきっかけだと今になって思う。

 結局、その後彼女が休憩するまで眺めており、そこでようやく本来の目的を思い出した。すぐさま彼女の所へ駆け寄りいきなり声をかけたせいか、見知らぬ人に声をかけられたからか警戒していたが、単刀直入に迷子であると伝えると、彼女は「お兄さんなのに迷子になるんですね」と笑い、年相応の可愛らしい笑顔を見せた。彼女は近くにあった民家に両親を呼びに行ってくれた。彼女が事情を話すと父親は膝を叩いて大笑いし、母親は「主人がごめんなさいね。ここ娯楽が無いからこんなことでも面白いのよ」と上品に笑みを浮かべた。

 その後、自宅に招待され自家製の沢庵や人参の煮っ転がしを頂いた。野菜の美味しさに気付いたきっかけもこの時だった。美味しい食事を頂いた代わりに中央のレースはどんな様子か、東京にはどんなものがあるかを彼女に話した。両親も長いこと東京には来ていないそうで興味深げに話を聞いていた。

 そうしていつの間にか一時間が経っていることに気付き、慌てていると父親は年期の入った軽トラを指差し「送ってやるよ」と言ってくれた。彼女たちとの別れを惜しみつつ軽トラに乗り込んだ。

 

「また、来いよ。まぁ、こんな所寄ること無いか」

 

 父親は豪快に笑いながら軽トラを走らせ、集合場所にまで送ってくれた。「よくこんな所からうちまで来たな」とニヤニヤと笑っていた。土産にと先ほどの沢庵や、野菜を持たせて降ろして貰い、走り去る軽トラが見えなくなるまで手を振り続けた。

 

 

 

 修学旅行は無事に終え、地元に帰ってきてからも北海道で出会ったあのウマ娘の走りが忘れられなかった。寝る前や、退屈な授業中、ふとした拍子にあの光景が蘇っていた。そして想像の中の彼女はレース場を駆け、他のウマ娘を置き去りに、周りに視線を向けることなくゴールの更にその先までも延々と楽しそうに駆け抜けていく。そんな姿を。

 

 

 

 そして、ある時決意した。トレーナーになろうと。純粋にウマ娘が好きだった。レースで走る凛々しい彼女達の手助けをしたい。そして、もう一度彼女のようなウマ娘に会いたい。

 そう考え、高校に進学後はトレーナーになるための勉強にのめり込んだ。トレーナーになる為に必要な資格であるトレーナーライセンスは中央のライセンスか地方のライセンスで合格率が桁違いである。地方トレーナーライセンスの合格率は約30%程度と、司法試験と同等か、やや低い程度と言われている。しかし、中央トレーナーライセンスは桁違いに合格率の低い資格で、合格率は常に10%以下。一桁になる年も珍しくなく、地方トレーナーライセンスを取ったからといって合格するとは限らず、合格者が出ない年もあったらしい。そのため、慢性的なトレーナー不足が問題となっている。

 元々勉強は苦手だがトレーナーになるためにクラスの優等生に頭を下げ学校の勉強の要点を叩き込んで貰った。

 トレーナーは専門知識だけでなく一般教養も必要になる。それはウマ娘は学生であり、基本的にトレーニングに多くの時間を取られて勉強に時間を確保することが難しい。そんな時にウマ娘にとって最も身近になるトレーナーもある程度の勉強を教えられるようにする為にも知識が必要とのことらしい。とはいえ、近年では業務量が多すぎると問題になり、教師が特別講義を開くことや、勉強に不安のある娘に向けた基礎学習センターという施設の設置により分業化されてはいるが、それでも不要になるという訳ではない為、現在でも中央トレーナーライセンス試験の一次試験には5教科、いわゆる国数英理社を2日間かけて行われている。その後に専門知識を問われる二次試験、最後に学園理事長などの役員直々に面接を行い、適性を認められてようやく合格となる。しかし、まだトレーナーを名乗れないのだ。実際にトレーナーや学園の職員の元で実習を経てようやくトレーナーバッジが与えられるのである。余談だが、トレーナーを育成する専門学校では講義の中で実習を行う為、実習は免除される。

 人生の中で最も努力した期間だったが、高校3年間では地方トレーナーライセンスしかとれなかった。

 それでも諦めきれずに大学へ進学後もトレーナー試験を受けようと決意した。トレーナー専門学校には行かなかった。正直悩みに悩んだ。初めは何の疑問も持たず専門学校へと進むことを考えたが、そこでふと思ったのだ。トレーナーにさえなれればいいのかと。トレーナーとして、彼女達に接するうえでその狭い世界の知識だけで接していいのかと。そう考えて情報系の大学へと進学した。彼女達のデータを分析してより良いトレーニングを作れるようになれる。今考え直すと随分安直な選択だったと自分でも思う。だが、この選択に後悔はない。情報処理だけではなく、心理学や歴史についての講義も選択して受講することが出来た。この経験が活きているかは甚だ疑問だが、無駄にはなっていないだろう。

 そして、大学一年目にして遂に中央トレーナー試験に合格した。正直、大学4年間をつぎ込む心積もりだったため随分とあっけなかった。

 その後はトレセン学園で備品の整備や掃除などの雑務を行いつつ時折ウマ娘と交流をしながら研修を終え、晴れて中央トレーナーライセンスを取得した。金色に輝くトレーナーバッジを理事長から受け取り、早速胸元にバッジを付けるとその輝きを誇らしく感じた。それを見ていた理事長はうんうんと満足気に頷いていた。「期待!これからの活躍に期待しているぞ!」とバッと開いた扇子には『見事!』と書かれていた。当時は随分と使用する場面が限定的だと感じた。

 そうして大学3年の3月に中央トレセン学園で働くことが決まった。いわゆる内定を貰ったのだ。トレセン学園は常に人手不足であり、トレーナーライセンスさえ持っていれば、面接でよっぽど常識外れの態度を取らない限りほぼ内定が決まっているようなものだ。と面接を担当していた理事長は笑いながら話していた。面接とは名ばかりで、座談会のようにウマ娘のことを熱弁していたらその場で「合格!」という宣言と共に内定承諾書を渡された。周囲からは非常に羨ましがられたが、今まで苦労してきたのだ。就職は楽させてもらって良いだろう。

 

 

 大学卒業後、晴れてトレーナーになった。とはいえ、いきなり担当ウマ娘を持つトレーナーは稀だそうだ。トレーナーは基本的に1人で数名のウマ娘を担当する。初めてウマ娘を担当するトレーナーはマンツーマンで3年間のトウィンクルシリーズを走らせ、その後徐々に担当ウマ娘を増やしてゆきチームを作ることが基本的な流れだ。しかし、何のノウハウも持っていない新人トレーナーにはやや荷が重い。そのうえ、ウマ娘達も自分の人生をかけて走るのだ。命を預ける相手と言っても過言ではないトレーナーは当然信頼できる熟練トレーナーに担当してもらいたいのだ。その為、新人トレーナーがスカウトしても断られることがほとんどであるらしい。だから基本的にはチームをまとめているベテラントレーナーの元でサブトレーナーとしてノウハウを学び、その後独立したり、チームを引き継ぐというのが一般的だ。

 勿論いきなりウマ娘を担当することは考えておらず、チームのサブトレーナーとして経験を積もうと考えていた。

 そして幸運なことに、中央の中でもエリートチームであるリギルと鎬を削り合っているスピカのトレーナー、沖野氏に気に入られ意気投合して沖野氏の行きつけのバーでサブトレーナーとして働いてみないかと打診され、二つ返事で了承した。「じゃあ、契約料ってことで…奢ってくれない?…やっぱダメ?」と言われ、ジョークではなく真面目な顔で「あいつらの忘年会費で本当に金が無いんだ」とギリギリ自分が飲んでいた一杯のカクテル代が払える小銭しか入っていない財布を見せてきた。大した金額ではなかった為快く了承した。沖野氏はバーを出た後も「ありがとう」「埋め合わせはする」「本当に助かりました…」と何度も頭を下げていた。ちょっと選択を誤ったかもしれないと不安になった話は今まで本人には伝えていない。後日それをリギルのトレーナーである東条氏ががみがみと説教をしていた。まるで鬼嫁に尻に敷かれる旦那のようだと思ったが口には出さなかった。

 

 

 スピカでサブトレーナーとして働いていた3年間は毎日が刺激的だった。自由にウマ娘を走らせる方針や奇抜なトレーニングなど、最初の1年間は驚きの連続だった。砂浜での勉強会は正気かと疑い、ほいほいとウマ娘の脚に触りに行き蹴られて帰ってくる沖野氏を見て、狂人だと確信した。しかし、自分自身もマッサージなどでウマ娘の脚を触り、確かに良い脚のウマ娘を触りたいという欲求が沸き立つようになった。今では自分も道行くウマ娘に「脚を触らせてくれないか」と聞きまわる沖野氏と同じようなことをするようになってしまっていた。スピカに所属している奇行で学園中を騒がせているゴールドシップにも「あたしも大概ヤベーと思ってるけどよ、お前らが何の躊躇いなく脚を触りに来るアレはあたしでもヤベーと思うぞ」と真顔で言われた。

 

 

 

 沖野氏の元でサブトレーナーを勤めて3年目になった。そこで沖野氏がスピカのメンバーと相談していた計画を話した。「来年、メンバー全員で海外に行く」

 これはトレセン学園の歴史の中でも前代未聞の試みだ。だが不安は無かった。むしろこれからの自分がどうするかの方が不安だった。彼らなら海外でも、活躍してくれるだろうと確信していた。「お前はもう大丈夫だ。俺たちが海外行ってる間にウマ娘と二人三脚、一人前になっててくれよ?」と肩を叩かれた。

 

 

 

 

 

 

 そして季節は夏になり、スピカも夏合宿が始まった。とはいえ、7月にメンバー全員がドリームトロフィーリーグのサマードリームトロフィーに出走する為、調整の為のごく短い合宿を経てそれぞれ好成績を収めた。その後は休養期間として海辺で思い思いの休暇を過ごしていた。そして、沖野氏からも「来年から忙しくなるんだ。今のうちに休むなり、目ぼしい娘を探すなりしておけ」と暇を出された。

 

 

 

 

 

 

 8月某日、夏合宿に参加していない学園に残ったトレーナーのついていないウマ娘達を観察していた。どの娘も素質は持っている。だが、闘志が感じられない。

 強くなりたい、けどどこか勝つことを諦めている。そんな娘が多いように感じる。ここ最近はキタサンブラックとサトノダイヤモンドの強さが圧倒的でその2人以外に名前を連ねる存在がいなかった。だからこそ勝つことを諦めてしまう娘が多かった。どうにか新たに新時代を切り開けるような、ウマ娘達を先導してくれるような絶対的な英雄が現れないかと。

 気分転換に付近の河川敷を歩いていると、中々に仕上がったトモをしているウマ娘を見つけ、つい無意識に触ってしまっていた。まずいと思った瞬間に悲鳴と共に後ろ蹴りが飛んできて目の前が真っ暗になった。

 意識を失ったのは一瞬だったようですぐに蹴り飛ばされた事に気が付いた。目を開くと艶のある長い黒鹿毛をなびかせヘルメットを被っているウマ娘が介抱しようとしてくれていた。

 この邂逅は、今後の人生の運を全て使ってしまったかと思うほどの運命的な出会いだった。




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