《こちら、AI『モス』。リカバリーキャットが、巨人をテレポートで蛇腔総合病院背後の山に降ろす予定です。エンデヴァー。マニュアル。イレイザーヘッドは、至急そちらへ向かって下さい。連合と解放戦士の一人も一緒です》
その一報を、通信回線に割り込んだモスから受けて、蛇腔総合病院の周辺地域にある複数の格納庫で眠る脳無達の脳を、ナイフで切り裂く作業を一瞬止めた。
マイクの指向性拡声器で円柱型のカプセルを割り、脳無を引き
「行けよ。イレイザー」
「わかった」
「先に行くぞ」
「はい」
しかし、マニュアルと共に追いついた時には、轟の炎と蒼い炎を身に纏う男が空中戦を繰り広げており、巨人はベストジーニストに縛り上げられていた。さらに、自分の“個性”を使えば、蒼い炎を纏う男だけでなく、轟の炎も消してしまう。
だから、敵を転落死させないためにも、一度ビー玉に収納されるしかなかった。
《こちら、AI『モス』。リカバリーキャットとルミリオンが、連合の面々を確保しました。これにて、超常解放戦線所属の者、全員確保完了。お疲れ様でした》
その報告を聞き終わらないうちに、包帯を巻いた姿のリカバリーキャットが気を失い、もう1台救急車を呼ぶ事になる。ルミリオンが彼女の荷物を地面に降ろし、モスの説明でマニュアルは彼女の傷口を洗浄し、俺はボストンバッグに入れてあるという医療キットで、応急処置をしていった。その途中で、膝元に転がってきたビー玉をリュックの中に入れるよう、ルミリオンに。火傷したショートを抱えてきたネジレチャンに、救急車をさらに1台呼ぶよう指示して、担架が来るまで出血が酷い後輩の傍らで待機する。
「…エンデヴァーはどうした? あそこで棒立ちして、全然動かないんだが」
《原因となる動画と録音のデータを、プレゼント・マイクとイレイザーヘッド。エンデヴァーとマニュアルのスマホに転送しました。後で視聴して下さい》
「わかった。…エンデヴァー。……マニュアル。彼の顔面に水をかけてくれ」
「え!? わ、わかりました。失礼します!」
「ぶっ!? げほっ! ごほっ! っ…。何をする!」
「貴方に何があったか判りませんが、一段落しました。ここはベストジーニストに任せて、格納庫破壊に戻りましょう」
「……そうだな」
全面戦争は、ヒーロー側の勝利に終わったが、まだやるべき事がある。
明らかに放心状態で動揺しているエンデヴァーに話しかけ、まだマイク達がいるであろう格納庫に戻って単調作業を再開し、全て終わったのは、その日の昼下がりだった。そこから、警察と連携して終結させ、徒歩で2時間半の場所にあるセントラル病院へ向かう途中、モスから暗号化されて送られたEメールに添付されたデータを開き、荼毘の暴露動画を視聴する。
荼毘の正体は、エンデヴァー家の長男。
轟トウヤ。
プロヒーローを2人殺害し、轟家の家庭事情を淡々と告げていく。
「……相澤」
「言うな。山田」
もし、俺の推測が的中していれば、猫橋が去年受け取っていたあの手紙は、荼毘。もとい、轟トウヤのもの。
「…猫橋は、知っていたのか? 彼が生きている事を」
「知ってたら、赴任早々、俺のラジオであんな事言わねェだろ」
「……そうだな」
11ヵ月前に放送された内容を、俺も覚えている。
(この放送を聞いて、彼の事情を知っている方々。生きてるほうに賭けるって方々は、どうか、彼が真実を告げるまで口を
彼女がラジオを通して先に箝口令を敷いた事で、好奇心を沸き立たせ、憶測を呼ぶ。自身が知る肝心の情報を伏せ、小出しにし、強制的にその日まで蓋をされる。
そして、今、公になった情報を全て紐づければ、誰でも結論に容易に辿り着ける。
リカバリーキャットの婚約者が、轟トウヤだと。
「あの…。こんなの見つけました」
マニュアルがスマホの液晶画面に表示して俺達に見せたのは、書きこみができるネット掲示板だった。そこには、早速彼と彼女を知る者が、幼稚園から小学生時代にかけて様々な話を列挙していた。まるで、堰が外れたようにずらずらと。
踏み外した原因を作ったのは、言わずもがな、エンデヴァーだ。
(新婚旅行は?)
(考えてません。彼の仕事の都合がつくか、分からないので…)
新婚旅行を考えていない事も、相手の仕事も、『婚約者が
「録音、聞くか?」
「…ああ」
婚約者の正体を隠すのも、香山先輩に写真を見せるのを拒んだのも、それで全て筋が通る。そして、脅迫メールを送られた事で、家族や職場に被害を出さないために秘密を貫き通した。
俺達が有線イヤホンを耳に装着したのを見計らって、3人同時に再生ボタンを押す。
それは、荼毘と呼んだエンデヴァーに、自身がトウヤだと告げるもので、『未来に目を向けていても、過去は消えない』という内容だった。そこまで黙って聞いていた彼女が小さく笑う声が拾われ、肌が焼け爛れた荼毘を実子だと判らなかったエンデヴァーを嘲笑し、彼女もエンデヴァーが憎かったのだと十分印象づけた。
セントラル病院に到着した時、すでに辺りは暗くなっており、スマホで時間を確認すると18時を半分ほど過ぎている。
受付で必要な問答を済ませ、リカバリーキャットの病室の前に辿り着き、コンコンと数回戸を叩けば、男性の声が入室許可を下した。そこには、若い男と猫の姿の少女。和装の猫と洋装の猫がおり、四人が揃って俺達に会釈し、こちらも返す。
「初めまして。陽の祖父で、椿と申します」
「…初めましてじゃないですよ。椿さん」
「そうだったね…。でも、プロヒーローになった君達に会うのは、初めてだよ」
山田が声を震わせて彼に言い、事情を知らないマニュアルは、俺と椿さんを交互に見比べて、視線で疑問符を投げかけた。
「学生の時、会った事があるんだ」
「なるほど」
短く説明して、ベッドの上で点滴に繋がれ、酸素マスクが装着されて眠っているリカバリーキャットに視線をやる。ご家族の話によると、手術は1時間半前に終了して、後は麻酔が切れて目覚めるのを待っている状況だと言う。早くても30分後だろうと見積り、その間に彼女が怪我を負った理由を口頭で説明した。
「リカバリーキャットは、単独で
「待って下さい。荼毘って、トウヤさんの事ですよね。あの人が、姉さんを脅迫した? 何か理由があるはずです」
緑色の瞳の縁が黄色になっている若い男が、俺の説明を否定し、『荼毘』ではなく『トウヤさん』と親しげに呼んだ事で、猫橋家と関係があると暗に示している。
「…理由がなんであれ、彼が脅迫した事は判っていますので、リュックに入れられているビー玉を、我々に渡して下さい。そこに
「はい。トウヤ君は、
そう告げたのは、すでに手中にビー玉を持っている洋装の猫の方だった。
声音から、リカバリーキャットの祖母だろう。
「超常解放戦線の幹部、スケプティック。本名、近属友保。“個性”、
「ご協力に感謝します」
「荼毘。…轟トウヤを庇わないんですね」
「ええ。トウヤ君は人一人殺害してますし、全て終わった後で主人が説明するから、それまで待って頂戴」
「もう終わってますが、まだ何か?」
《椿さん。小雪さん。盗聴の心配は無用です。群訝山荘での戦闘中に、荼毘の“個性”によって、スケプティックが仕込んだ端末が壊れました》
どこからか声を発した人工知能が会話に割って入り、人の心情を汲み取った内容に俺達3人は、驚いて声が出ない。片や、彼女はさも当然のように、『あら。そうなの?』と言って、話を続けると予想したが外れる。彼女が視線をやったのは夫の椿さんで、察して我々に説明した。
「神野の悪夢で映った、黒い
「どうして、断言できるんですか?」
「長年記録し続けた結果だよ。彼の“個性”が、相手の“個性”を奪い、他人に与えるという噂と、強欲で自己中心的な性格から鑑みた」
長年というのがどれほどの期間か判らないが、猫橋家はただの医者であるのにも係わらず、本業の傍らで情報収集に励んでいた事を知る。
「それが、荼毘と関係ありますか?」
「あるよ。トウヤ君は、彼と、秋に捕まった殻木球大に繋がる孤児院で、3年間昏睡状態に陥っていたから。彼らは、孤児や表向き行方不明になった子供を対象に手元に集めていた。トウヤ君も、強行手段でそこから出奔しなきゃ、脳無の素材にされてただろう」
『……』
脳を弄られ、脳無にされた白雲の姿が浮かび、今になって被害者の一面が出てきた。
「ここから先は、二人を警察に引き渡した後に話そう。あのビー玉が外の音も拾うなら、お喋りはここまでにしておく」
「…わかりました。では、小雪さんに質問します。スケプティックの詳細な情報を知ったのは、貴女の“個性”ですか?」
「ええ。このおかげで、色んな事件を解決に導けたわ」
「事件?」
「私、元警察官なの。ついでに言うなら、あの圧縮の“個性”を持つ、ミスター・コンプレス。迫圧紘が、麻酔から目覚めてこれを解く。時間は…、あと10分。陽と同じくらいね」
兄にリラと呼ばれた少女は、こちらに会釈をしたものの、ずっと姉の手を握って微動だにしない。さらに、椿さん達が、荼毘を庇う理由は判らないものの、まるで彼が無罪だと言っているようで居心地が悪い。
「貴方達が庇うのは構いませんが、荼毘が所属する
「そうなるね」
「ッ…!」
いくら『理由を後で説明する』と言われても、あの時の生徒達の心情を思えば、怒りが沸いてくる。正直、自分の名前と暗号を渡してきた後で十数年放置されれば、不信感も募った。しかし、孫娘のリカバリーキャットが暗号を解く鍵になり、今は、全ての答えを握っている椿さんに託すしかない。
怒気を察した老夫婦は、耳や尻尾を動かして緊張した面持ちを見せながらも、俺達が落ち着くのを待って下さった。
「…勘違いしないで欲しい。目を瞑って欲しいと思ってるのは気持ちだけで、相応の罪を償うべきだとちゃんと考えてる。専門家じゃないから、裁判でどうなるかは判らないけどね」
「……先ほど、荼毘が重篤と言われましたが、私は過去に交戦しています。焼け爛れた皮膚に、焦げた臭い。“個性”と体が不釣り合いで、どう見ても無理をしている」
「うん……。あれだと、内臓も辛うじて機能してる状態で、五感のうち鈍化しているのは、触覚、味覚、嗅覚の3つだろう。身体機能が低下すれば、当然、“個性”因子にも影響が出る。つまり、気力で生きてるに等しい」
「いつ死んでもおかしくない、と。……。危篤のほうが正しいのでは?」
「危篤は、死が目前に迫って、回復する見込みが薄い状態。対して、重篤は、危篤ほどじゃないけど、命の危険がある予断を許さない状態。陽がつけていたノートを見れば、脈拍低下や呼吸微弱になっているとは書かれていない。トウヤ君の体は、今のところ、まだ安定してる」
何かが原動力になって、荼毘のか細い命を繋いでいるとしたら、それは父親への復讐心だ。
本人には悪いが、リカバリーキャットは荼毘にとって人生のおまけだろう。十数年間、婚約者が生きていると信じ続け、健気に待ち続けて、尽くして、最後には捨てられる。婚約指輪も結婚挨拶も、ただの演出。あんなに嬉しそうに山田のラジオで報告して、俺達に挨拶が成功したって言ってたのに、可哀想な後輩だ。
「イレイザーヘッド」
「は、い…」
返事が一瞬途切れたのは、リラさんが烏賊耳になって鋭い眼光で俺を睨み付け、僅かに開いた口元から牙を見せ、尻尾を大きくバタバタと振っていたからだ。彼女が怒っているのは明白だが、生憎、そうなった理由に心当たりは無い。
「もしかして、トウヤさんの事で失礼な事を考えてませんか?
「私は、トウヤではなく、荼毘として。
「躊躇があったほうが、まだ善人寄りで救いがありますからね。それに、貶めているんじゃなくて、ただ
大人しい第一印象だったリラさんが、怒りが赴くままに我々に捲し立て、ヒーローに対して不信感を募らせている事を明かし、まるで、俺達もそうだと言わんばかりに責める。
「でも、姉さんとお母さんは違う…! たとえ、相手が
「“個性”を悪用し、時として人命を奪うから、彼らは
意見を交わしたところで考え方は平行線のまま、険悪な空気になり、リラさんが叫んだ矢先、手元のビー玉が発光と共に人の形に変化した。長髪の男と荼毘を一気に捕縛布で縛り上げ、猫橋家の視線が継ぎ接ぎ男に注がれる。彼は会釈し、すぐに視線をキャットに移した。
麻酔が切れたが、目覚めない彼女を黙して見る荼毘をよそに、すぐにマニュアルが水を指先から発生させて、瞬きによる抹消の“個性”が消えないようにし、退室の準備を始めた。
「…行くぞ。マニュアル。マイク」
「はい。…失礼しました」
「失礼しました。…またな。キャット」
マイクの言葉に、彼女は答えない。
誰も声をかけないまま、俺達は病室を後にした。