論文コンペ
十月になった。
市丸は今、校門から駅までの途中にある、割と本格的な店構えの喫茶店、達也たちはそろそろ常連扱いを受ける程度には足繁く通っている店に、達也たち八人と一緒に腰を落ち着けていた。
この間に第一高校の生徒会は七草から中条あずさという女子生徒に代わった。はっきりと言って格としては随分と落ちたような気がするが、十師族の直系など、現在、第一高校の生徒全員を見渡してみても、前生徒会長の七草と前部活連会頭の十文字の二人しかいないのだから、仕方がない。
そして、市丸にはあまり関係がないが十月には論文コンペというものがある。論文コンペの正式名称は、日本魔法協会主催「全国高校生魔法学論文コンペティション」。
全国高校生、といっても、正規の教育課程で魔法理論を教える高校は魔法大学付属高校の九校以外に無い。この論文コンペも実質的には九校で競う催し物であり、九校戦が「武」の対抗戦であるとしたら、論文コンペはこれと双璧をなす「文」の九校対抗戦と言える。
もっとも大選手団を派遣し、非魔法師が観戦しても楽しめる九校戦と違って、論文コンペの参加者は各校三名と少数で、非魔法師には内容がさっぱりだ。そのため論文コンペの注目度は一般にはあまり高くない。とはいえ、魔法師界では注目がされている行事であるらしい。その論文コンペの参加者として、これまた異例ながら達也が選ばれた。
今年の論文コンペのメインの執筆者は前生徒会会計の市原。そしてサブの執筆者として九校戦でも活躍し、新生徒会では会計となった五十里、そして最後の一人として達也という布陣となったようだ。
「えっ? 達也、論文コンペの代表に選ばれたんだ?」
そのことを伝えたときの吉田の反応が、このセリフだ。当事者の達也と深雪、そして市丸を除いた他の五人は目を真ん丸にして驚きを表していた。しかし、市丸はそれほど意外感を抱かなかった。
達也は九校戦でも卓越した能力を示していた。本来の達也の専門からは外れていると思われる古式魔法の幻術の効果を高めた衣類を、僅か一日のうちに用意して吉祥寺の魔法への対策を施し、格上の相手に対して個人の戦いとしては勝利に導いた事例などは、浦原を彷彿すらさせた。実践力も備えた知識を有する達也ならば余程、専門外の分野でなければ力を発揮できるだろう。
「でも、論文コンペの代表って、全校で三人だけじゃないんですか?」
「まあね」
目を丸くしたまま問いかけた柴田の質問を、達也があっさり肯定する。それを見た二人の表情は対照的であった。
「まあね、って達也くん、感動薄すぎ」
絶句する柴田と呆れ顔の千葉。その隣でレオが楽しそうに笑っている。
「達也にしてみりゃ、その程度は当然、ってこったろ」
「一年生が論文コンペに出場するなんてほとんど無かったことだよ」
「皆無でもないんだろ? 職員室だって、インデックスに新しい魔法を書き足すような天才を無視できるはずねえって」
北山の反論に笑顔のままレオが再反論する。
「天才は止めろ」
「達也さん、本当に天才と言われるのがお嫌いなんですね……」
「都合の良い言葉だから」
皮肉その他の他意も無く不思議そうに問い掛けた光井に、達也でなく深雪が答えた。
「光井、達也に才があるのは確かやろ。けど、それだけで卓越した能力を得ることはでけへんで。覚えとくとええ。憧れは理解からは最も遠い感情やで」
光井が達也に向ける感情の元は憧れである気がしてならない。このままでは、藍染に利用された誰かのようになってしまう気がしてならない。そうでなくとも、光井の思いが叶う可能性は低そうなのだ。この手の少女はそのときにどうなるか不安だ。
「なんだか妙に実感が籠った言葉だったな」
「達也も感じたことあるんやない?」
「いや、やっぱり凄いよ!」
市丸と達也の間に怪しい空気が流れ始めたところで、吉田がそう切り出してから力説を始めた。
「あの大会の優勝論文は『スーパーネイチャー』で毎年取り上げられているし、二位以下でも注目論文が学会誌に掲載されることも珍しくないくらいだよ」
スーパーネイチャーは、現代魔法学関係で最も権威があると言われているイギリスの学術雑誌のことだ。市丸も名前だけは知っている。というか、現代魔法の勉強のために読んでみたことはあるのだが、内容はあまり理解できなかった。そのスーパーネイチャーを達也と深雪だけでなく、吉田と北山も購読しているらしい。
この件に限らず、魔法科高校の生徒たちは非常に勉強熱心だ。死神たちは鍛錬には励んでいても、理論などはそれが好きな人間に任せきりという傾向があった。今の魔法科高校の生徒たちの有り様は新鮮であるとともに、それが先行し過ぎた結果、戦闘力自体があまり評価に反映されない今のような状態にとなったのではないかと思わなくもない。
「あっ、でも……もう余り日がないんじゃなかったっけ?」
「学校への提出まで、正味九日だな」
「そんな!? 本当に、もうすぐじゃないですか!」
「大丈夫だよ。俺はあくまでサブだし、執筆自体は夏休み前から進められていた」
光井が顔色を変えて達也のことを案じる。
「心配せんでも、達也なら無理と思えば事前に断っとるよ。無理と思うものを情で引き受けるような性格やないやろ?」
「市丸、それは評価されているのか貶されているのか、どっちなんだ?」
「さあ、どっちやと思う?」
まあ、答えはどっちもであるのだが。そして、達也もそれくらい気付いているはずだ。
「しかし、随分急なお話ですね。何かトラブルでもあったのでしょうか?」
「サブの上級生が体調を崩したらしい」
深雪の問いに答える形で達也の語ったところによると、本来のサブの執筆者は平河小春という三年生だった。だが、平河はエンジニアとして参加したミラージ・バットで、小早川のCADに仕掛けられた妨害工作に気付くことができなかった。それで、自信を喪失してしまったらしい。九校戦の折の何とかとかいう犯罪シンジケートの行動が思わぬ形で影響を与えたということだ。
「それはお気の毒ですが、それにしても急すぎはしないでしょうか。確かにお兄様ならば、いきなり論文作成のチームに加われと言われてもすぐに対応できるのですから、適切な人選とは思いますが」
達也は無理であれば断るだろうが、頑張れば可能なら受けてしまう可能性がある。そのことは深雪の方が良く知っている。それだけに兄が忙しくなるのが心情として納得ができないのか、不服そうな様子を見せる。
「そうでもないさ。市原先輩の選んだテーマが俺の全く知らない分野だったら、さすがに遠慮させてもらったよ」
「それで、何について書くんだ?」
達也が参加したことになる論文のテーマを、レオは好奇心も露わに身を乗り出して質問した。
「重力制御魔法式熱核融合炉の技術的問題点とその解決策についてだ」
「……想像もつかねえよ」
全くの同感である。
「……随分と壮大なテーマだね。それって『加重系魔法の三大難問』の一つだよね?」
吉田は内容が理解できているのか、難しそうな顔で呻っている。
「達也さんが呼ばれたのですから、CADプログラミングの論文だと思ってました」
吉田の隣で意外感を表明したのは柴田だ。
「あっ、私もそう思った」
「啓先輩もメンバーに入ってるからねぇ、あたしもそのテーマなら、優勝間違い無しってくらい、凄いのができると思うんだけど」
北山と千葉も柴田と同意見のようだ。市丸は達也の正確な技量自体はよくわかっていないが、九校戦で抜群な成績を残したという実績から、少なくとも高校生の中では勝てる相手はいないはずだ。
もっとも、CADのプログラミングは実用的ではあるが、学術的な意味は低そうだ。加えてCADのプログラミングがテーマとなれば達也がメイン担当とならざるを得ない。それらを考えると、市原のテーマの方が適当だろう。
こうして達也は翌日から論文コンペの準備に向けて邁進を始め、市丸は特に普段と変わらぬ日々を過ごしていくことになった。