学校への論文コンペの原稿提出を目前に控えた日の放課後、風紀委員会本部で達也は五十里相手に、昨晩、不正アクセスを受けたということを話していた。
「……それで、被害は無かったのかい?」
「それは大丈夫です」
心配そうに身を乗り出した五十里の身体を押し止める様に両手を前にかざして、達也は苦笑気味に首を振った。
「それより、五十里先輩の御宅は大丈夫ですか?」
「それってもしかして、クラッカーの狙いは……」
「クラッカーのコマンドを見ると、どうやら魔法理論に関する文書ファイルを狙っていたようです。時期的に見て、コンペ絡みの可能性は否定できません」
時期的に、と言えば実はもう一つ心当たりがあるのだが、ここでは開示できない。
「それで、そういった件は昨日が初めてなん?」
「俺としては風紀委員会本部に市丸がいることが不思議なんだがな」
「今日は論文コンペに向けて執筆者の警護を強化するにあたり、ボクにも協力して欲しいて言われたとこや」
「そういうことか。それで、最初の質問だが、今回のような攻撃を受けたのは初めてだ」
実際は、別件で何度か攻撃を受けたことがあるのだが、それもここで開示ができることではない。
「その話、市原先輩にもしておいた方が良いね」
達也も元よりそのつもりだったので、五十里の提案に即、頷いた。
「啓、お待たせ~」
そこへ語尾に音符が踊っていそうな上機嫌で新風紀委員長である千代田花音が風紀委員本部に入室してきた。
「達也くん、久しぶりだね」
苦笑交じりに声を掛けてきたのは、花音と一緒に入ってきた摩利だ。
「渡辺先輩、市丸に執筆者の警護の依頼をしたと聞きましたが、正気ですか?」
「それは私じゃなくて現風紀委員長の花音に言うべきだろう?」
「どうせ渡辺先輩の発案なのでしょう?」
「私は案の一つとして言っただけだ。採用したのは花音だからな」
言葉だけ聞くと責任逃れのようにも聞こえるが、これは花音に風紀委員長としての自覚と責任感を持ってほしいという想いから出たものだろう。
「それで市丸の警護への参加についてだが、私は市丸は危険に対する嗅覚がずば抜けていると考えている。その上で実力に加えて対応力もある。性格面での不安はあるが、それを差し置いても市丸は護衛に適任だと思っている」
そう言われてしまうと、達也にも渡辺の言葉を否定することは難しい。実際、市丸は実力という面では達也ですら文句をつけられないレベルだからだ。
「それで、風紀委員会が担う警護の範囲はどのくらいになるのですか?」
「魔法協会がプロを手配する会場の警備以外だ。チームメンバーの身辺警護とプレゼン用資料と機器の見張り番とかだな。論文コンペには『魔法大学関係者を除き非公開』の貴重な資料が使われるが、そのことは外部の者にも結構知られている。その所為で時々、コンペの参加メンバーが産学スパイの標的になることがあるのだよ」
「ボクは実力行使以外は、さっぱりやから、そっちは達也が何とかしてくれん?」
何となく感じていたが、市丸はネットワークのセキュリティの知識には乏しいようだ。
「所詮は高校生のレベルだからな……スパイと言っても、チンピラが小遣い稼ぎを企むくらいでネットワークに侵入なんて大それた真似をしでかした例は聞かないが……」
「達也の場合、それくらいする価値あるて思われても不思議やないんちゃう?」
現代において、ネットワークの不正侵入はそれだけで重罪だ。ネットワーク内の情報の窃取は強盗よりも重い刑罰が科せられている。データの改竄は殺人未遂と同レベルだ。けれど、達也の場合は九校戦の際に名前を売ってしまったので、ありえない話ではない。
「むしろ警戒すべきは、置き引きや引ったくりだ。四年前には、会場へ向かう途中で襲われて怪我をした例もある。それが各校が、コンペ開催の前後数週間、参加メンバーに護衛を付けるようになったきっかけだな」
「それで襲撃者の腕ってどのくらいなん?」
「そっちも基本的にはチンピラ程度だ。間違っても、いきなり腕を斬り落としたりなんてするんじゃないぞ」
「そないな非常識なこと、せえへんよ」
どの口が言っているんだと、皆が目で語っているが、いつものごとく市丸は柳に風と受け流している。
「当校でも毎年護衛を付けていて、護衛のメンバーは通常は風紀委員会と部活連執行部から選ばれているが、具体的に誰が誰をガードするかについては当人の意思が尊重される」
「それは、市丸が護衛に付くことを了承した人がいるということですか?」
五十里は花音が護衛もといべったりと張り付いて離れる様子がない。となると、残るは達也と市原しかいない。これで市原が了承してないとなると、達也のところにやってきてしまう可能性がでてくる。
「そういう手もあるな。君に普通の護衛を付けたって壁役にしかならんだろうし、むしろ足手纏いになる可能性の方が高いからな。だが、市丸ならば役立ってくれるだろう?」
「謹んで、遠慮させていただきます」
「そうか、ならば市丸には予定通りに市原の護衛に付いてもらうとしよう」
そう決まっていたのなら、最初から聞かないでほしいと思ったが、渡辺を喜ばせるだけとなりそうなので黙っておいた。取り敢えず市丸が市原の護衛に付くのならば、達也には害はない。そのまま達也には護衛は付けないということで落ち着き、風紀委員本部での話し合いは終わった。
話を終えた後は、五十里と花音と一緒に論文コンペで使用する3Dプロジェクター用の記録フィルムが切れていたため、購入すべく駅前の文具店に向かった。目的の店で買い物を済ませて先に外で待っていた達也は、自分を窺い見る目に気がついた。
達也たちが向かった店は学校から駅への最短経路の途中、むしろ駅前と言っても良い場所にある。駅に張り込んでいれば帰宅途中の生徒を捕捉するのは難しくない。尾行された覚えはないので、待ち伏せしていたのだろう。隠そうとはしているのだろうが、隠しきれていない敵意からして、好意的でも平和的でもない意図を持っているのは間違いない。
どうしようか、と迷っていたところに、買い物を終えた五十里と花音が出て来た。そして、出て来るなり即、五十里は達也の様子が通常と異なると気づいた。
「いえ、どうも監視されているようなので、どうしようかと」
「監視? スパイなの!?」
どうしようかと、の次に「思いまして」を続けようとしたタイミングで、花音が大声で割り込んできた。
それは曲者に対してわざわざ「逃げろ」と呼び掛けているようなもので、案の定、こちらを盗み見ていた視線が外れ、気配が遠ざかっていく。
花音の迂闊な行動を見て、達也は少しだけ市丸に付いていてもらった方がよかったかもしれないと思った。普段は殺傷能力の高い攻撃を繰り出す市丸だが、モノリス・コードで見せたように捕縛の魔法も数多く使用できる。今回のような事態には市丸がいてくれるとよかったかもしれない。
そのような後悔をしていても始まらない。まだ、曲者を取り逃したわけではない。花音は短く方向を訊いただけで、達也が目を向けた方へ迷う素振りも見せず駆け出した。
花音は陸上部のスプリンターでもある。一般的な高校生が相手なら、男であってもそうそう引けを取るものではない。逃げているのは少女で、第一高校の制服を着ていた。
たちまち距離を詰めた花音だったが、少女は閃光弾で時間を稼ぐと、スクーターにまたがり逃走を図る。それを防ぐために五十里が放出系魔法「伸地迷路」を発動した。
逃走を始めたばかりのスクーターの両輪が空回りを始める。しかし、少女はスクーターの左のグリップ脇にある、プラスチックカバーに覆われたボタンを親指で押し込んだ。
突如、シートの後ろが爆発した。
座席後部のカバーが飛び散り、二連装のロケットエンジンが噴炎を吐き出し始めた。
弾き飛ばされたように、スクーターが急発進し、あっという間に達也の視界から見えなくなってしまった。それは乗っている者の安全を度外視した、完全な違法改造だったが、今回はそれが良い方に転んだようだ。
やはり市丸の魔法があったらよかったと思ったが、今となっては後の祭りだ。
達也はこの日は曲者を取り逃してしまった。