西暦二○九五年十月三十日午後三時三十五分。
市丸は会場へと迫る霊圧から状況が切迫していることは察知していたものの、全体の状況となると一般市民の数が多すぎて把握が難しい。まだ、敵はこの場までは迫ってこない。そこで、市丸はまずは藤林の元に向かった。
「や、状況はどないなん?」
「最初は山下埠頭の出入港管制ビルに車両が突っ込んで自爆し、炎上。更に停泊中の貨物船から歩兵用ランチャーが発射されたようです。当該貨物船は登録はオーストラリア船籍ですが、形状から見て機動部隊の揚陸艦と思われるということです」
そこまで聞いたところで轟音と振動が論文コンペの会場を揺るがした。
「正面出入口付近やな。武器は何やろうな」
「擲弾ではないでしょうか」
「正面は協会が手配した実戦経験のある正規の魔法師が担当していたはずやから、通常の犯罪組織レベルなら問題ないはずやけど、それやと少し厳しそうやな。ボクは加勢に向かわせてもらうわ」
市丸がゆっくりと歩く中、敵は迅速にホールへと迫っている。だが、敵が制圧を目指しているのなら、それほど急ぐ必要はないだろう。
「大人しくしろっ」
ホールの扉を開けると同時に男が叫んだ瞬間が好機だ。警戒心がホールの中に向かう隙を狙い、瞬歩で迫った市丸は背後から十人ほどの男たちの首を刎ねた。
男たちの首から鮮血が噴きあがる奥に、ステージ上で発表を行っていた第三高校の生徒の姿が見える。その中の一人、吉祥寺真紅郎が驚いた顔で市丸のことを見ている。今の瞬歩は市丸の全力だった。九校戦のような相手を傷つけてはいけない中での手加減を前提とした中での瞬歩とは同じ瞬歩でも速度は段違いだ。驚くのも当然かもしれない。
「それがお前の全力か……」
達也も同じく驚いている様子だ。もはやこの町は戦場と化していることは、ぱらぱらと消えていく霊圧から明確だ。戦場の空気がここ十六年で少しばかり平和ボケしていた市丸の感覚を鋭敏にしてくれているのかもしれない。
「十文字、これからの避難計画によって立ち回りが変わるけど、どないなっとる?」
「まずはこの場の安全を確保したい。正面入り口の敵の排除はできるか?」
「任せとき」
そう答えて正面入り口の確保に向かおうとしたところで、一際激しい爆発音が会場を揺るがした。無秩序な叫び声と怒鳴り声が混沌と絡み合い、更に人々の神経を削る。
虚と戦うための護廷隊士を育成する真央霊術院の生徒であっても、巨大虚が現れた際には恐慌状態となっていた。戦士として育成されたわけではない魔法科高校の生徒たちでは冷静な対応というのは難しいのは明白だ。しかし、このままではパニック状態となった観客から多数の負傷者が出る事態となりかねない。
「あーちゃん、あーちゃん……中条あずさ生徒会長!」
そんな中、中条新生徒会長を呼ぶ声があった。声の主は七草前生徒会長だ。
「このままだと本物のパニックになるわ。怪我人も大勢出ることになる。だから貴女の力で、みんなを鎮めて」
「でも、あれは……」
「貴女の力は、こういう時の為のものでしょう? 私の力でも摩利の力でも鈴音の力でもない、あずさ、今は貴女の力が必要なのよ」
その言葉を聞いて、中条が何かの覚悟を決めたように首に掛けたチェーンを手繰り、襟元から小学生の手に隠れる程の大きさのロケットを引っ張り出した。中条は留め具を外してチェーンから引き抜いたロケットを左手で握り込み、サイオンを注ぎ込む。
次の瞬間、澄んだ弦の音が最前列から最後列まで、会場を通り抜けた。澄み切った響きは、淀み濁った水しか無い沼地で一滴の雨に出会った旅人が次の雨粒を待って足を止め呆然と空を見上げる様に、次の響きを人々に渇望させ、意識をただそれだけに縫い止めた。
どうやらこれが話には聞いていた中条だけが使える情動干渉魔法「梓弓」なのだろう。
「私は第一高校前生徒会長、七草真由美です。現在、この街は侵略を受けています。港に停泊中の所属不明艦からロケット砲による攻撃が行われ、これに呼応して市内に潜伏していたゲリラ兵が蜂起した模様です」
梓弓により観客が忘我に陥っていた瞬間を狙い、七草が語り始める。
「先刻から聞こえている爆発音も、この会場に集まった魔法師と魔法技術を目当てとした襲撃の可能性が高いと思われます。この会場は地下通路で駅のシェルターにつながっています。シェルターには十分な収容力があるはずです。しかし、地下シェルターは災害と空襲に備えたものです。陸上兵力に対しては必ずしも万全のものではありません」
それから七草は、この場の観客に持ちうる限りの情報を開示していく。それは、この先の行動を己で決めてもらうためだろう。とはいえ、説明にも決断にも少しばかりは時間がかかるはずだ。ならば、まずはそのための時間を稼ぐとしよう。
「相手は対魔法師用のハイパワーライフルを装備しているけど、大丈夫なの?」
魔法師の障壁魔法は、通常の歩兵の火器程度なら無効化してしまう。その対策として魔法師の防御魔法を無効化する高い慣性力を生み出す高速銃弾を撃ちだせるようにしたのが、対魔法師用のハイパワーライフルだ。
「まあ、一般の魔法師用の兵器なら何とかなるやろ」
市丸の魔法力自体は同世代の平均を大きく上回る。障壁魔法の強度もそれなりだ。ただし、使い慣れてはいないため、過信は禁物だ。
到着した正面出入口の前は、ライフルと魔法の撃ち合いの真っ直中だった。
会場内に乱入したテロリストと同じ格好で、突撃銃と対魔法師用のハイパワーライフルで武装している。対魔法師用装備もあってか、ゲリラ兵を迎撃する協会が手配したプロの魔法師も苦戦を強いられている。
「破道の五十八、闐嵐」
さすがに障壁魔法を展開しながら鬼道を使用することはできない。始解状態の神鎗で倒していくには少しばかり時間がかかる。そのため、まずは鬼道で敵を薙ぎ払う。見たことのない魔法に迎撃側の魔法師たちが驚きの表情で市丸を見つめてくる。
「範囲広うしたから、今のでは倒しきれとらん。今のうちに反撃せんでええん?」
市丸がそう言うと、慌てて暴風に吹き飛ばされて起き上がれていないが、傷自体は浅い敵に対して攻撃を加え始める。一方の市丸も障壁魔法を張りながら神鎗で敵に止めを刺していく。
その間に達也と深雪、レオと千葉が到着した。
「殲滅戦の最中や。加勢できる者は加勢し」
達也と深雪は問題ないはず。後、レオと千葉がどうかだ。
「深雪、銃を黙らせてくれ」
「かしこまりました。お兄様」
達也の指示を受けて深雪が発動させた魔法は、振動減速系概念拡張魔法「凍火」。燃焼を妨害する魔法だ。それで辛うじて戦闘力を残している敵の火器を封じる。
その間に敵中に飛び込んだ達也は魔法を宿した両手の手刀を振るい、素手で人体を切り裂いていく。続けて千葉が鍔の無い脇差形態の武装一体型CADを手にして自己加速魔法で駆け抜けながら正確にゲリラの頸動脈を斬り裂いていく。
「達也、エリカ!」
後方から吉田の声が響くと同時に、二人が左右へ散った。吹いてきたのは、本物の疾風。風の中に潜むカマイタチが、ゲリラの皮膚を無惨に引き裂いて駆け抜けていった。
「武器を持った敵を前に躊躇は命取りやで」
遅れてやってきた吉田が参戦していた一方、先に到着していたレオは負傷した敵に止めを刺すことに躊躇いが見えた。結局、レオが向かおうとしていた敵は市丸が神鎗で止めを刺した。
「わかってるけどよ……」
相手が万全であれば、また違ったのかもしれない。しかし、闐嵐で傷つき、凍火で抵抗の手段が限定された相手に対して力を振るうことはレオにはできなかったようだ。その感情は人間としては正しいのだろう。しかし、戦士としては失格だ。
「それで、これからどうするの?」
「情報が欲しい。予想外に大規模で深刻な事態が進行しているようだ。行き当たりばったりでは泥沼に入り込むかもしれない」
千葉の言葉に達也が迷いを見せる。そこに助け舟を出したのは北山だった。実家が資産家である北山は一般には公開されていないVIP用の会議室の存在と場所、アクセスコードまでもを知っており、それを使えば情報が手に入るはずと言った。
「じゃあ、達也たちは行ってき。その間、ボクはここを守っとくわ」
市丸はそう言って達也たちを見送り、正面出入口付近の敵の掃討に動き出した。