西暦二○九六年一月十四日、渋谷・二十三時。
土曜日の深夜、路上に車の姿はなく、若者の姿で溢れていた。
夜の渋谷は、大人が姿を消した若者の街。
二十年に及ぶ混沌の時代、時期をずらして新宿、池袋、六本木は外国人による破壊活動と、それに怒った若者の外国人排斥活動により荒廃を極め、所々に虫食いの様な廃墟が生じた。その復興の過程で徹底した治安回復が取られ、これらの街はかなり窮屈な繁華街として再建された。
だが、渋谷はその例外だった。
昼は堅気の会社員が行きかうビジネス街。
夜はアウトロー気取りの若者が徘徊する歓楽街。
そして今夜も新年早々、多くの若者が路上に集まり、思い思いに騒ぎ、笑い、いちゃつき、殴り合っている。
その中に、彫りの深い顔立ち、がっしりとした体格の西城レオンハルトの姿もあった。
レオには一つ、悪い趣味がある。いや、趣味というより癖だ。それは彷徨癖。
歩くでも、走るでも、叫ぶでもなく、夜を、さまよう。
深夜が近づくにつれて、当ても無くフラフラと歩き回りたくなるのだ。
レオはそれを、自身の遺伝子に刻まれた本能によるものと考えている。
レオは、世界で最初に遺伝子操作による魔法師調整技術を実用化していたドイツで、その最初期に開発された「城塞シリーズ」の第三世代。
城塞シリーズは肉体の耐久性向上に重きを置いて開発された調整体だ。当時、魔法師の弱点と考えられていた近接戦闘能力の底上げの為、遺伝子に身体能力の強化を施された城塞シリーズは「魔法を使える超人兵士」、「人間を超える身体能力と、魔法を併用する強化人間」として産み出された。
無理な遺伝子改造の結果か、城塞シリーズ第一世代の多くは幼少期に死亡し、成長した後も大半が発狂して、死んだ。
その数少ない生き残りの一人が、レオの祖父だった。
レオは恐怖を抱えている。いつか自分も、狂ってしまうのではないかと。
人ならざる因子が人の因子を喰らって、心が壊れてしまうのではないかと。
レオが自分の衝動に忠実であろうとしているのは、衝動を解放することで、心がきしみ、壊れる瞬間を先延ばしにできるのではないか、と考えているからだ。自由に生きた祖父が天寿を全うしたという実例を知っているからだ。
或いは同じ二科生ながら異例が常態化している同級生や、横浜で一人で多くの敵兵を殲滅した一科生くらい心が強ければ違うのかもしれない。彼らは確固たる自分を持っていて、遺伝子にすら己の言い分を押し通してしまいそうに見える。
だが、レオはそこまで強くはない。だからレオは、「夜をさまよう」という衝動に逆らいはしない。心の赴くまま、月の下を、星の下を、漆黒の雲の下を、ぶらぶらと歩く。
「あれっ? エリカの兄貴の警部さん?」
そんな中ですれ違った相手が、たまたま大亜連合による横浜襲撃の際には共に戦ったという関係で、更に世話になっている同級生の兄だった。レオにとっては、青年に声を掛ける理由としては十分だった。
「君、チョッと一緒に来てくれ」
今にも舌打ちしそうな顔で応えたのは、「エリカの兄貴」の隣を歩いていた男だ。
二人に連れ込まれた先は路地奥の小さな酒場。看板には「BAR」と書かれていたが、横文字にする必要性をレオがまるで感じない店構えだった。
「マスター、上を借りるよ」
カウンターの向こう側でグラスを磨いていた店の主人に声を掛け、返事を待たずに突き当りの階段を上がる。連れ込まれた先は小さな丸テーブルに四脚の椅子が置かれただけでいっぱいになっている窮屈な狭い部屋だった。出入り口が宇宙船のハッチの様な気密構造の分厚い扉になっているのが、古ぼけた内装と酷く不釣り合いだ。
「西城君、だったね。よく俺たちのことが分かったなぁ。ちゃんと気配は消していたはずなんだけど」
「……もしかして、捜査の邪魔しちまった?」
「腕っ節だけじゃないんだね。まあ、単なる脳筋にエリカが肩入れするはずも無いか」
反射的に顔を顰めたレオだったが、好意か悪意かはともかく技を教えてもらったり得物を貸してもらったり色々と肩入れされている自覚はあったので、反論はしなかった。
「捜査については気にしなくて良いよ。気配を消していたのは無意味なトラブルを避ける為で、尾行とかしていたわけじゃないからね。深夜のここは、警察が何かと目の敵にされるから」
「目の仇ね……確かにそんなだよなぁ」
「警部、ちょうど良いじゃないですか。彼に訊いてみたらどうですか」
それだけでは当然、何のことだかレオには分からなかったが、説明を急かすようなことはしなかった。エリカの兄、千葉寿和が頷き、レオに向き直るのを、待ち構える。
「ところで、西城君、キミ、渋谷には良く来るのかい?」
「よく、って程じゃないけど、たまに来ますよ。大晦日もここでフラフラしてたかな」
「二週間前か。明日には報道規制が解除されて知ることになるだろうから言うけど、都内の繁華街で奇妙な事件が起こっているのは知ってるかい?」
「奇妙な事件? そんなもん、毎日起こってると思うけど。ところで警部さんって、横浜の方が担当じゃなかったっけ? 何で都内の事件を調べてんだ?」
「俺たちは警察省の所属でね。日本全国をあちこちに異動さ。って訳で、今は都内の連続変死事件を捜査中だ」
軽く、サラッと流れ出たセリフ。しかし、その前の報道規制という言葉も合わせて考えると流してしまうことはできなさそうだ。
「変死、って……猟奇殺人か? 連続で?」
「一番新しい犠牲者が三日前、道玄坂上の公園で発見された。死亡推定時刻は午前一時から二時の間だ。そこで訊きたいことなんだけど、妙なヤツに心当たりは無いか? 噂に聞いただけでも構わないんだが」
「夜中にこの街をうろついているのは妙なヤツばかりだよ。具体的に、どんなヤツのことを知りたいんだ?」
「確かに。とはいえ、犯人の特徴が分かっていれば捜査も随分と楽なんだが、今のところ情報はない。被害者の死因は全員、衰弱死。そして、七人とも、外傷は一切無い」
七人という被害者はそれなりに多い。それがここまで何の騒ぎにもなっていなかったというのは驚きだ。
「外傷が無い? 毒か?」
表情を変えたレオの問い掛けに、寿和は頭を振った。
「知られている限りの薬物反応は全て陰性だ」
「外傷がない衰弱死? 本当に事件なのか?」
全く外傷がない衰弱死ならば、ただの病死ではないだろうか。
「俺たちも最初は半信半疑だった。けれど、健康な若い人間が突如として衰弱死するなんてことが何件もあると思うか?」
「突如としてってことは少し前までは元気なことが確認されていたのか?」
「最短の被害者の場合、ほんの十分前まで元気に会話をしていた者が衰弱死なんていう事件もあったくらいだ」
「なるほど、そりゃ確かに『変死』だな。猟奇殺人というより怪奇事件だ」
十分前まで元気だった人間が心臓発作とかならともかく、衰弱死するとなると、それは事件性を疑わざるを得ない。
「それで、こういうオカルトじみた真似を仕出かしそうなヤツに心当たりは無いかな。特に、最近余所から流れて来たって連中で、妙な噂が立っているヤツらとか」
訊かれる前からレオは両腕を組んで唸っていたが、やがて諦め顔で腕組みを解いた。
「ダチからネタ、仕入れときますよ」
残念ながら、人を十分ほどで衰弱死させることができる相手など想像もつかない。当然ながら、想像がつかない相手に心当たりなどあろうはずがない。
「えっ、いや、それはいいよ。そういうのは警察の仕事だし、嗅ぎ回って目を付けられないとも限らないし」
「でも警部さん、夜の渋谷だぜ? 大人の、それも警察の人が色々訊き出すのは難しいと思うけどな」
この場所は、それだけ特殊な場所なのだ。
「そうかい? じゃあ何か分かったらここにメールくれよ。キー入力は最初だけで、二回目からは自動的に更新されるから」
「厳重なこったな。んじゃ、何か分かったら知らせるよ」
レオはそう言って立ち上がり、階段を下りて行った。