突き出される拳と拳。目まぐるしく入れ替わる身体、目まぐるしく入れ替わる攻守。
達也は八雲と毎朝恒例の組み手を行っているところだ。
真っ直ぐ突き出されるだけでなく、上下左右から襲い掛かる拳、手刀、掌。それを躱し、掴み取り、捻り上げようと絡み付く手を紙一重で振り払う。
達也と八雲の体術は互角だが、体力は達也が上。そして駆け引きは未だ遠く及ばない。
ならば駆け引きを弄する暇を与えず攻め続けることだけが、達也が八雲に勝利する手立てだ。必要以上に間合いを開けた状態は、達也にとって避けるべき不利な態勢。間合いの内に踏み込み、拳を突き出そうとしたその瞬間、達也は八雲の存在に揺らぎを感知した。
このところ繰り返し苦杯を嘗めているパターンに、焦りを抑え込んで情報体を分解する対抗魔法を発動する。
八雲の身体が揺らいで消える。達也の情報解散が八雲の幻術を無効化したのだ。
達也は五感をフル稼働させて、八雲の実態を探した。八雲といえど、背後に回り込む余裕は無かったはずという、達也の判断は間違っていなかったが、推測は間違っていた。
八雲は達也が狙い定めた、三十センチ後ろの正面にいた。達也は拳を打ち出したが、それは誘いだった。フェイントに誘い込まれた達也の身体は、八雲の投げに宙を舞った。
「……師匠、今のは?」
「いや、まさか『纏衣の逃げ水』が破られるとは思わなかったよ」
「あの術は『纏衣の逃げ水』、というんですか……。師匠、あれはいつもの幻術ではありませんね?」
「やっぱり分かっちゃうのか」
やれやれと言わんばかりに嘆息する八雲だったが、唇の端が楽しげに歪んでいるのを隠し切れていない。
「その視ただけで術式を読み取ってしまう君の異能は、相手にとって脅威そのものだ。でも、それを逆手に取る手段が無いわけじゃない」
「今の幻術がそれだと?」
「纏衣は本来、この世のものならざるモノの目を誤魔化す為の術式なんだけどね。どういう仕組みかは……そうだね、自分で考えてみてごらん。君ならすぐに分かるはずだ」
「今、この世のものならざるモノの目と仰いましたが」
「僕たちが相手にするのは、人間ばかりじゃないよ。この世のものならざるモノの相手は、それほど珍しいわけじゃない」
文脈から予想したとおりの答えだが、達也の予備知識に反する答えでもあった。繁華街での異変が報道された後、達也は魔性の関与を疑い、念の為に情報を集めていたのだ。
「しかし、俺の友人の古式の術者は、本物の魔性に遭遇するのは稀なことだと言っていましたが……」
「達也くんの友人というと、吉田家の次男か。まあ、彼の言っていることも間違いじゃないけど……君にしては、切り込みが浅いね」
「幹比古の言ったことは、間違っていない。かといって、完全に正しくもない。そういうことですね? 本物の妖魔・化生と遭遇、つまり偶然出会うことは極めて稀であっても、偶然でなければ、何者かの作為の下でならば決して珍しくもない、ということですか?」
「君自身、一度や二度はこの世ならざるモノたちと接触した経験があるはずだよ。君たち現代魔法師がSB魔法と呼ぶ魔法は、一体何を媒体としたものだい?」
達也の口から「あっ」という声が零れ出た。
「分かったようだね。現代魔法師がスピリチュアル・ビーイングと呼ぶモノ、つまり精霊も、立派に『この世のものならざるモノ』だ」
それは確かに、盲点だった。達也は説明を続ける八雲の顔を凝視していた。
「ああ、知性の有無とか意思の有無とかは二の次だよ。細菌には知性も意思もないけれど、人の身体に入り込み肉体の機能に干渉して健康を害する。ウイルスに至っては不完全な増殖能力しか持たない。例え学問的には厳密な『生物』に該当しないとしても、人の肉体を蝕む『生き物』であることに論はないはずだ」
「スピリチュアル・ビーイング、現象から切り離された孤立情報体に過ぎない『精霊』も、『この世ならざるモノ』に違いはない、と」
「正確には、肉を持つ生き物ならざるモノ、と言うべきかもしれないけどね。それに、精霊に意思がないなんて誰が確認したんだい?」
「……誰も確認していませんね。その逆のことを言っている人間になら心当たりはありますが。ところで、お前はいつまでそこで黙って見学しているつもりだ?」
「あれ? 気付いとったん? やっぱりボク、君らの索敵は苦手やわ」
そう答えたのは、寺の屋根の上で見学していた市丸だ。
「それで、市丸の見解は?」
「精霊に意思なんかあれへん。意思がある肉を持つ生き物ならざるモノは別物やな」
「別物?」
「君らは知らんだけで、意思がある肉を持つ生き物ならざるモノは昔から君らの身近におるんやで」
まさか、ここまで確信を持ったような回答があるとは思わなかった。
「それで、その意思がある肉を持つ生き物ならざるモノってのは何なんだ?」
「簡単に言うなら、悪霊とか呼ばれているものやな」
「悪霊?」
何だか随分とオカルト方向な話になってきた。普通なら冗談と笑うところだが、市丸の表情はいたって真剣だ。
「そうや。理由までは分からんけど、悪霊が人と融合したみたいやね」
「それで、悪霊と融合した人はどうなるんだ?」
「悪霊に引っ張られて人の意思が薄まるみたいやね。それと悪霊が持つ力の一部を使えるようになるみたいやな」
「幹比古は人の幽体に寄生して人間を変質させるパラサイトではないかと言っていたが、市丸の言う悪霊というものはパラサイトとは別物なのか?」
「ボク自身、パラサイトのことはさほど詳しくないからわからんけど、当たらずしも遠からずってところやろな。少なくともボクの言っとる相手は日本という単位でなら毎日のように出没しとるから」
毎日のように出没しているという市丸の発言はかなり衝撃的だった。
「それだけの数、出没をしているというのなら、それなりの被害が出ているんじゃないか? 俺たちはそのような話、聞いたことがないんだが」
「そら被害が大きくならんように対処しとるのがおるからな」
「そんな組織があるなんて聞いたことがないんだが?」
日本という単位という表現を使ったということは、対処をしているというのは、それなりに大きな組織のはずだ。しかし、四葉家からも軍の関係からもそのような話は聞いたことがない。
「君らが知らんようなことも、世の中にはあるということや」
非常に気になる内容ではあるのだが、市丸は答える気がないようだ。
「では、別の質問だが、その組織はどうして今回は対処をしないんだ?」
「その組織が対処をするのは悪霊のみで人間に手は出せんのや。今回は人間と融合しとるから、その組織は対処はできんのや」
「それだけ詳しいということは、お前はその組織に所属している……いや、所属していたということか?」
市丸の行動は、人間に手を出せないという組織の方針とは明らかに乖離している。ということは、今は所属していないと考える方が自然だ。
「まあ、そんなとこやね。それより君らが知っておくべきは、そこやないやろ」
「そうだな。じゃあ、悪霊と融合した人間が持つという能力はどんなものなんだ?」
「さあ?」
「さあ、とは?」
この期に及んで隠し事かと少しだけ表情が険しくなってしまう。
「悪霊、ボクらは虚って呼んどるんやけど、虚の能力は強くなればなるほど、個体差が大きくなるんや。必然的に虚と融合した人間も、どんな虚と融合したかによって能力は異なることになるんやないかな。ただ共通する能力もあるで」
「その共通する能力とは?」
「超速再生と虚閃、簡単に言うなら閃光のような攻撃魔法みたいなものやな。あと、弱点は仮面やから戦うことになった場合はそこを狙うとええで。今のところ言えるのは、そこまでやな」
それ以上は語るつもりはないのだろう。市丸は身を翻して九重寺から去っていく。達也はそれを見送りつつ、虚と融合した人間というものについて考察を続けた。